シュナーベル・コレクション(32CD)
VENIASからシュナーベル・ボックスが登場。ニキシュの時代からベルリンで活躍し、クレンペラーやフルトヴェングラーもずいぶん仕事の世話になったという演奏史上の大物でもあるシュナーベルの録音をまとめて手軽に楽しめるのは朗報です。何しろそのベートーヴェン演奏は、かのマリア・ユージナがベートヴェンに開眼するきっかけになったと証言する見事なもので、時代を超えた演奏史上の貴重な遺産として永く記憶されるべきものでもあります。
【若き日のシュナーベル】
シュナーベルは、2歳からウィーンで育ち、幼少期には神童としても知られていました。10歳のときには家族が仕事のために故郷のクンツェンドルフに帰ってしまったため、ひとりウィーンに残って、家族が戻るまでの3年ほどを知人宅に下宿して生活。特にフッサール家の大学生の息子たちの放縦さからの影響は大きかったようです。
こうした生活の影響もあってかシュナーベルは早熟で、15歳のときには7歳年上のヴァイオリニスト、ホーホマンと交際、2年後には子供までもうけるなどしており、その間、ベルリンの資産家宅に長期滞在した折にはその家の娘と恋仲になって追い出され、しかも転宿先のベルリンのホテルには別のウィーン女性がいたというなんとも無鉄砲な生活を送っていました。
シュナーベル少年の女性遍歴が終わる大きなきっかけとなったのは、1900年2月、17歳と10カ月の時に仕事で一緒になった大柄なアルト歌手、テレーゼ・ベーアとの出会いでした。
早朝にホテルに着いたシュナーベルは、前夜に到着していたテレーゼの部屋の前を通る際、靴磨き用にドアの外に出されていた彼女の冬用のブーツを見てその大きさに驚き、思わず冗談を言ってしまいます。数時間後、朝食で一緒になった時にテレーゼが、自分の大きな足についての冗談が聞こえていたと笑いながら語り、それがきっかけで2人は打ち解け、翌年には婚約、5年後には結婚し、『冬の旅』をとりあげるなど積極的なリートの共演もおこないながら、シュナーベルが亡くなるまで半世紀に及ぶ仲睦まじい生活が維持されています。
恋愛に限らず、若き日のシュナーベルは、何ごとにも知識だけでなく経験が豊富でした。自分よりも年長の弟子たちにピアノを教える一方で、軍楽隊との共演から室内楽に至るさまざまなコンサートを経験、作曲にも力を注ぎ、いくつかの作品は出版もされ、さらに自作のピアノ協奏曲を18歳の時にニキシュ指揮ベルリン・フィルとの共演で演奏するという快挙も成し遂げています。
【シュナーベルとドイツ】
アルトゥール・シュナーベルは、ベルリン高等音楽院教授だった1927年、ベートーヴェン没後100周年記念ピアノ・ソナタ連続演奏会をおこなって大きな注目を集め、1932年2月にはウォルター・レッグによる大型企画、ピアノ・ソナタ全集シリーズの制作にも着手。ロンドンでレコーディングをおこなうようになり、並行して同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲全集シリーズも録音開始したほか、妻テレーゼとのシューベルト歌曲集も録音するという具合に、1932年は一気にキャリアが国際的になった年でもありました。
翌年にはドイツ国民の熱狂的な支持によってナチ政権が樹立、ドイツ人失業対策も兼ねてユダヤ人の解雇が始まったため、国際的な成功に繋がりやすいロンドンでのキャリア構築はシュナーベルには幸いなことでした。シュナーベルと家族はドイツをあとにし、イタリアやイギリスでの演奏活動やマスターコースで稼いだのち、真新しい豪華客船クィーン・メアリーでアメリカに渡ることとなります。
しかしそれから間もなく戦争が始まり、ウィーンに留まっていた母親のエルネスティーネは、やがて政府によってテレジン強制収容所に送られ殺されてしまいます。戦後、そのことを知ったシュナーベルの悲しみは深く、二度とドイツ、オーストリアの地に足を踏み入れることはありませんでした。
【年表】
1882年(0歳)
●4月17日、アルトゥール・シュナーベル、オーストリア=ハンガリー帝国のシレジア地方、クンツェンドルフ(現ポーランド、ビエルスコ・ビャワのリプニク地域)に誕生。両親はユダヤ系の中産階級。
父イジドアー・シュナーベル[1854-1927]はワイン商人の息子で、繊維業について学ぶためにビーリッツ(現ポーランド、ビエルスコ=ビャワのビエルスコの地域)に滞在、羊毛工場を経営するラビン家で働くようになり、やがて同家の娘のエルネスティーネと結婚。隣町のクンツェンドルフに転居。ヘブライ語の聖書を読むことが趣味の物静かな人物だったということです。
母エルネスティーネ・ラビン[1858-1942]は、活発で社交的な人物でパーティーを好んでもいましたが、教育熱心でもあり、子供たちに音楽教育を受けさせてもいました。
2人の間にはクララ、フリーダ、アルトゥールという3人の子供が生まれ、長女と次女は最初から同化名がつけられていますが、アルトゥールについては出生時の名前はアーロンというユダヤ名でした。
1883年(1歳)
1884年(2歳)
●シュナーベル家、ウィーンに転居。ラビン家の工場で製造したウール生地をウィーンで販売するための事務所を設立し運営するための引っ越しでした。
1885年(3歳)
1886年(4歳)
●姉クララの音楽教育のため、シュナーベル家にピアノが到着。姉の指導はミンカ・パッツァウがおこなっており、4歳のアルトゥールは見よう見まねでピアノ演奏を開始。絶対音感を持っていたアルトゥールは、音符当てクイズで親を喜ばせますが、しばらくすると新しく購入したグランド・ピアノの中身を分解するなどのいたずらで親を悩ませることにもなります。
1887年(5歳)
1888年(6歳)
●シュナーベル、ミンカ・パッツァウの薦めにより、ウィーン楽友協会音楽院のハンス・シュミット[1835-1907]の教えを受け始めます。まだ幼かったため、シュミットの私的な生徒ということになり、1891年までの3年間に渡って師事。シュミットはオーケストラのオーボエ奏者出身ですが、1875年から1900年にかけての四半世紀はウィーン楽友協会音楽院でピアノ教育に携わり、改革者として名を上げてもいます。また、作曲活動もおこなっており、オペラや声楽曲がウィーンで上演されてもいますし、著述家としての実績もありました。ちなみにウィーン楽友協会音楽院はのちのウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)です。
1889年(7歳)
●シュナーベル、ハンス・シュミットに私的な生徒として師事。
1890年(8歳)
●シュナーベル、ハンス・シュミットに私的な生徒として師事。
●シュナーベル、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番でデビュー。
1891年(9歳)
●シュナーベル、ハンス・シュミットに私的な生徒として師事。
●シュナーベル、ウィーンで、カール・ナヴラティル[1836-1914]に音楽理論を師事。ナヴラティルはのちにヴェーベルンを教えたりもした人物。
●シュナーベル、ウィーンで、オイゼビウス・マンディチェフスキ[1857-1929]に音楽理論を師事。マンディチェフスキはブラームスと親交があり、ブラームスのほか、ベートーヴェン、ハイドン、シューベルト作品も研究。シュナーベルの作曲に影響を与えます。
●シュナーベル、ウィーンで、高名なピアノ教師のテオドール・レシェティツキー[1830-1915]の運営するピアノ教室に通い始め、1897年までの6年間を過ごします。レシェティツキーの指導を中心に、レシェティツキーの元妻アネッテ・エシポフ[1851-1914]からも教えを受けています。
1892年(10歳)
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。レシェティツキーの元妻のアネッテ・エシポフから教えを受け、レシェティツキーにときおり批評を受けるというスタイルでした。プロイセン王国の宮廷ピアニストでもあるアネッテ・エシポフの本名は、アンナ・エシポワで、1893年にはロシアに帰国。サンクトペテルブルク音楽院のピアノ教授となってからは、ロシアン・ピアニズムの重要人物となり、
マリア・ユージナ[1899-1970]やプロコフィエフ[1891-1953]を育ててもいます。
●シュナーベルの母とクララ、フリーダが、父の仕事を手伝うためクンツェンドルフに戻ったため、シュナーベルはウィーンで家族と離れての生活を開始。最初はユダヤ系のネルケン家に預けられ、次いで同じくユダヤ系のフッサール家で生活するようになります。フッサール家のエドムント・フッサール[-1938]は哲学者・数学者として有名になる人物ですが、当時はユダヤ教からプロテスタントに改宗、ライプツィヒ近郊のハレ大学に在学中でハレに暮らしていました。
1893年(11歳)
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。
1894年(12歳)
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。
1895年(13歳)
●シュナーベルの家族、再びウィーンに転居。
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。
1896年(14歳)
●シュナーベル、ピアノを教えるようになります。弟子はみなシュナーベルより年長でした。レシェティツキーも自分の生徒をシュナーベルのところに研究のために送りこんだりしていました。
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。
1897年(15歳)
●シュナーベル、レシェティツキーのピアノ教室で勉強。
●夏、シュナーベル、シレジア地方のツィゴイナーヴァルトに滞在。
●夏、シュナーベル、ツィゴイナーヴァルトで、ウクライナ生まれのヴァイオリニスト、ローザ・ホーホマン[1875-1960頃]と交際。ホーホマンは1885年にウィーンに移住し、1891年にウィーンでデビューして成功を収め、翌年には批評家のハンスリックからも絶賛されるほどの実力の持ち主。シュナーベルより7歳年長で、シュナーベルとの交際による妊娠・出産・育児の影響で演奏家としてのキャリアは中断したものの、その後、2度の銀行家との結婚を経て教職の道に進み、エリカ・モリーニやノーバート・ブレイニンを教えてもいます。
