CD 輸入盤

ラルフ・カークパトリックの芸術(25CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AN108
組み枚数
:
25
レーベル
:
:
International
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ラルフ・カークパトリックの芸術(25CD)

バッハとスカルラッティの権威として知られた鍵盤楽器奏者、ラルフ・カークパトリックのコレクション。カークパトリックの演奏は、速めのインテンポを基調に、各パートを克明に響かせ、作品の構造を浮き彫りにして行くというもので、オブリガートが重要なバロック作品や、対位法的な性格の強いバッハ作品との相性はきわめて良好。
 チェンバロは、レジスター(ストップ、カプラー)の操作によって音色や音量を変更することができますが、カークパトリックはバッハ作品のシンメトリーを重視、そうしたレジストレーションも熟考したうえでおこない、拍やアクセントも常に明確化してチェンバロならではの分節法を際立たせ、装飾音についても、位置や量に配慮することで、各パートの認知が邪魔されるようなことはおこないませんでした。
 こういった手法の背景には、カークパトリックがヨーロッパで資料収集と検証に打ち込んでいた時代に、「オブリガート」や「装飾音」といったテーマでも研究をおこなっていたことが影響していると思われ、元の旋律や拍がわかりにくくなるような派手な装飾や過剰なレジストレーションは論外と考えていたようです。
 また、「平均律クラヴィーア曲集」や「インヴェンションとシンフォニア」、「組曲BWV818a」、「組曲BWV819」、「小前奏曲集」などではクラヴィコードを使用し、作品の構造を浮き彫りにするという基本アプローチはチェンバロと同じながらも、発音原理の異なるクラヴィコードの繊細な特性を生かして、バッハの内向きな音楽としての魅力を引き出しています。たとえば、平均律第1巻BWV853のプレリュードなどでの音量・音価に配慮した深遠な表現は、クラヴィコードならではのものともいえます。

 今回登場する25枚組ボックスでは、そのクラヴィコードによる平均律クラヴィーア曲集などアルヒーフ (ドイツ・グラモフォン)への録音を中心に、米ハイドン・ソサエティ、米コロンビア(SONY)、英HMV(EMI)、米バルトーク・レコードへの録音も収録。
 対象は、バロックとモーツァルトの独奏曲と協奏曲のステレオ録音とモノラル後期の録音で、カークパトリックが「ショート・レコーディング」と呼んで嫌っていたSP用の録音は含まれていません。
 意外な注目音源は、カークパトリックがフォルテピアノを弾いたモーツァルトで、1952年にソロ・アルバム、1951年にピアノ協奏曲第17番を録音しています。
 前者は腕の良いエンジニアでもあったバルトークの息子ピーター(ペーテル)が録音を担当、モノラルながら素晴らしい音質により、カークパトリックならではの高解像度で全情報を聴かせるスタイルのモーツァルトが楽しめます。
 一方、後者は音楽学者のロビンズ・ランドンが設立して間もないハイドン・ソサエティによる録音で、同じくモノラルながら音質優秀、アレグザンダー・シュナイダー指揮する小編成オケの超ロマンティック演奏と組んだせいか、情感たっぷりなアプローチを聴かせており、この頃のカークパトリックのモーツァルトをめぐる試行錯誤があらわれているかのようです。ちなみにカークパトリックは、モーツァルト作品におけるフォルテピアノ演奏をほどなく断念し、1956年以降はモダンピアノを使用するようになっています。


【ラルフ・カークパトリック】

演奏家・音楽学者で、美術品収集家としての顔も持ち、趣味は料理、水泳、大工仕事だったというカークパトリックは、自分で3,000本以上もレンガを積み上げ、木材をカットして自宅を新築(!)したりするなど、生涯独身生活を楽しんでいた人物。
 大柄で手もかなり大きかったというカークパトリックは、1938年に出版したゴルトベルク変奏曲の校訂解説本をはじめとして、自分の運指を記したことはありませんでした。現代のピアノよりも鍵盤の幅の狭いヒストリカル系のチェンバロやフォルテピアノ、クラヴィコードでは苦労もあったようです。

チェンバロ転向
6歳でピアノを始め、ハーバード大学では美術史を修め、ピアノ、記譜法も学んでいたカークパトリックは、必ずしも学者肌の真面目人間だったというわけではないようです。ピアノに関しては技術的に高度なものを持ってはいたものの、ピアノ教員の示すさまざまな「規律」には従おうとせず、評価も低いものだったといいます。
 転機は18歳の時で、大学にボストンのチッカリング社から寄贈されたドルメッチ・チェンバロを弾いて魅了され、チェンバロ奏者を目指して猛勉強、数か月後の翌1930年、19歳でチェンバロ・リサイタルという形でコンサート・デビューを果たしてもいました。


ハーバード大学の研究奨学金で渡欧
デビュー翌年の1931年秋には、研究奨学金でヨーロッパに渡り2年ほど滞在。フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語に通じていたこともあり、「チェンバロ演奏」、「楽器」、「理論」について、欧州各国の著名人から学ぶことになります。


ランドフスカ
渡欧の最大の目的は、当時チェンバロ界で圧倒的な名声を誇っていたワンダ・ランドフスカ[1879-1959]の教えを受けることでした。
 ピアノの普及と共に歴史に埋もれた楽器であったチェンバロを、表舞台にひきだした立役者のひとり、ワンダ・ランドフスカがチェンバロ奏者としてデビューしたのは1903年、以後、公演企画の巧みさもあって順調に成功を収め、1920年代には2度の北米ツアーも実施するまでになり、その存在はチェンバロ奏者を目指す者や、モダン・チェンバロの製作者にとって非常に大きなものとなっていました。
 ランドフスカから教えを受け、自分の経歴リストにその名が載ることは、多くのチェンバロ奏者にとって意味のあることと思われましたし、それはカークパトリックの渡欧の大きな目的であったとも考えられます。
 しかしカークパトリックが実際にランドフスカの運営するアンシエンヌ音楽院で過ごすようになると、音楽院そのものの華美な雰囲気や、ランドフスカの過剰なまでのレジストレーションなど自由過ぎる解釈など演奏そのものに嫌気がさし、そのことを家族やブーランジェ、そしてアメリカの知人に宛てた手紙で批判したりもしていました。
 驚いたことにその知人は、ランドフスカ本人にカークパトリックの批判の件を報告、窮地に立たされたカークパトリックは、ランドフスカ宛てに謝罪の手紙を書くものの、以後、彼女から教えを受けることはできませんでした。


エタ・ハーリヒ=シュナイダー
ランドフスカから学べなくなり、困っていたカークパトリックは、アンシエンヌ音楽院でサマーコースを受講するため、1929年から毎年パリを訪れているベルリン高等音楽院の講師エタ・ハーリヒ=シュナイダー[1894-1986]のチェンバロを使って勉強させてもらえることになり、ベルリンに行くことにします。親切な彼女は、カークパトリックの住居も探してくれ、さらに彼の弾くゴルトベルク変奏曲を聴くと、自身が定期的に仲間たちと開催している古楽のコンサートで弾いてみるよう薦めてもくれ、1933年1月に実現していました。

