- TOP
- Music CD・DVD
- Classical
- Beethoven (1770-1827)
- "COMP.PIANO CONCERTOS,ETC:ROSEL(P)FLOR/BERLIN SO +PIANO SONATA,8,14,17,18,23,24,29,"
- [Germany Edition, Import, CD] "COMP.PIANO CONCERTOS,ETC:ROSEL(P)FLOR/BERLIN SO +PIANO SONATA,8,14,17,18,23,24,29,"
CD Import
"COMP.PIANO CONCERTOS,ETC:ROSEL(P)FLOR/BERLIN SO +PIANO SONATA,8,14,17,18,23,24,29,"
Item Details
Catalogue Number
:
BC0303515
Number of Discs
:
5
Format
:
CD
Other
:
Import
Product Description

思慮深く絶妙な「テンペスト」ほかレーゼル全盛期の優秀録音集
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集、ピアノ・ソナタ集(5CD)
レーゼル、フロール指揮ベルリン交響楽団
ペーター・レーゼルは、エテルナ時代にベートーヴェンのピアノ・ソナタ・アルバムを3枚制作しており、ここではそのすべてを収録。曲目は、「悲愴」「月光」「テンペスト」「狩」「テレーゼ」「ハンマークラヴィーア」。
作品構造がよくわかる楽譜尊重系の演奏
レーゼルの演奏は入念なもので、精妙にコントロールされた打鍵によって、対旋律までよく聴こえる見通しの良い響きを実現。楽譜を尊重したうえで細部まで練り上げ、作品の魅力を明らかにします。
「テンペスト」での思慮深い表現
第3楽章アレグレットをアレグロで演奏するピアニストが多い中、レーゼルは楽譜通りにアレグレットで弾き進めて楽譜情報をすべて引き出した演奏を聴かせています。そうした傾向は、他のピアノ・ソナタやピアノ協奏曲、ロンドでも同様で、弾き崩しや弾き飛ばしといった安易な表現に陥ることが決してありません。
若きフロールの見事な指揮
協奏作品では、ベルリン交響楽団の首席指揮者をヘルビヒから引き継いだクラウス・ペーター・フロール指揮によるフットワークの良い充実した演奏が聴けます。1953年ライプツィヒ生まれのフロールは、西ドイツによる東ドイツの吸収統合という巨大な政治イベントの影響を受けており(マズア以外は非ドイツ人指揮者と交代)、ドイツでの指揮キャリアをまともに築くことができませんでしたが、その実力はここでの協奏作品での指揮ぶりでも明らかです。

収録内容
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
Disc 1
◆ ピアノ協奏曲第1番ハ長調 op.15
録音:1991年、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.19
録音:1991年、東ベルリン、キリスト教会
Disc 2
◆ ピアノ協奏曲第3番ハ短調 op.37
録音:1988年、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ協奏曲第4番ト長調 op.58
録音:1989年、東ベルリン、キリスト教会
Disc 3
◆ ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 op.73「皇帝」
録音:1989年、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
録音:1982年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 Op.13「悲愴」
録音:1982年、ドレスデン、ルカ教会
Disc 4
◆ ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調 Op.57「熱情」
録音:1980年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調 Op.78「テレーゼ」
録音:1979年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
録音:1979年、ドレスデン、ルカ教会
Disc 5
◆ ピアノ・ソナタ第17番ニ短調 Op.31-2「テンペスト」
録音:1984年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 Op.31-3「狩」
録音:1984年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノと管弦楽のためのロンド 変ロ長調 WoO.6
録音:1989年、東ベルリン、キリスト教会
ペーター・レーゼル(ピアノ)
ベルリン交響楽団
クラウス・ペーター・フロール(指揮)


同時発売
ブラームス:ピアノ独奏曲全集、ピアノ五重奏曲 (5CD)ペーター・レーゼル(ピアノ)、ブラームス弦楽四重奏団
録音:1972〜1974年
Berlin Classics 0303514BC
演奏者情報
ペーター・レーゼル
ドレスデンで誕生
1945年2月2日、母はレーゼルをドレスデン市内の病院で出産しますが、難産(鉗子分娩)で衰弱していたため体調が回復するまで病院で過ごし、母子ともに退院できたのは2月13日のことでした。その際、父が徴兵されて誰もいない自宅ではなく、ドレスデン中心部に近い住宅地、シュトリーゼン地区にある実家に帰宅しています。

ドレスデン無差別爆撃
退院した日の夜10時には民間人大量虐殺を主目的としたイギリス軍によるドレスデン無差別爆撃が始まり、高性能爆弾で破壊したうえで焼夷弾により火災旋風を巻き起こして人々を焼き殺す残虐な作戦を旧市街中心に実行。3時間後、深夜1時過ぎには中央駅付近を対象にさらに大規模な爆撃をおこない、多くの市民が避難していたエルベ川沿いの緑地や公園も攻撃し、計2,659トンの爆弾を投下。翌14日朝にはアメリカ軍が311機のB17と200機のP51によって軍需工場や鉄道駅、鉄道修理工場、鉄道橋、病院などを爆弾や重機関銃で攻撃。アメリカ軍は翌15日にも攻撃したほか、3月2日と4月17日にも攻撃をおこない計4,070トンの爆弾を投下。住民の多くは女性や子供、老人でした。

ドレスデンの廃墟化
イギリス軍とアメリカ軍の残虐な攻撃によりドレスデン全域が大きな被害を受け、旧市街付近はほぼ壊滅。レーゼルの両親が暮らしたアパートや、レーゼルが当日まで滞在していた病院も破壊されています。

九死に一生を得たレーゼル
レーゼルと母が身を寄せていた実家の近くには、有名な聖母教会やルカ教会もありましたが、前者は破壊、後者は無傷と明暗が分かれ、レーゼルのいた実家のあるビルも無傷でした。まさに九死に一生を得たという状況です。

音楽家の家庭
レーゼルの父は指揮者でしたが、戦争末期に徴兵されて1945年1月30日に戦死。母は歌手で、戦後はドレスデン国立歌劇場の合唱団に所属。ゼンパーオーパー(ドレスデン国立歌劇場)はイギリス軍の爆撃で大破して使用不能でしたが、音楽愛好家の多い都市だったこともあり、ドレスデン国立歌劇場のメンバーは臨時の会場でオペラ上演を継続。1948年9月には被害の比較的少なかった演劇用のシャウシュピールハウス(ドレスデン国立劇場)が再建されたため、演劇、バレエと共同で使用するようになります(1985年にゼンパーオーパーが再建されるまでの37年間)。同居する祖父はエンジニアですが、レストランでベートーヴェンの交響曲の短縮版をピアノで披露するほどの腕前でした。
初期教育
1949年、身を寄せた祖父母宅にピアノがあったことで、レーゼルは4歳からピアノと楽譜について家族から教わるようになり、6歳からは、プロのピアニストでのちにドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学教授となるインゲボルク・フィンケ=ジークムント[1919-2012]の指導が開始。上達すると、母が自宅で自分のパートの練習をする際にピアノ伴奏をおこなうようになります。
クロイツシューレ
1951年、併設された少年合唱団「クロイツコール(ドレスデン聖十字架合唱団)」が有名な市営学校「クロイツシューレ」に入学。5年生以降は「クロイツ・ギムナジウム」の生徒となり、ギムナジウムではアビトゥーアも取得可能。卒業生には、ペーター・シュライヤー、テオ・アダム、カール・リヒター、ハルトムート・ヘンヒェンなどがいます。レーゼルはアビトゥーアに合格し、ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学入学許可を得ています。

ローベルト・シューマン国際コンクール
1963年に東ドイツのツヴィッカウで開催。ピアノ部門に出場して2位。レーゼルは審査員のグルジア人、ドミトリー・アレクサンドロヴィチ・バシキーロフ[1931-2021]に実力を認められ、モスクワ音楽院で学ぶよう誘われます。バシキーロフはソ連と東ドイツの間に設定された奨学金制度をレーゼルが利用できるよう東ドイツ文化省の役人に要請。ちなみに1位はアルメニア人のネリー・アコピアン[1941- ]で、バシキーロフの弟子でした。
モスクワ音楽院
1964年から留学。レーゼルはモスクワ音楽院の学生の水準の高さに驚きながら、リヒテルやギレリス、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、ショスタコーヴィチらを身近に見かける環境にも圧倒されていました。

モスクワ音楽院/バシキーロフ
1964年からバシキーロフに2年間師事。バシキーロフはトビリシ音楽院からモスクワ音楽院に移り、ゴリデンヴェイゼルに師事して助手も務め、1957年からは自身のクラスをつくりあげています。

チャイコフスキー国際コンクール
1966年に出場して6位。1位はソ連のグリゴリー・ソコロフ、2位はアメリカのミッシャ・ディクター(ディヒターとも)、3位はソ連のヴィクトル・エレスコ、4位もソ連のアレクサンドル・スロボジャニクとゲオルギー・シロタ、5位がアメリカのエドワード・アウアーとジェイムズ・ディックという具合に米ソ雪解け演出に余念がなく、レーゼルはフランスのフランソワ=ジョエル・ティオリエと共に6位でしたが、ドイツ人初の入賞で話題となります。ちなみに審査には師のバシキーロフは参加していませんでした。