1898年(16歳)
●5月、シュナーベル、ベルリン行き。資産家のエドゥアルト・カシラーの屋敷に滞在し始めますが、娘と恋仲になったため、カシラーから家を出るよう書かれた手紙をもらいます。しかし、カシラーの兄弟からは、宿泊費を支払うので好きなホテルに滞在するよう言われ、シュナーベルはウィーン生まれの友人の女性が到着したばかりのホテルを選んで滞在。シュナーベル、お盛んです。
●夏、シュナーベル、ウィーンに帰省。
●シュナーベル、ジムロック社から自作のピアノ曲を出版。ウィーンでの作曲コンテストで認められたものでした。
1899年(17歳)
●7月17日、シュナーベルの最初の子供、エリーザベト・ロストラ[1899-1995]がチェコのブルノで誕生。少年時代のシュナーベルが、ホーホマンと未婚でつくった子供で、すでにシュナーベルと別れていたホーホマンが育てますが、ほどなくオーストリアの実業家、ロストラ家に養子に出されています。エリーザベトはのちにピアニスト・作曲家・作家となり、父シュナーベルの妻テレーゼやその子供たちとも交流。1928年には、父シュナーベルの暮らすベルリンに転居し、1938年にはフランスに移住、その後カナダに向かい、戦後はスイスで暮らしていました。
●冬、シュナーベル、ベルリンに滞在し、デビュー・リサイタルを開催。マネジメントはヘルマン・ヴォルフでした。
1900年(18歳)
●2月、シュナーベル、ヴァイオリニスト、フランツ・シェルク[1871-1923]とのドイツ東部のツアーで、アルト歌手のテレーゼ・ベーアと最初の出会い。テレーゼは1899年1月21日のコンサートで成功を収め、ヨーロッパ各地でリート・リサイタルなどに出演していました。
早朝にホテルに着いたシュナーベルは、前夜に到着していたテレーゼの部屋の前を通る際、靴磨き用にドアの外に出されていた彼女の冬用のブーツを見てその大きさに驚き、思わず冗談を言ってしまいます。数時間後、朝食で一緒になった時にテレーゼが、自分の大きな足についての冗談が聞こえていたと笑いながら語り、それが打ち解けるきっかけにもなっていました。翌年には2人は婚約し、5年後には結婚、シュナーベルが亡くなるまで仲睦まじい生活が続くこととなります。
●夏、シュナーベル、ウィーンに帰省。
●秋、シュナーベル、独立を決め、ウィーンからベルリンに転居。シュナーベルの1年前にベルリンに来て銀行で働いていた2歳年長のウィーンの友人フランツ・フッターと一緒に部屋を探し、シュタインメッツシュトラーセにアパートを見つけて最初の一年間を過ごします。アパートにはベヒシュタインのグランド・ピアノが運び込まれますが、これは知名度の上がってきていたシュナーベルに対して無償供与されたものでした。
シュナーベルはそのアパートを拠点に、ベヒシュタインで3人の資産家夫人にピアノを教えていたほか、軍楽隊との共演など、なんでもありのコンサートをいくつもこなして収入を得ていました。
1901年(19歳)
1902年(20歳)
●2月、マネージャーのヘルマン・ヴォルフ死去。
●4月、シュナーベル、兵役年齢に到達。徴兵検査は足に問題があるという理由により不適格となり、兵役延期。シュナーベルはオーストリア国籍だったため、以後、第1次大戦開戦までは、毎年、領事館で検査を受け、不適格で兵役延期となっていました。
●テレーゼ・ベーアがベルリンで結成したヴォーカルカルテットにピアニストとして参加。以後も数多く共演。
●シュナーベル、ヴァイオリニスト、チェリストと組んだピアノ・トリオで室内楽活動を行うようになります。3年間継続。
1903年(21歳)
●シュナーベル、アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィルとの共演でブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏。
1904年(22歳)
●シュナーベル、イギリスでハンス・リヒター指揮ロイヤル・フィルハーモニック協会管弦楽団と共演。ブラームスのピアノ協奏曲第2番で成功。
1905年(23歳)
●シュナーベル、イギリスで公演。
●6月4日、テレーゼ・ベーア[1876-1959]と結婚。シュナーベルより6歳年長でした。
●シュナーベル、室内楽活動を休止。
1906年(24歳)
1907年(25歳)
1908年(26歳)
1909年(27歳)
●8月6日、長男カール・ウルリヒ[1909-2001]、ベルリンで誕生。のちにピアニストになります。
●冬、テレーゼとシュナーベル、シューベルトの『冬の旅』をリサイタルで演奏。画期的な試みとして高く評価されます、
1910年(28歳)
1911年(29歳)
1912年(30歳)
●2月2日、次男シュテファン[1912-1999]、ベルリンで誕生。のちに俳優になります。
●シュナーベル、室内楽活動に復帰。共演はヴァイオリニストのカール・フレッシュ[1873-1944]などで、折にふれて演奏をおこない約20年間活動が継続。室内楽ピアニストとしての名声.も確立します。
1913年(31歳)
●5月26日、シュナーベル、ユダヤ教の棄教を宣言。無宗教となります。
1914年(32歳)
●1月、シュナーベル、2度目のロシア帝国ツアー。自身のオーケストラを設立したセルゲイ・クーセヴィツキーからの出演要請でした。シュナーベルはブラームスのピアノ協奏曲第1番をモスクワとサンクトペテルブルクで演奏して大きな成功を収めます。
◆6月28日、サラエヴォ事件発生。フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーが、ボスニア系セルビア人プリンツィプらにより殺害。
◆7月28日、オーストリアはセルビアに宣戦布告。第1次世界大戦開戦。オーストリアの軍事予算は少なく、ドイツの4分の1、フランスの3分の1という金額で、人口に比して兵員数も少なく、火器類も旧式、野砲や重砲も限られ、ドイツの支援を受けなければ戦闘をおこなえない状態でした。
●シュナーベル、医師の診断により兵役を延期。シュナーベルはドイツで33年間暮らしますが、その間、国籍はオーストリアのままでした。多民族国家「オーストリア=ハンガリー帝国」は、「兵役」も他国に比べて緩く、開戦当時の年間新規徴兵数は約10万人で、ドイツの約28万人、ロシアの約33万人などと較べてかなり低い水準。兵役不適格理由で最も多いのが、医師の診断によるもので、シュナーベルが対象年齢だった時期では3割から5割ほどが不適格となっています。オーストリア国籍の音楽家の有名どころでも、前線まで行った人はほとんどいないようです。
◆8月1日、ドイツがロシアに宣戦布告。
◆8月3日、ドイツがフランスに宣戦布告。
◆8月4日、イギリスがドイツに宣戦布告。
●シュナーベル、多くの若者が軍に志願する愛国的な世相もあり、ドイツの人々の文化的団結を促進することを目的とした「ドイツ協会」に加入。
●秋、シュナーベル、予定されていたロシア帝国ツアーを中止。
●冬、シュナーベル、カール・フレッシュとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会開催。ほかにもベートーヴェンの作品が愛国的な音楽とされて需要が高まり、ピアノ協奏曲第5番『皇帝』などを各地で演奏することとなります。
1915年(33歳)
●4月、シュナーベル、ミラノでリサイタル開催。ドイツ政府の文化的プロパガンダの一環でした。しかしすでに連合国側で参戦することを決めていたイタリアでは、報道機関もドイツに対して攻撃的で、シュナーベルもドイツ軍国主義の代表として叩かれます。
◆5月23日、イタリアがオーストリア に宣戦布告。
●シュナーベル、ワインガルトナー指揮ベルリン・フィルと、ベルギーのモネ劇場で演奏。すでに占領後だったため聴衆はドイツ軍人で、結果的に慰問コンサートという形になりました。
◆10月、オーストリア軍がセルビア全土を占領。
1916年(34歳)
●1月、シュナーベル、肩の痛みによる療養のため、3か月間活動休止。
◆2月、ヴェルダンの戦い。北フランスのヴェルダンで展開されたドイツとフランスの戦闘。フランス軍死傷者377,000〜542,000人、ドイツ軍死傷者336,000〜434,000人と推測される凄惨な戦いで、フランスでは徴兵が厳しかったため多くの音楽家も参戦していました。
◆6〜9月、第1次世界大戦最大規模の戦いとなったガリツィアでの戦闘で、ドイツ&オーストリア軍が、ブルシロフ将軍率いるロシア帝国軍に惨敗。ロシア帝国軍死傷者約50万人、オーストリア=ハンガリー帝国軍死傷者約108万人、ドイツ帝国軍死傷者約35万人。
●シュナーベル、ドイツ軍関係者から召還され、兵役義務を果たすために改めてドイツの医師の診察を受けるよう通告されます。結果はそれまでオーストリアでは不適格の理由とされてきた足のつま先のトラブルには実際には問題は無く、シュナーベル自身が、シミラウン山(3,603m)、ツークシュピッツェ(2,962m)といった高山に登山していたと語ってしまいます。
軍の担当官は、シュナーベルに対し、ほかの多くの音楽家と同じく、戦時公債の購入契約を結ぶことを提案。しかし、シュナーベルの場合はすでに知名度が高かったことから債券金額は吊り上げられてしまい、以後、シュナーベルは膨大な数の演奏会をこなして出演料を債券購入代金に充てて行くことになります。
◆8月、イタリア、ドイツに宣戦布告。ドイツに膨大な死傷者が出ていたのを好機と捉えての参戦。
1917年(35歳)
◆4月、アメリカがドイツに対して宣戦布告。アメリカは第1次大戦中、両陣営と取引して莫大な利益をあげており、参戦が遅れたのもドイツに投下した資金の回収が影響していました。宣戦布告すると、今度はアメリカ各地の港に停泊していたドイツ船すべてをアメリカ政府が略奪。巨大客船8隻を含む35隻が盗まれ、アメリカ軍で使用することとなり、膨大な数の兵士や物資をヨーロッパに輸送するのに役立てられたほか、戦後はアメリカやイギリスの船会社に売却されて巨額の利益を上げていました。
