CD 輸入盤

弦楽四重奏曲全集 シュターミッツ四重奏団(3CD)

マルチヌー(1890-1959)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL96902
組み枚数
:
3
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


複雑な味わいと親しみやすさを両立した20世紀の傑作群

マルティヌー:弦楽四重奏曲全集(3CD)
シュターミッツ四重奏団


チェコの作曲家ボフスラフ・マルティヌー[1890-1959]の遺した7曲の弦楽四重奏曲は、伝統的なスタイルと現代的なスタイルの融合が説得力に富むことを示す見事な例です。チェコの民俗的メロディーからジャズのリズムに至るまで多くの要素を取り込んだマルティヌーの弦楽四重奏曲は、複雑な味わいと親しみやすさを両立した点に特徴があります。
  演奏は、チェコのシュターミッツ四重奏団によるもので、チェコ民主化の翌年である1990年にドイツのバイヤー・レーベルによってプラハでセッション録音されています。

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 作品情報

◆ 弦楽四重奏曲第1番

1918年の春にポリチュカで作曲。モラヴィア風な旋律やリズムに加え、ラヴェルやドビュッシーの影響、フランクの循環形式の要素も感じさせる力作。第1次大戦末期に書かれた作品で、戦局はすでにオーストリア=ハンガリー帝国とドイツの敗色が濃厚でしたが、その先にはチェコの独立が見えているため、厭戦気分の反映などはありません。
◆ 弦楽四重奏曲第2番

1925年作曲。パリ時代のマルティヌーは夏にはポリチュカに帰省することが多く、この弦楽四重奏曲第2番も冬のパリで構想し、夏に故郷ポリチュカで一気に書き上げたのち、パリで演奏者たちと相談の上、細かな修正を加えて秋に完成しています。
  第1番と違ってフランス的な要素は無くなり、ポリフォニーとダイナミズムの融合が3つの楽章を高密度なものとし、チェコの民俗音楽的リズムも非常に効果的。作品は初演から成功を収め、プロアルテ四重奏団や、ヒンデミットのアマール四重奏団などもとりあげています。
◆ 弦楽四重奏曲第3番

1929年にパリで作曲。12分ほどの3楽章構成作品ですが、不協和音も交えた響きの表現が絶妙で、加えて各楽器には名技的な独立性も要求されるので、第3楽章など非常に聴きごたえがあります。
◆ 弦楽四重奏曲第4番

1937年にパリで作曲。4楽章構成の20分ほどの作品。ソナタ形式の第1楽章→スケルツォ楽章→アダージョ楽章→ロンド・フィナーレ楽章という古典的な形式と適度にモダンな響きが溶け合った聴きやすい作品。


◆ 弦楽四重奏曲第5番

1938年にパリで作曲。ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」のように、マルティヌーの禁断の恋愛感情が投影された作品。その起伏の激しさ、語法の多彩さと効果は驚くばかり。苦悩のお相手は、ピアニストで作曲家で指揮者のヴィーチェスラヴァー・カプラーロヴァー[1915-1940]で、マルティヌーの作曲の弟子で、ミュンシュの指揮の弟子でもあった人物。第2楽章アダージョには、彼女の書いた歌曲「さよならとハンカチ」の引用までおこない、悲嘆にくれる楽想や鼓動音の描写などを通じて心情を吐露し、やがて第4楽章ではその苦悩を克服するという流れです。
◆ 弦楽四重奏曲第6番

1946年にニューヨークで作曲。7月17日にバークシャー音楽センターのバルコニーから転落して重傷を負い、生涯治癒しない症状を背負い込んだマルティヌーでしたが、精神的な回復は早かったようで、秋から冬にかけて完成度の高い3楽章構成の作品を書き上げています。とはいえ、第2楽章でドヴォルザークの「アメリカ」のオマージュが盛大に鳴り響くのはやはり望郷の心情の吐露なのでしょう。
◆ 弦楽四重奏曲第7番「室内協奏曲」

1947年にニューヨークで作曲。シャルロット夫人に献呈。ベートーヴェン風な第1楽章、ロマンティックな美しさにあふれる第2楽章、チェコの民俗舞曲風な第3楽章と、マルティヌーが書いた作品の中で最も親しみやすい作品です。
◆ ヴァイオリンとヴィオラのための3つのマドリガル

1947年にニューヨークで作曲。リリアン&ジョセフ・フックスからの委嘱作で同デュオに献呈。若い頃にイギリス・ルネッサンスのマドリガルに接して以来、マドリガルが大好きだというマルティヌーが、ここではヴァイオリンとヴィオラのために多声感のある表情豊かな曲を書いています。

◆ 弦楽三重奏曲第2番

1934年にパリで作曲。トリオ・パスキエに献呈された作品。第1楽章冒頭から活気ある主要主題の受け渡しで楽しませた後に抒情主題が続き、再び主要主題が登場した後の抒情主題部は拡大して沈潜。しかし主要主題が再び復帰してリズミカルに終結。第2楽章は朗唱風で、リズム動機との絡みもおもしろく、ドヴォルザーク風にも聴こえます。



 演奏者情報

◆ シュターミッツ四重奏団

1985年、スニーティラ門下のソリスト、ボフスラフ・マトウシェクを第1ヴァイオリンに、同門の後輩、ヨセフ・ケクラを第2ヴァイオリンに、プラハ音楽院出身のヤン・ペルーシュカをヴィオラに、同じくプラハ音楽院出身のヴラディーミル・レイクスネルをチェロに結成。
  第1ヴァイオリンのマトウシェク[1949- ]は、1970年のティボール・ヴァルガ・コンクールでの特別賞受賞、1972年のプラハの春国際ヴァイオリン・コンクールでの優勝により、ソリストとしてキャリアをスタートしていますが、1977年から1980年にかけて、読売日本交響楽団ソリスト兼コンサートマスターとして活躍していたので、ご記憶の方もいらっしゃることでしょう。チェコに戻って再びソリストとしての活動を開始するマトウシェクですが、5年後には、新たに結成されるシュターミッツ四重奏団のリーダーとして、同四重奏団の演奏水準を国際的なものとすることに成功し、1995年までの10年間に渡って同四重奏団に在籍しました。
  同四重奏団退団後は、ソリストとして、また、ドヴォルザーク・ピアノ・トリオのメンバーとして活躍しており、ソリストとしてのレコーディングはすでに24点を数えます。なお、マトウシェク退団後の第1ヴァイオリンは、まずチェルノフが、次いでパズデラが引き継いで現在に至っています。

