CD 輸入盤

ブラームス:交響曲全集、ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』、他 ギュンター・ヘルビヒ&ベルリン交響楽団、シュターツカペレ・ベルリン(5CD)

ブラームス(1833-1897)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BC0303305
組み枚数
:
5
レーベル
:
:
Germany
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


伝統様式による重厚なブラームスと「英雄」、他

ブラームス:交響曲全集、ベートーヴェン「英雄」、他 (5CD)
ギュンター・ヘルビヒ指揮ベルリン交響楽団、他


すべてエテルナのセッション録音。ブラームス全集は1978年と1979年、ベートーヴェン「英雄」は1982年のベルリン交響楽団との伝統様式の重厚な演奏。バレエ「プロメテウスの創造物」と「騎士バレエ」は、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏。こちらは1971年の録音で、39歳のヘルビヒ指揮による作品キャラに合わせた活気のある演奏が聴けます。

ドイツの名匠、ギュンター・ヘルビヒ
かつて東ドイツで活躍した指揮者には実力派が揃っていますが、ギュンター・ヘルビヒもそのひとりです。ヘルビヒはヘルマン・アーベントロートに師事し、最初の仕事もアーベントロートが音楽監督を務めていたワイマール国民劇場で得ています。

1956〜1966 劇場指揮者
1956年、ワイマール・ドイツ国民劇場の指揮者として契約。1948年に戦後ドイツで最初に再建された劇場。1962年にはベルリン郊外のポツダムにあるハンス・オットー劇場の音楽監督に就任。ヘルビヒは劇場指揮者を10年ほど務める一方で、ヘルマン・シェルヘン、アルヴィド・ヤンソンス、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指導を受け、コンサート指揮者に転向することになります。

1966〜1972 ベルリン交響楽団 指揮者
35歳の年に着任したベルリン交響楽団では、首席指揮者のクルト・ザンデルリング[1912-2011]と共に6年間働いています。ザンデルリングは、ショスタコーヴィチの友人で、1960年に東ドイツに来てからも親交が続いていたほか、マーラーの権威としても知られていたので、ヘルビヒにとっては得難い先輩同僚でした。

1972〜1977 ドレスデン・フィル 芸術監督
クルト・マズアの後任としてドレスデン市の音楽総監督&ドレスデン・フィルの芸術監督に就任。毎年、オーケストラと共に世界各地にツアーをおこなっており、日本にも来ています。また、クレンペラーの補佐としてニュー・フィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者になっていたザンデルリングの誘いで、ヘルビヒも1973年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に客演しており、以後、BBCとも仕事をするきっかけになっています。

1977〜1983 ベルリン交響楽団 首席指揮者
ザンデルリングが定年になったため、ベルリンから市の音楽総監督&ベルリン交響楽団首席指揮者として迎えられます。首席指揮者退任後のザンデルリングも頻繁に客演していたため、ベルリン交響楽団のコンサートはとても充実していました。

1977 新ホール建設の決定
戦争被害のため廃墟と化していたベルリンの演劇用ホール「シャウシュピールハウス」を、コンサート用のホールとして新たに建て替えることがに政府により決定し、1979年に工事が開始。ヘルビヒは喜び、ベルリン交響楽団が最優先で使えるよう政府との約束をとりつけ、1981年には工事中のホールで「工事現場コンサート」も開催。ヘルビヒがホールの使用条件にこだわった背景には、ドレスデン・フィル時代の苦労がありました。

1983 約束反故に対し抗議の辞任
10月、翌年に開場予定のシャウシュピールハウスの優先使用の約束が取り消され、単なる本拠地としての使用となったことに抗議してヘルビヒは辞任。これにより、SED (ドイツ社会主義統一党)から睨まれ、翌年、東ドイツを去ることになります。ちなみにベルリン交響楽団がシャウシュピールハウスを優先使用できるようになるのは、ドイツ再統一から2年が経過した1992年のことでした。

1984 アメリカに移住
ドラティの後、空席が3年間続いていたデトロイト交響楽団の音楽監督に就任。ミシガン州に居を構え、以後、トロント交響楽団、ハーグ・レジデンティ管弦楽団、ボルティモア交響楽団、ザールブリュッケン放送交響楽団、台湾フィルハーモニック、グラン・カナリア・フィルを中心に、世界各地のオーケストラを指揮。40年を経た今も現役です。

 ギュンター・ヘルビヒ 3タイトル同時発売

マーラー:交響曲第5、6、9番、他 (3CD+ボーナスCD)
ショスタコーヴィチ:交響曲第4、5、7、8、10番 (5CD)
◆ ブラームス:交響曲全集、ベートーヴェン「英雄」、他 (5CD)


 目次

◆ トラック・リスト (楽曲 & 演奏時間情報)
ブラームス:交響曲第1番 ベルリン交響楽団 (1978)
ブラームス:悲劇的序曲 ベルリン交響楽団 (1978)
ブラームス:交響曲第2番 ベルリン交響楽団 (1978)
ブラームス:交響曲第3番 ベルリン交響楽団 (1979)
ブラームス:交響曲第4番 ベルリン交響楽団 (1978)
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 ベルリン交響楽団 (1979)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 ベルリン交響楽団 (1982)
ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」全曲 SKB (1971)
ベートーヴェン:「騎士バレエ」全曲 SKB (1971)


◆ ヘルビヒ年表
193119321933193419351936193719381939194019411942194319441945194619471948194919501951195219531954195519561957195819591960196119621963196419651966196719681969197019711972197319741975197619771978197919801981198219831984198519861987198819891990199119921993199419951996199719981999200020012002200320042005200620072008200920102011201220132014201520162017201820192020202120222023

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 トラック・リスト (楽曲 & 演奏時間情報)


 ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 (46:23)


CD1 Track 1
第1楽章 Un poco sostenuto - Allegro - Meno allegro (14:20)
00:00〜03:04 序奏部 (03:04)

03:04〜06:35 呈示部 (03:31)
  03:04 第1主題
  05:09 第2主題
  05:54 小結尾

06:35〜09:42 展開部 (03:07)
  07:31 コラール「励め、我が弱き魂よ」

09:42〜13:05 再現部 (03:23)
  09:42 第1主題
  11:19 第2主題
  12:04 小結尾

13:05〜14:20 終結部 (01:15)

CD1 Track 2
第2楽章 Andante sostenuto (09:28)
00:00〜02:50 第1部 (A) (主部) (02:50)
  00:00 主題A1
  01:14 主題A2 (オーボエ)
  02:00 主題A1

02:50〜04:43 第2部 (B) (中間部) (01:53)

04:43〜09:28 第3部 (A) (主部) (04:45)
  04:43 主題A1
  06:28 主題A2 (ヴァイオリン)


CD1 Track 3
第3楽章 Un poco Allegretto e grazioso (04:59)
00:00〜01:43 第1部 (A) (01:43)
  00:00 主題A1
  01:03 主題A2
  01:29 主題A1

01:43〜03:28 第2部 (B) (01:45)

03:28〜04:13 第3部 (A) (00:45)
  03:28 主題A1

04:13〜04:59 終結部 (00:46)


CD1 Track 4
第4楽章 Adagio - Più Andante - Allegro non troppo, ma con brio - Più Allegro (17:36)
00:00〜05:07 序奏部 (05:07)
  02:53 ホルン
  04:06 コラール

05:07〜09:03 呈示部 (03:56)
  05:07 第1主題
  06:57 第2主題
  07:23 第3主題

09:03〜15:31 再現部 (06:28)
  09:03 第1主題
  11:45 序奏部
  13:26 第2主題
  13:55 第3主題

15:31〜17:36 終結部 (02:05)
  15:31 導入 (序奏部素材)
  16:17 結尾
  16:34 コラール

  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1978年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ブラームス:悲劇的序曲 ニ短調 Op.81 (13:21)


CD1 Track 5
00:00〜05:57 第1部 Allegro ma non troppo (05:57)

05:57〜08:35 第2部 Molto più moderato (02:38)

08:35〜13:21 第3部 Tempo primo ma tranquillo (04:46)

  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1978年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73 (40:45)


CD2 Track 1
第1楽章 Allegro non troppo (15:43)
00:01〜05:36 呈示部 (05:35)
  00:01 第1主題
  01:22 推移主題 (第1主題展開)
  02:28 第2主題
  03:35 小結尾 (第2主題展開)
05:36〜08:39 展開部 (第1主題展開) (03:03)
08:39〜12:57 再現部 (04:18)
  08:39 第1主題
  09:10 推移主題 (第1主題展開)
  10:03 第2主題
  11:06 小結尾 (第2主題展開)
12:57〜15:44 終結部 (第1主題展開) (02:47)

CD2 Track 2
第2楽章 Adagio non troppo (09:52)
00:00〜04:35 呈示部 (04:35)
  00:00 第1主題
  01:40 推移主題 (第1主題展開)
  02:33 第1主題
  03:03 第2主題
  04:13 小結尾 (第1主題展開)

05:18〜08:58 再現部 (03:40)
  05:18 第1主題
  07:28 推移主題 (第1主題展開)
  08:23 小結尾 (第1主題展開)

08:58〜09:52 終結部 (第1主題展開) (00:54)

CD2 Track 3
第3楽章 Allegretto grazioso (Quasi Andantino)-Presto ma non assai (05:30)
00:00〜01:11 第1部 (A) (01:11)

01:11〜02:52 第2部 (B) (01:41)

02:52〜03:38 第3部 (A) (00:46)

03:38〜04:32 第4部 (B) (00:54)

04:32〜05:30 第5部 (A) (00:58)


CD2 Track 4
第4楽章 Allegro con spirito (09:40)
00:00〜03:12 呈示部 (03:12)
  00:00 第1主題
  01:31 第2主題
  02:20 小結尾

03:12〜05:36 展開部 (02:24)

05:36〜08:00 再現部 (02:24)
  05:36 第1主題
  06:24 第2主題
  07:13 第3主題

08:00〜09:40 終結部 (01:40)
  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1978年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 Op.90 (34:41)


CD2 Track 5
第1楽章 Allegro con brio (10:43)
00:00〜03:13 呈示部 (03:13)
  00:00 基本動機
  00:06 第1主題
  01:32 第2主題
  02:23 小結尾

03:13〜05:47 展開部 (02:34)
  04:29 基本動機

05:47〜08:31 再現部 (02:44)
  05:47 基本動機
  05:56 第1主題
  07:01 第2主題
  07:37 小結尾

08:31〜10:43 終結部 (02:12)

CD2 Track 6
第2楽章 Andante (08:51)
00:01〜03:59 呈示部 (03:58)
  00:01 第1主題
  02:26 第2主題
  03:09 小結尾
  03:31 基本動機

03:59〜05:17 展開部 (01:18)

05:17〜07:47 再現部 (02:30)
  05:17 第1主題
  07:19 基本動機

07:47〜08:52 終結部 (01:05)

CD2 Track 7
第3楽章 Poco allegretto (06:19)
00:00〜01:57 第1部 (A) (01:57)

01:57〜03:40 第2部 (B) (01:43)

03:40〜05:42 第3部 (A) (02:02)

05:42〜06:19 終結部 (00:37)


CD2 Track 8
第4楽章 Allegro (08:48)
00:01〜02:46 呈示部 (02:45)
  00:01 第1主題
  00:31 第2楽章第2主題
  00:51 第1主題
  01:26 第2主題 (第3楽章主要主題変形)
  01:54 小結尾

02:46〜06:37 再現部 (03:51)
  02:46 第1主題
  03:58 第2楽章第2主題
  04:27 第1主題
  05:10 第2主題 (第3楽章主要主題変形)
  05:39 第3主題

