CD 輸入盤

アンタル・ドラティの芸術(75CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
ARTIS023
組み枚数
:
75
レーベル
:
:
Korea
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


アンタル・ドラティの芸術(75CD)

屈指の「オーケストラ・ビルダー」として知られたアンタル・ドラティは、どんなオーケストラが相手でも、楽員の実力を着実に引き出し、アンサンブルを的確に仕上げる見事な手腕の持ち主でした。
  韓国のヒストリカル系レーベル、ARTISから登場するこのセットには、SP録音からステレオ録音まで大量に集められており、ドラティが巨匠風スタイルに落ち着く前の、エネルギッシュで推進力に富む演奏を中心に楽しむことができます。


【オペラ→バレエ→コンサート】
ドラティは作曲と指揮、チェロ、ピアノを勉強し、まず歌劇場のコレペティトアからスタートして楽長までキャリア・アップ、その後、臨機応変な能力の求められるバレエ団の指揮者・編曲者として成功した結果、英HMVにさまざまなバレエ音楽をレコーディングできることとなり、その後、コンサート・オーケストラの音楽監督や客演指揮などに本格的に進出することとなります。
 このようなキャリアの流れは、実際の演奏時のトラブルへの対応力、財政面まで含む運営問題の解決力、レコード会社との交渉力などの向上にも結び付き、さらに数多くの客演や臨時編成アンサンブルとの付き合いによって育まれた強力な指導力によって、「オーケストラ・ビルダー」とも称えられる独自の個性を獲得することに繋がって行きます。


【オーケストラ遍歴】
コンサート・オーケストラの分野に本格進出したドラティは、下記、9つのオーケストラと特に深く関わって楽団の再建や演奏水準の向上に貢献し、レコーディング契約も獲得して多くの録音資産を遺してもくれました。
 このセットでは、そのうちのミネアポリス響、ロンドン響、フィルハーモニア・フンガリカ、BBC響、ストックホルム・フィルの音源を聴けるほか、客演先との録音ということで、コンセルトヘボウ管、シカゴ響、フィラデルフィア管、ニュー・フィルハーモニア管、コヴェントガーデン王立歌劇場管、ハーグ・レジデンティ管、ウィーン響、コンセール・ラムルー管との演奏を聴くことができます。

ダラス交響楽団 音楽監督[1945-1949]
楽団再建、RCAと契約。

ミネアポリス交響楽団 音楽監督[1949-1960]
演奏水準向上、RCAの後、マーキュリーで数多くのアルバムを制作。

ロンドン交響楽団 客演指揮者[1956-1965]
演奏水準向上、マーキュリーで数多くのアルバムを制作。

フィルハーモニア・フンガリカ 名誉会長[1958-1988]
演奏水準向上、マーキュリーとデッカで数多くのアルバムを制作。

BBC交響楽団 首席指揮者[1962-1966]
演奏水準向上、コンサート・ホールでの公演数を増大。

ストックホルム・フィルハーモニー[1966-1974]
演奏水準向上、大規模なツアーを数多く実施。RCAとデッカでアルバム制作。

ワシントン・ナショナル交響楽団 音楽監督[1970-1977]
楽団再建、デッカと契約して20世紀大作も含むアルバムを制作。

ロイヤル・フィルハーモニー[1975-1979]
楽団再建、デッカ、英ポリドール、ASVなどでアルバム制作。

デトロイト交響楽団 音楽監督[1977-1981]
楽団再建、デッカでアルバムを多数制作。


【ユダヤ系ハンガリー人指揮者】
ドラティの最初の名前は「アントン・ドイチュ」でしたが、「オーストリア=ハンガリー帝国」が第1次世界大戦の敗戦で消失し、短期間の紆余曲折を経て新たに「ハンガリー王国」が誕生すると、それまでの親ユダヤ的な政策方針が廃止、1920年にさっそく反ユダヤ法が整備され始めてさまざまな規制をおこなうようになったため、まず「アントン」を、母方の祖父の名でもあるハンガリー語の「アンタル」に変更しています(親族間での愛称はトニ/Toniでした)。
 とはいえハンガリーの反ユダヤ法はドイツに較べればかなり緩やかなもので、たとえば音楽院のユダヤ系の学生数を、人口比に合わせた約6%に制限するという法律に対し、実際には約41%も在籍していたというような感じだったので、ユダヤ教徒ではなかったドラティは、姓の変更まではおこないませんでした。
 しかし職場をドイツの公立歌劇場に移し、1933年にナチ政権が成立すると、姓の「ドイチュ」をハンガリー語の「ドラティ」に変更、以後は「アンタル・ドラティ」という名で過ごすこととなります。
 ハンガリーは、「オーストリア=ハンガリー帝国」として長く親ユダヤ政策をとっていたこともあってか、ユダヤ系の優れた指揮者を数多く輩出しており、名前の問題はほかでも見受けられました。たとえばショルティの元の姓はドイツ語の「シュテルン」、オーマンディの元の姓はドイツ語の「ブラウ」という具合で、世界各国で目立つようになってきた反ユダヤ主義勢力の攻撃を少しでもかわす狙いがあったようです。
 ちなみに、祖国をあとにしたユダヤ系ハンガリー人指揮者たちは、ファースト・ネームを他国語仕様に変更する場合が多いのですが、ドラティは、フェレンツ・フリッチャイ[1914-1963]、イシュトヴァーン・ケルテス[1929-1973]らと同じくハンガリー語のままで、逆に、ハンス・スワロフスキー[1899-1975]はドイツ語のままでした。有名どころでファースト・ネームを変えた人は以下の通りです。

リヒター[1843-1916]:ヤーノシュ→ハンス
ニキシュ[1855-1922]:アルトゥール→アルトゥール(綴りにhを追加)
ライナー[1888-1963]:フリジェシュ→フリッツ(フレデリック)
セル[1897-1970]:ジェルジ→ゲオルク(ジョージ)
オーマンディ[1899-1985]:イェヌー→ユージン
ガラグリ[1900-1984]:カーロイ→カール(フォンも追加)
セバスチャン[1903-1989]:ジェルジ→ジョルジュ
ショルティ[1912-1997]:ジェルジ→ゲオルク(ジョージ)


【ドラティ・プロフィール】
1906年(0歳)
●4月9日、オーストリア=ハンガリー帝国[1867-1918]のブダペスト(ブダペシュト)に誕生。父親のアレクサンダー(のちにシャーンドルに変更)・ドイチュ[1872-1949]はブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストでユダヤ系、母親のマルギト・クンヴァルト[1877-1968]はピアノ教師で、ドイツ、オーストリア、フランスの血を受け継いでいました。

1918年(12歳)
●レオ・ヴェイネル[1885-1960]に作曲の個人レッスンを受け、音楽学校入学前に3つのオペラを完成。また、子供のころからチェロとピアノを学んでもいました。
■10月、ブダペストで暴動発生。オーストリア=ハンガリー帝国崩壊により、350年以上に及んだハプスブルク家によるハンガリー統治も終わりをつげ、「アスター革命」へ発展。
■11月、「ハンガリー人民共和国」誕生。大統領はミハーイ・カーロイ[1875-1955 下の写真の左の人物]。約3カ月の短命国家。


1919年(13歳)
■2月、ハンガリー人民共和国に不満を持つ共産主義者ベーラ・クン[1886-1939 下の写真の左の人物]率いるハンガリー共産党や、労働者、ユダヤ人などの共産主義者による暴動が発生、ロシア革命に呼応した「ハンガリー革命」へ発展。
■3月、「ハンガリー評議会共和国」が誕生。約4.5カ月の短命国家。
■4月、ハンガリー・ルーマニア戦争勃発。
■6月、ホルティ将軍が国民軍を率いて蜂起。
■8月、ルーマニア軍がブダペストを占領。「ハンガリー共和国臨時政府」誕生。


1920年(14歳)
●ドラティは国立ハンガリー音楽専門学校(現リスト・フェレンツ音楽大学。リスト音楽院、フランツ・リスト音楽院とも)に入学。作曲、指揮、ピアノを、ゾルタン・コダーイ[1882-1967]、レオ・ヴェイネル、ベラ・バルトーク[1881-1945]、アルノルド・セーケイ[1874-1958]ほかに師事。
■3月、ルーマニア軍が大量の略奪品と共に撤収。
■3月、「ハンガリー王国」誕生。王位は空位。国家元首として、国民議会が帝国海軍総司令官だったミクローシュ・ホルティ[1868-1957 下の写真の左の人物]を選出、24年7カ月に及ぶ緩やかな独裁政権を維持。1944年10月にはハンガリーはナチ政権の支配下となり、ドイツ敗戦の1945年5月まで、「矢十字党」が傀儡ファシズム政権を運営、ホロコーストにも積極的に加担します。


1924年(18歳)
●国立ハンガリー音楽専門学校を卒業。
●ハンガリー国立歌劇場のコレペティトアとして契約。


オペラ指揮者
1924年から1933年までの9年間は、ドラティが歌劇場でコレペティトア(コレペティートア)としてオペラの修業を積み、主にオペラ指揮者として活躍した時期となります。
 ドラティはまず地元ブダペストのハンガリー国立歌劇場でコレペティトアとして契約。オーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ一世が建設したハンガリー国立歌劇場は、かつてマーラーが音楽監督を務めたほか、のちにはフリッチャイやクレンペラーも音楽監督を務めた有名な歌劇場です。
 ドラティはここで3年後には指揮者に昇格、翌1928年にはドレスデン国立歌劇場でフリッツ・ブッシュの助手を経験する機会にも恵まれ、その翌年にはハンガリー国立歌劇場をあとにして、ドイツのミュンスター歌劇場の第1楽長となり、ナチ政権樹立までの4年間をドイツのオペラ指揮者として過ごしています。
 また、1941年にはニューヨークのオペラ団体「ニュー・オペラ・カンパニー」の音楽監督に就任。オッフェンバックの『パリの生活』などを指揮しますが、翌年には「ニュー・オペラ・カンパニー」は解散したため、ドラティは同時期に契約していた同じニューヨークのバレエ団体「バレエ・シアター」に専念することになります。
 ちなみに「ニュー・オペラ・カンパニー」のメンバーの多くは、1943年設立の「ニューヨーク・シティ・オペラ」に移ったので、「ニュー・オペラ・カンパニー」はその前身ともいえる存在になるかと思います。なお、「バレエ・シアター」の方はのちに「アメリカン・バレエ・シアター」になっているので、ドラティは同じ時期に、のちに有名になるオペラとバレエの組織に関わっていたということになります。
 歌劇場のコレペティトアからキャリアをスタートした指揮者は、作品の微細な部分から出演者と密接に関わったり、上演に際しての大小さまざまな問題に直面した経験から、人心掌握術と問題解決力に秀でた人物が多く、また、オペラの総譜をピアノに移す読み替え能力や、数多い出演者の歌唱スタイルをコーチして調整することで、大規模な作品でも常に隅々まで具体的に踏み込んでおり、そうした能力は、交響曲など声部の多い器楽作品でも十分に生かされることになると考えられます。
 作曲家志望でもあったドラティは、指揮者としてはトスカニーニやフリッツ・ブッシュのようになるべく楽譜に忠実なスタイルを目指していたということで、実際に遺されたオペラ録音、たとえばバルトークの『青ひげ公の城』や、ワーグナーの『さまよえるオランダ人』などを聴いても、無用な感情移入は見受けられませんし、ドラティならではの無駄なく引き締まった強靭なフォルムが何よりも見事な仕上がりとなっています。
 また、楽譜に忠実なスタイルは、あまり知られていない作品の紹介にも最適で、ハイドンのオペラへの体系的な取り組みや、R.シュトラウスの『エジプトのヘレナ』の第2稿での録音といったプロジェクトに大きな説得力を持たせてもいました。