 エタ・ハーリヒ=シュナイダー(本名: マーガレット・シュナイダー)はもともとはヒンデミット作品を弾いたりもするピアニストでしたが、1928年から翌年にかけてギュンター・ラミン[1898-195]からチェンバロ演奏について教えを受け、チェンバロ奏者に転向、ベルリン高等音楽院でチェンバロ教育に携わっていたという人物。
 1940年にナチ党への入党を拒否して解任され、同年、シベリア鉄道で文化使節として来日、1941年に独ソ戦が始まり帰国不能となったため、戦中・戦後と日本に滞在、日本の音楽を研究したり、皇室や学校で教えたりするなど日本と縁の深いことでも知られています。弟子はクリスティアーヌ・ジャコテ[1937-1999]、レネー・クレメンチッチ(ルネ・クレマンシックとも)[1928- ]など。


ギュンター・ラミン
当時、ライプツィヒ放送交響楽団の指揮者とベルリン高等音楽院の教授を兼務していた指揮者でオルガニストのギュンター・ラミン[1898-1956]は、必要な場合にはピアノやチェンバロも演奏しており、ベルリンでカークパトリックにゴルトベルク変奏曲についてレッスンもおこなっていました。しかしカークパトリックは、ラミンの指揮者・オルガニストとしての偉大さは認めるものの、チェンバロ演奏については、様式が古いなどとブーランジェに対して語っており、参考にはしていなかったようです。
 とはいえカークパトリックは、ラミンからの評価は得ていたようで、ラミンは自分のアメリカへのオルガン・ツアーが決まると、モーツァルテウムの講義の代役を2年連続でカークパトリックに依頼、カークパトリックは学ぶ身でありながら教える立場も経験することになります。
 ラミンの弟子には、ヘルムート・ヴァルヒャ[1907-1991]や、カール・リヒター[1926-1981]、ハンス=マルティン・シュナイト[1930-2018]らがいました。

ドルメッチ
ボストンのピアノ・メーカー、チッカリング社で作られていたチェンバロやクラヴィコードが、1905年に同社と契約したイギリスのアーノルド・ドルメッチ[1858-1940]のディレクションによるものだったことから、カークパトリックは1932年の夏に渡英してドルメッチの教えを受け、クラヴィコード演奏の技術を習得し、楽器の購入も計画するようになります。
 ちなみにアーノルド・ドルメッチは、ボストンの隣町ケンブリッジ(ハーバード大学の所在地)に5年間滞在してチッカリング社で働いており、息子でチェンバロ奏者のルドルフ・アーノルド・ドルメッチ[1906-1942]もケンブリッジで誕生していました。
 なお、世界的な知名度は違ったものの、チェンバロ復興者でランドフスカのライバルと目されていたヴァイオレット・ゴードン=ウッドハウス[1872-1948]もドルメッチと関わりが深く、カークパトリックは、ドルメッチが彼女のために製作したクラヴィコードを所有することになります。


ブーランジェ
パリのフォンテーヌブロー・アメリカ音楽院の教授だったナディア・ブーランジェ[1887-1979]は、現代音楽の権威でしたが、古楽にも造詣が深く、カークパトリックの良き相談相手にもなっていました。彼女のもとで、600人とも言われる多くのアメリカ人音楽家が学んでいました。

ベルリンでコンサート
1933年1月、カークパトリックはハーリヒ・シュナイダーの薦めに従い、彼女のコンサートの中で、バッハのゴルトベルク変奏曲を演奏。これがヨーロッパでの舞台デビューとなります。

グッゲンハイム財団研究奨学金で再び渡欧
ジョン・ノウルズ・ペイン研究奨学金の欧州滞在から3年、すでに演奏家で音楽学者でもあったカークパトリックですが、再び大規模な調査・研究をヨーロッパでおこなうため、今度はグッゲンハイム財団の研究奨学金を勝ち取ります(期間は1937年1月から約1年間)。
 まず17世紀と18世紀の演奏に関する資料をフランス、ドイツ、イギリスで集めて、装飾音やオブリガートの問題を研究したほか、ドメニコ・スカルラッティについても調査。イタリア、スペイン、ポルトガルで発見された大量の未発表資料を調べています。スカルラッティはイタリア人でしたが、スペイン暮らしが長く、ポルトガルにもいたため、カークパトリックのマルチリンガルぶりは研究に役立ち、スペインの子孫との交流も実現しました。


現代音楽
ブーランジェに師事したこともあって、カークパトリックは現代音楽にも造詣が深く、フランシス・プーランク、マヌエル・デ・ファリャ、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ダリユス・ミヨー、ヘンリー・カウエル、ウォルター・ピストン、クインシー・ポーター、エリオット・カーターなど、モダン・チェンバロのために作曲された協奏曲や室内楽曲、独奏曲などをよくとりあげていたほか、録音を遺してもいました(このセットには収録されていません)。


チェンバロ
ピアノ(フォルテピアノ)の普及により没落したといわれるチェンバロには、楽器の世界では珍しい、大量廃棄という悲しい運命が待ち構えていました。ピアノの購入者にとって、置き場所の問題があるため仕方がないこととはいえ、引き取った業者側にも場所の問題があり、結果として、美しい装飾の施された楽器で状態の良い物のみが骨董品としての売買を前提に温存された以外は、ほとんどすべてが解体廃棄という道を辿ることになります。ヒストリカル・チェンバロのオリジナルの台数が少ないのはそうした事情によるものです。
 とはいえ、楽器メーカーはチェンバロを諦めていたわけではなく、1889年に開かれたパリ万博では、プレイエル社とエラール社がチェンバロを出品して連続演奏会を開くなどしていました。しかし、現在のようにマイクとアンプ、スピーカーで音をきれいに増幅することができない時代ということで、音量の問題もあってか注目されずに終わっています。
 忘れられたものを復興し、事業として成立させるには、多くの需要を喚起してお金の流れを生み出すことが欠かせませんが、放送が未整備でレコードも産業化されていなかった時代では、まずホールでの公演を打つことで認知度を上げ、活字媒体での告知に繋げて行くというのが効果的だったようです。
 1903年に「ヒストリカル・チェンバロ」の演奏でデビューしたランドフスカは、小ホールやサロンでの公演で徐々に知名度を上げ、シリンダー録音や著作発表までおこなって、チェンバロ音楽の普及に努力しますが、音の小ささゆえに聴衆も限られ、大きな人気には繋がっていませんでした。
 やがてランドフスカは、音量を上げるなどして大きなホールでの演奏で聴衆の数を増やすことを考え、プレイエル社に新しいチェンバロの開発を依頼、1912年に十分な音量を持ったモダン・チェンバロが完成し、コンサートで話題となったランドフスカは、その後11年で北米ツアーをおこなうまでになり、その2年後には自身の音楽院を設立するほどの成功を収めていました。
 ランドフスカのもとには、そうしたチェンバロ音楽の成功にあやかろうと(?)、エタ・ハーリヒ=シュナイダー、ラルフ・カークパトリックのほか、ルッジェーロ・ジェルリン[1899-1983]、パットナム・アルドリッチ[1904-1975]、イェラ・ペスル[1906-1991]、エメ・ヴァン・ド・ヴィール[1907-1991]、シルヴィア・マーロウ[1908-1981]、ルチアーノ・スグリッツィ[1910-1994]、ユゲット・グレミー=シーリアック[1928- ]、ポール・ウルフ[1929-2016]、ラファエル・プヤーナ[1931-2013]、マルコム・ハミルトン[1932-2003]など多くの音楽家が弟子入りし、また、楽器メーカーも次々にモダン・チェンバロを開発する一方、小ホールや室内での需要も狙ってオリジナル楽器を復元したヒストリカル・チェンバロの製作も進められて行きます。