モスクワ音楽院/オボーリン
1966年からは大御所のレフ・オボーリン[1907-1974]に師事。チャイコフスキー国際コンクールの審査員でもあったオボーリンは、1928年から演奏と教育を両立させてきた大ベテランで、レーゼルは3年に渡って指導を受けています。

モントリオール国際ピアノ・コンクール
1968年に出場して2位。1位はギャリック・オールソン(アメリカ)。特別賞はアレクセイ・リュビモフ(ソ連)。
東ドイツのコンサート組織「キュンストラーアゲントゥア」
1970年、東ドイツで海外公演を取り仕切る代理店「キュンストラーアゲントゥア(アーティスト・エージェンシー)」に注目され、クルト・ザンデルリング指揮ゲヴァントハウス管弦楽団のイギリス&ベルギー・ツアーに同行。
「ゲヴァントハウス」に所属
1976年9月に「ゲヴァントハウス」に専属ピアニストとして所属することになり、1991年までの15年間在籍。「ゲヴァントハウス」には、オーケストラのほか、合唱団、児童合唱団、歌手、室内アンサンブル、オルガニストなども所属。
コンサート
現在までに、5大陸47カ国で約3,000回の演奏実績があります。共演した指揮者は、ルドルフ・ケンペ、クルト・ザンデルリング、キリル・コンドラシン、クラウス・テンシュテット、ヘルベルト・ブロムシュテット、クルト・マズア、ホルスト・シュタイン、ベルナルト・ハイティンク、ギュンター・ヘルビヒ、ヴラジーミル・フェドセーエフ、シャルル・デュトワ、ユーリ・テミルカーノフ、マレク・ヤノフスキー、ドミトリー・キタエンコ、ハンス・フォンク、ハルトムート・ヘンヒェン、クラウス・ペーター・フロール、ダニエル・ハーディング、若杉弘、朝比奈隆等、多数。
共演したオーケストラは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ベルリン交響楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、ロイヤル・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン・フィル、モーツァルテウム管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、デトロイト交響楽団、ニューヨーク・フィル、ロサンジェルス・フィル等、多数。
年表
1945 1946 1947 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 1959 1960 1961 1962 1963 1964 1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024
1945年/昭和20年 (0歳)
◆ 2月2日、ドレスデンの病院で誕生。
◆ 2月13日、退院して母の実家に滞在。
◆ 2月13日、ドレスデン無差別爆撃開始。
1946年/昭和21年 (0〜1歳)
◆
1947年/昭和22年 (1〜2歳)
◆
1948年/昭和23年 (2〜3歳)
◆
1949年/昭和24年 (3〜4歳)
◆ 家庭でのピアノのレッスンが開始。
1950年/昭和25年 (4〜5歳)
◆ 家庭でのピアノのレッスンを継続。
1951年/昭和26年 (5〜6歳)
◆ オペラを初めて鑑賞。ケンペ指揮ドレスデン国立歌劇場による「魔弾の射手」。
◆ ドレスデン・クロイツシューレ入学。

◆ インゲボルグ・フィンケ=ジークムント[1919-2012]によるピアノの指導が開始。
1952年/昭和27年 (6〜7歳)
◆ ドレスデン・クロイツシューレ在学。

◆ 2月、国家保安省(シュタージ)設置。
◆ 5月、東ドイツと西ドイツの間に国境が設定。国境から500m以内に居住する者は、強制的に退去。
1953年/昭和28年 (7〜8歳)
◆ ドレスデン・クロイツシューレ在学。

◆ 3月5日、スターリン死去。
1954年/昭和29年 (8〜9歳)
◆ ドレスデン・クロイツシューレ在学。

1955年/昭和30年 (9〜10歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウムに進級。

◆ 5月6日、西ドイツがNATOに加盟。
◆ 5月14日、NATOに対抗するためワルシャワ条約機構が設立。
◆ 11月、西ドイツが再軍備を開始。
1956年/昭和31年 (10〜11歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1957年/昭和32年 (11〜12歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1958年/昭和33年 (12〜13歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1959年/昭和34年 (13〜14歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1960年/昭和35年 (14〜15歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

◆ 9月、ドイツ社会主義統一党(SED)の中央委員会第一書記であるヴァルター・ウルブリヒト[1893-1973]が、初代の「国家評議会議長」に就任。ウルブリヒトは、党の第一書記は1971年に健康問題を理由に辞任させられるものの、「国家評議会議長」には1973年に亡くなるまで留まっています。
1961年/昭和36年 (15〜16歳)
◆ ドレスデン市庁舎のアトリウムで、ウェーバーのコンツェルトシュテュックを演奏。
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1962年/昭和37年 (16〜17歳)
◆ オットマール・ゲルスター[1897-1969]のピアノ曲を放送用に録音。
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム在学。

1963年/昭和38年 (17〜18歳)
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウムでアビトゥーアに合格。
◆ ドレスデン・クロイツ・ギムナジウム卒業。

◆ ツヴィッカウ・シューマン国際コンクール出場。第2位。第1位はバシキーロフの弟子のアルメニア人、ネリー・アコピアン[1941- ]
◆ 審査員のグルジア人、ドミトリー・アレクサンドロヴィチ・バシキーロフに実力を認められ、モスクワ音楽院で学ぶよう誘われます。バシキーロフはソ連と東ドイツの間に結ばれた奨学金制度をレーゼルが利用できるよう東ドイツ文化省の役人に要請。
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学に入学。

◆ ブランデンブルク州アイゼンヒュッテンシュタットで、ウェーバーのコンツェルトシュテュックとショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を演奏。
1964年/昭和39年 (18〜19歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在学。

◆ モスクワ音楽院に編入。

1965年/昭和40年 (19〜20歳)
◆ モスクワ音楽院在学。

1966年/昭和41年 (20〜21歳)
◆ モスクワ音楽院在学。

◆ チャイコフスキー国際コンクール出場。第6位。
1967年/昭和42年 (21〜22歳)
◆ モスクワ音楽院在学。

1968年/昭和43年 (22〜23歳)
◆ モスクワ音楽院在学。

◆ モントリオール国際ピアノ・コンクールで第2位。曲目はプロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番。1位はギャリック・オールソン(アメリカ)。特別賞はアレクセイ・リュビモフ(ソ連)
1969年/昭和44年 (23〜24歳)
◆ モスクワ音楽院卒業。

◆ モントリオール公演。モントリオール交響楽団。
◆ 11月、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番を録音(ETERNA)。共演:ハインツ・ボンガルツ指揮ライプツィヒ放送交響楽団。
1970年/昭和45年 (24〜25歳)
◆ 1月、イリヤ・テムコフ指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番。
◆ モントリオール公演。
◆ 東ドイツで海外公演を取り仕切る代理店「キュンストラーアゲントゥア(アーティスト・エージェンシー)」に注目され、クルト・ザンデルリング指揮ゲヴァントハウス管弦楽団のイギリス&ベルギー・ツアーに同行。
◆ LP制作(PANTON)。ショパン:ピアノ協奏曲第1番〜第2楽章、第3楽章。共演:ヴィクトル・マレク指揮ブラティスラヴァ歌劇場管弦楽団。録音:1970年9月(ライヴ)。

1971年/昭和46年 (25〜26歳)
◆ 1月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番。
◆ 日本公演。マズア指揮ゲヴァントハウス管に同行。

◆ 11月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。
◆ LP制作(ETERNA)。プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番。共演:ハインツ・ボンガルツ指揮ライプツィヒ放送交響楽団。録音:1969年11月。

◆ LP制作(ETERNA)。ベートーヴェン:ピアノと管弦楽のためのロンド。共演:ハインツ・ボンガルツ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。録音:1970年6月、ライプツィヒ、和解教会。

◆ LP制作(NOVA)。ゲルハルト・ローゼンフェルト:ピアノ協奏曲。共演:ゲルハルト・ロルフ・バウアー指揮シュターツカペレ・ドレスデン。ローゼンフェルト[1931-2003]は東ドイツで活躍した作曲家。ピアノ協奏曲は15分ほどの1969年の作品。NOVAはVEBドイツ・シャルプラッテンの現代音楽レーベル。

1972年/昭和47年 (26〜27歳)
◆ 日本公演。

◆ LP制作(ETERNA)。シューベルト:さすらい人幻想曲。録音:1971年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ムソルグスキー:「展覧会の絵」、「スケルツォ」、「冗談」、「涙」、「間奏曲」、「ゴパーク」。録音:1971年6月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ 6月、「ベルリン協定」が発効。前年に連合国4各国の外相らにより同意されていたもので、西ドイツとベルリンの間の交通・通信の十分な確保と、西ベルリンから東ドイツへの入国も認めるというソ連の決定、および米英仏による西ドイツと西ベルリンの連携が決定。四半世紀以上に渡って東西緊張の場となっていたベルリンの状況が改善した通過交通協定です。
1973年/昭和48年 (27〜28歳)
◆ モントリオール。
1974年/昭和49年 (28〜29歳)
◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:ピアノ五重奏曲。共演:ブラームス弦楽四重奏団。録音:1972年5月、ベルリン、ブルンネンシュトラーセ・シュトゥーディオ。

