CD 輸入盤

ベンノ・モイセイヴィチの芸術(19CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SC837
組み枚数
:
19
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


モイセイヴィチ・コレクション(19CD)

ヒストリカル物に強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから、ウクライナ生まれのイギリスのピアニスト、モイセイヴィチのボックスが登場。若い頃から世界的な活躍で知られ、渡航がまだまだ不便だった時代に5回も日本を訪れ、熱心に自分の演奏を聴いてくれる日本の聴衆に感激していました。

HMV録音とライヴ録音を収録した19枚組
モイセイヴィチは1916年から1960年までHMVと専属契約を結んでスタジオ録音を制作していましたが、ピアニストとしての活動はコンサートがメインだったことからライヴ録音も遺されています。このセットにはそうしたライヴ録音もいくつか収録されているので、音源が複数収録された作品では聴き較べをすることもできます。

協奏作品は18音源収録
●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(サージェント指揮 1950)
●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(セル指揮 1938)
●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(クリップス指揮 1961)
●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(サージェント指揮 1963)
●メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番(ロナルド指揮 1925)
●シューマン:ピアノ協奏曲(アッカーマン指揮 1953)
●リスト:「ハンガリー民謡にもとづく幻想曲」(ランバート指揮 1939)
●サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番(キャメロン指揮 1947)
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ウェルドン指揮 1945)
●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番(ウェルドン指揮 1944)
●グリーグ:ピアノ協奏曲(ヘワード指揮 1941)
●グリーグ:ピアノ協奏曲(アッカーマン指揮 1953)
●ディーリアス:ピアノ協奏曲(ランバート指揮 1946)
●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番(サージェント指揮 1948)
●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(ゲール指揮 1937)
●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(サージェント指揮 1956)
●ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」(キャメロン指揮 1938)
●ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」(ボールト指揮 1946)

10分以上の曲は16音源収録
●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(1941)
●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」(1941)
●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」(1942)
●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」(1958)
●ショパン:24の前奏曲(1948-49)
●シューマン::幻想小曲集 Op.12(1951)
●シューマン:「子供の情景」(1930)
●シューマン:「クライスレリアーナ」(1961)
●シューマン:幻想曲 Op.17(1953)
●ワーグナー(リスト編):「タンホイザー」序曲(1938)
●ブラームス:ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ(1930)
●ブラームス:ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ(1953)
●ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(1945)
●ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(1961)
●メトネル:ピアノ・ソナタ op.22(1943)
●カバレフスキー:ピアノ・ソナタ第3番(1948)

小品は大量に収録
CD14からCD19の6枚はほぼ小品集です。レコードが高価だった時代、小品には重要な価値があり、作品の内容はもちろんのこと、演奏の個性、味わい、物語性にも多くのものが求められたのだとか。
  そうした時代に、にこれだけ多くの録音をおこなえたモイセイヴィチの人気にはかなりのものがあったことが推察されます。
  多彩な選曲も注目されるところで、「香港のラッシュアワー」や、「中国庭園での戯れ」など、タイトルを眺めているだけでも面白いものもあったりします。



 各種リンク

【モイセイヴィチ関連】
●名前と苗字
●修業時代
●プロ・デビュー
●プロムス(プロムナード・コンサート)
●ラフマニノフの継承者
●ロマン派の伝統を受け継ぐ自在な語り口
●指揮者のサージェントはピアノの弟子
●親友ソロモンはポーカー仲間
●チャーチル夫人による赤十字ロシア援助基金への呼びかけに全力で協力

【収録情報】
●CD 1 ワルトシュタイン、カバレフスキー:ソナタ第3番、クロイツェル
●CD 2 悲愴、月光、ワルトシュタイン、メトネル:ソナタ
●CD 3 ショパン:24の前奏曲、子供の情景、ヘンデル変奏曲
●CD 4 ヘンデル変奏曲、パガニーニ狂詩曲、展覧会の絵
●CD 5 パガニーニ狂詩曲、ラフマニノフ:協奏曲第2番、同:前奏曲第1、6、21、16番
●CD 6 シューマン:幻想曲、同:幻想小曲集、ディーリアス:協奏曲
●CD 7 ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ、皇帝、展覧会の絵
●CD 8 クライスレリアーナ、皇帝
●CD 9 チャイコフスキー:協奏曲第1番、ラフマニノフ:協奏曲第2番
●CD 10 チャイコフスキー:協奏曲第2番、ラフマニノフ:協奏曲第1番、サン=サーンス:協奏曲第2番
●CD 11 皇帝、グリーグ:協奏曲
●CD 12 グリーグ:協奏曲、ベートーヴェン:協奏曲第3番、同:アンダンテ・ファヴォリ
●CD 13 シューマン:協奏曲、ショパン:スケルツォ第1、3、4番、ウェーバー:無窮動、ヴァリエ:トッカティーナ、プロコフィエフ:悪魔的暗示、ショパン:夜想曲第19番、幻想即興曲
●CD 14 カッコウ、雨の庭、水の戯れ、私のいとしい人、子犬のワルツ、鳥の歌、女道化師、ゴパーク、夢のもつれ、月の光、他
●CD 15 メンデルスゾーン:協奏曲第1番、エミール・ガイヤール、春の夜、アンダルーサ、もしも私が小鳥なら、あなたのところへ飛んで行きたい、他
●CD 16 香港のラッシュアワー、中国庭園での戯れ、狩の歌、悲しい心、ロココ、悪魔的暗示、小さな白いロバ、イゾルデの愛の死、こうもりの主題による演奏会用パラフレーズ、他
●CD 17 タンホイザー序曲、舞踏への勧誘、雨の庭、ハンガリー民謡にもとづく幻想曲、他
●CD 18 ハンガリー狂詩曲第2番、愛の夢第3番、予言の鳥、西フィンランドの踊り、ゆりかごの歌、他
●CD 19 剣の舞、月の光、リラの花、ロシアの輪舞曲、悲しい歌、ロシアのおとぎ話、他

【年表】
前史  1890  1891  1892  1893  1894  1895  1896  1897  1898  1899  1900  1901  1902  1903  1904  1905  1906  1907  1908  1909  1910  1911  1912  1913  1914  1915  1916  1917  1918  1919  1920  1921  1922  1923  1924  1925  1926  1927  1928  1929  1930  1931  1932  1933  1934  1935  1936  1937  1938  1939  1940  1941  1942  1943  1944  1945  1946  1947  1948  1949  1950  1951  1952  1953  1954  1955  1956  1957  1958  1959  1960  1961  1962  1963

明治23  明治24  明治25  明治26  明治27  明治28  明治29  明治30  明治31  明治32  明治33  明治34  明治35  明治36  明治37  明治38  明治39  明治40  明治41  明治42  明治43  明治44  明治45  大正2  大正3  大正4  大正5  大正6  大正7  大正8  大正9  大正10  大正11  大正12  大正13  大正14  大正15  昭和2  昭和3  昭和4  昭和5  昭和6  昭和7  昭和8  昭和9  昭和10  昭和11  昭和12  昭和13  昭和14  昭和15  昭和16  昭和17  昭和18  昭和19  昭和20  昭和21  昭和22  昭和23  昭和24  昭和25  昭和26  昭和27  昭和28  昭和29  昭和30  昭和31  昭和32  昭和33  昭和34  昭和35  昭和36  昭和37  昭和38 

【商品関連】
●商品説明:年表シリーズ一覧




 名前と苗字

曽祖父はシナゴーグのカントール
モイセイヴィチの父方の先祖は、ロシア帝国領ラトヴィアのバウスカに暮らしていたユダヤ人です。
  曽祖父ユーデル・モーシェ・モイセイヴィチは[1792-1875]は、シナゴーグのカントールを務めていた人物で、その7人の兄弟の名前もヘブライ語。
  祖父シャブタイ・ダヴィッド・モイセイヴィチ[1817-1871]とその7人の兄弟の名前もヘブライ語。

オデッサ暮らしでイディッシュ語も導入
そしてロシア帝国領オデッサに移り住んだ父ダヴィッド・レイブ・モイセイヴィチ[1848-1933]とその4人の兄弟の名前には、ドイツ語風なイディッシュ語も使用されています。
  モイセイヴィチの最初の名前、ベンジュマの命名由来はわかりませんが、スペイン風でもあり、折からのコスモポリタンな風潮にあやかったものなのかもしれません。

短名文化圏への対応
しかしモイセイヴィチがオデッサ帝国音楽学校を退学し、イギリスで勉強を続けることが決まると、長い名称があまり一般的ではなく略称も盛んな英語圏向けに、名前だけでも短くしようということで、イディッシュ語の「Benno(ベノー。日本語慣習読みではベンノ)」に変更されたものと考えられます。モイセイヴィチは当初はこの短い名前があまり好きではなかったのだとか。

モイセイヴィチ姓の対応
モイセイヴィチという苗字は、ユダヤ人に多いモイセイという名前が、ロシア語風に「モイセイ+ヴィチ」と父称化され、それが苗字になったものと考えられます。なのでさまざまなラテン文字表記がおこなわれていますが、モイセイヴィチ家の場合はイディッシュ語での表記をおこなっているためドイツ語風のスペルになっています。

ほかの家族は英語的対応
そしてオデッサでは、ウクライナ人たちがユダヤ人を襲撃するポグロムが発生して社会不安も増していたことから、家族もイギリスに移る道を選びますが、9人兄弟の大家族だったので全員が移り終えるのは1911年のことでした。
  移住の際の兄弟の名前は、ジョン、ソフィア、メアリー、ジェイコブ、エイブラハム、レオン、ボリスなど、英語、もしくは英語圏でも一般的な名前が多くなっています。
  ちなみに父は「ダヴィッド・レイブ・モイセイヴィチ」から「マイヤー・レオ・ダヴィッド・モイセイヴィチ」に変更しています。


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 修業時代

最初は母、続いて個人レッスン
裕福な商人の家庭に生まれ、母は音楽の才覚があったことから、モイセイヴィチは幼少から母にピアノを習います。10歳年長の姉と4歳年長の姉が弾くピアノに関心を持ったのがきっかけで、耳で聴いて簡単に弾くことができたモイセイヴィチは、すぐに母親から楽譜についても教わり、ほどなく個人教師の教えを受けることになります。

オデッサ帝国音楽学校入学
モイセイヴィチ少年のピアノの上達には凄まじいものがあり、7歳のときには地元のオデッサ帝国音楽学校(オデッサ音楽院)に入学しています。
  クラスメイトのほとんどは8歳年長ということもあってか、モイセイヴィチの落ち着きの無さと腕白ぶりが目立って教師から注意も受け、しかもすでにピアノがうまかったので、あまり練習もあまり好まないという態度でしたが、リストとレシェティツキーに学んだことのあるドミトリー・クリモフの巧みな指導もあって、2年後、9歳の時にはシューマンの演奏によってアントン・ルビンシテイン賞を受賞し「才気煥発で個性的な演奏」と称えられています。

濡れ衣事件で停学処分
しかし14歳の時に、オデッサ帝国音楽学校の校門が破壊されるという事件が起き、ふだんから悪ふざけをしていたモイセイヴィチが濡れ衣を着せられて3か月の停学処分となると、両親は怒って学校を辞めさせ、ロンドンで暮らす長男のジョンにそのことを知らせると、ジョンはロンドンに連れてきてくれれば何とかすると両親を説得、モイセイヴィチは母と共にロンドンに向かうことになります。父ダヴィッドは、モイセイヴィチをイギリスに留学させるため、所有していた3頭の血統書付きの馬を売って資金を調達。


イギリスでの助言
14歳のモイセイヴィチは、ロンドンのギルドホール音楽学校で勉強しようとするものの、すでにプロ級の腕前だったことから、校長のカミングス博士[1831-1915]からは教えることがないと言われ、ウィーンのレシェティツキーのもとを訪ねるようアドバイスされます。


