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許光俊 「ケーゲル、悲惨な晩年の真実〜写真集について」

2006年8月12日 (土)

連載 許光俊の言いたい放題 第32回

「ケーゲル、悲惨な晩年の真実〜写真集について」


 思いもがけずケーゲルの写真集が発売になった。ドイツでは、日本においては考えられないような演奏家の本が出版されているが、何しろケーゲルは旧東ドイツと日本を除けば決して有名とは言えない指揮者だった。それゆえ、この時期になって写真集が発売されたのは、いささかの驚きだった。
 160ページを埋めているのは多くの写真と、伝記である。ドイツ語と英語の併記というのは、日本マーケットを意識してのことだろう。ちなみに、わざわざ日本との関係についての一章も設けられているほどだ。内容は綿密で、関係者の手紙などもふんだんに盛り込まれている。細かく触れていくときりがないので、かいつまんで紹介しよう。

   冒頭からして意外な一文に遭遇した。
「私は本来、ロマン主義者なのだ」
 あの鋭利で酷薄な演奏の数々を知っている人間にとって、ここまでの明言は意外としか言いようがない。確かにベルリオーズや最後の日本ライヴをはじめとするいくつかの演奏では、他の誰よりも濃厚な情念を漂わせている。が、むしろ彼の本領は現代的な乾いた表現にあるのだと考えるのが普通であろうに、本人の自己認識は逆だったのだ。
 とはいえ、われわれにとってもっとも興味深いのは、やはり自殺に至る最晩年の記述ではないか。悲惨な内容だが、あえて要約しよう。

   ケーゲルの生涯に何度か、死にたいと考えた危機があった。が、そのたびに家族や友人などの慰めもあって、何とか生きながらえてきた。しかし、1980年代後半に訪れた危機は、もはや乗り越えようがないほど深刻だった。というのも、ケーゲルにとっては指揮をすることが生きている証だったのに、社会の激動と軌を一にして仕事の依頼が減ってきたのだ。さらに、彼が手塩にかけたライプツィヒ放送交響楽団・合唱団がドイツ統一のあおりを食らって存亡の危機に立たされた。ケーゲルの憂鬱は募った。
 1990年、ケーゲルは70歳の記念コンサートとして、ライプツィヒでブルックナーの第8交響曲を演奏したいと考え、数ヶ月前から準備をしていた。けれども、オーケストラは非情だった。育ての親の希望を満たそうとはしなかった。ケーゲルは傷ついた。
 心痛ゆえ、原因不明の目の痛みも生じた。他人に当たり散らし、友人、知人にも敬遠されるようになった。ついに妻までもが耐えかねて、去っていった。
 そのころ、ケーゲルは、息子の誕生日にあたって、シュトルムという詩人(小説「みずうみ」は日本でも有名)の詩を贈っている。その写真が掲載されている。

    私はもう長い間さまよった。
  そうしたら、おまえがやってきた。
  私たちはいっしょに進んだ。
  (中略)
  もうあと少しばかり行かねば。
  ーー私も気持ちはとても沈んでいるーー
  おまえはもっと先へ行かねばならない。
  私はもはやこれ以上進めないけれども。

    ケーゲルは最後の「私はもはやこれ以上進めないけれども」という部分にわざわざアンダーラインを引いているのである。この写真はわれわれの胸を衝く。
 1990年11月18日、ケーゲルは同月終わりから来月にかけてのモスクワ・フィル、レニングラード・フィルとのコンサートを承諾し、契約書に署名した。これが彼の最後の演奏契約だった。
 わずかその2日後、彼は命を絶ったのである。

   付録CDには、1985年ライヴのマーラー「嘆きの歌」、自作の歌曲、1981年のマーラー第8交響曲練習風景がめいっぱい78分収録されている。
 自作のピアノ伴奏による歌曲は暗鬱な楽想で、特に最後に置かれた、日本の詩による「孤独な者」という曲が、彼のうつろな内面を表して、聴く者の気を滅入らせる。
 マーラーの交響曲第8番、最後の部分の練習風景ではマーラーが透明な響きを作り出そうとしている。ケーゲルは前日に比べて演奏者たちのテンションが落ちているのに怒りをあらわにし、厳しい声で叱りつけている。孤独な芸術家の姿がかいま見えて痛ましい。
 「嘆きの歌」は硬質で粘らない清潔な演奏だ。合唱が特筆すべき端正な美しさを示しており、言葉の明瞭さには驚かされる。

   それにしても、1990年代にはケーゲルを皮切りに、テンシュテット、チェリビダッケ、リヒテル、ミケランジェリ、グルダといった音楽家が没し、ジュリーニが引退し、さらにはクライバーも最後の演奏会を行って姿を消していった。振り返ると、最初から最後まで落日の紅に彩られた時代だったと言うほかない。今更ながら溜息が出てしまうのである。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学助教授) 


  CD収録内容
■マーラー:嘆きの歌
1985年10月7日 ゲヴァントハウス音楽祭ライヴ録音

■ケーゲル:4つの歌(1939,1955年作曲)
チェレスティーナ・カサピエトラ(S、ケーゲル夫人)
約6分

■マーラー:交響曲 第8番『千人の交響曲』からリハーサル風景
1981年6月6日 約10分  ドレスデン音楽祭
マグダレーナ・ハヨーショヴァー(ソプラノ)
ローズマリー・ラング(アルト)
ジェルジ・コロンディ(テノール)
ユルゲン・クルト(バス)
ライプツィヒ放送合唱団
ゲヴァントハウス管弦楽団


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