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許光俊 「スヴェトラーノフの『ペトルーシュカ』はすごい」

2006年7月24日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第30回

「スヴェトラーノフの『ペトルーシュカ』はすごい」

 このコラムも、すでに書き始めて30回になった。気に入ったものがあるときだけ書けばよいということだったので引き受けた仕事なのだが、やはり活字媒体を愛好する自分としては、当初それほど乗り気ではなかったのである。
   しかし、HMVのページは非常にアクセス数が多いということで、意外な人が読んでいたりする。つい一昨日も、外国の音楽雑誌がクライバーの追悼文を読んで原稿依頼してきたし、思いもかけぬ人から「新しいのを早く読みたい」と言われる。なかなかあなどれないのである。
   また、「こんなおもしろいものが出ましたよ」と続々と情報やCDが寄せられる。たまに書くだけでは、とてもじゃないが、カバーしきれなくなった。
   そこで、不定期連載ではあるが(おもしろいものがなかったら書けないのだから)、前よりも回数を増やそうということになった。

   念のため、執筆方針を確認しておこう。いたって簡単だ。これはいい、おもしろい、すごい等々、お金を払って買う価値があると思うものだけを取り上げる。販売店のサイトであるから、「こりゃなんだ? ひどい」というものをあえて取り上げることはしない(そちらのほうは、現在準備中の本をお読みください)。当然私が聴いていそうなものについて書かれていないときは、期待はずれでつまらなかったか、単に忙しくて聴いていないか、書くのがめんどくさくなったかであろう。稀に、他人がもうたくさん褒めているからいいや、という理由のときもある。

 さて、ごくごく最近、「いいかげんスヴェトラーノフばかり取り上げるのもマンネリのようでイヤなのだが、おもしろいのだから仕方がない。今回もおつきあいください」と書いたばかりである。今回も、いくぶん憮然としながら、書かざるを得ない。
   しかし、ある意味、仕方がないとも言える。今や日本や世界のメーカーがおもしろいライヴ録音はないかと血眼で探し回っている。いいソースは奪い合いで、裏のドロドロした話も耳にする。とはいっても、本当にドキリとする演奏ができる指揮者はなかなかいない。そんな中、スヴェトラーノフは、発見される演奏が「当たる」確率が際だって高い貴重な存在なのだ。

 この「ペトルーシュカ」。まずはHMVの演奏コメントで説明されている通りだ。じっくりひとつひとつの音を確認するかのように進めていく。軽やかではないし、すばしっこくもない。重量感ある響きの堆積だ。西ヨーロッパやアメリカの演奏家からはとうてい聞こえてこない、まさにロシア風と呼ぶしかないような、独特のギラギラした色彩もふんだんに輻射される。ロシアの伝統的な美術といえば、黄金色に輝くイコンだが、まさしくあれと同様。

 が、私が感心したのは、音響的な刺激度が高いがゆえではまったくない。むしろ逆だ。恐ろしくリアルにドラマを描いている点に驚いたのだ。これほどまでに「ペトルーシュカ」を克明のかぎりを尽くして演奏して見せた例を私は他に知らない。

   冒頭は、意外とおとなしい。ヴァイオリンなど、静かで、おしとやかとまで言いたいくらい。「どうだ! 鮮烈だろ!」と言わんばかりの演奏に慣れている耳は、いささか拍子抜けだ。
   が、まだ序の口である。トラック2、「手品」から先が聴きものなのだ。目の前で巧みな演技が行われているかのような、濃密な雰囲気が漂う。湿り気があって、怪しさの匂いがぷんぷんする。ペトルーシュカをはじめ、登場人物の心理や情景を、鮮明に音化していく。たいしたものである。こうやって聴くと、「ペトルーシュカ」が単にモダンで新しがりやの音楽だったのではなく、舞台進行と密接に結びついたきわめて効果的な劇音楽であることがわかる。そして、スヴェトラーノフが手練れの劇場人であったことがわかる。

   「ムーア人の部屋」からあとがことによい。凄惨の度合いはいやがおうでも高まる。不気味で、暗鬱で、暴力的だ。各楽器の表現力もすばらしい。音のひとつひとつに命がこもる。口をつぐむような休符も怖い。トラック5の1分50秒あたりの弦楽器の刻みは、悪夢そのもの。薄気味悪さ、ドロドロした怨念のような邪悪さなど、鳥肌ものだ。この「ムーア人の部屋」は、珍重に値する名品と断言する。

   以後、音楽は完全に止まる。まるでチェリビダッケの一番よいときの演奏みたいだ。物理的に止まっているのではない。この種の音楽がうまくいっているときには、音楽は進行しつつも、止まって聞こえる。それだけ、各部分が見えすぎるほど見えて明快なのだ。昔、王貞治が、調子のよいときはボールが止まって見えると言っていたが、あれと同じかもしれない。音楽が時間ではなく、空間のように感じられてくるのだ。

   「謝肉祭の市場」もすごい。透明な音響が四方八方に広がっていく。その威容はほとんど神聖と呼びたいくらいだ。時として野蛮な音響をまき散らしてお客を喜ばせる芸人性のかけらもない。ここからあとの音楽は、力ずくではない大きさがある。こんな感じでブルックナーを演奏したらどんなにかよかったのに!

   以後は、もう巨大な音楽の渦に飲み込まれるかのようで、一気に聴かされてしまう。まるで壮大の極致をいく交響曲を聴いているような気がしてくる。時間にしたら40分にならないのに、大長編小説を読んだかのような錯覚がする。

   ロシアの管弦楽曲を、微に入り細をうがつ圧倒的な密度で、かつ畏怖を感じるような巨大さで演奏したという点では、チェリビダッケの「展覧会の絵」カラヤンの「春の祭典」(ライヴ) 、そしてこの「ペトルーシュカ」の3つが究極ではないだろうか。


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