06:37〜09:23 終結部 (02:46)
  06:37 第1主題
  08:13 第2楽章第2主題
  08:37 基本動機
  08:49 第1楽章第1主題

  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1979年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 Op.98 (42:15)


CD3 Track 1
第1楽章 Allegro non troppo (13:18)
00:00〜04:01 呈示部 (04:01)
  00:00 第1主題
  01:34 第2主題
  03:16 小結尾

04:01〜07:56 展開部 (03:55)

07:56〜11:25 再現部 (03:29)
  07:56 第1主題
  09:04 第2主題
  11:01 小結尾

11:25〜13:18 終結部 (01:53)

CD3 Track 2
第2楽章 Andante moderato (11:43)
00:00〜06:17 呈示部 (06:17)
  00:00 序奏
  00:22 第1主題
  02:58 第1主題展開
  04:01 第2主題
  05:08 第2主題展開

06:17〜09:51 再現部 (03:34)
  06:17 第1主題
  07:16 第1主題展開
  08:30 第2主題
  09:17 第2主題展開

09:51〜11:43 終結部 (01:52)

CD3 Track 3
第3楽章 Allegro giocoso - Poco meno presto - Tempo I (06:21)
00:00〜02:52 呈示部 (02:52)
  00:00 第1主題
  00:53 第2主題
  01:32 第1主題

02:52〜03:39 展開部 (00:47)

03:39〜05:04 再現部 (01:25)
  03:39 第1主題
  04:28 第2主題

05:04〜06:21 終結部 (01:17)

CD3 Track 4
第4楽章 Allegro energico e passionato - Più Allegro (10:53)
00:00〜06:19 呈示部 (06:19)
  第1主題風
   00:00 主題
   00:16 第1変奏
   00:31 第2変奏
   00:48 第3変奏
   01:04 第4変奏
   01:21 第5変奏
   01:33 第6変奏
   01:52 第7変奏
   02:10 第8変奏
   02:27 第9変奏
   02:44 第10変奏
   03:06 第11変奏
  第2主題風
   03:29 第12変奏
   04:20 第13変奏
   05:01 第14変奏
   05:39 第15変奏

06:19〜08:01 展開部 (01:42)
   06:19 第16変奏
   06:33 第17変奏
   06:46 第18変奏
   06:59 第19変奏
   07:11 第20変奏
   07:23 第21変奏
   07:37 第22変奏
   07:49 第23変奏

08:01〜09:45 再現部 (01:44)
   08:01 第24変奏
   08:13 第25変奏
   08:28 第26変奏
   08:42 第27変奏
   08:56 第28変奏
   09:09 第29変奏
   09:23 第30変奏

09:45〜10:53 終結部 (01:08)
  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1978年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a (19:04)


CD3 Track 5〜14
5. 主題. Andante (02:08)
6. 第1変奏. Poco più animato (01:15)
7. 第2変奏. Più vivace (00:57)
8. 第3変奏. Con moto (01:58)
9. 第4変奏. Andante con moto (02:10)
10. 第5変奏. Vivace (00:53)
11. 第6変奏. Vivace (01:22)
12. 第7変奏. Grazioso (03:21)
13. 第8変奏. Presto non troppo (00:56)
14. フィナーレ. Andante (04:02)
  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1979年、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ベルント・ルンゲ
  エンジニア:エバーハルト・ヒンツ

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 ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.55 (49:16)


CD4 Track 1
第1楽章 Allegro con brio (15:15)
00:01〜03:18 呈示部 (03:17)
  00:01 第1主題
  01:45 第2主題
  02:07 小結尾

03:18〜08:47 展開部 (05:29)

08:47〜12:15 再現部 (03:28)
  08:47 第1主題
  10:40 第2主題
  11:03 小結尾

12:15〜15:16 終結部 (03:01)

CD4 Track 2
第2楽章 Marcia funebre. Adagio assai (15:29)
00:01〜04:33 第1部 (A) (04:33)
  00:01 主題A1
  01:06 主題A2
  02:04 主題A1
  02:27 主題A2
  03:22 主題A1
  03:42 主題A2
  03:58 主題A3

04:33〜06:42 第2部 (B) (02:09)
  04:33 主題B1
  05:26 主題B2
  05:47 主題B1

06:42〜12:41 第3部 (A) (05:59)
  06:42 主題A1
  07:17 主題A2展開 (フガート)
  09:35 主題A3展開
  10:23 主題A1
  10:50 主題A2
  11:43 主題A1
  12:04 主題A2
  12:19 主題A3

12:41〜15:30 終結部 (02:49)
  12:41 主題A2
  14:39 主題A1


CD4 Track 3
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace (05:51)
00:01〜02:32 第1部 (A) (スケルツォ主部) (02:31)

02:32〜04:17 第2部 (B) (トリオ) (01:45)

04:17〜05:52 第3部 (A) (スケルツォ主部) (01:35)


CD4 Track 4
第4楽章 Finale. Allegro molto (12:41)

00:00〜00:15 序奏 (00:15)

00:15〜00:51 主題 (下声部) (00:36)

00:51〜01:27 第1変奏 (下声部) (00:36)

01:27〜02:02 第2変奏 (下声部) (00:35)

02:02〜02:47 第3変奏 (上声部) (00:45)

02:47〜03:44 第4変奏 (下声部) (フガート) (00:57)

03:44〜04:18 第5変奏 (上声部) (00:34)

04:18〜05:05 第6変奏 (上声部+下声部) (00:47)

05:05〜05:26 第7変奏 (上声部) (00:21)

05:26〜06:43 第8変奏 (上声部) (フガート) (01:17)

06:43〜08:52 第9変奏 (上声部) Poco Andante (02:09)

08:52〜09:49 第10変奏 (上声部) (00:57)

09:49〜11:48 終結部 導入部 (下声部) (01:59)

11:48〜12:41 終結部 結尾 (序奏+上声部+下声部) Presto (00:53)
主題はお気に入りのプロメテウスから
バレエ音楽「プロメテウスの創造物」第16曲「フィナーレ」(CD5 Track 17)の主題の上声部と下声部を分けて変奏主題として用いています。
  ベルリン交響楽団
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1982年6月1〜4日、東ベルリン、キリスト教会
  プロデューサー:ハインツ・ヴェーグナー
  エンジニア:エバーハルト・リヒター

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 ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op.43 (56:11)

◆ 作曲 : 1800〜1801年
◆ 初演 : 1801年3月28日、ウィーン、ブルク劇場(1年間で29回上演)
◆ 初出版 : 1801年、ウィーン、アルタリア社からピアノ編曲版
◆ 台本 : サルヴァトーレ・ヴィガノ[1769-1821]

CD5 Track 1〜17
1. 序曲とイントロダクション「嵐」 (06:28)
  00:03 序曲 Adagio - Allegro molto con brio
  04:41 イントロダクション「嵐」 Allegro non troppo 

第1幕
2. 第1曲 Poco Adagio - Allegro con brio (02:58)
3. 第2曲 Adagio - Allegro con brio (01:34)
4. 第3曲 Allegro vivace (01:47)

第2幕
5. 第4曲 Maestoso - Andante (00:57)
6. 第5曲 Adagio - Andante quasi Allegretto (05:30)
7. 第6曲 Un poco Adagio - Allegro (01:27)
8. 第7曲 Grave (03:55)
9. 第8曲 Allegro con brio - Presto (06:11)
10. 第9曲 Adagio - Adagio - Allegro molto (03:44)
11. 第10曲 パストラーレ Allegro (02:48)
12. 第11曲 Andante (00:24)
13. 第12曲 Maestoso - Adagio - Allegro - Mosso (02:55)
14. 第13曲 Allegro - Comodo - Coda - Mosso (03:50 )
15. 第14曲 Andante - Adagio - Allegro - Allegretto (04:35)
16. 第15曲 Andantino - Adagio - Allegro (03:52)
17. 第16曲 フィナーレ Allegretto - Allegro molto - Presto (06:16)
アイデア豊富な作品
のちの作品と似ていたり同じだったりする部分が含まれます(逆もあり)。以下は主な例です。

1. 序奏「嵐」 → ベートーヴェン:交響曲第6番の第5楽章。
6. 第5曲「アダージョ」 → ビゼー:メヌエットや、ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲の冒頭。
8. 第7曲「グラーヴェ」 → ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番第2楽章、「シュテファン王」。
13. 第12曲「マエストーソ」 ← ベートヴェン:ピアノ協奏曲第1番第1楽章。
17. 第16曲「フィナーレ」 → ベートーヴェン:交響曲第3番第4楽章、エロイカ変奏曲など。

  カール=ハインツ・シュレーター (チェロ)
  ヴァルター・ヴァイ (オーボエ)
  ギュンター・ヴェッシュ (バセットホルン)
  シュターツカペレ・ベルリン
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1971年8月16〜20日、26〜27日、ポツダム、バーベルスベルクDEFA交響楽団スタジオ
  プロデューサー:ハインツ・ヴェーグナー
  エンジニア:ベルント・ルンゲ

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 ベートーヴェン:「騎士バレエのための音楽」WoO.1  (10:44)


CD5 Track 18〜25
18. 第1曲 行進曲 (1:48)
19. 第2曲 ドイツの歌 Allegro moderato (0:55)
20. 第3曲 狩りの歌 Allegretto (1:38)
21. 第4曲 ロマンツェ Andantino (1:26)
22. 第5曲 戦いの歌 Allegro assai con brio (1:01)
23. 第6曲 酒宴の歌 Allegro con brio (1:42)
24. 第7曲 ドイツ舞曲 Deutscher Tanz. Walzer (0:31)
25. 第8曲 コーダ Allegro vivace - Andantino - Tempo I (1:43)
「戦いの歌」は注目作
「騎士バレエのための音楽」はベートーヴェンが20歳の時に書いた作品ですが、第5曲「戦いの歌」は後年の「シュテファン王」を思わせるなど、すでにベートーヴェン的な要素があらわれてもいます。
  シュターツカペレ・ベルリン
  ギュンター・ヘルビヒ (指揮)

  録音:1971年8月16〜20日、26〜27日、ポツダム、バーベルスベルクDEFA交響楽団スタジオ
  プロデューサー:ハインツ・ヴェーグナー
  エンジニア:ベルント・ルンゲ

 ヘルビヒ年表

 1931年/昭和6年 (0歳)

◆ 11月30日、ギュンター・ヘルビヒ、ドレスデンの南南東約48kmに位置する工業と農業の盛んな都市アウシヒ (チェコ語でウスティ)で誕生。同地は400年近くオーストリア領土だったことから、約5万人の住民の多くはオーストリア人やドイツ人で、ヘルビヒの両親もオーストリア人。略さない場合はドイツ語で「アウシヒ・アン・デア・エルベ」、チェコ語で「ウスティ・ナド・ラベム」となりますが、通常は略称が使用されていました。
  長くオーストリア領だっただけに、同地には劇場などの文化施設も数多くありました。


◆ オーストリア=ハンガリー帝国は1918年に崩壊し、1920年にはチェコスロヴァキア共和国が誕生。ズデーテン地方もチェコスロヴァキア領有となって11年目を迎えていました。

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 1932年/昭和7年 (0〜1歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。

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 1933年/昭和8年 (1〜2歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。
◆ コンラート・ヘンラインにより「ズデーテン・ドイツ郷土戦線」がチェコスロヴァキアのアシュで創設。アシュはバイロイトの北東約55km、アウシヒの南南西約150kmに位置する標高666mの国境の町。

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 1934年/昭和9年 (2〜3歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。

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 1935年/昭和10年 (3〜4歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。
◆ アウシヒの議会選挙で、投票者の約60パーセント「ズデーテン・ドイツ人党」 (旧称:ズデーテン・ドイツ郷土戦線)を選択。

