基本情報
商品説明
ターリヒ・ボックス(22CD)
ムラヴィンスキーやカラヤンも称える大物指揮者、ヴァーツラフ・ターリヒの録音を集めたセット。聴きやすい1950年代音源を中心に、1940年代、1930年代も含み、中にはHMVが1929年にロンドンからプラハまでレコーディング専用の大型車を出張させて6日間にわたって録音した『我が祖国』もあったりして多彩な内容となっています。
【ターリヒ】
ターリヒが生まれ育った当時のチェコは、オーストリア=ハンガリー帝国に所属、ターリヒも36歳まではオーストリア=ハンガリー帝国の市民でした。 チェコは広大な帝国の中でも最も工業などの産業が発達し経済的にも恵まれた地域で、そのため隣のドイツ帝国との行き来も多く、独墺系住民やドイツ語話者が多数暮らしていたほか、ウクライナ地方にもドイツ移民が多かったことからロシア帝国の黒海周辺地域との交流も密になっていました。
ターリヒがキャリアの初期に、チェコ、ドイツ、スロヴェニア、ウクライナ、グルジア、イタリアなど多くの国で活動していた背景には、そうしたマルチリンガルな環境で暮らしていたことが少なからず影響しているものと思われ、第1次大戦が終わってオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊、ターリヒがチェコ・フィル音楽監督に就任するまでの遍歴も、以下のようにすごいことになっています。
●20歳:ドイツ/ベルリン・フィルのコンサートマスター
●21歳:ウクライナ/オデッサ歌劇場管弦楽団のコンサートマスター
●22歳:グルジア/トビリシ音楽院ヴァイオリン科教授
●25歳:スロヴェニア/リュブリャナ・コンサート管弦楽団の指揮者
●28歳:ドイツ/ライプツィヒ音楽院で再修業
●28歳:イタリア/ミラノ・スカラ座で再修業
●28歳:スロヴェニア/スロヴェニア歌劇場の音楽監督
●29歳:自国/ピルゼン歌劇場の音楽監督
●36歳:自国/チェコ・フィルの音楽監督
第1次大戦後、チェコ・フィルをパワーアップして黄金時代を築いてからは、ターリヒはイギリスやスウェーデン、ソ連、ドイツ、オーストリアなどで活動して名声も国際化。しかし、20年後の1939年、第2次大戦の直前には、工業国チェコはドイツによって事実上の占領状態に置かれ、ルール地方と並ぶドイツ軍兵器の最大級の生産拠点として保護されることになってしまいます。
ドイツ敗戦後のチェコは、今度はソ連の強い影響下に置かれるようになり、共産党員でうまく立ち回れば、問題のある人間でも強大な権力を持てる社会体制が実現。
そうした中で新たに文化大臣に就任したネイェドリーは、若い頃にドヴォルザークの娘にふられたことで、彼女と結婚した作曲家スークを執念深く憎んできた人物であり、スークと親しかったターリヒまで逆恨みして攻撃するようになります。男の嫉妬、おそるべしです。
攻撃の最たるものが戦犯容疑のねつ造で、ターリヒは逮捕されて刑務所に37日間収容されますが、大統領のベネシュによって救われ、裁判でも無罪となり、いったんはネイェドリーも文化大臣を退任。
しかし、スターリン主義者で独裁者、「最悪なチェコ人」として知られるゴットワルトが政権をとると、再びネイェドリーが文化大臣に返り咲き、気に入らない者を迫害するという、まるで悪い冗談のような展開になり、ターリヒは弟子らと共にスロヴァキアのブラチスラヴァに拠点を移して3年間を過ごすことになります。
その後、1953年1月31日、ネイェドリーが75歳を迎える直前に大臣を退任、さらにスターリン急死の直後、ゴットワルトも梅毒などが原因で3月14日に56歳で死去すると、ターリヒにようやく平和が訪れることになります。
ほどなくプラハに戻り、チェコスロヴァキア放送の芸術顧問となったターリヒは、プラハ放送交響楽団の指揮者として活動、翌1954年には、文化大臣のコペツキーよりチェコ・フィル芸術顧問に任命されてもいますが、ターリヒの健康状態は思わしくなく、1955年末には指揮活動を停止。最後の公開演奏会はモーツァルトでまとめたものでした。
【年表】
1883年(0歳)
●5月28日、ヴァーツラフ・ターリヒ、オーストリア=ハンガリー帝国時代のモラヴィア地方、クロムニェジーシュに誕生。父ヤン[1851-1915]は合唱指揮者でヴァイオリンも演奏、作曲もした音楽教師。ターリヒは最初父からヴァイオリンを学びます。
●11月18日、国民劇場、スメタナ『リブシェ』で再開場。のちにターリヒの職場にもなるこの劇場は、実際には1881年6月11日に開場していましたが、直後に火災に遭い大規模な改修が必要になって資金集めからやり直したため、再開場には2年半の時間が必要でした。チェコ語のオペラを中心に上演するチェコ語話者のための劇場。
1884年(1歳)
●5月12日、スメタナ[1824-1884]死去。
1887年(4歳)
●ターリヒ、家族と共に、ボヘミア南西部のクラトヴィに転居。
●ターリヒ、ヤン・マラク[1870-1932]のヴァイオリン教室でレッスンを開始。
1888年(5歳)
●1月5日、プラハ・ドイツ劇場、ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で開場。1881年に開場したチェコ語オペラハウスである「国民劇場」の開場を羨んだプラハのドイツ語話者たちは、1883年2月4日に「ドイツ劇場協会」を設置、資金を集め、急ピッチで劇場を建設。その後、ドイツ・オペラハウス、スメタナ劇場などと名を変え、現在は「プラハ国立歌劇場」となり、約1.2キロ西にある「国民劇場」の傘下となっています。
1893年(10歳)
●ターリヒ、父の所属するオーケストラでヴァイオリンを弾くようになります。
1897年(14歳)
●ターリヒ、プラハ音楽院に入学。オタカル・シェフチーク[1852-1934]にヴァイオリンを師事。ウィーンやザルツブルクでも教えた高名な教師で、弟子には、ヤン・クーベリク、エリカ・モリーニ、ヤロスラフ・コチアンなどがいました。
1898年(15歳)
●ターリヒの父親、オーストリア=ハンガリー帝国のクロアチア、シベニクに単独で移住。
1899年(16歳)
●ターリヒ、プラハ音楽院のオーケストラに第1ヴァイオリン奏者として参加、スメタナ『モルダウ』、ベートーヴェン交響曲全曲サイクルなど演奏。
1902年(19歳)
●ターリヒ、学生合唱団の合唱指揮者となります。
●ターリヒ、兄ヤン(チェロ)と共にアマチュア弦楽四重奏団、「ボヘミア四重奏団」を結成。
1903年(20歳)
●7月、ターリヒ、プラハ音楽院を卒業。
●秋、ターリヒ、ニキシュの推薦でベルリン・フィルの第1ヴァイオリン奏者となりコンサートマスターに就任。
1904年(21歳)
●2月、ターリヒ、結核に罹患。ニキシュに強い影響を受け、指揮者になることを決意していたため、ベルリン・フィルを退団、クラトヴィに戻って治療。
●ターリヒ、地元のアマチュア・アンサンブルを相手に、バッハ、ヘンデル、ブルックナーなどを指揮。スコアの勉強も進めます。
●ターリヒ、シェフチークの推薦により、ロシア帝国、オデッサ歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任。
●ターリヒ、ヨセフ・フィビクの代役で指揮者デビュー。
1905年(22歳)
●春、ターリヒ、第1次ロシア革命の争乱から疎開するためロシア帝国のトビリシに移り、トビリシ音楽院でヴァイオリンを教え、音楽院のオーケストラの指揮者も務めます。
1906年(23歳)
●ターリヒ、プラハに帰還。
1907年(24歳)
●2月3日、ターリヒ、作曲家ヨゼフ・スーク[1874-1935]と交流。カレル・コヴァジョヴィツ[1862-1920]指揮によるプラハでの『アスラエル交響曲』初演の後に、ボヘミア四重奏団のメンバーと共に会合。
●10月、ターリヒ、アマチュアのスメタナ合唱団と、アマチュア・オーケストラのポドスカル・フィルハーモニーを指揮するようになります(1908年5月まで)
●12月ターリヒ、ターボル管弦楽団に客演、ドヴォルザーク交響曲第8番とベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ヤン・ヘルマン)を指揮。プロの指揮者としての初の成功。
1908年(25歳)
●ターリヒ、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の第2指揮者に応募しますが、首席指揮者のヴィレム・ゼマネク[1875-1922]によって拒絶されます。ゼマネクはユダヤ系でドイツ語に堪能、ドイツ・オーストリア音楽が得意で、1903年から1918年、財務破綻寸前の時期から第1次大戦末期にかけての15年間、チェコ・フィルを指揮。
●7月、ターリヒ、作曲家スークの推薦により、設立間もないリュブリャナ・コンサート管弦楽団の指揮者として契約。オーストリア=ハンガリー帝国、スロヴェニア地方のリュブリャナはグラーツの南西約130キロ、プラハの南約450キロのところに位置する都市で、チェコとは国境を接していませんが、当時は同じオーストリア=ハンガリー帝国所属ということで行き来も多かったようです。現在のスロヴェニア・フィルの前身となるこの36人編成のオーケストラは、楽員の半数はチェコ人で、やがて時間の経過と共にスロヴェニア人との揉めごとも絶えないようになり、ターリヒは4年で辞任していますが、その間、短期集中でライプツィヒで指揮の腕を磨いたり、ミラノでオペラの指揮の勉強をしたりと、指揮能力の向上に情熱的に取り組み、ミラノでの勉強を終えると、さっそくリュブリャナ歌劇場でオペラの指揮に進出しています。