1975年/昭和50年 (29〜30歳)
◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番、スケルツォ。録音:1972〜1973年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:ピアノ・ソナタ第1番、第2番。録音:1972年9月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:ヘンデル変奏曲、シューマン変奏曲。録音:1972年12月、1973年5月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:8つのピアノ小品 Op.76、2つのラプソディー Op.79。録音:1973年2,5,9月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:パガニーニ変奏曲、創作主題変奏曲。録音:1972年10月、1974年4月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:幻想曲集 Op.116、間奏曲 Op.117、ピアノ小品集 Op.119。録音:1972年12月、1973年2,4月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:バラード集 Op.10、ピアノ小品集 Op.118。録音:1972年10月、1973年4〜5月、ドレスデン、ルカ教会。

1976年/昭和51年 (30〜31歳)
◆ 9月、「ゲヴァントハウス」とピアニストとして契約。同組織には、オーケストラのほか、合唱団、児童合唱団、室内アンサンブル、オルガニストなども所属。
◆ 西ドイツ公演(デビュー)。
◆ LP制作(ETERNA)。シューベルト:グラーツの幻想曲、ピアノ小品集、スケルツォ。録音:1974〜1975年、ドレスデン、ルカ教会。

1977年/昭和52年 (31〜32歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 2月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番。
◆ 日本公演。マズア指揮ゲヴァントハウス管に同行。

◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:歌曲集。共演:ペーター・シュライヤー。録音:1973年10月23〜24日、11月6〜7日、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。モーツァルト:ピアノ・ソナタ K.457,K/545、幻想曲 K.475、グルック変奏曲。録音:1975年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シュトラウス:家庭交響曲余録、パンテアネの大祭。共演:ルドルフ・ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン。録音:1976年1月、ドレスデン、ルカ教会。

1978年/昭和53年 (32〜33歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 4月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。シューマン:ピアノ協奏曲。
◆ 国家芸術賞受賞。
◆ マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団。アメリカ・ツアー。
1979年/昭和54年 (33〜34歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 2月、ハンス=ペーター・フランク指揮ゲヴァントハウス管。ブリテン:ピアノ協奏曲。
◆ LP制作(ETERNA)。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番。共演:クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団。録音:1978年3月14〜17日、ベルリン、キリスト教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカからの3章」、「サーカス・ポルカ」、「カプリッチョ」。共演:ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィル。録音:1978年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シューマン:交響的練習曲、蝶々。録音:1978年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。モーツァルト:ピアノ・ソナタ K.576、K.547a、変奏曲 K.500、K.613。録音:1977年、ドレスデン、ルカ教会。

1980年/昭和55年 (34〜35歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 3月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。
◆ 8月、ザルツブルク音楽祭。シュライヤー、他。ブラームス:「美しいマゲローネとプロヴァンスのペーター伯の恋物語」。
◆ 11月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番。
◆ LP制作(ETERNA)。ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ。共演:クリスティアン・フンケ(ヴァイオリン)、ヨアヒム・ビショフ(チェロ)。録音:1978〜1979年、ドレスデン、ルカ教会。

1981年/昭和56年 (35〜36歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ モントリオール。
◆ 10月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ウェーバー:ピアノ協奏曲第2番。
◆ 11月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:三重協奏曲、ピアノ協奏曲第5番。
◆ LP制作(ETERNA)。シューマン:ピアノ協奏曲、序奏とアレグロ・アパッショナート、序奏と協奏的アレグロ。共演:クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。録音:1980年、ライプツィヒ、パウル=ゲルハルト教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シューマン:ピアノ・ソナタ第1番、第2番。録音:1979、1981年、ドレスデン、ルカ教会。

1982年/昭和57年 (36〜37歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ ツヴィッカウ、ロベルト・シューマン賞受賞。
◆ LP制作(ETERNA)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」、第29番「ハンマークラヴィーア」。録音:1979年5、12月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。リムスキー=コルサコフ:歌劇「モーツァルトとサリエリ」。共演:マレク・ヤノフスキー指揮シュターツカペレ・ドレスデン。録音:1980年、ドレスデン、ルカ教会。レーゼルは第1場のモーツァルトの演奏場面で活躍するほか、第2場の悲痛なレクイエムの場面にも参加しています。

◆ LP制作(ETERNA)。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番、パガニーニ狂詩曲。共演:クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団。録音:1980年、ベルリン、キリスト教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ハイドン:ピアノ協奏曲 Hob.XVIII:11、Hob.XVIII:4。共演:ギュンター・ヘルビヒ指揮ベルリン交響楽団。録音:1979、1980年、ベルリン、キリスト教会。

1983年/昭和58年 (37〜38歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 3月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。
◆ LP制作(ETERNA)。ブラームス:「美しいマゲローネとプロヴァンスのペーター伯の恋物語」。共演:ペーター・シュライヤー(テノール)、ヴォルフガング・ハインツ(語り)。録音:1981年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。フランク:ヴァイオリン・ソナタ、タルティーニ:「悪魔のトリル」。共演:クリスティアン・フンケ(ヴァイオリン)。録音:1980年2月(悪魔のトリル)、1981年1月(フランク)、ドレスデン、ルカ教会。

1984年/昭和59年 (38〜39歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送交響楽団。R.シュトラウス:ブルレスケ。
◆ 2月、フレート・ブトケヴィッツ指揮ゲヴァントハウス管。ブラームス:ピアノ協奏曲第1番。
◆ LP制作(ETERNA)。ドビュッシー:「子供の領分」、「ベルガマスク組曲」、「版画」。録音:1980〜1981年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。モーツァルト:ピアノ・ソナタ K.533+494、K.570、変奏曲 K.573、アダージョ K.540、発売。録音:1982年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。共演:クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。録音:1981年、ライプツィヒ、パウル=ゲルハルト教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番、第2番。共演:クルト・ザンデルリング指揮ベルリン交響楽団。録音:1981〜1982年、ベルリン、キリスト教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シューマン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番、第2番、オーボエとピアノのためのロマンス。共演:クリスティアン・フンケ(ヴァイオリン)、ブルクハルト・グレッツナー(オーボエ)、録音:1982年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。メンデルスゾーン、シューベルト:歌曲集(シャウシュピールハウス再建・開場記念コンサート)。共演:ペーター・シュライヤー(テノール)、録音:1984年10月1日、ベルリン、シャウシュピールハウス(10年後にコンツェルトハウスに改名)。

1985年/昭和60年 (39〜40歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 4月、10月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲。
◆ 11月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。リスト:死の舞踏。
◆ LP制作(ETERNA)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」。録音:1982年11月9〜11日(月光)、1982年2月22〜24日(悲愴)、1980年1月3〜4、7〜8日(熱情)、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シューマン:ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲。共演:ゲヴァントハウス四重奏団。録音:1983〜1984年、ドレスデン、ルカ教会。

1986年/昭和61年 (40〜41歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ LP制作(ETERNA)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」、第18番。録音:1984年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。ウェーバー:ピアノ協奏曲第1番、第2番、コンツェルトシュトゥック。共演:ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン。録音:1984年9月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団。アメリカ・ツアーに同行。
1987年/昭和62年 (41〜42歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ LP制作(ETERNA)。シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番。録音:1985年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ LP制作(ETERNA)。シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」、アダージョとロンド・コンチェルタン。共演:ゲヴァントハウス四重奏団、ライナー・フッケ(コントラバス)。録音:1985年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ CD、LP制作(CAPRICCIO)。バッハ(ブゾーニ編):ピアノ作品集。録音:1985〜1986年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ CD、LP制作(CAPRICCIO)。ベートーヴェン:三重協奏曲、合唱幻想曲。共演:ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。録音:1986年7月(三重協奏曲)、1985年11月(合唱幻想曲)、ドレスデン、ルカ教会。

◆ 国家芸術賞受賞。
◆ アメリカ公演。
1988年/昭和63年 (42〜43歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 4月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番。
◆ アメリカ公演。
◆ 10月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番。
1989年/昭和64年/平成元年 (43〜44歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ LP制作(ETERNA)。ホルンとピアノのためのフランス音楽。共演:ペーター・ダム(ホルン)。録音:1985年、ドレスデン、ルカ教会。

◆ 10月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番。
◆ LP制作(ETERNA)。シューベルト:ピアノ・ソナタ第14番、第9番、第6番。録音:1987〜1988年、ドレスデン、ルカ教会。

1990年/平成2年 (44〜45歳)
◆ ゲヴァントハウスの専属ピアニスト。
◆ 1月、クルト・ザンデルリング指揮ゲヴァントハウス管。ブラームス:ピアノ協奏曲第1番。
◆ 9月、クルト・ザンデルリング指揮ゲヴァントハウス管。ブラームス:ピアノ協奏曲第2番。
◆ クルト・ザンデルリング指揮ロサンジェルス・フィル。ブラームス。
1991年/平成3年 (45〜46歳)
◆ ゲヴァントハウスのピアニスト。
◆ 12月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番。
1992年/平成4年 (46〜47歳)
◆ 10月、ザンデルリング指揮ニューヨーク・フィル。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番。
1993年/平成5年 (47〜48歳)
◆ 1月、ユール・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル。ドレスデン公演。ベートーヴェン「皇帝」。
◆ 5月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番。
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学教授に就任。