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 1936年/昭和11年 (4〜5歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。

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 1937年/昭和12年 (5〜6歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。

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 1938年/昭和13年 (6〜7歳)

◆ チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。
◆ 10月、ミュンヘン協定により、ズデーテン地方はドイツに割譲。ズデーテンラント帝国大管区が設置。
◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ アーベントロートがアウシヒに客演。

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 1939年/昭和14年 (7〜8歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ 3月、ドイツによりチェコスロヴァキア占領。

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 1940年/昭和15年 (8〜9歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ ピアノ、チェロ、フルートのレッスンを開始。

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 1941年/昭和16年 (9〜10歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ ピアノ、チェロ、フルートのレッスン。

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 1942年/昭和17年 (10〜11歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ ピアノ、チェロ、フルートのレッスン。

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 1943年/昭和18年 (11〜12歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ ピアノ、チェロ、フルートのレッスン。

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 1944年/昭和19年 (12〜13歳)

◆ ドイツ、アウシヒ在住。
◆ ピアノ、チェロ、フルートのレッスン。

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 1945年/昭和20年 (13〜14歳)

◆ ドイツ → チェコスロヴァキア、アウシヒ在住。
◆ 4月、アメリカ軍の爆撃により、アウシヒ住民500人以上が殺害。
◆ 5月、赤軍がアウシヒに到着。親衛隊は逃げていたためほとんど戦闘はおこなわれませんでした。
◆ 7月31日、列車でプラハから動員された囚人約300人や兵士たちが、エルベ橋などでドイツ系民間人を虐殺。犠牲者数は被害者団体によれば最大4千人、チェコ側情報では40〜100人と大きな開きがあります。

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 1946年/昭和21年 (14〜15歳)

◆ 4月、「ドイツ社会主義統一党(SED)」が成立。前年に設立された「ドイツ共産党(SPD)」と「ドイツ社会民主党(KPD)」が合体。
◆ 4月、「自由ドイツ青年同盟(FDJ)」創設。「ドイツ社会主義統一党(SED)」の下部組織で、ソ連の「コムソモール」に相当。
◆ ドイツのソ連占領地域で、教育制度改革実施。これにより、8年間の共通教育の後、2年間の職業教育コースと大学進学コースへの準備期間が設定。
◆ チェコスロヴァキア政府により、ズデーテン地方在住のドイツ民族約300万人を、土地・家屋没収のうえで追放する過酷な政策が実施。ドイツ東部の国境はすぐ近くですが、目的地は様々だったため、移動手段は貨物列車や荷車、自転車、徒歩などでした。



◆ アウシヒ在住のドイツ民族のうち約5万3千人が1946年4月までに追放。なお、アウシヒは工業の盛んな町だったので、工場稼働に必要なドイツ民族は残されています。

◆ ドイツ在住。

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 1947年/昭和22年 (15〜16歳)

◆ ドイツ在住。

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 1948年/昭和23年 (16〜17歳)

◆ ドイツ在住。
◆ 6月20日、米英仏占領区域で通貨改革。これによりベルリンは経済的に分断。
◆ 6月24日、ソ連軍政局がベルリンを封鎖(1949年5月12日まで)。

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 1949年/昭和24年 (17〜18歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ 4月、北大西洋条約機構(NATO)発足。
◆ 10月、ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立。

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 1950年/昭和25年 (18〜19歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ 10月、東ドイツ、第一回人民議会選挙。でSED70%の議席獲得。

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 1951年/昭和26年 (19〜20歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


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 1952年/昭和27年 (20〜21歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


◆ 2月、国家保安省(シュタージ)設置。
◆ 5月、東ドイツと西ドイツの間に国境が設定。国境から500m以内に居住する者は、強制的に退去。

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 1953年/昭和28年 (21〜22歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


◆ 6月、東ベルリン暴動発生。東ベルリンの「スターリン通り」建設に際し、労働者が厳しいノルマに対して反発。これをきっかけに東ドイツ各地で蜂起が発生するものの、ソ連の武力介入により鎮圧。死者は民衆側と政府側を合わせて数百名規模。


◆ 3月5日、スターリン死去。

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 1954年/昭和29年 (22〜23歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


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 1955年/昭和30年 (23〜24歳)

◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


◆ 5月6日、西ドイツがNATOに加盟。
◆ 5月14日、NATOに対抗するためワルシャワ条約機構が設立。
◆ 11月、西ドイツが再軍備を開始。

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 1956年/昭和31年 (24〜25歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール国立音楽大学でアーベントロートに師事。


◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。


◆ 1月、東ドイツがワルシャワ条約機構に加盟。
◆ 3月、東ドイツが再軍備を開始。志願制の人民軍を創設。
◆ 5月29日、アーベントロート、イェーナで客死。

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 1957年/昭和32年 (25〜26歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。


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 1958年/昭和33年 (26〜27歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。


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 1959年/昭和34年 (27〜28歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。


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 1960年/昭和35年 (28〜29歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。


◆ 夏、ヘルマン・シェルヘンがワイマール国際音楽セミナーでマスタークラスを開催したため受講。
◆ 9月、ドイツ社会主義統一党(SED)の中央委員会第一書記であるヴァルター・ウルブリヒト[1893-1973]が、初代の「国家評議会議長」に就任。ウルブリヒトは、党の第一書記は1971年に健康問題を理由に辞任させられるものの、「国家評議会議長」には1973年に亡くなるまで留まっています。

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 1961年/昭和36年 (29〜30歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場 指揮者。
◆ ワイマール・ドイツ国民劇場。スパルタカス。ギュンター・イェーツラウ振付。


◆ 7月、フルシチョフにより東西ベルリンの境界閉鎖が決定。
◆ 8月、ホーネッカーの指揮により「ベルリンの壁」建設開始。

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 1962年/昭和37年 (30〜31歳)

◆ 東ドイツ在住。 ◆ ハンス・オットー劇場 音楽監督に就任。ポツダムの劇場。


◆ 10月、キューバ危機。

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 1963年/昭和38年 (31〜32歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ハンス・オットー劇場 音楽監督。

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 1964年/昭和39年 (32〜33歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ハンス・オットー劇場 音楽監督。
◆ 11月、東ドイツ、退職年齢者(男65歳・女60歳)のみ西ドイツ訪問を許可。

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 1965年/昭和40年 (33〜34歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ハンス・オットー劇場 音楽監督。
◆ 夏、アルヴィド・ヤンソンスがワイマール国際音楽セミナーでマスタークラスを開催したため受講。

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 1966年/昭和41年 (34〜35歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ハンス・オットー劇場 音楽監督退任。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。

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 1967年/昭和42年 (35〜36歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。

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 1968年/昭和43年 (36〜37歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。

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 1969年/昭和44年 (37〜38歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。

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 1970年/昭和45年 (38〜39歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。

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 1971年/昭和46年 (39〜40歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。
◆ 10月、ベルリン音楽祭のオープニングで、シュターツカペレ・ベルリンを指揮。
◆ 10月、ベルリン交響楽団。チェコ・ツアーを指揮。

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 1972年/昭和47年 (40〜41歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 指揮者。
◆ 6月、ドレスデン市議会が、ドレスデン市の「音楽総監督」にヘルビヒを任命。
◆ 6月、ドレスデン市議会が、ドレスデン・フィルの「芸術監督」にヘルビヒを任命。
◆ シュターツカペレ・ベルリン。
◆ 11月、ドレスデン・シュッツ音楽祭。
◆ 東ドイツ建国記念日記念演奏会で、クルト・ハーガー人民教育委員会委員長 (≒文化大臣)の要請により、ドレスデン・フィルとショスタコーヴィチの交響曲第15番を演奏。これは同年1月にモスクワで初演されて明るい作品として紹介されていた新聞記事を鵜呑みにしたハーガーの勘違いに端を発する珍事でした。
  ハーガーは式典用公演の演目がいつも「エグモント」「レオノーレ3番」「運命」といったプログラムであることに疑義を呈し、モスクワで評判となっていたショスタコーヴィチの交響曲第15番に変更するべきだと力説。指揮予定だったクルト・ザンデルリングは、葬送の音楽だから式典には向かないと答えると、ザンデルリングとベルリン交響楽団は式典用公演から外されて、代わりにヘルビヒとドレスデン・フィルが呼ばれています。ヘルビヒはザンデルリングに対して、自分はあなたと違ってオーケストラをプレゼンする必要があるからと引き受けた理由を説明。
  急な変更だったため、直前のリハーサルにSED (ドイツ社会主義統一党)のメンバーら10人が列席しましたが、明るい曲を期待していた彼らの反応は当然ながら冷淡で、リハーサル終了後、全体を速く演奏することはできないかという要望まで出る始末でしたが、ヘルビヒは本番でも通常のテンポで演奏。式典はテレビとラジオでも中継されていました。
  ちなみにハーガーは、1960年にスイトナーがドレスデン国立歌劇場音楽総監督、及びシュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者に就任する際に反対派のクルト・ボークらを抑えた人物。
◆ ドレスデン・フィル。ルーマニア、ユーゴスラヴィア・ツアーを指揮。
◆ 6月、「ベルリン協定」が発効。前年に連合国4各国の外相らにより同意されていたもので、西ドイツとベルリンの間の交通・通信の十分な確保と、西ベルリンから東ドイツへの入国も認めるというソ連の決定、および米英仏による西ドイツと西ベルリンの連携が決定。四半世紀以上に渡って東西緊張の場となっていたベルリンの状況が改善した通過交通協定です。

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 1973年/昭和48年 (41〜42歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ドレスデン・フィル 芸術監督。
◆ 3月、ドレスデン・フィル。オーストリア、スイス・ツアーを指揮。
◆ 6月、ベルリン交響楽団。
◆ シュターツカペレ・ベルリン。
◆ 11月、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団。ブリテン:4つの海の間奏曲、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 (ミリアム・フリード)、ブラームス1番。ロイヤル・フェスティヴァル・ホール・デビュー。
◆ 6月、「東西ドイツ基本条約」発効。緊張の緩和。
◆ 9月、東西ドイツ、国際連合に加盟。

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 1974年/昭和49年 (42〜43歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ドレスデン・フィル 芸術監督。
◆ ドレスデン・フィル。西ドイツ・ツアー。第2指揮者ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ ドレスデン・フィル。ポーランド・ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ ドレスデン・フィル。イギリス・ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ 10月7日、東ドイツ、建国25周年を機に憲法を改正。

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 1975年/昭和50年 (43〜44歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ドレスデン・フィル 芸術監督。
◆ ドレスデン・フィル。ソ連ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ ドレスデン・フィル。チェコスロヴァキア・ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ ドレスデン・フィル。スペイン・ツアーを指揮。
◆ ドレスデン・フィル。イタリア、オーストリア、スイス・ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。

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 1976年/昭和51年 (44〜45歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ドレスデン・フィル 芸術監督。
◆ ドレスデン・フィル。日本ツアー。ヘンヒェンと2人で指揮。
◆ シュターツカペレ・ベルリン。
◆ BBC交響楽団。
◆ 10月、ソ連国立交響楽団。モスクワ。