●11月8日、ターリヒ、リュブリャナ・コンサート管弦楽団と最初の演奏会。シューベルト『未完成』などを指揮。ドイツ語紙、スロヴェニア語紙共に好評でした。
1909年(26歳)
●1月26日、ターリヒ、プラハのルドルフィヌムで、スークの交響詩『夏物語』のコヴァジョヴィツ指揮チェコ・フィルによる初演に参加。オルガンの演奏を担当。
●3月、ターリヒ、リュブリャナで弦楽四重奏団を結成。メンバーは全員スロヴェニア在住のチェコ人で、ターリヒはヴィオラを担当。3月24日に最初のコンサート。
1910年(27歳)
●7月30日、ターリヒ、結婚。相手はプラハ音楽院時代に出会っていたスロヴェニアのピアニスト、ヴィダ・プレレスニコワ。
●8月26日、ターリヒの母、死去。
●12月13日、ターリヒの弟アントニン、死去。
1911年(28歳)
●ターリヒ、ライプツィヒ音楽院で、ハンス・ジット[1850-1922]に指揮法、マックス・レーガー[1873-1916]に対位法を師事。また、ゲヴァントハウス管弦楽団でニキシュに教えを受けています。
●2〜4月、ターリヒ、ミラノで勉強。スカラ座でアルトゥーロ・ヴィニーからオペラの指揮について教わります。
●夏、ターリヒ、スロヴェニア歌劇場の音楽監督に就任。『売られた花嫁』『ルサルカ』『リゴレット』『カルメン』などの6つのオペラを指揮。
1912年(29歳)
●3月31日、ターリヒ、リュブリャナ・コンサート管弦楽団と最後の演奏会。ドヴォルザーク、シューベルトなど演奏。
●8月15日、ターリヒ、スークの推薦でピルゼン歌劇場の第1楽長に就任。ピルゼンはバイロイトの東約130キロのところにあるオーストリア=ハンガリー帝国、ボヘミア地方の都市(現プルゼニ)。ターリヒはここで楽員と歌手の約半分を入れ替えます。
●8月15日、ターリヒ、ピルゼン歌劇場。『売られた花嫁』でデビュー。以後、『サムソンとダリラ』『トロヴァトーレ』『蝶々夫人』『ダリボル』などを指揮。
●10月7日、ターリヒの長男誕生。
1914年(31歳)
●5月10日、ターリヒ、ピルゼン・フィルハーモニーに客演。
◆第1次大戦開戦。
1915年(32歳)
●5月、戦争のためピルゼン歌劇場閉鎖。
●ターリヒ、劇場閉鎖のため失職。以後、自宅でヴァイオリンと音楽理論の教室を開いて収入を得たりして生活します。妻のヴィダはピアノを教えていました。
●10月13日、ターリヒの父、オーストリア=ハンガリー帝国のクロアチアで死去。
1917年(34歳)
●10月8日、ターリヒ、ボヘミア四重奏団がブラームスの弦楽六重奏曲、シェーンベルク『浄夜』をとりあげたので第2ヴィオラとして演奏会に参加。
●12月12日、ターリヒ、チェコ・フィルを初めて指揮。
1918年(35歳)
●4月3日、国民劇場管弦楽団を初めて指揮。オール・ドヴォルザーク・プログラム。
◆10月28日、チェコスロヴァキア国民委員会が独立宣言。
●10月30日、ターリヒ、チェコ・フィルを初めて指揮。オール・チェコ・プログラム。
◆11月10日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール1世、事実上の退位。
1919年(36歳)
●2月5日、ターリヒ、チェコ・フィル第2指揮者に任命。
◆9月、サンジェルマン条約により、正式にオーストリア=ハンガリー帝国崩壊。
●9月、ターリヒ、チェコ・フィル音楽監督に就任。
●10月、ターリヒ、チェコ・フィル。フランクの交響曲、スークのアスラエル交響曲、スークの弦楽セレナーデ、スメタナ『我が祖国』ほか。
●11月、ターリヒ、チェコ・フィル。R.シュトラウス『家庭交響曲』ほか。
●12月、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザークのピアノ協奏曲ほか。
1920年(37歳)
●2月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。ディーリアス:交響詩『生命の踊り』、レーガー『ロマンティック組曲』ほか。
●2月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。シェーンベルク:室内交響曲ほか。
●5月26日、ターリヒ、トリノに客演。
●10月11日、ターリヒの娘、ヴィータ誕生
●11月7日、ターリヒ、チェコ・フィル。ルーセル『森の詩』ほか。
1921年(38歳)
●2月27日、ターリヒ、チェコ・フィル。ルドルフ・カレル[1880-1945]の『悪魔』初演ほか。
●3月4日、ターリヒ、ベルリン・フィルに客演。ドヴォルザーク『謝肉祭』、レーガー『モーツァルト変奏曲』、フランク:交響曲。
●11月6日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤロスラフ・クシーチカ[1882-1969]の『アドヴェントゥス』初演ほか。
●12月4日、ターリヒ、チェコ・フィル。カレル・ボレスラフ・イラーク[1891-1972]の『シェイクスピアの喜劇への序曲』初演ほか。
1922年(39歳)
●3月26日、ターリヒ、チェコ・フィル。オストリチルのシンフォニエッタ初演ほか。
●4月18日〜5月15日、ターリヒ、チェコ・フィル。イタリア・ツアー。
●12月4日〜6日、ターリヒ、チェコ・フィル。ウィーン公演。
1923年(40歳)
●1月9日、ターリヒ、リヴァプール・フィルに客演。その後、ロンドンでも指揮。
●2月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク:レクイエム。
●2月18日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌーの『青い時間』初演。
●2月21日、ターリヒ、チェコ・フィル。ノヴァーク『パン(半羊神)』。
●3月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。マーラー2番。
●ターリヒ、チェコ・フィル。ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ。
●ターリヒ、チェコ・フィル。R.シュトラウス交響詩シリーズ(7曲)。
●ターリヒ、チェコ・フィル。翌年1月4日のゼフ・スークの50歳の誕生日を祝して、クリスマス前にスークの特集コンサートを5回開催。
1924年(41歳)
●2月23日、ターリヒ、ウィーンに客演。
●3月2日、ターリヒ、チェコ・フィル。スメタナの誕生日に生誕100周年記念行事の一環として、『我が祖国』を大人数で演奏。プラハ音楽院のオーケストラの楽員を加えての公演で、このあと、スメタナの管弦楽作品による記念公演をプラハと地方で29回演奏。
●3月16日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザークの命日に没後20周年記念公演をシリーズで実施。交響曲とチェロ協奏曲ほか。
●3月30日、ターリヒ、チェコ・フィル。カレル・ボレスラフ・イラークの交響曲第2番を初演。
●4〜5月、ターリヒ、チェコ・フィル。イタリアとユーゴスラヴィアへツアー。
●5月31日、ターリヒ、チェコ・フィル。ISCMフェスティヴァルを開催し、スメタナ『プラハの謝肉祭』と、オタカル・オストルチル[1879-1935]のシンフォニエッタを開幕公演で指揮。
●6月2日、ターリヒ、チェコ・フィル。ISCMフェスティヴァル閉幕公演で、スークの交響詩『人生の実り』を指揮。
●7月3日、ターリヒ、パリでコンセール・ラムルー管弦楽団に客演。
●10月24日、ターリヒ、チェコ・フィル。チェコ音楽コンサート。
●12月7日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー『ハーフ・タイム』初演。
●12月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤナーチェク70歳誕生日コンサート。『タラス・ブーリバ』ほか。
●12月24日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤナーチェク『ヴァイオリン弾きの子ども』
1925年(42歳)
●1月6日 - 2月1日、ターリヒ、初めてスコティッシュ管弦楽団に客演。グラスゴーとエジンバラで10回のコンサートを指揮。
●春、ターリヒ、チェコ・フィル。マーラーの交響曲シリーズ。
●5月11日、ターリヒ、チェコ・フィル。最初のラジオ放送。スメタナ・ホールから『我が祖国』。
●5月15日、ターリヒ、チェコ・フィル。第2回ISCMフェスティヴァル開催。ルドルフ・カレル『悪魔』ほか。
●5月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー『ハーフ・タイム』ほか。
●5月19日、ターリヒ、チェコ・フィル。バルトーク『舞踊組曲』ほか。
●5月20日、ターリヒ、チェコ・フィル。、VycpalekのCantata The Last Things
●10月、ターリヒ、チェコ・フィル。フィビヒ没後25周年記念公演。3つの交響曲を演奏。
●11月17-18日、ターリヒ、チェコ・フィル。ブダペスト公演。
1926年(43歳)
●1月1日〜2月13日、ターリヒ、スコティッシュ管弦楽団に客演。