  第1ヴァイオリン:ボフスラフ・マトウシェク
  第2ヴァイオリン:ヨセフ・ケクラ
  ヴィオラ:ヤン・ペルーシュカ
  チェロ:ヴラディーミル・レイクスネル



 作曲者情報

名前

マルティヌーの主要言語は、チェコ語(ボヘミア・モラヴィア方言)、フランス語、英語の3か国語。発音は、チェコ語で「マルティヌー」、フランス語で「マルチヌー」、英語で「マーティニュー」。
  マルティヌーはチェコ・フィル楽員だった1923年、32歳のときに数か月の予定でパリに行ってルーセルに師事しますが、そのままフリーの作曲家として滞在。3年後にはフランス人シャルロットと付き合い始めて5年後の1931年に結婚。1941年1月に国を出るまで計17年間フランスで暮らしており、戦後も1953年から1956年まではニースを拠点としていたので、フランスとの関わりは20年に及んでいます。さらに亡くなるまで28年間続いた結婚生活もフランス語だったため、フランス語表記の「マルチヌー」が浸透していたとも考えられますが、「名:ボフスラフ(神の栄光の意)」と表記するためには、チェコ語読みの「氏:マルティヌー」一択となります。
生地

オーストリア=ハンガリー帝国領、ボヘミア・モラヴィア高地にある標高555メートルのポリチュカ(ポリチカとも)という町。人口5千人ほどのポリチュカは、1845年の大火で町が壊滅状態になったこともあって、ドイツ語文化ではなくチェコ語文化が普及。原動力となったのは居住者で、彼らが利用した学校や公共図書室、ソコル(体育協会)、劇場、教会、博物館、美術館などを通じてチェコ語の一般化が推進。ドイツ語地名はスペルは異なるものの発音はポリチュカで同じですが、古くは「ポーリッツ・アム・ヴァイスバッハ」、略してポーリッツと呼ばれていました。
教会で誕生

ポリチュカ中心部のローマ・カトリック・ポリチュカ教区にあるネオ・ゴシック様式の大きな聖ヤクブ教会内の塔の居室で誕生。聖ペテロを祀っているため聖ペテロ教会とも呼ばれる聖ヤクブ教会は、1845年の大火で失われた教会の跡地に、チェコ人によって設計・建設されたもので、礎石は1853年7月14日に据えられ、完成は10年後の1863年10月5日。
  塔の高さは約63メートルでその上に約3メートルの十字架が設置。教会の全長は約46メートル、聖堂内の高さは約19メートル、塔の居室の床の高さは約37メートルで、そこに上がる階段は192段。
  マルティヌー家の暮らした居室の面積は25u。日本の畳に換算すると、団地間:17.2畳、江戸間:16.2畳、中京間:15畳、京間:13.7畳となります。


家族

父はポリチュカ生まれの靴職人フェルディナント[1853-1923]で、1889年9月からヤクブ教会の堂守として時計と鐘の管理と火災監視をまかされており、聖ヤクブ教会の塔の居室に家族で居住。母カロリーナ(旧姓:クリメショヴァー)[1855-1944]も同じくポリチュカの生まれ。兄弟は、兄カレル[1873-1931]、兄フランティシェク[1880-1958]、姉マリー[1882-1959]と、生後間もなく亡くなった兄アントニン[1884-1884]と兄ヤロスラフ[1886-1887]の計6人ですが、兄カレルはすでに独立していたので、マルティヌー誕生時に家に居た兄弟は、10歳年長のフランティシェクと8歳年長のマリーの2名。
  また、塔には父の助手の靴職人で民謡が得意な人物も暮らしており、教会の仕事やマルティヌー家の家事を手伝いながら塔内の別の空間に寝泊まりしていました。


 年表

◆ チェコ時代
1890  1891  1892  1893  1894  1895  1896  1897  1898  1899  1900  1901  1902  1903  1904  1905  1906  1907  1908  1909  1910  1911  1912  1913  1914  1915  1916  1917  1918  1919  1920  1921  1922 

◆ フランス時代
1923  1924  1925  1926  1927  1928  1929  1930  1931  1932  1933  1934  1935  1936  1937  1938  1939  1940 

◆ アメリカ時代
1941  1942  1943  1944  1945  1946  1947  1948  1949  1950  1951  1952 

◆ ヨーロッパ時代(フランス、イタリア、スイス)
1953  1954  1955  1956  1957  1958  1959 

 1890年/明治23年 (0歳)

◆ 12月8日、ボフスラフ・ヤン・マルティヌー、ボヘミア・モラヴィア高地のポリチュカで誕生。

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 1891年/明治24年 (0〜1歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。

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 1892年/明治25年 (1〜2歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。

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 1893年/明治26年 (2〜3歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。

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 1894年/明治27年 (3〜4歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ 7月21日、シャルロット・レオニー・ヴィクトリーヌ[1894-1978]、フランス北部ソンムのオシャンクールで誕生。1931年にマルティヌーと結婚。

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 1895年/明治28年 (4〜5歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。

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 1896年/明治29年 (5〜6歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。

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 1897年/明治30年 (6〜7歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ 仕立屋ヨゼフ・チェモフスキーの音楽教室でヴァイオリンなどを週2〜3回勉強。
◆ ポリチュカの小学校に入学。

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 1898年/明治31年 (7〜8歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ ポリチュカの小学校に在学。
◆ 仕立屋ヨゼフ・チェモフスキーの音楽教室でヴァイオリンなどを週2〜3回勉強。

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 1899年/明治32年 (8〜9歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ ポリチュカの小学校に在学。
◆ 仕立屋ヨゼフ・チェモフスキーの音楽教室でヴァイオリンなどを週2〜3回勉強。
◆ 地元のコンサートで、デ・ベリオとヴィエニャフスキも作品を演奏。

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 1900年/明治33年 (9〜10歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ ポリチュカの小学校に在学。

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 1901年/明治34年 (10〜11歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ ポリチュカの小学校に在学。

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 1902年/明治35年 (11〜12歳)

◆ 聖ヤクブ教会の塔の居室で生活。
◆ ポリチュカの広場に面した家に転居。
◆ ポリチュカの小学校に在学。

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 1903年/明治36年 (12〜13歳)

◆ ポリチュカの広場に面した家で生活。
● 弦楽四重奏曲「3人の騎士」H.1、作曲。抒情詩人、ヤロスラフ・ヴルフリツキー[1853-1912]のバラードによる。

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 1904年/明治37年 (13〜14歳)

◆ ポリチュカの広場に面した家で生活。

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 1905年/明治38年 (14〜15歳)

◆ ポリチュカの広場に面した家で生活。
◆ ポリチュカの西隣の山村、ボロヴァーのホテルの客の前でヴァイオリンを演奏。以後、人前での演奏機会が増大。

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 1906年/明治39年 (15〜16歳)

◆ ポリチュカの広場に面した家で生活。
◆ ポリチュカのヴァイオリン公演の成功によりポリチュカの議会は奨学金支給を決定。
◆ プラハ音楽院に入学。ヴァイオリンを勉強。
◆ プラハに転居。

