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「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」

Thursday, December 14th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第44回

「ギレリスのベートーヴェン・セットはすごいぞ」

 私はいつも言いたい放題の人間なので、放送の仕事はあまり頼まれない。そりゃ、ライヴの生中継で「子供だましの演奏ですね。嘆かわしい」などとやられたら、たまったものじゃないだろう。
 が、今月は珍しく、2つ収録があった。ひとつはJ-WAVEの「ニッサン・オン・ザ・ゴー」で、一般向けに親しみやすいクラシックという企画。大掃除のときにはこれ、彼女を初めて家に呼ぶときはこれ、お風呂に入るときはこれ・・・そんな感じでコメントしながら何曲か流すのだ。私はもともと軟派な遊戯が好きなので、楽しくやらせてもらった。
 もうひとつは正反対でハードなマニア向け。TOKYO FMのCSデジタル放送のクラシック局だ。片山杜秀、山崎浩太郎氏というまさに鬼のような人たちと、今年を振り返って放言という企画。「クラシックは地球を救うか?!」という私ですら思いつかない大げさなタイトルにも驚いたが、何と言っても度肝を抜かれたのが片山氏のノリ。マイクの前であれこれ物まねを始めたり、絶叫したり、ほとんど異常事態である。
 そこでも紹介したのだが、ブリリアントから出たエミール・ギレリスのベートーヴェン・セットがすごい。このピアニストは、昨今ではほとんど忘れられてしまったようだ。しかし、生前は鋼鉄の腕を持つピアニストとして、最大級に敬意を持って遇されていた人である(人気はともかく。ちなみにショルティのほうは鋼鉄の肘だった。まるで格闘技ですな)。
 この鋼鉄の腕という形容、だてではない。これほどまでにまっすぐ突き進むベートーヴェンも他にないのでは。いささかの感傷も迷いもなく、音がすごい速度で立ち上がってくる。ソナタもコンチェルトも、唖然とする鮮やかさで弾かれる。強い音も、濁ったりしない。余裕しゃくしゃくだ。現代ならムストネンが近いかもしれないが、ギレリスはずっとずっと熱い。
 ただの腕自慢かと言うと、全然違う。熱狂して周囲がまるで見えないという、一歩間違えるとただのバカな音楽ではない。スポーツみたいに「燃えたぜ!」で終わる音楽ではない。音響芸術として考え抜かれているのだ。人にこびる様子がないのは、技巧がひたすら目指すべき音響芸術のためにのみ用いられるからだ。その証拠に、ゆっくりしたところ、弱音、叙情的なところが実にいい。非常に音色が美しく(もちろん硬質なものだが)、音符の重なり合いは常に明快である。協奏曲第3番の第2楽章は、この人がバリバリやるだけの人ではないことの最高の証明。こんな透き通った美しさの音楽は滅多にない。意外とアファナシエフっぽい部分もあるぞ。
 「ハンマークラヴィーア」の第1楽章の簡潔な美しさ。フィナーレの最後はまるで解剖図か透視図のようだ。ピアノ協奏曲第2番第1楽章の張りつめた音響美。和音を支える左手の強靱なこと、確実なこと。それぞれの音のシンクロの精密なこと。ミケランジェリやリヒテルもだが、こういう現代ピアノの性能を最大限に生かした音楽を聴かされると、フォルテピアノなどは聴いちゃいられないと思ってしまう。
 伴奏指揮はマズアで、特にどうこう言うようなものではない。オーケストラはうまいが、ギレリスの純度に比べれば、どうしても大味に聞こえてしまうのは仕方あるまい。
 日本では、ポリーニが常に大人気。なのに、どうしてギレリスはそうじゃなかったのか。まったく謎と言うほかない。吉田秀和大先生もベタ褒めだったのにね。急死しなかったら、伝説になったのだろうか。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授) 


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"Piano Sonata.8, 12, 14, 23, 26, 29, Etc., Comp.Piano Concertos: Gilels, Masur"

Beethoven (1770-1827)

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