クープラン、ルイ(1626-1661)

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CD 輸入盤

クラヴサン作品全集 マッシモ・ベルゲッラ(5CD)

クープラン、ルイ(1626-1661)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL96238
組み枚数
:
5
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明



名曲「ブランロシェ氏の墓(トンボー)」は8分37秒!

ルイ・クープラン: クラヴサン曲全集 (5CD)
マッシモ・ベルゲッラ (チェンバロ)

フランソワ・クープランの父親の兄であるルイ・クープランは、35歳で亡くなってしまったため知名度はあまり上がりませんでしたが、曲は性格的なものも多く魅力的で、特に今回のベルゲッラのような凝った演奏で聴くと、拡大された細部の繊細な味わいや、立ちのぼる雰囲気、起伏の大きさにえも言われぬ趣が感じられます。
  また、ルイ・クープランの作品は生前に出版されていなかったことから手稿譜が不規則な形で遺されおり、ブルース・ガスタフソンの作品番号(G.番号)も単に曲種別だったりするので、演奏の際には組み合わせや配列を工夫する必要があります。
  ベルゲッラの場合は、各曲の配置を調性での括りとすることで、一定の雰囲気の持続感を重視し、そのうえで各曲ごとの変化を示すので、まとまりの良さも見逃せないポイントとなっています。録音も非常に優秀です。

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 作品について

「ブランロシェ氏の墓(トンボー)」(CD4 トラック18)

ルイ・クープランは10歳年長のフローベルガー[1616-1667]と交流があったようで、「フローベルガー氏を模した前奏曲」(CD2 トラック12)も書いています。そのフローベルガーと同じ建物で暮らしていたリュートの名手ブランロシェが、フローベルガーと食後に庭園を散歩した後、自宅で階段を踏みはずして頭を強打し、ほどなく息を引き取ってしまうという不幸な事故があったのですが、そのときフローベルガーと共にその場に居合わせたのが、ルイ・クープランと親しいテルム侯爵でした。侯爵はフローベルガーが医師を呼びに行っている間に、ブランロシェの介抱をしながら最後の言葉も聞いており、その様子がルイ・クープランにも伝わることになります。
  音楽家仲間の不運な死に衝撃を受けたルイ・クープランは、「ブランロシェ氏の墓」を作曲。故人を偲ぶ葬儀参列者の悲しみと、教会の鐘を模したような音が交錯するトンボー(追悼曲)を書いてその死を悼んでいます。
  驚くのはここでベルゲッラが採用したテンポです。多くの演奏が3分50秒台から5分50秒台の範囲で収まる中、8分半もかけており、ルイ・クープランの描いた心情の方に寄り添った表現とみることができます。見知らぬ人ではなく、親しい人の死として解釈したかのような味わい深い演奏です。
  下の画像はルイ・クープランが活躍していたルーヴル宮殿です(当時はまだヴェルサイユ宮殿は建てられていませんでした)。オルガニストを務めていた王室礼拝堂はルーヴル宮殿のすぐ裏側で、その南東約1.2kmのところにはクープラン一族の職場となったサン・ジェルヴェ教会があります(パリ市庁舎の隣)。



 作曲家について

1626年、パリ近郊、ショーム=アン=ブリーで誕生

ルイ・クープランは1626年にパリの南東40kmほどのところにあるショーム=アン=ブリー(ショーマンブリー)で誕生。父シャルル[c.1595-1654]は隣町のボーヴォワールの出身で、1621年にショーム=アン=ブリーの家と土地を購入して移り住んでおり、商業を営むほか、地元のベネディクト派修道院の教会でオルガンを弾いていた人物。
  母マリー・オーブリー[1601-?]は8人の子を出産しており、うち、ルイ[1626-1661]、フランソワ[1631-1708]、シャルル[1638-1679]の3人が音楽家の道を歩んでいます。
  ちなみに父と同じ名を付けられた末弟のシャルルは、のちに自分の息子に兄フランソワと同じ名を付けています(大クープラン)。また、その兄フランソワの孫はアルマン=ルイと名付けられるなど、後世の人間にとっては少しややこしい展開に。