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 1907年/明治40年 (16〜17歳)

◆ プラハ在住。
◆ プラハ音楽院に在学。ヴァイオリン科。
◆ スタニスラフ・ノヴァーク[1880-1945]と交流開始。やがてカレル橋近くで共同生活するようになります。ノヴァークはのちにチェコ・フィルのコンサートマスターになり、マルティヌーをチェコ・フィルに入団させています。
● フルートと弦楽オーケストラのための「公現祭」H.2、作曲。

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 1908年/明治41年 (17〜18歳)

◆ プラハ在住。
◆ プラハ音楽院に在学。
◆ 5月12日、音楽院が許可していない演奏活動を友人たちと共におこなったことにより放校処分が決定。
◆ 5月25日、音楽院の処分が重すぎるとして訴え、復学が許可。

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 1909年/明治42年 (18〜19歳)

◆ プラハ在住。
◆ 10月、プラハ音楽院でヴァイオリン科からオルガン科に移り、作曲も勉強。
● ヴァイオリンとピアノのためのエレジー、作曲。

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 1910年/明治43年 (19〜20歳)

◆ プラハ在住。
◆ 6月、プラハ音楽院を退学。
● 管弦楽曲「ティンタジェルの死」(メーテルリンクによる)、作曲。
● 管弦楽曲「死の天使」(プシェルヴァ=テトマイエルによる)、作曲。
● 2つの歌 H.21、作曲。
● 民謡の形式による2つの小さな歌 H.14、作曲。
● 2人で共に年を重ね H.10、作曲。
● 5つのワルツ H.5、作曲。
● 少女の夢 H.22、作曲。
● 気分の描写 H.29、作曲。
● 夜に H.30、作曲。
● 青い目の上に H.70、作曲。
● あなたがそれを知る前に H.6、作曲。
● ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 H.13、作曲。
● キスについての歌 H.27bis、作曲。
● 金髪姫のおとぎ話 H.28、作曲。
● 眠る人 H.19、作曲。
● パステル H.8、作曲。
● 愛とキスを続けて H.27、作曲。
● 三人の乙女 H.73、作曲。
● 冬の夜、H.26、作曲。

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 1911年/明治44年 (20〜21歳)

◆ プラハ在住。
◆ ヨゼフ・スークと交流。
● 2つの歌 H.31、作曲。
● 3つの小さい歌 H.34、作曲。
● 涙 H.41、作曲。
● 悲しき歌 H.36、作曲。
● ヤシェクの歌 H.37、作曲。

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 1912年/明治45年/大正元年 (21〜22歳)

◆ プラハ在住。
● ニッポナリ(青い時間、老いた時、回想、夢を見ながら生きていく、雪の上の足跡、振り返ってみると、聖なる湖/日本の伝承詞のチェコ語訳による) H.68、作曲。声とピアノ版、声と管弦楽版、ヴァイオリンとピアノ版。
● ブヨの結婚式 H.75、作曲。
● 死んだ愛 H.44、作曲。
● 最初の11月の歌 H.72、作曲。
● 歩こう、丘を越えて H.74bis、作曲。
● アンデルセンのおとぎ話から H.42、作曲。
● 拒絶された娘 H.67、作曲。
● 至福 H.81、作曲。
● 少年時代より H.51、作曲。
● それが思い出のすべて H.55、作曲。
● どうにもならない H.43、作曲。
● ハニチカ H.80、作曲。
● バラ H.54、作曲。
● バラード-ショパンの最後の和音 H.56、作曲。
● 僕と結婚して、ママ H.53、作曲。
● 炎の男 H.71、作曲。
● 毎晩夢の中であなたに会う H.57、作曲。
● 無言歌 ニ短調 H.46、作曲。
● 夜明けを、ああ、神よ H.76、作曲。
● 私に書いてください H.48、作曲。
● むかしむかし、H.69、作曲。
● 私は古い公園が好き H.79、作曲。
● 将来を語って H.66、作曲。
● 早朝、私は草を刈る H.49、作曲。
● 城の庭園で H.77、作曲。

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 1913年/大正2年 (22〜23歳)

◆ プラハ在住。
● 古い歌 H.74、作曲。
● 3つのフランス語の歌 H.88、作曲。
● 前奏曲第1番、H.85、作曲。
● 前奏曲第2番 H.86、作曲。

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 1914年/大正3年 (23〜24歳)

◆ プラハ在住。
◆ 兵役免除。
● 古いスペインの歌 H.87、作曲。
● 大管弦楽のための作品 H.90、作曲。
● マリオネット H.92、作曲。

◆ 第1次大戦勃発。

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 1915年/大正4年 (24〜25歳)

◆ プラハ在住。
◆ チェコ・フィルの演奏会にヴァイオリニストとして時々参加。
● ゲーテによる3つの歌 H.94、作曲。
● 3つの叙情的小品 H.98、作曲。
● 海辺の邸宅 H.97、作曲。
● 夜想曲 H.95、作曲。
● 夜想曲 嬰ヘ短調 H.91、作曲。

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 1916年/大正5年 (25〜26歳)

◆ プラハ在住。
◆ 夏、ポリチュカに転居。
◆ 9月、ヴァイオリンの個人指導を開始。
◆ 9月、ポリチュカの市立学校のヴァイオリン教師として契約。
● 6つのポルカ H.101、作曲。
● 影 H.102、作曲。
● ルヤーナ H.100、作曲。

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 1917年/大正6年 (26〜27歳)

◆ ポリチュカ在住。
◆ ポリチュカでヴァイオリンの個人指導。
◆ ポリチュカの市立学校にヴァイオリン教師として在職。
● 弦楽四重奏曲 変ホ短調 H.103、作曲。
● なんと貴重な時間 H.106、作曲。
● 6つの素朴な歌 H.110、作曲。

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 1918年/大正7年 (27〜28歳)

◆ ポリチュカ在住。
◆ ポリチュカでヴァイオリンの個人指導。
◆ ポリチュカの市立学校にヴァイオリン教師として在職。
◆ 10月28日、チェコスロヴァキア国民委員会が独立宣言。
◆ 11月10日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世、事実上の退位。
● 弦楽四重奏曲第1番 H.117、作曲。
● カンタータ「チェコ狂詩曲」 H.118、作曲(戦争の終わりが近いことを表現)。
● マリオネット H.116、作曲。
● 魅惑の夜 H.119、作曲。

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 1919年/大正8年 (28〜29歳)