◆ バッハ(レーガー編):ブランデンブルク協奏曲第3番、第5番、レーガー:モーツァルト変奏曲、制作(CD/ELAN)。共演:サンティアゴ・ロドリゲス。

1994年/平成6年 (48〜49歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 2月、ハインツ・レーグナー指揮ゲヴァントハウス管。ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番。
◆ CD制作(Berlin Classics)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集、ピアノと管弦楽のためのロンド。共演:クラウス・ペーター・フロール指揮ベルリン交響楽団。録音:1988年9月(第3番)、1989年9月(第4、5番、ロンド)、1991年1月(第1、2番)、ベルリン、キリスト教会。

◆ CD制作(KOBA)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番。共演:ハルトムート・ヘンヒェン指揮C.Ph.E.バッハ室内管弦楽団。録音:1994年(ライヴ)。

1995年/平成7年 (49〜50歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 3月、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管。シューマン:序奏とアレグロ・アパッショナート、R.シュトラウス:ブルレスケ。
◆ 7月、マズア指揮ニューヨーク・フィル。シューベルト(リスト編):さすらい人幻想曲。
1996年/平成8年 (50〜51歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

1997年/平成9年 (51〜52歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

1998年/平成10年 (52〜53歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 4月、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ゲヴァントハウス管。R.シュトラウス:ブルレスケ。
1999年/平成11年 (53〜54歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

2000年/平成12年 (54〜55歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

2001年/平成13年 (55〜56歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

2002年/平成14年 (56〜57歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 6月、日本公演。ゲルハルト・ボッセ指揮新日本フィル。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。

◆ 11月、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ゲヴァントハウス管。メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第2番。
◆ 8月、ドレスデン大洪水。500年ぶりの規模。
2003年/平成15年 (57〜58歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

2004年/平成16年 (58〜59歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ フロリダ管弦楽団。
2005年/平成17年 (59〜60歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ CD制作(auris subtili)。キルヒナー:ピアノ四重奏曲、奇想曲。共演:ロベルト・シューマン四重奏団。録音:2004年3月、ケムニッツ・シュタットハレ、小ホール。

◆ CD制作(BELLA MUSICA)。ブラームス:ピアノ協奏曲第2番。共演:ゴロー・ベルク指揮デッサウ・アンハルト・フィル。録音:2004年5月27,28日(ライヴ)。

◆ 紀尾井シンフォニエッタ東京。ドレスデン音楽祭。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全曲。
◆ ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトの最後のソナタをドイチュラントフンク・コンツェルトで録音。
2006年/平成18年 (60〜61歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

2007年/平成19年 (61〜62歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 4月、日本公演。

◆ 5〜6月、第3回仙台国際音楽コンクールで審査。ピアノ部門審査副委員長。審査委員長の野島稔[1945-2022]の要請。野島稔はモスクワ音楽院時代の同級生。
2008年/平成20年 (62〜63歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 日本公演。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第20番、第17番「テンペスト」、第29番「ハンマークラヴィーア」。録音:2008年9月、紀尾井ホール。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第9番、第30番、第6番、第23番「熱情」。録音:2008年10月、紀尾井ホール。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番、第16番、第10番、第21番「ワルトシュタイン」。録音:2008年10月、紀尾井ホール。

2009年/平成21年 (63〜64歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 3月、ドレスデン市芸術賞受賞。
◆ 日本公演。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第19番、第4番、第12番「葬送」、第14番「月光」。録音:2009年10月、紀尾井ホール。

2010年/平成22年 (64〜65歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 日本公演。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第22番、第3番、第15番「田園」、第26番「告別」。録音:2010年10月、紀尾井ホール。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第18番「狩」、第27番、第28番。録音:2010年10月、紀尾井ホール。

2011年/平成23年 (65〜66歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学退職。

◆ 日本公演。

2012年/平成24年 (66〜67歳)
◆ 日本公演。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第24番、第25番「かっこう」、第11番、第7番、第13番。録音:2011年9,10月、紀尾井ホール。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第2番、第31番、第1番、第32番。録音:2011年10月、紀尾井ホール。

2013年/平成25年 (67〜68歳)
◆ アメリカ公演。
◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番、第27番。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2013年2月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番、第23番。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2013年2月、ドレスデン、ルカ教会。

2014年/平成26年 (68〜69歳)
◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、第21番。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2014年1月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、第25番。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2014年1月、ドレスデン、ルカ教会。

2015年/平成27年 (69〜70歳)
◆ アメリカ公演。
◆ 10月、トーマス・マンの夕べ。カリフォルニア州カストロ・ヴァリー。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番。共演:フリードリヒ・ヴィルヘルム・ユンゲ(朗読)。
◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番、第13番、第14番。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2015年3月、ドレスデン、ルカ教会。

2016年/平成28年 (70〜71歳)
◆ CD制作(KING)。モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、第26番「戴冠式」。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2015年3月、ドレスデン、ルカ教会。

◆ CD制作(KING)。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集。共演:ヘルムート・ブラニー指揮ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団。録音:2016年4月、、スイス、ヴヴェイ、サール・デル・カスティージョ。

◆ ザクセン・モーツァルト賞受賞。
2017年/平成29年 (71〜72歳)
◆
2018年/平成30年 (72〜73歳)
◆ 日本公演。

2019年/平成31年/令和元年 (73〜74歳)
◆
2020年/令和2年 (74〜75歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学在職。

◆ 5月、日本公演、コロナ延期。
2021年/令和3年 (75〜76歳)
◆ 10月、日本公演。沖澤のどか指揮読売日本交響楽団。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番。フェアウェル・リサイタル。

2022年/令和4年 (76〜77歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学から名誉教授の称号を授与。

◆ 2月、ドレスデン文化宮殿。モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、第21番、第23番。
◆ CD発売。ラスト・ソナタ集(ハイドン:Hob. XVI:52、ベートーヴェン:第32番、シューベルト:第21番)。録音:2001年11月13日、ケルン、ラーダーベルク(ライヴ)。

2023年/令和5年 (77〜78歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学名誉教授。

2024年/令和6年 (78〜79歳)
◆ ドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学名誉教授。

◆ 4月、オースフ、モーツァルト・フェスティヴァル。リサイタルとヘンヒェン指揮オーフス交響楽団とのモーツァルト27番。
◆ 6月、ドレスデン、ロシュヴィッツ教会。
◆ 7月、ザクセン州ディッポルディスヴァルデ、ライヒシュテット城(予定)。
◆ 9月、トーマス・マンの夕べ。ザクセン州コスヴィヒ、ヴィラ・テレザ(予定)。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番。共演:フリードリヒ・ヴィルヘルム・ユンゲ(朗読)。
2025年/令和7年 (79〜80歳)
◆ 2月、ドレスデン、文化宮殿(予定)。
演奏者情報
ベルリン交響楽団
前身はワイマール共和政期のオーケストラ?
「ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(Konzerthausorchester Berlin)」の改名前の名前は「ベルリン交響楽団(Berliner Sinfonie-Orchester)」で、1952年に東ドイツ政府により、東ベルリンで設立されています。
前身は、1907年に設立された「ブリュートナー管弦楽団(Blüthner-Orchester)」が改名して1925年に誕生した「ベルリン交響楽団(Berliner Symphonie-Orchester)」という見方もあります。
しかし世界大恐慌の影響で、複数のクラシック団体への補助金捻出が困難になったベルリン市が、1932年にベルリン・フィルなどに楽員を吸収させるなどしてベルリン交響楽団を解散させているため、空白期間が20年もあることと、共通の運営要素も無いことから、前身組織と見做すのは少し無理があるようにも思えます。西ベルリンの方が先に似た名前のオーケストラを創設していますし。
西ベルリンのベルリン交響楽団
西ベルリンでは、1949年に「ベルリン交響楽団(Berliner Symphonisches Orchester)」が設立され、のちに芸大教授でもおなじみになるカール=アウグスト・ビュンテ[1925-2018]が指揮していました。