 カークパトリックは、ドルメッチ=チッカリングの楽器(上の画像)でチェンバロにのめりこみましたが、その楽器はタイプとしてはヒストリカル・チェンバロに近いもので、後年、友人でもあるフランク・ハバード[1920-1976]、ウィリアム・ダウド[1922-2008]らによる復元モデルを入手するまでは、カークパトリックはアメリカでは主にそのドルメッチ=チッカリングを使用しており、ハイドン・ソサエティやミュージックラフトでのレコーディングでもその楽器を使用していました。
 また、そのウィリアム・ダウドの師で、ドルメッチの弟子でもあったジョン・チャリス[1907-1974]の製作したチェンバロもカークパトリックはたまに弾いていたようで、EMIにレコーディングしたリサイタル・アルバムでもチャリスのチェンバロを使っていました。
 しかし、モダン・チェンバロの本場、ドイツやフランスではそうもいかず、ドイツ・グラモフォンへのチェンバロ・レコーディングでは、ミュンヘン、ベルリン、ハンブルクのほか、パリでもノイペルトの豪華なバッハ・モデル(下の画像)が用意され、また、コンサートでもモダン・チェンバロが用いられることが多かったようです。
 もっとも、モダン・チェンバロには、音量のとれる楽器ならではのフーガでの力強いアプローチや、名技的パッセージでの華麗な演奏が可能になっていたので、カークパトリックのように、タッチに配慮した乱れの無い演奏でクリアネスを追求することができ、さらに録音もうまくいけば、実に刺激的で情報量の多い音楽を楽しむことが可能になります。
 なお、ランドフスカのもとを去ってハーリヒ・シュナイダーのところに行ったカークパトリックは、そこでバッハが実際に使用していたという説もある16フィート弦を備えた大型の楽器に出会い、その響きをとても気に入っていました。
 ちなみに3段鍵盤で有名な、ヒエロニムス・アルブレヒト・ハースの巨大チェンバロもバッハ時代の楽器で、ヒルトリカル・チェンバロでも、大型になるとモダン・チェンバロに音が似ているという現象も確認されています。そうした大型チェンバロ登場の背景には、バッハもこよなく愛したコーヒーハウスの賑やかな環境のもとで、協奏曲を含むチェンバロ音楽が実際に演奏されていたという需要の問題があります。普通に会話もおこなわれる場所で、BGM的ではなく音楽を聴かせるには、音は大きい方が良いという明快な理屈で、実際、ペダル・チェンバロも開発されたりしていたようです。
 需要といえば、1960年代以降はポピュラー音楽にもたまにチェンバロが使われたりしていましたが、中でも特に面白いビートルズの「ピッギーズ」は、1968年9月19日にEMIのアビーロード・スタジオで録音されたもので、モダン・チェンバロが効果的に用いられていました。そのチェンバロは、翌日にレコーディングが予定されていたデュプレとバルビローリ指揮ロンドン交響楽団の共演によるマティアス・ゲオルク・モンのチェロ協奏曲のために用意されていた楽器で、奏者のヴァルダ・エイヴリング[1920-2007]は、ランドフスカのライバルとして知られたヴァイオレット・ゴードン・ウッドハウスの弟子でもあった人物。つまりドルメッチの孫弟子でもある彼女は、クラヴィコードの音をマイクとアンプとスピーカーで増幅してコンサートをおこなったことでも知られています。
 ちなみにビートルズには、クラヴィコードを用いた「フォー・ノー・ワン」という曲もありますが、そちらでの楽器用法はシンプルなものでした。


クラヴィコード
超小音量楽器、クラヴィコードの場合は、チェンバロのような方式選択の問題は存在せず、主に演奏者の楽器への習熟度が問われることになりますが、この楽器の名手でもあるカークパトリックによれば、チェンバロとの違いはとても大きく、チェンバロ奏者がそのまますぐにクラヴィコードを演奏できるほど簡単ではないようです。
 カークパトリックは、主にドルメッチのクラヴィコード(下の画像)を用いて、絶妙な声部バランスとダイナミクスのコントロールを実現、平均律クラヴィーア曲集全曲とインヴェンションとシンフォニア全曲、組曲BWV818a、組曲BWV819、小前奏曲集、リュートのための前奏曲、アプリカーティオ、3つのメヌエットをドイツ・グラモフォンにレコーディングしています。


フォルテピアノ
古典派作品に欠かせない初期のピアノ「フォルテピアノ」について、機構の改良も含めてカークパトリックは当初大きなこだわりをもって楽器開発にまで関わっていましたが、1956年のモーツァルト・イヤーを前に断念。以後、古典派作品はモダン・ピアノで演奏することになるので、CD25のジョン・チャリスが復元したフォルテピアノによる録音には意義深いものがあります。超高解像度に全情報があらわれる独奏曲録音と、シュナイダー率いる小編成オケの超ロマンティックな演奏に引っ張られる協奏曲録音という対照的な演奏内容には、もしかするとカークパトリックの試行錯誤が示されているのかもしれません。
 ちなみにカークパトリックは、シュナイダーと組んだモーツァルトのヴァイオリン・ソナタではチェンバロを弾いていましたが、リアリズムに徹してか、ヴァイオリンに較べてずいぶん小さな音で収録されているのが印象的なものでした。こうなると、世間でよく言われる「モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの主役は実はピアノ」という説も当てはまらなくなってきます。


モダン・ピアノ
カークパトリックは1950年代半ば以降は公開演奏の場でモダン・ピアノを弾くことはほとんどありませんでしたが、自宅にはスタインウェイを所有しており、友人たちは、カークパトリックの弾くショパンやシューマン、ブラームス、そしてリストのロ短調ソナタなどを楽しんでもいました。


【年表】

1911年(0歳)
●6月10日、ラルフ・レナード・カークパトリックは、マサチューセッツ州レオミンスターに誕生。母親フィレンツェ・メイ・クリフォード[1871-1926]は、図書館員でピアノ教師、父親エドウィン・アズベリー・カークパトリック[1862-1937]は、心理学者というアカデミックなプロテスタントの家庭でした。

1917年(6歳)
●母親からのピアノ・レッスン開始。

1927年(16歳)
●15歳でレオミンスター・ハイスクール卒業。
●ハーバード大学入学。奨学生として美術史のほか、ピアノ、記譜法なども学びます。
●母親死去。

1929年(18歳)
●ハーバード大学音楽学部にチッカリング社からドルメッチの製作したチェンバロが寄贈され、この楽器に魅了されたカークパトリックは、独学でチェンバロの演奏を始めます。

