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許光俊 「ケーゲルのブルックナー、ラヴェル、ショスタコーヴィチ」

2006年3月28日 (火)

許 光俊
「ケーゲルのブルックナー、ラヴェル、ショスタコーヴィチ」

ヘルベルト・ケーゲルの未知のライヴ演奏がCD化された。これまでにもマーラー、バルトークなど、さまざまなライヴが発掘されてきたが、今回は特に出来不出来が少なく、珠玉にもたとえられるものばかりだ。

 珍しくゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したブルックナーの第3番は1986年の演奏で、かつてケーゲルの特徴であった鋭利・酷薄は身を潜め、柔らかい情感表現に傾斜している。
 ことに第2楽章はおそらくあらゆるブルックナー・ファンを満足させるだろう。旋律は折り目正しくも表情豊かに歌われ、休符の余韻も深い。音楽が実に美しく呼吸している。ゲヴァントハウスの弦楽器群は艶があって、暮れなずむ一瞬の風景のように輝いている。何のエキセントリックな身振りも示さないまま、ごく当たり前のように聴き手をたぐいまれな美の圏内に誘い込むのである。最後の部分のヴァイオリンとホルンは甘美にまで至っている。
 仏のように寛大に微笑むこんな演奏をケーゲルがしたこともあったのだ。少なくとも私にとっては、今までわれわれが聴いてきた彼のブルックナー演奏中もっとも強い魅力を持つ演奏である。周知のように当時ゲヴァントハウス管弦楽団はクルト・マズアの牙城であり、いまだ名オーケストラとの評価を失ってはいなかった。しかしながら、このケーゲルのブルックナーを聴くまで、本当にこの楽団の実力に接したとは言えまい。

 ラヴェル集では、ピアノ協奏曲第2楽章が絶品だ。いかなる感傷をもそぎ落とした氷のように静寂な音楽だが、そこから白い冷気のように悲しみが立ちのぼってくる。ピアノとオーケストラの相性もよい。まさにラヴェルしか書けなかった音楽が存分に堪能できる。
 「ダフニス」は克明でたくましい名演奏である。弦楽器が力強くうねっては鎮まる。特に最後の壮大な盛り上がりが圧巻。切れのいいリズムで、すべての音がエネルギーの放出を目指して高まっていく。鮮烈かつ痛快、硬派にして官能的だ。合唱の存在感も適切で、これでこそわざわざ人声を組み込んだ意味があるというものだ。
 ケーゲルはラヴェル作品としては「子供と魔法」を録音していたが、こちらの盤のほうがあらゆる面ですぐれている。

 そして、ショスタコーヴィチ・セット。金管楽器が他を圧したり、木管楽器がアクロバティック的な技で驚かせたりする類の演奏ではない。冷たい響きで陶酔させ、鋭い音で突き刺す音楽でもない。要するにソヴィエト・ロシア系の指揮者のショスタコーヴィチ観とは、はるか隔たったところで説得力ある演奏が行われているのである。弦楽器の量感ある響きを主体とした重厚さ、品格の高さは、ケーゲルがショスタコーヴィチをワーグナー、ブルックナー、ブラームスといったドイツ音楽の延長線上、古典主義音楽からロマン主義音楽を経過して生まれてきたものと捉えていることを示している。

 演奏年代は1958年から1986年にまたがっており、時代によってケーゲルの演奏様式が変わっていくのが手に取るようにわかる。

 最初期が交響曲第11番だ。1958年というフルトヴェングラーの死後わずか4年しかたっていないドイツで、これほどまでにモダンで端正な演奏が行われていたとは、驚き以外の何物でもない。精悍で危なげなく、完全にコントロールされ、確信に満ちた演奏を聴くと、当時指揮者が38歳でしかなかったとはとうてい信じがたい。威風堂々たる立派さである。しかも、第2楽章では恐るべき凶暴や熱狂の相貌も現れる。

 1969年の第4番では、いっそう音楽表現が深化し、音色に対する配慮は並々ならぬものがある。体脂肪率が非常に低く、細部まで明快を極める。とはいえ、決してちんまりとまとまっているわけではなく、フォルティッシモは空間を切り裂くようにシャープだ。ウェーベルンもかくやというあまりにも繊細で精巧な音響の芸術品である。