◆アメリカ政府によるドイツへの宣戦布告後、アメリカ国内のドイツに関する扱いは凄まじいものとなっていき、戦後もしばらくはそうした状態が続きます。以下、主な例です。
・ドイツ系市民や、親ドイツ派、聖職者らに対する凄惨な嫌がらせやリンチ、残虐行為が頻発し殺人までおこなわれるものの判決は無罪。
・アメリカ合衆国に忠実ではない態度をとる市民に対して、罰金10,000ドル、もしくは懲役20年という刑が科せられる法律が承認。
・公共の場でのドイツ語の使用の禁止。
・ほとんどの学校でドイツ語教育が禁止。
・図書館のドイツ語書籍の多くは焚書処分。
・ドイツ系の偉人の銅像などモニュメントの破壊。
・ドイツ語風の固有名詞は改名。「ハンバーガー」→「リバティ・バーガー」、「ウィーン通り」→「パナマ通り」等。
・演奏会からドイツ音楽が追放。
・教会でのドイツ語礼拝禁止。
・ドイツ語上演劇場の閉鎖。
・ドイツ語新聞200紙以上が廃刊。
・ルター派学校への放火。
・ルター派教会の破壊。
・ドイツ語専攻学生の極端な減少。
●冬、シュナーベル、中立国デンマークのピアノ・メーカー「ホアヌング&ムーラー」の後援でスカンディナヴィア・ツアーを開催。
1918年(36歳)
●春、シュナーベル、スカンディナヴィア・ツアーを開催。
◆3月、アメリカで超強力なインフルエンザが発生。6月にはボストンで5,000人近い死者が出るなど大流行が始まり、折からのアメリカ外征軍のヨーロッパへの膨大な数の兵士派遣と共に感染が拡大、5月から6月にかけてヨーロッパ各地で多くの犠牲を出し、第1次世界大戦終結を早める要因ともなります。
なお、このインフルエンザは世界大戦下で感染爆発したため、報道統制の無かった中立国スペインでの被害報道が目立ってしまい、結果として「スペインかぜ」と名付けられてしまいますが、実際に感染拡大に大きな役割を果たしたのはスペインではなく、発生元のアメリカでした。
●夏、シュナーベル家、バルト海に面したリゾート地、ディーフェノウ(現ポーランド、ジブヌフ)に滞在。ほぼ無調の弦楽四重奏曲を作曲。戦時演奏会で働き詰めだったシュナーベルにとって久々のバカンスでした。
◆秋、スペン風邪、第2波。
◆11月、ドイツで「ドイツ革命」勃発。兵士と労働者による評議会組織「レーテ(ソヴィエト)」に扇動されたキール軍港での水兵の反乱に端を発し、ハンブルク、ブレーメン、ミュンヘンなど北から南までドイツ各地で反乱が広まる中、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命、47年間に及んだ「帝政」(通称:ドイツ帝国)が崩壊、「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)に移行することとなります。
臨時政府は議会第一党だったドイツ社会民主党と、そこから派生したドイツ独立社会民主党による「人民代表委員会」であり、初代首相はドイツ社会民主党党首のフリードリヒ・エーベルトでした。もっともエーベルトは実際には君主制支持者だったということですが、議会第一党のドイツ社会民主党党首ということで首相になっています。
◆11月、オーストリアはイタリアに降伏、パドヴァ近くのヴィラ・ジュスティで休戦協定を結び、ほどなくドイツも降伏、コンピエーニュの森の列車で連合国との休戦協定を締結。
◆アメリカ在住のドイツ系市民約50万人に対し、顔写真、指紋登録を義務化。2,000人以上のドイツ系市民が強制収容所に送られます。
1919年(37歳)
◆1月、共産主義者グループ「スパルタクス団」がベルリンで蜂起するものの、ドイツ社会民主党党首のエーベルト首相が「ドイツ義勇軍(Freikorps)」などを動員して鎮圧、元ドイツ社会民主党員でもあった共産主義者ローザ・ルクセンブルクらを虐殺しています。収監されていたローザ・ルクセンブルクは、前年のヴィルヘルム皇帝廃位と同じタイミングで釈放され、この蜂起に加わっていました。なお、ローザ・ルクセンブルクらがエーベルトと袂を分かつきっかけになったのが、シュナーベルも買わされていた戦時公債の大規模な導入でした。
◆4月、バイエルン州政府が共産主義者たちに倒され、「バイエルン・レーテ共和国」が成立。「レーテ」はドイツ語でソヴィエトの意味。
◆5月、「バイエルン・レーテ共和国」崩壊。ヴァイマル共和国軍やドイツ義勇軍によってミュンヘンが陥落。短期間のうちに共産主義者たちによるミュンヘン市民の虐殺もおこなわれていたため、以後、ミュンヘンの右傾化が進むことになります。
◆春〜秋、スペン風邪、第3波。
●シュナーベル、スカンディナヴィア・ツアーを開催。
◆8月、ヴァイマル憲法公布。
●シュナーベル、プロイセン州音楽教授の称号を授与。
1920年(38歳)
◆3月、カップ一揆勃発。国防軍35万人を11万5千人に縮小し、義勇軍25万人を3月31日までに解散するというヴェルサイユ条約に従った政府決定に反発したヴァルター・フォン・リュトヴィッツ将軍が、義勇軍であるエアハルト海兵旅団をベルリンに向けて進軍させ、エーベルト大統領は軍に鎮圧するよう命じるものの軍は動かず、政府はシュトゥットガルトに緊急避難し、ベルリンの官庁街はエアハルト海兵旅団らによって占拠、ドイツ祖国党ヴォルフガング・カップらは、ヴァイマル共和政議会及びプロイセン州政府の解散を宣言し、新政府樹立を宣言します。しかし左派の扇動による大規模なゼネストが本格化して一揆はあえなく終了することとなります。
なお、このとき海兵旅団を率いるヘルマン・エアハルトは、ベルリンでユダヤ人虐殺をおこなおうとしますが、ヴォルフガング・カップによって制止されています。
◆3月、ルール赤軍蜂起。カップ一揆をつぶした大規模なゼネストに刺激され、ドイツの工業地帯ルール地方で、左派の労働者兵士5万人ほどで組織された「ルール赤軍」が蜂起、「ヴァイマル共和国軍」と戦闘状態になり、1か月ほどで鎮圧されています。ルール地方は3年後、フランス・ベルギー軍によって占領。
1921年(39歳)
●シュナーベル、アメリカ・ツアー。これがアメリカ・デビュー。アメリカでの反ドイツ的な風潮はだいぶ和らいでいましたが、フランス重視の姿勢はより徹底していました。
◆10月、イギリス政府がオーストリアに対して25万ポンドの借款を実施。これはオーストリアが債務不履行(デフォルト)に陥ると東欧圏への影響も大きく,ソ連の動向も懸念され、結果的にイギリス経済に悪影響が出ることから実施されたものです。この金額では不足のため、翌年には債権国(戦勝国)4か国で融資のほか、戦時融資国でもあったアメリカは賠償請求を棚上げしていました。ちなみにアメリカは第1次大戦中、両陣営と取引して莫大な利益をあげています。
1922年(40歳)
1923年(41歳)
◆ドイツのルール工業地帯をフランス・ベルギー軍が占領。
◆ハイパーインフレ発生。インフレには債務軽減効果(デフレには債務増大効果)があるため、ドイツ政府は莫大な国内債務を一気に解消することに成功しています。
●春、シュナーベル、アメリカ・ツアー。
1924年(42歳)
●6月、シュナーベル、クレンペラーに招かれてケルン歌劇場のコンサートに出演。ヴィースバーデンの歌劇場に移ることになったクレンペラーの告別コンサートでした。
1925年(43歳)
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授に就任。シュナーベルは学校での講義のほかに、自宅での個人教授も実施。また、シュナーベルの住居には、パウル・ヒンデミット[1895-1963]、エルンスト・クレネク[1900-1991]、エドゥアルト・エルトマン[1896-1958]といった作曲家たちも集まってきました。
1926年(44歳)
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1927年(45歳)
●1〜2月、シュナーベル、ベートーヴェン没後100周年を記念してピアノソナタ全曲演奏会をベルリンで7夜にわたって開催。大成功を収め、ベートーヴェン弾きとして注目を集めます。
●9月、シュナーベル、クレンペラーに招かれ、クロル歌劇場初のシンフォニー・コンサートに出演。バッハの管弦楽組曲第3番に続く、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番での独奏で、後半にはヤナーチェク本人立ち合いのもとシンフォニエッタも演奏したというコンサートでした。
●父イジドール死去。
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1928年(46歳)
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1929年(47歳)
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
●シュナーベル、クレンペラーのロンドン・デビューを支援。シュナーベルの知人で、芸術のパトロンであるコートールド夫人に推薦し、クィーンズ・ホールでのコンサートを実現させます。曲目は、シェーンベルク編曲によるバッハの前奏曲とフーガ変ホ長調と、ブルックナーの交響曲第8番というもので、予約は完売の前評判となり、翌年にはベートーヴェンの交響曲第9番で再び客演しています。
◆ドイツの失業者数約200万人。
1930年(48歳)
◆ドイツの失業者数約400万人。
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1931年(49歳)
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1932年(50歳)
●2月、シュナーベル、ロンドンで、ベートーヴェンのピアノソナタ全集とピアノ協奏曲全集シリーズのレコーディングを開始。
●3月、シュナーベル、サージェント指揮ロンドン・フィルとHMVに録音。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(5枚組)。
◆ドイツの失業者数約600万人。
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授。
1933年(51歳)