●2月24日、ターリヒ、ストックホルム・フィルに初めて客演。スメタナ『売られた花嫁』序曲、スーク『死せる勝利者の伝説』、ノヴァーク『タトラ山にて』、ドヴォルザーク『新世界より』を指揮。
●3月21日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤロスラフ・ジーツキー[1897-1956]の交響曲第2番を初演。
●4月24日 - 5月10日、ターリヒ、チェコ・フィル。イタリアとユーゴスラヴィアへツアー。
●6月26日、ターリヒ、ヤナーチェク『シンフォニエッタ』初演。
●9月19日、ターリヒ、チェコ・フィル。ストラヴィンスキー『春の祭典』ほか。
●9月26日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヴィーチェススラフ・ノヴァーク[1870-1949]のカンタータ『嵐』ほか。
●10月3日〜11月3日、ターリヒ、ストックホルム・フィル首席指揮者に就任。まず10回のコンサートを指揮。
1927年(44歳)
●1月、ターリヒ、スコティッシュ管弦楽団に客演。エルガー『エニグマ変奏曲』も指揮。
●3月2日〜4月27日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。没後100周年のベートーヴェン・シリーズなど、16回のコンサートを指揮。
●5月5日〜5月24日、ターリヒ、チェコ・フィル25周年記念演奏会シリーズ開催。『我が祖国』で開幕し、マーラーの交響曲第5番で閉幕。
●10月2日〜11月13日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナーの交響曲第8番、マーラーの交響曲第7番、シェーンベルクの『浄夜』など12回のコンサートを指揮。
●12月11日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第3番、ディーリアス『パリ』、エルガー『序奏とアレグロ』など。
1928年(45歳)
●1月1日〜29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナーの交響曲第5番ほか9回のコンサートを指揮。
●2月23日、ターリヒ、ロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団に客演。ベルリオーズ『ローマ・の謝肉祭』、ホルスト『エグドン・ヒース』初演、シゲティ独奏でブラームスのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第8番。
●3月11日〜4月29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブラームスの交響曲シリーズとドイツ・レクィエムなど11回のコンサートを指揮。
●5月30日、ターリヒ、チェコ・フィル。ウィーン公演。イラーク『シェイクスピア』序曲、ノヴァーク『永遠の憧れについて』、マーラーの交響曲第9番。
●ターリヒ、プラハ音楽院教授を辞任。
●9月28日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤナーチェク『ヴァイオリン弾きの子供』、『タラス・ブーリバ』ほか。
●10月3日〜11月11日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナーとマーラーの交響曲第6番など13回のコンサートを指揮。
●12月9日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー『大騒ぎ』ほか。
1929年(46歳)
●1月2日〜30日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。10回のコンサートを指揮。
●2月10日、ターリヒ、チェコ・フィル。ノヴァークのバレエ音楽・無言劇『シニョリーナ・ジョヴェントゥ』初演。
●3月20日〜4月28日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。マルチヌー『大騒ぎ』ほか12回のコンサートを指揮。
●9月3・4・5・6・9・10日、ターリヒ、チェコ・フィル。HMVに『我が祖国』を録音。ロンドンからレコーディング専用の大型車が出張してきて6日間にわたってセッションが組まれた本格的な録音でした。
●9月18日、ターリヒ、チェコ・フィル。アロイス・ハーバ[1893-1973]のピアノと管弦楽のためのファンタジー初演。
●10月6日〜11月13日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。チャイコフスキー組曲第4番『モーツァルティアーナ』ほか11回のコンサートを指揮。
●11月27日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル[1859-1951]、70歳を祝うコンサート。『イチーン』組曲、交響曲第4番、ヴァイオリン協奏曲。
1930年(47歳)
●1月1日〜29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。9回のコンサートを指揮。
●3月16日〜4月29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナー交響曲第9番、テ・デウムほか14回のコンサートを指揮。
●9月26日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヤロスラフ・イェジェク[1906-1942]のヴァイオリン協奏曲を初演。
●10月1日-11月12日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。12回のコンサートを指揮。契約期間を3シーズン延長。
●10月10日、ターリヒの妹マリー、クラトヴィで死去。
●12月21日、ターリヒ、チェコ・フィル。オストルチル『十字架の道』ほかを演奏。
●11月3日、ターリヒ、チェコ・フィル。ノヴァーク『ニコティナ』バレエ組曲初演。
1931年(48歳)
●1月1日〜28日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。6回のコンサートを指揮。
●3月15日〜4月29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。13回のコンサートを指揮。
●5月、ターリヒ、チェコ・フィル。イタリアとユーゴスラヴィアへツアー。マルチヌー『大騒ぎ』ほか。
●9月20日〜11月22日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ピアティゴルスキー独奏のドヴォルザーク:チェロ協奏曲、チャイコフスキーとニールセンの交響曲第2番ほか、15回のコンサートを指揮。
●12月31日、ターリヒ、ワルシャワ・フィルに客演。
1932年(49歳)
●1月3日〜31日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。9回のコンサート。
●2月と3月、ターリヒ、モスクワ・フィルハーモニー協会管弦楽団に客演。オール・ワーグナー・プログラムなど指揮。レニングラードでは、ショスタコーヴィチ、ムラヴィンスキーと会合。レニングラード・フィル芸術監督およびレニングラード音楽院教授への就任を要請されるものの辞退。
●3月10日、ターリヒ、ヘルシンキ・フィル客演。
●3月20日〜4月3日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。オール・ワーグナー・プログラム、チャイコフスキーの交響曲第3番ほか、5回のコンサートを指揮。
●6月15日、ターリヒ、プラハ音楽院の修士課程の教授に任命。アンチェル[1908-1973]、クロムホルツ[1918-1983]らを育てます。
●9月21日-10月30日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナー交響曲第1番、ホロヴィッツ独奏によるチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:
ピアノ協奏曲第3番ほか12回のコンサート。
●11月16日〜30日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナー交響曲第3番ほか、ヨーテボリで5回のコンサート。
●12月、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー:弦楽のためのパルティータほか4回のコンサートを指揮。
1933年(50歳)
●1月11日〜29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ショスタコーヴィチ交響曲第1番ほか、ヨーテボリで6回のコンサート。
●3月22日〜4月30日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。11回のコンサートを指揮。
●2月〜3月、ターリヒ、ソ連に客演。
