「年末のびっくり仰天」

2006年12月25日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第99回

「年末のびっくり仰天」

 今年も年末になってびっくりするようなCDがいくつも出た。
 まずは、ブロムシュテット指揮ゲヴァントハウスのブルックナー8番。きわめて正直な話、私はこの人にいかなる関心もなかったし、いいとも思っていなかった。ドイツ風の名前とか、かつてドレスデンで活躍していたキャリアゆえ、オーソドックスな名指揮者のように誤解されて得をしているつまらないヤツだと思っていた。名手ペーター・ダムのホルンが印象的なドレスデンとのブルックナー第4番だけは、なかなかきれいな演奏と思っていたのが完全に唯一の例外だった。たまたまFMから流れてきたN響とのバッハはぐにゃぐにゃしていたし、比較的最近では、ゲヴァントハウスを指揮したシベリウスの5番とブルックナーの5番という恐ろしいプログラムを生で聴いたが、これがどこを探しても魅力など見あたらない超退屈な代物で、私をここまでうんざりさせたコンサートもギーレンのブルックナー、マズアのブラームス以来だった。そうそう、こんなこともあったっけ。ライプツィヒでブロムシュテットのブルックナー3番を聴いた知人たちが、本来厳しい連中のくせに、よかったよかったと言っているのを聞いたとき、「こいつら、耳がどうにかしたんじゃないか」とまで思ったのだ。それくらい、私にとってこの指揮者は関心の外どころか、軽蔑の対象だったのである。
 ところが、だ。騙されたつもりでとりあえず聴いてみたブルックナーの8番が、とてもこの指揮者とは思えない演奏なのである。ハッキリ言って、第1、2楽章はとりたてて賞賛するほどではない。だが、第3楽章が、信じられないくらいすばらしい演奏なのだ。決して物理的に遅いだけではなくて、緊張が途切れない。オーケストラが力を尽くしている。あらゆる音に気がこもっている。ねっとりと、じっくりと、がっちりと音楽を捕まえて離さない。全体的に情感は濃いめではあるけれど、こんなテンポを取るかも知れない他の指揮者と比べたらしつこくない。例のハース版特有の木管の移りゆきなど、実に美しい。これまた例のシンバルの一撃のところが妙にあっさりしているのだけ気になるが、そのあとの最弱音など耳にこびりつく。私は決してゲヴァントハウスの熱心な聴き手ではないが、このオーケストラにとっても稀な演奏だったことは間違いあるまい。
 フィナーレになると、突然音楽の進み方や響きが軽くなってしまう。演奏として低劣というわけではなく、むしろ丁寧で好感が持てると言うべきだろうが、金管のリズムなどに端的に見られるような、スッキリした感じが第3楽章とバランスするかどうかという点は、疑問を呈するしかない。ただし、晩年の音楽家に特有の寂しげな趣はけっこうあって、静かな部分などドキリとさせられる。
 ともかく、第3楽章のためだけにこのCDを持っていても損はないはずだ。