1927年(21歳)
●ハンガリー国立歌劇場の指揮者に昇格。1929年まで在任。


1928年(22歳)
●ブダペストの北西約550キロ、ドレスデン国立歌劇場でフリッツ・ブッシュ[1890-1951]の助手を務めます。ドラティはブッシュと良好な関係を構築、多くのことを学び、大きな影響を受けたと語っています。ブッシュはこの7年後にはグラインドボーンでライトナーを助手に起用し、やはり多大な影響を与えていました。


1929年(23歳)
●7月14日、ブダペストでクララ・クラリ・コロディ[1910-1979]と結婚。のちに娘アントニアをもうけています。
●ブダペストの北西約960キロ、ドイツ北西部のミュンスター歌劇場の指揮者として契約。ナチ政権誕生の1933年までの4年間指揮したほか、ドイツ、ハンガリー、チェコスロヴァキアの各地の歌劇場やオーケストラに客演しています。


1932年(26歳)
●ハンガリー国立歌劇場に客演し、翌年にかけてオーケストラ・コンサートを開催。

1933年(27歳)
●ナチ政権による公職法制定に伴い失職。
●ドラティはミュンスターの南西約500キロのパリに転居。
●セルゲイ・ディアギレフ[1872-1929]没後に解散したのち、複数の団体として復活した「バレエ・リュス」直系団体の中の最大手「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」と契約。舞台音楽の編曲・作曲と指揮を任されます。1937年まで在任。

バレエ指揮者
1933年、ドイツを後にしたドラティは、隣国フランスでバレエ団の音楽担当という職を得ます。
 大物ディアギレフが1929年に亡くなったあと、「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」が分裂して大小いくつかの団体を結成していましたが、ドラティはその中で最も規模の大きかった「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」と契約。内外公演でのバレエ音楽を指揮したほか、新たに考案されたバレエの題材に合わせて既存曲を編曲・編集した作品をつくるなど、作曲・編曲も得意だったドラティの能力が役に立つことになります。
 また、バレエ団では長期のツアーをおこなうことが多く、その場合、現地の楽団や音楽家と契約しての演奏となるため、指揮者には短期間で効率よく音楽を仕上げる手腕が要求されることが少なくありませんでした。
 特に「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」の1936年から1937年にかけてのコヴェントガーデン王立歌劇場での成功は、ドラティがロンドン・フィルを指揮した音楽の方も評判となり、英HMVによってドラティ指揮ロンドン・フィルの演奏する一連のバレエ音楽のSPレコード制作がおこなわれることとなります。
 「バレエ・リュス」の看板作品でもあった『シェエラザード』や『白鳥の湖』のほか、ストラヴィンスキーの『妖精の口づけ』、デランジェの『100回のキス』、ダルゴムイシスキーの『奴隷とジプシーの踊り』、ビゼーの『子供の遊び』、チャイコフスキーの『ハムレット』、そしてドラティがまとめた『美しき青きドナウ』など、どれも実際のバレエ上演の成功によって実現したレコーディングでした。
 1938年になるとドラティは、「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」から分裂した団体「オリジナル・バレエ・リュス」と契約し、ワシリー・ド・バジル大佐[1888-1951]のもとオーストラリアなど海外ツアーにも同行して評価を高めます。
 しかし1940年にドイツ軍がフランスに侵攻を始めると、ドラティは戦火を避けてアメリカに移住する道を選びます。
 1941年、バレエ指揮者の実績を生かして、「バレエ・リュス」つながりの「バレエ・シアター」と契約。これまでと同じく、音楽の指揮と編曲などを任され、オッフェンバックによる『青ひげ』や『トロイのヘレナ』、ムソルグスキーのオペラによる『ソロチンスクの市』といったバレエ音楽を編んだりもしていました。1944年まで在任。
 ちなみにこの「バレエ・シアター」は、ディアギレフの「バレエ・リュス」で踊っていたミハイル・モルドキン[1880-1944]がアメリカに移住して結成した「ニュー・モードキン・バレエ」のメンバーが脱退してつくった団体で、その後、次第に規模を拡大、やがて「アメリカン・バレエ・シアター」と名称を変更し、現在では世界有数のバレエ団として知られています。
 なお、ドラティがバレエ専業指揮者を務めたのはこの「バレエ・シアター」が最後で、以後はコンサート指揮者としてバレエ音楽を取り上げることとなります。


1936年(30歳)
●「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」がダンサー62人の大掛かりな布陣でコヴェントガーデン王立歌劇場で公演。オーケストラはロンドン・フィルで、公演の成功を機に、HMVがロンドン・フィルとバレエ音楽のSPレコードをいくつも制作することになります。

1937年(31歳)
●ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮してベートーヴェン・プログラムでアメリカ・デビュー。
●7月、バレエ音楽『美しき青きドナウ』ロンドン・フィル(Disc43)
●9月、ダルゴムイシスキー:『奴隷とジプシーの踊り』、デランジェ:『100回のキス』組曲(Disc43)、ストラヴィンスキー:『妖精の口づけ』ロンドン・フィル(Disc43)

1938年(32歳)
●「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」から分裂した団体「オリジナル・バレエ・リュス」と契約。舞台音楽の編曲・作曲と指揮を任されます。オーストラリア・ツアーにも同行。1940年まで在任。
●8月、シャブリエ:『コティヨン』ロンドン・フィル(Disc43)


1939年(33歳)
●7月、フランセ:『舞踊学校』ロンドン・フィル(Disc75)

1940年(34歳)
●アメリカ合衆国に移住。

1941年(35歳)
●ニューヨークのオペラ団体「ニュー・オペラ・カンパニー」の音楽監督に就任。オッフェンバックの『パリの生活』などを指揮。翌年まで在任。
●ニューヨークのバレエ団体「バレエ・シアター」と契約して音楽を担当。舞台音楽の編曲・作曲と指揮を任されます。1944年まで在任。

1945年(39歳)
●ダラス交響楽団音楽監督就任。1949年まで在任。
●ダラス交響楽団とベートーヴェン:交響曲第3番、グラズノフ:『四季』を演奏。

ダラス交響楽団
1945年から1949年まで在任。1937年、ドラティのアメリカ・デビュー公演に注目した音楽マネージャーのアーサー・ゲインズは、音楽監督を探していたダラス交響楽団にドラティを推薦しますが、楽団側は、有名人ストコフスキー[1882-1977]が推してきた彼の弟子でフィラデルフィア・ユース・オーケストラの指揮を始めたばかりだった27歳のジャック・シンガー[1910-1980]を音楽監督として採用します。シンガーは地元ダラスの評論家ローゼンフィールドに叩かれたりしていたものの、ほどなく第2次世界大戦にアメリカが参戦して1942年には楽団の活動は終息、レコーディングもありませんでした。
 1940年にアメリカに移住し、翌年からオペラとバレエの指揮に携わり、「バレエ・シアター」については1944年まで指揮をしていたドラティは、戦争が終わるとダラス交響楽団の音楽監督に晴れて就任。
 楽員のほとんどが兵役に就き、人数不足とブランクによって楽団の演奏水準が低下しているなか、ドラティはきびしくトレーニングして楽団を立て直すことに成功。
 しかし、ダラス交響楽団は当時無名、ドラティの知名度もまだまだ低く、しかもSPレコードの時期ということもあってかレコーディングは少なく、ルービンシュタインとのリストのピアノ協奏曲第1番(1947)に、カペルとのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(1949)、そしてバレエ指揮者時代のヒット作『卒業』(1948)、グラズノフの『四季』くらいしかありませんでした(すべてRCA)。
 J.シュトラウス作品で編んだバレエ音楽『卒業』はドラティのお気に入りでもあったようで、その後、ミネアポリス交響楽団、ウィーン・フィルとも再録音しています。
 また、演奏会動員数アップのため、バッハのカンタータの名旋律を管弦楽組曲にアレンジした編曲作品を2つ作ったほか、『ばらの騎士』の組曲ヴァージョンを自分で作ってとりあげてもいました。
 この『ばらの騎士』組曲は自信作だったようで、1950年にフィラデルフィア管弦楽団とRCAにレコーディングしていたほか(発売当時はロビンフッド・デル管弦楽団という別名を使用)、1955年にはミネアポリス交響楽団とマーキュリーに録音、1983年にはデトロイト交響楽団とデッカに録音していました。


1946年(40歳)
●ダラス交響楽団とベートーヴェン:交響曲第9番を演奏。
●9月、ザルツブルク音楽祭で、モーツァルテウム管弦楽団、メニューインと共演。

1947年(41歳)
●アメリカ市民権取得。

1948年(42歳)
●ハリウッドボウル交響楽団に客演。

1949年(43歳)
●ミネアポリス交響楽団(現ミネソタ管弦楽団)音楽監督就任。1960年まで在任。
●バルトークのヴィオラ協奏曲(ティボール・シェルイによる補筆完成版)をプリムローズと世界初演。

