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「ヴァントとミュンヘン・フィル」(許光俊)

2006年7月24日 (月)

連載 許光俊の言いたい放題 第85回

「ヴァントとミュンヘン・フィル」

 ヴァントがミュンヘン・フィルを指揮したライヴが続々登場するようだ。私が聴いた限りでは演奏の質が厳選されているヘンスラーのライヴ・シリーズだけに、期待が持てる。
 ミュンヘン・フィルは、ヴァントが最晩年に至るまで指揮し続けた楽団だったが、ヴァントとミュンヘン・フィルの監督チェリビダッケは得意とする曲が相当重なっていた。チェリビダッケが存命中のミュンヘン・フィルでは、彼がブルックナーやブラームスなどのドイツものを振り、他の客演指揮者たちには彼が指揮しないマーラーだとか現代音楽だとかをあてがわれているという様子が濃厚だった。あくまでチェリビダッケがメインで、それ以外の指揮者たちは空白を埋める程度の存在感でよしとされていたのだ。
 しかし、ヴァントだけは例外だった。彼だけはブラームスやシューベルトなど、チェリビダッケも得意としている曲を定期演奏会で取り上げることができたのである。もちろんブルックナーも。ヴァントの演奏はチェリビダッケとはまったく方向性が違っていたが、やはり評価はきわめて高かったのである。
 今回発売される第8交響曲は、ヴァント最晩年の演奏だ。チェリビダッケ亡きあと、ヴァントはこの楽団と1年にひとつずつブルックナーの交響曲を演奏した。第9番、第6番、第8番、第4番である。これらはみな実にすばらしい演奏だった。むろんヴァントもすごいが、オーケストラがブルックナーをやりたくてしかたがない、好きでたまらないという様子がありありと伝わってきたのだ。その積極性は、北ドイツ放送響にもベルリン・フィルにも見られないものだった。
 第8番でもそれが如実にわかる。特に第3楽章だ。オーケストラが作品に惚れ込んでいるのがよくわかる。美しく歌いたくてしかたがないのだ。だから、普段のヴァントの演奏ではあり得ないような陶酔的で恍惚とした音楽になっている。もっと禁欲的なのがヴァントとも言えるのだが、これはこれで絶大な説得力がある。この楽章に関して、史上もっとも美しい演奏のひとつだ。
 フィナーレも圧倒的。普段ハース版ではやっていなかった楽団だけに、この版独特の箇所ではちょっととまどいが感じられるのがご愛敬だが、これまた曲を熟知しているのがひしひしと感じられる。とにかくリズムや旋律や響きのいちいちが「こうでなくては」という確信に満ちている。最後のコーダも完璧と言っていい。はるか彼方に向かってじりじりと肉薄していくものすごい精神力。こんな演奏を知ってしまったら、昨今の演奏など歯牙にもかけないのはわかりきったことなのだ。
 第1、第2楽章では今ひとつ緊張度が足りないが、第3楽章を境にどんどん音楽が張りつめていって圧倒的な結末に至るという過程は、まさにライヴならではの感興に富む。ブルックナーを聴く至福を感じさせるCDとして、強力に推薦できる。
 このうえは、やはりものすごかった第9番、6番も発売して欲しいものだ。
 実は、この交響曲第8番のコンサートのときには事件があった。定期演奏会は3日行われたのだが、その最終日の第3楽章で、ヴァントは突然指揮台の上で倒れそうになったのだ。最前列の楽員がそれに気づき、大急ぎで支えたため、ことなきを得たのだけれども、当然のごとく、音楽は止まりそうになった。が、コンサートマスターが弾き続けるよう楽員たちに合図したため、かろうじて演奏は中断されなかった。それはあのアダージョがまさに高揚していた途中だった。なんとか椅子にすわったヴァントは(非常用の椅子が準備されていた)、ほとんどうずくまるような姿勢から、クライマックスの指示を出したのである。あんなシーンは忘れられるものではない。
 この第3楽章まででコンサートが中断になっても、おそらく聴衆の誰も文句を言わなかったと思うが、フィナーレが続けられた。異常事態が生み出したとしか言えない、途方もない音楽になった。もちろんオーケストラも観客も「本当に最後までたどりつけるのか?」と異様な緊張を感じていたのである。まさに命がけとしか言いようがない音楽に、私も友人たちも一同呆然。もしかしたら、私のクラシック体験はこれとザンデルリンクの引退コンサートで終わったと言っても過言ではないのかもしれない。
 それはともかく、このCDには、複数日のデータが記されているが、主として2日目を音源としているようだ。確かに演奏の安定という点では、この日を選ぶのがもっとも妥当であることに私も意義はないし、演奏自体のすばらしさは間違いない。と同時に、編集なしで3日目の演奏も出してほしいという気持ちがまったくないわけではない。フルトヴェングラーのある種のライヴと同じで。
 録音はたいへん明快。EMIのチェリビダッケと同様、マルチマイクの近接型である。それゆえ、細部はよくわかるが、ヴァントならではのすばらしいバランスはやや感じにくい。実際のホールでは、ヴァント自身はそう言われるのをいやがるかもしれないが、確かにパイプオルガンのような壮麗にして透明感ある、しかも官能的なまでに美しい響きがしていたのだ。とはいえ、これだけの演奏がこれだけの音質で発表されるのなら、特に文句を言いたいとは思わない。