◆ ポリチュカ在住。
◆ ポリチュカでヴァイオリンの個人指導。
◆ ポリチュカの市立学校にヴァイオリン教師として在職。
◆ 1月、プラハ国民劇場管弦楽団の海外公演で、ロンドン、パリ、ジュネーヴ、ベルン、チューリッヒを歴訪。
◆ スメタナ賞受賞。カンタータ「チェコ狂詩曲」で。
◆ 9月、サンジェルマン条約により、正式にオーストリア=ハンガリー帝国崩壊。
● ヴァイオリン・ソナタ ハ長調 H.120、作曲。
● 夏至の夜の猫の行列 H.122、作曲。
● 小さな子守歌 H.122bis、作曲。
● 小さな舞踏組曲 H.123、作曲。

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 1920年/大正9年 (29〜30歳)

◆ ポリチュカ在住。
◆ ポリチュカでヴァイオリンの個人指導。
◆ ポリチュカの市立学校にヴァイオリン教師として在職。
◆ 夏、プラハに転居
◆ チェコ・フィルに第2ヴァオリン奏者として入団。プラハ音楽院時代の友人でコンサートマスターのスタニスラフ・ノヴァークの紹介。音楽監督はヴァーツラフ・ターリヒ[1883-1961]。
● 過ぎ去った夢 H.124、作曲。
● 春の庭園 H.125、作曲。
● 新しいスロヴァキアの歌 H.126、作曲。
● 楽園の蝶と鳥 H.127、作曲。

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 1921年/大正10年 (30〜31歳)

◆ プラハ在住。
◆ チェコ・フィルに第2ヴァオリン奏者として在籍。
● バレエ「イスタール」、完成。
● 海辺の夕暮れ H.128、作曲。
● レッド・セヴン・キャバレーのための3つの歌 H.129、作曲。

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 1922年/大正11年 (31〜32歳)

◆ プラハ在住。
◆ チェコ・フィルに第2ヴァオリン奏者として在籍。
◆ イングリッシュ・シンガーズのプラハ公演でイギリス・ルネッサンスのマドリガルに感動。大きな影響を受けます。
◆ プラハ音楽院のヨゼフ・スーク[1874-1935]に作曲を師事。
● 消えゆく真夜中 H.131、作曲。
● コメディ・バレエ「この世で一番強い者はだれか」 H.133、作曲。
● 月 H.135、作曲。
● ロシアの詩による2つの歌 H.135bis、作曲。

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 1923年/大正12年 (32〜33歳)

◆ プラハ在住。
◆ チェコ・フィルに第2ヴァオリン奏者として在籍。
◆ 10月2日、父フェルディナント死去。70歳。
◆ 10月、パリに転居。
◆ パリでルーセル[1869-1937]に作曲を師事。
● 弦楽三重奏曲第1番 H.136、作曲。

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 1924年/大正13年 (33〜34歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● 操り人形 H.137、作曲。
● 四重奏曲 ハ長調 H.139、作曲。
● スケルツォ H.138bis、作曲。
● 前奏曲 H.140、作曲。
● チェロ・コンチェルティーノ ハ短調 H.143、作曲。
● ハーフ・タイム H.142、作曲。
● 無題 H.141、作曲。
● 寓話 H.138、作曲。

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 1925年/大正14年 (34〜35歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● 3つの子どもの歌 H.146、作曲。
● 3つの子守歌 H.146bis、作曲。
● 弦楽四重奏曲第2番 H.150、作曲。
● バレエ音楽「反乱」 H.151、作曲。
● ピアノ協奏曲第1番 ニ長調 H.149、作曲。
● ミニアチュアのフィルム H.148、作曲。
● 緊張している人に有益なデュオ H.145、作曲。

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 1926年/大正15年/昭和元年 (35〜36歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ シャルロット・レオニー・ヴィクトリーヌ・ケニエン[1894-1978]と最初の出会い。5年後に結婚。
● 管弦楽曲「大騒ぎ」H.155、作曲。
● 管弦楽曲「3つのチェコ舞曲」H.154、作曲。
● ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 H.152、作曲。
● ピアノ・コンチェルティーノ「ディヴェルティメント」 H.173、作曲。

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 1927年/昭和2年 (36〜37歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 「エコール・ド・パリ」を、ミハロヴィチ、ベック、ハルサーニと共に設立。後にタンスマンとアレクサンドル・チェレプニンも参加。
● ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲第1番 H.157、作曲。
● 踊りのために H.158、作曲。
● 驚くべき飛行 H.159、作曲。
● 3つのモダン・ダンスのスケッチ H.160、作曲。
● 組曲「調理場のレビュー」 H.161、作曲。
● カメラをまわせ! H.163、作曲。
● 弦楽五重奏曲 H.164、作曲。
● ブラック・ボトム H.165、作曲。
● クリスマス、H.167、作曲。
● 即興曲、作曲。

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 1928年/昭和3年 (37〜38歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● ル・ジャズ H.168、作曲。
● 歌劇「ナイフの涙」 H.169、作曲。
● 4つの楽章 H.170、作曲。
● 狂詩曲(交響的アレグロ) H.171、作曲。
● ジャズ組曲 H.172、作曲。

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 1929年/昭和4年 (38〜39歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 故郷モラヴィア地方のブルノ音楽院から作曲家教授として招聘されるものの辞退。
● 六重奏曲 H.174、作曲。
● 三つの願い H.175、作曲。
● 舞曲 H.177、作曲。
● 前奏曲 H.178、作曲。
● 幻想曲, H.180、作曲。
● 8つの前奏曲 H.181、作曲。
● 弦楽四重奏曲第3番 H.183、作曲。
● 3つのクリスマス・ソング H.184bis、作曲。
● ボロヴァー(7つのチェコ舞曲) H.195、作曲。
● 5つの短い小品、作曲。
● ヴァイオリン・ソナタ第1番、作曲。

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 1930年/昭和5年 (39〜40歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 歌劇「善行の日」の作曲を開始。
● スケルツォの形式による前奏曲 H.181a、作曲。
● 1本の指を使って H.185、作曲。
● バレエ音楽「チェックメイト」 H.186、作曲。
● ヴォカリーズ・エチュード H.188、作曲。
● 4つの夜想曲 H.189、作曲。
● 6つの牧歌 H.190、作曲。
● 小組曲 H.192、作曲。
● ピアノ三重奏曲第1番「5つの小品」 H.193、作曲。
● チェロ協奏曲第1番 H.196、作曲。
● ギヨーム・アポリネールの詩による3つの歌、H.197、作曲。
● 2つのヴァイオリンのためのソナチネ H.198、作曲。
● セレナード H.199、作曲。
● ロンド H.200、作曲。
● 古いチェコの童謡、H.209、作曲。