1930年(19歳)
●5月、ハーバード大学のペイン・ホールで、バッハとギボンズの作品でチェンバロ奏者として演奏会デビュー。


1931年(20歳)
●5月、ハーバード大学で美術史の学位を取得して卒業。ちなみにカークパトリックは、後年、恩師ベレンソンの影響もあって美術品のコレクターになり、亡くなった際にはイェ―ル大学にそれらを寄贈しています。また、イタリアで最初の演奏会を開いたのはベレンソンの別荘でした。
●夏、シュレット・サマー・スクールで大量のチェンバロ作品を演奏。
●ハーバード大学で、ジョン・ノウルズ・ペイン・フェローシップを受賞、研究奨学金を獲得して渡欧。ジョン・ノウルズ・ペイン[1839-1906]は、アメリカの作曲家でハーバード大学に音楽学部を創設した人物でもあります。
●パリ国立図書館で研究。
●パリでワンダ・ランドフスカ[1879-1959]に師事。カークパトリックはランドフスカの学校、アンシエンヌ音楽院の雰囲気が好きではなく、また、ランドフスカの作品解釈や演奏の際の過剰なレジストレーションには否定的でした。
●パリのフォンテーヌブロー・アメリカ音楽院で、ナディア・ブーランジェに師事。

1932年(21歳)
●7月、知人宛に送った手紙で、ランドフスカを批判したことがランドフスカの知るところとなり、カークパトリックはランドフスカに謝罪の手紙を書きます。
●7月、ロンドンの大英博物館で研究。
●7月、イギリス南部のハスルミアのドルメッチ家で古楽器を研究、チェンバロに加え、クラヴィコードの演奏技術も習得。
●12月、ベルリンに移り、ベルリン州立図書館で研究。
●12月、ベルリン高等音楽院で、ランドフスカ門下のエタ・ハーリヒ=シュナイダー[1894-1986]の教えを受けたほか、ギュンター・ラミン[1898-195]にもゴルトベルク変奏曲のレッスンを受けます。また、同音楽院では、ハインツ・ティーセンから理論を学んでもいました。


1933年(22歳)
●1月、ベルリンのコレギウム・ムジクムでおこなわれたエタ・ハーリヒ=シュナイダー主催のコンサートの一環として、バッハのゴルトベルク変奏曲を演奏。カークパトリックにとっては、これがヨーロッパでの舞台デビューでした。同月、ヒトラー内閣成立。
●春、ハーバード大学の先輩で作曲のため欧州に長期滞在中のロジャー・セッションズ[1896-1985]と親交を結び、イタリア行きを強く勧められてイタリア入り。
●フィレンツェ・ヴィラなどで、チェンバロやクラヴィコードでコンサートをいくつか実施。フィレンツェ・ヴィラは、ハーバード大学の恩師でもある美術史家で評論家、画商もおこなっていたバーナード・ベレンソン[1865-1959]の所有する邸宅でした。
●7月、ザルツブルク・モーツァルテウムでチェンバロに関する講義を開催。これは師でもあったギュンター・ラミンが、オルガニストとしてのアメリカ・ツアーのため講義をおこなえなくなり、代役として起用されたものでした。カークパトリックは、期間中、アーレンベルク城に滞在。
 この年から1935年にかけてのザルツブルクは、ドイツ政府により、ドイツ人がオーストリアに入国する際に課金する制度が導入されたため、それまでは国別で最大人数だったドイツ人がほとんどいないという状態でしたが、そのぶん諸外国の来訪者が増えてもいました。カークパトリックは実技で、当時指揮科のアシスタントだったカラヤンと共演。ちなみにカラヤンと再び共演するのは34年後のベルリンでのことでした。
●8月、ザルツブルクのアイゲン城で、ウィーン・フィルの楽員たちとバッハの協奏曲を演奏。
●9月、ウィーン滞在の後、ドイツ入りし、ブレーメンからイェーナに向かい、クラヴィコードとチェンバロの演奏会を実施。
●アメリカに戻り、自宅用にチッカリングのドルメッチ・チェンバロを購入。

1934年(23歳)
●4月、ニューヨークのニュー・ミュージック・スクールでクラヴィコード・リサイタルを開き、バッハを演奏。
●7月、ザルツブルク・モーツァルテウムでチェンバロに関する講義を開催。
●8月、ザルツブルクでゴルトベルク変更曲などのコンサート。
●9月、ザルツブルクで、バッハのゴルトベルク変奏曲に関する研究を完成。1938年にアメリカのシャーマー社から出版。
●ダルクローズ音楽学校で講義。

1935年(24歳)
●5月、クーセヴィツキー指揮するボストン交響楽団と共演。
●ダルクローズ音楽学校で講義。
●ヘンリー・ストリート・セトゥルメント音楽学校で講義。

1936年(25歳)
●グッゲンハイム財団のフェローシップを受賞。研究奨学金を獲得。
●12月、ニューヨークで創業したばかりの新興レーベル「ミュージックラフト(Musicraft)」に最初の商業録音。バッハのイタリア協奏曲と音楽の捧げ物のリチェルカーレ、パルティータ。カークパトリックは、これ以前にも蝋管方式でクラヴィコード演奏を実験的に録音するということはおこなっていました。
●ダルクローズ音楽学校で講義。
●ヘンリー・ストリート・セトゥルメント音楽学校で講義。

1937年(26歳)
●1月から12月までの1年間、グッゲンハイム財団からの研究奨学金により、フランス、ドイツ、イギリスで資料を収集。17世紀と18世紀の演奏に関する資料を集めて装飾音やオブリガートの問題を研究したほか、ドメニコ・スカルラッティについて調査。イタリア、スペイン、ポルトガルで発見された大量の未発表資料を調べています。
●父親死去。


1938年(27歳)
●2月、ベルリンに滞在。翌月にはドイツによりオーストリアが併合されています。
●9月、サラトガ・スプリングズ。コープランドが創設したアメリカ現代音楽の祭典「ヤドー・フェスティヴァル」に参加。ダンテ・フィオリロ[1905-1970]の「ハープシコードと弦楽オーケストラのための音楽」などを演奏。
●シャーマー社からバッハのゴルトベルク変奏曲の校訂譜を出版。1934年にザルツブルクで完成した研究でした。
●Musicraftレーベルにに録音。
●ヴァージニア州ウィリアムズバーグの知事邸で、18世紀におこなわれていたであろうコンサートを復元する企画を、バロック音楽祭として開催。以後、7年間に渡って、同音楽祭の監督兼演奏家として関わることになります。


1939年(28歳)
●ニューヨーク・タイムズやヘラルド・トリビューンで、カーネギー・ホールでの公演が絶賛されます。

1940年(29歳)
●イェール大学の音楽学部に客員講師として採用。以後、1976年に退職するまでの36年間、演奏家としての活動の傍らイェ―ル大学に籍を置き、長く教授も務めていました。教え子には、ウィリアム・クリスティ、フェルナンド・ヴァレンティ、アルバート・フラー、マーク・クロール、マーティン・パールマンなどのちに有名になる人物も多数。
●ベニントン・フェスティヴァルに参加。マーサ・グラハム、ドリス・ハンフリーらと共演。