ミネアポリス交響楽団
1949年から1960年まで在任。ダラス交響楽団でオーケストラ・ビルダーとしての手腕を発揮したドラティは、今度はミトロプーロス[1896-1960]の後任としてミネアポリス響音楽監督に就任。
 戦争によるダメージや、ミトロプーロスのロマンティックで自由な芸風もあって、合奏精度がいまひとつだったオーケストラを、ドラティはここでも鍛え上げ、短期間に演奏水準を向上させています。
 その厳しい練習ぶりはかなりのものだったようで、トランペットのハッセルマンは、自宅の地下にサンドバッグを設置してストレス解消を図っていたと語っています。
 演奏水準の上がったミネアポリス響にとって幸運だったのは、ドラティがRCAから乗り換えて契約を交わしたレーベルが、1945年に発足したばかりの新興レーベル「マーキュリー」だったことです。このレーベルは当初から音質が良く、モノラル録音でも情報量が多いため、それまでのミネアポリス響の録音(米COLUMBIA等)とはまったく性格の異なるアンサンブル、作品情報の正確な表出を狙った解釈・演奏が聴けることとなり、レパートリーも拡大されて行きました。
 このマーキュリー・サウンドは、設置方法にこだわったワンポイント方式のマイクロフォンからテープに記録されることで築かれたもので、それまでのドラティの録音が、HMVへのロンドン・フィルとのバレエ作品、RCAへのダラス響とのバレエ作品・協奏曲ともにSP盤への録音だったことから、ディテール情報が大幅に増しているのが大きな特徴ともなっています。
 特に、クラシック界屈指のベストセラー盤である『1812年』によって知名度が大幅に向上してからは好調な売上が続き、ドラティの客演先も増えて、ミネアポリス響のほか、ロンドン響、フィルハーモニア・フンガリカともマーキュリーにセッション録音を実施、数多くの人気アルバムが制作されることになります。


1950年(44歳)
●4月、コダーイ:『ハーリ・ヤーノシュ』、弦楽のためのディヴェルティメントをミネアポリス響とRCAにセッション録音。(Disc15)
●7月、ラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団を指揮。

1952年(46歳)
●1月、ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ、道化師の朝の歌をミネアポリス響とマーキュリーにセッション録音。以下、長期に渡ってマーキュリーに録音。(Disc32)
●1月、ボロディン:交響曲第2番 ミネアポリス響(Disc26)
●1月、ベルリオーズ:序曲『ローマの謝肉祭』ミネアポリス響(Disc1)
●1月、ストラヴィンスキー:バレエ組曲『火の鳥』ミネアポリス響(Disc15)
●2月、ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』(Disc52)、スメタナ:『モルダウ』(Disc67)コンセルトヘボウ管
●4月、メンデルスゾーン:交響曲第4番『イタリア』、モーツァルト:交響曲第40番 ミネアポリス響(Disc29)
●10月、ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第3番 ハーグ・レジデンティ管(Disc51)
●12月、R.シュトラウス:『英雄の生涯』ミネアポリス響(Disc20)

1953年(47歳)
●ストックホルム・フィルに客演。ベルワルド:交響曲第1番ほか。
●2月、ベートーヴェン:交響曲第5番、『レオノーレ』第3番、『エグモント』、『コリオラン』序曲 ミネアポリス響(Disc13)
●2月、コープランド:交響曲第3番 ミネアポリス響(Disc11)
●12月、チャイコフスキー:『くるみ割り人形』全曲 ミネアポリス響(Disc8)
●12月、ベルリオーズ:幻想交響曲 ミネアポリス響(Disc1)
●12月、ストラヴィンスキー:『春の祭典』 ミネアポリス響(Disc18)

1954年(48歳)
●1月、チャイコフスキー:『ロメオとジュリエット』(Disc71)、シューベルト:交響曲第8番『未完成』(Disc70)、コダーイ:『孔雀変奏曲』、バルトーク:『中国の不思議な役人』(Disc34) シカゴ交響楽団
●11月、ヒナステラ:協奏的変奏曲、ブリテン:『青少年のための管弦楽入門』ミネアポリス響(Disc27)
●11月、レスピーギ:『ローマの祭り』ミネアポリス響(Disc16)
●11月、レスピーギ:『教会のステンドグラス』ミネアポリス響(Disc12)
●12月、チャイコフスキー:『白鳥の湖』全曲 ミネアポリス響(Disc4-5)
●12月、ラヴェル:『ダフニスとクロエ』全曲 ミネアポリス響(Disc9)
●12月、チャイコフスキー:序曲『1812』ミネアポリス響(Disc23)

1955年(49歳)
●4月、ブラームス:悲劇的序曲 ミネアポリス響(Disc32)
●4月、チャイコフスキー:『眠れる森の美女』全曲 ミネアポリス響(Disc6-7)
●10月、ブラームス:交響曲第3番 ミネアポリス響(Disc32)
●11月、ブラームス:大学祝典序曲 ミネアポリス響(Disc32)
●11月、バルトーク:管弦楽のための組曲第2番 ミネアポリス響(Disc10)
●11月、ベートーヴェン:交響曲第4番、第8番 ミネアポリス響(Disc14)
●12月、R.シュトラウス:『ティル・オイレンシュピーゲル』『ばらの騎士』組曲 ミネアポリス響(Disc3)
●12月、チャイコフスキー:『イタリア奇想曲』ミネアポリス響(Disc22)

1956年(50歳)
●7月、R=コルサコフ:組曲『金鶏』ロンドン響(Disc35)
●7月、メンデルスゾーン:交響曲第3番『スコットランド』、『フィンガルの洞窟』ロンドン響(Disc33)
●7月、ボロディン:『イーゴリ公』より ロンドン響(Disc35)
●7月、モーツァルト:交響曲第36番、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』ロンドン響(Disc53)
●7月、ヘンデル:『水上の音楽』、『王宮の花火の音楽』ロンドン響(Disc60)
●9月、スメタナ:『わが祖国』コンセルトヘボウ管弦楽団(Disc41)
●9月、ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第1番 コンセルトヘボウ管(Disc51)
●9月、チャイコフスキー:交響曲第4番 コンセルトヘボウ管(Disc52)
●11月、コダーイ:『ハーリ・ヤーノシュ』、バルトーク:ルーマニア民謡舞曲、バルトーク:ハンガリーの風景 ミネアポリス響(Disc10)
●11月、J.シュトラウスII:春の声、ウィーンのボンボン、シャンパン・ポルカ、芸術家の生活、南国のバラ ミネアポリス響(Disc20)
●11月、J.シュトラウス II:春の声 ミネアポリス響(Disc24)

ロンドン交響楽団
オーケストラの運営方法や助成金を巡るトラブルで、1954年にヨーゼフ・クリップス[1902-1974]が首席指揮者を辞任した後、1961年にモントゥー[1875-1964]が首席指揮者に就任するまでの6年間、ロンドン交響楽団の指揮は客演でまかなわれており、辞めたクリップスも1956・1957・1958・1960年に登場してレコーディングをおこなっていました。
 ドラティは1956・1957・1959・1960・1961・1962・1963・1964・1965年に登場してマーキュリーへのレコーディングを指揮しており、クリップスのもとで良い状態になっていたロンドン交響楽団の精度をさらに向上させて、仕上げのかっちりとした演奏を聴かせていました(1958年の録音が無いのはフィルハーモニア・フンガリカに注力したため)。
 なお、1963年4月にはロンドン交響楽団の来日公演に同行、ピエール・モントゥー、ゲオルク・ショルティと共に指揮にあたりました。ドラティの指揮した曲目は、ヘンデルの『水上の音楽』、モーツァルト:交響曲第40番、チャイコフスキー:交響曲第4番というものでした。


1957年(51歳)
●3月、ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』ミネアポリス響(Disc12)
●3月、ロッシ―ニ:序曲集 ミネアポリス響(Disc25)
●4月、チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 ミネアポリス響(Disc23)
●4月、J.シュトラウス II:『卒業記念舞踏会』、オッフェンバック:パリの喜び ミネアポリス響(Disc24)
●4月、自作のカンタータ『十字架の道』[1955-1956作曲]をミネアポリス響と初演。ポール・クローデル[1868-1955]の詩による演奏時間95分の大作。
●4月、アルベニス:『イベリア』、ファリャ:『はかなき人生』より、ムソルグスキー:『ホーヴァンシチナ』より ミネアポリス響(Disc30)
●7月、ハイドン:交響曲第100・101番(Disc70)、ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲(Disc31)、ブラームス:ハンガリー舞曲集(Disc47)、レスピーギ:『鳥』、『ブラジルの印象』(Disc57) ロンドン響

●10月、メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』ウィーン響(Disc54)
●10月、ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第2番 コンセルトヘボウ管(Disc51)
●12月、コープランド:組曲『ロデオ』、キューバ舞曲、エル・サロン・メヒコ(Disc11)、ドリーブ:『コッペリア』全曲(Disc17-18)、ガーシュイン:『パリのアメリカ人』(Disc27)、ブラームス:交響曲第2番(Disc31) ミネアポリス響

1958年(52歳)
●フィルハーモニア・フンガリカ名誉会長就任。
●4月、スメタナ:『売られた花嫁』抜粋(Disc25)、ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(Disc2) ミネアポリス響
●6月、レスピーギ:古典的な舞曲とアリア-組曲第1・2・3番(Disc67)、ウィンナ・ワルツ・パプリカ(Disc63)、コダーイ:『ガランタ舞曲』、『マロシュセーク舞曲』(Disc34)、アレンスキー:『チャイコフスキーの主題による変奏曲』(Disc40)、チャイコフスキー:『弦楽のためのセレナーデ』(Disc38)、バルトーク:舞踏組曲、2つの肖像、ミクロコスモスから2つの抜粋(Disc44) フィルハーモニア・フンガリカ
●9月、ベートーヴェン:交響曲第6番 ウィーン響(Disc54)
●9月、グリーグ:『ペール・ギュント』組曲 ウィーン響(Disc59)
●12月、R.シュトラウス:『ドン・ファン』『死と変容』ミネアポリス響(Disc3)
●12月、チャイコフスキー:『フランチェスカ・ダ・リミニ』、スラヴ行進曲、『エフゲニー・オネーギン』〜ワルツ、ポロネーズ ミネアポリス響(Disc22)
●12月、R=コルサコフ:『シェエラザード』ミネアポリス響(Disc26)
●12月、ヨーゼフ・シュトラウス:『水彩画』、エドゥアルト・シュトラウス:『ドクトリン』ミネアポリス響(Disc30)

フィルハーモニア・フンガリカ
1956年10月、ハンガリーの共産主義政権に対して蜂起した市民たちを制圧すべくソ連が軍事介入して市街戦の様相を呈した「ハンガリー動乱」は、死傷者1万7千人という犠牲を出し、難民の数も20万人とも言われる大惨事。ウィーン郊外の収容施設には、膨大な数の難民が受け入れられ、中には音楽家たちも数多く含まれていました。
 難民で指揮者のゾルタン・ロズニャイ[1926-1990]は、そうした音楽家たちの中から選りすぐってオーケストラ「フィルハーモニア・フンガリカ」を結成、ウィーン市は楽器と衣装を用意したほか、バーデン・バイ・ウィーンの「ホテル・エスプラナーデ」を練習会場として提供します。
 若手ながらハンガリーでは歌劇場の音楽監督とコンサート・オーケストラの指揮者としてすでにキャリアを積んでいたロズニャイは、初代首席指揮者として「フィルハーモニア・フンガリカ」を短期間で鍛え、1957年5月28日、ソリストとしてヤーノシュ・シュタルケルを迎えてウィーン・コンツェルトハウスで第1回演奏会を実施しています。
 その後、ロックフェラー財団とフォード財団などの支援を受けながらアメリカ・ツアーをはじめとして世界各地で演奏会をおこない、翌年には名誉会長にアンタル・ドラティを迎えてレコーディングも実施するなど(Disc34・38・40・44・63・67)、活動もさらに注目を集めることとなります。
 1960年にはドイツ、ヴェストファーレン州の人口7万人の小都市マールがオーケストラを受け入れることとなり、西ドイツ政府から冷戦対策費の一環として補助金を支給されながら活動を継続、コンサートのほか、ハイドンの交響曲全集をメジャー・レーベルで初めてレコーディングするなどして知名度を高めて行きます(マイナーではエルンスト・メルツェンドルファー&ウィーン室内管がありました)。
 しかし冷戦が終わると、西ドイツは東ドイツを抱えて国庫がひっ迫、冷戦も終わったことで助成金もすべて打ち切りとなり、演奏会収入の減少もあって、オーケストラの経営状態は悪化、結成から44年目の2001年に活動を終えています。