ショーム=アン=ブリー付近は音楽家ゆかりの地

ショーム=アン=ブリーは音楽家ファミリーのフォルクレ一族が誕生した地でもあり、ミシェル・フォルクレは1650年に同地に生まれています。
  また、ショーム=アン=ブリーの15kmほど西にあるル・プレシ=フ=オスーは、音楽家ファミリーであるシャンピオン一族のゆかりの地で、同地のシャンボニエール荘園の名前を通称として用いていたのがジャック・シャンピオン・ドゥ・シャンボニエールです。

1639年、13歳で代父拝命

ルイ・クープランの少年時代の記録では、13歳のときに教会で代父を務めたというものがあり、子供の頃からしっかりしていたことが推測されます。その後は、チェンバロ、オルガン、高音ヴィオール、テオルボなどの演奏と作曲によって主に地元で活動していたと考えられており、のちにパリに出てからは2人の弟を一緒に住まわせるなど面倒見の良い性格だったことが窺われます。

1648年、財政難を徴税で乗り切ろうとする宰相マザラン

スペイン・フランス戦争[1635-1659]や、三十年戦争[1618-1648](1636年から参戦)などの莫大な戦費もあって、フランスの国家支出は1600年からの半世紀で約5倍に増大。
  宰相マザランは、この財政難を乗り切るために、それまで農民だけが重税化され負担していたものを、ほぼ無税だった貴族や議員(裕福な市民が官職を購入した法服貴族等)、自治体組織(都市)のほか、優遇措置を受けていた富裕層からも税を徴収することなどをまとめて1648年1月に7つの税令として発表。
  さらに4月には議員や官吏の手当を4年間廃止すると決めたことで、特権の縮小に怒った議会や裁判所、会計院も反発。


1648年、徴税反対勢力によりフロンドの乱が勃発し7か月でいったん終結

そして1648年8月にマザランが高等法院の反対派を逮捕させたことで、税金を納めたくなかった貴族や富裕層が、民衆を扇動し蜂起させてパリを包囲、10歳のルイ14世の寝室まで踏み込むなどの暴挙に至って、「フロンドの乱」が勃発します。
  事態は次第に悪化し、1649年1月、19歳のコンティ公アルマン[1629-1666]が反乱側の司令官となり、ルイ14世[1638-1715]などの王族とマザラン宰相らは、ルーヴル宮殿から18kmほど離れたサン=ジェルマン=アン=レーの離宮に避難。
  しかし2月には、王党派で三十年戦争でも軍功のあった27歳のコンデ公ルイ2世[1621-1686]率いる8千人の軍勢がパリを取り囲み、実弟であるコンティ公の反乱勢を圧倒してほぼ流血なしで3月に和約を結び、王族とマザランもパリに帰還。結局、新たな徴税や手当のカットは見送られています。


1649年、くすぶる反乱勢力

7か月に及ぶ反乱勢の包囲によって食糧不足とインフレに苦しんでいたパリ市民はコンデ公を称えますが、マザランはコンデ公の弟と姉の夫が反乱側だったことから信用せず、また、実際にコンデ公が姉から説得されて不穏な行動を起こしたことから、1650年1月にコンデ公と弟のコンティ公、姉の夫のロングヴィル公アンリ2世[1595-1663]を逮捕して、パリのヴァンセンヌ城に監禁。


1650年頃、恩人シャンボニエールとの出会い

ルイ・クープランに転機が訪れたのは1650年頃のことです。20代なかばのルイ・クープランは、2人の弟(シャルルは12歳くらい)と友人たちを引き連れて、地元から15kmほどのところにあるジャック・シャンボニエールの邸宅を訪れてお祝いの宴に参加し、オーバードなどを披露するという行動に出ます。
  これが祖父から3代続く「国王付きクラヴサン奏者」への表敬訪問なのか売り込みなのかは判然としませんが、ルイ・クープランの実力に感銘を受けたシャンボニエールは、優れた音楽家としてルーヴル宮廷に紹介し、ほどなくしてルイ・クープランはパリに移り住んだようで、1651年8月にはパリで作曲した記録が残っています。