   2点目はシノポリ指揮のマーラー9番。ドレスデンというと、どうしても端正で、バランスがよく取れていて、それゆえマーラーの絶叫、憤怒、突進、耽溺が交錯する音楽とは相性が悪そうに思える。実際、これほどの名オーケストラでありながら、マーラー録音は異様に少ない
 ところが、だ。このマーラー、実にいいのである。なるほど、金管楽器がバリバリ、弦楽器がキンキンやっているわけではない。このオーケストラらしく、音色は全体として溶け合う方向だ。ワーグナーの「トリスタン」や「パルジファル」あたりを連想すれば、このマーラーがどんなものか、想像できるのではないか。ワーグナー風、あるいはブラームス風とでも形容したくなる美しさを持っているのだ。絶望とか懐疑とかの生々しい噴出ではなく、柔らかでロマンティックなのだ。そのロマンティック度合いも、たとえば同じマーラーの第5番アダージェットみたいなトロトロのネトネトでなく、濃厚でいながら上品さを失わない。絶妙である。
 それなりのクラシック・ファンなら、この曲はもうよく知っているだろう。だが、そんなあなたも知らなかった、気づかなかった独特の美しさが次々に出てくる。官能的なねっとりした味もあれば、東ドイツ時代の音楽みたいな感じもする。第2楽章での木管など、たまらなく懐かしい匂いがする。癒し系とも言えるだろう。シノポリは確かにあれこれ変なことをしている。が、このオケでやってみると、これでもかと突出しないのも意外である。
 フィナーレも期待にたがわぬ美しさ。いや、それ以上だ。弦楽器が分厚く、重厚で、密な響きで心ゆくまでたっぷりと歌う。その音色のなんというすばらしさ。感情の強さ。それと矛盾するような危なげのなさ。強い表現でありながら、あくまで美しくあり続けるのだ。そして、ヴァイオリンの高音部は恍惚とした天上の音楽みたい。これほどまでに陶酔的な演奏はワルターとウィーン・フィル以来かも。ああ、これは生で聴きたかった。たぶんありとあらゆるこの曲のCDの中でも、この演奏が一番好きだと感じる人が多いのではないだろうか。私がCD屋なら、絶対にこれを店頭でかけるだろう。
 録音もすばらしい。ちなみに、先のゲヴァントハウスのあとでこちらを聴くと、やっぱりオケの表現力には雲泥の差があることがわかってしまうのは残酷である。

   ところで、2006年はチェリビダッケ没後10年でもあった。興味深い本も出版されたし、86年のライヴ録音も出たが、そのあたりは次回述べよう。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


