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バティス祭りに寄せて 許 光俊

2006年11月6日 (月)

バティス祭りに寄せて

 エンリケ・バティスは1942年、メキシコ・シティに生まれた指揮者だ。ジュリアード音楽院、ワルシャワ音楽院という名門で学び、その後は、主にロンドンとメキシコで活躍している。2002年には初来日を果たした。
 現代においてバティスのユニークな音楽は、すがすがしい涼風のようだ。今日、真面目な指揮者ほど「お勉強」に精を出し、情報収集や研究に余念がない。学者の意見を聞き、「正しさ」を追求し、オーケストラのリクエストに応え、その結果、演奏が似通ってしまう。だが、バティスは違う。「俺がルールだ!」とばかり、やりたい放題を尽くす。だから音楽が一直線で媚びがない。
 バティスの最大の魅力、それは俗に言うところの「ラテンの血が騒ぐ」だ。吠える金管楽器! 渾身の力でぶったたかれる打楽器! それは演奏というよりお祭だ。頭に血が上ったような興奮!
 では、野蛮で単純なお祭り男なのかというと、そうではない。足取りも軽いユーモア! 何気なく流れ出る渋い風情! それは解釈というより古老の語り口だ。実に人間くさい。
 私はバティスの演奏を聴くと、何とも言えず心が和らぐのを覚える。たとえ国際的スタンダードからすると演奏上荒っぽいところがあっても、それも味のうちと許せてしまう。バティスの演奏には、他の誰とも違う風が吹いているのだ。あえて言うなら、息が詰まる管理社会ではない、ユートピアの風が。

 以下、バティスの魅力を堪能するためのCDを挙げよう。一般的傾向として、ヨーロッパのオーケストラとの演奏のほうが表面的には整っているが、メキシコのオーケストラには独自の色がある。両方楽しい。

 まずはイギリスのオーケストラを指揮した録音から。

 ショスタコーヴィチの交響曲第5番(ロイヤル・フィル)は驚愕の熱狂演奏だ。最初聴いたとき、第2楽章で耳を疑った。低弦楽器のズビズビといった弾き方が、まるで巨象が何十匹も集まって踊っているかのようなのだ。可笑しすぎるその様子はさながらソヴィエト版「動物の謝肉祭」。国家何するものぞ、マルクス主義何するものぞ、バティスが指揮すると何でもユーモア音楽になってしまうのかと唖然。フィナーレはひたすら突進し、ハデな音の饗宴と化す。ティンパニの乱打はまるで祭の太鼓だ。

 ベートーヴェンの交響曲第7番(ロンドン交響楽団)。これはLP時代から知る人ぞ知る、世界一騒がしい第7として伝説化されてきた。これほどまでに音を鳴らすことを屈託なく楽しんでいる第7も他にないだろう。中でもフィナーレは金管楽器の咆吼といい、痛快の極みだ。

 といって、バティスはキワモノ演奏ばかりしているわけではない。ごくオーソドックスな演奏もよいのだ。
 「ローマの謝肉祭」序曲(ロイヤル・フィル)は、最初は意外にも落ち着き払っていてどうしたのかと不審を抱かせる。しかし、次第に気分は盛り上がり、最後はオーケストラを存分に鳴らす。バティスとしてはオーソドックスな名演奏だ。

 「グランド・キャニオン」組曲、コープランド「赤い子馬」組曲。あたたかでユーモラスな情景描写など、バティスならではだし、緩徐楽章では思い切って情感豊かに歌い上げる。いかにも広大な地の音楽という雰囲気もエキゾチックだ。コープランドをこれほど魅力的に演奏した例も珍しいだろう。

 チャイコフスキーの「眠れる森の美女」ワルツは、まるでカルロス・クライバーのニューイヤー・コンサートのようだ。冒頭のワクワク感、続く生き生きした躍動は掛け値なしにすばらしい。

 モーツァルト集もいい。「フィガロ」序曲は何だかチョコマカした、めまぐるしい始まり方がユーモラス。オペラの筋書きを考えれば、これで当然。「パリ」交響曲はスカっと明るく、華やかだ。もちろん躍動感いっぱい。

 ヴィラ=ロボスの「バッキアナス・ブラジレイラス」第5番では、名ソプラノ、バーバラ・ヘンドリクスと共演している。これは文句なく美しい。ヘンドリクスの透明な声で聴くこの曲はたまらなく悲しい。オーケストラで奏される第7番も憂愁が深くて、しんみりとさせる。