1959年(53歳)
●4月、ムソルグスキー:『展覧会の絵』ミネアポリス響(Disc19)
●4月、ストラヴィンスキー:『ペトルーシュカ』ミネアポリス響(Disc21)
●6月、ビゼー:『カルメン』組曲、『アルルの女』組曲 コンセール・ラムルー管(Disc71)
●6月、ストラヴィンスキー:『火の鳥』全曲(Disc68)、チャイコフスキー:『ロメオとジュリエット』(Disc22)、R=コルサコフ:『スペイン奇想曲』、組曲『金鶏』『ロシアの復活祭』序曲(Disc35)、ワーグナー:『ローエングリン』『タンホイザー』『トリスタンとイゾルデ』より(Disc42)、ブラームス:交響曲第1番(Disc46) ロンドン響
●7月、ドヴォルザーク:交響曲第8番 ロンドン響(Disc50)
●7月、ヴェルディ:序曲集 ロンドン響(Disc63)
●8月、ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルとハイモ・エルプセ『ユリエッタ』を演奏。
●9月、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』(Disc51)、メンデルスゾーン:序曲『静かな海と楽しい航海』(Disc67)、ウェーバー:『魔弾の射手』、『オベロン』、『オイリアンテ』、『プレチオーザ』序曲、シューベルト:イタリア風序曲、ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』より、『ロメオとジュリエット』〜愛の情景(Disc73)、エルガー:行進曲『威風堂々』第1番(Disc75) コンセルトヘボウ管
●11月、プロコフィエフ:交響曲第5番(Disc19)、ストラヴィンスキー:『春の祭典』(Disc21) ミネアポリス響

1960年(54歳)
●3月、自作の交響曲第1番[1956-1957作曲]をミネアポリス交響楽団と初演。
●4月、レスピーギ:『ローマの噴水』『ローマの松』(Disc16)、シュラー:ポール・クレーの絵画による7つの練習曲、ブロッホ:シンフォニア・ブレーヴァ、フェトラー:管弦楽のための協奏曲 ミネアポリス響(Disc28)
●6月、スメタナ:『モルダウ』、シベリウス:『悲しきワルツ』(Disc65)、リスト:前奏曲、ハンガリー狂詩曲第2・3番(Disc64)、ハチャトゥリアン:『ガイーヌ』(Disc33)、チャイコフスキー:交響曲第4番、第6番(Disc39-40)、エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1・2番(Disc66)、ワーグナー:『マイスタージンガー』『パルジファル』『ローエングリン』より(Disc42)、バルトーク:2台ピアノと打楽器のためのソナタ(Disc45)、バルトーク:弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(Disc58)、ベートーヴェン:『ウェリントンの勝利』(Disc55)ロンドン響
●7月、チャイコフスキー:組曲『くるみ割り人形』ロンドン響(Disc36)
●8月、ワーグナー:『さまよえるオランダ人』序曲 コヴェントガーデン王立歌劇場管(Disc75)

1961年(55歳)
●5月、ウィーン交響楽団とシェーンベルクの『グレの歌』を演奏。
●6月、チャイコフスキー:交響曲第5番(Disc39-40)、ベルク:組曲『ルル』(Disc69)、コープランド:『アパラチアの春』、『ビリー・ア・キッド』(Disc65) ロンドン響
●9月、フランス国立放送フィルに客演。
●ウィーン国立歌劇場で『オテロ』、『フィデリオ』、『ばらの騎士』、『さまよえるオランダ人』を指揮。

1962年(56歳)
●BBC交響楽団首席指揮者就任。1966年まで在任。
●コヴェントガーデン王立歌劇場で、リムスキー=コルサコフの『金鶏』を指揮。
●7月、シェーンベルク:管弦楽のための5つの小品、ウェーベルン:管弦楽のための5つの小品、ベルク:管弦楽のための、3つの小品(Disc69)、バルトーク:管弦楽のための協奏曲(Disc44)、ベートーヴェン:『献堂式』『プロメテウスの創造物』『エグモント』『レオノーレ』序曲第3番(Disc55)、ベートーヴェン:交響曲第5番、第6番(Disc56) ロンドン響
●12月、ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』ニュー・フィルハーモニア管(Disc60)

BBC交響楽団
1962年から1966年まで在任。1950年から1957年まで首席指揮者を務めたマルコム・サージェント[1895-1967]は、プロムスで優秀な興行成績をあげながらも、楽員と対立したため契約が更新されませんでした。後任で1957年から1962年まで指揮したオーストリア生まれのルドルフ・シュヴァルツ[1905-1994]は、興行成績を3割近く落としてしまい、さらに1959年に着任したBBC幹部で音楽部門責任者のウィリアム・グロック[1908-2000]と衝突して契約の更新はおこなわれませんでした。
 楽団の水準が戦前の状態に戻っていないことを危惧したグロックは、新しい首席指揮者としてオーケストラ・ビルダーと評判のドラティと契約。ドラティは楽団を鍛えるだけでなく、放送番組とプロムスに偏っていた活動内容を、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの演奏会を増やすことで士気を高め、また、グロックは経営陣を説得して予算を拡大、クラリネットのジャック・ブライマーやオーボエのテレンス・マクドナーといった優秀な首席奏者を確保するなどの対策も打ち出し、ドラティ/グロック体制は軌道に乗り、1965年にはアメリカ・ツアーもおこなって成功を収めていました。
 任期中の最後の演奏会では、ドラティ自作の『5楽章の交響曲』と『マドリガル組曲』もとりあげています。


1963年(57歳)
●4月、ロンドン交響楽団と共に初来日。パーセル:弦楽の為の組曲、ヘンデル『水上の音楽』組曲、ボイス:交響曲第5番、モーツァルト:交響曲第40番、ベートーヴェン:交響曲第3番、第5番、ブラームス:交響曲第2番、チャイコフスキー:交響曲第4番、バルトーク:管弦楽のための協奏曲を演奏。
●7月、リスト:ハンガリー狂詩曲第1・4・5・6番(Disc64)、ドヴォルザーク:交響曲第7番(Disc50)、ブラームス:交響曲第3番(Disc46)、ブラームス:交響曲第4番(Disc47)、ベートーヴェン:交響曲第7番(Disc57) ロンドン響
●7月、イスラエル・フィルとマーラーの交響曲第6番を演奏。CD化済み。
●コヴェントガーデン王立歌劇場で、『ばらの騎士』を指揮。

1964年(58歳)
●6月、バルトーク:『かかし王子』(Disc58)、ストラヴィンスキー:『花火』、『ロシア風スケルツォ』、『ナイチンゲールの歌』(Disc68)ロンドン響
●7月、ストラヴィンスキー:タンゴ ロンドン響(Disc68)
●7月、バルトーク:『中国の不思議な役人』、管弦楽のためのディヴェルティメント BBC交響楽団(Disc45)
●BBC交響楽団とジェラルドの交響曲第1番、『ドン・キホーテ』組曲を録音。

1965年(59歳)
●4月、BBC交響楽団とアメリカ・ツアー実施。
●7月、チャイコフスキー:交響曲第1番、チャイコフスキー:交響曲第2番、チャイコフスキー:交響曲第3番、ブラームス:ハンガリー舞曲集、ロンドン響
●8月、サティ:パラード、ミヨー:屋根の上の牡牛、オーリック:序曲 ロンドン響(Disc75)
●8月、モーツァルト:3つのドイツ舞曲、行進曲、交響曲第51番、メヌエット 祝祭室内管(Disc53)

1966年(60歳)
●ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者に就任し、1974年まで在任。就任から間もなく、ヨーロッパ・ツアーをおこないます。
●3月、プロコフィエフ:『ピーターと狼』、ブリテン:『青少年のための管弦楽入門』ロイヤル・フィル(Disc66)
●8月、チャイコフスキー:組曲第1番、第2番(Disc48)、第3番、第4番 ニュー・フィルハーモニア管(Disc49)
●12月、J.シュトラウス II:美しき青きドナウ、ウィーンの森の物語、春の声、芸術家の生活、ワイン、女そして歌 ロンドン響(Disc72)
●ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とドヴォルザークの交響曲第9番を録音。

ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
1966年から1974年まで在任。ハンス・シュミット=イッセルシュテット[1900-1973]の後任。ドラティが最初にストックホルム・フィルを指揮したのは1953年のベルワルドの交響曲第1番などをとりあげていました。
 シュミット=イッセルシュテットのもとで、楽団の水準が良い状態に保たれていたこともあり、就任から間もなく、ドラティは楽団とパリやリューベックを回るヨーロッパ・ツアーをおこないます。
 1968年にはストックホルム・フィル初となるアメリカ・ツアーも実施。
 翌1969年には、プラハ、東ベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなどを回る東ヨーロッパツアーを実施。
 翌1970年には、第2回アメリカ・ツアーを実施。同年にはエディンバラ音楽祭にも出演し、合唱団も同行させてドヴォルザークのレクィエムを演奏しています。
 1973年にはハンブルクやウィーンを回るツアーを実施、シベリウスの交響曲第2番や、ルーマンのドロットニングホルムの音楽、バルトークの管弦楽のための協奏曲などを披露しています。
 ドラティのストックホルム・フィルでの活躍は目覚ましく、アラン・ペッテションの交響曲第7番と第8番やヘルマンソンの交響曲第1番の初演をはじめ、自作も含む20世紀作品を数多く取り上げたほか、ルーマンなどスウェーデンのバロック作品までカヴァー、8年間で約250回の演奏会を指揮しており、退任後も客演を繰り返して、生涯の共演回数は計320回に及んでいました。また、亡くなる直前にもアラン・ペッテションとブラームスの交響曲を録音する計画がありましたが、体調の悪化により実現していません。