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 1977年/昭和52年 (45〜46歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ドレスデン・フィル。ショスタコーヴィチ7番で大成功。
◆ ドレスデン・フィル。ブルガリア・ツアーを指揮。
◆ ドレスデン・フィル。日本ツアーを指揮。
◆ ドレスデン・フィル。エルンスト・ヘルマン・マイヤー:管弦楽のためのシンフォニア「コントラステ・コンフリクテ」初演。
◆ ドレスデン・フィル。お別れ演奏会。ベートヴェン2番、ショスタコーヴィチ5番。
◆ ドレスデン市音楽総監督とドレスデン・フィル芸術監督を退任。後任はヘルベルト・ケーゲル[1920-1990]。
◆ ミラノ・イタリア放送管弦楽団。
◆ 廃墟となっていたベルリンのシャウシュピールハウスを、コンサート・ホールとして新たに建設することが政府により決定。当初はモダンなデザインにすることが求められましたが、最終的に外観は以前と同じにすることとなり、1979年に工事が始まります。
◆ 8月、ベルリン市音楽総監督に就任。
◆ 8月、ベルリン交響楽団 首席指揮者に就任。前任のクルト・ザンデルリングの定年退職に伴う人事。ヘルビヒは1966年から1972年までベルリン交響楽団の指揮者として首席指揮者のザンデルリングと共に働いていたので、オーケストラとは旧知の間柄。
◆ 11月、ベルリン交響楽団。チェコスロヴァキア、ルーマニア・ツアーを指揮。

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 1978年/昭和53年 (46〜47歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 首席指揮者。
◆ ベルリン交響楽団。ハンガリー・ツアーを指揮。
◆ 10月、ベルリン交響楽団。スペイン・ツアーを指揮。

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 1979年/昭和54年 (47〜48歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 首席指揮者。
◆ 2月、ベルリン・ビエンナーレ国際現代音楽祭。ベルリン交響楽団、クレーメル、他。
◆ 6月、ベルリン交響楽団、ベルマン。
◆ ダラス交響楽団 首席客演指揮者に就任。
◆ BBCノーザン交響楽団。
◆ シュターツカペレ・ベルリン。

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 1980年/昭和55年 (48〜49歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 首席指揮者。
◆ 1月、ベルリン交響楽団。アダム。マットゥース「ヒペリオン」断章。
◆ ベルリン交響楽団。リヒター=ハーザー。ベートーヴェン4,5番。
◆ ダラス交響楽団 首席客演指揮者。
◆ 読売日本交響楽団。

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 1981年/昭和56年 (49〜50歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 首席指揮者。
◆ ベルリン交響楽団。工事中のシャウシュピールハウスのホールで、「工事現場コンサート」を開催。
◆ ベルリン交響楽団 イタリア・ツアーを指揮。
◆ ダラス交響楽団 首席客演指揮者を退任。

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 1982年/昭和57年 (50〜51歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ ベルリン交響楽団 首席指揮者。
◆ 4月、読売日本交響楽団。
◆ トロント交響楽団。ブルックナー8番。
◆ 9月、ベルリン音楽祭のオープニングで、シュターツカペレ・ベルリンを指揮。
◆ BBCフィルハーモニー管弦楽団 首席客演指揮者に就任。BBCフィルはこの年、マンチェスターの「BBCノーザン交響楽団」が大規模化して誕生したオーケストラ。公演数が増やされたことで、ヘルビヒが首席客演指揮者に任命。首席指揮者はエドワード・ダウンズ[1624-2009]。

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 1983年/昭和58年 (51〜52歳)

◆ 東ドイツ在住。
◆ 2月14日、東ドイツのドレスデンで10万人規模の平和デモ。

◆ 10月1日、ベルリン交響楽団 首席指揮者を辞任。コンサートホールとして新たに建設され、翌年に開場予定のシャウシュピールハウスを、単なる本拠地ではなく、優先使用できるはずの約束が、政府の意向で反故にされたため抗議の辞任。これによりヘルビヒは、SED (ドイツ社会主義統一党)から睨まれ、翌年、東ドイツを去ることになります。ちなみにベルリン交響楽団がシャウシュピールハウスを優先使用できるようになるのは、ドイツ再統一から2年が経過した1992年のことでした。
◆ BBCフィルハーモニー管弦楽団 首席客演指揮者。
◆ 読売日本交響楽団。

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 1984年/昭和59年 (52〜53歳)

◆ 10月、BBC交響楽団。ルプー。ベートーヴェン。
◆ BBCフィルハーモニー管弦楽団 首席客演指揮者を退任。
◆ デトロイト交響楽団 音楽監督に就任。
◆ アメリカに移住。デトロイトのあるミシガン州を拠点に、世界各地のオーケストラへの客演を開始。2023年現在もミシガン州に自宅があります。
◆ ニューヨーク・フィル。

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 1985年/昭和60年 (53〜54歳)

◆ デトロイト交響楽団 音楽監督。

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 1986年/昭和61年 (54〜55歳)

◆ デトロイト交響楽団 音楽監督。
◆ ボストン交響楽団。ブルックナー4番。
◆ ニューヨーク・フィル。
◆ フィラデルフィア管弦楽団。
◆ ワシントン・ナショナル交響楽団。

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 1987年/昭和62年 (55〜56歳)

◆ デトロイト交響楽団 音楽監督。

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 1988年/昭和63年 (56〜57歳)

◆ デトロイト交響楽団 音楽監督。
◆ ボストン交響楽団。
◆ ワシントン・ナショナル響。
◆ トロント交響楽団 芸術顧問に就任。

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 1989年/昭和64年/平成元年 (57〜58歳)

◆ デトロイト交響楽団。クレーメル。ヨーロッパ・ツアーを指揮。
◆ ニューヨーク・フィル。
◆ デトロイト交響楽団 音楽監督を退任。
◆ トロント交響楽団 音楽監督に就任。

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 1990年/平成2年 (58〜59歳)

◆ トロント交響楽団 音楽監督。
◆ イェ―ル大学指揮科教授に就任。
◆ 5月、トロント交響楽団。日本ツアーを指揮。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者に就任。

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 1991年/平成3年 (59〜60歳)

◆ トロント交響楽団 音楽監督。
◆ イェ―ル大学 指揮科教授に就任。
◆ トロント交響楽団。ヨーロッパ・ツアーを指揮。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。

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 1992年/平成4年 (60〜61歳)

◆ トロント交響楽団 音楽監督。
◆ イェ―ル大学 指揮科教授。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。

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 1993年/平成5年 (61〜62歳)

◆ トロント交響楽団 音楽監督。
◆ イェ―ル大学 指揮科教授。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。

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 1994年/平成6年 (62〜63歳)

◆ トロント交響楽団 音楽監督を退任。
◆ イェ―ル大学 指揮科教授。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。

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 1995年/平成7年 (63〜64歳)

◆ イェ―ル大学 指揮科教授。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。

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 1996年/平成8年 (64〜65歳)

◆ イェ―ル大学 指揮科教授。
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席客演指揮者。
◆ パリ管弦楽団。
◆ ハレ管弦楽団。

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 1997年/平成9年 (65〜66歳)

◆ イェ―ル大学 指揮科教授を退任。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 1998年/平成10年 (66〜67歳)

◆ ボルティモア交響楽団。

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 1999年/平成11年 (67〜68歳)

◆ ボルティモア交響楽団。
◆ 日本フィルハーモニー交響楽団。ブルックナー9番、他。

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 2000年/平成12年 (68〜69歳)

◆ ボルティモア交響楽団。

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 2001年/平成13年 (69〜70歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者に就任。
◆ グルベンキアン管弦楽団。
◆ シアトル交響楽団。
◆ ボルドー・アキテーヌ管弦楽団。
◆ ドレスデン・フィル。
◆ 日本フィルハーモニー交響楽団。ブルックナー8番、他。

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 2002年/平成14年 (70〜71歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者。
◆ モネ交響楽団。
◆ ベルリン交響楽団。
◆ スイス・ロマンド管弦楽団。
◆ フランス放送フィル。
◆ モンテカルロ・フィル。
◆ BBCフィル。

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 2003年/平成15年 (71〜72歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者。
◆ ドレスデン・フィル。日本ツアー。

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 2004年/平成16年 (72〜73歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者。

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 2005年/平成17年 (73〜74歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者。
◆ ドイツ政府によりすべての放送オーケストラへの補助金が大幅に削減。

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 2006年/平成18年 (74〜75歳)

◆ ザールブリュッケン放送交響楽団 首席指揮者を退任。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 2007年/平成19年 (75〜76歳)

◆ ボルティモア交響楽団。

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 2008年/平成20年 (76〜77歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 音楽監督に就任。
◆ 日本フィルハーモニー交響楽団。シューベルト「グレート」、他

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 2009年/平成21年 (77〜78歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 音楽監督。

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 2010年/平成22年 (78〜79歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 音楽監督を退任。
◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 2011年/平成23年 (79〜80歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 2012年/平成24年 (80〜81歳)

◆ トロント交響楽団。
◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 2013年/平成25年 (81〜82歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。

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 2014年/平成26年 (82〜83歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。

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 2015年/平成27年 (83〜84歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ ボルティモア交響楽団。

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 2016年/平成28年 (84〜85歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。

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 2017年/平成29年 (85〜86歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。

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 2018年/平成30年 (86〜87歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。

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 2019年/平成31年/令和元年 (87〜88歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。
◆ トロント交響楽団。ブルックナー9番。
◆ グラン・カナリア・フィル。ブルックナー8番。

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 2020年/令和2年 (88〜89歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。

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 2021年/令和3年 (89〜90歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。

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 2022年/令和4年 (90〜91歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。

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 2023年/令和5年 (91〜92歳)

◆ 台湾フィルハーモニック 桂冠指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル 名誉指揮者。
◆ グラン・カナリア・フィル。ブルックナー6番。


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 ベートーヴェン年表

 1770年(0歳)

◆ 12月16日頃、ベートーヴェン、神聖ローマ帝国ケルン大司教領で人口1万人ほどの小都市ボンのラインガッセで誕生。父ヨハンは選帝侯宮廷のテノール歌手、母マリア・マグダレーナはボン宮廷離宮料理長の娘。

◆ 12月17日、ベートーヴェン、聖レミギウス教会で受洗。

 1771年(0〜1歳)

 1772年(1〜2歳)

 1773年(2〜3歳)

◆ 12月17日、祖父ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン死去。

 1774年(3〜4歳)

◆ 4月、弟カスパール・アントン・カール・ベートーヴェン[1774-1815]誕生。

 1775年(4〜5歳)

◆ 9月30日、祖母マリア・ヨゼファ・ベートーヴェン死去。

 1776年(5〜6歳)

◆ ベートーヴェン、音楽のレッスン開始。父ヨハンの指導。

◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に転居。かつて祖父が住んでいた建物。

◆ ベートーヴェン家、ノイガッセに転居。

◆ 10月、弟ニコラウス・ヨハン・ベートーヴェン[1776-1848]誕生。

 1777年(6〜7歳)

◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。

◆ ベートーヴェン、ボンの聖カシウス修道院のラテン語学校に入学。

 1778年(7〜8歳)

◆ 3月26日、ベートーヴェン、ケルンで父の主催による有料演奏会に、弟子のひとりとして出演。

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニスト、ハインリヒ(ギレス)・ヴァン・デン・エーデン[1710-1782]に鍵盤楽器演奏を師事。

 1779年(8〜9歳)

◆ ベートーヴェン、劇場歌手トビアス・フリードリヒ・プファイファーにピアノを師事。

 1780年(9〜10歳)

◆ ベートーヴェン、フランシスコ教会修道士でオルガン奏者のヴィリバルト・コッホのオルガンを師事。コッホの助手を務めたりもします。

◆ ベートーヴェン、同じ建物に住む母の姪の息子で、宮廷楽団ヴァイオリン奏者のフランツ・ゲオルク・ロヴァンテイーニ[1757-1781]にヴァイオリンとヴィオラを師事

◆ ベートーヴェン、ミュンスター教会オルガン奏者のツェンザーに師事。

◆ 11月、マリア・テレジア、死去。63歳。

 1781年(10〜11歳)

◆ ヨーゼフ2世、農奴解放令発令。

◆ ヨーゼフ2世、宗教寛容令。

◆ ベートーヴェン、エーデンの後任として宮廷オルガニストになったクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェにピアノと作曲を師事。