 チャベス「共和国序曲」は、いかにも祝典的というか、早い話が運動会的に開始され、南国ムード満点。ほのぼの具合が実にいい。40年くらい前の日本映画で、男たちが集まって「おい、ビールでも飲むか!」というあの雰囲気である。いちおう、盛り上がるが、意外とあっけなく終わるところが何とも言えない味だ。
 ポンセの「市の立つ日」は題名からするとのどかそうだが、ちょっとばかり不気味に開始されるのが妖しい。怪獣に戦いを挑む自衛隊という感じなのだ。こちらも映画的とも言える雰囲気が魅力である。

 メキシコのオケの特徴は、響きの軽さである。ドイツ風の重厚とも、フランス風の艶美とも、アメリカやイギリス風の活発さとも違う、不思議な軽さである。強いて言えばイタリアに近い。それでいながら、加えてスペイン語のリズムと言うべきか、イタリアみたいにカンタービレしないで、旋律線の処理があっさりしている。だから、ロシアものをやっても全然もたれない。チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」の頭の和音を聴いただけでも、その特徴はよくわかるだろう。まるで押しつけがましくないのだ。
 リムスキー=コルサコフ「ロシアの復活祭」序曲では、快調に飛ばしていき、最後になるほどごく自然と感興が高まる。その盛り上がりも、ドイツ風じわじわ、アメリカ風ドカーンとは違う。グライダーの滑空のようだ。私はこの曲は何かベタっとしたところが好きではないのだが、バティスだと快適に聴ける。

 ボロディン「だったん人の踊り」は響きは明るいけれど、砂漠の夕暮れといった感じの寂しさが広がる。このからっとした美しさ、他では得難い。快速なところは(期待に反して?)バカ騒ぎにならない。あくまで丁寧に、しかし生き生きと演奏している。

 だが、油断してはならない。ビゼー「アルルの女」第1組曲は最初から妙に肩怒らせて凶暴な雰囲気。が、よく聴いてみるとその凶暴さは極悪ではなく、「どうしたの? 機嫌悪いの?」「酒場のおやじが怒鳴った」程度なのが微笑ましいのである。

 もちろんベートーヴェン交響曲全集だって重苦しくならない。これほどまでにウキウキと楽しげにベートーヴェンを演奏した例は稀有だ。第1−5,7番あたりの快楽主義ぶりは、まるでロッシーニ(でも、ベートーヴェンとロッシーニは同時代人だった)。スイスイと気持ちよく進む。

 スペイン、南米系作品は、どれも非常にはまっている。どれもお薦めといっていいようなものだが、いくつか挙げるなら−
 ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」は、ねっとりせず、あくまで南欧らしいカラッとした風が吹く。感傷的にならないのに風情がある。
 アルベニスの「スペイン組曲」とヒナステラ「ハープ協奏曲」の1枚もいい。特に後者は鮮烈で、イケイケ。オーケストラがシャープで見事だ。バティスが荒っぽいだけの指揮者でないことがよくわかる。何しろ、ちょっと驚くくらい暗鬱な響きも作ったり、真面目な話、この指揮者を見直してしまうような演奏なのだ。

 レブエルタスの「マヤ族の夜」がまた楽しい。題名からしてそそられてしまうが、頭を聴くと案の定予想通りなので、笑えてしまう。しかもフィナーレ楽章は、怪しい魔法儀式を描写している、と言えば、もう十分だろう。なお、この演奏、以前クラウンから国内盤が出ていたのだ。そこに濱田滋郎センセが力作の解説を書いていらっしゃる。レブエルタスは、センセによると「野人」「熱血漢」「アルコールで短命」だったそうだ。おまけにこの人、「人にものを考えさせるような音楽は僕はいやだ、我慢できない」と言っていたとか。なお、この音楽、期待通りのいかがわしい匂いを放つ作品だが、「どうだ、グロテスクだろー、笑えるだろー」という押しつけがなくていい。あくまで自然なのだ。バティスもなぜか妙に取り澄ましている。

 いずれにしても、バティスの場合、聴いてみるまでどんな演奏なのかわからない。それがまたおもしろいのである。(許光俊)

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ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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バティス・エディション

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