テンシュテットのプロコフィエフは...
Wednesday, February 22nd 2006
連載 許光俊の言いたい放題 第48回「テンシュテットのプロコフィエフは『トリスタン』みたいだ!」
テンシュテットのライヴが一気に3点も発売された。しかも、オーケストラはドイツ有数の名オーケストラであるバイエルン放送響。
ズバリ、どれも非常にいい。まずはもっとも珍しいレパートリーのプロコフィエフについて述べよう。テンシュテットのプロコフィエフは珍しくて貴重といったレベルの話ではなく、掛け値なしにものすごい演奏が聴けるからだ。
第5交響曲。第1楽章ではあらゆる楽器が豊かな音で、大きく歌い上げる。数分聴いただけで、すっかり圧倒されるだろう。何とも喜ばしく幸せな、あたたかな雰囲気が漂っているのが意外だ。プロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽に冷たさや暗さを感じる人には特に嬉しい演奏だと思う。
この曲では、チェリビダッケの巨大建築のような演奏もすごいが、テンシュテットのほうは、建築というより生身の人間がぶつかりあう騎馬戦といった感じだ。また、マゼールのようにこれでもかと聴き手に襲いかかる演奏もあるが、テンシュテットは下の方からぐんぐんと盛り上がる。まるでワーグナーの「トリスタン」のように、長い波長で大きく起伏しながら、うねりながら流れるロマンティックな音楽である。こういうふうにプロコフィエフを演奏した例もないだろう。
第3楽章のヴァイオリンの歌は、あまりにも艶美、あまりにも陶酔的、あまりにも表情的で、一度聴いたら忘れられないだろう。まるでチャイコフスキー、それもバレエ音楽か「ロメオとジュリエット」のように響くし、後半部分は「トリスタン」における愛の夜のシーンみたいだ。そして終結部は「ジークフリート牧歌」のように柔らかい平和の風景。
フィナーレの最後はもちろん期待通りの豪放。
そしてまた第7番が猛烈に美しいのである。冒頭から、しっとりと濡れそぼった弦楽器の歌が耳に飛び込んでくる。そしてやはり第5番同様、希望に満ちた、肯定的な表情で音楽が大きくふくらんでいく。1分40秒あたりからは、まるでラヴェル「ダフニスとクロエ」の夜明けのシーンみたいに壮大で感動的なパノラマが広がる。ところどころに現れる無邪気な美しさは、まるで「マ・メール・ロワ」のようだ。確かにこの作品は、プロコフィエフの交響曲創作史の最後を飾る、透明な美しさをもつ音楽ではあるが、改めて曲のよさを教えられる。
第2楽章はとても柔らかい美しさと、活発な元気のよさを持っている。柔らかいところはとろけそうで、元気がよいところは上機嫌な舞踏だ。その対照も鮮やかで、味が濃い。
第3楽章は、静かでやさしくて、まるで天国のような音楽。一般的傾向として、ドイツのオーケストラはロシア音楽に対して冷淡だが、ここからは微塵もそうした気配がうかがえず、深い情感のこもった音楽を聴かせる。すばらしい。
第4楽章は屈託がない。テンシュテットは時に躁状態になってしまい、たとえばメンデルスゾーン「イタリア」(EMI)のように、聴き手を唖然とさせるまでに突っ走ってしまうことがあった。しかし、このプロコフィエフでは全体的に明朗ではあっても、狂気じみた異常性にまでは至らない。すがすがしい青空のように晴れ渡っていて、あくまで美であり続ける。その点で、テンシュテットの演奏としては非常に珍しい例ではないか。
私はプロコフィエフの第7番では、この演奏がもっとも好きである。まるでブルックナーのアダージョのように心にしみ入る音楽として聞こえた例を、他に知らない。
両曲とも、バイエルン放送響は本当にすばらしい。各ソロ楽器の生き生きとしてうまいこと。それでいて、悪のりはしない。いいバランスが取れている。もちろん、弦楽器の高水準はいつも通り。硬軟、強弱、たっぷり歌ったり、刻んだり、飛び跳ねたり、微小から巨大まで、自由自在だ。
こんな演奏を発掘してきてよいのだろうか。現代の演奏家が登場する機会が奪われてしまう。今生きている指揮者で、こんなプロコフィエフが指揮できる人は、誰ひとりいない。賭けてもいい、それくらいに強烈な演奏なのである。
他の2点については後日、述べよう。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授)
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