CD 輸入盤

セルゲイ・クーセヴィツキーの芸術(40CD)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
ARTIS020
組み枚数
:
40
レーベル
:
:
Korea
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


クーセヴィツキーの芸術(40CD)

過激なチャイコフスキー第5番や、やりたい放題の『悲愴』、作曲者も絶賛したシベリウス、どこまでも熱いブラームス、不思議な『ツァラトゥストラ』など面白い演奏にこと欠かない往年の大指揮者、クーセヴィツキーは、『展覧会の絵』ラヴェル版、バルトークのオケコン、トゥーランガリラ交響曲といった傑作が誕生するきっかけをつくったことでも有名。
 1874年ロシア帝国に生まれたクーセヴィツキーは、若いころはコントラバス奏者として活躍していましたが、ベルリンでニキシュに師事して指揮者に転向、以後、1924年にボストン交響楽団の音楽監督に就任すると25年に渡って辣腕を振るい、バーンスタインに最も影響を与えた人物としても知られることとなります。
 その芸風は、推進力に富む柔軟なテンポによる力強く華麗なもので、コントラバス10人の大編成オーケストラ・サウンドに、ときにポルタメントまで駆使する表現の振幅の大きさが魅力ともなっています。
 クーセヴィツキーは1951年に亡くなっているため、遺された録音はすべてモノラルですが、そうした古い音からもボストン交響楽団を鼓舞した熱演の様子は伝わってきますし、バーンスタインに影響を与えた独特の情熱的な芸風をチェックできるという意味でもそれらの音源は資料性の高いものと言えるかもしれません。
 今回、韓国のARTISから登場する40枚組ボックスは、1929年から1950年にかけて収録された音源を集めたもので、RCAへの録音を中心に、EMI、SONYへの録音とライヴ音源から構成される大規模で興味深い内容となっています。


【クーセヴィツキー・プロフィール】
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クーセヴィツキーは、1874年7月26日、モスクワとサンクトペテルブルクの中間付近にある古都、ヴイシュニー・ヴォロチョークのユダヤ系音楽一家に誕生。
 幼いころからヴァイオリン、チェロ、ピアノ、トランペットを演奏していたクーセヴィツキーは、本格的に音楽の勉強をしようとしますが、当時のモスクワはユダヤ教徒の移住を受け入れていなかったため、クーセヴィツキーはルター派プロテスタントに改宗、さらに奨学金を得るために、進学希望のモスクワの学校で残っていた奨学金対象科目であるコントラバスを選択。18歳の時に、モスクワで開かれた電気の博覧会の会場でピアノを演奏するラフマニノフ[1873-1943]と出会い、以後、半世紀に渡って交流することとなります。

コントラバス奏者
1894年、20歳の時にボリショイ劇場管弦楽団の楽員として演奏するようになり、1896年にはコントラバス独奏者としての活動も開始、1901年には首席奏者に任命されています。
 1902年、ラフマニノフと共にバイロイトを訪れ、ワーグナー未亡人達から迎えられて『指環』『パルジファル』『オランダ人』を鑑賞。同年、友人の作曲家グリエール[1875-1956]にコントラバス作品の作曲を依頼し、自身もコントラバス協奏曲を作曲。さらに同年には、ボリショイ劇場バレエ・ダンサーのナデージダ・ガラートと結婚してもいます。
 1903年、ベルリンでリサイタルを開催し、コントラバスの名手としての評価を獲得。同年、ラフマニノフがボリショイ劇場の指揮者となり、その指揮のもとで演奏するうち、クーセヴィツキーは指揮者になる意思を固めます。


大富豪の娘との出会い
1905年、ナデージダと離婚したのち、クーセヴィツキーに好意を寄せていた紅茶商人ウシコフの娘ナターリア[1880-1942]と再婚。大富豪の莫大な財力を得たクーセヴィツキーは、ボリショイ劇場管弦楽団を辞し、ナターリアと共にベルリンに向かいます。

