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「チェリビダッケ没後10年が過ぎて」

2007年1月15日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第100回

「チェリビダッケ没後10年が過ぎて」

 2006年はチェリビダッケ没後10年だった。年末に出たブルックナーの交響曲第5番はそれにふさわしいすばらしいCDである。チェリビダッケとミュンヘン・フィルの響きをこれ以上よく伝える正規録音は、目下他にないと断言していいだろう。
 ミュンヘン・フィルとの第5番には既発売のEMI盤もある。アルトゥスは1986年、EMIのほうは1993年の演奏だが、演奏時間はほとんど変わらない(それだけに、EMIから発売されている最晩年の第8番の超遅いテンポが賭にも似た意図的なものだったことがわかる)。1993年のほうが枯れた味わいがあるのは当然としても、基本的にはそっくりな演奏である。だが、録音の違いによって、恐ろしいまでに印象が異なっているのだ。
 たとえば冒頭だけを聴き比べれば、EMIは決して鈍重ではない。むしろピチカートの切れとか、独奏楽器の明快さではEMIのほうが鮮やかで、情報量が多そうに聞こえる。しかし、だ。ここがポイントなのだが、「その楽器がこういう音を出した」を記録したものが最高の録音とは限らない。「その楽器がこう聞こえた」を記録するほうが重要な場合があり得るからである。そして、チェリビダッケとはまさしく後者を問題にする演奏家だったのだ。ある楽器は単独で鳴っているのではない。他の楽器と組み合わさっている。その組み合わった響きを再現しなければ、音楽を再現したことにはならない。チェリビダッケは、さまざまな楽器や音の相関性こそが演奏においてもっとも大事なことであると常々主張していたのである。
 いろいろな楽器が登場してくるとアルトゥス盤とEMI盤の決定的な違いがはっきりする。アルトゥスのほうでは、「ホールではこう聞こえた」、つまり「それぞれの音や楽器はこのような関連性の下で演奏されていた」が伝わってくるのだ。むろんすべてとは言わないまでも、ある程度わかるのである。たぶん、生でチェリビダッケのブルックナーを聴いたことがある人は「そういえば、コントラバスはこんな感じで動いていた!」「こんなふうに音がつながっていた!」「沈黙の中から音が響いてくる感じはこうだった!」「金管楽器の重なりあいはこうだった!」などなど、非常に生々しく思い出すことができるだろう。
 アルトゥスのほうで聴き取れるフィナーレの圧倒的な白熱や高揚は、1993年の演奏にも存在した。しかし、会場ではあまりにも明らかだったそれは、CDとして発売されてみると、ずいぶん薄まってしまっていた。もちろんEMI盤のフィナーレでも引き締まった集中力や精密感はうかがい知れる。が、壮大にして明瞭というチェリビダッケ特有の魔法のようなフォルティッシモは想像できまい。
 残念ながらドイツでは、各楽器を個別的に明瞭に録音するという方法論が一般的なようである。愚かなことだ。そのため、チェリビダッケやヴァントという人たちが会場で鳴らしていたすばらしい音楽は、非常に不完全な状態でしか記録されなかった。ジュリーニの息の長い歌はブツブツに分断された。ザンデルリンクにしても、録音技師が作り出す音質が大嫌いで録音を拒んでいたのだ。音を聴く能力と音楽を聴く能力は異なる。細部のミスを聞き分ける力は、音楽的理解力とは無関係なのである。
 ただ、これだけはやはり言っておかねばならないが、このアルトゥス盤をもってしても、チェリビダッケの本当のすごさはとうていわかるものではない。これだけ聴いてもどれほどの音、どれほどの音楽が会場で鳴っていたことは想像できるだろうが、生はこんなものではなかった。このCDを聴きながら、一方では音質のよさを喜びつつ、他方では「録音など耳が悪い人間が聴くものだ」というチェリビダッケの言葉もまた真実であると思わざるを得なかった。
 そしてまた、さらに大事なことがある。なるほど、「ホールでこう響く」のがチェリビダッケの音楽の肝要な点であるにしても、それはしょせん彼に言わせれば「餌」にすぎなかった。餌の向こうに本当に大事なことがあったのである。音楽が精神的な経験であること、不可逆の時間の中で起きる奇跡的な事件であること、そればかりはそのときその場にいないことにはどうしようもない。たとえば、フィナーレの20分過ぎなど、弾いている者も、聴いている者も、頭の中、体中、それどころか世界のどこかしこもが音楽で満ちあふれる思いがしたはずである。その瞬間、この音楽こそが生であり、世界のすべてが音楽の中に流れ込んでいるかのような錯覚を覚えたはずである。それが録音だけを聴く者にも共有できるのかどうか、私にはわからない。
 とはいえ、チェリビダッケ好きなら間違いなく聴くべきCDだし、今までのCDでは今ひとつ彼の音楽についてはっきりしたイメージを持てなかった人にも勧められる。
 でなければ、もう、あらゆるチェリビダッケの録音を聴かない決意をするしかないだろう。