◆1月30日、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命。「ドイツ国(Deutsches Reich)」の体制は、14年間続いた「ヴァイマル共和政」(通称:ヴァイマル共和国)から「国家社会主義ドイツ労働者党独裁体制」(通称:ナチス・ドイツ)に移行(1945年まで)。
●1〜4月、シュナーベル、ベートーヴェンのピアノソナタなどの演奏会をベルリンの旧フィルハーモニーで長期にわたって開催。
●2月、シュナーベル、サージェント指揮ロンドン・フィルとHMVに録音。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(5枚組)、第4番(4枚組)、第5番(5枚組)。
◆2月20日、 ヒトラーとゲーリングがドイツ経済界首脳陣と会合、大恐慌で経済の悪化する中、300万ライヒスマルクの政治献金を獲得。
◆2月27日、ベルリンの国会議事堂が放火され炎上。これを受けて、「国民と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」が発令され、犯人がオランダ共産党員だったことから、ドイツ共産党・社会民主党も活動禁止措置。
◆3月5日、ドイツ総選挙でナチ党が43.9%を獲得。
◆3月、ドイツの国民啓蒙・宣伝省大臣にヨーゼフ・ゲッベルスが就任。プロパガンダのほか、新聞・雑誌・放送・音楽・映画・演劇・文学・絵画・観光・旅行などの「管理・検閲」を実施。当初の予算は1,400万ライヒスマルクでしたが、1944年には13倍以上の1億8700万ライヒスマルクにまで規模を拡大、下部組織に「帝国文化院」も設置して各分野への統制をおこなっていました。
◆3月23日、ドイツで全権委任法が成立。
◆3月、オーストリア、キリスト教社会党のドルフース首相が、警察を動員して議会を閉鎖。緊急令により独裁的な運営を開始。
◆4月7日、世界恐慌の影響で約600万人に急増していた失業者の就業対策の目玉として「職業官吏再建法」が施行。公務員から非アーリア人を追放する法律で、ドイツの全公務員、および新政権により新たに「国有化」された膨大な数の企業・団体の職員が対象。同時に国外に出るユダヤ人の財産を奪って国庫に収める政策も実施され、公共事業財源などに利用されます。
●シュナーベル、ベルリン高等音楽院教授を解雇。
●4月26日、ベルリンでブラームス生誕100周年記念フェスティヴァルが開催されるものの、シュナーベルの出演は中止にされてしまいます。
●5月、妻テレーゼ、北イタリア、コモ湖畔のトレメッツォに滞在開始。トレメッツォが選ばれたのは同地でサマーコースの開催を計画していたためで、ピアノ伴奏は息子のカール・ウルリヒが担当。のちにシュナーベルとシモン・ゴールドベルクも加わります。
◆5月10日、ドイツ学生協会の主宰で、大規模な「焚書」が実施。以後、6月末までに大量の「非ドイツ的」な書物を焼却。ドイツの34の大学都市で、学生たちによって実施された「非ドイツ的精神への抵抗」は成功し、新聞や放送を通じて全ドイツ国民に向けて成果を報道。なお、ナチは、教員・役人・劇場人などの公務員のほか、学生など若年層に特に人気がありました。
◆5月26日、ドルフース政権、オーストリア共産党を非合法政党と認定し活動禁止措置。
◆5月26日、ドイツで共産主義者の財産没収に関する法律が成立。
◆6月19日、ドルフース政権、オーストリア・ナチ党を非合法政党と認定し活動禁止措置。これによりオーストリア・ファシズム政権による独裁体制が確立し、ローマ・カトリックを国教として認定。
●6月19日、シュナーベルのベルリン警察での登録が解除。出国が可能に。
◆6〜7月、ドイツで社会民主党活動禁止措置。続いてドイツ国家人民党・ドイツ国家党・中央党・バイエルン人民党・ドイツ人民党が自主解散。
◆7月14日、ドイツで政党新設禁止法が成立。
●7月27日、シュナーベル、イタリア、トレメッツォに移動。
●秋、シュナーベル、アメリカ・ツアー。ワルター指揮ニューヨーク・フィルなどとも共演。
●シュナーベル、マンチェスター大学より名誉博士の称号を授与。
●冬、シュナーベルとテレーゼ、ロンドンに滞在。
1934年(52歳)
●シュナーベルとテレーゼ、トレメッツォでサマーコース開催。
●シュナーベル、初めてパレスチナを訪問。
1935年(53歳)
●4月、シュナーベル、サージェント指揮ロンドン・フィルとHMVに録音。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(4枚組)。
●シュナーベルとテレーゼ、トレメッツォでサマーコース開催。
●11月、シュナーベル、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第4番(4枚組)、第5番(2枚組)、第7番(3枚組)、第16番(4枚組)、第25番(1枚)、第29番(6枚組)を録音。同時期にボールト指揮BBC交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第2番(6枚組)も録音。
1936年(54歳)
●10月、シュナーベル、長男カール=ウルリッヒ、およびボールト指揮ロンドン交響楽団とモーツァルトの2台ピアノのための協奏曲をHMVにレコーディング。
●冬、シュナーベル、アメリカ・ツアー。ワルター指揮ニューヨーク・フィルなどとも共演。
●シュナーベルとテレーゼ、トレメッツォでサマーコース開催。
●シュナーベル、アメリカ・ツアー。
1937年(55歳)
●シュナーベル、アメリカ・ツアー。ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルなどとも共演。
●シュナーベルとテレーゼ、トレメッツォでサマーコース開催。
1938年(56歳)
●1月と12月、シュナーベル、セル指揮ロンドン・フィルとブラームスのピアノ協奏曲第1番をレコーディング。HMVよりSP盤6枚組アルバムで発売。
◆3月、ドイツがオーストリアを併合(アンシュルス)。
●シュナーベル、オーストリアがドイツに併合されたため無国籍に。
●シュナーベルとテレーゼ、トレメッツォでサマーコース開催。
●秋〜冬、シュナーベル、ロンドンに滞在。イギリス政府より暫定パスポートが支給。
◆11月7日、パリでユダヤ人によるドイツ外交官暗殺事件発生。
◆11月9日、「水晶の夜」事件発生。ドイツ各地でユダヤ人への一連の弾圧行為へと発展。
1939年(57歳)
●シュナーベル、オーストラリア・ツアー。
●2月4日、シュナーベル、サウサンプトンでアメリカ行きの豪華客船「クィーン・メアリー」に乗船。
●2月、シュナーベル、ニューヨークに到着。
●3月、妻テレーゼ、渡米。
●3月、シュナーベル、バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルと多数共演。
◆9月1日、ドイツがポーランドに侵攻。第2次大戦開戦。
◆9月3日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。
◆9月17日、ソ連がポーランドに侵攻。
1940年(58歳)
1941年(59歳)
●11月、シュナーベル、ワルター指揮ニューヨーク・フィルと共演。
1942年(60歳)
●7月、シュナーベル、ストック指揮シカゴ交響楽団とRCAにレコーディング。
●10月4日、母エルネスティーネ、テレジーエンシュタット強制収容所で殺害。
1943年(61歳)
●6月、シュナーベル、モントゥー指揮ニューヨーク・フィルと共演。
1944年(62歳)
●11月27日、アメリカの市民権を取得。
●12月、シュナーベル、セル指揮ニューヨーク・フィルと共演。
1945年(63歳)
◆5月9日、ドイツ降伏。2週間後、デーニッツ逮捕により臨時政府解散。
●6月、シュナーベル、セル指揮ニューヨーク・フィルと共演。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をライヴ録音。
1946年(64歳)
●2〜3月、シュナーベル、ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルと共演。2月28日と3月1日にブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏。3月3日にはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏しますが第3楽章途中で中断、楽章冒頭から弾きなおすアクシデントがありました。この日の公演が、最初がロイ・ハリスの新作『子供の日曜日の思い出』の自作自演、2曲目がロジンスキー指揮でシベリウスの交響曲第4番、休憩をはさみシュナーベルのモーツァルト、ロジンスキー指揮でリムスキー=コルサコフの『ロシアの復活祭』序曲、スーザの『星条旗よ永遠なれ』という妙なプログラムだったので、ぶっつけ本番だったのかもしれません。これが原因かは不明ですが、ニューヨーク・フィルとは以後共演していません。
●6月、シュナーベル、フィルハーモニア管弦楽団とレコーディング。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番と第4番。
●夏、シュナーベル、戦後初のヨーロッパ・ツアー。イギリス、オランダ、ベルギー、フランス、イタリア、スイスを訪れます。
●夏、シュナーベル、スイスで母エルネスティーネからの最後のハガキ8枚を親戚から受け取ります。シュナーベルは、母が渡米できるよう、姉妹や息子と試みましたが、母は間もなく強制収容所送りとなり殺害されています。そのため、シュナーベルが戦後、ドイツとオーストリアに戻ることはありませんでした。
1947年(65歳)
●5月、シュナーベル、フィルハーモニア管弦楽団とレコーディング。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と第5番。
●夏、シュナーベル、スイス東部の山岳リゾート、シルス=マリアで妻と休暇。
1948年(66歳)
●シュナーベル、激しい心臓発作に見舞われます。
