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「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」(許光俊)

Sunday, July 2nd 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第56回

「こいつぁあエロい『椿姫』ですぜ」

 『ラ・トラヴィアータ』(椿姫)の主人公は、娼婦。金でカラダを売る女だ。
 しかし、当然と言えば当然だが、今まで視覚的に「うわ、いかにも!」という色っぽい、あるいはケバケバしい歌手が演じたのは見たことがない。オペラにおいては『椿姫』に限らず、舞台上の歌手たちには暗黙のうちに品(ひん)が要求されている。かつてジュリア・ミゲネス・ジョンソン主演の『カルメン』が登場したときには、スケバン(死語)のような臆面のない下品さに、みんなショックを受けたものだ。
 よって、ヴィオレッタにしても、あくまで「これは演じられた娼婦」という匂いが強い。以前このコラムで取り上げたボンファデッリにしろ、決して娼婦には見えないのである。
 しかし、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場再建記念公演を見て驚いた。登場人物が全体的に下品なのだ。設定は現代風で、いかにも頭がからっぽそうな連中が、ドン・ペリニョンを飲んで騒いでいる。主人公は黒いランジェリー姿で、着替えたりするサービス・シーンもある(まるで昔の由美かおる主演映画)。アルフレードは全然好青年に見えない。冴えないカメラマンだ。
 最大の見所は、第2幕後半のパーティーの場面かもしれない。あられもない姿の美女たちが登場し、猥褻な踊りを披露する。パリあたりの名門ストリップショーより、よほどいい。ゆめゆめ、子供たちには見せませんよう。
 ドイツあたりでこれを見ても「やってる、やってる」程度にしか感じないかもしれないが、保守的なイタリアではオペラはお行儀よくなければならないことを考えると、相当挑発的な舞台づくりと言っていい。ロバート・カーセンという演出家は、本来お上品できれいな舞台を作る人だ。それゆえ世界中のオペラハウスからひっぱりだこ。が、今回は、時代の趨勢に呑まれたのか、こんな現代風のどぎつい演出を行った。とはいえ、細かい設定が甘いのが惜しい。それに、随所のアイディアは悪くなくても、歌手をしごき抜いてもっと演技に迫力を出さないと、有無を言わさぬ迫力は出てこない。
 このDVDを見て考えたのは、確かにヴィオレッタは娼婦なのだが、本当にカラダを売りそうな女が演じると、違和感があるということ。本当はそんな女ではないのだが、仕方がなくてやっている、そういう感じが大切なのだ。でないと、運命は残酷だという感じが薄まる。このヴィオレッタだと、むしろ『サロメ』『ムツェンスクのマクベス夫人』の主役、つまり妖婦や悪女を演じたほうが、ぴったりきそうだ。
 ちなみに、私が一番好んでいる『椿姫』映像は、DVD化されているかどうか、アンナ・モッフォ主演の古い映画だ。本当は下品でも何でもなく、運命が違えばお后さまにでもなったかもしれない女が、何の因果か娼婦をやっている―そういう雰囲気があればこそ、見ている者は「かわいそう!」と思うのである。
 とまあ、あれこれ文句を言ったが、舞台収録の『椿姫』DVDとしてはもっともおもしろい、もっともエロいというのは間違いない。次はどうなるんだろう?とわくわくしながら見られる『椿姫』は、やたらとはないのである。
 そうそう、このDVDの売り文句のひとつは、慣例版ではなく、初版楽譜によっていること。知らずに見始めたので、最初は驚いた。あちこちで「おや」という箇所が頻出するのだ。

 これに限らず、世界中の劇場でいろいろな舞台が試みられているわけだが、DVDも続々と登場している。
 『椿姫』と正反対で、チューリヒ・オペラの『メリー・ウィドウ』は、超オーソドックス路線。チューリヒは、実はヨーロッパ有数の金持ち都市であり、お客は保守的。よって、これみよがしの金ピカ舞台なのだ。こういうのじゃないと落ち着けないという人には打ってつけ。ただし、主役のハンナを歌う歌手が、見た目はいいのだけど、音痴なのが弱点。
 バルセロナのリセオ劇場も、ヴェネツィア同様、火事で燃えてしまったオペラハウス。そこの『ワルキューレ』は、長らくドイツと密接な関係を続けてきた劇場だけに、ハリー・クプファーが演出している。今となると、かつての前衛クプファーも新奇ではなく、落ち着いて感じられるから不思議。

 さて、ついこの間、ポーランド国立歌劇場の来日公演で『サロメ』を見た。このコラムでも書いたが、残念ながら、ケリー・ケイ・ホーガンというソプラノは期待はずれ。詳述する気も起きない。退屈した。
 けれど、高崎まで見に行ったエイラーナ・ラッパライネンはやっぱりよかった。以前より太ったが、細かい演技が他の出演者とは段違い。立っているだけでいかにも性格悪そうな雰囲気がぷんぷんするし、顔の表情の変化はさすがだ(後ろの席からは見えないだろうが)。ホーガンと同じ演出なのに、歌手がいいと、俄然おもしろい。踊りのシーンは、今回は全裸にはならず、トップレス止まりだったが、「さあ、見てごらん!」とばかりに挑発的にさらす。私の周囲では数人のお客さんが思わず『おお!』と声をあげていたのが、愉快だった。もちろん高崎市民の熱狂的な拍手はえんえんと続いた。
 最前列に小さな子供連れで来ているお父さんがいたのにはビックリ。これ以外の席にも子供がちらほら。『サロメ』の場合、成人指定してもいいのではなかろうか。あとで子供が「オペラのマネだ〜」とか叫びながら、踊ったり脱いだりする危険もあるだろう。

 7月30日(土)と8月6日(土)に、朝日カルチャーセンター新宿校で、「古いオペラを新しく」というテーマでお話しする。あれこれおもしろい映像、写真を見せながらの2時間だ。興味のある方はこちらの案内をどうぞ。

許光俊[きょみつとし] 音楽評論家、慶応大学教授) 


⇒評論家エッセイ情報
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