1967年(61歳)
●10月、シベリウス:交響曲第2番、ベルワルド:交響曲第2番 ストックホルム・フィル

1968年(62歳)
●バーゼル交響楽団に客演。
●7月、ラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団を指揮。

1969年(63歳)
●ロンドン交響楽団とシベリウス交響詩集をEMIに録音。
●ハイドン交響曲全集をデッカに録音開始。1972年まで。
膨大なハイドンの交響曲を、比較的短期間のうちに全集にまとめあげた歴史的力作。収録時期が近いため、作風の時系列的変遷や、グループ別の比較など容易に行なえるのが特徴で、全曲揃って高水準な演奏もあって、その資料的・音楽的価値はまさに絶大。
指揮者のアンタル・ドラティ[1906-1988]は、ハンガリーの生んだ名指揮者で、2006年に生誕100周年を迎えたということで記念盤もリリース、再び注目を集めています。そのオーケストラ・ビルダーとしての実力はいまだに評価が高く、このハイドン全集はじめ、師のバルトークやコダーイの作品のほか、ストラヴィンスキー、チャイコフスキー、ワーグナーからペッテションにいたるまで、多くの作品で辣腕ぶりを発揮していました。ハイドンでは交響曲の成功を受けて、CD20枚(Vol.1、Vol.2)に及ぶオペラの大量録音もおこなっており、この作曲家の権威としての存在感を強く示して圧倒的です。

1970年(歳)
●ワシントン・ナショナル交響楽団音楽監督就任。1977年まで在任。
●ストックホルム・フィルとバルトーク:『中国の不思議な役人』組曲、ステンハンマルのセレナーデを演奏。CD化済み。

ワシントン・ナショナル交響楽団
1970年から1977年まで在任。ハワード・ミッチェル[1911-1988 在任:1949-1970]の後任。ワシントン・ナショナル交響楽団は、大恐慌時代の1931年に設立。当時、アメリカの主要都市にはそれぞれ立派なオーケストラがあったにも関わらず、首都ワシントンはまだだったというところに着目した元フィラデルフィア管弦楽団のチェロ奏者で、たまに指揮もしていたオランダ人のハンス・キンドラー[1892-1949 在任:1931-1949]が設立を呼びかけて結成。
 戦前・戦中の愛国ムードの中、数々の国家行事などでの演奏も任されるようになって、順調なスタートでしたが、戦後、平時になるとキンドラーの健康状態の悪化と共にオーケストラの運営状態も悪化、キンドラーが亡くなると同楽団でチェロを弾いていたミッチェルが指揮者となり、なんとか演奏活動を継続という状態でした。
 ドラティが音楽監督に就任した時には、運営状態は悪く破産の可能性も孕んでおり、賃金の支払いを巡って楽員のストライキなども発生しているという状態でした。
 ドラティはまずオーケストラを鍛え上げて、通常のコンサートの水準を大幅に引き揚げ、さらに当時すでに懇意だったデッカと契約してレコーディングも開始、合唱を含む20世紀音楽の大作も含めたリリースを重ね、レコーディング収入も獲得、演奏会収入も上向きとなり、オーケストラの財政的な危機は回避されます。
 しかし1975年3月、前年にソ連から亡命してきたチェロ奏者のロストロポーヴィチが指揮者として客演、冷戦時代の首都での演奏会ということもあって大きな話題となり成功を収めると、楽団側は3週間後にはロストロポーヴィチを次期音楽監督にすることに決定。
 ドラティの契約任期は1980年まででしたが、1974年にドラティがロイヤル・フィルの音楽監督を兼務し始めたことや、デトロイト交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、ローザンヌ室内管など客演が増えたこともあってか、楽団側はドラティの退任時期を3年間早めることとし、ロストロポーヴィチの着任を1977年としています。


1971年(65歳)
●オーストリア生まれのスイス人ピアニスト、イルゼ・フォン・アルペンハイム[1927- ]と結婚。ハイドン作品のエキスパートで、ドラティとはたびたび共演していました。

1972年(66歳)
●バーゼル交響楽団に客演。
●1月、ストックホルム・フィルと自作の交響曲第1番を演奏。CD化済み。
●4月、ワシントン・ナショナル交響楽団とメシアン『我らの主イエス・キリストの変容』を録音。作風はメシアン最大規模の作品にふさわしい凝ったもので、「鳥の声」の概念が多面的に取り込まれるほか、ギリシャやインドといった異国趣味、複雑極まりないリズム、対位法、過激なまでの大音響、美しいチェロのソロや、合唱による崇高なコラールなど、数多くの要素がモザイク的にせめぎあって、圧倒的な感銘を与えてくれます。
●5月、ワシントン・ナショナル交響楽団とチャイコフスキー交響曲第4番を録音。

1973年(67歳)
●4月、ワシントン・ナショナル交響楽団と、チャイコフスキーの『地方長官』、『フランチェスカ・ダ・リミニ』、『ハムレット』を録音。
●5月、ワシントン・ナショナル交響楽団と、ファリャ以降、スペイン最大の作曲家といわれるロベルト・ジェラルド[1896-1970]の『ペスト』を録音。カミュの『ペスト』をもとにした合唱を伴う音楽劇的作品で、死神的な世界を展開。シェーンベルクの薫陶を受けながらも、カタルーニャの音楽を常に意識し続けた作曲家で、ここでもおそろしい音楽描写にぞっとさせられます。
●6月、プロコフィエフ『キージェ中尉』組曲をオランダ放送フィルと録音。
●9月、フィルハーモニア・フンガリカとコダーイの管弦楽作品全集を録音。

1974年(68歳)
●1月、クリーヴランド管弦楽団とチャイコフスキーの交響曲第5番、バルトークの管弦楽のための協奏曲など演奏。
●4月、ワシントン・ナショナル交響楽団とイタリアの作曲家ルイジ・ダラピッコラ[1904-1975]の45分ほどの短いオペラ『囚われ人』を録音。ヴェルディの『ドン・カルロ』でもおなじみのスペイン国王フェリペによるプロテスタントなどの弾圧を描いた作品。
 ダラピッコラはオペラ『囚われ人』に、自身で体験した第2次世界大戦時のファシズムとその横暴を重ねて描いているとも言われており、大規模なオーケストラ、オルガン、合唱、舞台裏で鳴らされる鐘のグループなどと独唱者たちが織り成す音響には凄みがあり、特にこのドラティ指揮によるデッカ録音の音質の良さは、作品の魅力を初めて明らかにしたと絶賛されたものでした。
●10月、ワシントン・ナショナル交響楽団とマーラーの交響曲第6番を演奏。
●11月、ワシントン・ナショナル交響楽団とドヴォルザーク:レクィエムを演奏。
●ワシントン・ナショナル交響楽団と、チャイコフスキーの『ロメオとジュリエット』を録音。

1975年(69歳)
●2月、ワシントン・ナショナル交響楽団とベルリオーズ『幻想交響曲』、ラヴェル:ピアノ協奏曲をニューヨークで演奏。
●3月、デトロイト交響楽団とベートーヴェン:交響曲第6番を演奏。
●4月、ワシントン・ナショナル交響楽団と『喜びあれ、アメリカ!〜アメリカ建国200年記念アルバム』、ドビュッシー『夜想曲』、『イベリア』、ワーグナー『ニーベルングの指環』管弦楽曲集を録音。
●4月、ワシントン・ナショナル交響楽団とバルトーク:管弦楽のための協奏曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ほかを演奏。
●5月、ワシントン・ナショナル交響楽団と、自作のピアノ協奏曲を初演。独奏は1971年に結婚したイルゼ・アルペンハイム。
●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者就任。1979年まで在任。
●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と翌年にかけて英ポリドールにベートーヴェンの交響曲を全曲録音。プロデュースはブライアン・カルヴァーハウス。同じくポリグラム傘下のドイツ・グラモフォンやコントゥアー、メトロノーム、マーキュリーなどからも廉価発売。
●コンセルトヘボウ管弦楽団と『くるみ割り人形』を録音。
●ローザンヌ室内管弦楽団とハイドンのオペラ・シリーズ(全8曲)の録音開始(1980年まで)。

ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
1975年から1979年まで在任。ルドルフ・ケンペ[1910-1976]の後任として、1975年に4年契約で音楽監督に就任。ビーチャム[1879-1961]が創設した「ロイヤル・フィル」は、ビーチャム亡きあと、ケンペの時代に財政難に陥り、主要な奏者が退団するなどして演奏水準が低下、ケンペも1963年に解任されていますが、1966年には財政のめどが立ち、再びケンペを首席指揮者として契約。
 しかし、ケンペは、1965年にチューリッヒ・トーンハレ管と首席指揮者契約を結び(1972年まで)、1967年にはミュンヘン・フィルとも首席指揮者契約を結んでおり(1976年に死去するまで継続)、ロイヤル・フィル首席指揮者とはいえ全力投球というわけにはいかない事情もありました。
 ということで、その間にオーケストラの実力はさらに落ちてしまい、ドラティが首席指揮者を引き継いだ時には士気もかなり低い状態にありました。
 しかしドラティは諦めず、厳しい指導によって楽員のスキルを高めて合奏精度も上げ、レコーディングの仕事ももたらしました。
 ロイヤル・フィルとは、英ポリドールにベートーヴェンの交響曲全集、英ASVにストラヴィンスキー『火の鳥』、英デッカにオルフのカルミナ・ブラーナ、ハイドン:オラトリオ『天地創造』『四季』『トビアの帰還』、プロコフィエフ『ピーターと狼』を録音しています。
 なお、音楽監督は1979年までの契約でしたが、ドラティはその後も客演を続け、1988年、亡くなる半年前にも『ミサ・ソレムニス』を指揮するなど関係は良好でした。


1976年(70歳)
●10月、ワシントン・ナショナル交響楽団と、ロージャ:『トリパルティータ』、管弦楽のための協奏曲第2番、ケイ:『ウェスタン・パラダイス』、ウィリアム・シューマン:交響曲第10番『アメリカン・ミューズ』、ベートーヴェン:交響曲第8番ほかを演奏。
●10月、ワシントン・ナショナル交響楽団と、自作の『ディヴェルティメント』を初演。
●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とオルフのカルミナ・ブラーナ、ハイドン:オラトリオ『天地創造』『トビアの帰還』、レスピーギ:バレエ音楽『風変わりな店』『ロッシニアーナ』を録音。
●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とウォルトン:『ベルシャザールの饗宴』を演奏。

1977年(71歳)
●ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ハイドン:オラトリオ『四季』を演奏&録音。
●デトロイト交響楽団音楽監督就任。1981年まで在任。
●3月、デトロイト交響楽団とR,シュトラウス:『英雄の生涯』、『ブルレスケ』を演奏。
●11月、デトロイト交響楽団とベートーヴェン・フェスティヴァル開催。