1650年、コンデ勢の地方蜂起

コンデ公と弟のコンティ公、姉の夫のロングヴィル公アンリ2世3人の逮捕に怒ったコンデ公の一族がブルゴーニュやノルマンディーで蜂起したため国王軍が出動するものの鎮圧には至らず、翌1651年2月にコンデ公たちは釈放となり、議会はマザランと家族を追放(ケルン近郊のブリュールに客人として滞在)。
  コンデ公はパリで反乱側の領袖として権勢をふるいますが、やがて反乱側は内部分裂状態に陥ります。


1651年、ルイ・クープラン、パリで活動開始

ルイ・クープランがパリに到着した時期はわかっていませんが、手稿譜記載の日付から遅くとも1651年8月にはパリにいたと推測されています。
  1649年3月から1651年9月までの2年半は、最初のフロンドの乱が終わって、再びフロンドの乱が勃発するまでの小康状態ともいえる期間だったので、おそらく1650年から1651年にかけてパリに到着して活動を始めたと考えられます。
  しかし、肝心の宮廷は常に危険な状態に晒されており、1651年9月には13歳のルイ14世は国王軍と共にパリを出てブルージュを平定したのちポワチエに向かい、パリに戻るのは1年1か月後のことなので、ルイ・クープランが宮廷で定職を得ることは暫くは困難な状態でした。

1651年、フロンドの乱、再び勃発

1651年9月、コンデ公はパリの南西約500kmのボルドーに拠点を移し、地方勢力に呼びかけるとともに、11月にはフランスと交戦中のスペインと協定を結び、スペインは兵を提供したほか、カタルーニャのフランス人捕虜約2,200名全員を引き渡して協力。
  しかしテュレンヌ元帥[1611-1675]率いる国王軍との戦いで、コンデ公は1652年に連敗を喫し、その後パリでは市庁舎に放火し、市民に変装させた部下に市の職員約30人を虐殺させるなどしていましたが、1652年10月にはパリから逃亡しています。



1652年、王の帰還

1652年10月、テュレンヌ元帥率いる国王軍がパリを再占領しルイ14世が帰還。11月には元帥の追撃でコンデ公はスペイン領ネーデルラントに亡命。



1653年、フロンドの乱が終息

1653年2月、マザランがパリに戻り、7月にはボルドーが国王軍に鎮圧され、足かけ4年半続いたフロンドの乱がようやく終息。


1653年、ルイ・クープランがサン・ジェルヴェ教会のオルガニストに

1653年4月9日、27歳のルイ・クープランは、シャンボニエールの推薦でパリのローマ・カトリック教区教会であるサン・ジェルヴェ教会のオルガニスト職を拝命し、年俸400リーヴルのほかに、弟のフランソワとシャルルと共に暮らす教会近くの住居の家賃が支給されるという条件でした。ルイ・クープランは、その後まもなくシャンボニエールのおかげで宮廷音楽家となり、王室礼拝堂オルガニストとしても活動するので、若いながらも生活は豊かだったと考えられます。
  ちなみに、10年後の1663年にルイ14世が宮廷で発足させた文化人の年金制度の一般的な支給額は600リーヴルで、シャンボニエールの年金は1,800リーヴル、当時の労働者の日当は換算すると0.1〜1リーヴルくらいが相場だったようです。
  当時は生活系物価は安く、贅沢系物価、特に宮廷絡みは非常に高いという経済体制で、税制優遇されていた貴族や富裕層も実質的には高額納税をしていたようなものとみることもできます。侯爵と名乗り収入も多かったシャンボニエールの家計が破綻寸前だったのも贅沢な生活が原因で、実際にはよく言われるような「貧困」などではありませんでした。


1654年、ルイ14世の戴冠式に参加

6月7日、ルイ・クープランは、式典での楽器演奏のほか、シャルマイのための合奏曲も作曲して提供。


1656年、ルイ14世のバレエで演奏

1月17日、ルイ14世が踊るバレエ「プシケ、または愛の力」の舞台上で高音ヴィオールを演奏。当時はまだバレエ団は存在せず、主に宮廷人によって踊られていました。1653年にバレエの太陽神役を演じたおかげで「太陽王」とあだ名されるようになったルイ14世は大のバレエ好きで、バレエ振興の為、1661年には王立舞踊アカデミーを設立し、1669年にはオペラ・アカデミーとしてバレエ団も発足させています。