●9月20日〜10月29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ヴォーン・ウィリアムズ『タリスの主題による幻想曲』、ニールセンの交響曲第5番、ホロヴィッツ独奏によるブラームスとリストのピアノ協奏曲第2番ほか、14回のコンサートを指揮。
●12月20日、ターリヒ、チェコ・フィル。スーク『エピローグ』初演。
1934年(51歳)
●1月21日〜2月7日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。ブルックナー交響曲第4番ほか、5回のコンサートを指揮。
●3月14日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー:弦楽四重奏団と管弦楽のための協奏曲ほか。
●3月21日〜4月29日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。13回のコンサートを指揮。
●9月19日〜11月11日、ターリヒ、ストックホルム・フィル。マーラー『大地の歌』、作曲者独奏によるバルトークのピアノ協奏曲第2番、ホロヴィッツ独奏によるチャイコフスキーとブラームスのピアノ協奏曲第1番、ランドフスカ独奏によるプーランの田園協奏曲、ベンダの交響曲ほか13回のコンサート。
●10月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。フィルクシュニー独奏によるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ヒンデミットの交響曲『画家マティス』。
●11月21日、ターリヒ、チェコ・フィル。作曲者独奏によるバルトークのピアノ協奏曲第2番、再びソリスト
●12月18日、ターリヒ、チェコ・フィル。ノヴァークの『秋の交響曲』初演。
1935年(52歳)
●1月、ターリヒ、うつ病。公演キャンセルが続きます。
●5月29日、作曲家スーク、61歳で死去。ターリヒの誕生日の翌日でした。
●7月、ターリヒ、温泉地カールスバート(カルロヴィ・ヴァリ)とユリア・アルプスでの静養でうつ病回復。
●8月20日、国民劇場の音楽監督で作曲家・指揮者のオストルチル、56歳で死去。
●9月6日、ターリヒ、ISCMフェスティヴァルを開催し、パヴェル・ボシュコヴェツ[1894-1972]のピアノ協奏曲をフィルクシュニー独奏で初演。
●10月17日、ターリヒ、国民劇場の音楽監督に就任。
●11月13日、ターリヒ、チェコ・フィル。フィルクシュニー独奏によりマルチヌーのピアノ協奏曲第2番を初演。
1936年(53歳)
●2月2日、ターリヒ、うつ病再発。ストックホルム・フィルとの公演を3回指揮したのちキャンセル。
●6月19日、ターリヒ、国民劇場で『ルサルカ』プレミエを指揮。
●10月、ターリヒ、プラハから約25km離れたベロウンの丘の住居に転居。
●10月24日、ターリヒ、国民劇場。『売られた花嫁』。
●10月28日、チェコ・フィル、チェコの音楽をターリヒの指揮で海外に紹介する活動が評価されて国家賞を受賞。
1937年(54歳)
●1月9日、ターリヒ、プラハのエステート劇場でモーツァルト・コンサート。交響曲第38番、『レ・プティ・リアン』『劇場支配人』。
●1月27日 - 28日、ターリヒ、国民劇場キャストを率いてアムステルダムで引っ越し公演。『売られた花嫁』を上演。
●5月21日、ターリヒ、国民劇場。ヤナーチェク『利口な女狐の物語』プレミエを指揮。
●9月15日、ターリヒ、チェコ・フィル&国民劇場管弦楽団。前日に死去したトマーシュ・マサリク前大統領の追悼演奏会で『我が祖国』を指揮。
●10月12日〜11月5日、ターリヒ、チェコ・フィルのイギリスとベルギーへのツアーの代役として23歳のラファエル・クーベリックを指名。
●10月25日、ターリヒ、エステート劇場。『ドン・ジョヴァンニ』を指揮。同曲初演の劇場での公演。
●12月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。ルーセル『エヴォカシオン』ほか。
1938年(55歳)
●3月2日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヴラジミール・シュテドロン[1900-1982]の交響詩『妄想』、エミール・アクスマン[1887-1949]のヴァイオリン協奏曲、ヤロスラフ・ジーツキー[1897-1956]の交響曲第5番を初演。
●3月30日、ターリヒ、チェコ・フィル。バルトーク『弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽』。
◆3月12日、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
●3月16日、ターリヒ、国民劇場。マルチヌー『ジュリエッタ』初演。
●5月18日、ターリヒ、スメタナ『リブシェ』プレミエ。
●5月15日、ターリヒ、国民劇場。第10回ソコル会議のために『我が祖国』を指揮。
◆9月7日、ズデーテン・ドイツ人党は、ズデーテン地方自治に関するチェコスロヴァキア政府の譲歩案を拒否、交渉打ち切りを通告。
◆9月12日、ヒトラーはズデーテン・ドイツ人の処遇改善を求めて演説。
◆9月13日、プラハで非常事態宣言。自治を求めるズデーテン・ドイツ人のデモ隊が警官隊と衝突。
●9月14日、ターリヒ、国民劇場。マサリク前大統領没後1周年記念演奏会で『我が祖国』を指揮。
●10月20日、ターリヒ、チェコ・フィル。ラジオ放送で初のドヴォルザーク『スラヴ舞曲』全曲放送。
●10月27日、ターリヒ、チェコ・フィル。チェコスロヴァキア共和国独立20周年記念日前夜祭で『我が祖国』を指揮。
●11月2日〜24日、チェコ・フィルのイギリスとベルギーへのツアーを24歳のラファエル・クーベリックが担当。
11月22〜23日、ターリヒ、チェコ・フィル。HMVへ録音。ロンドンのアビーロード第1スタジオで、ドヴォルザーク交響曲第6番と第7番、スークの弦楽セレナーデ、『ソコル祭典行進曲』をレコーディング。
●9月16日、ターリヒ、国民劇場。ヤナーチェク『カーチャ・カバノヴァー』プレミエ。
●10月13日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『売られた花嫁』プレミエ。
●11月1日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『秘密』プレミエ。
●12月22日、ターリヒ、国民劇場。フィビヒ『メッシーナの花嫁』プレミエ。
1939年(56歳)
●1月、ターリヒ、ストックホルム・フィル。3回のコンサートを指揮。
●1月25日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク『チェコ組曲』、ヤナーチェクのカンタータ『アマルス』。ほかに、ルドルフ・カレル[1880-1945]の交響楽団第2番初演など。
●3月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー『インヴェンション』のほか、イーラクの交響曲第3番初演など。
◆3月15日、チェコスロヴァキアはドイツの支配下に置かれ、チェコのボヘミアとモラヴィアは、「ベーメン・メーレン保護領」に、「ズデーテンラントはドイツに割譲」、スロヴァキアとカルパティア・ルテニアは独立を強要されてハンガリーに侵攻され、「カルパティア・ルテニア全土とスロヴァキアの一部地域がハンガリーによって占領」。そこでドイツが調停に入り、「スロヴァキアはドイツの保護のもとに独立」という流れになり、ほどなく独立国のスロヴァキア軍は、枢軸国軍の一員としてポーランドに攻め込むことになります。
●4月23日、ターリヒ、チェコ・フィル。ラジオで初めて『利口な女狐の女』組曲を放送。
●5月、ターリヒ、「プラハ5月音楽祭(Pra?skyhudebnimaj)」を開催。のちの「プラハの春」の原型となったこの音楽祭は、音楽のすばらしさと愛国心を共に主張するもので、国民劇場で、オペラ公演と、チェコ・フィルによる9回のコンサートが実施されました。初日はモーツァルトの『魔笛』で、最終日はベートーヴェンの第9、途中にチェコの音楽が取り上げられました。
●6月28日、ターリヒ、チェコ・フィル。自宅のあるベロウンで『我が祖国』指揮。
◆8月、独ソ不可侵条約締結。
●9月29日、ターリヒ、チェコ・フィル。スメタナ・シリーズでシーズン開幕。
●10月1日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザークのスラヴ舞曲ほか。
●10月6日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『二人のやもめ』。
●10月11日、ターリヒ、チェコ・フィル。マルチヌー『3つのリチェルカーレ』ほか。マルチヌーがナチのブラックリストに入ったため、以後、戦後まで演奏禁止に。
●12月19日、ターリヒ、国民劇場。グルック『オルフェオとエウリディーチェ』。
●12月29日、ターリヒ、国民劇場。フェルステル『エヴァ』。
1940年(57歳)
●1月7日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク『スラヴ舞曲』ほか。
●2月7日、ターリヒ、チェコ・フィル。『ドン・ジョヴァンニ』序曲、『ジュピター』などオール・モーツァルト・プログラム。