デトロイト交響楽団
1977年から1981年まで在任。デトロイト交響楽団は、ポール・パレー[1886-1979、在任期間:1951−1962]の築いた黄金時代のあと、シクステン・エールリング[1918-2005、在任期間:1963-1973]、アルド・チェッカート[1934- 在任期間:1973-1977]の時代は、デトロイトの街の衰退に合わせるかのようにチケット売上も減少し、レコーディングの機会も無くなるなど低迷が続いていました。
 しかしドラティはいつものように厳しいトレーニングで演奏水準を全盛期のレヴェルにまで回復すると、オーケストラの起死回生のプランとして、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏の様子を撮影して、アメリカの公共放送ネットワークであるPBSチャンネルで放映する計画を立てます。そのために、フォード自動車から325,000ドルの助成金を獲得することにも成功し、1978年に順調なスタートを切ることになります。
 当時ハイドン・シリーズの好調なセールスなどで親しい関係にあったデッカは、デトロイト交響楽団とのレコーディングにも乗り出し、1978年4月には、ドラティの名を一躍有名にした縁起の良い作品『1812年』を録音します。エンディングにはフィラデルフィアの自由の鐘と、ワシントンの国立大聖堂の鐘、および南北戦争で使われたカノン砲が用いられるなど話題性も抜群の録音でした。
 もっとも、ドラティの指揮そのものは20年を経たこともあってか、巨匠風な落ち着いたものとなっており、ヨーロピアンな洗練と重厚さといったサウンドで、ミネアポリス盤とは別な境地を描き出しています。
 ドラティは以後もデトロイト交響楽団とデッカへの録音を続け、シマノフスキ、ドヴォルザーク、コープランド、ストラヴィンスキー、バルトーク、リヒャルト・シュトラウス、グローフェ、リスト、ラヴェル等々、落ち着いた演奏スタイルによって数多くの優秀録音盤を生み出しています。


1978年(72歳)
●3月、デトロイト交響楽団とコダーイ:『ハーリ・ヤーノシュ』、プロコフィエフ:交響的協奏曲を演奏。
●5月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの交響曲第9番、『オリーヴ山上のキリスト』を演奏。

1979年(73歳)
●1月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』を演奏。
●12月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ハイドン:オラトリオ『トビアの帰還』を演奏&録音。

1980年(74歳)
●6月、デトロイト交響楽団と『死と変容』を録音。
●12月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、マーラーの交響曲第3番を演奏。

1981年(75歳)
●7月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏。

1982年(76歳)
●1月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏。
●3月、読売日本交響楽団に客演。マーラー:交響曲第1番、バルトーク:『中国の不思議な役人』組曲、ハイドン:交響曲第104番、『無人島』序曲、夫人アルペンハイムのソロによるハイドン:ピアノ協奏曲、ブラームスのハイドン変奏曲を演奏。ハイドン変奏曲はマーキュリーのロンドン響盤は17分36秒でしたが、ここでは19分55秒かけてじっくりやっています。
●5月、ウィーン・フィルとハイドンの『天地創造』を演奏。
●10月、デトロイト交響楽団と『ツァラトゥストラ』『マクベス』を録音。
●12月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、コダーイの『ハーリ・ヤーノシュ』『ハンガリー詩篇』『ブダヴァリ・テ・デウム』を演奏。

1983年(77歳)
●イギリス女王エリザベス2世よりナイトの称号(KBE)を授与。ただしイギリス人ではないので、使用する場合は「サー・アンタル・ドラティ」ではなく「アンタル・ドラティKBE」という形になります。
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集をロイヤル・フィルと録音。
●11月、デトロイト交響楽団と『中国の不思議な役人』を『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 』録音。

1984年(78歳)
●バーゼル交響楽団「コンダクター・イン・レジデンス」に就任。1987年まで在任。17の演奏会を指揮しています。
●5月、ベルリン・ドイツ交響楽団に客演。マーラーの交響曲第9番を指揮。CD化済み。
●7月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、エルガーの『ゲロンティアスの夢』を演奏。
●ワシントン大聖堂でヘンデル:『メサイア』を指揮。スミソニアン・コンチェルト・グロッソほかとの演奏。CD化済み。


1985年(79歳)
●デトロイト交響楽団からの委嘱で交響曲第2番『平和の訴え』を作曲。初演は翌年4月24日にギュンター・ヘルビヒ指揮デトロイト交響楽団によっておこなわれています。

1986年(80歳)
●1月、バーゼル交響楽団と、ホリガーの委嘱による『トリッティコ』を初演。
●4月9日、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏。ドラティ80歳記念バースデイ・コンサート。
●5月、コンセルトヘボウ管弦楽団と自作の交響曲第2番『平和の訴え』をヨーロッパ初演。


1988年(82歳)
■3月、ゴルバチョフによる新ベオグラード宣言。
●5月、ストックホルム・フィルと自作の交響曲第2番『平和の訴え』を録音。
●5月、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』を演奏。ブライトン・フェスティヴァルでのドーム・コンサート。
●7月、折からの東欧革命を受けて世界平和を祈念し、29カ国の音楽家で結成したヨーロッパ交響楽団を指揮してベートーヴェンのミサ・ソレムニスをベルリン、ロンドン、モスクワ、ドレスデンで演奏。ベルリン公演CD化&ドレスデン公演DVD化済み。
●ストックホルム・フィルとブラームスとアラン・ペッテションの交響曲のレコーディング・プロジェクト。
●11月13日癌のためスイスのゲルツェンゼーの自宅で死去。


【収録情報】



Disc1
●ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.23-24, 1953

●ベルリオーズ:序曲『ローマの謝肉祭』, Op.9
ミネアポリス交響楽団
録音: Jan.19-20, 1952

Disc2
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.46
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.72
ミネアポリス交響楽団
録音: April 1958, Stereo

Disc3
●R.シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 Op.28
●R.シュトラウス:『ばらの騎士』組曲 Op.59, TrV 227
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.22, 1955, Stereo

●R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』 Op.20, TrV 156
●R.シュトラウス:交響詩『死と変容』 Op.24, TrV 158
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.23, 1958, Stereo

Disc4-5
●チャイコフスキー:バレエ音楽『白鳥の湖』 Op.20 (全曲)
ラファエル・ドルイアン(ソロ・ヴァイオリン)
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.14-15, 1954

Disc6-7
●チャイコフスキー:バレエ音楽『眠れる森の美女』 Op.66 (全曲)
ラファエル・ドルイアン(ソロ・ヴァイオリン)
ミネアポリス交響楽団
録音: April 10-11, 1955

Disc8
●チャイコフスキー:バレエ音楽『くるみ割り人形』 Op.71 (全曲)
University of Minnesota Chamber Singers
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.12-14, 1953

Disc9
●ラヴェル:バレエ音楽『ダフニスとクロエ』(全曲)
Macalester College Choir of St.Paul (Ian Morton director)
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.4, 1954

Disc10
●バルトーク:管弦楽のための組曲第2番 Op.4 Sz.34
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.26, 1955, Stereo

●コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』
●バルトーク:ルーマニア民謡舞曲
●バルトーク:ハンガリーの風景 Sz.97
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.17, 1956, Stereo

Disc11
●コープランド:交響曲第3番
ミネアポリス交響楽団
録音: Feb.5-7, 1953

●コープランド:組曲『ロデオ』
●コープランド:キューバ舞曲
●コープランド:エル・サロン・メヒコ
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.20, 1957, Stereo

Disc12
●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 Op.55『英雄』*
ミネアポリス交響楽団
録音: March 9, 1957, Stereo

●レスピーギ:『教会のステンドグラス』
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.20, 1954

Disc13
●ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67
●ベートーヴェン:『エグモント』序曲 Op.84
●ベートーヴェン:『コリオラン』序曲 Op.62
●ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b
ミネアポリス交響楽団
録音: Feb.5-7, 1953

Disc14
●ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 Op.60
●ベートーヴェン:交響曲第8番へ長調 Op.93
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.26, 1955

Disc15
●コダーイ:組曲『ハーリ・ヤーノシュ』
●コダーイ:弦楽のためのディヴェルティメント
ミネアポリス交響楽団
録音: April 19, 1950

●ストラヴィンスキー:バレエ組曲『火の鳥』(1919年版)
ミネアポリス交響楽団
録音: Jan.20-21, 1952


Disc16
●レスピーギ:『ローマの噴水』 P.106
●レスピーギ:『ローマの松』P.141
ミネアポリス交響楽団
録音: April 19, 1960, Stereo

●レスピーギ:『ローマの祭り』
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.20, 1954

Disc17-18
●ドリーブ:バレエ音楽『コッペリア』(全曲)
ラファエル・ドルイアン(ヴァイオリン)
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.1957, Stereo

●ストラヴィンスキー:春の祭典
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.12-14, 1953

Disc19
●ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
ミネアポリス交響楽団
録音: April 21, 1959, Stereo

●プロコフィエフ:交響曲第5番変ロ長調 Op.100
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.14, 1959, Stereo

Disc20
●J.シュトラウスII:春の声 Op.410
●J.シュトラウスII:ウィーンのボンボン Op.307
●J.シュトラウスII:シャンパン・ポルカ Op.211
●J.シュトラウスII:芸術家の生活 Op.316
●J.シュトラウスII:南国のバラ Op.388
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.17, 1956

●R.シュトラウス:交響詩『英雄の生涯』, Op.40
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.12-14, 1952

Disc21
●ストラヴィンスキー:『ペトルーシュカ』 [1947年版]
ミネアポリス交響楽団
録音: April 4, 1959, Stereo

●ストラヴィンスキー:『春の祭典』
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.15, 1959, Stereo

Disc22
●チャイコフスキー:幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』 Op.32
●チャイコフスキー:スラヴ行進曲 Op.31
●チャイコフスキー:『エフゲニー・オネーギン』〜ワルツ
●チャイコフスキー:『エフゲニー・オネーギン』〜ポロネーズ
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.22, 1958, Stereo

●チャイコフスキー:イタリア奇想曲 Op.45
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.22, 1955

●チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』
ロンドン交響楽団
録音: June 20, 1959, Stereo

Disc23
●チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 Op.64
ミネアポリス交響楽団
録音: April 27-29, 1957

●チャイコフスキー:序曲『1812』 Op.49
Bronze Cannon (1761), Starsbourg, France, courtesy of U.S.Military Academy, West Point, N.Y.
Bells of Harkness Memorial Tower, Yale University
ミネソタ大学ブラス・バンド
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.4, 1954

Disc24
●J.シュトラウス II:バレエ組曲『卒業記念舞踏会』(編曲.ドラティ)
●オッフェンバック:パリの喜び (編曲.マニュエル・ロザンタル)
ミネアポリス交響楽団
録音: April 20, 1957, Stereo

