CD 輸入盤

ソフロニツキーの芸術(34CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SC817
組み枚数
:
34
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ソフロニツキーの芸術(34CD)


ソ連の録音に強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから、ソ連ピアニスト・ボックス第5弾が登場(旧江戸とは言わないので旧ソ連ではなくソ連と表記することにします)。これまで、ユージナグリンベルクタマルキナニコラーエワと女性ピアニストが続いていましたが、今回は男性のソフロニツキーです。
 ネイガウスが、「彼の演奏には何か普通ではない、ほとんど超自然的、神秘的で説明不能な、強く惹きつけられるものがある。」と称えたソフロニツキーの芸風はとても自由なものですが、ソフロニツキー自身が、「ピアニストという職業の中で価値があるのは、論争の的になる部分だけだ。」とも述べているので、普通のスタイルの演奏にはあまり興味が無かったものと思われます。
 また、笑っている写真が少ないため、ちょっと気難しそうに見えるソフロニツキーですが、実際には、「回文」を考えて披露するのが大好きという愉快な人物でもあったようです。


3度の結婚
美男で早熟、ボヘミアン気質でもあったソフロニツキーは、ペトログラード音楽院在学中に2度結婚しています。最初はロシア内戦時代初期に制定された「家族法」施行直後のことで、17歳の時に32歳のピアニスト、タチアナ・ドストエフスカヤ(ドストエフスキーの実兄の孫娘)と交際、ソフロニツキーが18歳のときに彼女がイリーナ・ヴラジーミロヴナ・ソフロニツカヤを出産し、結婚していますがほどなく離婚。タチアナ・ドストエフスカヤはのちにモスクワ近郊のカルーガ音楽学校の学長を務めた人物で、カルーガ音楽学校に通っていた作曲家トゥリコフによれば、エネルギッシュな女性だったということです。「家族法」は、結婚・離婚の手続きを簡略化して、出生数を増やすのが目的の法律でしたが、結果的に社会の荒廃の一因となってしまったため、のちに廃止されています。
 イリーナ誕生の翌年には、ソフロニツキーはスクリャービンの娘エレナ・スクリャービナと結婚。エレナはソフロニツキーを上回るボヘミアンぶりで、パリ長期滞在時の夫婦喧嘩の際にはソフロニツキーをソ連に帰国させ、エレナはその後数年間パリに留まるという自由さでした。ソフロニツキーとエレナの仲はそんな状況ではありましたが一男一女をもうけ、四半世紀に及ぶ結婚生活を維持して離婚。
 エレナとの離婚要因は定かではありませんが、エレナと仲が良くかつてパリで長く一緒に過ごしていた妹(異母)のアリアドナが、1944年に殺害された衝撃は大きかったと思われます。アリアドナはレジスタンス活動の際に逮捕、連行途中にフランス民兵に機関銃で虐殺されています。


 戦争が終わった翌年の1946年、ソフロニツキーは、20歳若い元教え子のヴァレンティナ・ドゥシノヴァと再婚、亡くなるまでの15年間を過ごし、亡くなる前年にはのちに有名な演奏家になる娘のヴィヴィアナが誕生。
 ちなみに、ソフロニツキーの同級生だったマリヤ・ユージナが、1939年に死に別れた婚約者は、ユージナより15歳若い彼女の元教え子でした。

ペトログラード音楽院でユージナと共に金メダル
1921年5月、ソフロニツキー、ペトログラード音楽院を卒業。音楽院小ホールでの卒業演奏は満席。ソフロニツキーはリストのロ短調ソナタほかを弾き、マリヤ・ユージナと共に金メダルを獲得。新聞には、2人のピアニストの個性の違いについての大きな記事が掲載され、ソフロニツキーとユージナが、学生時代から注目を集めていたことが窺えます。
 ソフロニツキーとユージナが同じクラスだったのは、ユージナが手の怪我の療養を終えて復学してからの1年ほどの期間で、ユージナの回想によれば、すでにソフロニツキーはクラスのスターであり、そのスクリャービン演奏とバッハの平均律はとても見事なものだったということです。
 ちなみに2人には、副賞として、「シュレーダー」の白いグランド・ピアノが贈られることになっていましたが、当時は内戦の非常事態ということで、2人のもとに届くことはありませんでした。サンクトペテルブルクに拠点を置く「シュレーダー」は、1816年頃に設立されたロシア帝国最大のピアノ・メーカーで、長きに渡ってロシアのピアニストたちを支えた立役者的存在でもあります。


ソ連のピアニスト
濃厚な表現や絶妙なルバートなど自由な芸風で知られたソ連のピアニスト、ソフロニツキーは、もう一人の自由な芸風のピアニスト、マリヤ・ユージナと共に、ペトログラード音楽院卒業後、コンサート・エージェント「フィルハーモニー」の専属ソリストとしてプロとしての活動をスタート。翌1922年にはそこにホロヴィッツ(ロシア語読みではゴロヴィッツ、ウクライナ語読みでホロヴィッツ)も所属するという状態になっていました。
 この規格外の3人は、「フィルハーモニー」のピアニストとしてソ連各地で演奏するというスタート地点こそ同じだったものの、その後の道は異なっており、1925年12月に国を出たホロヴィッツに対し、愛国的なソフロニツキーとユージナはソ連に留まり続けています。2人とも音楽院での教職がメインだったことと、それぞれの要因により、「海外公演」はほとんどおこないませんでした。
 ソ連国民による「海外公演」には、ソ連政府の外貨獲得手段(出演料の多くが国庫行き)という面もあったため、「不安定」でキャンセル違約金をとられかねないユージナとソフロニツキーにはとても無理という事情もあったようです。
 ユージナは、舌禍要因や宗教的要因でトラブルを何度も引き起こしており、ソフロニツキーの方も、心身両面の問題から不安定になりがちで、1年半に及ぶパリ生活以降は、長めのツアーなどは辞退することが多く、通常公演もキャンセル頻発という状況でした。

キャンセル要因
ソフロニツキーには先天性の心疾患があったということで、不整脈にも悩まされており、公演キャンセルや公演途中での退場の最大の要因ともなっていました。
 不整脈の治療薬は、アルコールとの相性が悪いため、晩年のソフロニツキーがシャンパンの乾杯くらいで酔ってしまっているように見え、結果的にそうしたことがアルコール中毒の噂を生み出すことにも繋がっていたようです。もっとも、不整脈が悪化した要因のひとつがウォッカであった可能性は否定できませんが、娘のロクサナは、ソフロニツキーは公演前には一切酒を飲まなかったと語っています。
 ソフロニツキーについては、アルコール中毒のほかに麻薬中毒といった噂話も広まっていますが、ある歌手の自伝に書かれた麻薬愛好者の某将軍と歌手の接見場面と似たシチュエーションの話だったりするので、よくあるつくり話(あるいは勘違い起因)と思われます。
 ロシアでは、第1次大戦開戦の1914年に禁酒法が施行。翌年には戦力差から戦意喪失状況となり脱走兵なども続出、1917年のロシア革命を機に内戦に移行してロシア人同士の殺し合いとなり凄惨な状況が継続。ほどなくドイツとの貿易が再開すると、モルヒネなどの麻薬の輸入が激増、社会的な影響も大きくなったため、内戦の終了と共に禁酒を解き、1924年には麻薬販売について懲役10年とするなど厳罰化することで、戦時中の麻薬蔓延状況からの脱却を図っています。
 ちなみに第2次大戦の際には、連合軍、ドイツ軍、日本軍でなどで覚醒剤が広く使用され、市民生活の場にも持ち込まれたりしていましたが、ソ連では内戦時の苦い経験から、慰問活動を大量におこなうことなどで兵士の士気の維持に務めていました。

スクリャービン家
ソフロニツキーが最も長く連れ添った妻エレナはスクリャービンの娘で、エレナの母ヴェラはスクリャービン演奏のスペシャリストとして活躍。ソフロニツキーはそのヴェラから、スクリャービン作品の演奏を高く評価され、ヴェラの没後、スペシャリストとしてスクリャービン博物館のベヒシュタインでリサイタルを開いたり録音をおこなったりすることが多かったようです(ソフロニツキーの自宅もベヒシュタイン)。
 スクリャービン家とは深い関係にあったソフロニツキーですが、アレクサンドル・スクリャービンは、かなり自由な人物で家庭生活も事情が複雑だったので、以下に簡単にまとめておきます。

―1897年:スクリャービン、モスクワで結婚。相手はピアニストのヴェラ・イヴァノヴナ・イサコヴィチ[1875-1920]。


―1898年:スクリャービン、モスクワ音楽院の招きで就職。
―1898年:娘リマ[1898-1905]誕生。のちに7歳で腸捻転で死去。
―1900年:娘エレナ[1900-1990]誕生。のちにソフロニツキーと結婚・離婚。
―1901年:娘マリア[1901-1989]誕生。のちにモスクワ・アート・シアター2の女優になり、その後、人智学支持により逮捕・追放。5年後の1936年にナターリャ・サーツの中央児童劇場で働いたり、音楽や演劇の学校で教職に就くなどしていました。
―1901年:スクリャービン、翌年にかけてアメリカ・ツアー。
―1902年:息子レフ[1902-1910]誕生。のちに8歳で死去。
―1902年:スクリャービン、作曲に専念するためモスクワ音楽院を退職。
―1902年:スクリャービン、生活が苦しくなり聖カタリナ修道会モスクワ校に就職。
―1902年:スクリャービン、タチアナ・フョードルヴナ・シュロツェル[1883-1922]と出会い。タチアナはモスクワ音楽院教授の姪。
―1903年:スクリャービン、タチアナと不倫。
―1904年2月:スクリャービン、ジュネーヴ近郊に転居。
―1904年3月:妻ヴェラと4人の子供たちもジュネーヴ近郊に転居して合流。直後にタチアナもすぐ近くに転居。
―1904年11月:スクリャービン、完成したばかりの交響曲第3番『神聖な詩』の演奏手配のためパリに旅行。タチアナが同行。
―1904年12月:スクリャービン、妻ヴェラに離婚を申し出るものの拒否され、別居。
―1905年:スクリャービン、別居状態の妻ヴェラがモスクワ音楽院のピアノ教師として働けるよう尽力。ヴェラが演奏会でスクリャービンの作品を優先的に取り上げられるよう配慮。
―1905年6月:スクリャービン、タチアナとイタリア、ジェノヴァ近郊のボリアスコに転居。


―1905年7月:ヴェラとの第1子リマ、7歳で腸捻転のためジュネーヴ近郊で死去。
―1905年10月:タチアナとの間に娘アリアドナ[1905-1944]誕生。離婚をめぐるゴタゴタやスキャンダルなど迷宮のような状態からの解放を願って、迷宮脱出ゆかりの女神アリアドネ(ロシア語ではアリアドナ)の名を付けます。アリアドナは詩人になり後にレジスタンス活動の際にフランス人によって殺害。
―1906年12月:スクリャービン、アメリカ・ツアー。タチアナが未婚状態で同行したことがスキャンダルとなり、1917年3月にツアーは途中で終了。
―1907年:スクリャービン、タチアナ、アリアドナ、パリに旅行。
―1907年9月:スクリャービン、タチアナ、アリアドナとスイスのローザンヌに転居。交響曲第4番『法悦の詩』完成。
―1908年2月:タチアナとの間に息子ユリアン[1908-1919]誕生。神童として注目されるものの11歳で溺死。
―1908年6月:クーセヴィツキー夫妻がローザンヌのスクリャービン家を訪問。モスクワとサンクトペテルブルクでの演奏会開催決定のほか、いくつかの作品の出版についても契約。
―1909年:スクリャービン、タチアナ、アリアドナ、ユリアン、モスクワに転居。作曲や演奏会に打ち込みますが、かつての友人たちにはその生活ぶりが不評でした。
―1909年3月:スクリャービン、タチアナ、アリアドナ、ユリアン、ブリュッセルに転居。
―1910年1月:スクリャービン、タチアナ、アリアドナ、ユリアン、モスクワに転居。
―1911年:タチアナとの間に娘マリーナ[1911-1998]誕生。のちにパリの国立高等装飾美術学校に通う一方でルネ・レイボヴィツに理論を師事。フランス国立科学研究センターで科学者として働いたほか、音楽家としても活動。
―1912年:スクリャービン、タチアナ、アリアドナ、ユリアン、マリーナの5人が、モスクワのボリショイ・ニコロ・ペスコフスキー通りのアパート2階に転居。モスクワ大学言語学教授のA.A.グルーシュカの所有する物件でした。
―1914年夏:スクリャービン、ロンドンでヘンリー・ウッドとの共演で成功を収めたのち、ベヒシュタイン・ホール(現ウィグモア・ホール)でのリサイタルを実施。ロンドン滞在中、髭の手入れの際に上唇に傷がついて化膿。
―1915年4月:スクリャービン、死去。モスクワ、ペトログラード、ハリコフ、キエフでコンサートを行った後、前年の傷が悪化し、数日間苦しんだのち敗血症でせん妄状態となり死去。スクリャービンはタチアナとの間にできた3人の子供を、スクリャービン(スクリャービナ)姓とするよう要請した書類を遺しており、未亡人ヴェラも承諾。
―1915年4月:スクリャービンの死と共にボリショイ・ニコロ・ペスコフスキー通りのアパートの契約は終了。しかし所有者グルーシュカ教授の好意により、タチアナ、アリアドナ、ユリアン、マリーナの4人はそのまま居住。また、グルーシュカ教授は、スクリャービン記念アパートにするための維持費を拠出してもいました。
―1918年:ロシア革命によりアパートが国有化。教育人民委員(大臣)のルナチャルスキーにより国宝と認定され、記念博物館にすることが決定。タチアナにアパートの保護令状が届き、博物館館長として展示資料の整理など開館準備作業に着手。タチアナは4年後、開館を目前にして死去。
―1920年:未亡人ヴェラ死去。スペインかぜ(アメリカ発超強力インフルエンザ)。
―1922年3月:タチアナ死去。スクリャービンや息子ユリアンの死の影響か、いくつもの病気に罹っていたというタチアナは39歳で死去。
―1922年7月:スクリャービン博物館開館。1階がホール。2階が資料。セルゲイ・イワノヴィチ・カシュタノフが館長。
―1941年:スクリャービン博物館の研究員に、スクリャービンの三女でヴェラとの娘、マリア・アレクサンドロヴナ・スクリャービナが任命(1957年まで)。