●10月、シュナーベル、ニューヨークのハンター・カレッジ・コンサートに出演。
1949年(67歳)
●2月、シュナーベル、ニューヨークのハンター・カレッジ・コンサートに出演。
1950年(68歳)
1951年(69歳)
●1月20日、シュナーベル、ニューヨークのハンター・カレッジ・コンサートに出演。結果的にこれが最後のコンサートとなりました。ベートーヴェン・コンサートで、第8番『悲愴』、第28番、第27番、第21番『ワルトシュタイン』を演奏。
●8月15日、シュナーベル、スイス、アクセンシュタインで死去。同地に埋葬。
【収録情報】
CD1
●バッハ: 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV 850(平均律第1巻 第5番)
1. 前奏曲
2. フーガ
●バッハ: 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903
3. 幻想曲
4. フーガ
●バッハ: トッカータ ハ短調 BWV 911
5. 序奏-アダージョ
6. フーガT(アレグロ)-アダージョ
7. フーガU(アレグロ)
●バッハ: トッカータ ニ長調BWV 912
8. 序奏(プレスト)-アレグロ
9. アダージョ-フーガ-アダージョ
10. フーガ(プレスト)
●バッハ: イタリア協奏曲 ヘ長調BWV 971
11. T Allegro giusto
12. U Andante
13. V Presto
●バッハ: 2台ピアノのための協奏曲第2番 ハ長調 BWV 1061
14. T Allegro
15. U Adagio ovvero Largo
16. V Fuga
録音: 13 June 1950(1-2),15-16 June 1948(3-4),24 November 1937(5-10),11 November 1938(11-13),28 October 1936(14-16)
CD2
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 op.15
1. T Allegro con brio
2. U Largo
3. V Rondo
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調, op.19
4. T Allegro con brio
5. U Adagio
6. V Rondo(Molto Allego)
録音: 23 March 1932(1-3),5 April 1935(4-6)
ロンドン交響楽団
マルコム・サージェント(指揮)
CD3
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調, op.19
1. T Allegro con brio
2. U Adagio
3. V Rondo(Molto Allego)
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37
4. T Allegro con brio
5. U Largo
6. V Rondo: Allegro
録音: 6 June 1946(1-3),30/31 May 1947(4-6)
フィルハーモニア管弦楽団
イサイ・ドブローウェン(指揮)
CD4
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37
1. T Allegro con brio
2. U Largo
3. V Rondo: Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58
4. T Allegro moderato
5. U Andante con moto
6. V Rondo: Vivace
録音: 17 February 1933(1-3),16 February 1933(4-6)
ロンドン交響楽団
マルコム・サージェント(指揮)
CD5
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調『皇帝』 op.73
1. T Allegro
2. U Adagio un poco mosso
3. V Rondo
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調『皇帝』 op.73
4. T Allegro
5. U Adagio un poco mosso
6. V Rondo
録音: 27&28 May 1947(1-3),24 March 1932(4-6)
フィルハーモニア管弦楽団(1-3)
アルチェオ・ガリエラ(指揮)(1-3)
ロンドン交響楽団(4-6)
マルコム・サージェント(指揮)(4-6)
CD6
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37
1. T Allegro con brio
2. U Largo
3. V Rondo: Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58
4. T Allegro moderato
5. U Andante con moto
6. V Rondo: Vivace
録音: 17 June 1945(1-3),5/7 June 1946(4-6)
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団(1-3)
ジョージ・セル(指揮)(1-3)
フィルハーモニア管弦楽団(4-6)
イサイ・ドブローウェン(指揮)(4-6)
CD7
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調『皇帝』 op.73
1. T Allegro
2. U Adagio un poco mosso
3. V Rondo
●ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58
4. T Allegro moderato
5. U Andante con moto
6. V Rondo: Vivace
録音: 22 July 1942(1-3),24 July 1942(4-6)
シカゴ交響楽団
フレデリック・ストック(指揮)
CD8
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第1番 ヘ長調 op.2 No.1
1. T Allegro
2. U Adagio
3. V Menuetto & Trio: Allegretto
4. W Prestissimo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 op.2 No.2
5. T Allegro vivace
6. U Largo appassionato
7. V Scherzo & Trio: Allegretto
8. W Rondo: Grazioso
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op.2 No.3
9. T Allegro con brio
10. U Adagio
11. V Scherzo & Trio: Allegro
12. W Allegro assai
録音: 23&24 April 1934(1-4),9 April 1933(5-8),26 April 1934(9-12)
CD9
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 op.7
1. T Allegro molto e con brio
2. U Largo con gran espressione
3. V Allegro
4. W Rondo: Poco allegretto e grazioso
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 op.10 No.1
5. T Molt allegro e con brio
6. U Adagio molto
7. V Finale: Prestissimo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第6番 ヘ長調 op.10 No.2
8. T Allegro
9. U Allegretto
10. V Presto
●ベートーヴェン: バガテル イ短調『エリーゼのために』WoO 59
11. Poco moto
●ベートーヴェン: 変奏曲 ヘ長調 op.34
12. Theme
13. VariationT: Adagio
14. VariationU: Allegro ma non troppo
15. VariationV: Allegretto
16. VariationW: Tempo di minuetto
17. VariationX: Marcia: Allegretto
18. VariationY&Coda: Allegretto
録音: 11 November 1935(1-4),6 November 1935(5-7),10 April 1933(8-10),November 1938(11-18)
CD10
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 op.10 No.3
1. T Presto
2. U Largo e mesto
3. V Menuetto & Trio: Allegro
4. W Rondo: Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13『悲愴』
5. T Grave-Allegro di molto e con brio
6. U Adagio cantabile
7. V Rondo: Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 op.14 No.1