ベルリン時代
1905年、クーセヴィツキーはアルトゥール・ニキシュ[1855-1922]を経済的に支援して指揮の指導を受け、1907年にはベルリンの音楽院のオーケストラを相手に指揮者デビューしています。その間、マーラーと親しかった指揮者オスカー・フリート[1871-1941]のもとで、グリエールと共に指揮を学んだこともありました。ちなみにこの時期にグリエールが作曲した交響曲第2番は、のちにベルリンで初演をおこなったクーセヴィツキーに献呈されています。
 1906年から1908年にかけて、ベルリンを皮切りに、ウィーン、ライプツィヒ、ブダペスト、ミュンヘン、ロンドン、パリ、プラハ、ストックホルムなどでコントラバス・リサイタルをおこない、1908年にはコロンヌ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団の演奏会にソリストとして登場していました。
 また、クーセヴィツキーは1908年にはベルリン・フィルを雇って演奏会を開催、友人のラフマニノフと共演して成功を収め、以後のベルリン・フィル客演にも繋げたほか、直後にロンドンも訪れて、同じくラフマニノフとクーセヴィツキーのコンビで成功を収めていました。
 1909年には楽譜出版社「ロシア音楽エディション」もベルリンで設立。スクリャービン、ラフマニノフ、メトネル、ストラヴィンスキーなどの作曲家の版権を得て出版し、ロシア音楽が演奏会でとりあげられるよう努めます。これには当時のロシアの楽譜出版社での作曲家の待遇の低さや、西側出版社とロシア作曲家の不平等な関係などが背景にあったようです(ユルゲンソン社とチャイコフスキー、ベッセル社とムソルグスキー、ベリャーエフ没後のスクリャービンとベリャーエフ社、ラフマニノフとグーテイル社等)。


モスクワで自前のオーケストラ結成
1909年、クーセヴィツキーはナターリアとモスクワに戻り、1911年、自身のオーケストラ「クーセヴィツキー管弦楽団」を結成、ヴォルガ川の蒸気船をチャーターしてロシア各地でオーケストラ演奏会やコントラバス演奏会を開き、それまでオーケストラに接したことのない人々にも音楽を届けました。クーセヴィツキーによる組織的な啓蒙活動のはしりといえるかもしれません。ちなみに最初はスクリャービンも参加していたというこの蒸気船ツアーは第1次世界大戦が始まるまで続けられました。

サンクトペテルブルク・フィル常任指揮者
1917年にロシア革命が起き、レーニンやトロツキーなど多くのユダヤ人を中心に初期のソヴィエト政権が確立、サンクトペテルブルク・フィル(のちペトログラード・フィル→レニングラード・フィル→サンクトペテルブルク・フィルと改名)も宮廷管弦楽団から改組されて国営組織となり、初代の常任指揮者としてクーセヴィツキーが選ばれています。しかしその後もソヴィエト国内では戦乱が続き、集団政策の失敗から数百万規模の餓死者も出るなど状況は悪化、さらに政府も様相を変え、秘密警察が暗躍するようになったこともあってクーセヴィツキーはソヴィエトを去ることを決意、1920年にはナターリアと共に、第1次世界大戦が終わって平和になったパリに移ります。

パリ時代
戦争が終わって活気を取り戻したパリは、芸術文化の隆盛によって「狂騒の20年代」を迎えていました。豊富なアイデアと潤沢な資金を持っていたクーセヴィツキーとナターリアは、「コンセール・クーセヴィツキー」という演奏会シリーズを企画して開催、ラヴェル編曲による『展覧会の絵』、ストラヴィンスキーの『管楽器のための交響曲』、オネゲルの『パシフィック231』、プロコフィエフの交響曲第2番などの委嘱新作を、クーセヴィツキーの指揮で上演して成功を収めています。このシリーズ企画は、1924年のクーセヴィツキー渡米後も夏季に開催され、1929年までさまざまな作品を取り上げることとなります。