●3月1日、ターリヒ、チェコ・フィル。スメタナ・コンサート放送。
●4月7日、ターリヒ、チェコ・フィル。ピルゼンで『我が祖国』全曲上演。
●4月、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハでエレクトローラ(独HMV)に録音。ドヴォルザークを中心とした小品集。
●5月11日、ターリヒ、チェコ・フィル。スメタナ『我が祖国』全曲放送。
●5月20日、ターリヒ、国民劇場。ドヴォルザーク『ジャコバン党員』プレミエ。
●5月、ターリヒ、「プラハ5月音楽祭」を開催。開幕公演の『我が祖国』は、検閲官の要請で、愛国的で刺激的な「ターボル」「ブラニーク」をほかの曲に差し替えて演奏。
●5月29日、ターリヒ、チェコ・フィル。スーク没後5周年記念演奏会。
●6月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。ピシェクで『我が祖国』全曲上演。
●6月10日、ターリヒ、チェコ・フィル。ブルノで『我が祖国』全曲上演。
●10月5日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハで『我が祖国』抜粋上演。「ターボル」「ブラニーク」をカットし、『新世界より』を演奏。
●10月30日、ターリヒ、国民劇場。ノヴァーク『角燈』プレミエ。9回上演の後、ナチにより演奏禁止指定。
1941年(58歳)
●1月15日、ターリヒ、国民劇場。パヴェル・ボシュコヴェツ[1894-1972]のバレエ『ハーメルンの笛吹き』初演。
●2月11日〜12日、ターリヒ、ゲッベルス大臣の命令で、チェコ・フィルとドレスデンで公演。『エグモント』序曲と『我が祖国』全曲を演奏。
●2月27日、ターリヒ、国民劇場。ヤナーチェク『イェヌーファ』プレミエ。
●4月26日、ターリヒ、国民劇場。スーク『ラドゥースとマフレナ』。
●4月30日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク生誕100周年記念演奏会でレクィエムを演奏。
●5月、ターリヒ、「プラハ5月音楽祭」を開催。ドヴォルザーク交響曲第7番、スーク『アスラエル交響曲』、ノヴァーク『永遠の憧れについて』、『嵐』ほか。放送も実施。
◆6月22日、ドイツ軍、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻開始。バルバロッサ作戦。
●7月、ターリヒ、チェコ・フィル。国民劇場でエレクトローラ(独HMV)に録音。ドヴォルザーク『新世界より』、スメタナ『我が祖国』全曲という愛国的な作品に、シュナイダーハン独奏でチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキー交響曲第4番という前月に侵略の始まったロシアの作品も選曲。ささやかな抵抗。
●ズリーンで予定されていた国民劇場の夏のオペラ(4本のスメタナ作品と2本のドヴォルザーク作品)が、ナチにより中止に追い込まれます。
●9月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク誕生日記念コンサート。首席指揮者として最後の出演でした。
●9月16日、ターリヒ、国民劇場。モーツァルト没後150周年記念演奏会で交響曲第33番、レクィエムを演奏。
◆9月23日、ラインハルト・ハイドリヒ[1904-1942]、ベーメン・メーレン保護領副総督に就任。抵抗運動に関わるインテリ層の弾圧と、労働者階級の懐柔策という「アメとムチ」ともいうべき方針で統治。労働者の食糧配給と年金支給額を増やし、温泉地カールスバートのリゾートホテルを労働者の保養目的で解放、また、チェコ初となる雇用保険制度を導入するなどして、ドイツ軍兵器の最重要生産拠点でもある工業先進地域チェコの安定化を図ります。
●11月22日、ターリヒ、国民劇場。ドヴォルザーク『アルミーダ』プレミエ。
1942年(59歳)
●4月21日、ターリヒ、国民劇場の総監督に就任。チェコ・フィルの首席指揮者はクーベリックが引き継ぎます。
●4月24日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『ダリボル』プレミエ。
◆5月27日、ハイドリヒ副総督、プラハでイギリス人と亡命チェコ人により襲撃され、その際に受けた傷がもとで6月4日に死去。
●10月8日、ターリヒ、国民劇場。ボシュコヴェツのバレエ『ハーメルンの笛吹き』。
1943年(60歳)
●4月24日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『ダリボル』。
●5月、ターリヒ、「プラハ5月音楽祭」を開催。チェコ・フィルと国民劇場管弦楽団の合同オーケストラにより、チェコ音楽を演奏。
●6月4日、ターリヒ、チェコ・フィル。シューベルト『未完成』、ブルックナー交響曲第7番。
●5月21日、ターリヒ、国民劇場。『フィガロの結婚』。
●9月25日、ターリヒ、国民劇場。『売られた花嫁』。
●11月3日、ターリヒ、国民劇場。『ドンジョヴァンニ』の指揮を病気によりキャンセル。
1944年(61歳)
●2月22日、ターリヒ、国民劇場。『フィデリオ』プレミエ。挑発的な演出で、ナチ検閲官により、以後の上演を禁じられます。
●2月27日〜5月5日、ターリヒ、チェコ・フィル。ヨゼフ・スーク生誕70年を記念して管弦楽作品をシリーズで演奏。
●8月31日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『秘密』。
◆9月1日、ゲッベルス国家総力戦総監により、全ドイツの劇場閉鎖令が布告。保護領や占領地にも適用。
1945年(62歳)
◆5月5日、赤軍によるプラハの武装親衛隊への攻勢が開始。チェコ人による「プラハ蜂起」も起こり、ドイツ降伏の3日後まで武装親衛隊の抵抗は続きます。プラハの戦い。
◆5月8日、ドイツ降伏。
◆5月9日、赤軍がプラハを解放。
●5月9日、ターリヒ、『リブシェ』を指揮するために国民劇場に行くものの入場拒否。
●5月12日、ターリヒはスメタナの命日にヴィシェフラド墓地を訪れた際、文化大臣のズデニェク・ネイェドリー[1878-1962]と出くわし、戦時中のドイツでの演奏について非難されます。ネイェドリーは共産主義者で戦時中はソ連に亡命、ソ連の進駐と共にチェコに帰還し権勢を振るっていた人物。
ネイェドリーは若い頃、ドヴォルザークの娘が好きでしたが、彼女がスークと一緒になったため、スーク、ヤナーチェク、ドヴォルザークらを恨み、ソ連の後ろ盾を得てからは、標題音楽以外は認めないという不思議な考えによって、表題の無い交響曲を作曲したドヴォルザークを激しく非難するという、なんとも程度の低い話を権力とセットで展開してチェコ楽壇を引き裂き、自分の配下となった者を重用していきます。
●5月21日、ターリヒ、パンクラーツ刑務所に収監。ネイェドリー大臣の陰謀により武装民兵によって逮捕・投獄されています。
●6月27日、ターリヒ、ベネシュ大統領の介入で釈放。37日間刑務所で過ごします。ベネシュ大統領は初代大統領マサリクと同じくフリーメーソンでもありました。
●10月17日、ターリヒ、浄化裁判で無罪。ベネシュ大統領によって戦時中の活動が擁護されます。
1946年(63歳)
●5月、ターリヒ、ストックホルム・フィルに客演。
●5月、ベネシュ大統領の後援により、クーベリックが第1回「プラハの春音楽祭」を主宰。原型はターリヒが1939年に開始した「プラハ5月音楽祭」。
◆7月2日、共産主義者ネイェドリー文化大臣退任。
●9月27日、ターリヒ、国民劇場管弦楽団。『我が祖国』を指揮。
●10月、ターリヒ、国民劇場管弦楽団。『我が祖国』を2度指揮。
●10月、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団を設立。7日に最初の公演。
●11月、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団とピルゼンで演奏会。
●11月、ターリヒ、プラハ芸術アカデミーで指揮の指導を開始。
●12月、ターリヒ、チェコ・フィルと戦後初のコンサート。
1947年(64歳)
●1月10日、ターリヒ、チェコ・フィル。モーツァルト、レーガー、フランク、ベルリオーズ、ルーセル、ドビュッシー、ショスタコーヴィチ、およびボシュコヴェツの『室内シンフォニエッタ』の初演を2回のコンサートで演奏。
●1月27日、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団。
●4月25日、ターリヒ、国民劇場管弦楽団。ヤナーチェク『カーチャ・カバノヴァー』プレミエ。
●5月10日、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団。ベルヴェデーレ宮殿でチェコの古い作曲家のコンサート。
●5月11日、ターリヒ、国民劇場で『我が祖国』を指揮。「プラハの春音楽祭」の開幕公演でした。
●5月15日、ターリヒ、国民劇場で『カーチャ・カバノヴァー』を指揮。「プラハの春音楽祭」の公演。
●5月24日、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団。モーツァルト・イン・ベルトラムカ・コンサート。モーツァルトのプラハ滞在時の邸宅を使用したコンサート。
●7月7日、ターリヒ、国民劇場総監督に任命。