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 1931年/昭和6年 (40〜41歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 4月、歌劇「善行の日」の作曲を中止。世界大恐慌による深刻な不況の影響で、劇場での上演交渉がまとまらず、出版も拒否されたため第2幕で作曲を中止。内容はパリを訪れた2人のフランス人農民が、「善行」をおこなおうとるもののことごとく市民に邪魔されるというもので、当時の社会状況では怒りを買う可能性もありました。第3幕が未完でしたが、マルティヌーが作業を再開することはなく放置され忘れられていましたが、1995年にパウル・ザッハーのアーカイヴからコピーが発見されたのを機に、チェコのミラン・カニャーンの尽力でマルティヌーの書いた70分以上の音楽が世に出ることになりました。
◆ 3月21日、シャルロットと結婚。パリのオテル・ド・ヴィルで挙式。
◆ チェコ科学芸術アカデミー正会員に選出。
◆ 11月23日、兄カレル死去。58歳。
● 7つのアラベスク「律動的な練習曲」 H.201、作曲。
● リズムのエチュード H.202、作曲。
● 12のスケッチ 第1集 H.203、作曲。
● 遊戯 シリーズ1 H.205、作曲。
● 遊戯 第2集 H.206、作曲。
● 弦楽四重奏のための協奏曲 H.207、作曲。
● ヴァイオリン・ソナタ第2番 H.208、作曲。
● パルティータ H.212、作曲。

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 1932年/昭和7年 (41〜42歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 弦楽六重奏曲が、ワシントンのエリザベス・スプレーグ・クーリッジ財団による審査で、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ賞を受賞。審査員にはクーセヴィツキーもいました。
● 2つのヴァイオリンとピアノのためのソナタ H.213、作曲。
● バレエ音楽「シュパリーチェク」 H.214、作曲。
● ディヴェルティメント「セレナード第4番」 H.215、作曲。
● セレナード第2番 H.216、作曲。
● セレナード第1番 H.217、作曲。
● セレナード第3番 H.218、作曲。
● 協奏交響曲第1番 H.219、作曲。
● 5つの舞曲のスケッチ H.220、作曲。
● 子供のための4つの小品 H.221、作曲。
● 弦楽六重奏曲 H.224、作曲。
● 4つの子供の歌 H.225、作曲。
● リトルネッロ集 H.227、作曲。
● 民謡のテキストによる2つのバラード H.228、作曲。
● ピアノ三重奏と弦楽オーケストラのためのコンチェルティーノ H.232、作曲。
● リズムのエチュード H.202、作曲。

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 1933年/昭和8年 (42〜43歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ スメタナ賞受賞。バレエ音楽「シュパリーチェク」により。
● ヴァイオリン協奏曲第1番 H.226、作曲。
● ピアノ五重奏曲第1番 H.229、作曲。
● 復活祭のキャロル、H.230、作曲。
● ピアノ三重奏と弦楽オーケストラのためのコンチェルティーノ H.231、作曲。
● ピアノ三重奏と弦楽オーケストラのためのコンチェルティーノ H.232、作曲。

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 1934年/昭和9年 (43〜44歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● キリストの降誕、作曲。
● 慈善の日、H.194、作曲。
● 4つのマリアの歌、H.235、作曲。
● 聖母マリアの奇跡 H.236、作曲。
● ピアノ協奏曲第2番 H.237、作曲。
● 弦楽三重奏曲第2番 H.238、作曲。

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 1935年/昭和10年 (44〜45歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
◆ 5月29日、恩師ヨゼフ・スーク死去。61歳。
● 思い出のアルバム H.241、作曲。
● 小さなエヴァのための曲 H.242、作曲。
● 森の声 H.243、作曲。
● 2つの小品 H.244、作曲。
● ハープシコード協奏曲 H.246、作曲。
● 歌劇「橋の上の喜劇」 H.247、作曲。
● 歌劇「場末の劇場」 H.251a、作曲。

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 1936年/昭和11年 (45〜46歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● ドゥムカ第1番 H.249、作曲。
● ドゥムカ第2番 H.250、作曲。
● フルートとヴァイオリンのための協奏曲, H.252、作曲。

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 1937年/昭和12年 (46〜47歳)

◆ パリ在住。夏はポリチュカに帰省。
● 歌劇「ジュリエッタ」H.253、作曲。
● 歌劇「ジュリエッタ」からの3つの断章 H.253a、作曲。
● フルート、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ H.254、作曲。
● 弦楽四重奏曲第4番 H.256、作曲。
● 憑いている列車 H.258、作曲。
● 愛のキャロル H.259、作曲。
● カンタータ「花束」 H.260、作曲。
● 間奏曲 H.261、作曲。
● ヴァイオリン・ソナチネ H.262、作曲。
● 合奏協奏曲 H.263、作曲。
● 4つのマドリガル H.266、作曲。

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 1938年/昭和13年 (47〜48歳)

◆ パリ在住。
◆ 3月12日、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
◆ 9月7日、ズデーテン・ドイツ人党は、ズデーテン地方自治に関するチェコスロヴァキア政府の譲歩案を拒否、交渉打ち切りを通告。
◆ 9月12日、ヒトラーはズデーテン・ドイツ人の処遇改善を求めて演説。
◆ 9月13日、プラハで非常事態宣言。自治を求めるズデーテン・ドイツ人のデモ隊が警官隊と衝突。
● 3つのリチェルカーレ H.267、作曲。
● ああ、教えて H.267bis、作曲。
● 弦楽四重奏曲第5番 H.268、作曲。
● ピアノ・コンチェルティーノ H.269、作曲。
● 庭への窓 H.270、作曲。
● 2つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための二重協奏曲 H.271、作曲。

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 1939年/昭和14年 (48〜49歳)

◆ パリ在住。
◆ 3月15日、チェコスロヴァキアはドイツの支配下に置かれ、チェコのボヘミアとモラヴィアは、「ベーメン・メーレン保護領」に、「ズデーテンラントはドイツに割譲」、スロヴァキアとカルパティア・ルテニアは独立を強要されてハンガリーに侵攻され、「カルパティア・ルテニア全土とスロヴァキアの一部地域がハンガリーによって占領」。そこでドイツが調停に入り、「スロヴァキアはドイツの保護のもとに独立」という流れになり、ほどなく独立国のスロヴァキア軍は、枢軸国軍の一員としてポーランドに攻め込むことになります。
◆ 「野戦ミサ」が、ドイツのチェコスロヴァキア併合により、フランス陸軍に所属することになったチェコスロヴァキア軍兵士のために書かれた作品であることからマルティヌーの名がブラックリストに掲載され、チェコ出版社からの著作権料送金が停止。作品は戦場で執り行われるミサを前提としたものなので、訳名は「野戦ミサ」が妥当と考えられます。軍楽隊と男声合唱、バリトン独唱で演奏される23分ほどの作品で歌詞はチェコ語。
● 素晴らしい緑の木立を知っている H.273、作曲。
● プロムナード H.274、作曲。
● 牧歌集 H.275、作曲。
● チェロ・ソナタ第1番 H.277、作曲。
● チェコのなぞなぞ H.277bis、作曲。
● チェコのマドリガル集 H.278、作曲。
● 野戦ミサ H.279、作曲。
● 母の最高の願い H.279bis、作曲。