ウィーンの名教師、レシェティツキー
モイセイヴィチは、姉の夫であるサーシャを頼り、その手配でテオドール・レシェティツキーのもとを訪問。
  モイセイヴィチ少年はショパンの「革命」を演奏し、もっと巧く弾くこともできると豪語したところ、レシェティツキーは、自分は左足でもっとうまく弾けると反撃。「革命」には少なくとも100以上の微妙なニュアンスがあるのに、それをあなたは単に効果のために犠牲にした。私は見せ物には興味はない。これから2、3か月まともな練習をして、本当のコントロールができるようになってからまた来て欲しいと突き放します。
  その日以来、義兄サーシャのもとでモイセイヴィチは努力を続け、再びレシェティツキーのもとを訪れた際には入門を認められ、教えを受けることとなります。
  そして2年半が経ったとき、レシェティツキーは、「これ以上、君に与えるものはない」と言って修了としています。
  レシェティツキーは、ピアニストそれぞれに個別に対応した教え方で、各人の個性を引き出す術に長けており、そのことは、アレクサンダー・ブライロフスキー、イグナツ・フリードマン、オシップ・ガブリロヴィッチ、マーク・ハンブルグ、ミエチスラフ・ホルショフスキ、アルトゥール・シュナーベルといった弟子たちの芸風がきわめて個性豊かなことからもよくわかります。


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 プロ・デビュー

ネリー・メルバの伴奏でデビュー
18歳でレシェティツキーのもとでの修業を終えると、モイセイヴィチは再びイギリスに戻り、1908年10月1日にロンドン近郊のレディングでデビュー公演をおこなっています。とはいえ有名歌手ネリー・メルバ[1861-1931]のリサイタルの伴奏だったので、ソロ・デビューとは言えないものでした。
  これはモイセイヴィチの兄でロンドン在住の科学者でもあるジョンの発案によるもので、無名の新人がいきなり公演を開くよりも、有名なアーティストに関わって名前を露出してからの方が良いという考えです。そしてまずメルバと知りあうことから開始し、伴奏の仕事を得てリサイタル出演に漕ぎつけています。

ベヒシュタイン・ホールで成功
ソロ・デビューの好機は2年後の1910年、20歳の時に訪れます。ロンドンのベヒシュタイン・ホールでのリサイタルで、モイセイヴィチは、「熱情ソナタ」、シューマン「謝肉祭」、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、ブラームス:パガニーニ変奏曲という強力な曲目で臨み、翌日のレビューは好評をもって迎えられ、これがある程度の知名度向上に繋がったと考えらえます。
  ちなみにベヒシュタイン・ホールはその後、第1次大戦中の1916年にイギリス政府によってショールームのピアノ137台などとともに接収され破格で転売。建物が面したホールの名をとって「ウィグモア・ホール」と命名されます。


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 プロムス(プロムナード・コンサート)

総出演回数は95回
モイセイヴィチは1914年に初めてプロムスに登場し、48年後の1962年が最後の舞台となっており、総出演回数は95回に及んでいました。演目のほとんどはピアノ協奏曲で、得意のラフマニノフやベートーヴェンの皇帝のほか、チャイコフスキー、リスト、ディーリアス、シューマン、メトネル、チェレプニン、リムスキー=コルサコフなど多彩でした。

プロムスの歴史
プロムスは基本的にはシーズン・オフの夏場におこなわれるオーケストラ公演を主体とした音楽祭という位置づけですが、モイセイヴィチが出演していた頃までの時系列はこんな感じです。

  ◆1893年 クイーンズ・ホールが完成。座席数は約2,500。音響の良さが国外でも話題に。
  ◆1895年 興行主ロバート・ニューマンが「クイーンズ・ホール管弦楽団」を設立。
  ◆1895年 ニューマンが指揮者ウッドと共に第1回プロムスを、10週間に渡って開催。資金援助は医師のカスカート。
  ◆1901年 ニューマンがクイーンズ・ホールを自ら賃借して支配人に就任。
  ◆1902年 ニューマンが演劇興行への投資に失敗し破産。
  ◆1902年 音楽出版社のチャペル社がホールの賃貸契約を継承。ニューマンを支配人に任命。
  ◆1902年 ドイツ系ユダヤ人銀行家スパイヤーが資金援助。楽団と公演を存続させます。
  ◆1915年 第1次大戦により銀行家スパイヤーがドイツ系の名前で反感を買い資金援助から撤退。
  ◆1915年 音楽出版社のチャペル社が楽団と公演への資金援助を継承。
  ◆1915年 「クイーンズ・ホール管」は「ニュー・クイーンズ・ホール管」と名称変更。ニューマンの楽団運営は継続。
  ◆1922年 BBC設立。
  ◆1920年代 BBCの放送開始から間もなく、クイーンズ・ホールの事実上の支配者であるチャペル社の社長は、放送に出演した音楽家のホールへの出演を拒否することを決定。
  ◆1926年 ニューマンの死去に伴いチャペル社がクイーンズ・ホール関連の資金援助を停止。
  ◆1926年 BBCがプロムスの放送を開始。当時のBBCの受信契約世帯数は約25万。
  ◆1927年 BBCがクイーンズ・ホール関連の資金援助を開始。
  ◆1930年 BBC交響楽団設立。
  ◆1930年代 プロムスの最終公演が「ガラ・ナイト」と呼ばれるようになり、お祭り的な要素も多少加味。
  ◆1936年 BBCの受信契約世帯数は約800万となり全世帯数の65%に到達。
  ◆1939年 第2次大戦の開戦により、プロムスは9月1日に中止を発表。BBCも資金援助を停止。
  ◆1940年 プロムスは民間資金により開催し、ロンドン交響楽団が演奏。しかし9月7日に中止を発表。予定期間8週間の半分の時点でした。
  ◆1941年 5月にクイーンズ・ホールがドイツの爆撃により破壊。
  ◆1941年 7月に会場を巨大なロイヤル・アルバート・ホールに変更して民間資金でプロムスを開始。クイーンズ・ホールが約2,500席だったのに対し、約5,900席(当時)と約2.4倍の規模。開催期間は6週間。ロンドン交響楽団が演奏。
  ◆1942年 BBCがプロムスの放送と資金援助を再開。
  ◆1944年 3月、指揮者のウッドは「ヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート」のタイトルをBBCに譲渡。そして8月に死去。
  ◆1947年 マルコム・サージェントがプロムス首席指揮者に就任。
  ◆1949年 「ラスト・ナイト」をサージェントが指揮。以後、1966年まで担当。


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 ラフマニノフの継承者

1919年におこなわれたモイセイヴィチのニューヨーク公演に感激したラフマニノフは、以来1943年に亡くなるまでほぼ四半世紀に渡って親交を結び、モイセイヴィチが、ピアニストとしての自分の後継者であると語るなどして、17歳若いモイセイヴィチの演奏を称賛していました。


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 ロマン派の伝統を受け継ぐ自在な語り口

モイセイヴィチの演奏は、内声部を重視した繊細で流れるようなスタイルに特徴があり、小品からコンチェルトまで語りくちの自在なうまさには独特なものがありました。かの名手ヨーゼフ・ホフマンも、モイセイヴィチについて、ロマン派の伝統を受け継ぐ天性のピアニストと称え、マスタークラスのためにカーティス音楽院に招いたりもしています。


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 指揮者のサージェントはピアノの弟子

モイセイヴィチは最後まで多忙だったことで、経済的には教職に就く必要が無かったこともあってか、固定職での教育活動はおこなっていません。また、自分は指導することはあまり好きではないとも語っています。
  活動初期には5歳若いマルコム・サージェントに請われてピアノの個人指導をしたこともありましたが、サージェントは結局、ヘンリー・ウッドの勧めで指揮者になる道を選んでいます。モイセイヴィチ自身はサージェントにピアノの才能があると考えていたので、もしかしたら指導者としては不本意な結果だったのかもしれません。


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 親友ソロモンはポーカー仲間

ピアニスト仲間で12歳若いソロモンは、1956年に脳梗塞で左手の薬指と小指が不自由になったためピアニスト活動を停止しています。モイセイヴィチはソロモンと親しく、オフの時にはサヴェージ・クラブなどでポーカーに興じたということです。モイセイヴィチといえば、演奏中の顔の演技をほとんどしないことでも知られており、そのポーカー・フェースぶりがカリカチュアになったりしたほどですが、ポーカーの勝負で果たしてポーカー・フェースが役に立ったかどうかは気になるところです。


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 チャーチル夫人による赤十字ロシア援助基金への呼びかけに全力で協力

ドイツが不可侵条約に違反してソ連に侵攻し、膨大な損失をソ連に与える中、チャーチル夫人クレメンタインは、赤十字ロシア援助基金の総裁として、1941年11月にイギリス国民に放送でアピール。
  故郷オデッサがドイツに蹂躙されていたモイセイヴィチはチャーチル夫人の呼びかけに応じ、通常のコンサート活動とは別に、資金援助目的のためのリサイタルも開くと12月に正式に発表。以後、3年4か月の間に、100回以上の資金援助リサイタルをおこなったほか、通常のコンサート活動からも援助をおこなうことで、赤十字ロシア援助基金に1万ポンド近くを送っています(現在換算だと約25万ポンド)。
  1939年から1945年までの戦時の公演数は、こうした赤十字ロシア援助基金関連公演のほか、通常公演や、軍への慰問公演、工場公演など全部で800公演を超えていました。


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 収録情報

 CD1

●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 Op.53「ワルトシュタイン」
  1.Allegro con brio 7:54
  2.Introduzione: Adagio molto 3:28
  3.Rondo: Allegretto moderato 8:47

録音:1958年8月18日


●カバレフスキー:ピアノ・ソナタ第3番 op.46
  4.Allegro con moto 5:56
  5.Andante cantabile 4:08
  6.Allegro giocoso 4:42

録音:1948年10月5日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ


●ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 Op.47「クロイツェル」
  7.Adagio sostenuto; Presto 10:01
  8.Andante con variazioni 13:15
  9.Presto 7:51

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
録音:1951年5月14-15日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD2

●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 Op.13「悲愴」
  1.Grave; Allegro di molto e con brio 6:50
  2.Adagio cantabile 4:44
  3.Rondo: Allegro 4:36

録音:1941年9月11日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ


●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 Op.27-2「月光」
4.Adagio sostenuto 5:47
  5.Allegretto 2:01
  6.Presto agitato 4:59

録音:1941年10月6日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ


●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 Op.53「ワルトシュタイン」
  7.Allegro con brio 8:11
  8.Introduzione: Adagio molto 3:52
  9.Rondo: Allegro moderato 9:06

録音:1942年2月20日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●メトネル:ピアノ・ソナタ op.22
  10.Tenebroso, sempre affrettando - Allegro assai 6:25
  11.Interludium (Andante lugubre) 4:06
  12.Allegro assai 4:58

録音:1943年3月1、11日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD3

●ショパン:24の前奏曲 Op.28
  1.No.1 in C major, Agitato 0:33
  2.No.2 in A minor, Lento 1:53
  3.No.3 in G major, Vivace 0:55
  4.No.4 in E minor, Largo 2:02
  5.No.5 in D major, Allegro molto 0:34
  6.No.6 in B minor, Lento assai 1:51
  7.No.7 in A major, Andantino 0:48
  8.No.8 in F sharp minor, Molto agitato 1:52
  9.No.9 in E major, Largo 1:15
  10.No.10 in C sharp minor, Allegro molto 0:29
  11.No.11 in B major, Vivace 0:29
  12.No.12 in G sharp minor, Presto 1:10
  13.No.13 in F sharp major, Lento 2:32
  14.No.14 in E flat minor, Allegro 0:34
  15.No.15 in D flat major, Sostenuto 4:54
  16.No.16 in B flat minor, Presto con fuoco 1:05
  17.No.17 in A flat major, Allegretto 2:46
  18.No.18 in F minor, Allegro molto 0:54