1941年(30歳)
●ベニントン・フェスティヴァルに参加。
●ウィリアムズバーグでブダペスト四重奏団と共演。

1942年(31歳)
●冬、アレグザンダー・シュナイダーとデュオ・コンサート開始。モーツァルトやバッハのヴァイオリン・ソナタでの共演。1950年までたびたび開催します。
 シュナイダーはカークパトリックの3歳年上のヴァイオリニストで、当時はブダペスト四重奏団に所属する多忙な身ながらカークパトリックとは古典派やバロック物で数多く共演、2年後には自身でシュナイダー四重奏団を結成し、古典派レパートリーを掘り下げていきます。


1943年(32歳)
●3月、ニューヨークで、チェンバロ嫌いのビーチャムとファリャの協奏曲で共演。
●4月、ニューヨークで、ブルーノ・ワルター指揮するマタイ受難曲にチェンバロで参加。
●マーサ・グラハムとバッハやスカルラッティで共演。
●ジャズにのめりこみ、ピアニストのアート・テイタムを賛美したほか、ヴォーカリストのビリー・ホリデイと交流。自宅でバッハを弾いて聴かせたりしたほか、ビリーの歌うクラブにも出かけて行きました。
●10月、アレグザンダー・シュナイダーと2回のコンサート。

1944年(33歳)
●4月、ニューヨークで、ブルーノ・ワルター指揮するマタイ受難曲にチェンバロで参加。
●4月、ボストンで、クーセヴィツキー指揮するバッハのロ短調ミサにチェンバロで参加。
●8月、ポートランド。アレグザンダー・シュナイダーとコンサート。

1945年(34歳)
●アレグザンダー・シュナイダーとモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを録音。1951年に完成(米Columbia)。

1946年(35歳)
1947年(36歳)
●イギリス、フランス、オランダで演奏。
●6月、スペインとイタリアに滞在してスカルラッティを研究。

1948年(37歳)
●アメリカ占領軍政府の招聘で、まだ瓦礫の山状態だったドイツ各地でのコンサートを実施。この年は、アメリカで印刷した新しいドイツマルク紙幣によって、ドイツの西側占領地区でライヒスマルクからの通貨改革が実施された年でもありました。
●アウクスブルクのシェツラー宮殿でコンサート。
●ミュンヘンのニンフェンブルク宮殿でシュトゥットガルト室内管とコンサート。
●バンベルクのレジデンツでバンベルク交響楽団とコンサート。
●ハンブルクでコンサート。
●ソ連軍占領政府の案内でライプツィヒで、ゲヴァントハウス管弦楽団とコンサート。
●ライプツィヒのトーマス教会で、恩師ギュンター・ラミンと再会。
●7月、ローマでスカルラッティ研究を再開。
●7月、マドリードでスカルラッティ研究。
●7月、アランフエスに滞在。図書館や資料室で調査。
●8月、ナポリ近くの景勝地ポジターノに滞在。


1949年(38歳)
●7月、ロンドンでコンサート。
●7月、ローマでスカルラッティを研究。

1950年(39歳)
●7月、ローマでスカルラッティを研究。

1951年(40歳)
●2月、ニューヨーク。シュナイダーとピストンのソナティネをレコーディング(米COLUMBIA)。
●3月、ニューヨーク。シュナイダー指揮ダンバートン・オークス室内管弦楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第17番(CD25)をレコーディング。会場はニューヨーク、コロンビア30番街スタジオ。楽器はジョン・チャリスが復元した18世紀モデルで、オーケストラは弦5部が、第1ヴァイオリン4名、第2ヴァイオリン3名ヴィオラ3名、チェロ2名、コントラバス1名という小編成。シュナイダーの濃厚な表情付けの中、フォルテピアノも耽美的な表情をみせています。ハイドン・ソサエティは、音楽学者のロビンズ・ランドン[1926-2009]が1949年にボストンで設立(その後ウィーンに移転)。 (米Haydn Society)。

1952年(41歳)
●1月、ニューヨーク。タウン・ホールでリサイタル。チェンバロのほか、モーツァルトでは、ジョン・チャリス復元のフォルテピアノを使用。
●ニューヨーク。モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番KV 570、組KV 399、幻想曲とフーガKV 394(CD25)をレコーディング。楽器はジョン・チャリス復元のフォルテピアノ。(米Bartok Records)
●バルセロナに滞在。
●夏、スカルラッティの原稿がほぼ完成するものの、当初契約していた出版社は出版を拒否。プリンストン大学出版局が引き継ぐこととなります。
●8月、コネティカット州。バッハのゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、4つのデュエットBWV802-805(CD22)、パルティータ全曲(CD19&20)、イギリス組曲第6番、フランス風序曲BWV831、(CD21)をレコーディング。楽器はドルメッチ・チッカリングで、会場はおそらくイェ―ル大学。(米Haydn Society)

1953年(42歳)
●5月、ボストンで、ストラヴィンスキー『レイクス・プログレス』上演に参加。
●6月、スカルラッティ校閲締切。伝記と555曲のソナタへのカークパトリック番号の付与、60曲のソナタの校訂譜。
●10月26日、スカルラッティの誕生日に、プリンストン大学出版局からスカルラッティの伝記が、ニューヨークのシャーマー(Schirmer)社から60曲のスカルラッティの校訂譜が出版。


1954年(43歳)
●4〜5月、ニューヨーク。スカルラッティのソナタ集(CD02&03)をレコーディング。会場はコロンビア30番街スタジオ。楽器はジョン・チャリスによる18世紀モデル。(米Columbia)
●アンスバッハ・バッハ週間に出演。現在も続くこのバッハの音楽祭は、1947年にアメリカの軍政府の統治するバイエルン州バンベルク近郊ポンマースフェルデンのヴァイセンシュタイン城でスタートしています。音楽祭の発案者が、チェロのルートヴィヒ・ヘルシャーとピアノのカール・ゼーマン、指揮のライトナーらに話を持ち掛けて始まったこの音楽祭は、荒廃したドイツに住む人々の心を捉えて評判となり、すぐに会場が手狭となったため、翌年にはポンマースフェルデンの南南西55キロのところにある山間の避暑地、アンスバッハに拠点を移して現在に至っています。カークパトリックのほかに、ヘルムート・ヴァルヒャやアウグスト・ヴェンツィンガー、エディト・ピヒト=アクセンフェルト、フリッツ・ノイマイヤー、クルト・トーマス、ギュンター・ラミンといったアーティストが当初から出演していました。
●12月、ワシントン。アメリカ議会図書館のクーリッジ・ホールでリサイタル、

