クリスマスにまつわるリストの作品を収録したアルバム。人気曲であもある「クリスマスツリー」と、クリスマスの歌「キリストはお生まれになった」のピアノ編曲版、および、オラトリオ「キリスト」からの2つの管弦楽曲のピアノ編曲版を収録。
12曲から成る「クリスマスツリー」は、最初の8曲がクリスマス関連曲で、最後の4曲はリストとカロリーネについての回想や描写となっていて、そちらがメインにも聴こえます。
ディジパック仕様で、ブックレット(英語・16ページ)には、演奏のマーク・ヴァイナーによる詳細で丁寧な解説が掲載されています。
リストの晩年
組曲「クリスマスツリー」はリスト晩年の作品。晩年といってもリストの場合、引退したわけではなく、1870年から1886年に74歳で亡くなるまでの16年間は、ローマ、ヴァイマール、ブダペストを頻繁に行き来して多忙だったため、一般的な意味での晩年とはずいぶん状況が異なります。しかも黎明期の鉄道や馬車に乗って、多い年には年間6,000km以上も移動していたというのですから驚きです。
その多忙な時期に書かれたのが「クリスマスツリー」で、1873年に着手して翌年第1稿が完成するものの、第2稿、第3稿と改訂を繰り返し、1876年の第4稿でようやく完成に至っています。
第9曲「晩鐘」で転換
第1曲から第8曲のクリスマス音楽に較べると、第9曲「晩鐘」はずいぶん寂しげで、おぼろげに響くのはロシア正教の鐘にも聴こえます。正教のクリスマスは時期違いなので、これはリストの追想の開始でしょう。1847年のロシア帝国ツアーでのチャリティー・コンサートで、1ルーブルのチケットを100ルーブル(約35万円相当)で買ったりして、自分にぐいぐい迫ってきたカロリーネとの出会いの記憶を呼び起こす過程かもしれません。
第10曲「昔々!」で追想
リストに熱烈に迫ったカロリーネは、キエフで最も裕福な家系の出身で大地主でもありました。彼女は、ロシア帝国軍人ヴィトゲンシテインの末息子ニコラウス[1812-1864]と1836年に17歳で結婚していますが、性格が合わず娘マリアを1837年2月に出産後すぐに別居。
10年後の1847年にリストと出会って感激したカロリーネは、翌1848年にはリストを追いかけて娘のマリアとともにヴァイマールに押しかけて同棲という驚きの行動を見せます。
第11曲「ハンガリー風」
リストは晩年になってからハンガリー語を少し話せるようになったものの、ハンガリーの民俗音楽とジプシー音楽が混同されていたりと、ハンガリー的な部分に関しては少しカオスな状況にあったようですが、それが独自性に繋がった可能性もあります。この曲でも英雄気取りの行進曲がバガテル風に滑稽に示されて魅力的です。
第12曲「ポーランド風」
ロシア帝国ポーランドの大地主(現ウクライナ)でもある恋人カロリーネを表現したのか、導入部は思慮深い雰囲気ながら、主部マズルカでは情熱的に突き進んだりもして若き日のカロリーネへの賛辞と見ることもできます。
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