【許光俊の言いたい放題】
第1回「謎の指揮者エンリケ・バティス」
第2回「残酷と野蛮と官能の恐るべき《ローマの祭》」
第3回「謎の指揮者コブラ」
第4回「快楽主義のベートーヴェンにウキウキ」
第5回「予想を超えた恐るべき《レニングラード》《巨人》」
第6回「必見! 伝説の《ヴォツェック》名画がDVD化」
第7回「ついに発売。ケーゲル最後の来日公演の衝撃演奏」
第8回「一直線の突撃演奏に大満足 バティス・エディション1」
第9回「『クラシックプレス』を悼む」
第10回「超必見、バレエ嫌いこそ見るべき最高の『白鳥の湖』」
第11回「やっぱりすごいチェリビダッケ」
第12回「ボンファデッリはイタリアの諏訪内晶子か?」
第13回「アルトゥスのムラヴィンスキーは本当に音が悪いのか?」
第14回「ムラヴィンスキーの1979年ライヴについて」
第15回「すみません、不謹慎にも笑ってしまいました」
第16回『これまで書き漏らした名演奏』
第17回「フレンニコフの交響曲」
第18回「驚天動地のムラヴィンスキー!」
第19回「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番」
第20回「クーベリックのパルジファル
第21回「『フィガロ』はモーツァルトの第9だ」
第22回「デリエ演出による《コジ・ファン・トゥッテ》」
第23回「美女と野獣〜エッシェンバッハ&パリ管のブルックナー」
第24回「無類の音響に翻弄される被征服感〜ムラヴィンスキー・ライヴ」
第25回「クーベリックのベートーヴェン(DVD)」
第26回「ある異常な心理状況の記録〜カラヤン、驚きのライヴ」
第27回「これはクレンペラーか? スヴェトラの『オルガン付き』」
第28回「トルストイのワルツは美しかった」
第29回「カルロス・クライバーを悼む」
第30回「スヴェトラーノフの『ペトルーシュカ』はすごい」
第31回「『展覧会の絵』編曲の傑作」
第32回「ケーゲル、悲惨な晩年の真実〜写真集について」
第33回「種村季弘氏を悼む」
第34回「今度のチェリビダッケはすごすぎ!」
第35回「世界一はベルリン・フィル? ウィーン・フィル?」
第36回「シュトゥットガルトの《ラインの黄金》は楽しい」
第37回「小泉首相なら「感激した!」と絶叫間違いなし」
第38回「平林直哉がここまでやった!〜『クラシック100バカ』」
第39回「まさしく大向こうをうならせる見せ物!」
第40回「日本作曲家選輯〜片山杜秀氏のライフワーク」
第41回「こんなすごいモーツァルトがあった!」
第42回「秋の甘味、レーグナーのセットを聴く」
第43回「ヴァントとライトナーに耳を洗われた」
第44回「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」
第45回「これは・・・思わず絶句の奇書〜宮下誠『迷走する音楽』」
第46回「青柳いづみこ『双子座ピアニストは二重人格?』」
第47回「あのラッパライネンが遂に再来日〜今度も...」
第48回「テンシュテットのプロコフィエフはトリスタンみたいだ」
第49回「テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄」
第50回「もしクラシックが禁止されたら? リリー・クラウスについて
第51回「ケーゲルのパルジファル」
第52回「ベルティーニの死を悼む」
第53回「残忍と醜悪とエクスタシー、マタチッチのエレクトラ」
第54回「マルケヴィッチの『ロメジュリ』は実にいい」
第55回「ジュリーニを悼む」
第56回「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」
第57回「ヴァントとベルティーニ」
第58回「夏と言えば・・・」
第59回「ライヴ三題〜ジュリーニ、ヴァント、テンシュテット」
第60回「困ったCD」
第61回「秋は虫の音とピアノ」
第62回「真性ハチャトゥリアンに感染してみる」
第63回「フェドセーエフでスッキリ」
第64回「シーズン開幕に寄せて」
第65回「あまりにも幸福なマーラー」
第66回「これが本当にギーレンなのか?」
第67回「バーンスタインでへとへと」
第68回「今年のおもしろCD」
第69回「やったが勝ちのクラシック
第70回「正月の読書三昧」
第71回「レーゼルのセット、裏の楽しみ方」
第72回「実はいいムーティ」
第73回「フォークトのモーツァルト」
第74回「空前絶後のエルガー」
第75回「爆笑歌手クヴァストホフ」
第76回「ギーレンのロマンティックなブラームス」
第77回「エッシェンバッハとバティス」
第78回「ネチネチ・ネトネトのメンデルゾーンにびっくり」
第79回「暑くてじっとりにはフランス音楽」
第80回「ジュリーニ最高のモーツァルト」
第81回「1970年代の発掘2点」
第82回「ヤンソンスは21世紀のショルティ?」
第83回「アーノンクールと海の幸」
第84回「なんと合唱も登場〜ケーゲルの『音楽の捧げ物』」
第85回「ヴァントとミュンヘン・フィル」
第86回「テンシュテットのライヴはすごすぎ」
第87回「8月も終わり」
第88回「激安最高のヴィヴァルディ」
第89回「ジュリーニ最晩年のブルックナー第9番」
第90回「激安セットで遊ぶ」
第91回「分厚い響きが快適」
第92回「極上ベヒシュタインを聴く」
第93回「繰り返し聴きたくなる長唄交響曲」
第94回「あなたはこの第9を許せるか?」
第95回「モーツァルト年」
第96回「実相寺監督を悼む」
第97回「シュヴァルツコップのばらの騎士」
第98回「今見るべきDVDはこれ」
第99回「年末のびっくり仰天」

【番外編】
「ザンデルリング最後の演奏会」
「真に畏怖すべき音楽、ケーゲルの《アルルの女》」
「ケーゲルのブルックナー、ラヴェル、ショスタコーヴィチ」
「ケーゲルとザンデルリンクのライヴ」
「聖なる野蛮〜ケーゲルのベト7」
「ヴァント、最後の演奏会」
「バティス祭りに寄せて」
「ベルティーニ / マーラー:交響曲全集」

⇒評論家エッセイ情報
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