録音:1948年12月29日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

  19.No.19 in E flat major, Vivace 1:14
  20.No.20 in C minor, Largo 1:24
  21.No.21 in B flat major, Cantabile 1:59

録音:1949年12月20日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

  22.No.22 in G minor, Molto agitato 0:42
  23.No.23 in F major, Moderato 0:46

録音:1948年12月30日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

  24.No.24 in D minor, Allegro appassionato 2:23

録音:1949年9月20日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ


●シューマン:「子供の情景」 Op.15
  25.1. Von fremden Ländern und Menschen 1:40
  26.2. Kuriose Geschichte 0:58
  27.3. Hasche-Mann 0:32
  28.4. Bittendes Kind 0:59
  29.5. Glückes genug 0:38
  30.6. Wichtige Begebenheit 0:55
  31.7. Träumerei 2:07
  32.8. Am Kamin 0:54
  33.9. Ritter vom Steckenpferd 0:36
  34.10. Fast zu ernst 1:37
  35.11. Fürchtenmachen 1:09
  36.12. Kind im Einschlummern 1:34
  37.13. Der Dichter spricht 1:53

録音:1930年4月14日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ブラームス:ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ Op.24
  38.Theme: Aria 1:07
  39.Variation 1 0:42
  40.Variation 2 0:37
  41.Variation 3 0:42
  42.Variation 4 0:43
  43.Variation 5 1:05
  44.Variation 6 1:00
  45.Variation 7 0:33
  46.Variation 8 0:35
  47.Variation 9 1:00
  48.Variation 10 0:32
  49.Variation 11 0:44
  50.Variation 12 0:53
  51.Variation 13 2:07
  52.Variation 14 0:35
  53.Variation 15 0:40
  54.Variation 16 0:28
  55.Variation 17 0:31
  56.Variation 18 0:40
  57.Variation 19 1:05
  58.Variation 20 1:01
  59.Variation 21 0:30
  60.Variation 22 0:51
  61.Variation 23 0:34
  62.Variation 24 0:33
  63.Variation 25 0:45
  64.Fugue 4:27

録音:1930年3月4日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC



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 CD4

●ブラームス:「ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ」 Op.24
  1.Theme: Aria 1:07
  2.Variation 1 0:45
  3.Variation 2 0:37
  4.Variation 3 0:31
  5.Variation 4 0:44
  6.Variation 5 0:30
  7.Variation 6 0:54
  8.Variation 7 0:35
  9.Variation 8 0:35
  10.Variation 9 0:51
  11.Variation 10 0:33
  12.Variation 11 0:33
  13.Variation 12 0:53
  14.Variation 13 1:57
  15.Variation 14 0:38
  16.Variation 15 0:38
  17.Variation 16 0:28
  18.Variation 17 0:31
  19.Variation 18 0:39
  20.Variation 19 0:53
  21.Variation 20 0:59
  22.Variation 21 0:31
  23.Variation 22 0:49
  24.Variation 23 0:33
  25.Variation 24 0:34
  26.Variation 25 0:42
  27.Fugue 4:50

録音:1953年7月20、21、29日、9月23、29日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」 Op.43
  28.Introduction: Allegro vivace 0:10
  29.Variation 1: (Precedente) 0:19
  30.Theme: L'istesso tempo 0:19
  31.Variation 2: L'istesso tempo 0:18
  32.Variation 3: L'istesso tempo 0:24
  33.Variation 4: Più vivo 0:30
  34.Variation 5: Tempo precedente 0:33
  35.Variation 6: L'istesso tempo 0:45
  36.Variation 7: Meno mosso, a tempo moderato 1:01
  37.Variation 8: Tempo I 0:34
  38.Variation 9: L'istesso tempo 0:31
  39.Variation 10: L'istesso tempo 0:49
  40.Variation 11: Moderato 1:09
  41.Variation 12: Tempo di minuetto 1:21
  42.Variation 13: Allegro 0:29
  43.Variation 14: L'istesso tempo 0:39
  44.Variation 15: Più vivo scherzando 1:01
  45.Variation 16: Allegretto 1:32
  46.Variation 17: Allegretto 1:42
  47.Variation 18: Andante cantabile 2:20
  48.Tempo vivace 0:05
  49.Variation 19: A tempo vivace 0:28
  50.Variation 20: Un poco più vivo 0:34
  51.Variation 21: Un poco più vivo 0:26
  52.Variation 22: Marziale. Un poco più vivo (Alla breve) 1:38
  53.Variation 23: L'istesso tempo 0:50
  54.Variation 24: A tempo un poco meno mosso 1:15

エードリアン・ボールト(指揮)BBC交響楽団
録音:1946年9月14日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(ライヴ)

●ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
  55.Promenade (1st) 1:35
  56.The Gnome 2:16
  57.Promenade (2nd) 0:54
  58.The old Castle 3:05
  59.Promenade (3rd) 0:34
  60.Tuileries (Children's quarrel after games) 0:50
  61.Bydlo (The oxcart) 3:05
  62.Promenade (4th) 0:46
  63.Ballet of the unhatched chicks in their shells 1:10
  64.Samuel Goldenberg and Schmuÿle 2:19
  65.Promenade (5th) 1:30
  66.Limoges: the Market 1:26
  67.Catacombs; Cum mortuis in lingua mortua 3:48
  68.The hut on fowl's legs (Baba Yaga) 3:28
  69.The great gates of Kyiv (The Bogatyr gates) 4:08

録音:1945年8月21日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD5

●ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」 Op.43
  1.Introduction: Allegro vivace 0:09
  2.Variation 1: (Precedente) 0:21
  3.Theme: L'istesso tempo 0:20
  4.Variation 2: L'istesso tempo 0:18
  5.Variation 3: L'istesso tempo 0:24
  6.Variation 4: Più vivo 0:28
  7.Variation 5: Tempo precedente 0:28
  8.Variation 6: L'istesso tempo 0:51
  9.Variation 7: Meno mosso, a tempo moderato 1:00
  10.Variation 8: Tempo I 0:33
  11.Variation 9: L'istesso tempo 0:30
  12.Variation 10: L'istesso tempo 0:48
  13.Variation 11: Moderato 1:11
  14.Variation 12: Tempo di minuetto 1:19
  15.Variation 13: Allegro 0:30
  16.Variation 14: L'istesso tempo 0:40
  17.Variation 15: Più vivo scherzando 1:01
  18.Variation 16: Allegretto 1:29
  19.Variation 17: Allegretto 1:34
  20.Variation 18: Andante cantabile 2:34
  21.Variation 19: A tempo vivace 0:33
  22.Variation 20: Un poco più vivo 0:34
  23.Variation 21: Un poco più vivo 0:24
  24.Variation 22: Marziale. Un poco più vivo (Alla breve) 1:40
  25.Variation 23: L'istesso tempo 0:49
  26.Variation 24: A tempo un poco meno mosso 1:11

ベイジル・キャメロン(指揮)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年12月5日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 Op.18
  27.Moderato 10:11
  28.Adagio sostenuto 10:46
  29.Allegro scherzando 11:28

ワルター・ゲール(指揮)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1937年11月24日、12月13日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●ラフマニノフ:前奏曲第1番、第6番、第21番、第16番
  30.Prelude No.1 in C sharp minor, Op.3 No.2 3:47
  31.Prelude No.6 in G minor, Op.23 No.5 3:43
  32.Prelude No.21 in B minor, Op.32 No.10 4:45

録音:1940年8月2日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

  33.Prelude No.16 in G major, Op.32 No.5 2:16

録音:1943年10月19日 or 1956年2月19日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD6

●シューマン:幻想曲 Op.17
1.I. Durchaus fantastisch und leidenschaftlich vorzutragen; Im Legenden-Ton 12:17
  2.II. Mäßig; Durchaus energisch 7:05
  3.III. Langsam getragen; Durchweg leise zu halten 8:28

録音:1953年7月20日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●シューマン:幻想小曲集 Op.12
  4.Des Abends 3:39
  5.Aufschwung 3:13
  6.Warum? 3:04
  7.Grillen 3:17
  8.In der Nacht 4:19
  9.Fabel 2:23
  10.Traumes Wirren 2:34
  11.Ende vom Lied 4:10

録音:1951年12月17日、1952年6月26日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ディーリアス:ピアノ協奏曲
  12.Moderato 9:21
  13.Largo 6:19
  14.Tempo I; Maestoso 5:24

コンスタント・ランバート(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1946年8月24日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ



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 CD7

●ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ WoO 57
  1.Andante favori in F major, WoO 57 8:10

録音:1958年8月18日

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 Op.73「皇帝」
  2.Allegro 19:58
  3.Adagio un poco mosso 7:21
  4.Rondo: Allegro 10:17

ヨーゼフ・クリップス(指揮)ニューヨーク・スタジアム交響楽団(ニューヨーク・フィル)
録音:1961年7月19日、ニューヨーク、ルイゾーン・スタジアム(ライヴ)

●ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
  5.Promenade (1st) 1:24
  6.The Gnome 2:10
  7.Promenade (2nd) 0:47
  8.The old Castle 2:40
  9.Promenade (3rd) 0:27
  10.Tuileries (Children's quarrel after games) 0:49
  11.Bydlo (The oxcart) 1:59
  12.Promenade (4th) 0:36
  13.Ballet of the unhatched chicks in their shells 1:11
  14.Samuel Goldenberg and Schmuÿle 2:17
  15.Limoges: the Market 1:34
  16.Catacombs 1:05
  17.Cum mortuis in lingua morta 1:39
  18.The hut on fowl's legs (Baba Yaga) 1:09
  19.The great gates of Kyiv (The Bogatyr gates) 3:49

録音:1961年6月26日



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 CD8

●シューマン:「クライスレリアーナ」 Op.16
  1.Äußerst bewegt 2:12
  2.Sehr innig und nicht zu rasch 8:02
  3.Sehr aufgeregt 3:03
  4.Sehr langsam 3:18
  5.Sehr lebhaft 3:06
  6.Sehr langsam  3:17
  7.Sehr rasch 2:06
  8.Schnell und spielend 3:30

録音:1961年6月26日(ライヴ)

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 Op.73「皇帝」
  9.Allegro 19:40
  10.Adagio un poco mosso 7:14
  11.Rondo: Allegro 10:04

マルコム・サージェント(指揮)BBC交響楽団
録音:1963年3月6日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ライヴ)



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 CD9

●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 Op.23
  1.Allegro non troppo e molto maestoso 19:26
  2.Andantino semplice 7:18
  3.Allegro con fuoco 6:41

ジョージ・ウェルドン(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1945年8月30、31日、ロンドン、フレンズ・ミーティング・ハウス

●ラフマニノフ :ピアノ協奏曲第2番 Op.18
  4.Moderato 9:54
  5.Adagio sostenuto 10:05
  6.Allegro scherzando 11:16

マルコム・サージェント(指揮)BBC交響楽団
録音:1956年8月6日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(ライヴ)



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 CD10

●チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番 Op.44
  1.Allegro brillante 16:38
  2.Andante non troppo 7:18
  3.Allegro con fuoco 7:03

ジョージ・ウェルドン(指揮)リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年8月29日、リヴァプール・フィルハーモニック・ホール(カデンツァ:1944年10月19日、アビーロード第3スタジオ)

●ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番 Op.1
  4.Vivace 11:26
  5.Andante cantabile 4:46
  6.Allegro vivace 7:28