【年表】

1901年(0歳)
●5月8日(当時ロシア帝国で使用されていたユリウス暦では4月25日)、ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ・ソフロニツキー、ロシア帝国首都サンクトペテルブルクに誕生。2人の姉(1898年生まれの長女エレナ、1899年生まれの次女ナターリャ)に続くソフロニツキー家の第3子。
 父ヴラジーミル・ニコラエヴィチ・ソフロニツキー[1869-1942]は物理と数学の教師。ロシア帝国で最初の女性のための教育機関で、貴族の子供のための「スモーリヌイ女子修道院学校」で教えていました。
 母ヴェラ・アレクサンドロヴナ・ソフロニツカヤ(旧姓:ボロヴィコフスカヤ)[1875-1935]の先祖はコサック出自のボロヴィク一族で、貴族の肖像画などを描いていた画家を数名輩出。ヴラジーミル・ルキチ[1757-1825]の代に、姓をボロヴィクからボロヴィコフスキーに改名。


1902年(1歳)

1903年(2歳)
●ソフロニツキー家、ロシア帝国ワルシャワに転居。

1904年(3歳)

1905年(4歳)
◆1月、血の日曜日事件発生。ロシア第1革命。
●ヴェラ・スクリャービナ、モスクワ音楽院のピアノ教師として登録。別居中の夫、スクリャービンの尽力による雇用でした。

1906年(5歳)
●ソフロニツキー、ピアノで遊び始めます。


◆ロシア帝国で飢饉、ロシア農村部中心に人口の約22%が飢餓状態に。

1907年(6歳)
◆3月、2月革命勃発。ロシア第2革命。
●ソフロニツキー、ワルシャワで作曲家でピアノ教師のルドミール・ルジツキ[1884-1953]に師事。



1908年(7歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワでアンナ・ワシリエヴナ・レベデワ=ゲツェヴィチに師事。レベデワ=ゲツェヴィチはニコライ・ルビンシテインの弟子。教室での実技だけでなく、宿題帳への効果的な課題の記入によって、問題点を次々に克服させる名教師でした。ちなみに息子のフセヴォロド・イヴァノヴィチ・ブユクリ[1873-1920]は、当時スクリャービン演奏で有名でした。
◆ピウスツキ、ポーランドで私設軍隊を設立。のちにポーランド軍に拡大。

1909年(8歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワでアンナ・ワシリエヴナ・レベデワ=ゲツェヴィチに師事。

1910年(9歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワでアンナ・ワシリエヴナ・レベデワ=ゲツェヴィチに師事。
●ソフロニツキー、初の演奏会出演。レベデワ=ゲツェヴィチの生徒たちによるワルシャワでのコンサートへの参加でした。このコンサートを聴いていたグラズノフに注目され、ワルシャワ音楽院のミハウォフスキに師事するよう助言を受けます。
●ソフロニツキー、ワルシャワ音楽院でアレクサンデル・ミハウォフスキに師事。



1911年(10歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワ音楽院でアレクサンデル・ミハウォフスキに師事。
●ソフロニツキー、たびたび両親を訪ねてくるピアニスト、ブユクリが弾くピアノに魅せられるようになります。

1912年(11歳)
●9月、ソフロニツキー家、サンクトペテルブルクに転居。第1次大戦開戦までは、母親とソフロニツキーは、ワルシャワに通って勉強を継続。
●ソフロニツキー、ワルシャワ音楽院でアレクサンデル・ミハウォフスキに師事。

1913年(12歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワ音楽院でアレクサンデル・ミハウォフスキに師事。



1914年(13歳)
●ソフロニツキー、ワルシャワ音楽院でアレクサンデル・ミハウォフスキに師事。


◆7月、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国に対して宣戦布告。その後、各国を巻き込んで第1次世界大戦に発展。
◆8月、ドイツ帝国がロシア帝国に対して宣戦布告。
◆8月、第1次世界大戦勃発。ロシア帝国軍は東プロイセンに侵攻するもののすぐに形勢逆転。ドイツ軍の大規模な毒ガス使用などにより膨大な戦死者。国民の不満が蓄積されてやがて2月革命、10月革命、ロシア内戦へと繋がり、1922年にはソ連が成立することになります。
●ソフロニツキー、戦争のためワルシャワに行けなくなったため、ペトログラードでレオニード・シチェドリンにピアノを師事。


◆10月、ドイツの巡洋戦艦に率いられたオスマン帝国海軍が、オデッサとセバストポリを砲撃。
◆ロシア帝国政府、禁酒令布告(1924年まで)。
●ドイツと交戦状態になったことからロシア各地のドイツ語風な地名はロシア語風に改名され、サンクトペテルブルクもペトログラードと変更。

1915年(14歳)
●4月、ソフロニツキー家、チケットを購入してあったスクリャービン本人による演奏会の鑑賞を、悪天候のため見送り。ソフロニツキーはこのことを生涯残念がっていました。
●ソフロニツキー、レオニード・シチェドリンにピアノを師事。

1916年(15歳)
●ソフロニツキー、レオニード・シチェドリンにピアノを師事。
●ソフロニツキー、ペトログラード音楽院に入学。レオニード・ニコラーエフ[1878-1942]にピアノ、マクシミリアン・シテインベルク[1883-1946]に作曲を師事するものの、ソフロニツキーによれば、ニコラーエフから得るところはあまり無かったということです。同門には、ショスタコーヴィチや、ユージナもいました。



1917年(16歳)
◆3月、国際婦人デーの女性デモをきっかけとして2月革命(ユリウス暦では2月)勃発。ロシア臨時政府樹立。


◆7月、ペトログラードで7月蜂起。50万人のデモがロシア臨時政府により鎮圧。
◆11月、10月革命(ユリウス暦では10月だったため)勃発。レーニンが最高指導者を務めるボリシェヴィキ政権樹立。第1次世界大戦と並行して「ロシア内戦(第1期)」が勃発。
◆11月、「ボリシェヴィキ」政権により、すべての土地は人民の所有(=政府所有)とする法が制定。教会の土地・財産も没収。
◆12月、レーニンによりチェーカー(秘密警察)設立。100人足らずの小組織でスタートするものの、ロシア帝国秘密警察オフラーナのメンバーも含めるなどして急拡大を遂げ、やがて28万人規模にまで成長。
◆12月、チェーカー初代議長にポーランド人のジェルジンスキーが就任。「組織化された恐怖」をモットーに、聖職者、自由主義者、資産家に関しては、街頭でも手あたり次第に射殺。
◆12月、ロシア国内の全銀行の国有化。
◆オデッサ、戦略上の要衝の地ということで、ドイツ・オーストリア軍に占領されたのち、イギリス・フランス軍に占領。続いてデニキン将軍率いる白衛義勇軍にも占領。
●ソフロニツキー、ペトログラード音楽院に在学。

1918年(17歳)
◆1月、レーニンにより憲法制定議会閉鎖。選挙でボリシェヴィキが第1党になれなかったため、武力による独裁体制に移行。
◆3月、ブレスト=リトフスク条約により、第一次世界大戦の東部戦線での戦闘が終結し、「ロシア内戦(第1期)」も休戦。
◆3月、「ボリシェヴィキ」は「共産党」に改名。共産党以外の政党活動を禁じて、共産党の一党独裁制に移行。
◆5月、レーニンにより食糧独裁令発令。武装した労働者食糧徴発隊組織により農民たちからの作物の収奪が開始、内戦に繋がって行きます。
◆6月、資本主義業態の停止命令。
◆7月、余剰農産物の国庫納入命令。農民暴動のほか、生産調整が行われるようになり逆効果に。
◆7月、ロシア・ソヴィエト社会主義共和国憲法制定。
◆7月、ニコライ2世[1868-1917]処刑。一家7人と従僕ら計11人がレーニンの命令によりエカチェリンブルクで殺害。
◆8月、トロツキーによる脱走兵銃殺命令。
◆8月、レーニン暗殺未遂事件発生。社会革命党の女性党員による銃撃。
◆ロシア臨時政府により、ロシア正教会の財産を政府のものにすることを決定、宗教教育も禁止となります。
◆連合国がソ連との貿易を停止(1920年11月まで)。
◆家族法制定。内戦(と第1次大戦)で減少する一方の人口を補うため、結婚・離婚の手続きを簡略化。結婚と同じく離婚も増え、モスクワではこの年のうちに約7,000組の夫婦が離婚。自由恋愛的な婚姻が普及し、1920年代なかばには結婚回数は平均4回となり、やがて結婚を経ない同棲が普及するにつれ、子供の養育放棄も社会問題化。戦争やヴォルガ飢饉で親を失った子供に加えて、膨大な数の養育放棄児童が浮浪児化し、1920年代なかばにはその数は700万人を突破。少年集団による凶悪犯罪が激増し、女性浮浪者も急増するなど収拾がつかなくなったため、1936年のスターリン憲法制定までに家族法は廃止。離婚件数を減らすために手続きの手数料を高額化し、養育を放棄した者には高額な罰金刑を適用、同性愛も禁じるなど、伝統的な家庭の形を復活させる方向に転換しています。
●ソフロニツキー、ペトログラード音楽院に在学。

1919年(18歳)
◆2月、「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」勃発。ポーランド・ソヴィエト戦争とも言われますが、当時はソヴィエトがまだ成立していないため、ポーランドでは「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」と呼んでいます。フランスがルノー戦車など支援。
◆3月、「ロシア内戦(第2期)」勃発。
◆5月、紙幣発行の制限廃止。紙幣の種類は1〜1,000ルーブル。
●5月26日、ソフロニツキー、ペドログラードで最初の単独リサイタル。
●6月8日、ソフロニツキーの最初の娘イリーナ・ヴラジーミロヴナ・ソフロニツカヤ誕生。イリーナを産んだタチアナ・ヒョードルヴナ・ドストエフスカヤ[1886-1958]は、ソフロニツキーより15歳年長のピアニストで、のちにモスクワ近郊のカルーガ音楽学校の学長を務めた人物。タチアナは有名な作家ドストエフスキー[1821-1881]の大姪(祖父がドストエフスキーの実兄)でもありました。カルーガ音楽学校に通っていた作曲家セラフィム・トゥリコフによれば、タチアナはエネルギッシュな女性だったということです。
◆11月、「ロシア内戦(第2期)」、ユダヤ系で赤軍創始者でもあるトロツキー率いる赤軍が白軍を撃退。
◆11月、紙幣の種類に、5,000ルーブルと10,000ルーブルが追加。
●ソフロニツキー、ペトログラード音楽院に在学。

1920年(19歳)
◆4月、ヴランゲリ将軍が白軍の全権を掌握。翌月にはロシア軍と名を改めてクリミア半島を拠点に赤軍と戦闘。「ロシア内戦(第3期)」勃発。
◆8月、タンボフの反乱開始。翌年6月まで。
◆10月、「ポーランド・ボリシェヴィキ戦争」、ボリシェヴィキ側の要請で停戦。ポーランドの勝利で終結し、翌年3月に講和条約締結。
◆11月、ヴランゲリ将軍が敗北、ユーゴスラヴィアに亡命。「ロシア内戦(第3期)」終結。
◆内戦は深刻な飢餓も引き起こし、全死者数は800万人とも言われています。内戦後の耕地面積は内戦前の62パーセント、生産量は37パーセント、金属製農機具生産量は13パーセントに減少。耕作馬の頭数は350万頭から240万頭に減少、牛は580万から370万に減少。さらに輸送手段である機関車の稼働率も半分以下になっていました。
 為替レートも、米ドル「1ドル=2ルーブル」から、「1ドル=1,200ルーブル」となり600分の1の価値に下落、超ルーブル安となり、輸出競争力が急上昇し、国外からの投資も集めやすくなり、そうした金融環境が、翌年のレーニンによる資本主義的な新経済政策(ネップ)策定に繋がったものとも考えらえます。
●ソフロニツキー、スクリャービン没後5周年を記念してリサイタルを開催。ソフロニツキーにとっての最初の公開演奏会。
●ソフロニツキー、エレナ・アレクサンドロヴナ・スクリャービナ[1900-1990]と結婚。
●ソフロニツキー、ペトログラード音楽院に在学。
◆11月、10人以上の雇用のある工場などをすべて国有化。