1955年(44歳)
●アンスバッハ・バッハ週間に出演。


1956年(45歳)
●4月〜5月、イタリア・ツアー。ヴィチェンツァ、ウーディネ、ローマ、フィレンツェなどで演奏。
●5〜6月、ミュンヘン。バッハのイギリス組曲全曲(CD09&10)をレコーディング(Archiv)。会場はヘルクレスザール。ドイツ・グラモフォンへの初録音でした。
●8月、ロンドン。チェンバロ・リサイタル・アルバム(CD01)と、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番、第11番(CD04)をレコーディング(HMV)。会場はアビーロード第1スタジオ。ピアノはモダン楽器を使用。チェンバロはアメリカの楽器製作者ジョン・チャリス[1907-1974]による18世紀モデル。チャリスはドルメッチの弟子で、チャリスの弟子のウィリアム・ダウド[1922-2008]は復元チェンバロの製作者でした。

1957年(46歳)
●1月、最初の白内障の手術。
●3月、ロンドン公演。
●5月、ハンブルク。バッハのフランス組曲全曲、フーガBWV944(CD11&12)をレコーディング(Archiv)。会場はブランケネーゼ・スタジオ。
●7月、ミュンヘン公演。
●8月〜9月、南アフリカ公演。

1958年(47歳)
●1月、2度目の白内障の手術。直近9年間で初めての視力回復。
●3月中旬までに、イギリス、ドイツ、スイス、オーストリアのコンサートで私を巻き込んだヨーロッパのツアーに着きました。
●4月、ブリュッセルでコンサート開催。
●4月、ドイツ・グラモフォンは、バッハのチェンバロ作品を大量にレコーディングするために、カークパトリックと契約。先にスタートしていたヴァルヒャによるオルガン・シリーズと併せて、同社の古楽部門アルヒーフ・レーベルのバッハ全集企画の一環として、鍵盤楽器作品を網羅する大規模なプロジェクトでした。
●6月、ベルリン。バッハのパルティータ全曲(CD13&14)をレコーディング(Archiv)。会場はイエス・キリスト教会。
●8月、ベルリン。バッハのゴルトベルク変奏曲(CD17)をレコーディング(Archiv)。会場はイエス・キリスト教会。
●9月、チューリヒ。バッハのチェンバロ協奏曲BWV1052,1053,1056(CD16)をレコーディング(Archiv)。会場はノイミュンスター教会。

1959年(48歳)
●4月、チューリヒ。バッハのブランデンブルク協奏曲第5番(CD18)をレコーディング(Archiv)。会場はノイミュンスター教会。
●ヨーロッパでの活動拠点をパリに移転。
●8月、パリ。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲(CD05&06)をクラヴィコードでレコーディング(Archiv)。会場はポリドール・スタジオ。
●9月、パリ。バッハのフランス風序曲BWV831(CD18)、イタリア協奏曲、半音階的幻想曲とフーガBWV903、4つのデュエットBWV802-805(CD17)をレコーディング(Archiv)。会場はポリドール・スタジオ。

1960年(49歳)
●8月、パリ。バッハのインヴェンションとシンフォニア全曲(CD15)をクラヴィコードでレコーディング(Archiv)。会場はポリドール・スタジオ。
●9月、パリ。イタリア風アリアと変奏BWV989、最愛の兄の旅立ちに寄せてBWV992(CD24)をなどをレコーディング(Archiv)。会場はポリドール・スタジオ。
●10月、チューリヒ。バッハのチェンバロ協奏曲BWV1055(CD16),BWV1044(CD18)をレコーディング(Archiv)。会場はノイミュンスター教会。
●11月、パリ。ユネスコの依頼でヴェルサイユ宮殿でコンサート。

1961年(50歳)
●イェ―ル大学近くのコネティカット州ギルフォードに自宅を新築。8か月間の長期休暇をとり、レンガ 3,000本以上を自分で敷き、材木も自分で加工するなどして完成。

1962年(51歳)
●パリ。バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲をチェンバロでレコーディング(DG)。

1963年(52歳)
●1月、ニューヨーク。カーネギー・リサイタル・ホールでコンサート。
●5月、パリ。サル・ガヴォーでコンサート。

1964年(53歳)
●カリフォルニア大学バークレー校の教授に就任。

1965年(54歳)
●イェ−ル大学音楽学部教授に就任。1976年に失明するまで在任。
●8〜9月、パリ。(バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲)をチェンバロでレコーディング(DG)。猛暑によるチューニングの乱れに悩まされつつの録音。


1967年(56歳)
●5〜6月、ハンブルク。バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻全曲(CD07&08)をクラヴィコードでレコーディング(Archiv)。会場はヴィントローゼ。

1969年(58歳)
●メキシコ。ツアー。
●5月、ソ連ツアー。
●12月、エジプト・ツアー。

1970年(59歳)
●東ドイツ・ツアー。
●緑内障手術。
●6月、ミュンヘン。スカルラッティのソナタ集をレコーディング(ARCHIV)。

1971年(60歳)
●春、プラハでコンサート。
●パリで眼科治療。

1972年(61歳)
●イタリア・ツアー。
●オーストリアで聴覚に問題発生。

1973年(62歳)
●エッセイ:エリオット・カーターのダブルコンチェルト執筆。

1974年(63歳)
●2月、心臓手術。

1976年(65歳)
●慢性的な眼炎の悪化で完全に失明。コンサートをやめ、教授職からも退きますが、点字を学び勉強は継続。


1981年(70歳)
●ボストン古楽フェスティヴァルで、最後のリサイタル開催。

1984年(73歳)
●4月13日、コネチカット州ギルフォードの自宅で死去。

1999年
●4月2日、アマチュア天文学者ポール・G・コンバ[1926-2017]によって発見された小惑星9902に、カークパトリックの名前が付けられました。没後15年にあたる年でした。


【収録情報】

CD01
●バード:ピーター氏のパヴァーヌとガリアード
●スウェーリンク:わが青春の日は既に過ぎたり変奏曲
●フローベルガー:トッカータ第2番
●パッヘルベル:シャコンヌ
●バッハ:プレリュードとフーガ イ短調 BWV894
●クープラン:子守歌、またはゆりかごの中のいとし子
●クープラン:大殿様たち、荘重なサラバンド
●クープラン:若殿様たち
●ラモー:ミューズたちの語らい
●ラモー:キュクロプス
●カベソン:ティエント I
●カベソン:ティエントII
●フレスコバルディ:バレット
●フレスコバルディ:コレンテ
●フレスコバルディ:パッサカリア
●スカルラッティ:ソナタ K.296 (L.198)
●スカルラッティ:ソナタ K.297 (L.S19)
●スカルラッティ:ソナタ K.437 (L.278)
●スカルラッティ:ソナタ K.438 (L.381)
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1956年8月、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
楽器:ジョン・チャリスによる18世紀モデル