8. T Allegro
9. U Allegretto
10. V Rondo: Allegro commodo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 op.14 No.2
11. T Allegro
12. U Allegretto
13. V Scherzo: Allegro assai
録音: 12 November 1935(1-4),23 April 1934(5-7&11-13),25 March 1932(8-10)
CD11
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 op.22
1. T Allegro con brio
2. U Adagio con molta espressione
3. V Menuetto
4. W Rondo: Allegretto
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 op.26
5. T Andante con variazioni
6. U Scherzo & Trio: Allegro molto
7. V Marcia funebre sulla morte d'un eroe
8. W Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第13変ホ長調 op.27
9. T Andante-allegro
10. U Allegro molto e vivace
11. V Adagio con espressione
12. W Allegro vivace-Presto
録音: 12 April 1933(1-4),25 April 1934(5-8),November 1932(9-12)
CD12
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第14嬰ハ長調 op.27 No.2『月光』
1. T Adagio sostenuto
2. U Allgretto & Trio
3. V Presto agitato
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第15番 ニ長調 op.28
4. T Allegro
5. U Andante
6. V Scherzo & Trio: Allegro vivace
7. W Rondo: Allegro ma non troppo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第16番 ト長調 op.31 No.1
8. T Allegro vivace
9. U Adagio grazioso
10. V Rondo: Allegretto
●ベートーヴェン: ロンド ハ長調 op.51 No.1
11. Moderato e graziozo
録音: 2 April 1934(1-3),17 February 1933(4-7),5&6 November 1935(8-10),13 April 1933(11)
CD13
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31 No.2『テンペスト』
1. T Largo-Allegro
2. U Adagio
3. V Allegretto
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 op.31 No.3『狩り』
4. T Allegro
5. U Scherzo: Allegretto vivace
6. V Menuetto & Trio: Moderato e grazioso
7. W Presto con fuoco
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 op.49 No.1
8. T Andante
9. U Rondo: Allegro
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第20番 ト長調 op.49 No.2
10. T Allegro ma non troppo
11. U Tempo di menuetto
録音: 27&28 April 1934(1-3),25 March 1932(4-7),19 November 1932(8-9),12 April 1933(10-11)
CD14
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 op.53『ワルトシュタイン』
1. T Allegro con brio
2. U Introduzione: Molto adagio
3. V Rondo: Allegretto moderato-Prestissimo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第22番 ヘ長調 op.54
4. T In tempo d'un menuetto
5. U Allegretto
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57『情熱』
6. T Allegro assai
7. U Andante con moto
8. V Allegro ma non troppo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第24番 嬰へ長調 op.78
9. T Adagio cantabile-Allegro ma non troppo
10. U Allegro vivace
録音: 25 April 1934(1-3),22 April 1933(4-5),11 April 1933(6-8),12 April 1933(10-11),22 March 1932(9-10)
CD15
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第25番 ト長調 op.79
1. T Presto alla tedesca
2. U Andante
3. V Vivace
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op.79
4. T Adagio-Allegro
5. U Andante espressivo
6. V Vivacissimamente
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 op.90
7. T Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck
8. U Nicht zu geschwind und sehr singbar vorzutragen
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 op.101
9. T Etwas lebhaft und mit der inigsten Empfindung
10. U Lebhaft. Marschmässg
11. V Langsam und sehnsuchtsvoll-Geschwind Doch nicht zu sehr,und mit Entschlossenheit
録音: 15 November 1935(1-3),13 April 1933(4-6),21 January& 3 February 1932(7-8),24 April 1934(9-11)
CD16
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106『ハンマークラヴィーア』
1. T Allegro
2. U Scherzo: Assai vivace
3. V Adagio sostenuto,appassionato e con molto sentimento
4. W Largo-Allegro risoluto
●ベートーヴェン: 創作主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35『エロイカ』
5. Theme
6. VariationT
7. VariationU
8. VariationV
9. VariationW
10. VariationX
11. VariationY
12. VariationZ
13. Variation[
14. Variation\
15. Variation]
16. Variation]T
17. Variation]U
18. Variation]V
19. Variation]W
20. Variation]X
21. Fugue: Largo
録音: 3&4 November 1935(1-4),November 1938(5-21)
CD17
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
1. T Vivace,ma non troppo-Adagio espressivo
2. U Prestissimo
3. V Andante,molto cantabile ed espressivo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
4. T Moderato cantabile,molto espressivo
5. U Allegro molto
6. V Adagio,ma non troppo
7. W Fuga: Allegro,ma non troppo
●ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111
8. T Maestoso-Allegro con brio ed appassionato