マルコム・サージェント(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1948年12月23日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番 Op.22
  7.Andante sostenuto 10:22
  8.Allegro scherzando 5:41
  9.Presto 6:37

ベイジル・キャメロン(指揮)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年4月25日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ



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 CD11

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 Op.73「皇帝」
  1.Allegro 20:09
  2.Adagio un poco mosso 7:55
  3.Rondo: Allegro  9:24

ジョージ・セル(指揮)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年10月21日、ロンドン、キングズウェイ・ホール

●グリーグ :ピアノ協奏曲イ短調 Op.16
  4.Allegro molto moderato 11:47
  5.Adagio 5:56
  6.Allegro moderato molto e marcato 8:53

レスリー・ヘワード(指揮)ハレ管弦楽団
録音:1941年10月22、23日、マンチェスター、ホウルズワース・ホール



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 CD12

●グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 Op.16
  1.Allegro molto moderato 12:26
  2.Adagio 6:08
  3.Allegro moderato molto e marcato 9:48

オットー・アッカーマン(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1953年9月9、10、21日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 Op.37
  4.Allegro con brio 16:10
  5.Largo 9:18
  6.Rondo: Allegro 8:41

マルコム・サージェント(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1950年12月20日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ(歪あり)

●ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ WoO 57
  7.Andante favori in F major, WoO 57 8:28

録音:1950年10月25日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD13

●シューマン:ピアノ協奏曲イ短調 Op.54
  1.Allegro affettuoso 14:30
  2.Intermezzo: Andantino grazioso 5:12
  3.Allegro vivace 10:46

オットー・アッカーマン(指揮)フィルハーモニア管弦楽団
録音:1953年9月8、9日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●ショパン:スケルツォ第1番、第3番、第4番
  4.Scherzo No.1 in B minor, Op.20  8:43
  5.Scherzo No.3 in C sharp minor, Op.39 7:07
  6.Scherzo No.4 in F major, Op.54 9:11

録音:1949年9月20、28日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ウェーバー:無窮動
  7.Perpetuum Mobile 3:53

録音:1950年10月25日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ジョン・ヴァリエ[1920-1991]:トッカティーナ
  8.Toccatina 1:27

録音:1950年10月25日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●プロコフィエフ:「悪魔的暗示」
  9.Suggestion diabolique, Op.4 No.4 2:44

録音:1950年10月25日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:夜想曲第19番
  10.Nocturne No.19 in E minor, Op.72 No.1 4:13

録音:1952年1月11日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:幻想即興曲
  11.Fantaisie-Impromptu in C sharp minor, Op.66 4:32

録音:1952年1月11日、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD14

●ダカン:「カッコウ」
  1.Le coucou 2:02

録音:1916年5月10日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ドビュッシー:「雨の庭」
  2.Jardins sus la pluie from Estampes 3:14

録音:1916年4月13日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ラヴェル:「水の戯れ」
  3.Jeux d'eau 4:19

録音:1916年4月13日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ショパン:子守歌 Op.57
  4.Berceuse in D flat major, Op.57 4:05

録音:1916年4月13日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ブラームス;カプリッチョ Op.76-2
  5.Capriccio in B minor, Op.76 No.2 3:09

録音:1916年12月6日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●リスト:「私のいとしい人」(ショパン:6つのポーランドの歌より)
  6.Moja pieszczotka (Meine Freuden), S.480 No.5,

録音:1916年12月6日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●スクリャービン:左手のための夜想曲
  7.Nocturne for the left hand in D flat major, Op.9 No.2 4:25

録音:1916年12月6日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ショパン:前奏曲第20番
  8.Prelude No.20 in C minor, Op.28 No.20 1:28

録音:1918年5月31日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ショパン:「子犬のワルツ」
  9.Waltz No.6 in D flat major, Op.64 No.1 "Minute Waltz" 1:40

録音:1918年5月31日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●パルムグレン:「鳥の歌」
  10.Linnunlaulua (Birdsong), Op.17 No.19 1:03

録音:1918年5月31日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●パルムグレン:「海」
  11.Meri (The sea), Op.17 No.12 1:23

録音:1918年5月31日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ドビュッシー:「月の光」
  12.Clair de lune from Suite Bergamasque 4:15

録音:1918年5月31日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ラモー:ガヴォットと変奏
  13.Gavotte et Variations 4:02

録音:1919年6月11日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●スカルラッティ(タウジヒ編):パストラーレとカプリッチョ
  14.Pastorale e Capriccio 4:21

録音:1919年6月11日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ドビュッシー:「ミンストレル」
  15.Minstrels from Preludés Book I 2:13

録音:1919年6月11日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●シューベルト(リスト編):「きけきけヒバリ」
  16.Horch! Horch! Der Learch!, S.558 No.9 3:05

録音:1919年6月11日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ショパン:ワルツ第11番(2テイク)
  17.Waltz No.11 in G flat major, Op.70 No.1 2:17
  18.Waltz No.11 in G flat major, Op.70 No.1 2:16

録音:1921年6月28日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ウェーバー:「無窮動」
  19.Perpeetuum Mobile 3:44

録音:1921年9月19日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●レシェティツキー:「アラベスク」
  20.Arabesque en forme d'Etude, Op.45 No.1 1:44

録音:1921年9月19日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●パルムグレン:「フィンランド舞曲」
  21.Finnish dance, Op.31 No.5 1:38

録音:1921年9月19日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ショパン:即興曲第2番(2テイク)
  22.Impromptu No.2 in F sharp major, Op.36 4:44
  23.Impromptu No.2 in F sharp major, Op.36 4:37

録音:1921年9月19日(Tr.22)、1921年11月10日(Tr.23)、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ドリーブ:「歓楽の王、古風な様式による6つの舞踏の調べ」
  24.Passepied from Le Roi s'amuse, air de danse No.6 1:42

録音:1922年3月7日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●モシュコフスキ:「女道化師」
    25.Die Jongleurin, Op.52 No.4 1:41

録音:1922年3月7日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●ムソルグスキー:「ゴパーク」
    26.Gopak from Sorochinsky Fair 1:36

録音:1922年5月4日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1

●シューマン:「夢のもつれ」
  27.Traumes virren 2:48

録音:1922年5月4日、ロンドン、ヘイズ、ルーム1



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 CD15

●ショパン:夜想曲第19番
    1.Nocturne No.19 in E minor, Op.72 No.1 4:04

録音:1922年6月13日 (or 1952年1月11日)、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●アントン・ルビンシテイン:舟歌
    2.Barcarolle in F minor, Op.30 No.1 4:21

録音:1922年6月13日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●ショパン:マズルカ第51番「エミール・ガイヤール」
    3.Mazurka No.51 in A minor, "Émile Gaillard" 3:00

録音:1922年7月18日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●シューマン(リスト編)」「春の夜」
  4.Frühlingsnacht, S.568 2:40

録音:1922年7月18日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●ショパン:スケルツォ第2番
    5.Scherzo No.2 in B flat minor, Op.31 8:56

録音:1925年12月10日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●グラナドス:「アンダルーサ」
  6.Danza Española, Op. 37 No.5 "Andaluza" 3:08

録音:1925年12月10日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●グラナドス:「ロンデーリャ・アラゴネーサ」
  7.Danza Española, Op. 37 No.6 "Rondalla aragonesa" 3:05

録音:1925年12月10日、ロンドン、ヘイズ、スタジオ1

●ヘンゼルト:「もしも私が小鳥なら、あなたのところへ飛んで行きたい」
  8.Si oiseau j'etais, Douze Études caractéristiques, Op.2 No.6 1:47

録音:1925年12月10日、ロンドン、ヘイズ、スタジオA

●メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番 Op.25
  9.Molto allegro con fuoco 7:21
  10.Andante 6:33
  11.Presto; Molto allegro e vivace 6:09

ランドン・ロナルド(指揮)ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団
録音:1925年1月27日

●ショパン:即興曲第1番
  12.Impromptu No.1 in A flat major, Op.29 3:49

録音:1927年1月19日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ショパン:ワルツ第14番
  13.Waltz No.14 in E minor, Op. posth. B.56 3:16

録音:1927年1月24日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ショパン:バラード第3番
  14.Ballade No.3 in A flat major, Op.47 7:39

録音:1927年2月15日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ショパン:練習曲第11番、第4番、第15番、第10番
  15.Etude No.11 in E flat major, Op.10 No.11 2:12
  16.Etude No.4 in C sharp minor, Op.10 No.4 2:03
  17.Etude No.15 in F major, Op.25 No.3 1:58
  18.Etude No.10 in A flat major, Op.10 No.10 2:13

録音:1927年2月7日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC



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 CD16

●スカルラッティ(タウジヒ編):「パストラーレとカプリッチョ」
  1.Pastorale e Capriccio 6:05

録音:1927年2月21日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ブラームス:間奏曲 Op.119-3
  2.Intermezzo in C major, Op.119 No.3 1:33

録音:1927年5月26日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ショパン:ポロネーズ第9番
  3.Polonaise No.9 in B flat, Op.71 No.2 4:26

録音:1927年5月25日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●パルムグレン:「ロココ」
  4.Rococo, Op.47 No.5 2:56

録音:1927年5月25日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●アブラム・チェイシンズ[1903-1987]:「中国庭園での戯れ」、「香港のラッシュアワー」
  5.Flirtation in a Chinese Garden, Op. 5 2:07
  6.Rush hour in Hong Kong, Op.6 1:24

録音:1927年1月19日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●シューマン:「気まぐれ」
  7.Grillen (Fantasiestücke, Op. 12 No.4) 3:28

録音:1927年5月25日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●メンデルスゾーン:「無言歌」〜「狩の歌」、「悲しい心」
  8.Song without words, Op.19b No.3 "Hunting song" 3:11
  9.Song without words, Op.53 No.4 2:11

録音:1927年5月25日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●イベール:「小さな白いロバ」
  10.Le petit âne blanc, Histoires No.2 1:57

録音:1927年5月25日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●メトネル:「おとぎ話」 Op.34-2
  11.Fairy Tale in E minor, Op.34 No.2 2:15

録音:1928年3月1、2日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●プロコフィエフ:「悪魔的暗示」
  12.Suggestion diabolique, Op.4 No.4 2:36

録音:1928年3月1、2日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ゴドフスキー:「こうもりの主題による演奏会用パラフレーズ」
  13.Concert paraphrase on Die Fledermaus 8:18

録音:1928年3月1日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ブラームス:ラプソディ Op.119-4
  14.Rhapsody in E flat major, Op.119 No.4 4:30

録音:1929年3月20日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ワーグナー(リスト編):「イゾルデの愛の死」
  15.Isoldens Liebestod (Schlußszene), S.447 4:33

録音:1929年3月20日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ラヴェル:「水の戯れ」
  16.Jeux d'eau 4:40

録音:1928年3月2日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ
  17.Andante favori in F major, WoO 57 8:44

録音:1930年2月3日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC

●フンメル:ロンド・ファヴォリ
  18.Rondo favori in E flat major, Op.11 4:16

録音:1930年2月3日、ロンドン、クイーンズ・スモール・ホール、スタジオC



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 CD17

●ショパン:バラード第3番
  1.Ballade No.3 in A flat major, Op.47 7:04

録音:1938年9月23日、1939年3月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ドビュッシー:「雨の庭」
  2.Jardins sus la pluie from Estampes 3:03

録音:1938年2月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●プーランク:「無窮動」第1番
  3.Mouvements perpétuel No.1 in C major 1:36

録音:1938年2月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ストラヴィンスキー:練習曲 Op.7-4
  4.Etude in F sharp, Op.7 No.4 1:42

録音:1938年2月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ワーグナー(リスト編):「タンホイザー」序曲
  5.Ouvertüre zu Tannhäuser, S.442 15:18