ボストン交響楽団の窮状
1924年、ピエール・モントゥー[1875-1964]の後任を探していたボストン交響楽団は、フランス人関係者から「コンセール・クーセヴィツキー」の評判を聞き、エージェントをパリに派遣してクーセヴィツキーに音楽監督への就任を要請、了承したクーセヴィツキーはナターリアと共にアメリカに渡ります。
 その頃のアメリカは、第1次世界大戦の協商国側・同盟国側のどちらとも取引していたおかげで、「債務国」から「巨大債権国」へと転換を遂げ「黄金の20年代」真っ只中にありましたが、ボストン交響楽団は事情が違いました。
 戦争当事者両サイドを相手に利益を上げていたアメリカは、開戦から3年目の1917年、対独世論の悪化からドイツに宣戦布告したのですが、そのことによって発生した問題がまだ尾を引いていました。
 宣戦布告の翌年、ボストン交響楽団のドイツ人音楽監督カール・ムック[1859-1940]が『星条旗』の演奏を拒否したことが原因で当局から睨まれ、さらにラジオを持っていたことでスパイとして逮捕されてしまったほか、同じくドイツ人の楽員18人もドイツ人ということでオーケストラから解雇されてしまいます。
 戦争が終わった後も、アメリカ楽壇はそうした反ドイツ主義を拡大、それまで長く続いた「親ドイツ」から、「親フランス」へと一気に転じて行きます。
 カール・ムックの後任に選ばれたフランス人のアンリ・ラボー[1873-1949]は、指揮者ではなく作曲家で、フォーレがパリ音楽院院長を引退することが決まると、すぐにフランス戻ってパリ音楽院院長に就任する道を選択。その後20余年に渡って院長を務めたラボーは、「モダニズムは敵」と標榜していた人物でもあり、第2次世界大戦の際、ユダヤ人たちを絶滅収容所に移送するための中継点となるドランシー収容所に送るためフランス政府が制定した反ユダヤ立法に従い、パリ音楽院の職員と学生のユダヤ人リストを提出していたことでも知られています。
 ラボーの後任は、優秀なフランス人指揮者のピエール・モントゥーでしたが、戦時に大量欠員となったボストン交響楽団を埋めた人材は質が高いとは言い難かったようで、コンサートマスター解任やストライキ、楽員32人の大量退団など深刻な労使問題を抱えることとなります。

音楽監督就任
このような環境で音楽監督に就任したクーセヴィツキーの当初の契約期間は3年でしたが、さまざまな施策によって成功をおさめ、延長に次ぐ延長となり、実に25年間に及ぶ長期運営となりました。
 経験豊富なクーセヴィツキーのとった運営施策は、チケット収入、録音収入、放送収入、教育収入という4つの軸を基本としたものでした。
 まず演奏会プログラムを、委嘱新作も交えたうえで、ロシア、フランス、独墺系などを巧みにバランスさせた曲目構成として集客力をアップし、さらに音楽祭を開催することでオーケストラ稼働日を増加、チケット収入を増やして楽員報酬も増額、技量の劣る楽員は解雇し、結果としてオーケストラの演奏能力も向上してさらなるチケット収入の向上に繋げました。
 そうした土台となる条件に、レコード会社との密接な関係構築によるレコーディング収入の増加や、演奏会の中継による放送局からの収入が加わり、さらに、教育・啓蒙活動を充実させ学生を集めて収入を得るなど、多岐に渡る方法でオーケストラの運営状態を改善していきました。