9. U Arietta: Adatio molto,semplice e cantabile
録音: 22 March 1932(1-3),21 January 1932(4-7),21 January & 21 March 1932(8-9)
CD18
●ベートーヴェン: バガテル op.126
1. No.1: Andante con moto in G major
2. No.2: Allegro in G minor
3. No.3: Andante in E flat major
4. No.4: Presto in B minor
5. No.5: Quasi allegretto in G major
6. No.6: Presto-Andante amabile e con moto in E flat major
●ベートーヴェン: ディアベッリの主題による33の変奏曲 op.120
7. Theme: Vivace
8. VariationT: Alla marcia maestoso
9. VariationU: Poco Allegro
10. VariationV: L'istesso tempo
11. VariationW: Un poco piu vivace
12. VariationX: Allegro vivace
13. VariationY: Allegro ma non troppo e serioso
14. VariationZ: Un poco piu allegro
15. Variation[: Poco vivace
16. Variation\: Allegro pesante e risoluto
17. Variation]: Presto
18. Variation]T: Allegretto
19. Variation]U: Un poco piu moto
20. Variation]V: Vivace
21. Variation]W: Grave e maestoso
22. Variation]X: Presto
23. Variation]Y: Allegro
24. Variation]Z: Allegro
25. Variation][: Poco moderato
26. Variation]\: Presto
27. VariationXX: Andante
28. VariationXXT: Allegro con brio-Meno allegro
29. VariationXXU: Allegro molto
30. VariationXXV: Allegro assai
31. VariationXXW: Fughettta(Andante)
32. VariationXXX: Allegro
33. VariationXXY: Piacevole
34. VariationXXZ: Vivace
35. VariationXX[: Allegro
36. VariationXX\: Adagio ma non troppo
37. VariationXXX: Andante,sempre cantabile
38. VariationXXXT: Largo,molto espressivo
39. VariationXXXU: Allegrvo
40. VariationXXXV: Tempo di menuetto-Moderato
録音: 13 January 1937(1-6),unknown(7-40)
CD19
●ベートーヴェン: バガテル イ短調『エリーゼのために』WoO 59
1. Poco moto
●ベートーヴェン: バガテル op.33
2. No.1: Andante grazioso,quasi allegretto in E flat major
3. No.2: Scherzo & Trio in C major
4. No.3: Allegretto in F major
5. No.4: Andante in A major
6. No.5: Allegro ma non troppo in C major
7. No.6: Allgretto quasi andante in D major
8. No.7: Presto in A flat major
●ベートーヴェン: バガテル op.126 No.6 ロ短調
9. Presto
●ドヴォルザーク: ピアノ五重奏曲 イ長調 op.81
10. T Allgro ma non tanto
11. U Dumka(Andante con moto)
12. V Scherzo(Furiante)-Molto vivace
13. W Finale(Allegro)
録音: May 1932(1),1938(2-8),1944(9),11 February 1934(10-13)
CD20
●ブラームス: ラプソディー ト短調 op.79 No.2
1. Molto passionato, ma non troppo allegro
●ブラームス: 間奏曲 変ホ長調 op.117 No.1
2. Andante moderato
●ブラームス: 間奏曲 イ短調 op.116 No.2
3. Andante non troppo
●ブラームス: ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15
4. T Maestoso
5. U Adagio
6. V Rondo: Allegro non troppo
録音: 4 June 1947(1-3),9 January & 18 December 1938(4-6)
ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団(4-6)
ジョージ・セル(指揮)(4-6)
CD21
●ブラームス: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83
1. T Allegro non troppo
2. U Allegro appassionato
3. V Andante
4. W Allegro grazioso
●モーツァルト: 2台ピアノと管弦楽のための協奏曲 変ホ長調 K365
5. T Allegro
6. U Andante
7. V Rondo(Allegro)
録音: 7 & 14 November 1935(1-4),28 October 1936(5-7)
アルトゥール・シュナーベル & カール=ウルリッヒ・シュナーベル(ピアノ)(5-7)
BBC交響楽団(1-4)
ロンドン交響楽団(5-7)
エドリアン・ボールト(指揮)
CD22
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K459
1. T Allegro
2. U Allegretto
3. V Allegro assai
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466
4. T Allegro
5. U Romance
6. V Allegro assai
録音: 9/12 January 1937(1-3),17-18 November 1948(4-6)
ロンドン交響楽団(1-3)
マルコム・サージェント(指揮)(1-3)
フィルハーモニア管弦楽団(4-6)
ワルター・ジュスキント(指揮)(4-6)
CD23
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K467
1. T Allegro maestoso
2. U Andante
3. V Allegro vivace assai
●モーツァルト: ピアノ・ソナタ第12番 ヘ長調 K332
4. T Allegro
5. U Adagio
6. V Allegro assai
ピアノ協奏曲第16番 変ロ長調 K570
7. T Allegro
8. U Adagio
9. V Allegretto
●モーツァルト: ロンド イ短調, K511
10. Andante
録音: 12 January 1937(1-3),5 June 1947(4-6),16 June 1948(4-9),4 June 1946(10)
ロンドン交響楽団(1-3)
マルコム・サージェント(指揮)(1-3)
CD24
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第22番 イ長調 K482
1. T Allegro
2. U Andante
3. V Allegro
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488
4. T Allegro
5. U Adagio
6. V Presto
録音: 13 November 1941(1-3),3 March 1946(4-6)
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
ブルーノ・ワルター(指揮)(1-3)
アルトゥール・ロジンスキー(指揮)(4-6)
CD25
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第24ハ短調 K491
1. T Allegro
2. U Larghetto
3. V Allegretto
●モーツァルト: ピアノ四重奏曲 ト短調 K478
4. T Allegro
5. U Andante
6. V Rondo-Allegro
録音: 12 January 1946(1-3),31 January 1934(4-6)
Standard Symphony Orchestra(1-3)
A. Wallensten(1-3)
プロ・アルテ四重奏団(4-6)
CD26
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K491
1. T Allegro