1657年、ルイ14世のバレエで演奏

1月17日、ルイ14世が踊るバレエ「病めるキューピッド」で高音ヴィオールを演奏。また、2月12日にはルイ14世の前で踊る仮面舞踏会劇「妨げられた悦楽」で、ルイ・クープランは衣装を着て婦人たちにセレナーデを捧げる役で出演。

1658年、アベル・セルヴィアン卿の館を訪問

マザラン枢機卿の腹心でもある外交官、セルヴィアン卿が音楽好きであったことから、パリに隣接するムードンの館に何度か招かれており作曲もおこなっています。

1659年、ルイ14世のバレエで演奏

2月19日、ルイ14世が踊るバレエ「冗談のバレエ」で高音ヴィオールを演奏。弟のシャルルも参加。


1659年、トゥールーズへの旅

11月と12月に王室一行の随行者として、南フランスに旅行。

1661年、ルイ・クープラン死去

8月29日、35歳の若さで亡くなっています。死因はわかっていません。ルイ・クープランは独身だったためスピネットなどの遺品は兄弟で分けられ、手稿譜の大部分はシャルルが管理することになり、また、サン・ジェルヴェ教会のオルガニスト職もシャルルが引き受け、やがてその地位はシャルルの息子のフランソワに受け継がれることになります。ちなみに同居していた弟のフランソワとシャルルは2人とも翌1662年に結婚しています。


 演奏者について


マッシモ・ベルゲッラはイタリアのチェンバロ奏者。ザルツブルクのモーツァルテウムとシエナのアカデミア・キジアーナでケネス・ギルバートらに師事したほか、トン・コープマン、アラン・カーティスらの教えも受け、以後、主にイタリアで演奏と教育の両面で活動してきました。
  CDは、Brilliant Classicsなどから発売。


 収録作品と演奏者

ルイ・クープラン (Louis Couperin)[1626-1661]
CD1 (59:32)

◆ 組曲第1番ト短調 (Suite No.1 in G minor)
1. 前奏曲 G.3 (Prelude) 4:20
2. アルマンド G.93 (Allemande) 3:58
3. クーラント G.94 (Courante) 2:05
4. サラバンド G.95 (Sarabande) 1:45
5. シャコンヌまたはパッサカイユ G.96 (Chaconne ou Passacaille) 3:27
6. サラバンド G.97 (Sarabande) 2:17
7. パッサカイユ G.98 (Passacaille) 5:06
 
◆ 組曲第2番ニ短調 (Suite No.2 in D minor)
8. 前奏曲 G.1 (Prelude) 6:29
9. アルマンド G.36 (Allemande) 3:38
10. 3つの楽章から成る作品 G.37 (Pieces de trois sorts de Mouvemens) 2:00
11. クーラント G.38 (Courante) 1:44
12. クーラント G.39 (Courante) 2:03
13. クーラント G.40 (Courante) 1:51
14. クーラント G.41 (Courante) 1:50
15. サラバンド G.44 (Sarabande) 2:06
16. サラバンド G.47 (Sarabande) 1:33
17. サラバンド G.45 (Sarabande) 1:52
18. サラバンド G.46 (Sarabande) 1:28
19. サラバンド I G.49 (Sarabande I) 1:35
20. サラバンド II G.48 (Sarabande II) 2:16
21. カナリア諸島 G.52 (Canaries) 1:28
22. ヴォルテ G.53 (Volte) 1:07
23. シャコンヌ G.55 (Chaconne) 3:11  
CD2 (67:53)

◆ 組曲第3番ニ長調 (Suite No.3 in D)
1. 前奏曲 G.2 (Prelude) 4:19
2. アルマンド G.58 (Allemande) 3:47
3. クーラント G.59 (Courante) 1:51
4. サラバンド G.60 (Sarabande) 2:18
5. ガイヤルド G.61 (Gaillarde) 2:10
6. シャコンヌ G.62 (Chaconne) 2:29
 