録音:1938年1月28日、2月17日、3月24日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ウェーバー(タウジヒ編):「舞踏への勧誘」
  6.Rondo Brillant in D flat major, J.260 8:21

録音:1939年9月27日、12月11日

●メンデルスゾーン(ラフマニノフ編):「真夏の夜の夢」〜スケルツォ
  7.Scherzo from A Midsummer Night's Dream 4:12

録音:1939年3月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:舟歌
  8.Barcarolle in F sharp, Op.60 7:55

録音:1939年3月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●リスト:「ハンガリー民謡にもとづく幻想曲」
  9.Fantasia on Hungarian Folk Melodies 15:38

コンスタント・ランバート(指揮)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1939年11月3日、ロンドン、アビーロード第1スタジオ

●ショパン:夜想曲第2番
  10.Nocturne No.2 in E flat, Op.9 No.2 4:29
録音:1940年10月31日
、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD18

●リスト:「愛の夢」第3番
  1.Liebesträume, No.3 in A flat major, S.541 4:30

録音:1940年10月31日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラフマニノフ:前奏曲第21番
  2.Prelude No.21 in B minor, Op.32 No.10 4:47

録音:1940年10月3日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
  3.Hungarian Rhapsody No.2 9:35

録音:1940年10月9日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●リスト:「3つの演奏会用練習曲」〜「軽やかさ」
  4.Étude de concert No.2 "La Leggierezza" 4:08

録音:1941年3月31日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:舟歌
  5.Barcarolle in F sharp, Op.60 7:57

録音:1941年3月31日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●シューマン:「森の情景」〜「予言の鳥」
  6.Vogel als prophet (Waldszenen, Op.82 No.7) 2:44

録音:1941年5月13日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●メンデルスゾーン:「3つの幻想曲あるいはカプリス」〜スケルツォ
  7.Scherzo in E minor, Op.16 No.2 2:12

録音:1941年5月13日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●シューマン:ロマンス第2番
  8.Romance, Op.28 No.2 3:52

録音:1941年10月12日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●パルムグレン:「西フィンランドの踊り」、「ゆりかごの歌」
  9.West Finnish Dance, Op.31 No.5 1:39
  10.Tuutulaulu (Refrain de berceau) 2:58

録音:1941年11月10日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ベートーヴェン:ロンド
  11.Rondo in C major, Op.51 No.1 4:49

録音:1942年6月15日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ハチャトゥリアン:トッカータ
  12.Toccata 4:15

録音:1943年3月4日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●シューマン:ロマンス第2番
  13.Romance, Op.28 No.2 3:51

録音:1941年10月12日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ



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 CD19

●ショパン:ポロネーズ第9番
  1.Polonaise No.9 in B flat, Op.71 No.2 5:27

録音:1943年8月21日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラフマニノフ:前奏曲第23番
  2.Prelude No.23 in G sharp minor, Op.32 No.12 2:06

録音:1943年10月19日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラフマニノフ:「楽興の時」第4番
  3.Moments Musicaux, Op.16: No.4 Presto in E minor 2:55

録音:1943年10月20日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●メトネル:「ロシアのおとぎ話」
  4.Fairy Tale in E minor, Op.42 No.1 4:55

録音:1944年4月27日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●チャイコフスキー:「悲しい歌」
  5.Chanson triste, Op.40 No.2 3:42

録音:1945年10月5日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ドビュッシー:「月の光」
  6.Clair de lune from Suite Bergamasque 4:21

録音:1946年2月28日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ドビュッシー:トッカータ
  7.Toccata pour le piano 3:37

録音:1946年3月21日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラヴェル:「クープランの墓」〜トッカータ
  8.Toccata from Le tombeau de Couperin 3:46

録音:1946年3月21日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●メトネル:「ロシアの輪舞曲」
  9.Round dance, Op.58 No.1 5:52
ニコライ・メットネル(ピアノ)

録音:1946年10月24日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ハチャトゥリアン(レヴァント編):「剣の舞」
  10.Sabre Dance from Gayaneh 2:19

録音:1948年10月5日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ラフマニノフ:「リラの花」
  11.Lilacs, Op.21 No.5 2:36

録音:1948年10月5日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:バラード第1番
  12.Ballade No.1 in G minor, Op.23 8:19

録音:1938年9月23日、1939年3月17日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:バラード第2番、第4番
  13.Ballade No.2 in F major, Op.38 7:03
  14.Ballade No.4 in F minor, Op.52 9:31

録音:1947年8月22日、ロンドン、ロンドン、アビーロード第3スタジオ

●ショパン:バラード第3番
  15.Ballade No.3 in A flat major, Op.47 7:39

録音:1958年9月11日(ライヴ)


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 前史

 1848年

◆1848年革命、各地で勃発。ドイツ、オーストリア、イタリア、フランス、ハンガリー、ボヘミア、デンマーク、ウクライナ、ポーランド、スイス、デンマークなど広範囲で、自由主義的な革命運動が起こり、「ウィーン体制」の崩壊を招くことになり、人の移動も多くなります。

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 1849年

◆ウクライナで民族解放運動が活発化。ウクライナは18世紀初頭からポーランド王国に代わってロシア帝国による植民地化が進み、1764年には「小ロシア省」が置かれ、1781年には行政区分が設置、1783年には農民の移動を制限した「農奴制」も導入。元々の支配者であったポーランド人に加え、大量に移民していたドイツ人や、その前から大勢いたユダヤ人によって、多くのウクライナ人が使役に供されていた歴史が背景にあります。

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 1861年

◆ロシア皇帝アレクサンドル2世、農奴解放令を発布し、約4,700万人の農民を地主から解放。彼らは全国各地に新たに設置された地方自治機関「ゼムストヴォ」に数千人の代議員を送り出し、やがて工業化の担い手として大きな役割を果たすことにもなりますが、当初は混乱も招き、ウクライナからコーカサス地方や極東の遠隔地に移動する人も大勢いました。

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 1873年

◆ロシア帝国で飢饉発生。
◆ロシア帝国政府、ウクライナ語の教育を禁止。ウクライナ語の書物も全面的に出版・流通を禁止。

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 1881年

◆3月13日、ロシア帝国皇帝アレクサンドル2世、サンクトペテルブルクで暗殺。ポーランド人のイグナツィ・フリニェヴィエツキが手投げ爆弾を投じて殺害したものですが、威力が大き過ぎてフリニェヴィエツキ本人も爆発の影響で数時間後に死亡しています。
◆反ユダヤ主義の新聞が、皇帝暗殺はユダヤ人によるものと虚偽の報道をおこなったことで、ユダヤ人から盗んでも罰せられないという偽情報も蔓延。
◆4月3日、アレクサンドル2世暗殺事件の首謀者、ロシア人のアンドレイ・ジェリャーボフと、ユダヤ系ロシア人のソフィア・ペロフスカヤらが処刑。
◆4月15〜17日、ロシア帝国、ウクライナのエリザヴェトグラードでポグロム(ユダヤ人迫害)発生。アレクサンドル2世暗殺事件がユダヤ人によるものという煽情的に誇張された報道により、ユダヤ人の経営する商店や飲食店がウクライナ人たちに略奪されたほか、傷害事件も多発。近郊のウクライナ農民が参加して略奪が激化すると、ロシア帝国政府により陸軍が派遣されて鎮圧。以後、ウクライナとその周辺では、翌年まで反ユダヤ主義的な略奪事件が続発。ロシア帝国全土では、西部を中心に1884年までポグロムが散発的に継続し、事件の数は200を超え大勢の犠牲者も出ています。



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 年表
 1890年/明治23年(0歳)

●2月22日、ベンジューマ・モイセイヴィチ、ロシア帝国、ウクライナのオデッサに誕生。両親ともユダヤ人で、父ダヴィッド・レイブ・モイセイヴィチ[1848-1933]は材木商でした。
  母エステル・モイセイヴィチ(旧姓:ミロポルスカヤ)[1857-1936]は音楽の才能に恵まれ、ベンノは幼少から母にピアノを習います。耳で聴いて簡単に弾くことができたベンノは、すぐに母親から楽譜についても教わり、さらに個人教師にも師事することになります。


◆9月、オデッサ競馬場が開場。ノヴォロシースク馬術振興協会が建設。


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 1891年/明治24年(0〜1歳)

◆ロシア帝国で飢饉発生。

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 1892年/明治25年(1〜2歳)

◆ロシア帝国で飢饉発生。

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 1893年/明治26年(2〜3歳)

●1月16日、デイジー・ファウラー・ケネディ[1893-1981]、オーストラリア、南オーストラリア州のバーラに誕生。1914年にモイセイヴィチとロンドンで結婚・出産。その後離婚し1924年に劇作家で詩人のジョン・ドリンクウォーター[1882-1937]と再婚、死別。

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 1894年/明治27年(3〜4歳)

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 1895年/明治28年(4〜5歳)

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 1896年/明治29年(5〜6歳)

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 1897年/明治30年(6〜7歳)

●モイセイヴィチ、ピアノの腕が図抜けていたため、7歳でオデッサ帝国音楽学校(オデッサ音楽院)に入学。クラスメイトのほとんどは8歳年長ということもあってか、モイセイヴィチの落ち着きの無さと腕白ぶりが目立って注意も受け、しかもすでにピアノがうまかったので、あまり練習を好みませんでしたが、リストとレシェティツキーに学んだことのあるドミトリー・クリモフの巧みな指導もあってか、2年後、9歳の時にはシューマンの演奏によってアントン・ルビンシテイン賞を受賞し「才気煥発で個性的な演奏」と称えられています。
  師のクリモフはほどなく校長を務めるようになりますが、1908年に校長を退職し、教師として留任する道を選びます。
  ロシア帝国音楽協会オデッサ支部長のオルロフ伯爵は、校長の後任候補を探し、リムスキー=コルサコフとグラズノフに声をかけます。2人はすぐに弟子のヴィトルド・マリシェフスキーを推薦し、同年にはマリシェフスキーはオデッサに転居。そして1913年、オデッサ帝国音楽学校はオデッサ音楽院へと生まれ変わることになります。


◆ロシア帝国で飢饉発生。

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 1898年/明治31年(7〜8歳)

◆ロシア帝国で飢饉発生。
●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校に在学。


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 1899年/明治32年(8〜9歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校で、シューマンの演奏によりアントン・ルビンシテイン賞を受賞。


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 1900年/明治33年(9〜10歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校に在学。


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 1901年/明治34年(10〜11歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校に在学。


◆ロシア帝国で飢饉発生。

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 1902年/明治35年(11〜12歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校に在学。


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 1903年/明治36年(12〜13歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校に在学。


◆4月、キシニョフ(キシナウ)で、約50人のユダヤ人がウクライナ人らにより虐殺される事件(ポグロム)が発生。キシニョフはオデッサの西約150キロのところにある中規模の都市で、オデッサのユダヤ人出版関係者たちは奮い立ち、事件について記した出版物を各国語に翻訳してオデッサの港と鉄道駅から世界に向けて送りだすことになります。


●7月21日、モイセイヴィチの未来の2代目の妻、アニータ・アンナ・ゲンズブルガー[1903-1956]がパリ近郊で誕生し、ユダヤ系フランス人の両親とすぐに上海に転居。

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 1904年/明治37年(13〜14歳)

●モイセイヴィチ、オデッサ帝国音楽学校の校門が破壊された事件で濡れ衣を着せられ、3か月の停学処分となります。しかし両親は怒って学校を辞めさせ、ロンドンで暮らす長男のジョンにそのことを知らせると、ジョンはロンドンに連れてきてくれれば何とかすると両親を説得、モイセイヴィチは母と共にロンドンに向かうことになります。
  渡航に際し、名前の「Benjuma」をイディッシュ語の「Benno」に変更し、苗字のラテン文字表記もイディッシュ語で「Moiseiwitsch」としています。
  父ダヴィッドは、モイセイヴィチをイギリスに留学させるため、所有していた3頭の血統書付きの馬を売って資金を調達。