1921年(20歳)
◆2月、農民の蜂起が100万人以上の規模で発生。
◆3月、「ポーランド・ソヴィエト戦争」、ポーランドの勝利により終結。講和条約が結ばれ、ポーランドはリトアニア中部とウクライナ西部を併合。
◆ペトログラードのパンの配給が3分の1に減少。多くの労働者がストライキに参加。
◆3月、ソヴィエトで新経済政策(ネップ)施行。余剰作物などの資本主義的運用により、経済が活性化。
●3月31日、長男アレクサンドル誕生。
◆春、ヴォルガ飢饉。ヴォルガ・ドイツ人の入植地域で翌年にかけて栄養失調などが原因で農村中心にチフスやコレラが流行、数百万規模の犠牲者が出て、モスクワなど都市部にもホームレスや浮浪児が集まるようにもなります。
◆4月、タンボフの反乱激化。アントーノフ率いる数万人の農民たちを、レーニンの指示により5万人規模の赤軍とチェーカーが、毒ガスなどを用いて6月までに殲滅。
●5月、ソフロニツキー、ペトログラード音楽院を卒業。音楽院小ホールでの卒業演奏は満席。ソフロニツキーはリストのロ短調ソナタほかを弾き、マリヤ・ユージナと共に金メダルを獲得。


●ソフロニツキー、ユージナと共にコンサート・エージェント「フィルハーモニー」の専属ソリストになり、当初から数多くの公演をおこない、常に一定の成功を収めていました。翌年には同じペトログラードの「フィルハーモニー」にホロヴィッツも所属。


◆7月、紙幣の種類に、25,000ルーブル、50,000ルーブルと100,000ルーブルが追加。
◆11月、第1回通貨切り下げ実施。旧紙幣10,000ルーブル=1922年度紙幣1ルーブルという基準。
◆戦時共産主義の一環として物々交換が進み、通貨の価値が低下、インフレが急速に進行。

1922年(21歳)
◆3月、レーニンが「聖職者全員銃殺」を指令。まず翌年にかけて、主教28人、司祭2,691人、修道士1,962人、修道女3,447人のほか、信徒も多数を処刑。財産を没収し、飢饉対策にも使用しました。
◆5月、レーニンによる「知識人追放指令」。秘密警察(GPU)の分類により、反政府的とされた知識人を追放。この場合の「知識人」は、哲学者、文学者、法律家、経済学者、組合活動家などが対象となります。
 レーニンは、音楽、演劇、映画、美術などの「芸術家」は、プロパガンダに結び付くことから積極的に活動を支援し、「科学者」「建築家」なども、人数が不足していたことから優遇していましたが、いわゆる「知識人」については、反共産主義や反政府的活動に繋がりやすいという判断から監視・弾圧をおこなっていました。
●5月24日、ソフロニツキー、モスクワを訪れ、開館準備中のスクリャービン博物館でスクリャービンのソナタ第3番を演奏、未亡人のタチアナ館長を感激させます。ソナタ第3番は、ソフロニツキーがスクリャービンのスペシャリストだったブユクリの演奏で少年時代に聴いた曲でもありました。ちなみにタチアナは開館直前に死去。
◆5月26日、レーニン、最初の脳梗塞発作。5か月間の入院中に回復するものの簡単な計算なども困難な状態に。その間、スターリンは、カーメネフ、ジノヴィエフとのトロイカ体制を確立、有力幹部トロツキーに対抗します(のちにカーメネフ、ジノヴィエフは粛清、トロツキーは国外追放のうえ暗殺)。
◆6月、レーニンが反政府知識人の大量追放を指令し、数万人を強制収容所などに送致。
◆10月、第2回通貨切り下げ実施。1922年度紙幣100ルーブル=1923年度紙幣1ルーブルという基準。第1回通貨切り下げに当てはめると、100万分の1になった計算。
◆12月、ソビエト社会主義共和国連邦成立宣言。
◆12月16日、レーニン、2度目の脳梗塞発作。右手の麻痺はあるものの仕事は口述で遂行。
●モスクワ放送局、ラジオ放送開始。3月に完成した高さ150mの鉄塔から電波を送信。



1923年(22歳)
◆3月10日、レーニン、3度目の脳梗塞発作。回復せず10か月後に死去。その間、スターリンが実権掌握。
◆11月、ドイツでハイパーインフレ対策として臨時通貨レンテンマルク発行開始。1兆分の1という交換比率で、ハイパーインフレを乗り切ります。
◆11〜12月、紙幣の種類に、10,000ルーブルと15,000ルーブルが追加。

1924年(23歳)
◆8月、ソ連政府、酒類販売を許可。10年間の禁止期間中に、モルヒネやコカインなど麻薬中毒患者が増えすぎたため。一方でアルコール中毒患者も増加するものの、麻薬中毒よりは社会的影響が少ないという判断。
◆ソ連政府、麻薬販売を違法とし、違反者には懲役10年の刑。これにより麻薬使用者が激減。
◆ペトログラード、レニングラードに改名。
◆1月、レーニン死去、スターリンが最高指導者に。
◆1月、ソ連憲法制定。
◆2月、紙幣の種類に、25,000ルーブルが追加。

1925年(24歳)

1926年(25歳)
●5月、ソフロニツキー、スクリャービン博物館でスクリャービン・リサイタル。モスクワ音楽院のゴリデンヴェイゼルも感動しています。

1927年(26歳)

1928年(27歳)
●3月8日、ソフロニツキー、妻エレナと共にパリ行き。1年半に渡る長期滞在の開始。1930年まで演奏会を数多くおこなったほか、プロコフィエフやメトネル[1880-1951]と親しく交流。さらにコルトーやホロヴィッツ、ギーゼキング、ラフマニノフ、シャリャピン、ルービンシュタイン、パデレフスキ、ランドフスカらのコンサートも聴きに出かけ、美術展などにも通って見聞を広めています。下の画像は、ソフロニツキーとスクリャービンの娘たちの海水浴の際に撮られたもので、左からアリアドナ(詩人で後にフランス民兵に殺害)、エレナ(ソフロニツキー夫人)、ソフロニツキー、マリーナ(レイボヴィツに師事した音楽家で科学者)。


◆6月、フランスのレイモン・ポアンカレ首相兼財務大臣が、フランを約5分の1に切り下げ。国内債務の大幅な削減と輸出条件の向上による経済再建策。

1929年(28歳)
●ソフロニツキー、パリでプロコフィエフ夫妻らと交流。プロコフィエフは政府の許可を得て海外長期滞在中(亡命はしていません)で、4年後にはパリとモスクワの2重生活、その3年後にはモスクワに居を定めています。下の写真は、左からソフロニツキー、プロコフィエフ、ヴラジーミル・ドゥケリスキー(のちのジャズ作曲家ヴァーノン・デューク)、結婚6年目のリナ・プロコフィエフ[1897-1989]。自動車はフランスの高級車バローで、プロコフィエフはほどなく悪路に強いシボレーも購入していました。
 プロコフィエフはこの12年後の1941年、家族を棄てて共産党員の愛人ミラ・メンデリソン[1915-1968]との生活を選択し、12年後の1953年に死去。その間、妻のリナは1948年から強制労働収容所に送られ、1956年に恩赦で釈放されるまで8年間の過酷な生活に耐え、釈放後はリハビリ・プログラムを受けて10年後の1974年になんとかソ連を出国、1989年にロンドンで91歳で死去しています。



◆ソ連政府により憲法の宗教に関する部分が改正。すべての宗教の社会的・教育的・慈善的活動が禁じられ、宗教団体の拠点も当局指定の建物に限定、布教活動も不可能となり、また、教会を国と切り離して民間団体として扱い、聖職者には重税が課せられることとなりました。1918年には教会の土地・財産は没収されていたので、これで財政基盤が極度に弱体化し、さらに学校では無神論を教えるようになります。
◆トロツキー、国外追放。
◆スターリンによりレーニンの新経済政策(ネップ)否定。市場経済の廃止。
◆戦闘的無神論者同盟発足。

1930年(29歳)
●1月27日、ソフロニツキー、夫婦喧嘩(と世界大恐慌の影響)が原因で、パリからレニングラードにひとりで帰還。妻エレナはパリに残り、レニングラードに戻るのは4年後のことでした。
◆「世界大恐慌」の影響がフランスでも顕在化。金本位制のアメリカとフランスでの失策や、関税施策、金利施策の失敗が原因ともいわれる「世界大恐慌」には、1930年時点でのアメリカの金準備の世界シェア約38%、フランスの約20%という、2国だけで世界の6割近いシェアのもたらした国際的な資金の極端な移動も背景にありました。といっても、その5年前の1925年時点ではアメリカの金準備シェアは約44%で、5年間で6%減少という流れなのに対し、フランスは1925年には約8%だったので、実に2.5倍に膨らんでいたことになります。これによりパリではいくつもの銀行が倒産し、投資家や資産家たち、さまざまな産業も影響を受けるようになります。

1931年(30歳)
●ソフロニツキー、ユージナと2台ピアノのためのコンサートを実施。ユージナからの提案によるもので、バッハのフーガの技法からの2つのフーガのほか、モーツァルト、シューマン、タネーエフなどを、レニングラードやグルジアのトビリシで演奏。
◆12月、スターリンにより、高さ103メートルという世界最大の正教会建造物である「救世主ハリストス大聖堂」が爆破(ハリストス=キリスト)。教会への弾圧はロシア革命初期の1917年から始まっていますが、それでも1930年にはまだ3万の教会がありました。しかし憲法改正後の1931年からは、閉鎖や爆破、収容所への転用などが本格化し、1939年には実際に使用されているソ連の教会は数百ほどにまで減少しています。



1932年(31歳)
◆ソ連・ポーランド不可侵条約締結。
◆ユダヤ系のカガノーヴィチによる民族主義運動抑圧政策でウクライナ国境封鎖。ソ連の輸出を支えていたウクライナ農作物の過剰な収奪により、人工的な大飢饉(ホロドモール)となり、栄養失調により免疫機能の衰えたウクライナの農民たちは、翌年にかけてチフスなどで約700〜1000万人(国連共同声明数値)が犠牲になります。また、民族主義運動の可能性があるということで、ウクライナ人、ウクライナ・ドイツ人の文化人や知識層も追放などされていましたが、ユダヤ系は除外されており、飢饉下でもオデッサなど都市部では普通の生活が営まれていました。

1933年(32歳)

1934年(33歳)
●妻エレナ、パリからレニングラードに帰還。
◆9月、ヤゴーダが内務人民委員に就任。任期中の2年間に粛清を進めるものの、スターリンからはあまり好まれず、左遷となります。

1935年(34歳)
◆11月、ルーブルの為替相場をフランス・フランの基準に設定。1ルーブル=3フランス・フラン。

1936年(35歳) レニングラード音楽院教師
●ソフロニツキー、レニングラード音楽院で、ニコラーエフ教授の助手として教職に就きます。
◆4月、フランス・フラン切り下げにより、1ルーブル=4.25フランス・フラン。
◆11月、スターリン憲法制定。官僚制を強化。

1937年(36歳) レニングラード音楽院教師
◆モスクワ放送でテレビ放送開始。
◆7月、ルーブルの為替相場を米ドル基準に変更。5.3ルーブル=1米ドル。
●ソフロニツキー、ブクステフーデからショスタコーヴィチまでの音楽の歴史をたどる12回シリーズのコンサートをレニングラードで開催。翌年にかけての7か月間、ブクステフーデ、ヘンデル、J.S.バッハ、C.P.E.バッハ、スカルラッティ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェベン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ボロディン、バラキレフ、グラズノフ、ラフマニノフ、メトネル、スクリャービン、ミャスコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、カバレフスキー、ベレゾフスキーなどの作品を取り上げています。音楽院創設者でもあるアントン・ルビンシテイン以来の快挙と絶賛され、叙勲や博士号取得に貢献します。
●ソフロニツキー、一連のコンサートによりレーニン勲章授与。
◆ニコライ・エジョフ[1895-1940]率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)による「大粛清」の開始。1936年9月に内務人民委員に就任したエジョフ長官の方針は、ソ連で政敵の排除に多用されてきた「スパイ嫌疑」を最大限利用するものでした(ある人物がスパイではないことを証明するのは不可能に近いため)。
 エジョフ長官は、スパイを捕えるためには無実の人間をいくら犠牲にしても構わないというようなことを実際に発言していましたし、「自白」に追い込む「拷問」も、前長官のゲンリフ・ヤゴーダ[1891-1938]の時代をはるかに上回る残虐さで徹底、多くの政府関係者と軍関係者を手早く処刑し、さらにそこに国民による爆発的な数の「密告」も加わって、数百万人とも言われる膨大な犠牲者を生み出すことになります。自分にとって都合の悪い人物を、魔法使いや魔女だとして密告する「魔女狩り」の20世紀版です。
◆エジョフ率いるNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)のおこなった「ポーランド作戦」により、ソ連在住のポーランド人約63万6千人のうち約14万4千人が逮捕、すぐにそのうちの約11万1千人が処刑され、数十万人がポーランドに強制送還、その後、逮捕の効率が下がったため、電話帳を見てポーランド風な名前の者を逮捕・処刑するというデタラメな作戦も展開、計約31万人が殺害されています。当時、電話のある家には財産もあることが多かったので、金品を盗むことができるというNKVD(内務人民委員部兼秘密警察)側の大きなメリットも被害の拡大に繋がったものと考えられます。