レコードと放送
1920年代初頭に本格化したアメリカのラジオ放送の音質は、真空管を使用することでそれまでのレコードの主流だった「アコースティック録音」を大きく上回ることとなり、なおかつ広告収入で利益を上げるため、利用者の運用コストも安いという特徴を持っていました。そうした条件もあって、音楽ファン向けの放送番組も徐々に増え始めた結果、当時のアメリカのレコード業界は大打撃を受け、戦争特需のもたらした好景気のさなかにも関わらず、1921年から1925年の5年間でレコード出荷金額は半分にまで落ちるという事態に陥っています。
 そうした状況を打破すべくレコード会社が導入したのがウェスタン・エレクトリック社によって開発された「電気録音」で、記録方法はそれまでと同じくディスクにダイレクトに音を刻むというスタイルながら、マイクロフォンと真空管の使用により、大幅な音質向上を実現することに成功、さらに放送番組そのものにもレコードが使用されることで宣伝にも繋がるということから、レコードと放送の関係が深化して行くことにもなります。
 クーセヴィツキーと放送の関係は、1926年にボストン交響楽団との演奏会をNBC(National Broadcasting Company)が中継したことで始まり、プロコフィエフ本人と共演したピアノ協奏曲第3番や、スクリャービンの交響曲第3番、リストのファウスト交響曲、ブラームスのドイツ・レクィエムのほか、クラーサ、タンスマン、バッハ、ヴィヴァルディ、ヒンデミット、バルトーク、イベール、ラヴェル、ストラヴィンスキー、レスピーギ、ウォルトン、シベリウス等々なんでも取り上げる貪欲さで、改めてそのレパートリーの広大さを示しました。
 2年後の1928年には、クーセヴィツキーはVictorでレコーディングを開始。Victorは翌1929年に、NBCを傘下に持つRCA(Radio Corporation of America)によって買収されたため、以後のボストン交響楽団とのレコード制作は、RCA Victorのためにおこなわれたものが殆どということになります(RCA VictorがRCAへと名称変更したのは1968年)。
 RCA以外では、米COLUMBIAへの録音があったほか、BBC交響楽団とロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した録音はHMVがおこなっていました。また、数多く遺されたライヴ録音については、クーセヴィツキーの没後、複数のレーベルからリリースされていました。


25年間で100を超える委嘱作
クーセヴィツキーが25年間で初演した作品は100を超えますが、ボストン交響楽団創立50周年の1931年は特に委嘱作品が多く、ストラヴィンスキーの『詩篇交響曲』、オネゲルの交響曲第1番、プロコフィエフの交響曲第4番、ルーセルの交響曲第3番、ハンソンの交響曲第2番、ウィリアム・シューマンの『アメリカ祝典序曲』など壮観でした。
 また、1942年からは、新たに設立されたクーセヴィツキー財団から多くの作曲家に新作を委嘱することとなり、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』、メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』、ブリテンの『ピーター・グライムズ』、コープランドの交響曲第3番、マルチヌーの交響曲第1番、オネゲルの交響曲第5番など数多くの傑作が登場しています。

大富豪の土地寄贈で音楽祭スタート
1936年、クーセヴィツキーとボストン交響楽団は、バークシャー郡ホルムウッドのヴァンダービルト家の敷地で開催された「バークシャー・シンフォニック・フェスティヴァル」に招かれて演奏。3回のコンサートで1万5千人を集める盛況ぶりだったことから、近くのタングルウッドに住むタッパン家は、クーセヴィツキーとボストン交響楽団に85万平方メートルに及ぶ土地を寄贈することとなります。
 翌1937年8月には同地で大きなテントを設営して「タングルウッド音楽祭」を開催しますが、雷雨に見舞われ何度か演奏を中断するトラブルもあり、すぐにコンサートホール建設を計画。予算の問題から1938年に完成したホールはオーケストラの背面のみに壁を設置した3面開放型の建物となりましたが、5,121席に及ぶ客席の先は、そのまま芝生という環境となってかえって評判となり、戦時を除いて毎年多くの聴衆を集めることに成功しています。
 1940年、クーセヴィツキーは、タングルウッド音楽祭の企画の一部としてバークシャー音楽センターを設立して教育も開始。当初はクーセヴィツキーや楽員たちが指導にあたる夏期講習プログラムというかたちでスタートし、のちに有名音楽家を招いた教育プログラムとして大きな人気を集めることとなります。
 初年度の生徒にはバーンスタインがいました。バーンスタインはクーセヴィツキーから大きな影響を受け、1955年に誕生した息子には、クーセヴィツキーの名前と自分の名前を足して「アレクサンダー・サージ・レナード」と名付けてもいます。ちなみにクーセヴィツキーの名前はもともとはキリル文字表記のセルゲイ・アレクサンドロヴィチ・クーセヴィツキーで、ベルリンではセルゲイ(Sergej Kussewitsky)、フランスではセルジュ(Serge Koussevitzky)という表記でしたが、アメリカではフランスでのスペルをそのまま使ってサージ(Serge Koussevitzky)としていました。これはボストン響音楽監督に着任した当時のアメリカ楽壇の空気が「親ドイツ」から「親フランス」に転じていたためと思われます。