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 1940年/昭和15年 (49〜50歳)

◆ パリ在住。
◆ 2月、パウル・ザッハーからの委嘱作「2つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための二重協奏曲」の初演をスイスのバーゼルで鑑賞。
◆ 5月10日、ドイツ、フランス侵攻開始。前年9月にドイツに対して宣戦布告したフランスでしたが、実際にドイツ軍がフランスへの侵攻を始めたのは8か月も後のことで、油断したフランスはすぐに国防の要衝マジノ線を突破されてしまいます。慌てたフランス軍と政府は、パリ市民に対して、そのままパリに留まるよう要請したり、疎開を促したりと、混乱した情報を通告。
◆ 6月上旬、軍や政府機関と関係者については、巨大なカジノと数多くの宿泊施設を持つ温泉保養地ヴィシーにまるごと避難、自分たちの場所と安全を先に確保。ほどなく政府の行状を知った市民たちもすぐに南下を始め、フランス国立放送管弦楽団などなど数多くの音楽家たちも南を目指すことになります。その数はごく短期間のうちに100万人を超えるという凄まじいもので、落ち着き先のフランス中部でも南部でも大きな混乱が生じることとなります。
◆ 6月、パリ脱出。フィルクシュニーらの説得により、夫妻は軽装で南下。
◆ 6月14日、ドイツ軍、パリに無血入城。
◆ 6月16日、内閣総辞職、ペタン元帥が後を引き継ぎ、6月22日に休戦条約が調印。ドイツに降伏したフランスでは、国民は不自由な生活を強いられるようになりますが、当初は、湾岸部やパリなどの北部が「ドイツ軍占領地域」、南東部とコルシカ島が「イタリア軍占領地域」で、ほかはペタン元帥率いるヴィシー政府の管轄する「自由地域」となっていました。もっとも、「自由地域」とはいっても、検閲対象が膨大で、警察による監視体制も厳しく、ドイツとイタリアの「占領地」よりもかえって不自由だったとされるのがヴィシー政府管轄地域の都市部でもありました。
◆ 6月、フランス、ドイツと46日間戦ったのち休戦協定を締結。大枠で見るとフランス北部がドイツの占領統治、南部が「ヴィシー政権」による統治で、例外が長年の係争地であるエルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)地方となります。同地方はドイツに割譲という形になったため、1938年に併合したオーストリアと同様、ドイツ政府による統治とし、他のドイツ・オーストリア地域と同じく「大管区」に組み込まれ、徴兵なども実施されることとなります(エルザス=ロートリンゲン地域からの徴兵数は約10万人)。
◆ 10月、フランスを出国。マルティヌーがチェコ人で、チェコはドイツに占領されていたため、ヴィシー政府がなかなか対応せず、4か月かかっています。その間、マルティヌー夫妻は40か所以上を転々とする生活でしたが、作曲は継続。
● 幻想曲とトッカータ H.281、作曲。
● ユーモラスなシンフォニエッタ H.282、作曲。
● チェコ民謡による4つの歌 H.282bis、作曲。
● 4つの歌 H.282b - 第3曲 宗教的歌曲、作曲。
● 童謡、H.283bis、作曲。

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 1941年/昭和16年 (50〜51歳)

◆ 1月、スペイン経由でポルトガルのリスボン港に到着。
◆ 3月25日、2か月待たされ、イギリス海軍の重巡洋艦「エクセター」に乗船してリスボン港を出港。ちなみに「エクセター」は約11か月後に日本海軍に撃沈されています。
◆ 3月31日、ニューヨーク港に到着。

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 1942年/昭和17年 (51〜52歳)

● ピアノ四重奏曲第1番 H.287、作曲。
● 新しい小品 H.288、作曲。
● 交響曲第1番 H.289、作曲。
● ロッシーニの主題による変奏曲 H.290、作曲。
● マドリガル・ソナタ H 291、作曲。

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 1943年/昭和18年 (52〜53歳)

● 2台のピアノのための協奏曲 H.292、作曲。
● ヴァイオリン協奏曲第2番 H.293、作曲。
● 2ページの歌曲集 H.294、作曲。
● 交響曲第2番 H.295、作曲。
● リジツェへの追悼 H.296、作曲。
● 5つのマドリガル・スタンザ H.297、作曲。

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 1944年/昭和19年 (53〜54歳)

◆ 2月19日、母カロリーナ死去。88歳。
◆ ロザリー・バーストウと交際開始(1954年まで)。
● ピアノ五重奏曲第2番 H.298、作曲。
● 交響曲第3番 H.299、作曲。
● フルート、チェロとピアノのための三重奏曲 H.300、作曲。
● 2ページの歌曲集 H.302、作曲。
● ヴァイオリン・ソナタ第3番 H.303、作曲。

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 1945年/昭和20年 (54〜55歳)

◆ 5月5日、赤軍によるプラハの武装親衛隊への攻勢が開始。チェコ人による「プラハ蜂起」も起こり、ドイツ降伏の3日後まで武装親衛隊の抵抗は続きます。プラハの戦い。
◆ 5月8日、ドイツ降伏。
◆ 5月9日、赤軍がプラハを解放。
● 5月、チェコの文化大臣に、共産主義者で戦時中はソ連に亡命していたズデニェク・ネイェドリー[1878-1962]が帰還して就任。ネイェドリーは若い頃、ドヴォルザークの娘が好きでしたが、彼女がスークと一緒になったため、スーク、ヤナーチェク、ドヴォルザークらを恨み、ソ連の後ろ盾を得てからは、標題音楽以外は認めないという考えによって、交響曲を作曲した故ドヴォルザークを激しく非難し、ターリヒも迫害するなどしてチェコ楽壇を引き裂き、自分の配下となった者を重用。

◆ 7月20日、親友スタニスラフ・ノヴァーク死去。54歳。
◆ プラハ音楽院から作曲科教授就任を打診され、承諾するものの、以後、音沙汰無し。マルティヌーはターリヒと親しく、スークにも師事していたため、ネイェドリー文化大臣への配慮から音楽院側が中止したものと考えられます。
● 幻想曲 H.301、作曲。
● チェロ協奏曲第2番 H.304、作曲。
● 交響曲第4番 H.305、作曲。
● フルート・ソナタ H.306、作曲。
● チェコ狂詩曲 H.307、作曲。
● エチュードとポルカ集 H.308、作曲。
● サンダーボルト P-47 H.309、作曲。

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 1946年/昭和21年 (55〜56歳)