1938年(37歳) レニングラード音楽院教師
●6月、ソフロニツキー、レニングラード音楽院で博士号を取得。
●娘ロクサナ誕生。
◆8月、ベリヤがNKVDの議長代理に就任。スターリンと同じくグルジア正教の家庭の出身。前任のエジョフとその部下を1940年2月に処刑。

1939年(38歳) レニングラード音楽院教授
●1月、ソフロニツキー、レニングラード音楽院の教授に就任。
◆ロシア正教会の聖職者、900人が処刑。
◆8月、独ソ不可侵条約締結。
◆9月、ドイツ軍、赤軍、ポーランド侵攻。
◆10月、ポーランド分割。
◆10月、赤軍、フィンランド侵攻。
◆10月、ソ連、国際連盟から除名。

1940年(39歳) レニングラード音楽院教授
◆ロシア正教会の聖職者、1,100人が処刑。
◆4月、カティンの森事件発生。NKVD(KGBの前身)が、ポーランド将校ら2万2千人を銃殺。ベリヤが提案、スターリンと政治局が承認。
●10月、モスクワにチャイコフスキー・コンサートホールが開館。元は前衛演劇のメイエルホリド劇場。同劇場は1938年にメイエルホリド[1874-1940]弾圧により閉鎖、翌年にはメイエルホリド逮捕・投獄、1940年2月に処刑されていました。

1941年(40歳) レニングラード音楽院教授
◆ソ連政府、「ユダヤ反ファシスト委員会」設立。アメリカの投資家たちから莫大な資金を調達。その資金をソ連政府は戦費として使用します。
◆6月、ドイツ軍が不可侵条約を破ってソ連に侵攻。「バルバロッサ作戦」開始。
◆6月、イタリア、ルーマニア、ソ連へ宣戦布告。
◆7月、フィンランド、ハンガリー、ソ連へ宣戦布告。
◆7月、ドイツ軍によるモスクワへの空爆開始。
◆9月、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦が開始(レニングラード市の面積は東京23区の2.3倍)。行政と軍の無為無策により、一般市民の疎開は政府系職員の後に細々とおこなわれ、開始時期も厳冬期にずれこんでしまったためなかなか捗らず、1941年12月から1942年3月までの4か月間に膨大な数の人名が失われています。多くは飢餓が原因で、凍死がそれに続き、さらに無差別爆撃や砲撃での犠牲も相次ぎましたが、隣接するラドガ湖が結氷すると輸送ルート「命の道」が開通、ようやく一般市民の疎開も可能になり、氷が融ける4月末までに51万人以上の市民が脱出することに成功しています。もっともその場所は常にドイツ軍の無差別攻撃にも晒されており、犠牲者も多く、「死の道」とも呼ばれていました。

 その後、1942年の夏にはパイプラインも建設して冬季の暖房が使用可能となり、冬には本格的な自動車輸送も開始され、氷上鉄道も開通するなど、市民生活からは最初の冬のような凄惨さは無くなります。
 また、1942年6月には、冴えなかった将軍たちに替わってゴヴォロフ中将がレニングラード方面軍司令官に就任し、砲兵部隊の専門家として次々に実績を上げ、7か月後の1943年1月17日には封鎖をほぼ解除、その後、大規模な補給線を構築して市内に大量の物資や食料を送り込み、軍備も増強してドイツ軍を圧倒、1944年1月27日には完全にレニングラードを解放しています。
 ゴロヴォフ将軍は、市民や兵士の士気の高揚にオーケストラも活用、市街各所のサイレンスピーカーからも音を流すなどしていました。中でも有名なのは、レニングラード交響楽団と軍楽隊員がショスタコーヴィチの交響曲第7番『レニングラード』を演奏する際、ドイツ軍の砲撃がやむように、その前に徹底的に砲兵隊によって攻撃をおこなったというエピソードで、実際に多くの拠点を撃破して効果があったのだとか。
 また、1943年6月には、モスクワに残って市民のために演奏活動をおこなっていたユージナが、ドイツ軍の大部隊がまだ近くに残っていたレニングラードを訪れ、4か月間に渡って演奏会や放送に出演。レニングラード市民に音楽を提供していたほか、軍のために通訳や看護の仕事もおこなっていました。
 なお、レニングラード市は、872日間の包囲戦の中、総人口約320万人のうち100万人近くが犠牲になり、赤軍兵士も40万人以上が落命しています。


●ソフロニツキー、ショスタコーヴィチらと消防訓練。ショスタコーヴィチもソフロニツキーも軍に志願しますが、2人とも教授という要職にあったため認められず、替わりに消防訓練に参加ということになりました。下の画像、左から4人目の放水担当はソフロニツキーで、右端の放水担当はショスタコーヴィチです。


●11月4日、ネイガウス、政府による疎開命令に従わず、モスクワに留まったことで、ドイツ軍の到着を待っているという嫌疑をかけられて逮捕。
 疎開命令に従わなかった実際の理由は、ネイガウスの妻ミリツァの78歳の母親が病気で長旅に耐えられない状態だったため、妻ミリツァが疎開を拒否したことでネイガウスも動けなかったというものでした。
 ネイガウスは悪名高いモスクワのルビャンカ刑務所で8.5か月を過ごしています。最初の面会者はマリア・ユージナで、投獄後約6か月後にようやく許可されたものでした。以後、ギレリス、ザーク、リヒテルなどが訪れ、プーシキン全集などの差し入れも提供されました。しかしNKVDによる拷問のような過酷な尋問と劣悪な収監環境は、ネイガウスの健康を蝕み、痩せこけて、複数の歯が抜け落ちてしまうという状態にまで陥っています。



●12月、ソフロニツキー、包囲下のレニングラード、マイナス3度のホールで、手袋の指先を切り取ってピアノを演奏するというスタイルでコンサートを実施。


1942年(41歳) レニングラード音楽院教授、モスクワ音楽院教授
●3月、モスクワの東南東約860キロにある安全なクイビシェフに疎開していたサモスードとボリショイ劇場管弦楽団によりショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』が初演。サモスードは終楽章に合唱によるスターリン賛歌を挿入することを提案しますが、ショスタコーヴィチはそれを拒否。
●3月、ソフロニツキーの父がレニングラード包囲下で死去。
●4月、ソフロニツキー、極度の疲労状態のため、レニングラードからモスクワに転居。
●4月、ソフロニツキー、モスクワ音楽院大ホールでコンサート開催。モスクワに移ってからのソフロニツキーは、膨大なレパートリーはそのままに、スフォルツァンドやルバートも巧みに使いこなし、ときに即興的な性格する帯びるようになっていきます。
●ソフロニツキー、ソ連政府より「ロシア人民芸術家」の称号を授与。ショスタコーヴィチ、シェバリーン、オイストラフらと共に叙勲。


●ソフロニツキー、モスクワ音楽院の教授に就任。のちに2度目の結婚の相手となるヴァレンティナ・ニコライエヴナ・ドゥシノヴァ[1921-1964]に出会います。


●ソフロニツキー、自宅用にベヒシュタインのグランドピアノを購入。ちなみにスクリャービン博物館のホールにあるピアノもベヒシュタイン。また、ソフロニツキーのセッション録音にはベヒシュタインが用いられているということです。
◆6月、スターリングラード攻防戦開始。翌年2月までに兵士約48万人死亡、約65万人が負傷。役人など政府関係者の疎開しか認めず一般市民の疎開は禁じられたため、民間人死者も約4万人という大きな数になっています。またドイツなど枢軸国側兵士の死傷者は約150万人とソ連側を大きく上回るものとなっており、計約267万人の死傷者が発生したことになります。
●7月4日、ネイガウス、反政府的言動の罪により、5年間、ソ連国内に340か所あった「制限地域」のひとつに住むことを命じられます。ネイガウスは、モスクワから約15,000キロ離れたスヴェルドロフスク州のクラスノトゥリインスクで森林伐採をして5年間過ごすことを選択。スヴェルドロフスク州には、ネイガウスの長男アドリアンが入所していた結核療養所も疎開していました。
●7月19日、ネイガウス、ルビャンカ刑務所から釈放。髪は伸び放題でボサボサ、服もボロボロで著しく衰弱した状態でした。
●ネイガウスの刑を軽減してもらうため、音楽家たちが行動をおこします。ネイガウスの送致先であるスヴェルドロフスク州には、当時、「キエフ音楽院」の教師や学生が疎開して、現地のスヴェルドロフスク音楽院(のちのウラル音楽院)などで活動しており、キエフ音楽院の院長でピアノ科教授でもあるアブラム・ルフェル[1905-1948]が、ネイガウスに音楽院で働いてもらいたいと当局に請願。
 さらに1934年にネイガウスがスヴェルドロフスク音楽院の創設準備に当たった際、自分の弟子だったベルタ・マランツ[1907-1998]と、セミョン・ベンディツキー[1908-1993]を、スヴェルドロフスク音楽院の教師として送り出しており、ほどなく結婚していたその2人の協力も得ることができました(下の画像は1934年にスヴェルドロフスク音楽院が開校した時のマランツとベンディツキー、ネイガウスの姿です)。


 こうしてネイガウスは、スヴェルドロフスクに関わる人々のおかげで、疎開中のキエフ音楽院の教授として働き、ウラル、シベリア地域でコンサート・ツアーをおこなうことも許可されています。
 ちなみにスヴェルドロフスクには、オイストラフやストリヤルスキー、ヤンポリスキー、シェバリーン、カバレフスキー、グリエール、グリンベルクなど有名な音楽家も疎開してきて教育活動に従事したほか、ギレリスやタマルキナが、疎開地をめぐるコンサート・ツアーの一環として訪れたりもしており、ネイガウスが、ツアーで滞在中のギレリスと4手演奏をすることもありました。

●7月、モスクワの東約2800キロにある安全なノヴォシビリスクに疎開していたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルがショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』を演奏。
●8月、ドイツ軍包囲下のレニングラードで、エリアスベルク指揮レニングラード交響楽団員と軍楽隊員がショスタコーヴィチ交響曲第7番『レニングラード』を演奏。

1943年(42歳) モスクワ音楽院教授
◆1月、赤軍、モスクワ攻防戦に勝利。
●3月、ソフロニツキー、ソ連政府よりスターリン賞(1等)授与。
◆ロシア正教会問題評議会が設立。
◆9月、スターリンとロシア正教会の首脳たちがクレムリンで会見を開き、教会宥和政策を発表。これにより、総主教制の復活、神学校や神学大学の再開、教会機関誌「モスクワ総主教庁ジャーナル」も復刊されることとなり、「戦闘的無神論者同盟」の解散も決定。
1944年(43歳) モスクワ音楽院教授
◆1月、赤軍、レニングラードを解放。
●7月、ソフロニツキーとも親しかった義妹でフランスに移住していた詩人のアリアドナ・スクリャービナ[1905-1944]が、フランス人により機関銃で虐殺。アリアドナはトゥールーズでレジスタンス仲間のラウル・レオンと2人でいるところを、2人のフランス人民兵に捕らえられ、レオンがその場で空き瓶を投げて民兵の気をそらし逃げようとしたところ、至近距離から機関銃で銃撃。レオンは何とか逃げ延びたものの、アリアドナは虐殺されてしまいます。トゥールーズは3週間後に連合軍により解放されているので、悲運としか言いようのない義妹の死でした。アリアドナはソ連時代にはモスクワ音楽院に通っており、ソフロニツキー夫妻とは仲が良く、ソフロニツキー夫妻のパリ滞在が長かったのもアリアドナとの交流の結果でした。



1945年(44歳) モスクワ音楽院教授
◆1月、赤軍、ワルシャワを解放。
●7月、ソフロニツキー、政府の要請により、ギレリスらと共にポツダム会談の場であるベルリン郊外のツェツィーリエン宮殿で演奏。イギリスからはグリラー弦楽四重奏団、アメリカからはユージン・リスト、スチュアート・カニン(のちに小澤征爾の指名でサンフランシスコ響のコンサートマスターに就任)などが派遣されていました。


◆12月、NKVDのトップ交替。クルグロフがベリヤの後任として内務人民委員に就任。クルグロフはベリヤの部下として、エジョフ派の大量粛清や、チェチェン、イングーシ人の弾圧、ウクライナ民族主義運動活動家の粛清もおこなっていた人物。