●モイセイヴィチ、ロンドンのギルドホール音楽学校で勉強しようとするものの、すでにプロ級の腕前だったことから、校長のカミングス博士[1831-1915]からは教えることがないと言われ、ウィーンのレシェティツキーのもとを訪ねるようアドバイスされます。


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 1905年/明治38年(14〜15歳)

◆1月、ロシア帝国首都サンクトペテルブルクで「血の日曜日事件」発生。ロシア第一革命へ発展。


◆ロシア帝国で飢饉発生、農村部中心に人口の約22%が飢餓状態に。
◆キエフでギリシャ人を狙ったポグロムが発生。
◆オデッサで大規模なポグロム発生。当時のオデッサの識字率は約4割で、裕福なユダヤ人との生活水準の差には大きなものがありました。


●モイセイヴィチ、カミングス博士のアドバイスにより、姉の夫であるサーシャを頼ってウィーンの名教師テオドール・レシェティツキーを訪問。モイセイヴィチ少年はショパンの「革命」を演奏し、もっと巧く弾くこともできると豪語したところ、レシェティツキーは、自分は左足でもっとうまく弾けると反撃。「革命」には少なくとも100以上の微妙なニュアンスがあるのに、それをあなたは単に効果のために犠牲にした。私は見せ物には興味はない。2、3か月まともな練習をして、本当のコントロールができるようになってからまた来て欲しいと突き放します。
  その日以来、モイセイヴィチは努力を続け、再びレシェティツキーのもとを訪れた際には入門を認められ、以後、2年半に渡って教えを受けることとなります。


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 1906年/明治39年(15〜16歳)

●モイセイヴィチ、レシェティツキーに師事。


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 1907年/明治40年(16〜17歳)

●モイセイヴィチ、レシェティツキーに師事。


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 1908年/明治41年(17〜18歳)

●モイセイヴィチ、レシェティツキーに師事。


●10月1日、モイセイヴィチ、ロンドン近郊のレディングでデビュー。

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 1909年/明治42年(18〜19歳)

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 1910年/明治43年(19〜20歳)

●2月、モイセイヴィチ、ロンドンのベヒシュタイン・ホールでデビュー。曲目プログラムは、「熱情」、「謝肉祭」、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番、ブラームス:パガニーニ変奏曲。ベヒシュタイン・ホールはその後、第1次大戦中の1916年にイギリス政府によってショールームのピアノ137台などとともに接収され破格で転売。ウィグモア・ホールとなります。


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 1911年/明治44年(20〜21歳)

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 1912年/明治45年・大正元年(21〜22歳)

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 1913年/大正2年(22〜23歳)

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 1914年/大正3年(23〜24歳)

●4月14日、モイセイヴィチ、ヴァイオリニストのデイジー・ファウラー・ケネディ[1893-1981]とロンドンで結婚。

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◆5月、ドイツが宣戦布告、フランスとベルギーに対して。
◆8月、オーストリア=ハンガリーが宣戦布告、セルビアとロシアに対して。
◆8月、ドイツが宣戦布告、ロシアに対して。
◆8月、イギリスが宣戦布告、ドイツとオーストリア=ハンガリーに対して。

●8〜10月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


◆11月、イギリス、フランス、ロシアが宣戦布告、オスマン帝国に対して。
◆11月、イギリス海軍、「ドイツ封鎖」を開始。海軍艦艇と機雷敷設により、北海などドイツへの接続海域を1919年7月まで5年間に渡って海上封鎖。この封鎖が原因でドイツ国内で飢餓や疫病が深刻化、約42万4千名が犠牲になっています(ドイツ側発表では約76万3千名)。
◆第1次大戦参戦により、イギリスはそれまで海外投資で得ていた多額の収益を喪失。

●12月3日、モイセイヴィチの長女、ターニャ・ベニータ・モイセイヴィチ、[1914-2003]、ロンドンで誕生。シアター・デザイナーの草分けとしての優れた実績で1976年に大英帝国勲章(CBE)を授与。2022年8月にはシェフィールドの演劇スタジオが「ターニャ・モイセイヴィチ・プレイハウス」と改名されています。

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 1915年/大正4年(24〜25歳)

◆1月、ドイツ軍、ツェッペリン飛行船によるイギリス空爆を開始。キングズ・リン、シェリンガムなどを爆撃。
◆5〜10月、ドイツ軍、ツェッペリン飛行船により複数回のロンドン空爆を。戦果は乏しかったものの、一般市民を無差別に攻撃したということで、心理的な影響は大きかったようです。また、新聞が詳細な場所や被害を報じるなど、結果的にドイツ側を利するものとなっていたため、イギリス政府は報道管制を導入。



●9〜10月、プロムス出演。リムスキー=コルサコフ、ディーリアス、シューマン:ピアノ協奏曲、リスト:ピアノ協奏曲第1番、第2番、死の舞踏、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


◆10月、イギリス、フランス、イタリア、ロシアがブルガリアに対して宣戦布告。

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 1916年/大正5年(25〜26歳)

◆1月、ドイツ軍、新型のツェッペリン飛行船を導入してロンドンを空爆。以後、年内に22回のツェッペリン飛行船による空爆をおこなって、計125トンの爆弾を投下、死者293人、負傷者691人という被害を与えますが、悪天候に弱く、迎撃された場合にほぼ無防備、さらに爆撃命中精度も低いということもあって、翌年5月以降は主役はゴータ重爆撃機に引き継がれていきます。


●4〜5月、HMV録音。ドビュッシー:雨の庭、ラヴェル:水の戯れ、ショパン:子守歌、ダカン:カッコウ。ホーン型集音器を使用したアコースティック録音。


●8〜10月、プロムス出演。リムスキー=コルサコフ、チェレプニン:ピアノ協奏曲、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


●12月、HMV録音。ブラームス;カプリッチョ、リスト:「私のいとしい人、スクリャービン:左手のための夜想曲。


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 1917年/大正6年(26〜27歳)

◆2月、ドイツ海軍、無制限潜水艦作戦を再開。民間船も含めて無差別に多数の船舶を撃沈。
◆5〜6月、ドイツ空軍、翼長約24メートルのゴータ重爆撃機による昼間爆撃開始。飛行船に較べて命中精度が大幅に向上、小学校でも多くの犠牲者を出すなどした結果、ドイツでは爆撃クルーに勲章を授与。


◆6月、ドイツ軍、ツェッペリン飛行船6機を爆撃に向かわせ、火薬庫などの爆撃に成功するものの、悪天候とイギリス空軍の反撃により大きな被害を受けます。>
◆7〜8月、イギリス軍の防空体制が強化され、ゴータ重爆撃機編隊への被害が増大。ほどなく夜間爆撃を開始。

●8〜10月、プロムス出演。リムスキー=コルサコフ、チェレプニン:ピアノ協奏曲、リスト:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


◆10、ドイツ空軍、翼長約42メートルの巨大爆撃機「ツェッペリン・シュターケンR.VI」を夜間爆撃に投入。以降、計11回の爆撃で28トンの爆弾を投下。


◆12月、アメリカがオーストリア=ハンガリー帝国に対して宣戦布告。
◆12月、ロシア、ドイツと休戦協定を締結。

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 1918年/大正7年(27〜28歳)

◆3月、ドイツ空軍、ゴータ重爆撃機による最後の爆撃。38機で出撃し13機の損失。約9か月間の爆撃で、61機を失い、約93トンの爆弾を投下しています。
◆3月、アメリカで超強力なインフルエンザが発生。6月にはボストンで5,000人近い死者が出るなど大流行が始まり、折からのアメリカ外征軍のヨーロッパへの膨大な数の兵士派遣と共に感染が世界的に拡大、多くの犠牲を出し、第1次世界大戦終結を早める要因ともなります。
  なお、このインフルエンザは世界大戦下で感染爆発したため、報道統制の無かった中立国スペインでの被害報道が目立ってしまい、結果として「スペインかぜ」と名付けられていますが、実際に世界的な感染拡大に大きな影響があったのは、インフルエンザの発生元で、膨大な数の兵士をヨーロッパなど各国に派遣していたアメリカでした。また、被害が深刻化した背景には、独バイエル製薬のアスピリン(イギリスではアスプロ)の点滴など過度の使用があるという説もあります。

●5月、HMV録音。ドビュッシー:月の光、ショパン:子犬のワルツ、前奏曲第20番、パルムグレン:鳥の歌、海。


●8〜9月、プロムス出演。リスト:ピアノ協奏曲第1番、バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番。


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 1919年/大正8年(28〜29歳)

●4月、モイセイヴィチ、クイーンズ・ホール管。スタンフォード:ピアノ協奏曲第2番。
●6月、HMV録音。ラモー:ガヴォットと変奏、スカルラッティ:パストラーレとカプリッチョ、ドビュッシー:ミンストレル、シューベルト:きけきけヒバリ。


●9月、プロムス出演。チェレプニン:ピアノ協奏曲、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


●11月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー開始。翌年4月まで各地で公演。


●11月、モイセイヴィチ、ニューヨーク・デビュー。ロ短調ソナタ、謝肉祭、パガニーニ変奏曲、他。


●12月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。熱情、クライスレリアーナ、ラフマニノフ:前奏曲、他。


●モイセイヴィチ、ニューヨークでラフマニノフと初めて出会い、交流が始まります。



◆6月、ドイツ、ヴェルサイユ条約批准。

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 1920年/大正9年(29〜30歳)

●1月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。スカルラッティ、モーツァルト、ラモー、ドビュッシー、ラフマニノフ:前奏曲、他。


●1月、モイセイヴィチ、ダムロッシュ指揮ニューヨーク交響楽団と共演。チェレプニン:ピアノ協奏曲 Op.30。
●3月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。ブラームス、ショパン、ドビュッシー、他。


●5〜9月、モイセイヴィチ、オーストラリア・ツアー。


●10月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー開始。翌年4月まで各地で公演。


●11月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。バッハ。ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、ワーグナー、他。


●12月、モイセイヴィチ、ボダンツキー指揮ニューヨーク・ナショナル交響楽団と共演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


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 1921年/大正10年(30〜31歳)

●2月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。シューマン、ブラームス、ラフマニノフ:前奏曲、他。
●2月、モイセイヴィチ、ボストン響(モントゥー指揮)。シンフォニー・ホール。シューマン:ピアノ協奏曲。


●4月、モイセイヴィチ、クイーンズ・ホール。ソロ・リサイタル。
●6月、HMV録音。ショパン:ワルツ第11番。


●9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


●9月、HMV録音。ウェーバー:無窮動、レシェティツキー:アラベスク、パルムグレン:フィンランド舞曲、ショパン:即興曲第2番。


●11月、モイセイヴィチ、ロンドン響。デランジェ:ピアノ協奏曲。
●11月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー開始。


●11月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。ワルトシュタイン、クープランの墓、交響的練習曲、メフィスト・ワルツ、他。


●11月、モイセイヴィチの次女、サンドラ・モイセイヴィチ、[1921-1996]、ロンドンで誕生。

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 1922年/大正11年(31〜32歳)

●3月、HMV録音。モシュコフスキ:女道化師、ドリーブ:歓楽の王、古風な様式による6つの舞踏の調べ。


●5〜7月、HMV録音。ムソルグスキー:ゴパーク、シューマン:夢のもつれ、春の夜、ショパン:夜想曲第19番、マズルカ第51番、ルビンシテイン:舟歌。


●8月、プロムス出演。チェレプニン:ピアノ協奏曲。


●9月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●10月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。ボストン響(モントゥー指揮)。シンフォニー・ホール。チェレプニン:ピアノ協奏曲、他。