◆ ベートーヴェン、聖カシウス修道院のラテン語学校を卒業。ベートーヴェンはギムナジウムに進まず音楽の勉強を本格化。

 1782年(11〜12歳)

◆ ヨーゼフ2世、ユダヤ人への職業制限、服装制限、特別税、移住制限などの法規制を撤廃。

◆ ベートーヴェン、宮廷オルガニスト、ネーフェの不在時に代理演奏を務めるようになります。

● ドレスラーの行進曲によるクラヴサンのための9つの変奏曲 WoO.63
 1783年(12〜13歳)

◆ 3月、ベートーヴェン、ネーフェによって音楽雑誌で紹介。

◆ 6月、アイスランド、ラーキ火山が大噴火。1784年2月まで有毒ガスが放出され続け、少し前に噴火を開始した近くのグリムスヴォトン火山は1785年まで噴火を継続。成層圏にまで達する噴煙は、以後数年に渡って北半球全体に異常気象、食糧不足を引き起こし、フランス革命の原因の一つになったとも考えられています (東日本ではさらに同年4月の岩木山噴火、8月の浅間山噴火も重なって、折からの冷害による天明の飢饉が深刻化)。

◆ 10月、ベートーヴェン、「選定候ソナタ」(WoO.47-1〜3)を出版。

◆ 秋、ベートーヴェン、母とオランダ楽旅。

● 3のピアノ・ソナタ「選帝侯ソナダ」WoO.47
● ピアノのための・ロンド WoO.48
● オルガンのための2声のフーガ WoO.31
● ピアノ伴奏歌曲「乙女を描く」WoO.107


 1784年(13〜14歳)

◆ 1月、ライン川、川底まで凍結。噴煙による極度の気温低下のもたらした異常現象。大洪水の要因に。

◆ 2月、ベートーヴェン、宮廷オルガニストの助手に任命。無給の宮廷楽士。

◆ 春、ライン川の氷が融け始めて氾濫、氷塊が橋や河川近くの建築物を破壊、やがてヨーロッパ各地の町が水に覆われるという大洪水に発展。ベートーヴェンの住むボンは標高約60メートルの町でしたが大きな被害となり、また、標高約200メートルの盆地ウィーンも、周囲の山からの水や排水能力の低さによって大洪水となっています。


◆ 春、ベートーヴェン、家族と共に避難。

◆ 4月、選帝侯マクシミリアン・フリードリヒ死去。同月、新選帝侯マクシミリアン・フランツがウィーンから到着。

◆ 5月、ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストに任命。年俸150グルデンの宮廷楽士。師のネーフェは年俸200グルデン。
● ピアノ協奏曲 WoO.4
● ピアノのための・ロンド WoO.49
● ピアノ伴奏歌曲「みどり児に寄せて」WoO.108


 1785年(14〜15歳)

◆ ベートーヴェン家、音楽の音がうるさいという理由で家主により退去させられ、ラインガッセの別の家に転居。

◆ ベートーヴェン、のちに作曲家、パリ音楽院教授となるアントン・ライヒャ[1770-1836]と親しく交流。ベートーヴェンのがボンを離れる1792年まで継続。

● 3つのピアノ四重奏曲 WoO.36

 1786年(15〜16歳)

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。

◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。

◆ ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第2番(初稿)の作曲開始(1792年まで)

● フルート、ファゴット、ピアノと管弦楽のためのロマンツェ ホ短調 WoO.207
● フルート、ファゴットとピアノのための三重奏曲ト長調 WoO.37


 1787年(16〜17歳)

◆ 1〜3月、ベートーヴェン、最初のウィーン滞在。

◆ 5月、ベートーヴェン、ウィーンの後、レーゲンスブルク、ミュンヘン、アウクスブルクを経てボンに到着。

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。

◆ 5月、ベートーヴェン、母マグダレーナ重体のため帰郷。

◆ 7月17日、母マグダレーナ死去。

 1788年(17〜18歳)

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。

◆ ベートーヴェン、ブロイニング家でヴァルトシュタイン伯爵と交流。

◆ ベートーヴェン家、ヴェンツェルガッセ476に転居。

◆ ベートーヴェン、宮廷楽団のヴィオラ奏者に任命(1792年まで)。楽団にはフルート奏者としてアントン・ライヒャ、ホルン奏者としてニコラウス・ジムロック[1751-1832]、ヴァイオリン奏者としてフランツ・リース[1755-1846]なども在籍。

 1789年(18〜19歳)

◆ ベートーヴェン、宮廷正オルガニストに任命。

◆ ベートーヴェン、ボン大学で聴講生として登録。ギリシャ文学教授オイロギウス・シュナイダーの講義をライヒャらと聴講。シュナイダーは5年後にジャコバン党貝として処刑。

◆ 5月、フランス革命勃発。フランス革命戦争を経て、ナポレオン戦争に発展、1814年に終結するまでの四半世紀で約500万人がヨーロッパで殺害。

◆ 11月、フランス政府、教会財産を略奪。

◆ 11月、父ヨハン、宮廷歌手を引退。

● 全長調にわたる2つの前奏曲 Op.39 (ピアノまたはオルガン)

 1790年(19〜20歳)

◆ ヨーゼフ2世[1741-1790]、死去。48歳。啓蒙主義者で、宗教寛容令、農奴解放令、死刑・拷問廃止、出版物検閲の大幅な緩和、商工業の保護、プラーター地区解放、カトリック修道院1,188のうち500以上を取り潰し&財産没収、神学校の国営化、宗教行事の廃止、などを勅令として強引に実施。多くの貴族や教会関係者に反発され、没後に皇位を継承した弟のレオポルト2世[1747-1792]は、その多くを元に戻しています。マリー・アントワネット[1755-1793]は実の妹。

◆ ベートーヴェン、宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。

◆ 12月、ベートーヴェン、ボンを訪れたハイドン、ヨハン・ペーター・ザロモン[1745-1815]と会合。

● 弦楽四重奏のためのメヌエット 変イ長調 WoO.209
● 「ヨーゼフ2世の逝去を悼む葬送カンタータ」WoO.87
● 「レオポルト2世の即位を祝うカンタータ」WoO.88


 1791年(20〜21歳)

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。

◆ 3月、「騎士バレエ」がヴァルトシュタイン伯爵の作品として初演。

◆ 8月、「ピルニッツ宣言」。レオポルト2世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世[1744-1797]の2人によるフランスに対するけん制ともとれる単なる威嚇としての軍事言及宣言でしたが、かえってフランスの主戦派民衆を勢いづかせ、「フランス革命戦争」、「ナポレオン戦争」を招き、レオポルト2世の妹のマリー・アントワネットや甥たちなど王族や貴族の大虐殺にも繋がっています。なお、宣言がおこなわれたザクセンのピルニッツ城での会談には、城主でザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト[1750-1827]も加わっていました。フリードリヒ・アウグストはその後、プロイセンと同盟を結んだり、フランス側についたりと、いろいろな策を弄しています。

◆ 9月、ベートーヴェン、ボン宮廷楽団のメンバーとして演奏旅行に出発。

● 「騎士バレエ」WoO.1
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO.38
● リギニのアリエッタ「愛よ来たれ」によるピアノのための24の変奏曲 WoO.65


 1792年(21〜22歳)

◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。

◆ 4月、フランス革命政府が、オーストリアに対して宣戦布告。「フランス革命戦争」の開始(1799年まで)。

◆ 7月、ハイドンがボンを再訪、ウィーンでのベートーヴェンの弟子入りを承諾。

◆ ベートーヴェン、この頃から腹部茄痛・下痢に悩まされ始めます。

◆ 11月2日、ベートーヴェン、ボンを出発。

◆ 11月10日、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の屋根裏部屋に転居。

◆ ベートーヴェン、ハイドンに作曲を師事。

◆ ベートーヴェン、シェンク[1753-1836]に作曲を師事(翌年5月まで)。

◆ 12月18日、父ヨハン死去。

◆ 12月、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の1階に転居。

● 管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103
● ピアノ三重奏のための14の変奏曲 変ホ長調 Op.44
● ピアノ伴奏斉唱「ポンチ洒の歌」WoO.111
● アリア「接吻への試み」 WoO.89
● ソプラノのためのシェーナとアリア「初恋」 WoO.92


 1793年(22〜23歳)

◆ 5月、ベートーヴェン、シェンクのもとでの作曲の勉強を終了。

◆ ベートーヴェン、この頃からサリエリに作曲を師事し始め、1802年頃まで教わっています。

◆ 8月、フランスで大規模な徴兵がおこなわれ、約120万人の兵士が新たに誕生(総人口約2,600万人)。兵站(補給)が追い付かないため、食糧などは現地で調達(略奪)することとなり、民間の犠牲も増大。

◆ 10月15〜16日、北フランスのワティニーの戦いでオーストリア軍敗北。

◆ 10月16日、ヨーゼフ2世の実の妹のマリー・アントワネット王妃[1755-1793]、コンコルド広場でギロチンによって首を切り落とされ、吹きあがる鮮血に、見物に集まった数万人ともいわれる民衆は歓喜。当時のフランスではギロチンによる王族や貴族の処刑が、広場に舞台を設営して実施されるなど、見世物として民衆の人気を獲得。

● 「モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の「もし伯爵様が踊るなら」による12の変奏曲」ヘ長調 WoO.40

 1794年(23〜24歳)

◆ ナポレオン軍、ボン占領。

◆ 1月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガー[1736-1809]に、対位法など作曲技術を師事(翌年3月まで)。

◆ ベートーヴェン、ヴァイオリンをイグナツ・シュッパンツィク[1776-1830]に師事。

◆ 秋、ベートーヴェン、カール・リヒノフスキー侯爵[1756-1814]の客人として邸宅の2階に滞在開始。同家でエステルハージ侯爵ら貴族と幅広く交流。

● ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1
● ピアノ・ソナタ第1番 へ短調 Op.2-1


 1795年(24〜25歳)

◆ ベートーヴェン、腹部疝痛発作に悩まされます。

◆ 3月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガーのもとでの勉強を終了。

◆ 5月頃、ベートーヴェン、「オギルヴィ館」2階に転居。

◆ 3月、ベートーヴェン、ブルク劇場の慈善演奏会でピアノ協奏曲第2番などを弾いてプロの作曲家・ピアニストとしてデビュー。

◆ ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵のプラハ旅行に同行。

● ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
● ピアノ協奏曲第2番 変口長調 Op.19
● 管楽六重奏曲 変ホ長調 Op.81b
● 弦楽五重奏曲 変ホ長調 Op.4(管楽八重奏曲 Op.103の改作)
● ピアノ三重奏曲第2番 卜長調 Op.1-2
● ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3
● フルート、ヴァイオリンとヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25
● 管楽三重奏曲 ハ長調 Op.87
● 弦楽三重奏曲 ハ長調 Op.87(管楽三重奏曲の編曲)
● 弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op.3
● ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 Op.2-2
● ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3
● ロンド・ア・カプリッチョ「なくした小銭への怒り」ト長調 Op.129
● 歌曲「アデライーデ」Op.46


 1796年(25〜26歳)

◆ ベートーヴェン、最初の難聴の症状。

◆ 2月、ベートーヴェン、2度目のプラハ旅行にでかけ、半年かけて単独でドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンもまわります。
◆ 4月、26歳の司令官ナポレオン率いる約2万5千人のフランス軍がイタリア遠征で約7万人のオーストリア・サルディーニャ連合軍を破り、以後、しばらくは各地で連戦連勝。