2. U Larghetto
3. V Allegretto
●モーツァルト: ピアノ協奏曲第27番 ロ長調 K595
4. T Allegro
5. U Larghetto
6. V Allegro
録音: 18-/19 September 1948(1-3),31 January 1934(4-6)
フィルハーモニア管弦楽団(1-3)
ワルター・ジュスキント(指揮)(1-3)
ロンドン交響楽団(4-6)
ジョン・バルビローリ(指揮)(4-6)
CD27
●シューベルト: 4つの間奏曲 D935
1. No.1 in F minor
2. No.2 in A flat major
3. No.3 in B flat major
4. No.4 in F minor
●シューベルト: 4つの間奏曲 D899
5. No.1 in C minor
6. No.2 in E flat major
7. No.3 in G flat major
8. No.4 in A major
●シューベルト: フランスのモティーフによるディヴェルティメント D823〜アンダンティーノと変奏曲
9. Andantino varie
録音: 6-9,12-13 June 1950(1-8),28 October 1937(9)
CD28
●シューベルト: ピアノ・ソナタ ニ長調 D850
1. T Allegro vivace
2. U Con moto
3. V Scherzo. Allegro vivace
4. W Rondo. Allegro moderato
●シューベルト: 楽興の時 D780
5. No.1 in C major
6. No.2 in A flat major
7. No.3 in F minor
8. No.4 in C sharp major
9. No.5 in F minor
10. No.6 in A flat major
録音: 26-27 January 1939(1-4),2&12 November 1937(6-10)
CD29
●シューベルト: ピアノ・ソナタ イ長調 D959
1. T Allegro
2. U Andantino
3. V Scherzo. Allegro vivace
4. W Rondo. Allegretto
●シューベルト: ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D960
5. T Molto moderato
6. U Andante sostenuto
7. V Scherzo. Allegro vivace con delicatezza
8. W Allegro ma non troppo
録音: 15 January 1937(1-4),24 January 1939(5-8)
CD30
●シューベルト: 行進曲 ホ長調 D606
1. Allegro con brio
●シューベルト: 3つの軍隊行進曲 D733
2. No.1 in D major
3. No.2 in G major
4. No.3 in E flat major
5. 行進曲 ト短調 D819 No.2
6. 行進曲 ロ短調 D819 No.3
7. アレグロ イ短調 D947『人生の嵐』
●シューベルト: ハンガリー風ディヴェルティメント D818
8. T Andante
9. U Marcia. Andante con moto
10. V Allegretto
録音: 27 January 1939(1),28-29 October 1937(2-10)
CD31
●シューベルト: 歌曲集*
1. ドッペルゲンガー D957 No.13 Heine
2. 都会 D957 No.11 Heine
3. タルタルスの群れ D583 Schiller
4. 十字軍 D932 Leitner
5. リュートに寄せて D905 Rochlitz
6. ミューズの子 D764 Goethe
7. 魔王 D328 Goethe
●シューベルト: アレグレット ハ短調 D915
8. Allegretto
●シューベルト: ロンド イ長調 D951**
9. Grand Rondeau
●シューベルト: ピアノ五重奏曲 イ長調 D667 『ます』***
10. T Allgro vivace
11. U Andante
12. V Scherzo: Presto
13. W Thema mit Variationen: Andantino
14. X Finale: Allegro giusto
録音: 16-18 November 1932(1-7),25 January 1939(8),28-29 October 1937(9),16 November 1935(10-14)
テレーゼ・ベーア=シュナーベル(コントラルト)(*)
カール=ウルリッヒ・シュナーベル(ピアノ)(**)
プロ・アルテ四重奏団(***)
クロード・ホブディ(コントラバス)(***)
CD32
●シューマン: 『子供の情景』 op.15
1. TVon fremden Ländern und Menschen
1. UKuriose Geschichte
3. VHasche-Mann
4. WBittendes Kind
5. XGlückes genug
6. YWichtige Begebenheit
7. ZTräumerei
8. [ Am Kamin
9. \ Ritter vom Steckenpferd
10. ] Fast zu ernst
11. Ⅺ Fürchtenmachen
12. Ⅻ Kind im Einschlummern
13. XVDer Dichter spricht
●シューマン: ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44
14. T Allgro brillante
15. U In modo d'una Marcia,un poco largamente
16. V Scherzo(Molto vivace)
17. W Allegro,ma non troppo
●ウェーバー: 舞踏への勧誘
18. Moderato
録音: 13 June 1947(1-13),19 November 1934(14-17),2-3 June 1947(18)
【商品説明:年表シリーズ】
指揮
●
アルヘンタ
●
オッテルロー
●
ガウク
●
カラヤン
●
クイケン
●
クーセヴィツキー
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クチャル
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クラウス
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クレツキ
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クレンペラー
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ゴロワノフ
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サヴァリッシュ
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シューリヒト
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ターリヒ
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チェリビダッケ
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ドラティ
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バーンスタイン
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パレー
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フェネル
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フルトヴェングラー
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メルツェンドルファー
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モントゥー
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ユージナ
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ランドフスカ
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シュナイダー四重奏団
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パスカル弦楽四重奏団
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ハリウッド弦楽四重奏団
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ブダペスト弦楽四重奏団
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ヤニグロ
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リッチ
作曲家
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アンダーソン
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ヘンツェ