同楽団は1966年、東ベルリンで勢いを増すベルリン交響楽団に対抗すべく、「ドイツ交響楽団(Deutsche Symphonieorchester)」を吸収合併して大規模化し、紛らわしくないよう語順も変えて「Symphonisches Orchester Berlin」と改名し、1967年に新名称で活動を開始しています。
合併相手の「ドイツ交響楽団」は、1960年にベルリンの壁が建設された際、西ベルリンに住んで東ベルリンのベルリン国立歌劇場やベルリン交響楽団、ベルリン放送響で働いていた越境通勤者たちが職を失ったことで結成された自主団体でした。
西のベルリン交響楽団は、ベルリンの壁撤去後の1992年には、「Berliner Symphoniker」に改名しています。ライバル多数の競争下では、ベルリンという言葉が先に来て、なおかつ簡潔な方が良いという、マーケティング的には当たり前の判断と思われます。
東西ベルリン交響楽団の名称リスト
ややこしいので整理すると以下のようになります。外国語訳を含めると数十に達するので、ドイツ語正式名称だけ載せておきます。
● ワイマール共和政期のベルリン交響楽団
◆ Berliner Symphonie-Orchester [1925-1932]
● 西のベルリン交響楽団
◆ Berliner Symphonisches Orchester [1949-1966]
◆ Symphonisches Orchester Berlin [1966-1992]
◆ Berliner Symphoniker [1992- ]
● 東のベルリン交響楽団
◆ Berliner Sinfonie-Orchester [1952-2006]
◆ Konzerthausorchester Berlin [2006- ]
1951年からヘルマン・ヒルデブラントが創設準備
戦後のベルリン交響楽団の創設準備は1951年に始まり、アーベントロートの元弟子であるヘルマン・ヒルデブラント[1910-1982]に東ドイツ政府から話が持ち掛けられます。ヒルデブラントは、戦後、シュトゥットガルト・フィルの首席指揮者を務めていましたが、西ドイツ政府による通貨切り下げ政策で楽団の財政が深刻な打撃を受けたため指揮ができなくなり、教職に就いていました。
1952年のデビューはブルックナー8番
当初、ベルリン交響楽団は、戦後仕事が無く2つの娯楽系オーケストラで演奏していた音楽家を中心に組織された寄せ集め集団でしたが、教育者でもあったヒルデブラントの徹底した指導の下でどんどん実力が付き、1952年、最初のコンサートでバッハのブランデンブルク協奏曲第4番とブルックナーの交響曲第8番を演目に乗せるまでに上達しています。
レパートリーは、バッハ、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、ヒンデミット、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バルトーク、デッサウ、シェーンベルク、ヴァーグナー=レゲーニなど東西の垣根を超え現代ものまで含む果敢なもので、そのこととヒルデブラントが西ドイツ国籍という事実が、文化副大臣(翌1958〜1961年文化大臣)でシュタージでユダヤ系のアレクサンダー・アブシュの不興を買っていました。
文化副大臣による解散計画と頓挫
1957年、文化副大臣アブシュは、オーケストラを解散してヒルデブラントも解任しようとまで計画しますが、部下のハンス・ピシュナーの強力な抗議によって解散計画は頓挫することになります(チェンバロ奏者のピシュナーは政治局員でその後も東ドイツの音楽家のために尽力)。
西ベルリン居住制限政策でヒルデブラント辞任
解散・解雇の危機はピシュナーのおかげで去ったものの、2年後の1959年には、西ベルリンに居住して東ベルリンで働くことが認められなくなり、ヒルデブラントは辞任する道を選択。最初と同じブランデンブルク協奏曲第4番とブルックナーの交響曲第8番のプログラムでオーケストラに別れを告げています。その後、西ドイツに戻ったヒルデブラントを待ち受けていたのは、東ドイツで仕事をしていた人間に対する排斥政策で、2年間仕事が無い状態が続いたのち細々と指揮活動を再開し、最後はZDFの番組制作に携わり1975年に指揮生活を終え、以後は執筆活動をおこなっていました。

ザンデルリング
1960年、東ドイツ政府によりソ連から芸術監督兼第2代首席指揮者として招かれたのが、ナチス政権となった祖国ドイツからソ連に移住し、レニングラード・フィルの双頭体制で成功していたユダヤ系のクルト・ザンデルリング[1912-2011]でした。
ザンデルリングのレパートリーはヒルデブラントと似ていましたが、マーラーやロシア音楽、友人ショスタコーヴィチの新作などを加えてプログラムを強化し、さらにソ連との太いパイプを利用してソ連の大物演奏家を次々にゲストに呼んで絶大な人気を集め、1977年まで17年間に渡って役職を務めたのちも2002年の最後の演奏会まで頻繁に客演し、その関係は実に40年を超える長いものとなっていました。

ヘルビヒ
1977年、ザンデルリングの後任として、ギュンター・ヘルビヒ[1931- ]が着任。ヘルビヒはアーベントロート、シェルヘン、アルヴィド・ヤンソンス、カラヤンに教えを受けた指揮者で、1956年からワイマール国民劇場のカペルマイスター、1966年からベルリン交響楽団の指揮者、1972年からドレスデン・フィルの首席指揮者を歴任。
ヘルビヒはベルリン交響楽団の首席指揮者として名声が高まってきた1979年、ダラス交響楽団とBBCフィルの首席客演指揮者に指名されており、やがてSED(ドイツ社会主義統一党)との関係がうまくいっていなかったこともあって1984年に東ドイツを去り、首席指揮者が不在だったデトロイト響に迎えられています。

フロール
1984年、後任として1981年からチューリンゲン・フィルの首席指揮者を務めていたクラウス・ペーター・フロール[1953- ]が着任。フロールは海外への客演が多く、ドイツ再統一の人事刷新でベルリン交響楽団の首席指揮者・音楽総監督を退任すると、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団首席指揮者、およびフィルハーモニア管弦楽団の首席客演指揮者に就任しています。
ちなみに1984年10月1日のシャウシュピールハウス(10年後にコンツェルトハウスに改名)再建・開場記念コンサートは、フロールの他にクルト・ザンデルリングが指揮し、シュライヤーとレーゼルも出演。