帰化と引退、死
さまざまな形でアメリカ楽壇に貢献してきたクーセヴィツキーですが、1940年に制定された外国人登録法は大きな懸念材料となったため、1941年、ナターリアと共にアメリカに帰化。前年には、ボストン交響楽団の委嘱により、アメリカ国歌『星条旗』をオーケストラ編曲したストラヴィンスキー[1882-1971]が、ボストン警察に逮捕されるという事件も発生していました。
 1942年、妻ナターリアが死去。1943年、バルトーク[1881-1945]に作曲を委嘱。完成期限なしの前払いという好条件で病床のバルトークを元気づけ、1944年には『管弦楽のための協奏曲』が完成、バルトークは白血病の身ながら初演に向けてのリハーサルにも参加。初演後に終楽章コーダを書き換えていますが、クーセヴィツキーの録音はその前におこなわれているため最初の形のコーダとなっています。
 1946年、オリヴィエ・メシアン[1908-1992]に作曲を委嘱。1948年に『トゥーランガリラ交響曲』が完成。その間、1947年に妻ナターリアの姪、オルガ(オリガ)・ナウモワ[1901-1978]と結婚。オルガは、18年間クーセヴィツキー夫妻と共に暮らして秘書役を務めた人物で、バーンスタインやコープランドとも親交がありました。
 1949年4月、弟子バーンスタインへの委嘱作である交響曲第2番『不安の時代』を初演、同年8月、タングルウッド音楽祭で指揮を終えたのち、健康問題からボストン交響楽団音楽監督の辞任を発表。10月には後任のフランス人指揮者、シャルル・ミュンシュが着任。
 1950年5月、パリでフランス国立放送管弦楽団を指揮してベートーヴェンの第九を演奏。同年6月、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベートーヴェンの第九を演奏。
 同年7月、インディアナ州のゲーテ・リンク天文台で新たに発見された小惑星が、クーセヴィツキーにちなんで『1799クーセヴィツキー』と命名。
 同年8月、ハリウッドボウル管弦楽団を指揮してホロヴィッツ独奏でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏。ボストン交響楽団と『ピーターと狼』を録音。
 同年9月、ロサンジェルス・フィルとチャイコフスキーの交響曲第5番と『ロメオとジュリエット』ほかを演奏。
 同年11月、ボストン交響楽団とシベリウスの交響曲第2番とグリーグの「過ぎた春」を録音。
 1951年6月4日ボストンで死去、タングルウッドのあるバークシャー郡レノックスの墓地に埋葬されました。(HMV)


【収録情報】

Disc1
● ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.55『英雄』
ボストン交響楽団
録音:1945年10月29-30日

● ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 Op.36
ボストン交響楽団
録音:1938年12月3日、1939年4月12日

Disc2
● ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 Op.67『運命』
ボストン交響楽団
録音:1944年11月23,27日

● ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
ボストン交響楽団
録音:1936年12月30日

Disc3
● ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125『合唱付き』
ジャニーヌ・ミショー、ソランジュ・ミシェル、ジョルジュ・ジュアテ、シャルル・カンボン フランス国立放送管弦楽団
録音:1950年5月25日
Theatre des Champs-Elysees, Paris

Disc4-5
● チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
ボストン交響楽団
録音:1949年3月11日

● チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
ボストン交響楽団
録音:1943年11月6日

● チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74『悲愴』
ボストン交響楽団
録音:1946年2月9日

Disc6
● ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68
ボストン交響楽団
録音:1945年2月17日

● ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73
ボストン交響楽団
録音:1945年11月10日

Disc7
● ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 Op.90
ボストン交響楽団
録音:1946年10月8日

● ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98
ボストン交響楽団
録音:1944年4月29日

Disc8
● モーツァルト:交響曲第26番 ホ変長調 KV 184
ボストン交響楽団
録音:1946年1月22日

● モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 KV 201
ボストン交響楽団
録音:1937年12月22日

● モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 KV 550
ボストン交響楽団
録音:1934年9月4月5日

Disc9
● モーツァルト:交響曲第34番 ハ長調 KV 338
ボストン交響楽団
録音:1940年3月17-18日

● モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 KV 425『リンツ』
ボストン交響楽団
録音:1946年7月17日

● モーツァルト:交響曲第39番 ホ変長調 KV 543
ボストン交響楽団
録音:1943年12月18日
Disc10
● ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 WAB108
ボストン交響楽団
録音:1947年12月30日


Disc11
● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番 ヘ長調 BWV 1046
ボストン交響楽団
録音:1949年8月17日

● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調 BWV 1047
ボストン交響楽団
録音:1946年8月13-14日

● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調 BWV 1048
ボストン交響楽団
録音:1945年8月14日

Disc12
● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調 BWV 1049
ボストン交響楽団
録音:1945年8月13-14日

● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV 1050
ボストン交響楽団
録音:1946年8月13-14日

● バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調 BWV 1051
ボストン交響楽団
録音:1947年8月14日

Disc13
● バッハ:管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV 1066
ボストン交響楽団
録音:1947年8月14日

● バッハ:管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV 1067
ボストン交響楽団
録音:1945年8月14日

● バッハ:管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV 1068
ボストン交響楽団
録音:1945年8月13日

● バッハ:管弦楽組曲第4番 ニ長調 BWV 1069
ボストン交響楽団
録音:1946年8月13-14日

Disc14
● コレッリ:弦楽のための組曲 (ピネッリ編)
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1942年2月22日

● ラヴェル:『ダフニスとクロエ』組曲第2番
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1942年2月22日

● ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1942年2月22日

Disc15
● ドビュッシー:『海』
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1942年3月1日

● チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
録音:1942年3月1日

Disc16
● ハイドン:交響曲第92番 ト長調 『オックスフォード』
ボストン交響楽団
録音:1950年8月14日

● ハイドン:交響曲第94番 ト長調 『驚愕』
ボストン交響楽団
録音:1929年4月22,24日

● ハイドン:交響曲第102番 変ロ長調
ボストン交響楽団
録音:1936年12月29日

● ハイドン:交響曲第88番 ト長調〜第4楽章
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1934年9月4日

Disc17
● R.シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』Op.30
ボストン交響楽団
録音:1935年1月22日