● 管楽六重奏曲変ホ長調 Op.71
● ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16
● チェロ・ソナタ第1番 へ長調 Op.5-1
● チェロ・ソナタ第2番 卜短調 Op.5-2
● モーツァルト「魔笛」の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲へ長調 Op.66
● ピアノ・ソナタ第19番 卜短調 Op.49-1
● ピアノ・ソナタ第20番 卜長調 Op.49-2
● シェーナとアリア「ああ、不実なる人よ」Op.65
● 8つの歌 Op.52


 1797年(26〜27歳)

◆ ベートーヴェン、発疹チフスに罹患。

◆ 4月、ナポレオンの軍勢がウィーンの近くまで接近。

● ピアノ三重奏曲第4番 変口長調 Op.11「街の歌」
● 弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8
● 4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 Op.6
● ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
● ピアノのためのロンド ハ長調 Op.51-1


 1798年(27〜28歳)

◆ ベートーヴェン、3度目のプラハ旅行。

● ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 へ長調 Op.50
● 弦楽三重奏曲第1番 卜長調 Op.9-1
● 弦楽三重奏曲第2番 二長調 Op.9-2
● 弦楽三重奏曲第3番 ハ短調 Op.9-3
● ヴァイオリン・ソナタ第1番 二長調 Op.12-1
● ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.12-2
● ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3
● ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1
● ピアノ・ソナタ第6番 へ長調 Op.10-2
● ピアノ・ソナタ第7番 二長調 Op.IO-3
● ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
● ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1
● ロンド ト長調 Op.51-2


 1799年(28〜29歳)

◆ ベートーヴェン、ブルンスヴィク伯爵令嬢テレーゼとヨゼフィーネにピアノ指導。

◆ ジュリエッタ・グイチャルディ、チェルニーがベートーヴェンにピアノ演奏で弟子入り。

● ピアノ・ソナタ第10番 卜長調 Op.14-2

 1800年(29〜30歳)

◆ ウィーンの人口約23万人。

◆ ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵から年金600グルデン支給。

◆ 春頃(?)、ベートーヴェン、「グライナー館」に転居。

◆ 冬、ベートーヴェン、年末から翌年にかけてひどい腹痛に悩まされます。

● 交響曲第1番 ハ長調 Op.21
● 七重奏曲 変ホ長調 Op.20
● 弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 Op.18- 1
● 弦楽四璽奏曲第2番 卜長調 Op.18- 2
● 弦楽四重奏曲第3番 二長調 Op.18- 3
● 弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18- 4
● 弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18- 5
● 弦楽四重奏曲第6番 変口長調Op.18- 6
● ホルン・ソナタ ヘ長調 Op.17
● ピアノ・ソナタ第11番 変口長調 Op.22


 1801年(30〜31歳)

◆ ベートーヴェン、サリエリのもとで作曲の勉強。

◆ 11月、ベートーヴェン、ジュリエッタへの恋愛感情。

● バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op.43
● 弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29
● ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.16
● ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23
● ヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 Op.24「春」
● ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26「葬送」
● ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 Op.27-1
● ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
● ピアノ・ソナタ第15番 二長調 Op.28「田園」


 1802年(31〜32歳)

◆ ベートーヴェン、サリエリのもとでの作曲の勉強を終了。

◆ ベートーヴェン、ウィーンに滞在することとなった旧友アントン・ライヒャと交流。ライヒャがウィーンを離れる1808年まで継続。

◆ 秋頃(?)、ベートーヴェン、「銀馬亭」4階に転居。

◆ 10月、ベートーヴェン、「ハイリゲンシュタットの遺書」。

● 交響曲第2番 二長調 Op.36
● ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 卜長調 Op.40
● ヴァイオリン・ソナタ第6番 イ長調 Op.30-1
● ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2
● ヴァイオリン・ソナタ第8番 卜長調 Op.30-3
● ピアノ・ソナタ第16番 卜長調 Op.31-1
● ピアノ・ソナタ第17番 二短調 Op.31-2 「テンペスト」
● ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
● 「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 Op.35
● 7つのバガテル Op.33
● 6つの変奏曲 へ長調 Op.34
● ゲレルトによる6つの歌 Op.48
● 三重唱「おののけ、背徳者」Op.116


 1803年(32〜33歳)

◆ ベートーヴェン、68鍵のピアノを入手(エラール社製)。それまでの楽器は61鍵だったので、表現力強化に直結。翌年のピアノ・ソナタ第21番で音域が拡大。

◆ 春、ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場内に居室を用意されたため弟カールと共に転居。

◆ 5月、イギリス、フランスに対して宣戦布告。

◆ 5月、ヴァイオリン・ソナタ第9番 Op.47作曲。イギリス人ヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワー[1779-1860]のために書かれ、彼とベートーヴェンのピアノ演奏で5月24日に初演。しかし2人は決裂したため、フランス人ヴァイオリニストで知人のロドルフ・クルゼール[1766-1831]に献呈先を変更(クルゼールは結局演奏せず)。

◆ 夏、ベートーヴェン、イギリスの愛国的主題によるピアノのための変奏曲を作曲。

◆ 10月、ベートーヴェン、スコットランド民謡の編曲でイギリスのトムスンと交渉。

● ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.38 (七重奏曲Op.20の編曲)
● ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47
● 行進曲ハ長調 Op.45-1(4手ピアノ)
● 行進曲変ホ長調 Op.45-2(4手ピアノ)
● 行進曲二長調 Op.45-3(4手ピアノ)
● オラトリオ「オリーブ山上のキリスト」Op.85
● ゴッド・セイヴ・ザ・キングによる7つの変奏曲 WoO.78
● ルール・ブリタニアによる5つの変奏曲 Wo0.79
● 歌曲「友情の喜び」Op.88


 1804年(33〜34歳)

◆ 5月、ベートーヴェン、「赤い館」に転居。ニコラウス・エステルハージ侯爵[l765|1833]の賃貸住宅。

◆ 11月、ベートーヴェン、かつての城壁の上に建てられたため見晴らしの良い「パスクァラーティ館」の5階に転居。

◆ 12月、ベートーヴェン、ダイム伯爵未亡人のヨゼフィーネに恋愛感情。

● 交響曲第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」
● ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ハ長調 Op.56
● ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 Op.53「ヴァルトシュタイン」
● ピアノ・ソナタ第22番 へ長調 Op.54


 1805年(34〜35歳)

◆ ベートーヴェン、この頃から間欠性の高熱、腹部疝痛、下痢にも悩まされるようになります。

◆ 11月13日、フランス軍がウィーンを占領。ナポレオン、ウィーン入城。

◆ 11月20日、「レオノーレ」第1稿を上演。上演時タイトルは「フィデリオ」。聴衆の大半がフランス兵で失敗。

◆ 12月2日、アウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア連合軍がナポレオン率いるフランス軍に敗北。

● 「レオノーレ」序曲第2番 Op.72a
● ピアノ・ソナタ第23番 へ短調 Op.57「熱情」
● 歌劇「レオノーレ」第1稿 Op.72
● 歌曲「希望に寄せて」Op.32


 1806年(35〜36歳)

◆ 3〜4月、「レオノーレ」第2稿を上演。上演時タイトルは「フィデリオ」。

◆ 5月、弟カール、ヨハンナ・ライスと結婚。ベートーヴェン宅から独立。

◆ 7月、ナポレオンの圧力によりバイエルン王国、ヴュルッテンベルク王国、バーデン大公国など、ラインラント諸国により「ライン同盟」成立。ドイツ人兵士63,000名が、ナポレオン軍に供され、オーストリア軍と戦うことに。

◆ 8〜10月、ベートーヴェン、シレジアの領地に疎開中のリヒノフスキー侯爵の客として10月末まで滞在。

◆ 11月、ナポレオンにより「大陸封鎖令」発令。産業革命で優位に立っていたイギリスの覇権を貿易で潰し、フランスが覇権国となるための対イギリス経済政策でしたが、マイナス面も多く効果は限定的で、却ってナポレオン没落を速めることにも繋がっています。

◆ ベートーヴェン、イギリスとのやり取りが多かったので、「大陸封鎖令」により、交渉などに支障をきたすようになります。

◆ 12月、ヴァイオリン協奏曲初演。

● 交響曲第4番 変口長調 Op.60
● 「レオノーレ」序曲第3番 Op.72
● ピアノ協奏曲第4番 卜長調 Op.58
● ヴァイオリン協奏曲 二長調 Op.61
● 弦楽四重奏曲第7番 へ長調 Op.59-1「ラズモフスキー第1番」
● 弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」
● 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.63(弦楽五重奏 Op.5の編曲)
● 歌劇「レオノーレ」第2稿 Op.72
● 歌曲「恋人が別れたいと思ったとき」WoO.132


 1807年(36〜37歳)

◆ ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵邸で交響曲第1〜4番とピアノ協奏曲第4番などを演奏。

◆ ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」をブルンスヴィク伯爵に献呈。

◆ ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場の座付き作曲家になる希望を出すものの劇場側は取り合わず。

● 序曲「コリオラン」 Op.62
● 「レオノーレ」序曲第1番 Op.138
● ピアノ協奏曲ニ長調 Op.61(ヴァイオリン協奏曲 Op.61の編曲)
● 創作主題による32の変奏曲 WoO.80
● ミサ曲ハ長調 Op.86


 1808年(37〜38歳)

◆ 3月、ベートーヴェン、ハイドンの76歳誕生日記念演奏会に出席。

◆ 秋、ベートーヴェン、クルーガー通り1074番地に転居。

◆ 秋、ベートーヴェンに対し、ヴェストファーレン国王からカッセル宮廷楽長への就任要請。報酬は年額金貨600ドゥカーテン。

◆ 12月22日、ベートーヴェン、交響曲第5番、第6番」、合唱幻想曲を初演。練習不足と極度の寒さにより失敗。
● 交響曲第5番 ハ短調 Op.67「運命」
● 交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」
● ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 Op.70-1「幽霊」
● ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2
● チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op.69
● 歌曲「憧れ、ゲーテによる」WoO.134
● 歌曲「想い」WoO.136


 1809年(38〜39歳)

◆ 1月、ベートーヴェン、前年秋にヴェストファーレン国王から要請されたカッセル宮廷楽長への就任を受諾する意思を表明。背景には、ベートーヴェンに反対する勢力が、ベートーヴェンの演奏会に出演したサリエリなどにも脅しをかけてきたという事情がありました。

◆ 2月、ベートーヴェン、3人の貴族と年金契約。キンスキー侯爵[1781-1812]が1,800グルデン、ルドルフ大公[1788-1831]が1,500グルデン、ロプコヴィッツ侯爵[1772-1816]が700グルデンで総額4,000グルデン。支払い条件は、ベートーヴェンがオーストリアに在住することで、この年金契約によりカッセル宮廷行きが阻止された格好です。
 オーストリア皇帝フランツ2世の弟であるルドルフ大公からは生涯に渡って年金が支払われるものの、キンスキー侯爵は3年後に落馬で死去、ロプコヴィッツ侯爵は同じく3年後に破産したため、その2人については年金支払いが停止。ベートーヴェンはこれを不服として、1815年にロプコヴィッツ侯爵の管財人と、キンスキー侯爵の相続人を相手取って提訴し、勝訴しています(遡及支払いが適用)。

◆ 春、ベートーヴェン、クレッパーシュタルに転居。

◆ 4月、ウィーン近郊「エックミュールの戦い」でフランス・バイエルン・ヴュルッテンベルクの軍勢がオーストリア軍に勝利。
◆ 5月、ウィーン近郊「アスペルン・エスリンクの戦い」で、オーストリア軍が、ナポレオン率いるフランス軍に勝利。

◆ 7月、ウィーン近郊「ヴァグラムの戦い」で、ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア軍に勝利。