1946年(45歳) モスクワ音楽院教授
●ソフロニツキー、ヴァレンティナ・ニコライエヴナ・ドゥシノヴァ[1921-1964]と結婚。ソフロニツキーより20歳若い妻でした。
●12月、ソフロニツキー、ソ連政府よりレーニン賞授与。


◆NKVDの後継としてソ連内務省(MVD)発足。クルグロフが初代内務大臣として1952年11月まで6年間在任するものの、任期なかばから内務省の権限が国家保安省に大幅に移行され収容所管轄省のような状態になったため、1952年にベリヤが国家保安省を内務省に統合、みずから第2代内務大臣となりますが、翌1953年6月にフルシチョフにより逮捕(半年後に処刑)されたため、クルグロフが大臣に復帰。翌1954年には内務省から分離してKGBが発足、1956年1月にはクルグロフがフルシチョフにより解任、以後、左遷ののち1960年に党から除籍されています。
◆2月、第4次5カ年計画(1946-1950)開始。農業が1948年までに戦前の水準となり、工業も1949年までに戦前の規模を回復。

1947年(46歳) モスクワ音楽院教授
◆9月、コミンフォルム設立。スターリンに次ぐ存在でもあったアンドレイ・ジダーノフ[1896-1948]がスターリンの名のもとに組織したもので、ヨーロッパ各国の共産党との交流・調整を目的とし、アメリカのマーシャル・プランに対抗します。
◆12月、ソ連政府、通貨ルーブルを切り下げ。10分の1のデノミを実施。預金、国債などは優遇措置。

1948年(47歳) モスクワ音楽院教授
◆2月、ジダーノフ批判。西側コスモポリタニズムを批判し、文化全般についても社会主義リアリズムを重視した方針で統制することをコミンフォルム設立者のジダーノフが宣言。もともとプロレタリア芸術から発展した社会主義リアリズム芸術は、反コスモポリタニズムの視点から反ユダヤ的な方向にも展開しやすく、文学、演劇、音楽、美術、映画などに大きな影響力を持つこととなります。スターリンの死と共に迫害は収まるものの、正式に統制が解除されたのは1958年5月のことでした。ちなみにジダーノフは宣言の半年後、モスクワで52歳で急死しています。
●4月、ソ連作曲家同盟第1回総会開催。34歳のフレンニコフ[1913-2007]が書記長に選出。以後、フレンニコフは43年間に渡ってその地位を守り続けました。
◆5月、イスラエル共和国建国。ソ連はすぐに独立国家として承認する一方、アメリカも承認したため、反共産主義キャンペーンを警戒し、ソ連在住ユダヤ人のイスラエルへの移住は認められませんでした。

1949年(48歳) モスクワ音楽院教授
●ソフロニツキー、ショパンの5回連続コンサートを開催。


◆ソ連政府、イスラエルの親米路線転向に反発し、反ユダヤ・キャンペーンを開始。新聞・雑誌などが大規模に参加。イディッシュ語の文学や演劇に関わる作家や詩人、演出家、俳優などの多くが逮捕。ロシア人であってもコスモポリタン的な人物は同じく逮捕。
◆イスラエルが国連に加盟。59番目の加盟国でした(日本は1956年、オーストリアは1955年、東西ドイツは1973年に加盟)。

1950年(49歳) モスクワ音楽院教授
◆3月、ソ連、為替をドル基準から金基準に変更。4ルーブル=1米ドルに引き上げ。

1951年(50歳) モスクワ音楽院教授

1952年(51歳) モスクワ音楽院教授

1953年(52歳) モスクワ音楽院教授
◆3月5日、スターリン死去。同日にプロコフィエフも自宅で脳出血で急死。プロコフィエフは1941年に妻リナと2人の子供を棄てて愛人ミラとの生活を選択、7年後の1948年にミラとの再婚が認められ、その5週間後にリナが強制労働収容所に送られていました。

◆3月、ウクライナ人、フルシチョフが最高指導者に。
◆6月、ベルリンで反ソ連暴動発生。ソ連軍が鎮圧するものの、この年だけで東ドイツから西ドイツへの流入は30万人を超えます。
◆7月、ジューコフ元帥が戦車部隊2個師団を率いてモスクワに入り、国家保安省本部を占拠、ベリヤとカガノーヴィチを逮捕。
◆12月、ベリヤ処刑(フルシチョフによる粛清)。
●ソフロニツキー、シューベルトの連続コンサートを開催。

1954年(53歳) モスクワ音楽院教授
●ソフロニツキー、レニングラードで演奏。これがモスクワ以外の場所での最後のコンサートとなりましおた。
◆3月、ソ連国家保安委員会(KGB)発足。初代議長はセーロフ。

1955年(54歳) モスクワ音楽院教授

1956年(55歳) モスクワ音楽院教授
◆2月、フルシチョフによる反スターリン演説。
◆6月、ポーランドのポズナニで反ソ暴動発生。ソ連軍が鎮圧。
◆10月、ハンガリーで反ソ暴動(ハンガリー動乱)。ソ連軍が鎮圧。

1957年(56歳) モスクワ音楽院教授
◆6月、反党グループ事件発生。反フルシチョフの最高幹部保守派らによるフルシチョフ解任に向けての政治運動。幹部会11人のうち7名が賛成してフルシチョフ解任動議が可決するものの、フルシチョフは中央委員会でなければ解任はできないと時間を稼いで抵抗、ジューコフ国防大臣とセーロフKGB議長の協力を得て、中央委員会を開催し、反対派を抑えることに成功、反対派幹部を政権から追放していました(ジューコフも11月に解任)。
◆6月、ウラル核惨事発生。ウラル山中の原爆用プルトニウム製造工場で、高レベル放射性廃棄物が爆発、周辺住民45万人が被ばく。カラチャイ湖はのちに埋め立て。
●9月、ソフロニツキー、コンサート活動に復帰。スクリャービンの作品からの2つのコンサート、シューマンの作品からの2つのコンサートなど。



1958年(57歳) モスクワ音楽院教授
◆6月、フルシチョフ、ブルガーニン首相を解任し、第1書記と首相を兼務。
◆12月、ソ連国家保安委員会(KGB)議長にシェレーピンが就任。前年にマレンコフらによるフルシチョフ解任計画をつぶして彼らを追放。フルシチョフに重用されKGB議長就任するものの、末期には寝返ってフルシチョフ解任に向けて活動していました。
●ソフロニツキー、クライバーンと会食。



1959年(58歳) モスクワ音楽院教授

1960年(59歳) モスクワ音楽院教授
●1月、ソフロニツキー、スクリャービン博物館でリサイタル。
●娘ヴィヴィアナ誕生。現在はカナダ国籍のピアニスト、チェンバリスト、オルガニスト。夫は楽器製作者のポール・マクナルティ[1953- ]。ヴィヴィアナは夫の製作したフォルテピアノによる演奏をメインに活動。ロシア語ではヴィヴィアナ・ヴラジーミロヴナ・ソフロニツカヤ。英語でヴィヴィアナ・ソフロニツキー。



1961年(60歳) モスクワ音楽院教授
●1月9日、ソフロニツキー、スクリャービン博物館での最後のコンサート。
●1月9日、ソフロニツキー、モスクワ音楽院小ホールでの最後のコンサート。
◆4月、元軍人で前大統領アイゼンハワーのキューバ対策を手ぬるいと批判していたケネディ大統領が、キューバ爆撃を指示、上陸作戦まで実施するものの失敗。
◆5月、ソ連軍、赤の広場のパレードで大陸間弾道弾を披露。


◆7月、フルシチョフにより東西ベルリンの境界閉鎖が決定。翌月、ホーネッカーの指揮でベルリンの壁建設開始。
●8月29日、ソフロニツキー、肝癌のためモスクワで死去。
●8月31日、ソフロニツキー、モスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬。


◆ソ連政府、通貨ルーブルを切り下げ。10分の1のデノミを実施。

1964年
●ヴァレンティナ・ニコラーエワ・ソフロニツカヤ(ドゥシノヴァ)未亡人、43歳で死去。4歳の娘ヴィヴィアナは、母方の祖母に育てられることになります。


【収録情報】

CD1
スクリャービン
1. 前奏曲 Op.13 No.1 ハ長調
2. 前奏曲 Op.11 No.2 イ短調
3. 前奏曲 Op.11 No.4 ホ短調
4. 前奏曲 Op.11 No.5 ニ長調
5. 前奏曲 Op.15 No.1 イ長調
6. 前奏曲 Op.9 No.1 嬰ハ短調
7. 前奏曲 Op.11 No.9 ホ長調
8. 前奏曲 Op.22 No.2 嬰ハ短調
9. 前奏曲 Op.11 No.16 変ロ短調
10. 前奏曲 Op.11 No.17 変イ長調
11. 前奏曲 Op.11 No.19 変ホ長調
12. 前奏曲 Op.11 No.20 ハ短調
13. 前奏曲 Op.11 No.21 変ロ長調
14. 前奏曲 Op.11 No.22 ト短調
15. 前奏曲 Op.11 No.23 ヘ長調
16. 前奏曲 Op.11 No.24 ニ短調
17. 詩曲 Op.52 No.1 ハ長調
18. 詩曲 Op.59 No.1
19. 詩曲 Op.51 No.3「翼のある詩曲」
20. 詩曲 Op.52 No.3「やつれの詩曲」
21. 詩曲 Op.63 No.1「仮面」
22. 詩曲 Op.36 「悪魔的詩曲」
23. 詩曲 Op.32 No.2 ニ長調
24. 詩曲 Op.32 No.1 嬰ヘ長調

「2つの詩曲」 Op.69
25. No.1
26. No.2

「2つの舞曲」 Op.73
27. 「暗い炎」Op.73 No.2
28. 「飾り」 Op.73 No.1
「2つの詩曲」 Op.71
29. No.1「おどけて」
30. No.2「空想して」

31. 小品Op.51 No.1「頼りなさ」
32. 小品 Op.45 No.1 「アルバムの一葉」
33. 悲劇的詩曲 Op.34
34. ワルツ 変イ長調 Op.38
35. 練習曲 Op.8 No.11 変ロ短調
録音:1960年1月8日 & 5月13日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

ピアノ・ソナタ第4番 Op.30 嬰ヘ長調
36. Andante; Prestissimo volando
録音:1960年5月13日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD2
スクリャービン
1. 前奏曲 Op.13 No.1 ハ長調
2. 前奏曲 Op.11 No.2 イ短調
3. 前奏曲 Op.13 No.3 ト長調
4. 前奏曲 Op.11 No.4 ホ短調
5. 前奏曲 Op.11 No.5 ニ長調
6. 前奏曲 Op.13 No.6 ロ短調
7. 前奏曲 Op.15 No.1 イ長調
8. 前奏曲 Op.9 No.1 嬰ハ短調
9. 前奏曲 Op.11 No.9 ホ長調
10. 前奏曲 Op.11 No.10嬰ハ短調
11. 前奏曲 Op.22 No.2嬰ハ短調
12. 前奏曲 Op.16 No.2 嬰ト短調
13. 前奏曲 Op.16 No. 5 嬰ヘ長調
14. 前奏曲 Op.16 No.4 変ホ短調
15. 前奏曲 Op.11 No.15変ニ長調
16. 前奏曲 Op.11 No.16 ロ短調
17. 前奏曲 Op.11 no.19 変ホ長調
18. 前奏曲 Op.11 No.21ロ長調
19. 前奏曲 Op.11 No.22 ト短調
20. 前奏曲 Op.11 No.24ニ短調
21. 詩曲 Op.52 No.1 ハ長調
22. 詩曲 Op.59 No.1
23. 詩曲 Op.51 No.3「翼のある詩曲」
24. 詩曲 Op.52 No.3 ロ長調「やつれの詩曲」
25. 詩曲 Op.63 No.1「仮面」
26. 悪魔的詩曲 Op.36ハ長調
27. ピアノ・ソナタ第9番 Op.68「黒ミサ」
28. 詩曲 Op.69 No.1
29. 詩曲 Op.69 No.2
30. 舞曲 Op.73 No.2「暗い炎」
31. 舞曲 Op.73 No.1「飾り」
32. ピアノ・ソナタ第10番 Op.70「トリル・ソナタ」
33. 小品 Op.51 No.1「頼りなさ」
34. 小品 Op.45 No.1 変ホ長調「アルバムの一葉」
35. 練習曲 Op.42 No.5 嬰ハ短調
36. マズルカOp.40 No.2 嬰ヘ長調
37. 練習曲 Op.8 No.12 嬰ニ短調
録音:1960年2月2日 (ライヴ), Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD3
スクリャービン
ピアノ・ソナタ第3番 Op.23 嬰ヘ短調「心理状態」
1. I Drammatico
2. II Allegretto
3. III & IV Andante; presto con fuoco