CD02
●スカルラッティ:ソナタ K.3 (L.378)
●スカルラッティ:ソナタ K.7 (L.379)
●スカルラッティ:ソナタ K.16 (L.397)
●スカルラッティ:ソナタ K.18 (L.416)
●スカルラッティ:ソナタ K.28 (L.373)
●スカルラッティ:ソナタ K.29 (L.461)
●スカルラッティ:ソナタ K.46 (L.25)
●スカルラッティ:ソナタ K.54 (L.241)
●スカルラッティ:ソナタ K.57 (L.38)
●スカルラッティ:ソナタ K.84 (L.10)
●スカルラッティ:ソナタ K.52 (L.267)
●スカルラッティ:ソナタ K.96 (L.465)
●スカルラッティ:ソナタ K.105 (L.204)
●スカルラッティ:ソナタ K.115 (L.407)
●スカルラッティ:ソナタ K.116 (L.452)
●スカルラッティ:ソナタ K.119 (L.415)
●スカルラッティ:ソナタ K.120 (L.215)
●スカルラッティ:ソナタ K.132 (L.457)
●スカルラッティ:ソナタ K.133 (L.282)
●スカルラッティ:ソナタ K.140 (L.107)
●スカルラッティ:ソナタ K.208 (238)
●スカルラッティ:ソナタ K.209 (L.428)
●スカルラッティ:ソナタ K.215 (L.323)
●スカルラッティ:ソナタ K.216 (L.273)
●スカルラッティ:ソナタ K.238 (L.27)
●スカルラッティ:ソナタ K.239 (L.281)
●スカルラッティ:ソナタ K.259 (L.103)
●スカルラッティ:ソナタ K.260 (L.124)
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1954年4〜5月、ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオ
楽器:ジョン・チャリスによる18世紀モデル

CD03
●スカルラッティ:ソナタ K.263 (L.321)
●スカルラッティ:ソナタ K.264 (L.466)
●スカルラッティ:ソナタ K.308 (L.359)
●スカルラッティ:ソナタ K.309 (L.454)
●スカルラッティ:ソナタ K.308 (L.427)
●スカルラッティ:ソナタ K.309 (L.454)
●スカルラッティ:ソナタ K.402 (L.427)
●スカルラッティ:ソナタ K.403 (L.470)
●スカルラッティ:ソナタ K.420 (L.S.2)
●スカルラッティ:ソナタ K.421 (L.252)
●スカルラッティ:ソナタ K.426 (L.128)
●スカルラッティ:ソナタ K.427 (L.286)
●スカルラッティ:ソナタ K.460 (L.324)
●スカルラッティ:ソナタ K.461 (L.8)
●スカルラッティ:ソナタ K.470 (L.304)
●スカルラッティ:ソナタ K.471 (L.82)
●スカルラッティ:ソナタ K.490 (L.206)
●スカルラッティ:ソナタ K.491 (L.164)
●スカルラッティ:ソナタ K.492 (L.14)
●スカルラッティ:ソナタ K.493 (L.24)
●スカルラッティ:ソナタ K.494 (L.287)
●スカルラッティ:ソナタ K.516 (L.12)
●スカルラッティ:ソナタ K.517 (L.266)
●スカルラッティ:ソナタ K.518 (L.116)
●スカルラッティ:ソナタ K.519 (L.475)
●スカルラッティ:ソナタ K.544 (L.497)
●スカルラッティ:ソナタ K.545 (L.497)
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1954年4〜5月、ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオ
楽器:ジョン・チャリスによる18世紀モデル

CD04
●モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 KV 491
●モーツァルト:ピアノ協奏曲第11番 ヘ長調 KV 413
ラルフ・カークパトリック(ピアノ)
管弦楽団
ゲレント・ジョーンズ(指揮)
録音: 1956年8月、ロンドン、アビーロード第1スタジオ
カデンツァ:ラルフ・カークパトリック

CD05-06
●バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻, BWV 846-869
前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV 846
前奏曲とフーガ第2番ハ短調BVW847
前奏曲とフーガ第3番嬰ハ長調 BWV 848
前奏曲とフーガ第4番嬰ハ短調 BWV 849
前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV 850
前奏曲とフーガ第6番ニ短調 BWV 851
前奏曲とフーガ第7番変ホ長調 BWV 852
前奏曲とフーガ第8番変ホ短調 BWV 853
前奏曲とフーガ第9番ホ長調 BWV 854
前奏曲とフーガ第10番ホ短調 BWV 855
前奏曲とフーガ第11番ヘ長調 BWV 856
前奏曲とフーガ第12番ヘ短調 BWV 857
前奏曲とフーガ第13番嬰へ長調 BWV 858
前奏曲とフーガ第14番嬰へ短調 BWV 859
前奏曲とフーガ第15番ト長調 BWV 860
前奏曲とフーガ第16番ト短調 BWV 861
前奏曲とフーガ第17番変イ長調 BWV 862
前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調 BWV 863
前奏曲とフーガ第19番イ長調 BWV 864
前奏曲とフーガ第21番変ロ長調 BWV 866
前奏曲とフーガ第22番変ロ短調 BWV 867
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV 868
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV 868
前奏曲とフーガ第24番ロ短調 BWV 869
ラルフ・カークパトリック(クラヴィコード)
録音:1959年8月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)
楽器:ドルメッチ・モデル

CD07-08
●バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻BWV 870-893
前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV 870
前奏曲とフーガ第2番ハ短調 BWV 871
前奏曲とフーガ第3番嬰ハ長調 BWV 872
前奏曲とフーガ第4番嬰ハ短調 BWV 873
前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV 874
前奏曲とフーガ第6番ニ短調 BWV 875
前奏曲とフーガ第7番変ホ長調 BWV 876
前奏曲とフーガ第8番変ホ短調 BWV 877
前奏曲とフーガ第9番ホ長調 BWV 878
前奏曲とフーガ第10番ホ短調 BWV 879
前奏曲とフーガ第11番ヘ長調 BWV 880
前奏曲とフーガ第12番ヘ短調 BWV 881
前奏曲とフーガ第13番嬰ヘ長調 BWV 882
前奏曲とフーガ第14番ヘ短調 BWV 883
前奏曲とフーガ第15番ト長調短調 BWV 884
前奏曲とフーガ第16番ト短調 BWV 885
前奏曲とフーガ第17番変イ長調 BWV 886
前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調 BWV 887
前奏曲とフーガ第19番イ長調 BWV 888
前奏曲とフーガ第20番イ短調 BWV 889
前奏曲とフーガ第21番変ロ長調 BWV 890
前奏曲とフーガ第22番変ロ短調 BWV 891
前奏曲とフーガ第23番ロ長調 BWV 892
前奏曲とフーガ第24番ロ短調 BWV 893
ラルフ・カークパトリック(クラヴィコード)
録音:1967年5〜6月、ハンブルク、ヴィントローゼ・スタジオ (Stereo)
楽器:ドルメッチ・モデル