 なお、第5番にはシュトゥットガルト放送響とのCDもあり、非常に立派な演奏である。禁欲的で端正な美しさを味わうことができる。
 ただし、ミュンヘン・フィルと決定的に異なっているのはオーケストラの自発性だ。あるいは、それを許すかどうかの指揮者の手綱さばきだ。たとえば、オルガンのバス声部みたいに音が動くようなところで、シュトゥットガルトは、まるで音階の練習でもしているかのようになってしまう。石か鉄のようだと言ってもいい。それに対し、ミュンヘン・フィルでは音楽が生き物のように自然に温度を変える。第2楽章あたりを聴き比べれば、ふたつの違いがよくわかるはずだ。

 昨年はチェリビダッケ関係の本も発売された。
 『音楽の現象学』(アルファベータ)は、チェリビダッケが大学で講演したときの記録だ。残念ながら、本人がしゃべった分量はそれほど多くはなく、同時に行われた他の講演なども含めて1冊の体裁になっている。とはいえ、これだけの記録が他にないのも事実であり、今後チェリビダッケを語るには必須となることは否めない。難解と感じる人もいるだろうが、彼の演奏を知っている者にとっては、「だから、ああなのか」とあちこちで合点がいくはずだ。ブルックナーのCDと合わせて読むといい。

 『私が独裁者?モーツァルトこそ!―チェリビダッケ音楽語録』(音楽之友社)は、この指揮者ならではの名言集。確かに暴言めいたものも含まれているが、大半は一見乱暴に見えつつも実は非常に本質を衝いている。そのあたりが石原都知事あたりとは違うところだ。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)