●J.シュトラウス II:春の声 Op.410
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.18, 1956, Stereo

Disc25
●ロッシ―ニ:序曲『泥棒かささぎ』
●ロッシ―ニ:序曲『絹のはしご』
●ロッシ―ニ:序曲『チェネレントラ』
●ロッシ―ニ:序曲『セビリアの理髪師』
●ロッシ―ニ:序曲『アルジェのイタリア女』
●ロッシ―ニ:序曲『ブルスキーノ氏』
ミネアポリス交響楽団
録音: March 10, 1957, Stereo

●スメタナ:『売られた花嫁』抜粋
ミネアポリス交響楽団
録音: April 6, 1958, Stereo

Disc26
●リムスキー・コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』 Op.35
ラファエル・ドルイアン(ソロ・ヴァイオリン)
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.22, 1958, Stereo

●ボロディン:交響曲第2番ロ短調
ミネアポリス交響楽団
録音: Jan.20-21, 1952

Disc27
●ガーシュイン:『パリのアメリカ人』
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.20, 1957, Stereo

●ヒナステラ:協奏的変奏曲 Op.23
●ブリテン:『青少年のための管弦楽入門』 Op.34
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.20, 1954

Disc28
●ガンサー・シュラー:ポール・クレーの絵画による7つの練習曲
ミネアポリス交響楽団
録音: April 16-17, 1960, Stereo

●ブロッホ:シンフォニア・ブレーヴァ
●フェトラー:管弦楽のための協奏曲
ミネアポリス交響楽団
録音: April 17, 1960, Stereo

Disc29
●メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調 Op.90『イタリア』
●モーツァルト:交響曲第40番ト短調 KV 550
ミネアポリス交響楽団
録音: April 1952

Disc30
●アルベニス:『イベリア』
●ファリャ:『はかなき人生』より間奏曲と舞曲第1番
●ムソルグスキー:歌劇『ホーヴァンシチナ』より前奏曲
●ムソルグスキー:歌劇『ホーヴァンシチナ』よりペルシャの奴隷の踊り前奏曲
ミネアポリス交響楽団
録音: April 21, 1957, Stereo

●ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ『水彩画』 Op.258
●エドゥアルト・シュトラウス:『ドクトリン』 Op.79
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.18, 1958, Stereo

Disc31
●ブラームス:交響曲第2番ニ長調 Op.73
ミネアポリス交響楽団
録音: Dec.12, 1957, Stereo

●ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a
ロンドン交響楽団
録音: July 6-9, 1957, Stereo

Disc32
●ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 Op.90
ミネアポリス交響楽団
録音: Oct.27, 1955

●ブラームス:大学祝典序曲 Op.80
ミネアポリス交響楽団
録音: Nov.27, 1955

●ブラームス:悲劇的序曲 Op.81
ミネアポリス交響楽団
録音: April 6, 1955

●ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ M.19
●ラヴェル:道化師の朝の歌
ミネアポリス交響楽団
録音: Jan.19-20, 1952

Disc33
●メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調 Op.56『スコットランド』
●メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』 Op.26
ロンドン交響楽団
録音: July 3-5, 1956, Stereo

●ハチャトゥリアン:組曲『ガイーヌ』
ロンドン交響楽団
録音: June 15 & 17, 1960, Stereo

Disc34
●コダーイ:ハンガリー民謡『孔雀』による変奏曲
●バルトーク:中国の不思議な役人 Sz.73
シカゴ交響楽団
録音: Jan.8-9, 1954

●コダーイ:ガランタ舞曲
●コダーイ:マロシュセーク舞曲
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 2, 1958, Stereo

Disc35
●リムスキー・コルサコフ:組曲『金鶏』
ロンドン交響楽団
録音: July 5, 1956, Stereo

●リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34
●リムスキー・コルサコフ:『ロシアの復活祭』序曲 Op.36
ロンドン交響楽団
録音: June 6, 1959, Stereo

●ボロディン:歌劇『イーゴリ公』より『だったん人の踊り』*
ロンドン交響合唱団
ロンドン交響楽団
録音: July 4, 1956, Stereo

Disc36
●チャイコフスキー:組曲『くるみ割り人形』 Op.71
ロンドン交響楽団&合唱団
録音: July 11-13, 1962, Stereo

Disc37
●チャイコフスキー:交響曲第1番ト短調 Op.13『冬の日の幻想』
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

●チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調 Op.17 『小ロシア』
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

Disc38
●チャイコフスキー:交響曲第3番ニ長調 Op.29『ポーランド』
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

●チャイコフスキー:弦楽のためのセレナーデ ハ長調 Op.48*
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 5, 1958, Stereo

Disc39-40
●チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36
ロンドン交響楽団
録音: June 12, 1960, Stereo

●チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 Op.64
ロンドン交響楽団
録音: June 23, 1961, Stereo

●チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調, Op.74『悲愴』
ロンドン交響楽団
録音: June 17-18, 1960, Stereo

●アレンスキー:チャイコフスキーの主題による変奏曲 Op.35a
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 8, 1958, Stereo

Disc41
●スメタナ:『わが祖国』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.1956

Disc42
●ワーグナー:『ニュルンベクのマイスタージンガー』〜第1幕への前奏曲
●ワーグナー:『パルジファル』〜聖金曜日の音楽
●ワーグナー:『ローエングリン』〜第1幕への前奏曲
●ワーグナー:『ローエングリン』〜第3幕への前奏曲
●ワーグナー:『タンホイザー』〜序曲とヴェーヌスベルク音楽
●ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』〜前奏曲と愛の死
ロンドン交響楽団
録音: June 4, 1960, Stereo (1-3); June 9 & 14, 1959, Stereo (4-6)

Disc43
●J.シュトラウス:バレエ音楽『美しき青きドナウ』
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: July 1937

●ダルゴムイシスキー:奴隷とジプシーの踊り
●デランジェ:『100回のキス』組曲
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: Sep.27, 1937

●シャブリエ:バレエ音楽『コティヨン』
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: Aug.9, 1938

●ストラヴィンスキー:バレエ音楽『妖精の口づけ』
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: Sep.27, 1937

Disc44
●バルトーク:舞踏組曲 Sz.77
●バルトーク:2つの肖像 Sz.37
●バルトーク:ミクロコスモスから2つの抜粋
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 10-11, 1958, Stereo

●バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116
ロンドン交響楽団
録音: July 3, 1962, Stereo

Disc45
●バルトーク:『中国の不思議な役人』Sz.73
●バルトーク:管弦楽のためのディヴェルティメント Sz.113
BBC交響楽団&合唱団
録音: July 8-9, 1964, Stereo

●バルトーク:2台のピアノと打楽器のためのソナタ Sz.110
ゲザ・フリード、ルクトール・ポンセ(ピアノ)
ロンドン交響楽団員
録音: June 6, 1960, Stereo

Disc46
●ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op.68
ロンドン交響楽団
録音: June 16 & 18, 1959, Stereo

●ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 Op.90
ロンドン交響楽団
録音: July 13, 14 & 16, 1963, Stereo

Disc47
●ブラームス:交響曲第4番ホ短調 Op.98
ロンドン交響楽団
録音: July 11 & 13, 1963, Stereo

●ブラームス:ハンガリー舞曲集 WoO 1
(5・6・7・21・11・2・1)
ロンドン交響楽団
録音: July 6-9, 1957 Stereo

●ブラームス:ハンガリー舞曲集 WoO 1
(10・3・18・17・19・20・12・15・4)
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

Disc48
●チャイコフスキー:管弦楽のための組曲第1番ニ短調 Op.43
●チャイコフスキー:管弦楽のための組曲第2番ハ長調 Op.53
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音: Stereo

Disc49
●チャイコフスキー:管弦楽のための組曲第3番ト長調 Op.55
●チャイコフスキー:管弦楽のための組曲第4番ト長調 Op.61『モーツァルティアーナ』
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音: Stereo

Disc50
●ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調 Op.70
ロンドン交響楽団
録音: July 17-18, 1963, Stereo

●ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 Op.88
ロンドン交響楽団
録音: July 19-20, 1959, Stereo

Disc51
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.1959

●ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第1番
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.15, 1956

●ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第2番
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Oct.22, 1957

●ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第3番
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
Oct.6-8, 1952

Disc52
●チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 Op.36
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.10-11, 1956

●ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』(編曲.ラヴェル)
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Feb.21-22, 1952

Disc53
●モーツァルト:交響曲第36番ハ長調KV 425『リンツ』
●モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調 KV 525『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』
ロンドン交響楽団
録音: July 6, 1956, Stereo

●モーツァルト:3つのドイツ舞曲 KV 605
●モーツァルト:行進曲第1番ニ長調 KV 335 (320a)
●モーツァルト:交響曲第51番ニ長調 KV 121〜アレグロ
●モーツァルト:行進曲 ニ長調 KV 249
●モーツァルト:メヌエット ハ長調 KV 409 (383f)
祝祭室内管弦楽団
録音: Stereo

Disc54
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
ウィーン交響楽団
録音: Sep.20-26, 1958, Stereo

●メンデルスゾーン:劇付随音楽『真夏の夜の夢』
ウィーン交響楽団
録音: Oct.14-18, 1957

Disc55
●ベートーヴェン:『ウェリントンの勝利』(戦争交響曲) Op.91
ロンドン交響楽団
録音: June 9, 1960, Stereo

●ベートーヴェン:『献堂式』序曲 Op.124
ロンドン交響楽団
録音: July 16, 1962, Stereo

●ベートーヴェン:『プロメテウスの創造物』序曲 Op.43
ロンドン交響楽団
録音: July, 1962, Stereo

●ベートーヴェン:『エグモント』序曲 Op.84
ロンドン交響楽団
録音: July 23, 1962, Stereo

●ベートーヴェン:『レオノーレ』序曲第3番 Op.72b
ロンドン交響楽団
録音: June 7 & 9, 1962, Stereo

Disc56
●ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67
●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調 Op.68『田園』
ロンドン交響楽団
録音: July 1962, Stereo

Disc57
●ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
ロンドン交響楽団
録音: July 9 &10, 1963, Stereo

●レスピーギ:管弦楽組曲『鳥』
●レスピーギ:組曲『ブラジルの印象』
ロンドン交響楽団
録音: July 7, 10, 1957, Stereo

Disc58
●バルトーク:バレエ音楽『かかし王子』 Op.13 Sz.60
ロンドン交響楽団
録音: June 24-25, 1964, Stereo

●バルトーク:弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
ロンドン交響楽団
録音: June 5-6, 1960, Stereo

Disc59
●チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調, Op.74『悲愴』
ウィーン交響楽団
録音: 1950's

●グリーグ:『ペール・ギュント』組曲第1番 Op.46
●グリーグ:『ペール・ギュント』組曲第2番 Op.55
ウィーン交響楽団
録音: Sep.26-27, 1958, Stereo

