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「爆笑歌手クヴァストホフ」

2006年2月28日 (火)

連載 許光俊の言いたい放題 75回

「爆笑歌手クヴァストホフ」

 だんだん日の差す時間が長くなって春めいてきたが、そんな時候にふさわしいCDを聴いた。ベルリン・フィルハーモニック・ジャズ・グループとトーマス・クヴァストホフのジャズだ。チャリティ・コンサートのライヴ録音である。
 どういうわけか、ドイツ人はジャズが相当好きである。ちょっとした街には生でジャズを聴かせる店とか機会が必ずと言っていいほど、ある。だから、ベルリン・フィルのメンバーがジャズを演奏したって全然不思議はない。実際、ここで演奏しているメンバーの経歴を見ると、クラシック以外の活動を頻繁にやっているようだ。
 ドイツ人のジャズ好きは今に始まったことではなく、百年近く前からそうだった。だから、ジャズの要素を取り入れた曲がいろいろな作曲家によって作られたわけだが、その一方で、ヒトラーは「黒人の下らない音楽がすぐれたドイツ民族の文化を汚す」と怒った。アドルノは「ジャズは本当の即興ではない」とバカにした。無視できないくらい人気があったから、そうやって文句を言う人たちが出現したのである。とはいえ、第二次世界大戦後はアメリカ軍があちこちに進駐してきたこともあって、いっそう聴かれるようになった。
 しかし、である。ドイツ人はジャズが好きなのだけど、彼らが演奏すると味わいが徹底的にドイツ風になってしまうのだ。当然と言えば当然の話ではあるが。こちらはドイツではなくオーストリアの人だったけれど、名ピアニストのグルダもジャズが大好きだった。でも、本人は大満足で弾いていたようだが、リズムが重たいとあまり評判はよくなかった。彼はジャズみたいなベートーヴェンも弾いたが(たとえば「ディアベリ変奏曲」)、ベートーヴェンみたいなジャズも弾いたのである。
 ベルリン・フィルのメンバーによるこのCDにしたってそう。とにかく、全員がうまい。もう、優等生的にうまい。ヴァイオリンなんか、こんなにうまくていいのかというくらい、闊達に弾けてしまう。アンサンブルも崩れない。でも、色気とか危うさがない。すすり泣いたり、溜息をついたり、興奮したり、そんなあんながない。コンクリートの無機的な都市の中で響く音楽なのに変に生々しくて人間くさいのがジャズだとしたら、もっと澄ましている感じがする。こういったものを上品だと言って歓迎する人がいるのは趣味の問題だからかまわないけれども、あまり繊細な感じがしないのがベルリン・フィルそのものであるように思う。
 とはいえ、聴いているお客さんのドイツ人はそれでいいのかもしれない。このCDでも会場を埋めていると思しきお客は大喜びしている。まあ、このドイツ風味をひなびたローカル色と考えれば、これはこれで愛すべきものではあろう。私は以前、朝比奈隆の演奏を「あんなものは本格的な西洋料理ではなく、日本風の洋食だ。それが好きだというのは、聴く人の自由」と書いたことがあるが、そうしたものに違いない。ドイツ人はドイツ風ジャズが好きなのだ、きっと。
 私がこの盤をわざわざ紹介する理由は、別にある。クヴァストホフが超笑えるのだ。この人は、今ドイツでもっとも人気がある男性歌手のひとりと言ってよいだろう。その人気はクラシックの範疇を超えている。たとえば、日本であまりクラシックを聴かない人もキャスリーン・バトルやフジ子・ヘミングのコンサートには行ったりする、そんな感じに近い。少し前、ドイツで聴いたときも、巨大なケルンのフィルハーモニーが完全に売り切れで、私もおばさんグループからチケットをわけてもらって入場したほどだった。そのときはおばさんのひとりが「あなたは、クヴァストホフの外見がどうだか知っている?」と尋ねるので「ええ」と答えたら、「そう、あの通りなのだけど、神様はその代わりにすばらしい声を恵まれたのです」と大まじめに言うのがおもしろかった。おばさんはどこの国でも教訓や説教が好きなのである。
 確かにクヴァストホフはすばらしい声を持っている(ちょっと悪者っぽいけど)。しかし、それだけが人気の理由ではない。芸人的サービス精神が旺盛なのである。私が聴いたコンサートでも、壇の上から飛び降りて会場をどよめかせたりしていたが、この盤でも彼のそうした面がよくわかるはずだ。
 まずは、あまり英語がうまくないくせに、やたらナルシスティックに歌っているところが可笑しい。「オレって、すごいだろ? ジャズもうまいんだぞ」という自己陶酔モードに入っているのは明らかで、妙にご機嫌なのだ。だって、現代のドイツ声楽界を代表するような歌手ですよ、それがまるでカラオケをやっている素人さんみたいなうれしそうな様子なのだから。
 何と言っても悶絶させられるのはトラック5の「ソロ・インプロヴィゼーション」だ。さまざまな奇声や歌い方、声音などなどを取り混ぜて、6分間、おバカな歌を繰り広げる。もちろん会場は大爆笑。スピーカーで聴いているこちらも、下らないと思いながら、ついつい笑ってしまう。他の歌手もこれをやってくれればよかったのにと思ってしまう。フィッシャー=ディースカウで聴いてみたかったな。ドミンゴはやらないかな。パヴァロッティだったら、グルベローヴァだったらどんなだろう。あれこれ想像してしまうのだ。
 だいたい、歌手というのはけっこうクラシック以外を歌いたがるものである。日本の歌手もそうだけど、「クラシックの演奏家」である以上に、歌うのが好きなのだ。古今のさまざまな名歌手が興味深い、あるいは笑えるアルバムを作ってきた。有名なところではデル・モナコとマントヴァーニ・オーケストラの超甘口アルバムとか、ドミンゴとウィーン少年合唱団の異常に立派なアヴェ・マリア集とか、それ以外にもいっぱい。ヘフリガーみたいに日本の歌を歌った人もいる。
 ともかく、このアルバムに入っているクヴァストホフのいくつかの歌は、大いに楽しめる。そうだな、たとえば、あの悲劇的な人生を背負ったフジ子・ヘミングが、お笑い番組に出演して芸をやっているみたい、と言えば、その可笑しさが想像できるだろう。

 ところで、これはあまり春向けではないかもしれないが、コリン・デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレのシベリウス交響曲第2番も聴いた。前に私が書いたエルガーの交響曲第1番は1998年の演奏だったが、こちらは1988年。それだけに、デイヴィスくささはこちらのほうが強い。やや強引とも思える流れの作り方や強調、独特のぐしゃっとした強音が時々見受けられるのだ。世間ではデイヴィスはシベリウスを得意にしているということになっているが、こうした音楽のやり方は、私にはシベリウス向きとは思えない。けれども、オーケストラのすごさはあいかわらずで、第1楽章の弱音など美味の極致だし、フィナーレのコーダも余裕しゃくしゃくで威風堂々の横綱相撲を披露している。そうしたところだけでも十分聴く価値があるCDである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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クヴァストホフ&ベルリン・フィルハーモニック・ジャズ・グループ/ジャズ・コンサート

CD 輸入盤

クヴァストホフ&ベルリン・フィルハーモニック・ジャズ・グループ/ジャズ・コンサート

価格(税込) : ¥2,959
会員価格(税込) : ¥2,575

発売日:2005年03月31日

  • 販売終了

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