● フォーレ:『ペレアスとメリザンド』組曲 Op.80から
ボストン交響楽団
録音:1945年4月24日

Disc18
● メンデルスゾーン:交響曲第4番 イ長調 Op.90『イタリア』
ボストン交響楽団
録音:1935年1月23日

● シューマン:交響曲第1番 ロ変長調 Op.38『春』
ボストン交響楽団
録音:1939年11月6日

● ハリス:交響曲第3番
ボストン交響楽団
録音:1939年11月8日

Disc19
● プロコフィエフ:交響曲第1番 ニ長調 Op.25『古典』
ボストン交響楽団
録音:1947年11月25日

● プロコフィエフ:交響曲第5番 ロ変長調 Op.100
ボストン交響楽団
録音:1946年2月6月7日

● プロコフィエフ:『ロメオとジュリエット』Op.64 (抜粋)
ボストン交響楽団
録音:1945年10月30日

Disc20
● プロコフィエフ:『3つのオレンジへの恋』組曲 Op.33 (抜粋)
ボストン交響楽団
録音:1929年4月22日

● プロコフィエフ:交響組曲『キージェ中尉』Op.60
ボストン交響楽団
録音:1937年12月22日

● プロコフィエフ:『3つのオレンジへの恋』組曲 Op.33 (抜粋)
ボストン交響楽団
録音:1936年12月20日

● プロコフィエフ:『ピーターと狼』Op.67
ボストン交響楽団
録音:1939年4月12日

● プロコフィエフ:交響曲第1番 ニ長調 Op.25『古典』
ボストン交響楽団
録音:1929年4月22日


Disc21
● シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43
ボストン交響楽団
録音:1935年1月24日

● シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82
ボストン交響楽団
録音:1936年12月29日

Disc22
● シベリウス:『ポホヨラの娘』op.49
ボストン交響楽団
録音:1936年5月6日

● シベリウス:『白鳥姫』組曲 Op.54〜「薔薇を持った乙女たち」
ボストン交響楽団
録音:1936年

● シベリウス:『タピオラ』op.112
ボストン交響楽団
録音:1939年11月7,8日

● シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 Op.105
BBC交響楽団
録音:1933年5月15日

Disc23
● シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43
ボストン交響楽団
録音:1950年11月29日

● グリーグ:『過ぎし春』 Op.34-2
ボストン交響楽団
録音:1950年11月29日

● シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D.759『未完成』
ボストン交響楽団
録音:1936年5月6日

Disc24
● チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
ボストン交響楽団
録音:1949年3月11日

● チャイコフスキー:弦楽セレナ―デ〜ワルツ
ボストン交響楽団
録音:1936年5月8日

● チャイコフスキー:序曲『1812年』Op.49
ボストン交響楽団
録音:1946年8月10日

Disc25
● チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64
ボストン交響楽団
録音:1944年11月22日

● チャイコフスキー:『フランチェスカ・ダ・リミニ』Op.32
ボストン交響楽団
録音:1946年4月19日

Disc26
● チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74『悲愴』
ボストン交響楽団
録音:1930年4月14-16日

● チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』
ボストン交響楽団
録音:1936年12月28日

Disc27
● ラフマニノフ:交響曲第3番 イ短調 op.44
ボストン交響楽団
録音:1947年

● ラフマニノフ:『死の島』Op.29
ボストン交響楽団
録音:1945年4月23日

● ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34
ボストン交響楽団
録音:1945年4月24日

Disc28
● ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
ボストン交響楽団
録音:1930年10月28-30日

● ムソルグスキー:『禿山の一夜』(R=コルサコフ版)
ボストン交響楽団
録音:1944年12月30日

● ムソルグスキー:『ホヴァーンシチナ』〜「モスクワ川の夜明け」
ボストン交響楽団
録音:1943-1948年

● リムスキー=コルサコフ:『ロシアの復活祭』序曲 Op.36
ボストン交響楽団
録音:1945年3月31日

Disc29
● ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番 ニ長調
録音:1947年3月4日
ボストン交響楽団