◆ 10月、シェーンブルンの和約。オーストリアはフランスに対し8,500万フランの賠償支払いと、約100,000km²の国土を割譲(約3,500,000人居住)。

◆ ウィーン、フランス軍占領下でインフレが進行。ベートーヴェン自身によれば以前の3倍の生活費水準に上昇。

◆ ベートーヴェン、ピアノ・ソナ第24番をテレーゼ・マルファッティに献呈。

● ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」
● 合唱幻想曲 ハ短調 Op.80
● 弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 Op.74「ハープ」
● ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78
● ピアノ・ソナタ第25番 ト長調 Op.79「ソナチネ]
● 「トルコ行進曲」の主題による6つの変奏曲ニ長調 Op.76
● 幻想曲 Op.77
● 4つのアリエッタと1つの二重唱曲 Op.82
● 6つの歌 Op.75
● 歌曲「逝かよりの歌」WoO.137
● 歌曲「異郷の若者」WoO.138
● 歌曲「恋する男」WoO.139
● モーツァルトのピアノ協奏曲第20番への2つのカデンツァ WoO.58


 1810年(39〜40歳)

◆ 4月、ベートーヴェン、「パスクァラーティ館」に再び転居。年間賃料500グルデン。

◆ 4月、ベートーヴェン、テレーゼ・マルファッティのために「エリーゼのために」作曲。求婚は失敗。

◆ ベートーヴェン、テレーゼ・ブルンスヴィクとの婚約を解消。

◆ ベートーヴェン、ゲーテと親交のあったベッティーナ・ブレンターノらと交流。
◆ ウィーンのインフレ進行が継続。ベートーヴェンの手紙によれば以前の4倍の水準に上昇。

● 劇音楽「エグモント」Op.84
● 弦楽四重奏曲第11番 へ短調 Op.95「セリオーソ」
● ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 Op.81a「告別」
● 「エリーゼのために」WoO.59
● 軍楽のためのエコセーズ WoO.23
● 軍楽のためのポロネーズ WoO.21
● ゲーテによる3つの歌 Op.83
● アイルランド民謡編曲
● スコットランド民謡編曲
● ウェールズ民謡編曲


 1811年(40〜41歳)
◆ 2月、オーストリア政府、デフォルト宣言。銀行券は流通無効とし、補償紙幣と5対1で交換。実質的には通貨5分の1切り下げ政策。

◆ 夏、ベートーヴェン、湯治のためボヘミアのテプリッツに旅行。詩人のクリストフ・アウグスト・ティートゲ[1752-1841]や、歌手のアマーリエ・ゼーバルト[1787-1846]と交流。
◆ 9月、オーストリア皇帝フランツ2世の勅令により通貨改定がおこなわれ、80%切り下げを約60切り下げまで緩和。

◆ 10月、ベートーヴェン、合唱幻想曲 Op.80が、出版社のブライトコップ&ヘルテルによって勝手にバイエルン国王に献呈されたことで激怒。当時、バイエルンはフランス側で、オーストリアの敵であり、また出版社の所在地ザクセン王国は、少し前にプロイセンとの同盟を破棄してフランス側に寝返っていたところでもありました。

● 「アテネの廃墟」のための音楽 Op.113
● 「アテネの廃墟」のための行進曲と合唱 Op.114
● 「シュテファン王」のための音楽 Op.117
● ピアノ三重奏曲第7番 変口長調 Op.97 「大公」


 1812年(41〜42歳)

◆ 2月、ピアノ協奏曲第5番、チェルニー独奏によりウィーン初演。

◆ 7〜10月、ベートーヴェン、再びテプリッツに湯治旅行。ゲーテと交流。アマーリエ・ゼーバルトと再会。プラハ、カールスバートもまわる長期滞在。

◆ 10〜11月、ベートーヴェン、リンツに滞在。裁判所や警察の手も借りて弟ヨハンと家政婦テレーズの交際をやめさせようとするものの、弟ヨハンは結局テレーズと結婚。

◆ ベートーヴェン、「不滅の恋人への手紙」を書きます。

● 交響曲第7番イ長調 Op.92
● ピアノ三重奏曲 アレグレット WoO.39
● ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調 Op.96
● 4つのトロンボーンのための3エクアーレ WoO.30
● アイルランド民謡編曲


 1813年(42〜43歳)

◆ 8月、オーストリア、フランスに宣戦布告。

◆ 10月、バイエルン王国、ライン同盟を離脱し、オーストリアと同盟。

◆ 10月、「ライプツィヒの戦い」。約19万5千人のフランス軍(含むワルシャワ公国、ナポリ王国、ライン同盟)は、約36万5千人の連合軍(オーストリア、プロイセン、ロシア、スウェーデン)に破れ、ライン同盟のザクセン王国軍の一部が離反するなどフランス劣勢となり、ナポレオンは逃走。

◆ ベートーヴェン、右耳の聴力を完全に喪失。

◆ ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵やキンスキー侯爵らを、年金不払いで提訴。

◆ 5月、ベートーヴェン、バーデン・バイ・ウィーンに滞在開始。

● 交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
● 「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)」Op.91
● 歌曲「ナイチンゲールの歌」WoO.141
● チェンバロ伴奏歌曲「吟遊詩人の亡霊」WoO.142


 1814年(43〜44歳)

◆ 2月、ベートーヴェン、「バルテンシュタイン館」に転居。

◆ ベートーヴェン、交響曲第7番と第8番を初演。

◆ 4月、ナポレオン、エルバ島に追放。

◆ 5月、ベートーヴェン、「フィデリオ」初演。成功。

◆ 9月、「ウィーン会議」開始。

● ピアノ・ソナタ第27番ホ短調 Op.90
● ポロネーズ ハ長調 Op.89
● 歌劇「フィデリオ」Op.72
● 歌劇「フィデリオ」序曲 Op.72
● パスティッチョ・ジングシュピール「よい知らせ」の終結合唱「ゲルマニア」WoO.94
● カンタータ「栄光の時」Op.136
● 四重唱と弦楽器のための「悲歌」Op.118
● 「別れの歌」WoO.102
● 合唱曲「田園のカンタータ」WoO.103
● 合唱曲「汝ら、幸せな国々の賢き建国者たちよ」WoO.95
● 歌曲「メルケンシュタイン」WoO.144
● 歌曲「兵士の別れ」タイン」WoO.143
● カノン「友楕は真の幸せの源」WoO.164
● 音楽による戯れ「ひとりで、ひとりで」WoO.205b
● 音楽による戯れ「私はzuの殿、あなたはvonの殿」WoO.199


 1815年(44〜45歳)

◆ 2月頃、ベートーヴェン、「ランベルティ館」に転居。別宅として「ローマ皇帝館」も賃貸契約。

◆ 3月、ナポレオン、エルバ島を脱出。

◆ 5月、「フィデリオ」上演。成功

◆ 6月、「ウィーン会議」終了。

◆ 11月、弟カール、結核で死去。

◆ ベートーヴェン、貴族相手の年金訴訟に勝訴。

● 序曲「命名祝日」Op.115
● 劇音楽「エレオノーレ・プロハスカ」WoO.96
● チェロ・ソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1
● チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2
● カンタータ「静かな海と楽しい航海」Op.112
● 「凱旋門」のフィナーレ「成就せり」 WoO.97
● 歌曲「秘密」WoO.145
● 歌曲「希望に寄せて」Op.94
● 二重唱「メルケンシュタイン」Op.100
● カノン「新年おめでとう」WoO.165
● カノン「苦しみは短く」WoO.166


 1816年(45〜46歳)

◆ 6月、オーストリア銀行設立。

◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。

◆ ベートーヴェン、甥カールの母ヨハンナから提訴。

● カカドゥ変奏曲 ト長調 Op.121
● ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op.101
● 歌曲集「はるかな恋人に」Op.98
● 歌曲「約束を守る男」Op.99
● 歌曲「山からの呼び声」WoO.147
● 音による戯れ「私はあなたにキスをする」WoO.169
● 25のスコットランド民謡 Op.108


 1817年(46〜47歳)

◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。

◆ 5月、ベートーヴェン、ラントシュトラーセ268番地に転居。

◆ ベートーヴェン、甥カールをチェルニーに師事させます。

● 弦楽五重奏のためのフーガ ニ長調 Op.137
● 歌曲「いずれにしても」WoO.148
● 「修道僧の歌」WoO.104
● 音楽による戯れ「おお、副官」WoO.205c
● 音楽による戯れ「どこ? どこ?」WoO.205d


 1818年(47〜48歳)

◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。

◆ 5月、ベートーヴェン、メートリンクに滞在。

◆ ベートーヴェン、73鍵のピアノをブロードウッド社から贈呈され、作曲中のピアノ・ソナタ第29番の音域が拡大。

◆ ベートーヴェン、ゲルトナー小路6番地に転居。

◆ ベートーヴェン、聴力悪化により、相手の用件を会話帳に書いてもらい、それに口頭で答えるというコミュニケーション方法が本格化。

◆ 7月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からのふたつの交響曲の作曲依頼に対し、返答を保留。

◆ 甥カールが母親の家に逃げ、ベートーヴェンは母親から再び告訴。

● ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
● 6つの民謡主題と変奏曲 Op.105
● 10の民謡主題と変奏曲 Op.107


 1819年(48〜49歳)

◆ 10月、ベートーヴェン、「金色の梨館」に転居。

◆ 11月15日、弟カール死去。

◆ 弟カールの息子であるカール(甥)の後見問題が発生。弟カールが遺言で、妻と息子を引き離さないよう言及していたことで、ベートーヴェンと甥カールの母親とのあいだで法廷闘争が長期化。

◆ ベートーヴェン、聴力悪化。

● 「さあ、友よ、結婚の神を歌え」WoO.105
● カノン「新年おめでとう」WoO.176
● カノン「悪魔に食われてしまえ」WoO.173
● 音楽による戯れ「成就」WoO.205e
● 「信じ、希望せよ」WoO.174


 1820年(49〜50歳)

◆ ベートーヴェン、甥カールの後見問題で勝訴。

◆ 12月、10年以上に渡って秘書を務めたフランツ・オリヴァーが職を辞し、サンクト・ペテルブルクに転居。

● ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
● 歌曲「僕のことを想っていて」WoO.130
● 歌曲「星空の下のタベの歌」WoO.150
● カノン「ホフマンよ、宮廷人でありなさるな」WoO.180
● カノン「糞たれは描かれず」WoO.224
● 音楽による戯れ「殿下! お元気で、ご多幸を」WoO.179


 1821年(50〜51歳)

◆ 1〜2月、ベートーヴェン、療養生活。リウマチ(関節炎?)により健康状態が悪化。

◆ 3月、ルドルフ大司教、叙階式。

◆ ベートーヴェン、この頃、ラントシュトラーセ244番地に居住。

◆ 7月、黄疸発生。

◆ 夏から初秋、転地療養。

◆ 10月、ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス作曲に加え、ピアノ・ソナタ第31番と第32番の作曲を開始。

● ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
● ピアノ曲 口短調 Wo061
● カノン「おお、トビアス!」WoO.182


 1822年(51〜52歳)

◆ 秋、ベートーヴェン、ヴィントミューレ60番地に転居。

◆ ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス完成。

◆ ベートーヴェン、アントン・シンドラーを秘書として雇用。

◆ 12月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に対し、4年前に依頼された交響曲の作曲を承諾した旨、連絡。

● 序曲「献堂式」Op.124
● ヴァイオリンニ重奏曲 WoO.34
● ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
● 11の新バガテル Op.119
● 奉献歌 Op.121b
● 同志の歌 Op.122
● アリエッタ「くちづけ」Op.128
● 3つのカノン「きょうはバーデンのことを忘れるな」「ごきげんよう」「徳は空事にあらず」WoO.181


