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「フォークトのモーツァルト」

Wednesday, February 15th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第73回

「あんたはアファナシエフの手下?! フォークトのモーツァルト」

 私が『クラシック名盤バトル』(共著、洋泉社新書)で褒め称えた、フー・ツォン弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番がようやく再び買えるようになったらしい。これは一度聴いたら忘れられない超ノロノロ演奏で、最初、本当にこのテンポで最後までやってしまうのか?!と心配になってしまうほどだ。ピアノはまるでベルカント・オペラのように耽美的で、音のひとつひとつを愛玩するような感じである。身がよじれるような官能的な妖しさがたまらない。グルダとシュタインの演奏なども実に見事だとは思うが、こっちはフグの毒みたいなもので、しびれる快感がある。
 余談だが、『クラシック名盤バトル』は、書いた本人としては実におもしろい仕事で、できばえもまんざらではないのだが、なぜか今ひとつ売れない。何でもそうかもしれないが、売れ行きと自己認識はしばしば異なるのが常だ。

 さて、個性的なピアノと言えば、数日前、何気なくラルス・フォークトが弾くモーツァルト集を聴いてぎょっとした。ジャケットには、いかにもドイツのあんちゃん風の写真が使われている。人がよさそうな反面、あまり繊細には見えない。ところがどっこい、まあちょっと聴いてみるかとプレーヤーに入れてみたところ、予想外の音楽が響きだしたので、すっかり当惑してしまったのである。
 ひとことで言えば、壊れやすそうで寂しげなのだ。こう言うとあまりにも平凡だが、そのレベルは相当である。特にピアノ・ソナタ第10番の第2楽章は、アファナシエフが弾いたシューベルトとまるで兄弟。空間に消えていくピアノの音に、何とも言えない無常感が漂っている。周囲の人に聞こえるか聞こえないかの小声で囁いているようでもある。淡々とした歌には深い思いがこもっている。
 第11番第1楽章の変奏曲も、あの世っぽい雰囲気。こういう内省的なピアニストが現代の若手にもいたとは。近頃の変わったところではファジル・サイのモーツァルトがやりたい放題でもおもしろかったが、あちらは芸人系。正反対だ。
 フォークトの演奏は、アファナシエフのじっとり濡れそうな冷気に比べれば湿度が低いとはいえ、おさおさ劣るものではなく、しっかりと耳に残る。フォークトのあとでリリー・クラウスだのエッシェンバッハだのを取り出して聴いてみたが、いつの間にか、耳がフォークト節を求めてしまい、物足りなく感じられてしまうのだ。フォークトってこんなだったっけとベートーヴェンのソナタ第32番を聴き直してみたら、確かに特徴は共通している。しかし、モーツァルトを弾いたときのほうが、はるかに個性が鮮明に出てくる。
 もちろん、2つの幻想曲では暗さ全開だ。ピアニッシモで孤独な内面世界が切々と描かれる。ただし、暗いと言っても突き放すような厳しさはなく、グルダ的というか、シューベルト的というか、人なつっこさややさしさもある。激しい部分も決して自暴自棄の突進ではなく、節度がある。それがせめてもの救いだ。
 今年はモーツァルトの記念年で、これからも山のような量の演奏が現れるだろうが、美しさといい、深さといい、ピアノでこれを超えるものはなかなか出てこないだろうと思った。「モーツァルトを聴くと頭がよくなる」と浮ついている連中に、ぜひとも薦めたいものである。もちろん、胎教になど使ってはならない。赤ん坊が、こんな世の中に生まれるのを嫌がるに決まっているから。
 それにしてもフォークト、こんなピアノを弾いていてノイローゼにならなければよいが。ピアニストは孤独ゆえ、心理的原因で弾けなくなってしまう人は決して稀ではないのである。

 ところでピアノと言えば、力作の本が出た。吉澤ヴィルヘルムの『ピアニストガイド』(青弓社)である。ずいぶん長く氏と音信不通になっていたので、てっきり子供のお受験にでもかまけているのかと思っていたら、でかい本をじくじくと書いていたらしい。350ページを費やして、およそ300人のピアニストの紹介である。
 といっても普通でないのは、ただのABC、アイウエオ順の配列になっていないこと。使用ピアノ、流派、コンクールといった要素で分類されているのだ。それゆえ平凡な名演奏家事典にないおもしろさがある。いろいろ異論もあるだろうが、毛並みの違った鑑賞ガイドとして興味深い。ピアノ好きは手にとってみて損はない。特に笑わされたのは序文。どこまで本気かわからないが、マジメを装いつつ、ニヤニヤしている風がある。
 さっそくフォークトの項目を見てみたら、東京のリサイタルでは弱音系の曲を並べたため、次々にお客が眠りに落ちていったとあった。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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