4. ピアノ・ソナタ第9番 Op.68「黒ミサ」
5. 詩曲 Op.59 No.1
6. 前奏曲 Op.74 No.1
7. 前奏曲 Op.74 No.3
8. 前奏曲 Op.74 No.4
9. ピアノ・ソナタ第5番 Op.53
10. ピアノ・ソナタ第8番 Op.66
11. 詩曲 Op.69 No.1
12. 詩曲 Op.32 No.1
13. 練習曲 Op.42 No.3
14. 練習曲 Op.42 No.4
15. 練習曲 Op.42 No.5
録音:1958年6月8日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD4
シューベルト
ピアノ・ソナタ イ短調 Op.143 D.784
1. Allegro giusto
2. Andante sostenuto
3. Allegro vivace

シューベルト(リスト編曲)
4. 「さすらい人幻想曲」ハ長調 Op. 15 D.760
5. 「白鳥の歌」から街
6. 「若い尼僧」 D.828
7. 「海辺にて」
8. 「春の想い」
9. 「水の上で歌う」
10. 「白鳥の歌」から「影法師」
11. 「魔王」 D328
録音:1953年12月25日(ライヴ), Tchaikovsky Concert Hall Moscow

CD5
ショパン
1. 夜想曲 Op. 37 No.2 ト長調

「24の前奏曲」 Op.28
2. 1. ハ長調
3. 2. イ短調
4. 3. ト長調
5. 4. ホ短調
6. 5. ニ長調
7. 6. ロ短調
8. 7. イ長調
9. 8. 嬰へ短調
10. 9. ホ長調
11. 10. 嬰ハ短調
12. 11. ロ長調
13. 12. 嬰ト短調
14. 13. 嬰へ短調
15. 14. 変ホ短調
16. 15. 変ニ長調「雨だれ」
17. 16. 変ロ短調
18. 17. 変イ長調
19. 18. へ短調
20. 19. 変ホ長調
21. 20. ハ短調「葬送」
22. 21. 変ロ長調
23. 22. ト短調
24. 23. ヘ長調
25. 24. ニ短調

26. マズルカ Op.67 No. 4 イ短調
27. マズルカ Op.6 No.3 ホ長調
28. マズルカ Op.41 No.2 ホ短調
29. マズルカ Op.17 No.1 変ロ長調
30. マズルカ Op.33 No.1 嬰ト短調
31. マズルカ Op.6 No.4 変ホ短調
32. マズルカ Op.63 No.1 ロ長調
33. マズルカ Op.63 No.2 へ短調
34. マズルカ Op.68 No.3 ヘ長調
35. マズルカ Op.68 No.1 ハ長調
36. ワルツ Op.70 No.2 へ短調
37. ワルツ Op.64 No.1 変ニ長調「子犬」
38. 「英雄ポロネーズ」変イ長調 Op.53
録音:1949年11月21日 (1951年?) (ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire



CD6
ショパン
1. 夜想曲 Op.48 No.1ハ短調
2. ワルツ Op.64 No.3 変イ長調
3. マズルカ Op.33 No.3 ハ長調
4. 夜想曲 Op.9 No.2 変ホ長調
5. 練習曲 Op.25 No.3 ヘ長調「車輪」
6. マズルカ Op.68 No.2 イ短調
録音: 1949年11月21日 (1951年?)

7. 幻想曲 Op.49へ短調
8. 夜想曲 Op.27 No.2 変ニ長調
9. 舟歌 Op.60 嬰ヘ長調
10. マズルカOp.41 No.1嬰ハ短調
11. マズルカOp.30 No.4 嬰ハ短調
12. マズルカOp.50 No.3 嬰ハ短調
13. マズルカOp.30 No.3 変ニ長調
14. マズルカ Op.68 No.2 イ短調
15. 「3つの新しい練習曲」から No.2 変イ長調
録音:1949年10月20日 (ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire

CD7
ボロディン
「小組曲」
1. 1. 尼僧院にて 嬰ハ短調「大聖堂の円天井の下で少女は神を思うことはない」
2. 2. 間奏曲 ヘ長調 「彼女は外の世界を夢見る」
3. 3. マズルカ ハ長調「彼女は踊りなど考えもしない」
4. 4. マズルカ 変ニ長調「彼女は踊りと踊る人を考える」
5. 5. 夢 変ニ長調「彼女は踊る人など考えもしない」
6. 6. セレナード 変ニ長調「彼女は愛の調べを夢見る」
7. 7. 夜想曲 変ト長調「少女は満ち足りた愛によって眠りに就く」

リャードフ
8. 前奏曲 Op.46 No.1変ロ長調
9. 前奏曲 Op.39 No.2 ハ短調
10. 前奏曲 Op.36 No.3ト長調

ラフマニノフ
11. 前奏曲 Op.23 No.4 ニ長調
12. 前奏曲 Op.32 No.5 ト長調
13. 絵画的練習曲「音の絵」Op.39 No.4 ロ短調

スクリャービン
14. 練習曲 Op.42 No.2嬰へ短調
15. 練習曲 Op.42 No.3 嬰ヘ長調
16. ピアノ・ソナタ第4番 Op.30 嬰ヘ長調

プロコフィエフ
「束の間の幻影」Op.22から
17. No.1
18. No.2
19. No.3
20. No.7
21. No.11

カバレフスキー
ソナチネ Op.13 No.1 ハ長調
22. Part I
23. Part II
24. Part III

ボリス・ゴルツ(1913 ? 1942)
25. スケルツォ

メンデルスゾーン
26. 練習曲 イ短調

ドビュッシー
27. 「風変わりなラヴィーヌ将軍」

ショパン
28. 練習曲 Op.10 No.5 変ト長調

スクリャービン
29. 詩曲 Op.32 No.1嬰へ長調
30. 前奏曲 Op.11 No.13 変ト長調
31. 前奏曲 Op.11 No.14 変ホ短調
32. 前奏曲 Op.39 No.4変イ長調
33. 前奏曲 Op.31 No.3 変ホ短調
34. 練習曲 Op.8 No.10変ニ長調

ラフマニノフ
35. 前奏曲 Op.32 No.12 嬰ト短調
録音:1954年6月11日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD8
スクリャービン
ピアノ・ソナタ第3番 Op.23 嬰ヘ短調「心理状態」
1. Drammatico
2. Allegretto
3. Andante
4. Presto con fuoco

5. 練習曲 Op.8 No.1嬰ハ長調
6. 練習曲 Op.8 No.2 嬰へ短調
7. 練習曲 Op.42 No.2 嬰へ短調
8. 練習曲 Op.8 No.4 ロ長調
9. 練習曲 Op.8 No.5 ホ長調
10. 練習曲 Op.8 No.8 変イ長調
11. 練習曲 Op.8 No.7 変ロ短調
12. 練習曲 Op.8 No.10 変ニ長調
13. 練習曲 Op.8 No.11変ロ短調
14. 練習曲 Op.8 No.12 嬰ニ短調r

「2つの詩曲」 Op.32
15. 第1曲 嬰ヘ長調
16. 第2曲 ニ長調r

17. ピアノ・ソナタ第4番 Op.30 嬰ヘ長調(Andante; Prestissimo volando)
18. 小品 Op.51 No.1「頼りなさ」
19. 小品Op.45 No.1 変ホ長調「アルバムの一葉」
20. マズルカ Op.25 No.3 ホ短調
21. 練習曲 Op.42 No.5 嬰ハ短調
22. 前奏曲Op.11 No.10 嬰ハ短調
23. 前奏曲Op.11 No.13 変ト長調
24. 前奏曲Op.22 No.1 嬰ト短調
25. 前奏曲Op.22 No.2嬰ハ短調
26. 前奏曲Op.17 No.5 へ短調
録音:1952年1月30日(ライヴ), Great Hall of the Leningrad Philharmonia

CD9
プロコフィエフ
「年老いた祖母の物語」Op.31
1. Moderato
2. Andantino
3. Andante assai
4. Sostenuto

録音:1st January 1946(ライヴ)

「束の間の幻影」から
5. 1 Lentamente
6. 2 Andante
7. 3 Allegretto
8. 4 Animato
9. 5 Molto giocoso
10. 6 Con eleganza
11. 7 Pittoresco (Arpa)
12. 11 Con vivacita
13. 10 Ridicolosamente
14. 12 Assai moderato
15. 17 Poetico
16. 18 Con una dolce lentezza

「サルカズム」(風刺)Op.17
17. I Tempestoso
18. II Allegro rubato
19. III Allegro precipitato
20. IV Smanioso
21. V Precipitosissimo

22. 「おとぎ話」 Op.3 No.1
録音:1955年4月10日

ショスタコーヴィチ
23. 前奏曲とフーガ Op.87 No.9 ホ長調
24. 前奏曲とフーガ Op.87 No.3 ト長調

スクリャービン
25. マズルカOp.25 No.3 ホ短調
26. マズルカOp.25 No.8ロ長調
27. 練習曲 Op.42 No.4嬰ヘ長調
28. 練習曲 Op.42 No.5 嬰ハ短調
29. 詩曲 Op.51 No.3「翼のある詩曲」
30. 詩曲 Op.63 No.1「仮面」
31. 詩曲 Op.71 No.2
32. 練習曲 Op.8 No.1嬰ハ長調
33. 前奏曲 Op.16 No.4変ホ短調
34. 前奏曲 Op.11 No.14 変ホ短調
35. 前奏曲 Op.33 No.2 嬰ヘ長調
36. 前奏曲 Op.31 No.3 変ホ短調
37. 前奏曲 Op.31 No.4 ハ長調
38. 前奏曲 Op.17 No.5 へ短調
録音:1955年6月11日



CD10
プロコフィエフ
1. 「伝説」 Op.12 No.6

録音:9th February 1957

ピアノ・ソナタ第7番 Op.87 変ロ長調
2. Allegro inquieto
3. Andante caloroso
4. Precipitato

「年老いた祖母の物語」 Op.31
5. 1. Moderato in D minor
6. 2. Andantino in F sharp minor
7. 3. Andante assai in E minor
8. 4. Sostenuto in B minor

9. ピアノ・ソナタ第3番 Op.28 イ短調
録音: 1955年6月11日
.
シューベルト
10. 即興曲 Op.142 No.2変イ長調
11. 即興曲 Op.90 No.3 変ト長調
録音:1960年

「楽興の時」 D.780 Op 94
12. I.モデラート ハ長調
13. II.アンダンティーノ 変イ長調
14. III.アレグロ・モデラート へ短調
15. IV.モデラート 嬰ハ短調
16. VI.アレグレット 変イ長調
17. V.アレグロ・ヴィヴァーチェ へ短調
録音:1959年or 1956年12月25日

CD11
モーツァルト
1. 幻想曲ハ短調 KV.396
録音:1952/53年or 1960年10月11日(ライヴ)??

2. 幻想曲ハ短調KV.475

ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第14番 Op.27 嬰ハ短調「月光」
3. Adagio sostenuto
4. Allegro
5. Presto agitato

ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
6. Maestoso
7. Arietta: Adagio molto semplice e cantabile

リスト
8. 「詩的で宗教的な調べ」
9. 「忘れられたワルツ」第1番 嬰ヘ長調
10. 「2つの演奏家用練習曲」から「小人の踊」s145-2

スクリャービン
11. 詩曲「焔に向かって」 Op.72
録音:1952年2月3日(ライヴ)Great Hall of the Leningrad Philharmonia

CD12
シューマン
幻想曲 Op.17 ハ長調
1. 全く幻想的に、情熱的に弾くこと - 昔語りの調子で - 初めのテンポで
2. 中庸に。全く精力的に - ややゆっくりと - 極めて活発に
3. ゆっくり弾くこと。常に静けさをもって - やや活発に

リスト
4. 「巡礼の年第2年:イタリア」から「ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲」 S.161
ショパン
5. 夜想曲 Op.27 No.1 ハ短調
6. 夜想曲 Op.27 No.2 変ニ長調
7. 即興曲 Op.51 変ト長調
8. マズルカOp.30 No.4嬰ハ短調
9. バラード Op.47 No.3 変イ長調

ドビュッシー
10. 前奏曲集第2集から「枯葉」
11. 前奏曲集第2集から「カノープ」
12. 「子供の領分」から「人形へのセレナーデ」

リャードフ
13. 「音楽玉手箱」(おどけたワルツ) Op. 32
録音:1952年1月28日, Great Hall of the Leningrad Philharmonia

CD13
シューベルト
ピアノ・ソナタ第23番 変ロ長調 D.960
1. Molto moderato
2. Andante sostenuto
3. Scherzo
4. Allegro ma non troppo

シューベルト(リスト編曲)
5. Litania (Am Tage Aller Seelen)

リスト
6. ピアノ・ソナタ ロ短調
録音:1960年10月11日, Small Hall of the Moscow Conservatoire



CD14
シューベルト(リスト編曲)
1. 「美しき水車小屋の娘」から「水車職人と小川」
2. 「白鳥の歌」から「住処」
3 「魔王」
4. 「春の想い」
5. 「白鳥の歌」から「影法師」
録音:1960年10月11日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