◆ 7月2日、共産主義者ネイェドリー文化大臣退任。
◆ 7月、クーセヴィツキーからの依頼でバークシャー音楽センター夏期講習の講師として契約。
◆ 7月、バークシャー音楽センターのバルコニーから転落して重傷。重度の聴覚障害、めまい、頭痛が生涯継続。
● 交響曲第5番 H.310、作曲。
● トッカータと2つのカンツォン H.311、作曲。
● 弦楽四重奏曲第6番 H.312、作曲。

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 1947年/昭和22年 (56〜57歳)

● 二重奏曲第1番「3つのマドリガル」 H.313、作曲。
● 弦楽四重奏曲第7番「室内協奏曲」 H.314、作曲。
● オーボエ四重奏曲 H.315、作曲。

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 1948年/昭和23年 (57〜58歳)

◆ プリンストン大学で作曲の客員教授に就任。
◆ 2月、ソ連軍の大規模駐留を後ろ盾に、スターリン主義者ゴットワルト率いるチェコスロヴァキア共産党の権力が増大。西側との関係も重視するベネシュ大統領政権の閣僚は窮地に追い込まれて相次ぎ辞任。ゴットワルトは行動委員会を設置、共産主義に批判的な者を弾圧し始めます。
◆ 2月25日、共産主義者ネイェドリーが文化大臣に復帰。1953年1月31日まで、チェコのノーマルな音楽家にとっては悲惨な状況が続くことになります。
◆ 6月2日、ベネシュ大統領辞任。
● ピアノ協奏曲第3番 H.316、作曲。
● 5月の5日目 H.318、作曲。
● マラケ河岸のブキニストたち H.319、作曲。
● 5つのチェコのマドリガーレ H.321、作曲。

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 1949年/昭和24年 (58〜59歳)

● 協奏交響曲第2番 H.322、作曲。
● やさしい小品 H.323、作曲。
● 3つのチェコ舞曲 H.324、作曲。
● マズルカ-ノクターン H.325、作曲。
● 舟歌 H.326、作曲。

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 1950年/昭和25年 (59〜60歳)

● ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 H.327、作曲。
● シンフォニエッタ・ラ・ホッジャ イ長調 H.328、作曲。
● 2つのヴァイオリンのための協奏曲第2番 H.329、作曲。
● 間奏曲、作曲。

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 1951年/昭和26年 (60〜61歳)

● ピアノ三重奏曲第3番 ハ長調 H.332、作曲。
● 即興曲 H.333、作曲。
● セレナード H.334、作曲。

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 1952年/昭和27年 (61〜62歳)

◆ アメリカ国籍を取得。
● 歌劇「結婚」 H.341、作曲。
● 歌劇「何により人は生きる」 H.336、作曲。
● ラプソディ・コンチェルト H.337、作曲。
● 3つの歌 H.338、作曲。
● 神聖な3つの歌 H.339、作曲。
● チェロ・ソナタ第3番 H.340、作曲。

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 1953年/昭和28年 (62〜63歳)

◆ グッゲンハイム財団から1年間の資金援助。
◆ パリで交響曲第6番を完成。
◆ ニース在住。
◆ 1月31日、文化大臣のズデニェク・ネイェドリーが退任。
● ヴァイオリン、ピアノと管弦楽のための協奏曲 H.342、作曲。
● 交響曲第6番「交響的幻想曲」 H.343、作曲。
● 序曲 H.345、作曲。

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 1954年/昭和29年 (63〜64歳)

◆ ニース在住。
● サルタレット H.346a、作曲。
● 聖ヤコブへの賛歌 H.347、作曲。
● サクラソウ H.348、作曲。
● 3つの光の山 H.349、作曲。
● ピアノ・ソナタ H.350、作曲。

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 1955年/昭和30年 (64〜65歳)

◆ フィラデルフィアのカーティス音楽院で作曲を指導。
◆ ニューヨークのマネス音楽学校で作曲を指導。
● オラトリオ「ギルガメシュ叙事詩」 H.351、作曲。
● ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画 H.352、作曲。
● オーボエ協奏曲 H.353、作曲。
● 泉開き H.354、作曲。
● ヴィオラ・ソナタ H.355、作曲。

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 1956年/昭和31年 (65〜66歳)

◆ ローマ在住。
◆ ローマのアメリカン・アカデミーで専属作曲家として教育活動。
● クラリネット・ソナチネ H.356、作曲。
● トランペット・ソナチネ H.357、作曲。
● ピアノ協奏曲第4番「呪文」 H.358、作曲。
● ジャガイモの煙の伝説 H.360、作曲。

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 1957年/昭和32年 (66〜67歳)

● 山賊の歌、H.361、作曲。
● アダージョ「イン・メモリアム」 H.362、作曲。
● 交響的前奏曲「岩」 H.363、作曲。
● たんぽぽのロマンス H.364、作曲。
● ギリシャ受難劇 H.372、作曲。

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 1958年/昭和33年 (67〜68歳)

◆ 9月23日、兄フランティシェク死去。77歳。
◆ 11月、末期の胃がん、摘出手術。
● 二重奏曲第2番 H.331、作曲。
● ピアノ協奏曲第5番「協奏的幻想曲」 H.366、作曲。
● 寓話集 H.367、作曲。
● チェンバロ・ソナタ H.368、作曲。
● 版画 H.369、作曲。
● 歌劇「アリアーネ」 H.370、作曲。

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 1959年/昭和34年 (68〜69歳)

◆ 5月17日、姉マリー死去。76歳。
◆ 8月28日、スイスのバーゼル近郊、リースタールの病院で死去。68歳。
◆ 8月、スイスのシェーネンベルク墓地に埋葬。1979年に生地ポリチュカの墓地に改葬。
● 歌劇「ギリシャ受難劇」 H.372、作曲。
● 児童合唱のための3つの歌 H.373、作曲。
● 九重奏曲 H.374、作曲。
● 山のミケシュ H.375、作曲。
● 室内音楽第1番 H.376、作曲。
● 2つのチェロのための小品 H.377、作曲。
● スロヴァキア民謡による変奏曲 H.378、作曲。
● 鳥たちの祝典 H.379、作曲。
● マドリガル H.380、作曲。
● 2つの即興曲, H.381、作曲。
● ヴィジリア H.382、作曲。

 トラックリスト (収録作品と演奏者)

ボフスラフ・マルティヌー[1890-1959]
弦楽四重奏曲全集

◆ 弦楽四重奏曲第1番 H.117 (1918)
1. I. Moderato-allegro ma non troppo  9'40
2. II. Andante moderato  7'36
3. III. Allegro non troppo  10'18
4. IV. Allegro con brio  12'41

◆ 弦楽四重奏曲第2番 H.150 (1925)
5. I. Moderato-allegro vivace  7'14
6. II. Andante  6'17
7. III. Allegro  5'55

