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「シュヴァルツコップのばらの騎士」

Thursday, December 7th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第97回

「シュヴァルツコップのばらの騎士」

 この秋はウィーン・フィルに加えて、ドレスデン・シュターツカペレ、コンセルトヘボウと、いったいここはどこかといぶかられるほどヨーロッパの超一流が勢揃いした日本だった。なぜか各々、アンコールに力がこもっていたのがおもしろい。アーノンクールは、アンコールのベートーヴェン第8交響曲第2楽章をもっとも熱心に練習していたというし、ヤンソンスのイケイケのショーマンシップはスラヴ舞曲で最高に発揮された(この人、最終的には何を指揮してもバーンスタイン作「キャンディード」序曲みたいにしたいのではなかろうか)。
 しかし、何と言っても圧巻はチョン・ミュンフンとドレスデンがやった「魔弾の射手」序曲だ。まるで半世紀前の録音を聴いているかのような、ものすごい厚みのある音が次から次へと湧き出てきたのである。これにはたまげた。値段が高かったせいか客席には空席が目立ったが、あれを聴けた人は超ラッキーとしか言いようがない。今後、「魔弾の射手」を聴くたびに必ずや思い出されてトラウマになることは必至のすさまじさだった。漆黒の弦の音色といい、塊のようなブラスといい、旋律の歌い方といい、これぞ模範といった説得力。これを世界遺産に指定しなくてどうするという、文句を言わせぬ伝統芸だった。

 さて、現在発売されているCDやDVDの数は尋常でないが、意外なものが製品化されている反面、これまた意外にも出ていないものがある。私も知らなかったのだが、あの有名なシュヴァルツコップ主演、カラヤン指揮の「ばらの騎士」がDVD化されていなかったとは。LDでは発売されていただけに、気づきもしなかった。
 今はともかく、かつては「ばらの騎士」といえば、カラヤンのこの映像かEMIのスタジオ録音が無条件に絶賛されていたものだ。実際、この映像は、収録されてからほとんど半世紀たつというのに、なお超一級品である。トロリとした味をいまだ濃く残したウィーン・フィルは、第1幕の最後などですばらしく美しい。カラヤンは例によって感情移入したり、登場人物の心のあやを描写したりはせず、即物的な音響美にしか興味を示さない。その彼に欠けた部分をオーケストラが大いに補っているのだ。
 けれど、やはり最大の魅力はシュヴァルツコップの元帥夫人と、エーデルマンのオックス男爵である。シュヴァルツコップは、ときにわざとらしいまでに演技を作ると批判されたが、それがこの役にはピタリとはまっている。歌手の本質と役の本質が一致しているのだ。詳細は解説書に記したが、あちこちでうならせるような演技をしている。ただうまいというレベルではない。元帥夫人は「人生を演じる(ように強制された)女」だという残酷な事実をこんなにわからせてくれる歌手は他にいない。
 エーデルマンのオックスもただの愚かなスケベ親父ではない。常に愛嬌というか人間的魅力を失わない。これでこそ、片方に元帥夫人、反対側にオックスというこのオペラの力学が見えてくるというものだ。
 昔風の超オーソドックスな舞台装置であり演出である。たとえば、最初の幕が開くと、オクタヴィアンと元帥夫人が服を着てベッドの上でいちゃついている。現代のいっそうリアルな演出や映画に慣れた目からすると、「え、この状況で服をちゃんと着ているというのはないでしょう!」とバカにしたくなる。が、そんなことにはすぐ慣れる。これほどまでに適役の役者が揃うと、退屈とは無縁だ。それどころか、この作品での人間の描き方は、オペラとしては稀に見る複雑さ、微妙さを持っていることに気づかされる。カルロス・クライバーの生き生きした音楽が楽しめるバイエルンに未練を残しつつも、現存する「ばらの騎士」映像ではやはり第一に見るべきはこれと言うしかないだろう。

 ところで、先頃亡くなった実相寺昭雄監督ゆかりのCDが発売された。「超美人」フルーティスト難波薫のCDである。普通のいわゆる美人演奏家のCDでは考えられないような、異常によくばった選曲だ。ジャン・ジャック・ルソー編曲のヴィヴァルディ「春」に始まり、マスネ、チャイコフスキー、ショパン、キュイらを経て、なんと「ウルトラシリーズ」の作曲家冬木透の作品に至る。そして、最後は武満だ。このまことに凝ったアルバム、実相寺監督の薦めで実現したものだという。
 せっかくだから冬木作品についてコメントしておこう。「魔笛の主題による変奏曲」はもともとは岸恵子主演ドラマのために書かれたというが、例のパパゲーノの有名な歌による。しばらくはいかにもという変奏曲で安心して聴いていると、突然沈黙が訪れ、ドキリとさせられる。そして、思いがけない暗さで閉じられるのだ。「あれ、毎日そこで遊んでいた子供は?」「さっき車でひかれて死にました」「えっ?」、そんな感じの不気味さだ。「返ってきたワンダバ」は、中間部がノスタルジックで美しい。
 武満の曲もきわめて繊細でたいへんよい。

 ところで今度の12月15日(金)、新宿の朝日カルチャーセンターで、「2006年怒濤のクラシック界をふり返る」という講座をやります。興味のある方はどうぞ。(URL:http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0701koza/A1002_html/A100227.html)

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


⇒評論家エッセイ情報
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