スクリャービン
6. 前奏曲 Op.67 No.1

「2 つの舞曲」 Op.73
7. 舞曲 Op.73 No.2「暗い炎」
8. 舞曲 Op.73 No.1「飾り」

9. ピアノ・ソナタ第5番, Op.53 嬰ヘ長調
10. 詩曲 Op.32 No.1 嬰ヘ長調
録音:1955年1月4日(ライヴ), Great Hall of Moscow Conservatoire

シューベルト(リスト編曲)
11. 「ウィーンの夜会」から第7曲「ワルツ・カプリス」

リスト
「巡礼の年第2年:イタリア」
12. ペトラルカのソネット第123番
13. ペトラルカのソネット第104番

ハイドン
ピアノ・ソナタ第50番 ニ長調 Hob.XVI/37
14. Allegro con brio
15. Largo e sostenuto
16. Presto ma non troppo

スクリャービン
17. 練習曲 Op.8 No.11変ロ短調
18. 前奏曲 Op.33 No.2 嬰ヘ長調
19. 詩曲Op.52 No.2 変ニ長調「謎」
録音:1957年1月19日

CD15
ベートーヴェン
1. 「アンダンテ・ファヴォリ」 WoO 57ヘ長調

ピアノ・ソナタ第23番 Op.57 へ短調「熱情」
2. Allegro assai
3. Andante con moto
4. Allegro ma non troppo

ショパン
5. バラード Op.47 No.3 変イ長調

リスト
6. 「詩的で宗教的な調べ」
7. 忘れられたワルツ第1番 嬰ヘ長調
8. メフィスト・ワルツ第2番

ショパン
9. 練習曲 Op.10 No.3 ホ長調
10. 練習曲 Op.10 No.4 嬰ハ短調

リスト
11. 「巡礼の年第2年:イタリア」からペトラルカのソネット第104番
12. 「2つの演奏家用練習曲」から「小人の踊」 s145-2
録音:1960年10月22&28日(ライヴ), Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD16
リスト
1. ピアノ・ソナタ ロ短調

シューベルト(リスト編曲)
2. 「美しき水車小屋の娘」から「水車職人と小川」
3. 「白鳥の歌」から影法師
4. 「水の上で歌う」
5. 「魔王」

シューマン
ピアノ・ソナタ第1番 Op.11 嬰ヘ短調
6. 1. Un poco adagio; Allegro vivace
7. 2. Aria: Senza passione ma espressivo
8. 3. Scherzo: Allegrissimo
9. 4. Finale: Allegro un poco maestoso
録音:1948年1月5日(ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire

CD17
シューベルト
ピアノ・ソナタ第23番 変ロ長調 D.960
1. Molto moderato
2. Andante sostenuto
3. Scherzo: Allegro vivace con delicatezza
4. Allegro ma non troppo

ショパン
5. マズルカ Op.41 No.2ホ短調
6. マズルカ Op.33 No.4 ロ短調
7. マズルカ Op.33 No.3 ハ長調
8. マズルカ Op.50 No.3嬰ハ短調
9. マズルカ Op.41 No.1 嬰ハ短調
10. マズルカ Op.63 No.2 へ短調
11. マズルカ Op.30 No.4 嬰ハ短調
12. マズルカ Op.30 No.3 変ニ長調
13. 前奏曲 Op.28 No.16変ロ短調
14. 前奏曲 Op.28 No.18 へ短調
15. ワルツ Op.69 No.2 ロ短調
16. ワルツ Op.70 No.1 変ト長調
17. ワルツ Op.70 No.2 へ短調
18. ワルツ Op.70 No.3 変ニ長調

スクリャービン
19. マズルカ Op.40 No.2嬰へ長調
20. マズルカ Op.25 No.3 ホ短調
21. ワルツ Op.38変イ長調
録音:1956年3月7日(ライヴ)



CD18
ショパン
ピアノ・ソナタ第3番 Op.58 変ロ短調
1. Allegro maestoso
2. Scherzo: Molto vivace
3. Largo. (Finale not recorded)

スクリャービン
4. マズルカOp.40 No.1 変ニ長調
5. マズルカ Op.40 No.2 嬰へ長調

ショパン
6. 練習曲 Op.10 No.6変ホ短調
7. 練習曲 Op.10 No.9 へ短調
8. 練習曲 Op.25 No.3 ヘ長調
9. 練習曲 Op.25 No.4 変ホ短調
10. 3つの新しい練習曲からNo.2 変イ長調
11. マズルカ Op.41 No.4 変イ長調
12. マズルカ Op.41 No.1 嬰ハ短調
13. マズルカ Op.7 No.3 へ短調
14. マズルカ Op.33 No.1 嬰ト短調
15. マズルカ Op.63 No.1 ロ長調
16. マズルカ Op.30 No.4 嬰ハ短調
録音:1956年12月2日

ドビュッシー
17 映像第1集より「水の反映」
18. 前奏曲 イ短調
19. 「子供の領分」から「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
録音:1954年12月29日

20. 「子供の領分」から「人形へのセレナーデ」
21. 前奏曲第1集から No.12 ミンストレル
22. 前奏曲第2集から No.6 奇人ラヴィーヌ将軍
23. 前奏曲第2集から No.22 カノープ
24. 前奏曲第2集からNo.24 花火
録音:1956年5月31日

CD19
シューベルト
1. 即興曲 Op.90 No.3 変ト長調
2. 即興曲 Op.90 No.4 変イ長調
録音:1948年1月5日(ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire

メンデルスゾーン
3. 「厳格な変奏曲」 Op.54 ニ短調
録音:1950年1月31日(ライヴ)

ショパン
4. バラード Op.47 No.3 変イ長調
録音:1942年7月14日

5. マズルカ Op.30 No.4 嬰ハ短調
録音:1947年1月1日
6. ワルツ Op.64 No.1 変ニ長調「子犬」
録音:1946/1956年?

7. ポロネーズ Op.44
録音:1948年1月5日(ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire

8. ポロネーズ 嬰ハ短調 Op.26 No.1
録音:1948年

9. ポロネーズ Op.26 No.1 嬰ハ短調
録音:1946年1月1日

10. 練習曲 Op.10 No.6 変ホ短調
録音:1948年10月2日

11. 練習曲 Op.10 No.3 ホ長調
録音:1953年7月6日

12. 夜想曲 Op.37 No.2 ト長調
録音:1949年11月21日(ライヴ)

CD20
シューマン
ピアノ・ソナタ第1番 Op.11 嬰ヘ短調
1. 1. Un poco adagio; Allegro vivace
2. 2. Aria: Senza passione ma espressivo
3. 3. Scherzo: Allegrissimo
4. 4. Finale: Allegro un poco maestoso

5. ロマンス Op.28 No.1 変ロ短調
6. ロマンス Op.28 No.2 嬰ヘ長調
7. ロマンス Op.28 No.3 ロ長調

メトネル
8. ノヴェレッテ Op.17 No.2 ハ短調

ラフマニノフ
9. 「楽興の時」から Op.16 No.5 変ニ長調
10. 絵画的練習曲「音の絵」 Op.39 No.6 イ短調
11. 絵画的練習曲「音の絵」Op.39 No.5 変ホ短調

スクリャービン
12. 詩曲 Op.52 No.3 ロ長調「やつれの詩曲」
13 詩曲 Op.51 No.3「翼のある詩曲」
14. 練習曲 Op.42 No.4 嬰ヘ長調
15. 前奏曲 Op.11 No.10 嬰ハ短調
16. 練習曲 Op.42 No.5 嬰ハ短調
録音:1958年7月5日

CD21
ベートーヴェン
1. 「アンダンテ・ファヴォリ」 WoO 57 ヘ長調

ピアノ・ソナタ第32番 Op.111 ハ短調
2. Maestoso
3. Arietta

メトネル
4. ピアノ・ソナタ第3番 Op.11 ハ長調
5. 「おとぎ話」 Op.26 No.1変ホ長調
6. 「おとぎ話」 Op.26 No.3 へ短調
7. 「おとぎ話」 Op.14 No.2 ト長調
録音:1956年6月14日

8. Idyll Op.7 No.1 ロ短調
録音:1956年6月29日

ラフマニノフ
9. 前奏曲 Op.32 No.5 ト長調
10. 前奏曲 Op.32 No.12 嬰ト短調
11. 楽興の時 Op.16 No.3 ロ短調
12. 楽興の時 Op.16 No.2 変ホ短調
録音:1956年6月14日

シューベルト
ピアノ・ソナタ イ短調 Op.143 D.784
13. Allegro giusto
14. Andante
15. Allegro vivace
録音:1956年6月31日



CD22
ショパン
1. 夜想曲 Op.15 No.3ト短調
2. 夜想曲 Op.37 No.2 ト長調
3. バラード Op.52 No.4 へ短調
録音:1958年7月20日

4. 夜想曲 Op.9 No.2 変ホ長調
5. 夜想曲 Op.15 No.1 ヘ長調
6. 夜想曲 Op.15 No.2 嬰ヘ長調
7. 前奏曲 Op.28 No.14 変ホ短調
8. 前奏曲 Op.28 No.15変ニ長調
9. 前奏曲 Op.28 No.16 変ロ短調
10. 前奏曲 Op.28 No.17 変イ長調
11. 前奏曲 Op.28 No.18 へ短調
12. 前奏曲 Op.28 No.21 変ロ長調
13. 前奏曲 Op.28 No.22 ト短調

スクリャービン
14. 前奏曲 Op.39 No.1嬰ヘ長調
15. 前奏曲 Op.39 No.2 ニ長調
16. 前奏曲 Op.39 No.3ト長調
17. 前奏曲 Op.39 No.4 変イ長調
18. ピアノ・ソナタ第4番 Op.30 嬰ヘ長調(Andante; Prestissimo volando)
録音:1960年7月18日

スクリャービン
19. 幻想曲 Op.28 ロ短調
20. 小品 Op.51 No.1「頼りなさ」
21. 小品 Op.45 No.2 ハ長調「幻想的詩曲」
22. 練習曲 Op.49. No.1 変ホ長調
23. 前奏曲Op.49 No.2 ヘ長調
24. 小品Op.49 No.3 ハ長調「夢想」
25. 小品Op.57 No.1 ハ長調「欲望」
26. 小品 Op.57 No.2「舞い踊る愛撫」
録音: 1960年7月22日

CD23
ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第15番 Op.28 ニ長調「田園」
1. Allegro
2. Andante
3. Scherzo: Allegro vivace
4. Rondo: Allegro ma non troppo

5. 「アンダンテ・ファヴォリ」 WoO 57ヘ長調
録音:1952/53年

ピアノ・ソナタ第14番 Op.27 嬰ハ短調「月光」
6. Adagio sostenuto
7. Allegro
8. Presto agitato
録音:1956年12月9日

ピアノ・ソナタ第23番 Op.57 ヘ短調「熱情」
9. Allegro assai
10. Andante con moto
11. Allegro ma non troppo
録音:1957年10月12日

CD24
ショパン
1. バラード Op.23 No.1ト短調

シューベルト(リスト編曲)
2. 「美しき水車小屋の娘」から「水車職人と小川」
3. 「水の上で歌う」
4. 「白鳥の歌」から「影法師」

リスト
5. 忘れられたワルツ第1番 嬰ヘ長調
6. 「超絶技巧練習曲」から「鬼火」
7. 「2つの演奏家用練習曲」から「小人の踊」s145-2
録音:1955年6月25日

ベートーヴェン
ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
8. Maestoso
9. Arietta
録音:1946/1956年?