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 1923年/大正12年(32〜33歳)

●2月、モイセイヴィチ、フィラデルフィア管弦楽団。ストコフスキー指揮。カーネギー・ホール。チェレプニン:ピアノ協奏曲 Op.30、他。


●3月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。ラヴェル、ショパン、メトネル、ブラームス、ファリャ、他。


●9〜10月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。カナダも。


●10月、モイセイヴィチ、妻デイジーと離婚。デイジーは親しくしていた詩人とすぐに再婚。

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 1924年/大正13年(33〜34歳)

●1月、モイセイヴィチ、クイーンズ・ホール。
●4月、モイセイヴィチ、クイーンズ・ホール。
●9月、プロムス出演。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


●10月、元妻デイジー、劇作家で詩人のジョン・ドリンクウォーターと結婚。
●12月、モイセイヴィチ、フランス、ベルギー公演。

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 1925年/大正14年(34〜35歳)

●1月、HMV録音。メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番。ロナルド指揮。


◆イギリス、金本位制に復帰。チャーチル財務大臣は、戦前平価での復帰を決定しますが、イギリス経済が第1次大戦で大きく悪化していたため、かえって国民の大きな負担となり、6年後には金本位制から離脱することとなる失策でした。
●12月、HMV録音。ヘンゼルト:もしも私が小鳥なら、あなたのところへ飛んで行きたい、グラナドス:アンダルーサ、ロンデーリャ・アラゴネーサ、ショパン:スケルツォ第2番。


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 1926年/大正15年・昭和元年(35〜36歳)

●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●3月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。バッハ、シューマン、ファリャ、ショパン、他。


●9月、プロムス出演。モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


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 1927年/昭和2年(36〜37歳)

●1〜2月、HMV録音。チェイシンズ:香港のラッシュアワー、中国庭園での戯れ、ショパン:即興曲第1番、ワルツ第14番、バラード第3番、練習曲第11番、第4番、第15番、第10番、スカルラッティ:パストラーレとカプリッチョ。


●5月、HMV録音。イベール:小さな白いロバ、ブラームス:間奏曲、ショパン:ポロネーズ第9番、パルムグレン:ロココ、シューマン:気まぐれ、メンデルスゾーン:狩の歌、悲しい心。


●7月、モイセイヴィチ、上海租界公演。


●7月、モイセイヴィチ、上海でアニータ・アンナ・ゲンズブルガー[1903-1956]と出会います。アニータはフランス人を両親に上海で生まれ、スイスとフランスでピアノを学んだ人物。モイセイヴィチの2週間の上海滞在時に、接待係の6人の女性のひとりとして、ゴルフ、テニス、観光などでも行動を共にします。
●8月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●8月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●8月、モイセイヴィチ、ヨーゼフ・ホフマンの要請でカーティス音楽院で教えます。


●9月、モイセイヴィチ、初の日本公演。帝国劇場で5日連続のリサイタル。


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 1928年/昭和3年(37〜38歳)

●3月、HMV録音。ゴドフスキー:こうもりの主題による演奏会用パラフレーズ、メトネル:おとぎ話、プロコフィエフ:悪魔的暗示、ラヴェル:水の戯れ。


●7月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、2度目の日本公演。帝国劇場。


●12月、モイセイヴィチ、上海租界公演。


●12月、モイセイヴィチ、上海でアニータ・ゲンズブルガーと再会し、ほどなく結婚。


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 1929年/昭和4年(38〜39歳)

●3月、HMV録音。ワーグナー:イゾルデの愛の死、ブラームス:ラプソディ。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


◆9月3日、アメリカ、しばらく「買い」が蓄積して上昇を続けていたダウ工業株の平均が最高値381.17を記録。ほどなく利益確定のための「売り」が集中して1か月に渡って下がり続けて17%下落。その時点で底値と判断した「買い」が入って下落分の半分ほどまで上昇したもののそこで利益確定の「売り」が大きく入り、再び株価は下落。
◆9月26日、イングランド銀行が5.5%から6.5%に金利の引き上げを。それにより、先の利益確定後に投資先を探していたアメリカの巨額の投資資金がイギリスに流れ込むことになります(FRB金利は6.0%)。
◆10月24日、ウォール街株価大暴落。シカゴ市場、バッファローの市場は閉鎖。やがて損失確定組は、善後策として、各国への投資や預金などの資金を回収、結果的に、銀行や企業の相次ぐ破綻へと繋がって行きます。

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 1930年/昭和5年(39〜40歳)

◆イギリスでの世界恐慌の影響継続。
●2〜4月、HMV録音。ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ、フンメル:ロンド・ファヴォリ、ブラームス:ヘンデル変奏曲、シューマン:子供の情景。


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 1931年/昭和6年(40〜41歳)

●モイセイヴィチとアニータの息子、ボリス、ロンドンで誕生。
●9月、プロムス出演。メトネル:4つのおとぎ話、ストラヴィンスキー:練習曲、メトネル:3つのアラベスク、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


◆8月、イギリスでの世界恐慌の影響継続。失業者数が270万人に増大。内閣総理大臣で労働党党首のマクドナルドは、国家財政の危機ということで、失業手当の10%削減を謳うものの、労働組合が労働党の支持基盤であることから党内の猛反発を受け、党首の労働党除名という事態を招き、内閣は事実上崩壊。
◆9月、イギリス国王ジョージ5世の支援により、マクドナルド挙国一致連立内閣成立。労働党を除名されたマクドナルドは、内閣を解散せずに保守党、自由党の議員と共に内閣を立ち上げ、すぐに解散総選挙を実行。保守党圧勝、労働党惨敗という結果となり、事実上の保守党内閣としての運用が始まります。
◆9月、イギリス、世界恐慌対策の一環として金本位制離脱。解散総選挙の公約では金本位制死守を掲げていたものの、ポンド危機により即座に離脱。ポンドも切り下げ、管理通貨制度に移行。

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 1932年/昭和7年(41〜42歳)

◆2月、イギリス、世界恐慌対策の一環として自由貿易を否定し、保護関税法を制定。国内産業の保護と輸出増加を狙い、すべての輸入に関して10%の関税を適用。さらに政策金利も2%に引き下げて資金調達条件を緩和し、国内経済の刺激に注力。
●息子ボリス、ロンドンで誕生。
●6〜7月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●10〜11月、モイセイヴィチ、3度目の日本公演。新響(近衛指揮)と日比谷公会堂でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番で共演。


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 1933年/昭和8年(42〜43歳)

●3〜6月、モイセイヴィチ、4度目の日本公演。3月に日本青年館でリサイタルのほか、。新響(近衛指揮)とは日比谷公会堂でリスト:ピアノ協奏曲第1番、ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(日本初演)で共演。


●8、10月、プロムス出演。リスト:ハンガリー狂詩曲、ショパン:ピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


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 1934年/昭和9年(43〜44歳)

●8〜9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、パルムグレン:6つの抒情小品、シュレーツァー:2つの演奏会用練習曲。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、ナショナル管弦楽協会。バージン指揮。カーネギー・ホール。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番。


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 1935年/昭和10年(44〜45歳)

●1月、ウィンター・プロムス出演。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。開催。


●9月、プロムス出演。メンデルスゾーン:真夏の夜の夢(ラフマニノフ編)、リスト:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲。


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 1936年/昭和11年(45〜46歳)

●8〜9月、プロムス出演。ラフマニノフ:前奏曲集、パガニーニ狂詩曲、ドホナーニ:演奏会用練習曲、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。


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 1937年/昭和12年(46〜47歳)

●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●8月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●モイセイヴィチ、英国籍を取得。それまではモイセイヴィチがロシア国籍、妻アニータがフランス国籍、息子ボリスがイギリス国籍でした。


●9月、プロムス出演。ショパン:24の練習曲、ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、グラナドス:ゴイェスカス。


●11〜12月、HMV録音。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。ゲール指揮。


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 1938年/昭和13年(47〜48歳)

●1〜2月、HMV録音。ワーグナー:タンホイザー序曲、ドビュッシー:雨の庭、プーランク:無窮動第1番、ストラヴィンスキー:練習曲。


●6〜7月、南米ツアー。ジャマイカも。
●8〜9月、プロムス出演。英雄ポロネーズ、リスト:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番。


●9月、HMV録音。ショパン:バラード第1番、第3番。


●10月、イギリス南部のワイト島でリサイタル開催。
●10月、HMV録音。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番(セル指揮)。


●12月、HMV録音。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲。キャメロン指揮。


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 1939年/昭和14年(48〜49歳)

●3月、HMV録音。メンデルスゾーン(ラフマニノフ編):真夏の夜の夢〜スケルツォ、ショパン:舟歌。


●8〜9月、プロムス出演。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、ピアノ協奏曲第1番、楽興の時、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番、リスト:3つの演奏会用練習曲、ペトラルカのソネット。


●9月、HMV録音。ウェーバー:舞踏への勧誘。


●11月、HMV録音。リスト:ハンガリー民謡にもとづく幻想曲。ランバート指揮。


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 1940年/昭和15年(49〜50歳)

●8月、HMV録音。ラフマニノフ:前奏曲第1番、第6番、第21番、第16番。


●8〜10月、プロムス出演。民間資金により開催。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、第2番、第3番、パガニーニ狂詩曲。


●10月、HMV録音。リスト:ハンガリー狂詩曲第2番、愛の夢第3番、ラフマニノフ:前奏曲第21番。


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 1941年/昭和16年(50〜51歳)

●2月、モイセイヴィチ、ロンドン響。リヴァプール、ケンブリッジなど各地を周り、ソロ・リサイタルを含めて22日間で19回演奏。
●3月、HMV録音。リスト:軽やかさ、ショパン:舟歌。


●5月、クイーンズ・ホールがドイツ軍の爆撃により破壊。プロムスの会場はアルバート・ホールに移ります。


●5月、HMV録音。シューマン:予言の鳥、メンデルスゾーン:「3つの幻想曲あるいはカプリス」〜スケルツォ。


●7〜8月、プロムス出演。民間資金により開催。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番、シェリング:幻想的な組曲。


●9月、モイセイヴィチ、マルバーン。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、ブラームス:パガニーニ変奏曲。
●9月、モイセイヴィチ、レスター。グリーグ:ピアノ協奏曲、ブラームス:パガニーニ変奏曲。
●9〜11月、HMV録音。グリーグ:ピアノ協奏曲(ヘワード指揮)、ベートーヴェン:悲愴、月光、シューマン:ロマンス第2番、パルムグレン:西フィンランドの踊り、ゆりかごの歌。


●10月、モイセイヴィチ、リヴァプール。ソロ・リサイタル。
●11月、チャーチル夫人が赤十字ロシア援助基金への支援を放送で全国に呼びかけ。ドイツが不可侵条約に違反してソ連に侵攻し、膨大な損失をソ連に与える中、援助物資を送るための資金が必要とされていました。
●12月、モイセイヴィチ、チャーチル夫人の呼びかけに全力で協力することを発表。故郷オデッサがドイツに蹂躙されていたモイセイヴィチは、通常のコンサート活動とは別に、資金援助目的のためのリサイタルも開くと発表。以後、3年4か月の間に、100回以上の資金援助リサイタルをおこなったほか、通常のコンサート活動からも援助をおこなうことで、赤十字ロシア援助基金に1万ポンド近くを送っています(現在換算だと約25万ポンド)。ちなみにモイセイヴィチの戦争中の演奏回数は全部で800回を超えていたと言いますからすごい数です。