 ブルックナーといっしょに入っているシューベルトの「未完成」は悪くないが、ヴァントならもっと上を望める。それより、シューベルトなら別売の第9番のほうがいい。リズムの構成のしかた、金管楽器の際立て方など、さまざまな点でチェリビダッケと全然違う。なるほど音色はミュンヘン・フィルらしい明るいものだけれど、北ドイツやケルンでの演奏を思い出させるような硬質さがある。フィナーレは特にそうだ。リズムが躍動する抽象的な美は、もはや20世紀音楽の感覚である。先頃、ベームとウィーン・フィルによるDVDの同曲を褒めたが、この曲、ことにフィナーレにおける指揮者の解釈という点では、私はヴァントの解釈がもっとも納得できる(作曲者がそう考えていたかどうかはともかく、この楽譜からこの音楽を導き出したという点で)。第2楽章は深山のような趣がきわめて美しい。
 なお、ヴァントはこの曲を得意としていて、ケルン放送響、北ドイツ放送響、どちらのCDもすぐれている。この曲が好きなら、すべて聴き比べるとおもしろい。若々しいがちょっと騒がしすぎる感じもするケルン(でもヴァントがこの曲をどう読んだのかは一番よくわかる)。せっかちさがなくなって堂々たる重みが加わった熟成の北ドイツ(ギリギリのすごいバランス感覚。完成度なら断然これ。ただしあまり完成度が高すぎて、かえってすごさがわかりにくいかも)。ミュンヘン・フィルのは老境の味わいが濃くなっている。ヴァントは北ドイツ放送響こそ自分のオーケストラだと言っていたが、聴き比べるとそれがよくわかるとともに、他の楽団との演奏ならではの魅力も鮮明になる。そうそう、ベルリン・フィルとの録音もあるが、あれはちょっと露骨にドラマティックすぎてヴァントらしくない感じが私にはする。

 ところで、8月4日(金)19時から、平林直哉氏と「クラシック白熱談義」というのを新宿の朝日カルチャーセンターでやります。何も8月の暑いさなかに「白熱」でもないと思うが、どうせならうんと暑苦しいものをという訳がわからない提案で決まった企画だ。平林氏はこの機会のために特別CDを制作し、受講生(残念ながら全員ではないが)にプレゼントするという。興味のある方はおいで下さい。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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ブルックナー:交響曲第8番、シューベルト:交響曲第8番『未完成』 ヴァント&ミュンヘン・フィル

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交響曲第9番『グレート』 ヴァント&ミュンヘン・フィル

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交響曲第9番『グレート』 ヴァント&ミュンヘン・フィル

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オレのクラシック

本

オレのクラシック

許光俊

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発行年月:2005年07月
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