Disc60
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
録音: Dec.1962, Stereo

●ヘンデル:水上の音楽 HWV 348-350 (ハーティ版)
●ヘンデル:王宮の花火 HWV 351
ロンドン交響楽団
録音: July 8, 1956, Stereo

Disc61
●プロコフィエフ:組曲『3つのオレンジ色の恋』 Op.33b
●プロコフィエフ:『スキタイ組曲』 Op.20
ロンドン交響楽団
録音: July 4, 1957, Stereo

●ストラヴィンスキー:4つの練習曲
ロンドン交響楽団
録音: July 7, 1964, Stereo

●ボロディン:『イーゴリ公』序曲
ロンドン交響楽団
録音: June 6, 1959, Stereo

●ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』
ロンドン交響楽団
録音: June 8, 1960, Stereo

Disc62
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
録音: Oct.17, 1952

●アンルーイ:『ピート・ヘイン・ラプソディ』
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
録音: Oct.6-8, 1952

●R.シュトラウス:組曲『ばらの騎士』Op.59
フィラデルフィア管弦楽団
録音: July 8, 1950

Disc63
●ヴェルディ:『運命の力』序曲
●ヴェルディ:『ナブッコ』序曲
●ヴェルディ:『シチリア島の夕べの祈り』序曲
●ヴェルディ:『椿姫』〜第1幕への前奏曲
●ヴェルディ:『椿姫』〜第3幕への前奏曲
ロンドン交響楽団
録音: July 7, 1959, Stereo

ウィンナ・ワルツ・パプリカ
●レハール: 『メリー・ウィドウ』〜ワルツ
●カールマン:『ジプシーの女王』〜ワルツ
●ヨゼフ・シュトラウス:『オーストリアの村つばめ』〜ワルツ Op.164
●ドホナーニ: 『ピエレットのヴェール』〜結婚のワルツ
●ワルトトイフェル: スケーターズ・ワルツ Op.183
●ランナー:シェーンブルンの人々 Op.200
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 5 & 9, 1958, Stereo

Disc64
●リスト:前奏曲 S97/R414
ロンドン交響楽団
録音: June 9, 1960, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第1番ヘ短調 S.359-1
ロンドン交響楽団
録音: July 21, 1963, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調 S.359-2
ロンドン交響楽団
録音: June 14, 1960, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第3番ニ長調 S.359-3
ロンドン交響楽団
録音: June 13, 1960, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第4番ニ短調 S.359-4
ロンドン交響楽団
録音: July 20, 1963, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第5番嬰ハ短調 S.359-5 『悲劇的な英雄の詩』
ロンドン交響楽団
録音: July 19, 1963, Stereo

●リスト:ハンガリー狂詩曲第6番ニ長調S.359-6 『ペストの謝肉祭』
ロンドン交響楽団
録音: July 21, 1963, Stereo

Disc65
●コープランド:『アパラチアの春』
●コープランド:組曲『ビリー・ザ・キッド』
ロンドン交響楽団
録音: June 15-16, 1961, Stereo

●スメタナ:『モルダウ』
●シベリウス:『悲しきワルツ』Op.44-1
ロンドン交響楽団
録音: June 9, 1960, Stereo

Disc66
●エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番イ長調 Op.11-1
●エネスコ:ルーマニア狂詩曲第2番ニ長調 Op.11-2
ロンドン交響楽団
録音: June 14, 1960, Stereo

●プロコフィエフ:ピータと狼 Op.67
●ブリテン:『青少年のための管弦楽入門』 Op.34
ショーン・コネリー(語り)
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音: Stereo

Disc67
●レスピーギ:古典的な舞曲とアリア-組曲第1番
●レスピーギ:古典的な舞曲とアリア-組曲第2番
●レスピーギ:古典的な舞曲とアリア-組曲第3番
フィルハーモニア・フンガリカ
録音: June 9-11, 1958, Stereo

●スメタナ:『モルダウ』
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Feb.21, 1952

●メンデルスゾーン:序曲『静かな海と楽しい航海』 Op.27
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.23-25, 1959, Stereo

Disc68
●ストラヴィンスキー:『火の鳥』全曲
ロンドン交響楽団
録音: June 7, 1959, Stereo

●ストラヴィンスキー:『ナイチンゲールの歌』
ロンドン交響楽団
録音: June 22 & 24, 1964, Stereo

●ストラヴィンスキー:『ロシア風スケルツォ』
●ストラヴィンスキー:交響的幻想曲『花火』
ロンドン交響楽団
録音: June 27, 1964, Stereo

●ストラヴィンスキー:タンゴ
ロンドン交響楽団
録音: July 7, 1964, Stereo

Disc69
●ベルク:組曲『ルル』
ヘルガ・ピラルツィク(ソプラノ)
ロンドン交響楽団
録音: June 19-24, 1961, Stereo

●シェーンベルク:管弦楽のための5つの小品 Op.16 [1949年版]
●ウェーベルン:管弦楽のための5つの小品 Op.10
●ベルク:管弦楽のための3つの小品 Op.6
ロンドン交響楽団
録音: July 14-22, 1962, Stereo

Disc70
●シューベルト:交響曲第8番ロ短調D.759『未完成』
シカゴ交響楽団
録音: Jan.8-9, 1954

●ハイドン:交響曲第100番ト長調『軍隊』
●ハイドン:交響曲第101番ニ長調『時計』
ロンドン交響楽団
録音: July 7, 1957

Disc71
●ビゼー:『カルメン』組曲第1番
●ビゼー:『カルメン』組曲第2番
●ビゼー:『アルルの女』組曲第1番
●ビゼー:『アルルの女』組曲第2番
コンセール・ラムルー管弦楽団
録音: June 1959, Stereo

●チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』
シカゴ交響楽団
録音: Jan.8-9, 1954

Disc72
●J.シュトラウス II:『美しき青きドナウ』Op.314
●J.シュトラウス II:『ウィーンの森の物語』Op.325
●J.シュトラウス II:『春の声』Op.410
●J.シュトラウス II:『芸術家の生活』Op.316
●J.シュトラウス II:『ワイン、女そして歌』Op.333
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

Disc73
●ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』序曲 Op.77, J.277
●ウェーバー:歌劇『オベロン』序曲 Op.67, J.306
●ウェーバー:歌劇『オイリアンテ』序曲 Op.81, J.291
●ウェーバー:歌劇『プレチオーザ』序曲 Op.78 J.279
●シューベルト:イタリア風序曲 ハ長調 D.591
●ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』 Op.24より
●ベルリオーズ:『ロメオとジュリエット』 Op.17〜愛の情景
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.23-25, 1959, Stereo

Disc74
●ベルワルド:交響曲第2番『気まぐれな交響曲』
●シベリウス:交響曲第2番ニ長調 Op.43
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
録音: Stereo

Disc75
●エルガー:行進曲『威風堂々』第1番ニ長調 Op.39 No.1
コンセルトヘボウ管弦楽団
録音: Sep.25, 1959, Stereo

●ワーグナー:歌劇『さまよえるオランダ人』序曲
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
録音: Aug.1960, Stereo

●サティー:『パラード』
●ミヨー:『屋根の上の牡牛』 Op.58
●オーリック:序曲
ロンドン交響楽団
録音: Stereo

●フランセ: 『舞踊学校』
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: July 26-27, 1939


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アンタル・ドラティはスター指揮者と言って...

投稿日:2023/04/13 (木)

アンタル・ドラティはスター指揮者と言って良いのか分からないが、存命中に600もの録音を残したと言われる。 その中には歴史的なハイドン交響曲全集などもあり、録音数だけ見れば人気の指揮者だが、意外と録音を集めるとなるとなかなか難しい。 本BOXは復刻系レーベルArtisが発売したもので、1937年から1967年までのドラティの録音の大半を集めたものとなっています。 いわゆるパブリックドメイン音源のうち、管弦楽作品を集めた内容となっていまして、いずれもスタジオ録音でライヴはありません。 この時代のドラティは、ミネアポリス交響楽団の首席指揮者、ロンドン交響楽団の客演指揮者として活躍、この2団体を振り、マーキュリーに積極的に録音を残していた時代であり、『1812年』の歴史的な録音を始め、名演、名盤が多数生まれた時期でもあります。 レパートリーも幅広く、ベートーヴェンから当時の作曲家まで。 バレエ指揮者でもあったドラティらしくバレエ作品が多いのが特徴です。 いずれも脂の乗った時期ならではの充実した演奏内容で一枚目から最後まで楽しめると思います。 CDは廉価盤らしくドラティの写真が印刷された厚紙に入っていますが、どれも同じデザインでパッと見は何枚目か分かりにくいのが難点です。 復刻の状態ですが、これは殆ど年代を考えると良いと言えるでしょう。 CD音源の大半がマーキュリー原盤で、当時のマーキュリー録音が非常に優秀だった事も手伝っているのでしょう。 一方でマーキュリー以外の音源は時期相応というのもありますが、ヒストリカル録音に慣れていれば問題ありません。 CDの収録音源はいずれも過去に一度はCDになっており、初出は無さそうですが、もう何十年も前に廃盤になったきりという音源や、一回しかCDにならなかった音源等、結構珍しいものもチラホラとあり、このBOXの最大の売りかもしれません。 とにかく少しでも興味があれば買っておいて損はないと思います。

レインボー さん | 不明 | 不明

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ドラティという一大職人の演奏集。どれも一...

投稿日:2021/03/20 (土)

ドラティという一大職人の演奏集。どれも一つ一つ丁寧に演奏され吸い込まれるようです。ライブを聴きに行く感覚で一枚一枚聴くのがいいですね

murr さん | 東京都 | 不明

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とても買いたいセットなのですが、躊躇する...

投稿日:2020/03/19 (木)

とても買いたいセットなのですが、躊躇する点が4つ。@ジャケットが75枚とも同一デザイン(ドラティーの横顔)であること。Aミュンシュの全集のようなオリジナルLPに準拠した企画でないこと。Bドボ8にフィルアップされていた謝肉祭序曲がどこにもないこと。メンデルスゾーンの3番+フィンガル(コンサートホール・ソサエティーで350円LP!で出ていた)のようなオリジナルがあるのに、何故?CCD2枚にチャイコの4・5・6が入っているのがあり、どれか1曲が2枚にまたがっているのではという心配があること。以上の点で、星4つ減ですが、良心的な価格設定と、スケールの大きな企画に星2つプラスです。 とは言え、ウェーバーのオベロン序曲(コンセルトヘボウ管)のような中高生のころ知らなかった録音もあるので、近いうちにきっと買うと思います。謝肉祭序曲は、50年も前のLPで我慢しつつ、復活を夢見ています。

よねさん さん | 大阪府 | 不明

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