◆ 組曲第4番ト短調 (Suite No.4 in G minor)
7. 前奏曲 G.4 (Prelude) 2:11
8. アルマンド 変ロ長調 G.118 (Allemande in B-Flat) 3:08
9. クーラント 変ロ長調 G.119 (Courante in B-Flat) 1:30
10. シャコンヌ G.121 (Chaconne) 2:11
11. 前奏曲 ト短調 G.5 (Prelude in G minor) 3:05
 
◆ 組曲第5番イ短調 (Suite No.5 in A minor)
12. フローベルガー氏を模した前奏曲 G.6 (Prelude a l:imitation de Mr. Froberger) 7:24
13. ピエモンテの人 G.102 (La Piemontoise) 1:40
14. アレマンド l G.101 (Allemande l:Amiable) 3:40
15. クーラント G.106 (Courante) 2:32
16. かわいいクーラント G.105 (Courante La Mignone) 1:33
17. サラバンド I G.109 (Sarabande I) 2:03
18. サラバンド II G.110 (Sarabande II) 3:34
19. アルデル氏のガヴォット.クープラン氏のドゥーブル G.125 (Gavotte de Mr. Hardel. Double par Mr. Couperin) 1:59
 
◆ 組曲第6番イ短調 (Suite No.6 in A minor)
20. 前奏曲 G.7 (Prelude) 1:14
21. アルマンド G.99 (Allemande) 3:16
22. クーラント G.103 (Courante) 1:30
23. クーラント G.104 (Courante) 1:50
24. サラバンド G.107 (Sarabande) 2:01
25. サラバンド G.108 (Sarabande) 1:47
26. ポワトゥー地方のメヌエットとそのドゥーブル G.111 (Menuet de Poitou et son Double) 2:11
CD3 (64:14)

◆ 組曲第7番イ長調 (Suite No.7 in A)
1. 前奏曲 G.8 (Prelude) 2:17
2. アルマンド イ短調 G.100 (Allemande in A minor) 3:54
3. クーラント G.112 (Courante) 2:05
4. サラバンド G.113 (Sarabande) 2:30
5. ジーグ G.114 (Gigue) 2:02
 
◆ 組曲第8番ハ長調 (Suite No.8 in C)
6. プレリュード G.9 (Prelude) 3:44
7. アルマンド G.15 (Allemande) 2:58
8. クーラント G.17 (Courante) 1:40
9. クーラント G.16 (Courante) 1:44
10. サラバンド G.20 (Sarabande) 1:29
11. サラバンド G.21 (Sarabande) 1:37
12. サラバンド G.22 (Sarabande) 1:56
13. サラバンド G.23 (Sarabande) 1:38
14. ル・ベーグ氏のガヴォット.クープラン氏のドゥーブル G.131 (Gavotte de Mr. Le Be:gue. Double par Mr. Couperin) 1:54
15. シャコンヌ G.26 (Chaconne) 3:29
16. サラバンド G.28 (Sarabande) 2:01
17. メヌエット G.29 (Menuet) 1:29
18. 前奏曲 G.10 (Prelude in C) 2:59
 
◆ 組曲第9番ハ長調 (Suite No.9 in C)
19. 前奏曲 G.11 (Prelude) 2:15
20. ル・ムチエ、シャンボニエール氏のアルマンド。クープラン氏のドゥーブル・ムチエ G.126 (Le Moutier, Allemande de Mr. de Chambonniéres. Double du Moutier par Mr. Couperin) 2:43
21. クーラント G.18 (Courante) 1:46
22. クーラント G.19 (Courante) 1:46
23. サラバンド I G.24 (Sarabande I) 1:58
24. サラバンド II G.25 (Sarabande II) 2:56
25. リゴドン.クープラン氏のドゥーブル G.127 (Rigaudon. Double par Mr. Couperin) 3:11
26. パッサカイユ G.27 (Passacaille) 5:38
CD4 (72:16)