CD09-10
●バッハ:イギリス組曲第1番 イ長調 BWV 806
●バッハ:イギリス組曲第2番 イ短調 BWV 807
●バッハ:イギリス組曲第3番 ト短調 BWV 808
●バッハ:イギリス組曲第4番 ヘ長調 BWV 809
●バッハ:イギリス組曲第5番 ホ短調 BWV 810
●バッハ:イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV 811
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1956年5〜6月、ミュンヘン、ヘルクレスザール
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD11-12
●バッハ:フランス組曲第1番 ニ短調 BWV 812
●バッハ:フランス組曲第2番 ハ短調 BWV 813
●バッハ:フランス組曲第3番 ロ短調 BWV 814
●バッハ:フランス組曲第4番 変ホ長調 BWV 815
●バッハ:フランス組曲第5番 ト長調 BWV 816
●バッハ:フランス組曲第6番 ホ長調 BWV 817
●バッハ:フーガ ロ短調 BWV 944
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1957年5月、ハンブルク、ブランケネーゼ・スタジオ
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD13-14
●バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV 825
●バッハ:パルティータ第5番 ト長調 BWV 829
●バッハ:パルティータ第6番 ホ短調 BWV 830
●バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
●バッハ:パルティータ第3番 ロ短調 BWV 827
●バッハ:パルティータ第4番 ニ長調 BWV 828
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1958年6月、ベルリン、イエス・キリスト教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD15
●バッハ:インヴェンションとシンフォニア
インヴェンション第1番 ハ長調 BWV 772
インヴェンション第2番 ハ短調 BWV 773
インヴェンション第3番 ニ長調 BWV 774
インヴェンション第4番 ニ短調 BWV 775
インヴェンション第5番 変ホ長調 BWV 776
インヴェンション第6番 ホ長調 BWV 777
インヴェンション第7番 ホ短調 BWV 778
インヴェンション第8番 ヘ長調 BWV 779
インヴェンション第9番 ヘ短調 BWV 780
インヴェンション第10番 ト長調 BWV 781
インヴェンション第11番 ト短調 BWV 782
インヴェンション第12番 イ長調 BWV 783
インヴェンション第13番 イ短調 BWV 784
インヴェンション第14番 変ロ長調 BWV 785
インヴェンション第15番 ロ短調 BWV 786
シンフォニア第1番 ハ長調 BWV 787
シンフォニア第2番 ハ短調 BWV 788
シンフォニア第3番 ニ長調 BWV 789
シンフォニア第4番 ニ短調 BWV 790
シンフォニア第5番 変ホ長調 BWV 791
シンフォニア第6番 ホ長調 BWV 792
シンフォニア第7番 ホ短調 BWV 793
シンフォニア第8番 ヘ長調 BWV 794
シンフォニア第9番 ヘ短調 BWV 795
シンフォニア第10番 ト長調 BWV 796
シンフォニア第11番 ト短調 BWV 797
シンフォニア第12番 イ長調 BWV 798
シンフォニア第13番 イ短調 BWV 799
シンフォニア第14番 変ロ長調 BWV 800
シンフォニア第15番 ロ短調 BWV 801
ラルフ・カークパトリック(クラヴィコード)
録音:1960年8月 (Stereo)
楽器:ドルメッチ・モデル(1932)

CD16
●バッハ:チェンバロ協奏曲第1番 ニ短調 BWV 1052
●バッハ:チェンバロ協奏曲第2番 ホ長調 BWV 1053
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー(指揮)
録音:1958年9月、チューリヒ、ノイミュンスター教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:チェンバロ協奏曲第4番 イ長調 BWV 1055
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー(指揮)
録音:1960年10月、チューリヒ、ノイミュンスター教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:チェンバロ協奏曲第5番 ヘ短調 BWV 1056
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー(指揮)
録音:1958年9月、チューリヒ、ノイミュンスター教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD17
●バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1958年8月、ベルリン、イエス・キリスト教会(Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903
●バッハ:4つのデュエット BWV 802-805
●バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1959年9月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD18
●バッハ:フランス風序曲 ロ短調 BWV 831
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1959年9月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための三重協奏曲 イ短調 BWV 1044
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
オーレル・ニコレ(フルート)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー(ヴァイオリン&指揮)
録音:1960年10月、チューリヒ、ノイミュンスター教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:ブランデンブル協奏曲第5番 ニ長調 BWV 1050
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
オーレル・ニコレ(フルート)
ルツェルン祝祭弦楽合奏団
ルドルフ・バウムガルトナー(ヴァイオリン&指揮)
録音:1959年4月、チューリヒ、ノイミュンスター教会 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD19-20
●バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV 825
●バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
●バッハ:パルティータ第4番 ニ長調 BWV 828
●バッハ:パルティータ第3番 イ短調 BWV 827
●バッハ:パルティータ第5番 ト長調 BWV 829
●バッハ:パルティータ第6番 ホ短調 BWV 830
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1952年8月、コネティカット州
楽器:ドルメッチ=チッカリング・モデル(1908)

CD21
●バッハ:フランス風序曲 ロ短調 BWV 831
●バッハ:イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV 811
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1952年8月、コネティカット州
楽器:ドルメッチ=チッカリング・モデル(1908)

CD22
●バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
●バッハ:4つのデュエット BWV 802-805
●バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1952年8月、コネティカット州
楽器:ドルメッチ=チッカリング・モデル(1908)

CD23
●バッハ:組曲 イ短調 BWV 818a
●バッハ:組曲 変ホ長調 BWV 819
●バッハ:小前奏曲 ハ長調 BWV 924
●バッハ:小前奏曲 ハ長調 BWV 939
●バッハ:リュートのための前奏曲 ハ短調 BWV 999
●バッハ:小前奏曲 ニ長調 BWV 925
●バッハ:小前奏曲 ニ長調 BWV 926
●バッハ:小前奏曲 ニ長調 BWV 940
●バッハ:小前奏曲 ホ短調 BWV 941
●バッハ:小前奏曲 ヘ長調 BWV 927
●バッハ:小前奏曲 ヘ長調 BWV 928
●バッハ:小前奏曲 ト短調 BWV 929
●バッハ:小前奏曲 ト短調 BWV 930
●バッハ:小前奏曲 イ短調 BWV 942
●バッハ:6つの小前奏曲 BWV 933-938
●バッハ:アプリカーティオ ハ長調BWV 994
●バッハ:3つのメヌエット BWV 841-843
ラルフ・カークパトリック(クラヴィコード)
録音:1960年8月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)
楽器:ドルメッチによる18世紀モデル(1932)

CD24
●バッハ:イタリア風のアリアと変奏曲 イ短調 BWV 989
●バッハ:カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちにあたって」変ロ長調 BWV 992
●バッハ:トッカータ ニ短調 BWV 913
●バッハ:トッカータ ホ短調 BWV 914
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1960年9月、パリ、ポリドール・スタジオ (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

●バッハ:トッカータ ト長調 BWV 916
ラルフ・カークパトリック(チェンバロ)
録音:1959年9月、1960年9月 (Stereo)
楽器:ノイペルト・バッハ・モデル

CD25
●モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番 変ロ長調 KV 570
●モーツァルト:組曲 ハ長調 KV 399
●モーツァルト:幻想曲とフーガ ハ長調 KV 394
ラルフ・カークパトリック(フォルテピアノ)
録音:1952年、ニューヨーク、ワシントン・アーヴィング・ハイスクール
楽器:ジョン・チャリスによる18世紀モデル

●モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ト長調 KV 453
ラルフ・カークパトリック(フォルテピアノ)
ダンバートン・オークス室内管弦楽団
アレグザンダー・シュナイダー(指揮)
録音:1951年3月、ニューヨーク、コロンビア30番街スタジオ
楽器:ジョン・チャリスによる18世紀モデル


*収録曲順の変更がある場合がございますが予めご了承ください。

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