●9月14日、ターリヒ、国民劇場で『我が祖国』を指揮。初代大統領マサリクの没後10周年記念公演。マサリクはフリーメーソンでした。
●10月18日、ターリヒ、エステート劇場。モーツァルト『バスティアンとバスティエンヌ』。
●10月23日、ターリヒ、エステート劇場。スメタナ『秘密』。
●11月12日、ターリヒ、チェコ室内管弦楽団。バッハ:管弦楽組曲第3番、ヴォジーシェク:交響曲、ヘンデル:オーボエ協奏曲。翌年の共産党政権確率により、これが最後の共演となってしまいました。
●11月18日、ターリヒ、国民劇場で『我が祖国』を指揮。国民劇場が火災後に再開場した日付が1883年11月18日です。
●12月24日、ターリヒ、国民劇場。スメタナ『秘密』の公演の直前に、軽度の心臓発作を起こします。
1948年(65歳)
◆2月、ソ連軍の大規模駐留を後ろ盾に、スターリン主義者ゴットワルト率いるチェコスロヴァキア共産党の権力が増大。西側との関係も重視するベネシュ大統領政権の閣僚は窮地に追い込まれて相次ぎ辞任。ゴットワルトは行動委員会を設置、共産主義に批判的な者を弾圧し始めます。
◆2月25日、共産主義者ネイェドリーが文化大臣に復帰。1953年1月31日まで、チェコのノーマルな音楽家にとっては悲惨な状況が続くことになります。
●2月末、ターリヒは病気を理由に国民劇場総監督辞任届を提出。
●3月10日、行動委員会、国民劇場総監督のターリヒを解任。これは共産党の行動委員会が、ターリヒの辞任届には敢えて触れず、行動委員会側から解任したと発表することで権威を示そうとしたものです。
●3月29日、チェコ室内管弦楽団、解散。行動委員会によってターリヒとの共演を禁じられていたため、資金難に陥っていました。
◆6月2日、ベネシュ大統領辞任。
●ターリヒ、個人的な交流で、チャールズ・マッケラスや、スメタナ四重奏団、ヴラフ四重奏団、チェコ九重奏団、チェコ・フィルハーモニー管楽五重奏団などを指導。
●12月24日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク序曲『自然の王国で』。
1949年(66歳)
●2月19〜20日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。モーツァルト:協奏交響曲 K.297b。
●4月2日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク『新世界より』。(スケルツォのみ1950年8月5日に録りなおし)
●5月2日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音スーク『おとぎ話』。
●7月14日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク『水の精』。
●ターリヒ、プラハを離れブラチスラヴァに転居。スロヴァキアで1番の都市であるブラチスラヴァはプラハの北東約300キロ、ウィーンの東約50キロ、ブダペストの北西約160キロに位置し、オーストリアとハンガリーに接する国境の街。
ターリヒは、ブラチスラヴァのチェコスロヴァキア放送で音楽プロデューサー兼指揮者として働くラディスラフ・スロヴァーク[1919-1999]からの申し入れを受け、そのブラチスラヴァで、地元出身の指揮者ルドヴィート・ライテル[1906-2000]と2人で、アマチュア・オーケストラのスロヴァキア・フィルをプロ組織に立ち上げる仕事と、ブラチスラヴァ音楽院での教授職に取り組むことになります。スロヴァ―クはターリヒの弟子で、ターリヒの没後はスロヴァキア・フィルの首席指揮者を引き継ぎ、20年間に渡って活躍。また、ライテルはクレメンス・クラウスの弟子で助手も務め、エルンスト・フォン・ドホナーニに作曲を師事していたというブラチスラヴァという国境の街ならではのキャリアを持つ人物。ちなみにスロヴァキア・フィルの前身であるアマオケ時代の室内管弦楽団を15年間も指揮していたズデニェク・フォルプレヒト[1900-1961]は、ターリヒの弟子で、かつ国民劇場で部下の指揮者でもありました。
●11月28日、ターリヒ、室内管弦楽団と最初のコンサート。アレクサンデル・モイゼス[1906-1984]、エウゲン・スホニュ[1908-1993]、ヤーン・ツィケル[1911-1989]という3人のスロヴァキアの作曲家の作品と、ノヴァークの『スロヴァキア組曲』などで構成。
1950年(67歳)
●6月、ターリヒ、スロヴァキア・フィルハーモニック室内管弦楽団。モーツァルト『フィガロの結婚』序曲、交響曲第33番、チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレなど録音。
●7月6〜8日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:スラヴ舞曲全曲。
1951年(68歳)
●2月14日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:『オセロ』。
●2月20〜21日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。スーク:弦楽セレナーデ。
●3月20日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:『謝肉祭』、『金の紡ぎ車』。
●4月2〜3日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのドモヴィナ・スタジオでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:『野鳩』。
●6月20日、ターリヒ、スロヴァキア・フィル。スプラフォンに録音。チャイコフスキー:『ハープサルの思い出』。
●10月15日、ターリヒ、スロヴァキア・フィルを指揮。
●10月29〜31日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのルドルフィヌムでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:交響曲第8番。
●11月1〜3日、ターリヒ、チェコ・フィル。プラハのルドルフィヌムでスプラフォンに録音。ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲。
●ターリヒ、スロヴァキア・フィル。スプラフォンに録音。チャイコフスキー組曲第4番『モーツァルティアーナ』。
1952年(69歳)
●8月3日、ターリヒ、スロヴァキア・フィル。ベートーヴェン9番。
1953年(70歳)
◆1月31日、文化大臣のズデニェク・ネイェドリーが退任。
●ターリヒ、文化大臣の妨害が無くなったため、プラハで仕事をすることが可能になります。
●4月9-11日、ターリヒ、プラハ放送交響楽団。『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死。
●4月24日、ターリヒ、プラハ放送交響楽団。オール・スメタナ・プログラム。
1954年(71歳)
●1月14日、ターリヒ、文化大臣ヴァーツラフ・コペツキー[1897-1961]よりチェコ・フィル芸術顧問に任命。
●3月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。ドヴォルザーク8番、ベンダ:交響曲、スーク『おとぎ話』。
●5月12日、ターリヒ、チェコ・フィル。「プラハの春」開幕公演で『我が祖国』。
●5月17日、ターリヒ、チェコ・フィル。スーク:弦楽セレナーデ、ドヴォルザーク:交響詩集。
●6月8日、ターリヒ、チェコ・フィル。リヒテルとバッハのピアノ協奏曲第1番、モーツァルト33番、『魔笛』序曲、チャイコフスキー『モーツァルティアーナ』
●6月9日、ターリヒ、チェコ・フィル。リヒテルとバッハのピアノ協奏曲第1番。スプラフォンに録音。
1955年(72歳)
●10月、ターリヒ、チェコ・フィル。スプラフォンへの最後のレコーディング。ヘンデル:オーボエ協奏曲。
●11月19日、ターリヒ、チェコ・フィル。最後の公開演奏会は、オール・モーツァルト・コンサートで、クラリネット協奏曲。『プラハ』などを指揮。
●12月、ターリヒ、チェコ・フィル。テレビ放送のためにドヴォルザークのスラヴ舞曲を演奏。これが最後の指揮となります。
1957年(74歳)
●5月27日、ターリヒ、チェコスロヴァキア政府より「国民芸術家」の称号を授与。ムラヴィンスキーの祝辞などが贈られます。
●6月6日、「国民芸術家」記念演奏会がチェコ・フィルで開催。カレル・シェイナの指揮で、スーク『おとぎ話』、ドヴォルザーク『新世界より』、カレル・アンチェル指揮で『売られた花嫁』序曲が演奏。
1960年(77歳)
◆「チェコスロヴァキア共和国」から「チェコスロヴァキア社会主義共和国」に国名変更。社会主義共和国憲法採択。
1961年(78歳)
●3月18日、ターリヒ、ベロウンで死去。
●3月、ベロウン墓地に埋葬。
【収録情報】
Disc1
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調 Op.95『新世界より』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1941
●ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調 Op.70
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 23, 1938
Disc2
●ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 Op.88
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Oct. 29-31, 1951
●ドヴォルザーク:交響曲第6番ニ長調 Op.60
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 22, 1938
Disc3
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.46
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: July 6-8, 1950
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.72
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: July 6-8, 1950
Disc4
●ドヴォルザーク:交響詩『野ばと』 Op.110
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 2 & 3, 1951
●ドヴォルザーク:交響詩『水の精』 Op.107
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: May 17, 1954
●ドヴォルザーク:交響詩『真昼の魔女』 Op.108
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 4, 1951
●ドヴォルザーク:交響詩『金の紡ぎ車』Op.109
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: March 20, 1951
Disc5
●ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 Op.88
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 23 & 28, 1935
●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95『新世界より』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Sep. 28-30, 1954
Disc6
●モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 KV 504,『プラハ』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 18-19, 1954
●モーツァルト:交響曲第39番へホ長調 KV 543
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: March 7-9, 1955
Disc7
●モーツァルト:『フィガロの結婚』序曲 KV 492
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: June 20, 1950
●モーツァルト:『魔笛』序曲 KV 620
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 9, 1954
●モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調 KV 319
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 9, 1954
●モーツァルト:管弦楽のための協奏交響曲 変ホ長調KV 297b
Josef Shejbal (oboe), Alois Rybin (clarinet)
Karel Vacek (bassoon), Miroslav ?tefek (horn)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording:1949
Disc8
●スメタナ:連作交響詩『我が祖国』全曲
第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」
第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」
第3曲「シャールカ」
第4曲「ボヘミアの森と草原から」
第5曲「ターボル」
第6曲「ブラニーク」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 10-12, 21 & July 2-3, 1954
Disc9-10
●ドヴォルザーク:スターバト・マーテル Op.58
Drahomira Tikalova soprano, Marta Krasova contralto
Beno Blachut tenor, Karel Kala? bass
プラハ・フィルハーモニー合唱団
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Jan. 8-9 & 12-14, 1952
●ドヴォルザーク:交響詩『水の精』Op.107
Recording: July 14, 1949
●ドヴォルザーク:管弦楽のためのワルツ Op.54 第1番イ長調
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●ドヴォルザーク:管弦楽のためのワルツ Op.54 第4番ニ長調
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●ドヴォルザーク:ポロネーズ 変ホ長調 B.100
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●ドヴォルザーク:『ルサルカ』〜ポロネーズ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調 KV 319
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: Nov. 1950
●ベンダ:弦楽のための交響曲変ロ長調
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: March 30, 1954
Disc11
●ドヴォルザーク:『オテロ』序曲 Op.93
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Feb. 14, 1951
●ドヴォルザーク:序曲『自然の王国で』Op.91
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Dec. 24, 1948
●ドヴォルザーク:管弦楽のためのワルツ Op.54 第1番イ長調
プラハ・ソロイスツ管弦楽団
Recording: April 28, 1951
●ドヴォルザーク:管弦楽のためのワルツ Op.54 第4番ニ長調
プラハ・ソロイスツ管弦楽団
Recording: April 28, 1951
●ドヴォルザーク:序曲『謝肉祭』 Op.92
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: March 20, 1952
●ドヴォルザーク:交響詩『真昼の魔女』Op.108
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 2, 1954
Disc12
●スメタナ:連作交響詩『我が祖国』全曲
第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」
第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」
第3曲「シャールカ」
第4曲「ボヘミアの森と草原から」
第5曲「ターボル」
第6曲「ブラニーク」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 5, 1939
Disc13
●チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 Op.74『悲愴』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: July 8-11, 1953
●チャイコフスキー:組曲第4番ト長調 Op.61『モーツァルティアーナ』
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: 1951
Disc14
●スーク:管弦楽組曲『おとぎ話』Op.16
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: May 2, 1949