●12月、モイセイヴィチ、ブライトン。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。
●12月、モイセイヴィチ、ロンドン。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。パガニーニ狂詩曲。
●12月、モイセイヴィチ、マンチェスター近郊のハル。ソロ・リサイタル、チャイコフスキー:偉大な芸術家の思い出、ラフマニノフ:チェロソナタ。
●12月、モイセイヴィチ、プレストン。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。
●12月、モイセイヴィチ、BBCクリスマス・リサイタルをロンドンのパリ・シネマから放送。

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 1942年/昭和17年(51〜52歳)

●1月、モイセイヴィチ、ベルファスト、ダブリン、グラスゴー、エディンバラ、ニューキャッスル、グリムスビー、ハリファックス、タンブリッジウェルズ、ロンドン。ソロ・リサイタル。
●2月、HMV録音。ワルトシュタイン。


●2月、モイセイヴィチ、ブライトン。ソロ・リサイタル。
●6月、HMV録音。ベートーヴェン:ロンド。


●7〜8月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、パガニーニ狂詩曲。


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 1943年/昭和18年(52〜53歳)

●3月、HMV録音。メトネル:ピアノ・ソナタ、ハチャトゥリアン:トッカータ。


●6〜8月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、パガニーニ狂詩曲、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番。


●8、10月、HMV録音。ショパン:ポロネーズ第9番、ラフマニノフ:前奏曲第23番、楽興の時第4番。


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 1944年/昭和19年(53〜54歳)

●4月、HMV録音。メトネル:ロシアのおとぎ話。


●6〜8月、プロムス出演。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、ピアノ協奏曲第2番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、第2番、シェリング:幻想的な組曲。


●8月、HMV録音。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番(ウェルドン指揮)。10月に追加セッション。


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 1945年/昭和20年(54〜55歳)

●7〜9月、プロムス出演。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、ピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番。


●8月、HMV録音。展覧会の絵。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ウェルドン指揮)


●10月、HMV録音。チャイコフスキー:悲しい歌。


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 1946年/昭和21年(55〜56歳)

●2〜3月、HMV録音。ドビュッシー:月の光、ラヴェル:クープランの墓〜トッカータ。


●8〜9月、プロムス出演。メトネル:ピアノ協奏曲第3番(モイセイヴィチによる委嘱作)、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、パガニーニ狂詩曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●8月、HMV録音。ディーリアス:ピアノ協奏曲。ランバート指揮。


●9月、ライヴ録音。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲。ボールト指揮。
●10月、HMV録音。メトネル:ロシアの輪舞曲。


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 1947年/昭和22年(56〜57歳)

●1月、モイセイヴィチ、初開催となるウィンター・プロムスに出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番。


●モイセイヴィチ、大英帝国勲章(CBE)叙勲。チャーチル夫人の「ロシア援助基金」を100回以上のリサイタルで支援したことや、総計800回に及ぶ戦時公演が評価されました。
●4月、HMV録音。サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番(キャメロン指揮)。


●8月、HMV録音。ショパン:バラード第2番、第4番。


●12月、モイセイヴィチ、演奏活動に復帰。14年ぶりのニューヨーク。カーネギー・ホール。ロ短調ソナタ、パガニーニ変奏曲、ラフマニノフ:前奏曲、他。


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 1948年/昭和23年(57〜58歳)

●4月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●8月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●10月、HMV録音。カバレフスキー:ピアノ・ソナタ第3番、ハチャトゥリアン:剣の舞、ラフマニノフ:リラの花。


●12月、HMV録音。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番(サージェント指揮)、ショパン:24の前奏曲(1949年9月と12月に追加セッション)。


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 1949年/昭和24年(58〜59歳)

●1〜3月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。カナダも。


●1月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。ベートーヴェン、ラフマニノフ、カバレフスキー、他。


●9月、HMV録音。ショパン:スケルツォ第1番、第3番、第4番。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。オール・ショパン・プログラム。


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 1950年/昭和25年(59〜60歳)

●1〜3月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。カナダも。


●9月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●10月、HMV録音。ウェーバー:無窮動、ヴァリエ:トッカティーナ、プロコフィエフ:悪魔的暗示、ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。悲愴、クライスレリアーナ、展覧会の絵ショパン、他。


●12月、HMV録音。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(サージェント指揮)。


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 1951年/昭和26年(60〜61歳)

●5月、HMV録音。クロイツェル。ハイフェッツ。


●9月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番。


●12月、HMV録音。シューマン:幻想小曲集。


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 1952年/昭和27年(61〜62歳)

●1月、モイセイヴィチ、ウィンター・プロムスに出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


●1月、HMV録音。ショパン:幻想即興曲、夜想曲第19番。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●3月、モイセイヴィチ、ニューヨーク・タウン・ホール。オール・シューマン・プログラム。
●6月、HMV録音。シューマン:幻想小曲集(追加セッション)。


●9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


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 1953年/昭和28年(62〜63歳)

●7月、HMV録音。シューマン:幻想曲、ブラームス:ヘンデル変奏曲(9月に追加セッション)。


●7、9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●9月、HMV録音。シューマン、グリーグ:ピアノ協奏曲(アッカーマン指揮)。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。カバレフスキー、ブラームス、ショパン、ラフマニノフ、他。


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 1954年/昭和29年(63〜64歳)

●9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、パガニーニ狂詩曲。


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 1955年/昭和30年(64〜65歳)

●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●2月、モイセイヴィチ、カーネギー・ホール。ワルトシュタイン、クライスレリアーナ、幻想即興曲、他。


●7〜9月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲、ディーリアス:ピアノ協奏曲。


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 1956年/昭和31年(65〜66歳)

●1月4日、モイセイヴィチの妻アニータが、ロンドン近郊のハートフォードシャーで死去。妻アニータとの28年間はモイセイヴィチの人生の最良の時でした。


●4月、モイセイヴィチ、オーストラリア&ニュージーランド・ツアー。


●9月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番、チラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。

●ライヴ録音。BBC響(サージェント指揮)。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番


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 1957年/昭和32年(66〜67歳)

●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●2月、モイセイヴィチ、フィラデルフィア管弦楽団(オーマンディ指揮)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番。


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 1958年/昭和33年(67〜68歳)

●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●3月、モイセイヴィチ、シンフォニー・オブ・ジ・エア(バージン指揮)。ラフマニノフ記念公演。ピアノ協奏曲第1番、第2番、パガニーニ狂詩曲。


●5月、モイセイヴィチ、5度目の日本公演。日比谷公会堂。リサイタルではワルトシュタイン、ショパン、展覧会の絵。協奏曲は渡辺暁雄指揮日本フィルと皇帝、ラフマニノフ2番。


●7月、ニューヨーク・スタジアム響(ニューヨーク・フィル、シャーマン指揮)。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、パガニーニ狂詩曲。


●7月、プロムス出演。ラフマニノフ:前奏曲集、パガニーニ狂詩曲、楽興の時。


●8月、ライヴ録音。ベートーヴェン:ワルトシュタイン、アンダンテ・ファヴォリ。
●9月、ライヴ録音。ショパン:バラード第3番。

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 1959年/昭和34年(68〜69歳)

●8月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


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 1960年/昭和35年(69〜70歳)

●7月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●11月、モイセイヴィチ、ナショナル交響楽団(ミッチェル指揮)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番


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 1961年/昭和36年(70〜71歳)

●モイセイヴィチ、米デッカと契約。LPを3枚制作。
●モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。


●6月、ライヴ録音。ムソルグスキー:展覧会の絵、シューマン:クライスレリアーナ。
●7月、ライヴ録音。ニューヨーク・スタジアム響(ニューヨーク・フィル、クリップス指揮)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●9月、プロムス出演。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番。


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 1962年/昭和37年(71〜72歳)

●7月、プロムス出演。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


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 1963年/昭和38年 (72〜73歳)

●1月、モイセイヴィチ、アメリカ・ツアー。ピッツバーグがアメリカでの最後のリサイタル。


●3月、ライヴ録音。BBC響(サージェント指揮)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。


●4月9日、モイセイヴィチ、脳卒中のためロンドンのパディントンで死去。


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 商品説明:年表ページ

【指揮】

アーベントロート (ベートーヴェンシューベルト&シューマンブルックナーブラームスモーツァルトチャイコフスキーハイドン)
アルヘンタ
アンセルメ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィルベルリン・フィルミュンヘン・フィル国立歌劇場管レジェンダリー)
クラウス
クリップス
クレツキ
クレンペラー (VOX&ライヴザツツブルク・ライヴVENIASボックス
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
スイトナー (ドヴォルザークレジェンダリー)
スラトキン(父)
セル
ターリヒ
チェリビダッケ
トスカニーニ
ドラゴン
ドラティ
バルビローリ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
ベーム
ベイヌム
マルケヴィチ
ミトロプーロス
メルツェンドルファー
メンゲルベルク
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー (ブルックナーマーラーヨーロッパドイツ)
ロスバウト

【鍵盤楽器】

ヴァレンティ (チェンバロ)
ヴェデルニコフ (ピアノ)
カークパトリック (チェンバロ)
カサドシュ (ピアノ)
キルシュネライト (ピアノ)
グリンベルク (ピアノ)
シュナーベル (ピアノ)
ソフロニツキー (ピアノ)
タマルキナ (ピアノ)
タリアフェロ (ピアノ)
ティッサン=ヴァランタン (ピアノ)
デムス (ピアノ)
ナイ (ピアノ)
ニコラーエワ (ピアノ)
ネイガウス父子 (ピアノ)
ノヴァエス (ピアノ)
ハスキル (ピアノ)
フェインベルク (ピアノ)
モイセイヴィチ (ピアノ)
ユージナ (ピアノ)
ランドフスカ (チェンバロ)
ロン (ピアノ)

【弦楽器】

カサド (チェロ)
コーガン (ヴァイオリン)
シュタルケル (チェロ)
スポールディング
デュ・プレ (チェロ)
バルヒェット (ヴァイオリン)
フランチェスカッティ (ヴァイオリン)
ヤニグロ (チェロ)
リッチ (ヴァイオリン)
レビン (ヴァイオリン)
ロストロポーヴィチ (チェロ)

【管楽器】

デルヴォー <ダルティガロング> (ファゴット)
マンツ (クラリネット)
モワネ (オーボエ)

【声楽】

ド・ビーク (メゾソプラノ)

【室内アンサンブル】

グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
ズスケ四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
パスキエ・トリオ
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランスの伝説の弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

【作曲家】

アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

【シリーズ】

テスタメント国内盤

 エテルナ・オリジナル・マスター・シリーズ

【レーグナー】

●マーラー:交響曲第3、6番 (3CD)
●ブルックナー:交響曲第4、5、6、7、8、9番 (6CD)
●ヨーロッパ作曲家録音集 (5CD)
●ドイツ・オーストリア作曲家録音集 (5CD)
【スイトナー】

●レジェンダリー・レコーディングス (7CD)
●ドヴォルザーク:交響曲全集 (5CD)

【アーベントロート】

●ベートーヴェン:交響曲第1、4、6、9番、R.シュトラウス:ドン・キホーテ(3CD)
●シューベルト:未完成、グレート&シューマン:協奏曲集(2CD)
●ブルックナー:交響曲第4、5、9番 (3CD)
●ブラームス:交響曲第1、3、4番、ハイドン変奏曲 (2CD)
●モーツァルト」交響曲第33、35、38、41番、ディヴェルティメント第7番、ノットゥルノ (2CD)
●チャイコフスキー:交響曲第4、6番、シューマン:交響曲第4番、ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 (2CD)
●ハイドン:交響曲第88、97番、ヘンデル:二重協奏曲、バッハ:管弦楽組曲第3番

【ズスケ四重奏団】

●モーツァルト:弦楽四重奏曲第8番〜第23番 (5CD)

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