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「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」

2006年9月19日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 第89回

「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」

 先日のエンリケ・バティス指揮ジャパン・ヴィルトゥオーゾ・オーケストラの演奏会は、予想通りというか、レスピーギ「ローマの松」が痛快だった。私はサントリーホールのP席(オーケストラの背後)に移動して聴いたのだが、前からは超うるさいオーケストラ、後ろからはパイプオルガンと、大音量の猛攻撃を受けた。これほどまでにうるさいオーケストラを聴いたのはずいぶん久しぶりだ。もっとも、うるさいだけでなく、叙情的な部分はきっちりと美しいから、異常な盛り上げ方が生きるのである。このあたりが、バティスがただの野蛮な指揮者ではないところだ。
 前半のベートーヴェンの交響曲第5番は、オーケストラがやる気がないのか、特にヴァイオリンがお上品路線なのが、物足りなかった。低弦はズビズビと、バティスっぽいのだが、ヴァイオリンはコンサートマスターにレオ・シュピーラーなんぞという大物を呼んでしまったせいか、ひどくおとなしかった。
 それにしても、バティスとメキシコの楽団、いや、メキシコでなくてもロンドンでもいいが、外国オーケストラの演奏家を日本で聴ける日はいつか来るのであろうか。最近耳にした話では、バティスはメキシコでは狂人扱いされているという。いつものことながら、常軌を逸した音楽家にひかれてしまうのが私の性のようだ。

 さて、それはともかく、ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番が発売された。1996年という年代からして、非常に遅いテンポで運ばれるのではないかという予想は見事に裏切られる。ジュリーニ晩年といえば、極度に遅い演奏を私たちはさんざん聴かされてきたのに、だ。
 だが、聴いてみれば明らかなように、60分少々とは言いながら、せっかちな印象はまったくなく、むしろ数字よりもゆったりと聞こえるのである。それもそのはず、ジュリーニは弦楽器に最大限の表現力を発揮させているのだ。レガートで奏でられる歌の美しさといったら、想像を絶する。豊かに歌いながらも、あくまで品格は高く、清潔である。甘みはあるが、べったり甘いわけではない。羽毛のように柔らかな響きで、きれいに抑揚しながら、音楽はこのうえなく流麗に流れる。そこに加わるそこはかとない強弱のニュアンスの妙。ときには官能性まで感じさせる。主人公はあくまで主旋律。けれども決して浅薄でバカっぽくは聞こえない。全体が絶妙かつ統一的なバランスで一貫されているからだ。
 オーケストラは十分な鳴りっぷりを示すが、たとえば第1楽章の終わりのほうではチェリビダッケやヴァントのように、あたかも全世界が沈没するような凄惨なものではない。そのような場所での演奏の精度という点も、必ずしも万全ではない。が、これはこれでよい。音楽全体がちゃんとひとりの音楽家の表現様式で貫徹されているのだから。ジュリーニの第1楽章は明るく希望に満ちている。時には幸せそうですらある。やさしい愛に満ちている。こんなふうにこの曲が響くことも可能だったのだと新鮮な驚きを覚える。
 当然、フィナーレも聴きものだ。この楽章に関しては、休符に至るまで重い意味を読み込んでしまったチェリビダッケの例があるだけに、詰めの足りない部分がないとは言わないにせよ、である。特にコーダは、まるでフォーレのレクイエムのように平和な、じんわりとしみ通ってくる美しさがすばらしい。もし葬式でこの曲を流したいという人がいるなら、絶対にこの演奏をお薦めする。
 この曲のもっとも美しい演奏のひとつ、少なくとももっとも口当たりよい演奏と言っても過言ではないだろう。ジュリーニにはシカゴ響ウィーン・フィルとの同曲の録音もあって、そちらも水準は高かった。だが、今回の演奏は、ジュリーニらしい魅力という点でそれらを上回るかもしれない。たとえばウィーンの演奏は、腰を落としてじっくりと攻めてくる。「ブルックナーの最後の交響曲なんですよ、わかります? もうすぐ死ぬんですよ、わかるでしょ?」としつこく言っているような、非常にシリアスでいい演奏である。第1楽章冒頭なんて、こうでなくちゃという重たさ、形、圧迫感を持っている。が、シュトゥットガルトのほうはもっと軽やかで、明るくて、あっさり。けれど、まったく独特の風雅な美しさがある。できふできがかなりあったジュリーニだが、特に第1楽章は彼の代表作のひとつに数えたい。
 ジュリーニは決してシュトゥットガルト放送響に常時出演していた指揮者ではなかった。私はこの演奏会の予定を見たとき、「ふだん振っている楽団じゃないし、たぶんゆるい演奏になるんだろうな」と思った記憶がある。しかし、まさにライヴの神秘、ここでは完全に彼の音楽が展開しているのである。1980年代以降、あまりぱっとしなかったシュトゥットガルト放送響だが、いざとなると、こんな演奏ができてしまう。ヨーロッパのオーケストラ、恐るべしである。
 思い出せば、私が初めてこの曲を聴いたのは高校生のとき。EMIのクレンペラーだった。何しろ愛想のない演奏だったから、むやみと深刻でとっつきの悪い音楽に思えて仕方がなかった。もしこの演奏を聴いていれば、たちまち大好きになっていたことだろう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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