●スーク:交響詩『人生の実り』Op.34
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: September 7, 1954
Disc15
●ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』前奏曲と愛の死
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 9-11, 1953
●ヤナーチェク:『利口な女狐の物語』組曲
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 12-13, 1954
●スーク:管弦楽組曲『おとぎ話』Op.16〜II.「白鳥と孔雀の戯れ」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: March 18, 1954
●スメタナ:『リブシェ』序曲
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV 1068
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: June 19, 1950
Disc16
●スーク:交響曲ハ長調 Op.27『アスラエル』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: May 22-29, 1952
Disc17
●スメタナ:連作交響詩『我が祖国』
第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」
第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」
第3曲「シャールカ」
第4曲「ボヘミアの森と草原から」
第5曲「ターボル」
第6曲「ブラニーク」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Sep. 3-6, 9-10 1929
Disc18
●スメタナ:『チェコの歌』JB 1:111
プラハ・フィルハーモニー合唱団
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 6, 1954
●ヤナーチェク:狂詩曲『タラス・ブーリバ』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Sep. 20-21, 1954
●ノヴァーク:『モラヴィア=スロヴァキア』組曲 Op.32
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 9-12, 1953
●チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番〜アンダンテ・カンタービレ*
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: June 18 & 20, 1950
●チャイコフスキー:『ハープサルの思い出』Op.2〜第3曲『無言歌』
スロヴァキア・フィルハーモニ室内管弦楽団
Recording: June 18 & 20, 1950
●スメタナ:ポルカ『我らの乙女たちに』ニ長調
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
Disc19
●スメタナ:連作交響詩『我が祖国』全曲
第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」
第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」
第3曲「シャールカ」
第4曲「ボヘミアの森と草原から」
第5曲「ターボル」
第6曲「ブラニーク」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1941
Disc20
●モーツァルト:セレナーデ第10番変ロ長調『グラン・パルティータ』KV 361
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: No. 19, 1954
●スーク:弦楽のためのセレナーデ 変ホ長調 Op.6
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Feb. 19-21, 1951
●ブロデク:『井戸の中』序曲
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
●コヴァジョヴィツ:『鉱夫のポルカ』
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 1940
Disc21
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.46
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 1935
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.72
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 1935
●ドヴォルザーク:序曲『謝肉祭』Op.92
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: Nov. 1935
Disc22
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集 Op.72
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 13, 1939
●ドヴォルザーク:弦楽のためのセレナーデ ホ長調 Op.22
プラハ・ソロイスツ管弦楽団
Recording: April 20, 1951
●スメタナ:『2人の未亡人』〜アネシュカのレチタティーヴォとアリア
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: April 24, 1954
●スメタナ:『プラハの謝肉祭』〜序奏とポロネーズ
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: June 6, 1953
指揮者
●アルヘンタ
●オッテルロー
●ガウク
●カラヤン
●クイケン
●クーセヴィツキー
●クチャル
●クラウス
●クレツキ
●クレンペラー
●ゴロワノフ
●サヴァリッシュ
●シューリヒト
●スラトキン(父)
●ターリヒ
●チェリビダッケ
●ドラゴン
●ドラティ
●バルビローリ
●バーンスタイン
●パレー
●フェネル
●フルトヴェングラー
●ベイヌム
●メルツェンドルファー
●モントゥー
●ライトナー
●ラインスドルフ
●ロスバウト
鍵盤楽器
●ヴァレンティ
●ヴェデルニコフ
●カークパトリック
●カサドシュ
●グリンベルク
●シュナーベル
●ソフロニツキー
●タマルキナ
●タリアフェロ
●ティッサン=ヴァランタン
●デムス
●ナイ
●ニコラーエワ
●ノヴァエス
●ハスキル
●ユージナ
●ランドフスカ
●ロン
弦楽器
●カサド
●コーガン
●シュタルケル
●バルヒェット
●フランチェスカッティ
●ヤニグロ
●リッチ
弦楽四重奏団
●グリラー弦楽四重奏団
●シェッファー四重奏団
●シュナイダー四重奏団
●パスカル弦楽四重奏団
●ハリウッド弦楽四重奏団
●バルヒェット四重奏団
●ブダペスト弦楽四重奏団
●伝説のフランスの弦楽四重奏団
作曲家
●アンダーソン
●ベートーヴェン
●ヘンツェ
●坂本龍一
シリーズ
●テスタメント国内盤
ユーザーレビュー
投稿日:2021/09/19 (日)
ヴァーツラフ・ターリヒは、アンチェルやノイマンらの上の世代にあたるチェコの名指揮者です。 戦前から録音も多く、戦後スプラフォンに録音した音源は現在でも名演奏としてCDにもなっています。 この度発売された韓国ARTISから出たこのボックスは、ターリヒが戦前の1929年からスプラフォンに入れた戦後の録音まで代表的な音源を集めたもの。 初出音源はありませんが、過去発売されたが廃盤になった音源が入っていたりと収録内容に関しては圧巻。 ただ、発売された全てのターリヒの音源を網羅しているわけでもないようで、一部抜けているのがあります。 オーケストラは大半がチェコ・フィルハーモニー管弦楽団ですが、ターリヒが設立に関わったスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団、そしてプラハ・ソロイスツ管弦楽団も振っています。 いずれもチェコのオーケストラ、チェコ・フィルではかつてのローカルなサウンドが聴けます。 ターリヒの演奏は派手ではありませんが、チェコの国民的作曲家、スメタナ、ドヴォルザークには文句がなく、モーツァルトも上手いです。 CDは廉価盤なので、厚紙に入ったもの。 当然解説書は付きません。 復刻は年代や価格の安さを考えればあり。 ただ、CDの作りが同じ廉価盤ボックスCDレーベル、ヴェニアスに比べて甘いようでたまに読み込むのに時間がかかるCDがあります。
レインボー さん | 不明 | 不明