 1823年(52〜53歳)

◆ ベートーヴェン、ディアベッリ変奏曲とミサ・ソレムニス作曲中、視力悪化について言及。虹彩炎の疑い。

◆ 夏、ベートーヴェン、交響曲第9番の作曲に専念。

◆ 10月、ベートーヴェン、「美しき女奴隷館」に転居。

● ディアベッリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120
● ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123
● ピアノ伴奏カンタータ「我らの尊き伯爵」WoO.106
● カノン「ファルスタッフ君、登場しろ」WoO.184
● カノン「太っちょさん、不義の子は勝利した」WoO.226
● カノン「人間は気高く、惜け深く、善良であれ」WoO.185
● カノン「このような恩寵に感謝申しあげます」WoO.225
● 記念帳記入「善なるものに美を」WoO.202
● 記念帳記入「高貴なる人間は親切で善良であれ」WoO.151


 1824年(53〜54歳)

◆ ベートーヴェン、聴力を完全に喪失。

◆ 4月7日、ミサ・ソレムニス、サンクト・ペテルブルクで初演。

◆ 5月7日、交響曲第9番、ケルントナートーア劇場で初演。

◆ 5月、ベートーヴェン、ヨハネス小路969番地に転居。

◆ 7月、ベートーヴェン、黄疸症状。

◆ 年末、ベートーヴェン、鼻出血。

● 交響曲第9番 ニ短調 Op.125「合唱」
● 弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 Op.127
● 6つのバガテル Op.126
● ピアノのためのワルツ 変ホ長調 WoO.84
● カノン「親愛なる伯爵様、貴方はお人好し」WoO.183
● カノン「汝のみ敬愛す」WoO.186
● カノン「ふざけないでこっちを向け」WoO.187
● 音楽による戯れ「トビアス! パーテルノステル小路の住人」WoO.205g


 1825年(54〜55歳)

◆ ウィーンの人口約29万人。

◆ ベートーヴェン、クルーガー通り10091番地に転居。

◆ 5月31日、アン・デア・ウィーン劇場閉鎖。所有者パルフィ伯爵の破産により。音楽家への未払い報酬も。

◆ ベートーヴェン、吐血。

◆ ベートーヴェン、春から初秋までバーデン・バイ・ウィーンで静養。

◆ 10月、ベートーヴェン、シュヴァルツシュパニアー通りの「シュヴァルツシュパニアー館」に転居。ここが終の棲家となります。シュヴァルツシュパニアー(黒いスペイン人)の名の由来は、17世紀から18世紀にかけて通りに存在していたスペインのベネディクト会修道院の僧衣が黒かったからで、同じスペイン修道院でも白い僧衣を着用していた三位一体派と区別するための呼称として定着した言葉でした。

◆ ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に招待されるものの、金銭条件がで不満で拒否。

◆ 11月29日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会の名誉会員に推挙。

● 弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130
● 弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132
● 2つのチェロのためのカノンWoO.35
● ピアノ曲ト短調WoO.61a
● ピアノ・ワルツWoO.85
● ピアノ・エコセーズWoO.86
● カノン「神は堅き砦」WoO.188
● カノン「医者先生は死神に門を閉ざす」WoO.189
● カノン「善なるものに美を」WoO.203
● カノン「私はお伺いしました、医者先生」WoO.190
● カノン「寒いよ、暖かくないよ」WoO.191
● カノン「芸術は長く、人生は短し」WoO.192
● カノン「人生は門ではなく」WoO.194
● カノン「人生を楽しめ」WoO.195
● 音楽による戯れ「トビアス、トビアス」WoO.205h
● 音楽による戯れ「ああ、トビアス」WoO.228a


 1826年(55〜56歳)

◆ 1月、ベートーヴェン、激しい腹痛、視力も低下。

◆ 7月30日、甥カール、ピストルによる自殺未遂。

◆ 9月28日、ベートーヴェン、甥カールと共に、薬剤師として成功し大農場も所有していた弟ヨハンの邸宅に滞在。弟ヨハンの招きによるものでしたが、ベートーヴェンは家賃・食費を支払っています。

◆ 11月、ベートーヴェン、弟ヨハン邸からの帰路は幌の無い馬車で、肺炎を発症。肝障害も悪化。呼吸促拍状態。

◆ 12月1日、ベートーヴェン、「シュヴァルツシュパニアー館」に帰館。

◆ 12月12日、ベートーヴェン、黄疸症状も現れて健康状態が悪化。腹水も出現。

◆ 12月20日、ベートーヴェン、腹水穿刺手術。10リットル近くの腹水を廃液。

● 弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131
● 弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135
● 弦楽四重奏のための大フーガ 変ロ長調 Op.133
● 弦楽四童奏曲第13番の新たな第6楽章
● 大フーガ変ロ長調 Op.134(Op.133の4手ピアノ編曲)
● 弦楽五重奏曲ハ長調(未完) WoO.62
● カノン「そうあらねばならぬ」WoO.196
● カノン「ここに作品がある」WoO.197
● カノン「ロバのなかのロバ」WoO.227
● 音楽による戯れ「やあトビアス」WoO.205i


 1827年(56歳)

◆ 1月2日、甥カール、イグラウの駐屯地に向けて出発。

◆ 1月3日、ベートーヴェン、甥カールを唯一の相続人とする遺言状を作成。

◆ 1月8日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。2度目。

◆ 2月2日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。3度目。

◆ 2月27日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。4度目。

◆ 3月7日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会名誉会員証を受領。

◆ 3月18日、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からの見舞金100ポンド(約1,000グルデン)送付への令状を口述筆記。最後の手紙。同日、シューベルトが見舞いのため訪問。

◆ 3月23日、ベートーヴェン、意識混濁。

◆ 3月24日、ベートーヴェン、病者の塗油の秘跡を受けます。

◆ 3月26日17時45分、ベートーヴェン死去。56歳。死因は肝硬変と記載。遺産は現金1,215グルデン、アルンシュタイン&エスケレス銀行の株券7,441グルデン、遺品競売1,140グルデンなど約1万グルデン。

◆ 3月27日、遺言によりヨハネス・ヴァーグナー医師と、アンドレアス・ヴァヴルフ医師が遺体解剖。解剖記録原本はウィーン大学病理解剖学研究所に保管。近年の研究で、ベートーヴェンが鉛中毒だったことも判明。ベートーヴェンがワインを飲む際に常用していた容器に鉛が使用されていたのが最大の原因とも考えられており、これによりさまざまな健康問題が引き起こされた可能性が高いということです。

◆ 3月28日、デスマスク作成。なぜか解剖の翌日に作成された為、通常のデスマスクと異なり、死亡時肖像としての客観的証拠にはなり得ず、また同じタイミングで描かれたという死の床のスケッチも、同様の理由で、死亡時の姿を伝えるものとは言えない状態にあるようです。

◆ 3月29日、アルザーシュトラーセの三位一体教会で葬儀。約2万人が参列し、約500メートルの距離を1時間半かけて移動、ヴェーリング墓地に埋葬。

◆ 1888年、ウィーン中央墓地に改葬。



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【バロック作曲家 (生年順)】

バード [c.1540-1623]
カッツァーティ [1616-1678]
ルイ・クープラン [1626-1661]
クープラン一族
ダンドリュー [1682-1738]
スタンリー [1713-1786]
【古典派&ロマン派作曲家 (生年順)】

モンジュルー [1764-1836]  (ピアノ系)
ベートーヴェン [1770-1827]
ジャダン [1776-1800]  (ピアノ系)
リース [1784-1838]
ブルックナー [1824-1896]
ルクー [1870-1894]
レーガー [1873-1916]

【近現代作曲家 (生年順)】

レーバイ [1880-1953]  (ギター系)
マルティヌー [1890-1959]
ミゴ [1891-1976]  (ギター系も)
ショスタコーヴィチ [1906-1975]
ラングレー [1907-1991]  (オルガン系)
アンダーソン [1908-1975]
デュアルテ [1919-2004]  (ギター系)
プレスティ [1924-1967]  (ギター系)
ヘンツェ [1926-2012]
坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者 (ドイツ・オーストリア)】

アーベントロート (ベートーヴェンシューマンブルックナーブラームスモーツァルトチャイコハイドン)
エッシェンバッハ
カラヤン
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィルベルリン・フィルミュンヘン・フィル国立歌劇場管レジェンダリー)
クラウス
クリップス
クレンペラー (VOX&ライヴザルツブルク・ライヴVENIASボックス
サヴァリッシュ
シューリヒト
スイトナー (ドヴォルザークレジェンダリー)
フリート
フルトヴェングラー
ベーム
ヘルビヒ (マーラーショスタコブラームス)
メルツェンドルファー
ヤノフスキー
ライトナー
ラインスドルフ
レーグナー (ブルックナーマーラーヨーロッパドイツ)
ロスバウト
【指揮者 (ロシア・ソ連)】

ガウク
クーセヴィツキー
ゴロワノフ
ペトレンコ
マルケヴィチ
【指揮者 (アメリカ)】

クーチャー (クチャル)
スラトキン (父)
ドラゴン
バーンスタイン
フェネル
【指揮者 (オランダ)】

オッテルロー
クイケン
ベイヌム
メンゲルベルク
【指揮者 (フランス)】

パレー
モントゥー
【指揮者 (ハンガリー)】

セル
ドラティ
【指揮者 (スペイン)】

アルヘンタ
【指揮者 (スイス)】

アンセルメ
【指揮者 (ポーランド)】

クレツキ
【指揮者 (チェコ)】

ターリヒ
【指揮者 (ルーマニア)】

チェリビダッケ
【指揮者 (イタリア)】

トスカニーニ
【指揮者 (イギリス)】

バルビローリ
【指揮者 (ギリシャ)】

ミトロプーロス
【鍵盤楽器奏者 (楽器別・生国別)】

【ピアノ (ロシア・ソ連)】

ヴェデルニコフ
グリンベルク
ソフロニツキー
タマルキナ
ニコラーエワ
ネイガウス父子
フェインベルク
フリエール
モイセイヴィチ
ユージナ
【ピアノ (フランス)】

カサドシュ
ティッサン=ヴァランタン
ハスキル
ロン
【ピアノ (ドイツ・オーストリア)】

キルシュネライト
シュナーベル
デムス
ナイ
【ピアノ (南米)】

タリアフェロ
ノヴァエス
【チェンバロ】

ヴァレンティ
カークパトリック
ランドフスカ
【弦楽器奏者 (楽器別・五十音順)】

【ヴァイオリン】

オイストラフ
コーガン
スポールディング
バルヒェット
フランチェスカッティ
ヘムシング
リッチ
レビン
【チェロ】

カサド
シュタルケル
デュ・プレ
ヤニグロ
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】

【クラリネット】

マンツ

【ファゴット】

デルヴォー (ダルティガロング)
【オーボエ】

モワネ
【歌手】

ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル (編成別・五十音順)】

【三重奏団】

パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】

フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】

グリラー弦楽四重奏団
シェッファー四重奏団
シュナイダー四重奏団
ズスケ四重奏団
パスカル弦楽四重奏団
ハリウッド弦楽四重奏団
バルヒェット四重奏団
ブダペスト弦楽四重奏団
フランスの伝説の弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団

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人物・団体紹介

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ブラームス(1833-1897)

1833年:北ドイツのハンブルクでヨハネス・ブラームス誕生。 1843年:演奏会にピアニストとして出演。作曲家、ピアニストのマルクスゼンに師事。 1852年:ピアノ・ソナタ第2番が完成。 1853年:ピアノ・ソナタ第1番、ピアノ・ソナタ第3番が完成。 1854年:ピアノ三重奏曲第1番、シューマンの主題による変奏曲が完成。

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