シェーンヴァンツ
ドイツ再統一(=西ドイツが東ドイツを吸収)による人事刷新の特徴は、なるべく東ドイツ色を無くすというもので、オーケストラの指揮者も外国人に引き継がせており、ベルリン交響楽団の首席指揮者も、1992年からデンマーク人のミケル・シェーンヴァンツ[1953- ]が務めていました。もっともシェーンヴァンツはバイロイトで「マイスタージンガー」をすでに2度指揮していたので、ドイツとの縁には浅からぬものもあり、1998年まで6年間、再統一の政治的・経済的混乱の中、ベルリン交響楽団を無事に率いて確かな手腕を見せています。
インバル
3年の首席指揮者空白期間の後、2001年に着任したのはエリアフ・インバル[1936- ]でした。インバルはベルリン交響楽団に海外ツアー契約をもたらすことに成功し、財政面に大きく貢献。名誉会員の称号を贈られてもいます。
ツァグロセク
2006年、オーケストラ改名の年にインバルの後任となったのは、バイエルン生まれのローター・ツァグロセク[1942- ]です。シュトゥットガルト州立歌劇場で「指環」からラッヘンマンまで成功させていたツァグロセクは、楽員を105名から111名まで増やすと約束し、2008年には日下紗矢子をコンサートマスターに起用するなど意気軒昂でしたが、半世紀以上の歴史のある楽団名「ベルリン交響楽団」を「コンツェルトハウス管弦楽団」に変更された影響は大きく、しかもベルリンにはもうひとつベルリン交響楽団(Berliner Symphoniker)が存在するというややこしさも手伝ってチケット売上が低迷。
ツァグロセクは新機軸としてオペラを演奏会形式上演したり現代音楽に力を入れたりもしますが、それらは補助金の無駄遣いと揶揄されるような結果しかもたらしませんでした。要するにライバルの多過ぎるベルリンでは(ベルリン・フィル、ベルリン・ドイツ響、ベルリン放送響、ベルリン響、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ベルリン・コーミッシェ・オーパー等)、シュトゥットガルトのようにはいかなかったということですが、低迷の最大の要因はやはりオーケストラ名の改名でしょう。建物の方の改名は1994年におこなわれており12年が経過していることから問題ないという運営陣の判断だったのでしょうが、結果的に知名度が一気に下がってしまっています。
この不振により2009年、ドイツ再統一以来17年間に渡って劇場のシャウシュピールハウス(1994年にコンツェルトハウスと改名)とベルリン交響楽団(2006年にコンツェルトハウス管弦楽団と改名)の芸術監督を務めていたフランク・シュナイダー[1942- ](元東ドイツ科学アカデミーの美学芸術研究所所長)が辞任し、ツァグロセクも2012年の契約更新をおこなわないと発表しています。
フィッシャー
2012年に着任したイヴァーン・フィッシャー[1951- ]は、改名による低迷を打開すべく奮闘し、2014年からは平土間の中央に指揮者が立ち、楽員と聴衆が取り囲むという「ミッテドリン・コンツェルト」を開催し、好評を博してもいました。
エッシェンバッハ
2019年には国際的な知名度のある指揮者、クリストフ・エッシェンバッハが3年の契約で着任しますが、数か月後にはコロナ禍となり、政府による国民の行動制限が開始。非常に厳しい環境下での運営が続きましたが無事に乗り切り、4年間の重責を果たしています。
マルヴィッツ
2023年、ヨアナ・マルヴィッツが首席指揮者兼芸術監督に就任。1986年生まれのマルヴィッツはすでにオペラでもコンサートでも本格的なキャリアを積んでおり、仕事と私生活を描いた劇場映画「ヨアナ・マルヴィッツ‐モメントゥム」まで公開されるほどの人気ぶりです。
トラックリスト (収録作品と演奏者)
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン [1770-1827]
Disc 1
◆ ピアノ協奏曲第1番ハ長調 Op.15
1. 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
2. 第2楽章 ラルゴ
3. 第3楽章 ロンド. アレグロ・スケルツァンド
録音:1991年1月、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 Op.19
4. 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
5. 第2楽章 アダージョ
6. 第3楽章 ロンド モルト・アレグロ
録音:1991年1月、東ベルリン、キリスト教会
Disc 2
◆ ピアノ協奏曲第3番ハ短調 Op.37
1. 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
2. 第2楽章 ラルゴ
3. 第3楽章 ロンド アレグロ
録音:1988年9月、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ協奏曲第4番ト長調 Op.58
4. 第1楽章 アレグロ・モデラート
5. 第2楽章 アンダンテ・コン・モート
6. 第3楽章 ロンド. ヴィヴァーチェ
録音:1989年3月、東ベルリン、キリスト教会
Disc 3
◆ ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op.73「皇帝」
1. 第1楽章 アレグロ
2. 第2楽章 アダージョ・ウン・ポコ・モート
3. 第3楽章 ロンド. アレグロ
録音:1989年3月、東ベルリン、キリスト教会
◆ ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」
4. 第1楽章 アダージョ・ソステヌート
5. 第2楽章 アレグレット
6. 第3楽章 プレスト・アジタート
録音:1982年11月、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
7. 第1楽章 グラーヴェ〜アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ
8. 第2楽章 アダージョ・カンタービレ
9. 第3楽章 ロンド. アレグロ
録音:1982年2月、ドレスデン、ルカ教会
Disc 4
◆ ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 Op.57「熱情」
1. 第1楽章 アレグロ・アッサイ
2. 第2楽章 アンダンテ・コン・モート
3. 第3楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
録音:1980年1月3,4,7,8日、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78「テレーゼ」
4. 第1楽章 アダージョ・カンタービレ
5. 第2楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
録音:1979年5月7,9日、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
6. 第1楽章 アレグロ
7. 第2楽章 スケルツォ. アッサイ・ヴィヴァーチェ
8. 第3楽章 アダージョ・アパッショナート・エ・コン・モルト・センティメント
9. W イントロダクション〜アレグロ・リゾルート
録音:1979年5月、12月、ドレスデン、ルカ教会
Disc 5
◆ ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op.31-2「テンペスト」
1. 第1楽章 ラルゴ〜アレグロ
2. 第2楽章 アダージョ
3. 第3楽章 アレグレット
録音:1984年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
4. 第1楽章 アレグロ
5. 第2楽章 スケルツォ. アレグレット・ヴィヴァーチェ
6. 第3楽章 メヌエット. モデラート・エ・グラツィオーゾ
7. 第4楽章 プレスト・コン・フーコ
録音:1984年、ドレスデン、ルカ教会
◆ ピアノと管弦楽のためのロンド 変ロ長調 WoO. 6
8. アレグロ
録音:1989年3月、東ベルリン、キリスト教会
ペーター・レーゼル(ピアノ)
ベルリン交響楽団(ソナタ以外)
クラウス・ペーター・フロール(指揮/ソナタ以外)
Track list
Disc1
Klavierkonzert Nr. 1 C-dur op. 16*
1.T Allegro con brio
2.U Largo
3.V Rondo. Allegro Scherzando
Klavierkonzert Nr. 2 B-dur Op. 19*
4.T Allegro con brio
5.U Adagio
6.V Rondo. Molto allegro
Disc2
Klavierkonzert Nr. 3 c-moll op. 37*
1.T Allegro con brio
2.U Largo
3.V Rondo. Allegro
Klavierkonzert Nr. 4 G-dur op. 58*
4.T Allegro moderato
5.U Andante con moto
6.V Rondo. Vivace
Disc3
Klavierkonzert Nr. 5 Es-dur op. 75 "Emperor”*
1.T Allegro
2.U Adagio un poco moto
3.V Rondo. Allegro
Klaviersonate cis-moll op. 27 Nr.2 “Mondscheinsonate”
4.T Adagio sostenuto
5.U Allegretto
6.V Presto agitato
Klaviersonate c-moll op. 13 “Pathétique”
7.T Grave - Allegro di molto e con brio
8.U Adagio cantabile
9.V Rondo. Allegro
Disc4
Klaviersonate f-moll op. 57 “Appassionata”
1.T Allegro assai
2.U Andante con moto
3.V Allegro, ma non troppo
Klaviersonate Fis-Dur op. 78
4.T Adagio cantabile
5.U Allegro vivace
Klaviersonate B-Dur op. 106 “Hammerklavier"
6.T Allegro
7.U Scherzo. Assai vivace
8.V Adagio appassionato e con molto sentimento
9.W Introduzione - Allegro risoluto
Disc5
Klaviersonate d-moll op. 31 Nr. 2
1.T Largo-Allegro
2.U Adagio
3.V Allegretto
Klaviersonate Es-Dur op. 31 Nr. 3
4.T Allegro
5.U Scherzo. Allegretto vivace
6.V Menuetto.Moderato e grazioso
7.W Presto con fuoco
8.Rondo für Klavier und Orchester B-Dur WoO 6*
Peter Rösel(Klavier)
Claus Peter Flor*
Berliner Sinfonie Orchester*
ベートーヴェン年表

1770年(0歳)
◆ 12月16日頃、ベートーヴェン、神聖ローマ帝国ケルン大司教領で人口1万人ほどの小都市ボンのラインガッセで誕生。父ヨハンは選帝侯宮廷のテノール歌手、母マリア・マグダレーナはボン宮廷離宮料理長の娘。
◆ 12月17日、ベートーヴェン、聖レミギウス教会で受洗。
1771年(0〜1歳)
1772年(1〜2歳)
1773年(2〜3歳)
◆ 12月17日、祖父ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン死去。
1774年(3〜4歳)
◆ 4月、弟カスパール・アントン・カール・ベートーヴェン[1774-1815]誕生。
1775年(4〜5歳)
◆ 9月30日、祖母マリア・ヨゼファ・ベートーヴェン死去。
1776年(5〜6歳)
◆ ベートーヴェン、音楽のレッスン開始。父ヨハンの指導。
◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に転居。かつて祖父が住んでいた建物。
◆ ベートーヴェン家、ノイガッセに転居。
◆ 10月、弟ニコラウス・ヨハン・ベートーヴェン[1776-1848]誕生。
1777年(6〜7歳)
◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。
◆ ベートーヴェン、ボンの聖カシウス修道院のラテン語学校に入学。
1778年(7〜8歳)
◆ 3月26日、ベートーヴェン、ケルンで父の主催による有料演奏会に、弟子のひとりとして出演。
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニスト、ハインリヒ(ギレス)・ヴァン・デン・エーデン[1710-1782]に鍵盤楽器演奏を師事。
1779年(8〜9歳)
◆ ベートーヴェン、劇場歌手トビアス・フリードリヒ・プファイファーにピアノを師事。
1780年(9〜10歳)
◆ ベートーヴェン、フランシスコ教会修道士でオルガン奏者のヴィリバルト・コッホのオルガンを師事。コッホの助手を務めたりもします。
◆ ベートーヴェン、同じ建物に住む母の姪の息子で、宮廷楽団ヴァイオリン奏者のフランツ・ゲオルク・ロヴァンテイーニ[1757-1781]にヴァイオリンとヴィオラを師事
◆ ベートーヴェン、ミュンスター教会オルガン奏者のツェンザーに師事。
◆ 11月、マリア・テレジア、死去。63歳。
1781年(10〜11歳)
◆ ヨーゼフ2世、農奴解放令発令。
◆ ヨーゼフ2世、宗教寛容令。
◆ ベートーヴェン、エーデンの後任として宮廷オルガニストになったクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェにピアノと作曲を師事。
◆ ベートーヴェン、聖カシウス修道院のラテン語学校を卒業。ベートーヴェンはギムナジウムに進まず音楽の勉強を本格化。
1782年(11〜12歳)
◆ ヨーゼフ2世、ユダヤ人への職業制限、服装制限、特別税、移住制限などの法規制を撤廃。
◆ ベートーヴェン、宮廷オルガニスト、ネーフェの不在時に代理演奏を務めるようになります。
● ドレスラーの行進曲によるクラヴサンのための9つの変奏曲 WoO.63
1783年(12〜13歳)
◆ 3月、ベートーヴェン、ネーフェによって音楽雑誌で紹介。
◆ 6月、アイスランド、ラーキ火山が大噴火。1784年2月まで有毒ガスが放出され続け、少し前に噴火を開始した近くのグリムスヴォトン火山は1785年まで噴火を継続。成層圏にまで達する噴煙は、以後数年に渡って北半球全体に異常気象、食糧不足を引き起こし、フランス革命の原因の一つになったとも考えられています(東日本ではさらに同年4月の岩木山噴火、8月の浅間山噴火も重なって、折からの冷害による天明の飢饉が深刻化)。
◆ 10月、ベートーヴェン、「選定候ソナタ」(WoO.47-1〜3)を出版。
◆ 秋、ベートーヴェン、母とオランダ楽旅。
● 3のピアノ・ソナタ「選帝侯ソナダ」WoO.47
● ピアノのための・ロンド WoO.48
● オルガンのための2声のフーガ WoO.31
● ピアノ伴奏歌曲「乙女を描く」WoO.107
1784年(13〜14歳)
◆ 1月、ライン川、川底まで凍結。噴煙による極度の気温低下のもたらした異常現象。大洪水の要因に。
◆ 2月、ベートーヴェン、宮廷オルガニストの助手に任命。無給の宮廷楽士。
◆ 春、ライン川の氷が融け始めて氾濫、氷塊が橋や河川近くの建築物を破壊、やがてヨーロッパ各地の町が水に覆われるという大洪水に発展。ベートーヴェンの住むボンは標高約60メートルの町でしたが大きな被害となり、また、標高約200メートルの盆地ウィーンも、周囲の山からの水や排水能力の低さによって大洪水となっています。