【許光俊の言いたい放題】
第1回「謎の指揮者エンリケ・バティス」
第2回「残酷と野蛮と官能の恐るべき《ローマの祭》」
第3回「謎の指揮者コブラ」
第4回「快楽主義のベートーヴェンにウキウキ」
第5回「予想を超えた恐るべき《レニングラード》《巨人》」
第6回「必見! 伝説の《ヴォツェック》名画がDVD化」
第7回「ついに発売。ケーゲル最後の来日公演の衝撃演奏」
第8回「一直線の突撃演奏に大満足 バティス・エディション1」
第9回「『クラシックプレス』を悼む」
第10回「超必見、バレエ嫌いこそ見るべき最高の『白鳥の湖』」
第11回「やっぱりすごいチェリビダッケ」
第12回「ボンファデッリはイタリアの諏訪内晶子か?」
第13回「アルトゥスのムラヴィンスキーは本当に音が悪いのか?」
第14回「ムラヴィンスキーの1979年ライヴについて」
第15回「すみません、不謹慎にも笑ってしまいました」
第16回『これまで書き漏らした名演奏』
第17回「フレンニコフの交響曲」
第18回「驚天動地のムラヴィンスキー!」
第19回「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番」
第20回「クーベリックのパルジファル
第21回「『フィガロ』はモーツァルトの第9だ」
第22回「デリエ演出による《コジ・ファン・トゥッテ》」
第23回「美女と野獣〜エッシェンバッハ&パリ管のブルックナー」
第24回「無類の音響に翻弄される被征服感〜ムラヴィンスキー・ライヴ」
第25回「クーベリックのベートーヴェン(DVD)」
第26回「ある異常な心理状況の記録〜カラヤン、驚きのライヴ」
第27回「これはクレンペラーか? スヴェトラの『オルガン付き』」
第28回「トルストイのワルツは美しかった」
第29回「カルロス・クライバーを悼む」
第30回「スヴェトラーノフの『ペトルーシュカ』はすごい」
第31回「『展覧会の絵』編曲の傑作」
第32回「ケーゲル、悲惨な晩年の真実〜写真集について」
第33回「種村季弘氏を悼む」
第34回「今度のチェリビダッケはすごすぎ!」
第35回「世界一はベルリン・フィル? ウィーン・フィル?」
第36回「シュトゥットガルトの《ラインの黄金》は楽しい」
第37回「小泉首相なら「感激した!」と絶叫間違いなし」
第38回「平林直哉がここまでやった!〜『クラシック100バカ』」
第39回「まさしく大向こうをうならせる見せ物!」
第40回「日本作曲家選輯〜片山杜秀氏のライフワーク」
第41回「こんなすごいモーツァルトがあった!」
第42回「秋の甘味、レーグナーのセットを聴く」
第43回「ヴァントとライトナーに耳を洗われた」
第44回「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」
第45回「これは・・・思わず絶句の奇書〜宮下誠『迷走する音楽』」
第46回「青柳いづみこ『双子座ピアニストは二重人格?』」
第47回「あのラッパライネンが遂に再来日〜今度も...」
第48回「テンシュテットのプロコフィエフはトリスタンみたいだ」
第49回「テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄」
第50回「もしクラシックが禁止されたら? リリー・クラウスについて
第51回「ケーゲルのパルジファル」
第52回「ベルティーニの死を悼む」
第53回「残忍と醜悪とエクスタシー、マタチッチのエレクトラ」
第54回「マルケヴィッチの『ロメジュリ』は実にいい」
第55回「ジュリーニを悼む」
第56回「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」
第57回「ヴァントとベルティーニ」
第58回「夏と言えば・・・」
第59回「ライヴ三題〜ジュリーニ、ヴァント、テンシュテット」
第60回「困ったCD」
第61回「秋は虫の音とピアノ」
第62回「真性ハチャトゥリアンに感染してみる」
第63回「フェドセーエフでスッキリ」
第64回「シーズン開幕に寄せて」
第65回「あまりにも幸福なマーラー」
第66回「これが本当にギーレンなのか?」
第67回「バーンスタインでへとへと」
第68回「今年のおもしろCD」
第69回「やったが勝ちのクラシック
第70回「正月の読書三昧」
第71回「レーゼルのセット、裏の楽しみ方」
第72回「実はいいムーティ」
第73回「フォークトのモーツァルト」
第74回「空前絶後のエルガー」
第75回「爆笑歌手クヴァストホフ」
第76回「ギーレンのロマンティックなブラームス」
第77回「エッシェンバッハとバティス」
第78回「ネチネチ・ネトネトのメンデルゾーンにびっくり」
第79回「暑くてじっとりにはフランス音楽」
第80回「ジュリーニ最高のモーツァルト」
第81回「1970年代の発掘2点」
第82回「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」
第83回「アーノンクールと海の幸」
第84回「なんと合唱も登場〜ケーゲルの『音楽の捧げ物』」
第85回「ヴァントとミュンヘン・フィル」
第86回「テンシュテットのライヴはすごすぎ」
第87回「8月も終わり」
第88回「激安最高のヴィヴァルディ」
第89回「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」
第90回「激安セットで遊ぶ」
第91回「分厚い響きが快適」
第92回「極上ベヒシュタインを聴く」
第93回「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」
第94回「あなたはこの第9を許せるか?」
第95回「モーツァルト年」
第96回「実相寺監督を悼む」
第97回「シュヴァルツコップのばらの騎士」
第98回「今見るべきDVDはこれ」
第99回「年末のびっくり仰天」

【番外編】
「ザンデルリング最後の演奏会」
「真に畏怖すべき音楽、ケーゲルの《アルルの女》」
「ケーゲルのブルックナー、ラヴェル、ショスタコーヴィチ」
「ケーゲルとザンデルリンクのライヴ」
「聖なる野蛮〜ケーゲルのベト7」
「ヴァント、最後の演奏会」
「バティス祭りに寄せて」
「ベルティーニ / マーラー:交響曲全集」

⇒評論家エッセイ情報
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交響曲第5番 チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル(1986年サントリーホール)(2CD)

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交響曲集 チェリビダッケ&シュトゥットガルト放送響、他(8CD)

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私が独裁者?モーツァルトこそ! チェリビダッケ音楽語録

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私が独裁者?モーツァルトこそ! チェリビダッケ音楽語録

セルジュ・チェリビダッケ

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