◆ 組曲第10番ヘ長調 (Suite No.10 in F)
1. 前奏曲 G.12 (Prelude) 2:29
2. アルマンド G.66 (Allemande) 3:37
3. クーラント G.68 (Courante) 1:28
4. クーラント G.69 (Courante) 1:45
5. サラバンド G.72 (Sarabande) 2:10
6. ブランル・ド・バスク G.73 (Branle de Basque) 0:51
7. ジーグ G.76 (Gigue) 2:02
8. ガイヤルド G.77 (Gaillarde) 1:57
9. シャコンヌ G.78 (Chaconne) 2:32
 
◆ 組曲第11番ヘ長調 (Suite No.11 in F)
10. 前奏曲 G.13 (Prelude) 3:16
11. アルマンド・グラーヴ G.67 (Allemande grave) 3:22
12. クーラント G.70 (Courante) 1:33
13. クーラント G.71 (Courante) 1:37
14. サラバンド G.74 (Sarabande) 2:38
15. サラバンド G.75 (Sarabande) 2:45
16. ジーグ G.79 (Gigue) 2:01
17. シャコンヌ G.80 (Chaconne) 3:15
18. ブランロシェ氏の墓 G.81 (Tombeau de Mr. De Blancrocher) 8:37
 
◆ 組曲第12番ホ短調 (Suite No.12 in E minor)
19. 前奏曲 G.14 (Prelude) 1:42
20. 平和のアルマンド G.63 (Allemande de la Paix) 3:26
21. クーラント G.64 (Courante) 1:39
22. サラバンド G.65 (Sarabande) 3:32
 
◆ 組曲第13番ハ短調 (Suite No.13 in C minor)
23. 前奏曲 G.128 (Prelude) 1:13
24. 貴重なアルマンド G.30 (Allemande la Precieuse) 3:11
25. クーラント G.31 (Courante) 2:04
26. サラバンド G.32 (Sarabande) 2:10
27. ジーグ G.33 (Gigue) 2:28
28. セキレイのシャコンヌ G.34 (Chaconne la Bergeronnette) 2:11
CD5 (69:42)

◆ 組曲第14番ト長調 (Suite No.14 in G)
1. 前奏曲 G.129 (Prelude) 1:11
2. アルマンド G.83 (Allemande) 3:20
3. クーラント G.84 (Courante) 1:38
4. クーラント G.85 (Courante) 1:34
5. クーラント G.86 (Courante) 1:32
6. サラバンド G.87 (Sarabande) 2:39
7. シャコンヌ G.89 (Chaconne) 5:42
 
◆ 組曲第15番ト長調 (Suite No.15 in G)
8. アルマンド G.82 (Allemande) 3:26
9. クーラント G.90 (Courante) 1:10
10. クーラント G.91 (Courante) 1:24
11. クーラント G.92 (Courante) 1:43
12. ガイヤルド G.88 (Gaillarde) 1:40
 
◆ 組曲第16番ニ短調 (Suite No.16 in D minor)
13. アルマンド G.35 (Allemande) 4:25
14. クーラント G.42 (Courante) 1:28
15. クーラント G.43 (Courante) 2:00
16. サラバンド I G.51 (Sarabande I) 2:54
17. サラバンド II G.50 (Sarabande II) 3:59
18. ラ・パストゥレル G.54 (La Pastourelle) 1:17
19. ガヴォット G.124 (Gavotte) 1:21
20. ジーグ G.122 (Gigue) 2:10
21. サラバンド G.56 (Sarabande) 2:39
22. 苦情申立人のシャコンヌ G.57 (Chaconne la Complaignante) 3:04
 
◆ 組曲第17番 ロ短調 (Suite No.17 in B minor)
23. アルマンド G.115 (Allemande) 3:21
24. クーラント G.116 (Courante) 1:42
25. サラバンド G.117 (Sarabande) 2:29
26. パヴァーヌ 嬰ヘ短調 G.120 (Pavane in F-sharp minor) 9:23
 
  チェンバロ: マッシモ・ベルゲッラ (Massimo Berghella, harpsichord)
 
  録音:2021年5月25〜26日、12月22〜23日、2022年4月20〜21日、6月1〜2日、イタリア、ヴィテールボ、カネピーナ

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