◆ 弦楽四重奏曲第3番 H.183 (1929)
8. I. Allegro  4'13
9. II. Andante  4'53
10. III. Vivo  3'22

CD2  68'40
◆ 弦楽四重奏曲第4番 H.256 ニ長調(1937)
1. I. Allegro poco moderato  5'35
2. II. Allegro scherzando  3'34
3. III. Adagio  6'37
4. IV. Allegro  4'09

◆ 弦楽四重奏曲第5番 H.268 (1938)
5. I. Allegro ma non troppo  6'01
6. II. Adagio  6'23
7. III. Allegro vivo  5'34
8. IV. Lento, allegro 8'25

◆ 弦楽四重奏曲第6番 H.312 (1946)
9. I. Allegro moderato  6'40
10. II. Andante  7'32
11. III. Allegro  7'50

CD3  52'20
◆ 弦楽四重奏曲第7番 H.314「室内協奏曲」(1947)
1. I. Poco allegro  7'11
2. II. Andante  7'58
3. III. Allegro vivo  6'00

◆ ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番 H.313「3つのマドリガル」(1950)
Duo No.1 ‘3 Madrigals' H.313 for violin & viola (1950)
4. I. Poco allegro  4'26
5. II. Poco andante  6'02
6. III. Allegro  5'36

◆ 弦楽三重奏曲第2番 H.238 (1934)
7. I. Allegro  7'53
8. II. Poco moderato  6'50

  シュターミッツ四重奏団
   第1ヴァイオリン:ボフスラフ・マトウシェク
   第2ヴァイオリン:ヨセフ・ケクラ
   ヴィオラ:ヤン・ペルーシュカ
   チェロ:ヴラディーミル・レイクスネル

  録音:1990年、プラハ
 Track list

Bohuslav Martinů 1890-1959
String Quartets

CD1  72'44
String Quartet No.1 H.117 ‘The French' (1918)
1. I. Moderato-allegro ma non troppo  9'40
2. II. Andante moderato  7'36
3. III. Allegro non troppo  10'18
4. IV. Allegro con brio  12'41

String Quartet No.2 H.150 (1925)
5. I. Moderato-allegro vivace  7'14
6. II. Andante  6'17
7. III. Allegro  5'55

String Quartet No.3 H.183 (1929)
8. I. Allegro  4'13
9. II. Andante  4'53
10. III. Vivo  3'22

CD2  68'40
String Quartet No.4 H.256 in D (1937)
1. I. Allegro poco moderato  5'35
2. II. Allegro scherzando  3'34
3. III. Adagio  6'37
4. IV. Allegro  4'09

String Quartet No.5 H.268 (1938)
5. I. Allegro ma non troppo  6'01
6. II. Adagio  6'23
7. III. Allegro vivo  5'34
8. IV. Lento, allegro 8'25

String Quartet No.6 H.312 (1946)
9. I. Allegro moderato  6'40
10. II. Andante  7'32
11. III. Allegro  7'50

CD3  52'20
String Quartet No.7 H.314 ‘Concerto da Camera' (1947)
1. I. Poco allegro  7'11
2. II. Andante  7'58
3. III. Allegro vivo  6'00

Duo No.1 ‘3 Madrigals' H.313 for violin & viola (1950)
4. I. Poco allegro  4'26
5. II. Poco andante  6'02
6. III. Allegro  5'36

String Trio No.2 H.238 (1934)
7. I. Allegro  7'53
8. II. Poco moderato  6'50

Stamic Quartet
Bohuslav Matoušek violin I
Josef Kekula violin II
Jan Pěruška viola
Vladimir Peixner cello

Recording: 1990, Prague, Czech Republic


 年表付き商品説明ページ一覧

【バロック作曲家(生年順)】

バード [c.1540-1623]
カッツァーティ [1616-1678]
ルイ・クープラン [1626-1661]
クープラン一族
ダンドリュー [1682-1738]
スタンリー [1713-1786]
【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】

モンジュルー [1764-1836] (ピアノ系)
ベートーヴェン [1770-1827]
ジャダン [1776-1800] (ピアノ系)
リース [1784-1838]
ブルックナー [1824-1896]
ルクー [1870-1894]
レーガー [1873-1916]

【近現代作曲家(生年順)】

レーバイ [1880-1953] (ギター系)
マルティヌー [1890-1959] (ギター系も)
ミゴ [1891-1976] (ギター系も)
ショスタコーヴィチ [1906-1975]
ラングレー [1907-1991] (オルガン系)
アンダーソン [1908-1975]
デュアルテ [1919-2004] (ギター系)
プレスティ [1924-1967] (ギター系)
ヘンツェ [1926-2012]
坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者(ドイツ・オーストリア)】

アーベントロート (ベートーヴェンシューマンブルックナーブラームスモーツァルトチャイコハイドン)
エッシェンバッハ
カラヤン
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィルベルリン・フィルミュンヘン・フィル国立歌劇場管レジェンダリー)
クラウス
クリップス
クレンペラー (VOX&ライヴザルツブルク・ライヴVENIASボックス
サヴァリッシュ
シューリヒト
スイトナー (ドヴォルザークレジェンダリー)
フリート
フルトヴェングラー
ベーム
メルツェンドルファー
ヤノフスキー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー (ブルックナーマーラーヨーロッパドイツ)
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】

ガウク
クーセヴィツキー
ゴロワノフ
ペトレンコ
マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】

クーチャー(クチャル)
スラトキン(父)
ドラゴン
バーンスタイン
フェネル
【指揮者(オランダ)】

オッテルロー
クイケン
ベイヌム
メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】

パレー
モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】

セル
ドラティ
【指揮者(スペイン)】

アルヘンタ
【指揮者(スイス)】

アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】

クレツキ
【指揮者(チェコ)】

ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】

チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】

トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】

バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】

ミトロプーロス
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】

【ピアノ(ロシア・ソ連)】

ヴェデルニコフ
グリンベルク
ソフロニツキー
タマルキナ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
フェインベルク
フリエール
モイセイヴィチ
ユージナ
【ピアノ(フランス)】

カサドシュ
ティッサン=ヴァランタン
ハスキル
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】

キルシュネライト
シュナーベル
デムス
ナイ
【ピアノ(南米)】

タリアフェロ
ノヴァエス
【チェンバロ】

ヴァレンティ
カークパトリック
ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】

【ヴァイオリン】

オイストラフ
コーガン
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヘムシング
リッチ
レビン
【チェロ】

カサド
シュタルケル
デュ・プレ
ヤニグロ
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】

【クラリネット】

マンツ

【ファゴット】

デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】

モワネ
【歌手】

ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】

【三重奏団】

パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】

フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】

グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
ズスケ四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランスの伝説の弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

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