● バーバー:コマンド・マーチ
ボストン交響楽団
録音:1943年10月30日

● バーバー:交響曲第2番 Op.19
ボストン交響楽団
録音:1944年3月4日

Disc30
● ラヴェル:スペイン狂詩曲
ボストン交響楽団
録音:1945年4月23-25日

● ラヴェル:『マ・メール・ロワ』
ボストン交響楽団
録音:1947年10月29日

● ラヴェル:『ボレロ』
録音:1947年8月13日
ボストン交響楽団

● スクリャービン:『法悦の詩』 op.54
ボストン交響楽団
録音:1946年


Disc31
● ワーグナー:『ローエングリン』第1幕前奏曲
ボストン交響楽団
録音:1949年4月27日

● ワーグナー:『パルジファル』第1幕前奏曲
ボストン交響楽団
録音:1947年4月4日

● ワーグナー:『さまよえるオランダ人』序曲
ボストン交響楽団
録音:1947年4月4日

● ワーグナー:『パルジファル』〜「聖金曜日の音楽」
ボストン交響楽団
録音:1946年4月19日

● ワーグナー:『ジークフリート牧歌』
ボストン交響楽団
録音:1949年4月27日

Disc32
● ハンソン:交響曲第3番 イ短調 Op.63
ボストン交響楽団
録音:1939年

● コープランド:『アパラチアの春』
ボストン交響楽団
録音:1945年

● コープランド:『エル・サロン・メヒコ』
ボストン交響楽団
録音:1938年12月1日

Disc33
● ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』Op.24から
ボストン交響楽団
録音:1936年5月8日

● ベルリオーズ:『イタリアのハロルド』Op.16
ボストン交響楽団
録音:1944年11月28日

● ベルリオーズ:『ローマの謝肉祭』Op.9
ボストン交響楽団
録音:1944年11月22日

Disc34
● バルトーク:管弦楽のための協奏曲 BB 123
ボストン交響楽団
録音:1944年12月30日

● ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 ホ変長調 Op.70
ボストン交響楽団
録音:1946年8月10日

● リスト:メフィスト・ワルツ第1番
ボストン交響楽団
録音:1936年5月8日

Disc35
● ラヴェル:ボレロ
ボストン交響楽団
録音:1930年4月14日

● ラヴェル:『ダフニスとクロエ』第2組曲
ボストン交響楽団
録音:1944年11月22 &27日、1945年1月3日

● ラヴェル:『ラ・ヴァルス』
ボストン交響楽団
録音:1930年10月29-30日

● ドビュッシー:サラバンド
ボストン交響楽団
録音:1930年10月30日

● ムソルグスキー:『展覧会の絵』(抜粋)(ラヴェル編)
ボストン交響楽団
録音:1943年10月19日

Disc36-37
● ベートーヴェン:交響曲第3番 ホ変長調 Op.55『英雄』
ボストン交響楽団
録音:1934年9月7日

● ベートーヴェン:『エグモント』序曲
ボストン交響楽団
録音:1947年4月2日

● ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス Op.123
ジャネット・ヴリーランド(S)
アンナ・カスカス(A)
ジョン・プリーヴ(T)
ノーマン・コードン(Bs)
パワー・ビッグス(Org)
ハーヴァード・グリー・クラブ
ラドクリフ・コーラル・ソサエティ
ボストン交響楽団
録音:1938年12月3日

Disc38
● ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125『合唱付き』
フランシス・イーンド(S)
ユーニス・アルバーツ(Ms)
デイヴィッド・ロイド(T)
ジェイムズ、ピーズ(Bs)
バークシャー音楽祭合唱団
ボストン交響楽団
録音:1947年8月

Disc39
● ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 ホ変長調 Op.70
ボストン交響楽団
録音:1946年11月4日、1947年4月2日

● チャイコフスキー:幻想序曲『ロメオとジュリエット』
ボストン交響楽団
録音:1950年9月9日

● ブラームス:『大学祝典序曲』 Op.80
ボストン交響楽団
録音:1947年4月2日

Disc40
● ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98
ボストン交響楽団
録音:1938年11月30日、12月3日、1939年1月18日

● ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 Op.67 『運命』
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1934年9月3,4日

サージ(セルゲイ)・クーセヴィツキー(指揮)

ユーザーレビュー

総合評価

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

おすすめの商品