 1970年代の演奏は気味の悪い第15番、骨太の第6,9番といずれも高水準とはいえ、特に第14番がいい。これまた第4番と同じく、曖昧や怠惰を追放した辛口の音楽で、音のひとつひとつに込められた意志の強さが際立っている。人数を減らした編成のオーケストラが示す凝縮感は圧倒的だ。ドイツ語で歌うふたりの歌手と管弦楽がすばらしく噛み合って、ぞっとするような時間を生み出している。

 1960,70年代のケーゲルは、自分の思い通りの響きを実体化するという点で、世界的に見ても最高峰の厳格さを示していたのではないか。それが抜群の効果を上げているのが、これらショスタコーヴィチ作品なのである。

 最後が1986年の第5番だ。晩年の演奏だけに、作品を外側から冷徹に見据えたかのような趣は後退し、より自由で、自ら作品の中に飛び込んで感情をむき出しにしている。しかしながら、打楽器がいくら強く叩かれても、決して軽薄なバカ騒ぎに陥ることはない。威厳がある。重みがある。安っぽい刺激成分の一片すらなく、響きは大地から湧き上がってくるかのように深い。
 第1楽章の弦楽器の絡み合いも立体感があってよいが、特にゆっくりと奏でられる第3楽章を聴くがいい。虚空へと消えていく木管楽器のつぶやき。息を殺した弦楽器の緊張感。まったく何という悲しみだろう。それはケーゲルが死の直前に見せたような、抗いようもない異常な暗鬱とは違う。もっと優しくて人間的とも言える悲しみだ。ごく当たり前の人間が嘆きうなだれるかのような悲しみだ。この楽章の激しい慟哭を経て、激烈なフィナーレがやってくるが、ここでもむやみと音の暴力がまき散らされたりはしない。そして、とうとう最後の地点に至ってーーまるでブルックナーのようにーー突然目の前に崇高な風景が広がるのである。もしも会場で聴いていたら完全に(いや、CDでも十分に)、別世界に連れて行かれてしまうだろう。
 ここで達成されたのは勝利でも敗北でもなく、すべてを超越した浄化なのである。いかなる瞬間においても美しさを手放そうとはしないロマン主義的ショスタコーヴィチ解釈の最右翼であり、同時に、この作品のもっとも魅力的な録音のひとつである。

 なお、ケーゲルのショスタコーヴィチとしてはすでに第7番『レニングラード』が発売されており、そちらもたいへんすばらしい演奏だったが、合奏の乱れが目立つ箇所があった。今回の演奏はその点においていっそうすぐれている。当然、些細なミスによって演奏の価値が大きく下がることはないとはいえ、念のため付言しておこう。

 こうした演奏を聴いていると、1950年代から最晩年まで、それぞれの時代のケーゲルを、もちろん多彩なレパートリーで生体験したかったと痛切に思わずにはいられないのである。

 言い遅れたが、音質はきわめて優秀で、ステレオ録音はむろんのこと、モノラル録音ですら見事な水準にある。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授) 


■ブルックナー:交響曲第3番『ワーグナー』(1889年版)
ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1986年3月ライヴ録音(ステレオ)


■ボレロ(1985年5月スタジオ ステレオ)
■ピアノ協奏曲ト長調(1974年3月スタジオ ステレオ) 
■『ダフニスとクロエ』第2組曲(1965年9月ライヴ  モノ)

ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団、合唱:ライプツィヒ放送合唱団
ピアノ独奏:セシル・ウーセ


■ショスタコーヴィッチ:交響曲第4番 (1969年5月ライヴ モノ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番 (1986年10月ライヴ ステレオ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第6番 (1973年9月ライヴ ステレオ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第9番 (1978年5月ライヴ ステレオ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第11番「1905年」(1958年4月ライヴ モノ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第14番「死者の歌」(ドイツ語歌唱)
                     (1972年3月ライヴ ステレオ)
■ショスタコーヴィッチ:交響曲第15番 (1972年11月ライヴ ステレオ)

ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団
独唱(交響曲第14番):エミリア・ペトレスク(S)、フレッド・タシュラー(Bs)


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