シューベルト
10. 即興曲Op.90 No.1 ハ短調
録音:1953年

CD25
シューマン
1. アラベスク Op.18
2. ピアノ・ソナタ第3番より第3楽章
録音:1956年2月29日

3. クライスレリアーナ Op.16
録音:1956年6月25日

「色とりどりの小品」から Op.99
4. 3つの小品 第1曲
5. 3つの小品 第2曲
6. 3つの小品 第3曲
7. 5つの音楽帳 第1曲
8. 5つの音楽帳 第2曲
9. 5つの音楽帳 第3曲
10. 5つの音楽帳 第4曲
11. 5つの音楽帳 第5曲r
録音:1958年7月26日

12. ノヴェレッテ Op.21 No.7ホ長調
13. ノヴェレッテ Op.21 No.8 嬰ヘ短調
録音:1958年6月25日

ラフマニノフ
14. 絵画的練習曲「音の絵」Op.33 No.2 ハ長調
録音:1958年7月26日

CD26
シューマン
1. アラベスク Op.18

「クライスレリアーナ」 Op.16
2. 激しく躍動して
3. たいへん心をこめて速すぎずに
4. 激しく駆り立てるように〜いくぶんゆっくりと
5. きわめて遅く〜いくぶん動きをもって
6. 非常に生き生きと
7. きわめて遅くいくぶん動きをもって
8. 非常に速く〜さらに速く
9. 速くそして遊び心をもって
録音:1952年

10. 幻想小曲集 Op.12 No.1「夕べに」

「謝肉祭」Op.9
11. 1. 前口上
12. 2. ピエロ
13. 3. 道化役者(アルルカン)
14. 4. 高貴なワルツ
15. 5. オイゼビウス
16. 6. フロレスタン
17. 7. コケット
18. 8. 返事
19. 9. 蝶々
20. 10. A.S.C.H. - S.C.H.A: 踊る文字
21. 11.キアリーナ
22. 12.ショパン
23. 13.エストレラ
24. 14.回り逢い
25. 15.パンタロンとコロンビーヌ
26. 16.ワルツ・アルマンド、間奏曲
27. 17.告白
28. 18.プロムナード
29. 19.休憩
30. 20.フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進
録音:1959年

CD27
スクリャービン
1. 前奏曲 Op.35 No.2 変ロ長調
2. 前奏曲 Op.35 No.1 変ニ長調
3. 前奏曲 Op.37 No.1 変ロ短調
4. ピアノ・ソナタ第6番 Op.62
5. マズルカOp.25 No.3 ホ短調
6. ピアノ・ソナタ第10番 Op.70「トリル・ソナタ」
7. 舞曲 Op.73 No.2「暗い炎」
8. 前奏曲 Op.74 No.2 (Tres lent contemplatif)
録音:1961年1月7日

9. ピアノ・ソナタ第8番 Op.66
録音:1960年12月24日

スクリャービン
10. ピアノ・ソナタ第5番 Op.53
録音:1955年4月27日

ピアノ・ソナタ第3番 Op.23 嬰へ短調「心理状態」
11. I. Drammatico
12. II. Allegretto
13. III & IV Andante; Presto con fuoco
録音:1958年9月12日?(ライヴ), Great Hall of the Moscow Conservatoire

CD28
スクリャービン
ピアノ・ソナタ第3番 Op.23 嬰へ短調「心理状態」
1. Drammatico
2. Allegretto
3. Andante
4. Presto con fuoco

5. 詩曲 Op.32 No.2 ニ長調
録音:1946年1月1日

6. 詩曲Op.44 No.1 ハ長調
7. 小品Op.52 No.2 変ニ長調「謎」
8. 小品 Op.56 No.2 ハ長調「皮肉」r
9. 小品 Op.57 No.1 ハ長調「欲望」
10. 詩曲 Op.72「焔に向かって」
録音:1946年

11. マズルカ Op.25 No.3 ホ短調
12. マズルカ Op.40 No.2 嬰ヘ長調
13. 即興曲 Op.14 No.2 嬰へ短調
録音:1948年

14. ポロネーズ Op.21 変ロ短調
録音:1950年11月3日

15. マズルカ Op.3 No.6 嬰ハ短調
16. マズルカ Op.3 No.9 嬰ト短調
17. マズルカ Op.25 No.8 ロ長調
録音:1952年

18. マズルカ風即興曲 Op.2 No.3 ハ長調
19. マズルカ Op.25 No.7 嬰へ短調
20. 詩曲 Op.44 No.2 ハ長調
録音:1953年

21. 前奏曲 Op.11 No.1 ハ長調
22. 前奏曲 Op.11 No.3 ト長調
23. 前奏曲 Op.11 No.6 ロ短調
24. 前奏曲 Op.11 No.7 イ長調
25. 前奏曲 Op.11 No.8 嬰へ短調
26. 前奏曲 Op.11 No.11 ロ長調
27. 前奏曲 Op.11 No.12 嬰ト短調
28. 前奏曲 Op.11 No.13 変ト長調
29. 前奏曲 Op.11 No.17 変イ長調
30. 前奏曲 Op.11 No.20 ハ短調
録音: 1951年2月(ライヴ)



CD29
スクリャービン
24の前奏曲 Op11
1. 1. ハ長調
2. 2. イ短調
3. 3. ト長調
4. 4. ホ短調
5. 5. ニ長調
6. 6. ロ短調
7. 7. イ長調
8. 8. 嬰へ短調
9. 9. ホ長調
10. 10. 嬰ハ短調
11. 11. ロ長調
12. 12. 嬰ト短調
13. 13. 変ト長調
14. 14. 変ホ短調
16. 16. 変ロ短調
17. 17. 変イ長調
18. 18. へ短調
19. 19. 変ホ長調
20. 20. ハ短調
21. 21. 変ロ長調
22. 22. ト短調
23. 23. ヘ長調
24. 24. ニ短調

25. 前奏曲 Op.13 No.1 ハ長調
26. 前奏曲 Op.16 No.2 嬰ト短調
27. 前奏曲 Op.16 No.4 変ホ短調
28. 前奏曲 Op.16 No.5 嬰ヘ長調
29. 前奏曲 Op.17 No1 ニ短調
30. 前奏曲 Op.17 No.3 変イ長調
31. 前奏曲 Op.17 No.4 変ロ短調
32. 前奏曲 Op.17 No.6 変ロ長調
33. 前奏曲 Op.22 No.1 嬰ト短調
34. 前奏曲 Op.22 No.2 嬰ハ短調
35. 前奏曲 Op.22 No.3 ロ長調
36. 前奏曲 Op.22 No.4 変ロ短調
37. 前奏曲 Op.27 No.1 ト短調
38. 前奏曲 Op.27 No.2 ロ長調
39. 前奏曲 Op 31 No.1 変イ長調
40. 前奏曲 Op.31 No.2 嬰へ短調
41. 前奏曲 Op.31 No.3 変ホ短調
42. 前奏曲 Op.31 No.4 ハ長調
43. 前奏曲 Op.33 No.1 ホ長調
44. 前奏曲 Op.33 No.2 嬰ヘ長調
45. 前奏曲 Op.33 No.3 ハ長調
46. 前奏曲 Op.37 No.1 変ロ短調
47. 前奏曲 Op.37 No.2 嬰ヘ長調
48. 前奏曲 Op.37 No.3 ロ長調
49. 前奏曲 Op.37 No.4 ト短調
50. 前奏曲 Op.39 No.4 変イ長調
51. 前奏曲 Op.49 No.2 ヘ長調
52. 前奏曲 Op.49 No.3 ハ長調「夢想」
53. 前奏曲 Op.74 No.2 (Tres lent contemplatif)
54. 前奏曲 Op.74 No.4 (Lent vague indecis)
録音:1957/1959年

CD30
シューベルト
ピアノ・ソナタ変ロ長調 D.960
1. Molto moderato
2. Andante sostenuto
3. Scherzo
4. Allegro ma non troppo
録音:1956年1月25日

シューベルト(リスト編曲)
5. 「美しき水車小屋の娘」から「水車職人と小川」
6. 「魔王」
7. 「万霊節のための連禱」
8. 「春の想い」
9. 「白鳥の歌」から「影法師」
10. 「白鳥の歌」から「住処」
録音:1960年

メンデルスゾーン
11. 「厳格な変奏曲」 Op.54 ニ短調
録音:1952/53年

CD31
ラフマニノフ
1. 前奏曲 Op.23 No.1 嬰へ短調
2. 前奏曲 Op.23 No.4 ニ長調
3. 前奏曲 Op.23 No.6 変ホ長調
4. 前奏曲 Op.32 No.3 ホ長調
5. 前奏曲 Op.32 No.12 嬰ト短調
6. 楽興の時 Op.16 No.2 変ホ短調
7. 楽興の時 Op.16 No.3 ロ短調
8. 楽興の時 Op.16 No.5 変ニ長調
録音:1946年

9. 絵画的練習曲「音の絵」Op.33 No.8 ト短調
10. 絵画的練習曲「音の絵」Op.39 No.4 ロ短調
11. 絵画的練習曲「音の絵」Op.39 No.6 イ短調
録音:1946年1月1日

12. 前奏曲 Op.3 No.2 嬰ハ短調
録音:1949年

13. 絵画的練習曲「音の絵」Op.39 No.5 変ホ短調
録音:1951年9月10日

14. 絵画的練習曲「音の絵」Op.33 No.2 ハ長調
録音:1951年10月6日

15. 前奏曲 Op.32 No.5 ト長調r
録音:1960年

メトネル
16. 「おとぎ話」 Op.20 No.2 ロ短調
録音:1947年

グラズノフ
17. 前奏曲 変ニ長調 Op.49 No.1
18. 前奏曲とフーガ イ短調 Op.101 No.1
録音:1952年

CD32
シューマン
交響的練習曲 Op.13
1. Theme
2. Etude 1
3. Variation I (Posth.)
4. Etude 2
5. Etude 3
6. Etude 4
7. Etude 5
8. Variation IV (Posth)
9. Etude 6
10. Etude 7
11. Variation II (Posth)
12. Variation V (Posth)
13. Etude 8
14. Etude 9
15. Etude 10
16. Etude 11
17. Finale: Etude 12
録音:1959年

「色とりどりの小品」から Op.99
18. Nicht schnell mit Innigkeit
19. Sehr rasch
20. Frisch
録音:1953年4月6日(ライヴ)

「謝肉祭」 Op.9
21. 1. 前口上
22 2. ピエロ
23. 3. 道化役者(アルルカン)
24. 4. 高貴なワルツ
25. 5. オイゼビウス
26. 6. フロレスタン
27. 7. コケット
28. 8. 返事
29. 9. 蝶々
30. 10. A.S.C.H. - S.C.H.A: 踊る文字
31. 11.キアリーナ
32. 12.ショパン
33. 13.エストレラ
34. 14.回り逢い
35. 15.パンタロンとコロンビーヌ
36. 16.ワルツ・アルマンド
37 17.間奏曲
38. 18.告白
39. 19.プロムナード
40. 20.休憩
41. 21.フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進
録音:1950年11月28日(ライヴ)

CD33
ボロディン
「小組曲」
1. 1. 尼僧院にて 嬰ハ短調「大聖堂の円天井の下で少女は神を思うことはない」
2. 2. 間奏曲 ヘ長調 「彼女は外の世界を夢見る」
3. 3. マズルカ ハ長調「彼女は踊りなど考えもしない」
4. 4. マズルカ 変ニ長調「彼女は踊りと踊る人を考える」
5. 5. 夢 変ニ長調「彼女は踊る人など考えもしない」
6. 6. セレナード 変ニ長調「彼女は愛の調べを夢見る」
7. 7. 夜想曲 変ト長調「少女は満ち足りた愛によって眠りに就く」
録音:1950年

リスト
8. われらの主イエス・キリストの変容の祝日に S.188
9. 灰色の雲 変ロ長調 S.199
録音:1956年12月25日

10. B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ
録音:1959年8月17日

11. 「巡礼の年第1年:スイス」から「牧歌」
録音:1952年7月23日(ライヴ)

「巡礼の年第2年:イタリア」から
12. 婚礼
13. 物思いに沈む人
14. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
録音:1949年3月9日(ライヴ)

15. ペトラルカのソネット第123番
録音:1952年7月23日(ライヴ)

スクリャービン
ピアノ・ソナタ第1番 Op.6 へ短調
16. Funebre; Quasi niente
録音:1958年(ライヴ)

ピアノ・ソナタ第9番 Op.68「黒ミサ」
17. Moderato quasi andante
録音:1958年9月12日, Small Hall of the Moscow Conservatoire

CD34
スクリャービン
ピアノ・ソナタ第2番 Op.19 嬰ト短調「幻想ソナタ」
1. Andante
2. Presto
3. Andante
4. Prestissimo volando
録音:1960年7月12日(ライヴ)

ピアノ・ソナタ第3番 Op.23 嬰へ短調「心理状態」
5. Drammatico
6. Allegretto
7. Andante
8. Presto con fuoco
録音:1961年

9. 幻想曲 Op.28 ロ短調
録音:1959年

ピアノ・ソナタ第2番 Op.19 嬰ト短調「幻想ソナタ」
10. Andante
録音:1960年1月1日

11. 幻想曲 Op.28 ロ短調
録音:1959年4月24日

*収録曲ならびに収録曲順が変更になる場合がありますがご了承ください。




商品説明:年表シリーズ

指揮者
アルヘンタ
オッテルロー
ガウク
カラヤン
クイケン
クーセヴィツキー
クチャル
クラウス
クレツキ
クレンペラー
ゴロワノフ
サヴァリッシュ
シューリヒト
スラトキン(父)
ターリヒ
チェリビダッケ
ドラゴン
ドラティ
バルビローリ
バーンスタイン
パレー
フェネル
フルトヴェングラー
ベイヌム
メルツェンドルファー
モントゥー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー
ロスバウト

鍵盤楽器
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伝説のフランスの弦楽四重奏団

作曲家
アンダーソン
ベートーヴェン
ヘンツェ
坂本龍一

シリーズ
テスタメント国内盤

ユーザーレビュー

総合評価

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最高です。今までソフロ二ツキ―のCDを集め...

投稿日:2020/05/11 (月)

最高です。今までソフロ二ツキ―のCDを集め続けてきたのでダブってしまうのを躊躇して控えていたけど、買って良かった。約3分の1は初出かも。録音状態いまいちのものやピアノの調律がくるっているもの数多し。しかしそのようなものの中に完全燃焼の演奏が数多くあった。例えばスクリャービンのソナタ第2番。1楽章のみのCDは今までもあった(このセットにも含まれている)が別演奏の全楽章録音有。ピアノの状態と録音もよくないのだが演奏は異次元。

usanyan さん | DENMARK | 不明

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