◆ 春、ベートーヴェン、家族と共に避難。
◆ 4月、選帝侯マクシミリアン・フリードリヒ死去。同月、新選帝侯マクシミリアン・フランツがウィーンから到着。
◆ 5月、ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストに任命。年俸150グルデンの宮廷楽士。師のネーフェは年俸200グルデン。
● ピアノ協奏曲 WoO.4
● ピアノのための・ロンド WoO.49
● ピアノ伴奏歌曲「みどり児に寄せて」WoO.108
1785年(14〜15歳)
◆ ベートーヴェン家、音楽の音がうるさいという理由で家主により退去させられ、ラインガッセの別の家に転居。
◆ ベートーヴェン、のちに作曲家、パリ音楽院教授となるアントン・ライヒャ[1770-1836]と親しく交流。ベートーヴェンのがボンを離れる1792年まで継続。
● 3つのピアノ四重奏曲 WoO.36
1786年(15〜16歳)
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
◆ ベートーヴェン家、ラインガッセのフィッシャー館に再び転居。
◆ ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第2番(初稿)の作曲開始(1792年まで)
● フルート、ファゴット、ピアノと管弦楽のためのロマンツェ ホ短調 WoO.207
● フルート、ファゴットとピアノのための三重奏曲ト長調 WoO.37
1787年(16〜17歳)
◆ 1〜3月、ベートーヴェン、最初のウィーン滞在。
◆ 5月、ベートーヴェン、ウィーンの後、レーゲンスブルク、ミュンヘン、アウクスブルクを経てボンに到着。
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
◆ 5月、ベートーヴェン、母マグダレーナ重体のため帰郷。
◆ 7月17日、母マグダレーナ死去。
1788年(17〜18歳)
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷オルガニストとして活動。
◆ ベートーヴェン、ブロイニング家でヴァルトシュタイン伯爵と交流。
◆ ベートーヴェン家、ヴェンツェルガッセ476に転居。
◆ ベートーヴェン、宮廷楽団のヴィオラ奏者に任命(1792年まで)。楽団にはフルート奏者としてアントン・ライヒャ、ホルン奏者としてニコラウス・ジムロック[1751-1832]、ヴァイオリン奏者としてフランツ・リース[1755-1846]なども在籍。
1789年(18〜19歳)
◆ ベートーヴェン、宮廷正オルガニストに任命。
◆ ベートーヴェン、ボン大学で聴講生として登録。ギリシャ文学教授オイロギウス・シュナイダーの講義をライヒャらと聴講。シュナイダーは5年後にジャコバン党貝として処刑。
◆ 5月、フランス革命勃発。フランス革命戦争を経て、ナポレオン戦争に発展、1814年に終結するまでの四半世紀で約500万人がヨーロッパで殺害。
◆ 11月、フランス政府、教会財産を略奪。
◆ 11月、父ヨハン、宮廷歌手を引退。
● 全長調にわたる2つの前奏曲 Op.39 (ピアノまたはオルガン)
1790年(19〜20歳)
◆ ヨーゼフ2世[1741-1790]、死去。48歳。啓蒙主義者で、宗教寛容令、農奴解放令、死刑・拷問廃止、出版物検閲の大幅な緩和、商工業の保護、プラーター地区解放、カトリック修道院1,188のうち500以上を取り潰し&財産没収、神学校の国営化、宗教行事の廃止、などを勅令として強引に実施。多くの貴族や教会関係者に反発され、没後に皇位を継承した弟のレオポルト2世[1747-1792]は、その多くを元に戻しています。マリー・アントワネット[1755-1793]は実の妹。
◆ ベートーヴェン、宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
◆ 12月、ベートーヴェン、ボンを訪れたハイドン、ヨハン・ペーター・ザロモン[1745-1815]と会合。
● 弦楽四重奏のためのメヌエット 変イ長調 WoO.209
● 「ヨーゼフ2世の逝去を悼む葬送カンタータ」WoO.87
● 「レオポルト2世の即位を祝うカンタータ」WoO.88
1791年(20〜21歳)
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
◆ 3月、「騎士バレエ」がヴァルトシュタイン伯爵の作品として初演。
◆ 8月、「ピルニッツ宣言」。レオポルト2世と、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世[1744-1797]の2人によるフランスに対するけん制ともとれる単なる威嚇としての軍事言及宣言でしたが、かえってフランスの主戦派民衆を勢いづかせ、「フランス革命戦争」、「ナポレオン戦争」を招き、レオポルト2世の妹のマリー・アントワネットや甥たちなど王族や貴族の大虐殺にも繋がっています。なお、宣言がおこなわれたザクセンのピルニッツ城での会談には、城主でザクセン選帝侯のフリードリヒ・アウグスト[1750-1827]も加わっていました。フリードリヒ・アウグストはその後、プロイセンと同盟を結んだり、フランス側についたりと、いろいろな策を弄しています。
◆ 9月、ベートーヴェン、ボン宮廷楽団のメンバーとして演奏旅行に出発。
● 「騎士バレエ」WoO.1
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO.38
● リギニのアリエッタ「愛よ来たれ」によるピアノのための24の変奏曲 WoO.65
1792年(21〜22歳)
◆ ベートーヴェン、ボンの宮廷楽団にヴィオラ奏者として在籍。宮廷オルガニストとしても活動。
◆ 4月、フランス革命政府が、オーストリアに対して宣戦布告。「フランス革命戦争」の開始(1799年まで)。
◆ 7月、ハイドンがボンを再訪、ウィーンでのベートーヴェンの弟子入りを承諾。
◆ ベートーヴェン、この頃から腹部茄痛・下痢に悩まされ始めます。
◆ 11月2日、ベートーヴェン、ボンを出発。
◆ 11月10日、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の屋根裏部屋に転居。
◆ ベートーヴェン、ハイドンに作曲を師事。
◆ ベートーヴェン、シェンク[1753-1836]に作曲を師事(翌年5月まで)。
◆ 12月18日、父ヨハン死去。
◆ 12月、ベートーヴェン、ウィーンのアルザーグルント45の建物の1階に転居。
● 管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103
● ピアノ三重奏のための14の変奏曲 変ホ長調 Op.44
● ピアノ伴奏斉唱「ポンチ洒の歌」WoO.111
● アリア「接吻への試み」 WoO.89
● ソプラノのためのシェーナとアリア「初恋」 WoO.92
1793年(22〜23歳)
◆ 5月、ベートーヴェン、シェンクのもとでの作曲の勉強を終了。
◆ ベートーヴェン、この頃からサリエリに作曲を師事し始め、1802年頃まで教わっています。
◆ 8月、フランスで大規模な徴兵がおこなわれ、約120万人の兵士が新たに誕生(総人口約2,600万人)。兵站(補給)が追い付かないため、食糧などは現地で調達(略奪)することとなり、民間の犠牲も増大。
◆ 10月15〜16日、北フランスのワティニーの戦いでオーストリア軍敗北。
◆ 10月16日、ヨーゼフ2世の実の妹のマリー・アントワネット王妃[1755-1793]、コンコルド広場でギロチンによって首を切り落とされ、吹きあがる鮮血に、見物に集まった数万人ともいわれる民衆は歓喜。当時のフランスではギロチンによる王族や貴族の処刑が、広場に舞台を設営して実施されるなど、見世物として民衆の人気を獲得。
● 「モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の「もし伯爵様が踊るなら」による12の変奏曲」ヘ長調 WoO.40
1794年(23〜24歳)
◆ ナポレオン軍、ボン占領。
◆ 1月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガー[1736-1809]に、対位法など作曲技術を師事(翌年3月まで)。
◆ ベートーヴェン、ヴァイオリンをイグナツ・シュッパンツィク[1776-1830]に師事。
◆ 秋、ベートーヴェン、カール・リヒノフスキー侯爵[1756-1814]の客人として邸宅の2階に滞在開始。同家でエステルハージ侯爵ら貴族と幅広く交流。
● ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1
● ピアノ・ソナタ第1番 へ短調 Op.2-1
1795年(24〜25歳)
◆ ベートーヴェン、腹部疝痛発作に悩まされます。
◆ 3月、ベートーヴェン、アルブレヒツベルガーのもとでの勉強を終了。
◆ 5月頃、ベートーヴェン、「オギルヴィ館」2階に転居。
◆ 3月、ベートーヴェン、ブルク劇場の慈善演奏会でピアノ協奏曲第2番などを弾いてプロの作曲家・ピアニストとしてデビュー。
◆ ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵のプラハ旅行に同行。
● ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
● ピアノ協奏曲第2番 変口長調 Op.19
● 管楽六重奏曲 変ホ長調 Op.81b
● 弦楽五重奏曲 変ホ長調 Op.4(管楽八重奏曲 Op.103の改作)
● ピアノ三重奏曲第2番 卜長調 Op.1-2
● ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3
● フルート、ヴァイオリンとヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25
● 管楽三重奏曲 ハ長調 Op.87
● 弦楽三重奏曲 ハ長調 Op.87(管楽三重奏曲の編曲)
● 弦楽三重奏曲 変ホ長調 Op.3
● ピアノ・ソナタ第2番 イ長調 Op.2-2
● ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3
● ロンド・ア・カプリッチョ「なくした小銭への怒り」ト長調 Op.129
● 歌曲「アデライーデ」Op.46
1796年(25〜26歳)
◆ ベートーヴェン、最初の難聴の症状。
◆ 2月、ベートーヴェン、2度目のプラハ旅行にでかけ、半年かけて単独でドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンもまわります。
◆ 4月、26歳の司令官ナポレオン率いる約2万5千人のフランス軍がイタリア遠征で約7万人のオーストリア・サルディーニャ連合軍を破り、以後、しばらくは各地で連戦連勝。
● 管楽六重奏曲変ホ長調 Op.71
● ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16
● チェロ・ソナタ第1番 へ長調 Op.5-1
● チェロ・ソナタ第2番 卜短調 Op.5-2
● モーツァルト「魔笛」の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲へ長調 Op.66
● ピアノ・ソナタ第19番 卜短調 Op.49-1
● ピアノ・ソナタ第20番 卜長調 Op.49-2
● シェーナとアリア「ああ、不実なる人よ」Op.65
● 8つの歌 Op.52
1797年(26〜27歳)
◆ ベートーヴェン、発疹チフスに罹患。
◆ 4月、ナポレオンの軍勢がウィーンの近くまで接近。
● ピアノ三重奏曲第4番 変口長調 Op.11「街の歌」
● 弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8
● 4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 Op.6
● ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op.7
● ピアノのためのロンド ハ長調 Op.51-1
1798年(27〜28歳)
◆ ベートーヴェン、3度目のプラハ旅行。
● ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 へ長調 Op.50
● 弦楽三重奏曲第1番 卜長調 Op.9-1
● 弦楽三重奏曲第2番 二長調 Op.9-2
● 弦楽三重奏曲第3番 ハ短調 Op.9-3
● ヴァイオリン・ソナタ第1番 二長調 Op.12-1
● ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.12-2
● ヴァイオリン・ソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3
● ピアノ・ソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1
● ピアノ・ソナタ第6番 へ長調 Op.10-2
● ピアノ・ソナタ第7番 二長調 Op.IO-3
● ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
● ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1
● ロンド ト長調 Op.51-2
1799年(28〜29歳)
◆ ベートーヴェン、ブルンスヴィク伯爵令嬢テレーゼとヨゼフィーネにピアノ指導。
◆ ジュリエッタ・グイチャルディ、チェルニーがベートーヴェンにピアノ演奏で弟子入り。
● ピアノ・ソナタ第10番 卜長調 Op.14-2
1800年(29〜30歳)
◆ ウィーンの人口約23万人。
◆ ベートーヴェン、リヒノフスキー侯爵から年金600グルデン支給。
◆ 春頃(?)、ベートーヴェン、「グライナー館」に転居。
◆ 冬、ベートーヴェン、年末から翌年にかけてひどい腹痛に悩まされます。
● 交響曲第1番 ハ長調 Op.21
● 七重奏曲 変ホ長調 Op.20
● 弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 Op.18- 1
● 弦楽四璽奏曲第2番 卜長調 Op.18- 2
● 弦楽四重奏曲第3番 二長調 Op.18- 3
● 弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18- 4
● 弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18- 5
● 弦楽四重奏曲第6番 変口長調Op.18- 6
● ホルン・ソナタ ヘ長調 Op.17
● ピアノ・ソナタ第11番 変口長調 Op.22
1801年(30〜31歳)
◆ ベートーヴェン、サリエリのもとで作曲の勉強。
◆ 11月、ベートーヴェン、ジュリエッタへの恋愛感情。
● バレエ音楽「プロメテウスの創造物」Op.43
● 弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29
● ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.16
● ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23
● ヴァイオリン・ソナタ第5番 へ長調 Op.24「春」
● ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26「葬送」
● ピアノ・ソナタ第13番 変ホ長調 Op.27-1
● ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 Op.27-2「月光」
● ピアノ・ソナタ第15番 二長調 Op.28「田園」
1802年(31〜32歳)
◆ ベートーヴェン、サリエリのもとでの作曲の勉強を終了。
◆ ベートーヴェン、ウィーンに滞在することとなった旧友アントン・ライヒャと交流。ライヒャがウィーンを離れる1808年まで継続。
◆ 秋頃(?)、ベートーヴェン、「銀馬亭」4階に転居。
◆ 10月、ベートーヴェン、「ハイリゲンシュタットの遺書」。
● 交響曲第2番 二長調 Op.36
● ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 卜長調 Op.40
● ヴァイオリン・ソナタ第6番 イ長調 Op.30-1
● ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2
● ヴァイオリン・ソナタ第8番 卜長調 Op.30-3
● ピアノ・ソナタ第16番 卜長調 Op.31-1
● ピアノ・ソナタ第17番 二短調 Op.31-2 「テンペスト」
● ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
● 「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 Op.35
● 7つのバガテル Op.33
● 6つの変奏曲 へ長調 Op.34
● ゲレルトによる6つの歌 Op.48
● 三重唱「おののけ、背徳者」Op.116
1803年(32〜33歳)
◆ ベートーヴェン、68鍵のピアノを入手(エラール社製)。それまでの楽器は61鍵だったので、表現力強化に直結。翌年のピアノ・ソナタ第21番で音域が拡大。
◆ 春、ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場内に居室を用意されたため弟カールと共に転居。
◆ 5月、イギリス、フランスに対して宣戦布告。
◆ 5月、ヴァイオリン・ソナタ第9番 Op.47作曲。イギリス人ヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワー[1779-1860]のために書かれ、彼とベートーヴェンのピアノ演奏で5月24日に初演。しかし2人は決裂したため、フランス人ヴァイオリニストで知人のロドルフ・クルゼール[1766-1831]に献呈先を変更(クルゼールは結局演奏せず)。
◆ 夏、ベートーヴェン、イギリスの愛国的主題によるピアノのための変奏曲を作曲。
◆ 10月、ベートーヴェン、スコットランド民謡の編曲でイギリスのトムスンと交渉。
● ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.38 (七重奏曲Op.20の編曲)
● ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47
● 行進曲ハ長調 Op.45-1(4手ピアノ)
● 行進曲変ホ長調 Op.45-2(4手ピアノ)
● 行進曲二長調 Op.45-3(4手ピアノ)
● オラトリオ「オリーブ山上のキリスト」Op.85
● ゴッド・セイヴ・ザ・キングによる7つの変奏曲 WoO.78
● ルール・ブリタニアによる5つの変奏曲 Wo0.79
● 歌曲「友情の喜び」Op.88
1804年(33〜34歳)
◆ 5月、ベートーヴェン、「赤い館」に転居。ニコラウス・エステルハージ侯爵[l765|1833]の賃貸住宅。
◆ 11月、ベートーヴェン、かつての城壁の上に建てられたため見晴らしの良い「パスクァラーティ館」の5階に転居。
◆ 12月、ベートーヴェン、ダイム伯爵未亡人のヨゼフィーネに恋愛感情。
● 交響曲第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」
● ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ハ長調 Op.56
● ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 Op.53「ヴァルトシュタイン」
● ピアノ・ソナタ第22番 へ長調 Op.54
1805年(34〜35歳)
◆ ベートーヴェン、この頃から間欠性の高熱、腹部疝痛、下痢にも悩まされるようになります。
◆ 11月13日、フランス軍がウィーンを占領。ナポレオン、ウィーン入城。
◆ 11月20日、「レオノーレ」第1稿を上演。上演時タイトルは「フィデリオ」。聴衆の大半がフランス兵で失敗。
◆ 12月2日、アウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア連合軍がナポレオン率いるフランス軍に敗北。
● 「レオノーレ」序曲第2番 Op.72a
● ピアノ・ソナタ第23番 へ短調 Op.57「熱情」
● 歌劇「レオノーレ」第1稿 Op.72
● 歌曲「希望に寄せて」Op.32
1806年(35〜36歳)
◆ 3〜4月、「レオノーレ」第2稿を上演。上演時タイトルは「フィデリオ」。
◆ 5月、弟カール、ヨハンナ・ライスと結婚。ベートーヴェン宅から独立。
◆ 7月、ナポレオンの圧力によりバイエルン王国、ヴュルッテンベルク王国、バーデン大公国など、ラインラント諸国により「ライン同盟」成立。ドイツ人兵士63,000名が、ナポレオン軍に供され、オーストリア軍と戦うことに。
◆ 8〜10月、ベートーヴェン、シレジアの領地に疎開中のリヒノフスキー侯爵の客として10月末まで滞在。
◆ 11月、ナポレオンにより「大陸封鎖令」発令。産業革命で優位に立っていたイギリスの覇権を貿易で潰し、フランスが覇権国となるための対イギリス経済政策でしたが、マイナス面も多く効果は限定的で、却ってナポレオン没落を速めることにも繋がっています。
◆ ベートーヴェン、イギリスとのやり取りが多かったので、「大陸封鎖令」により、交渉などに支障をきたすようになります。
◆ 12月、ヴァイオリン協奏曲初演。
● 交響曲第4番 変口長調 Op.60
● 「レオノーレ」序曲第3番 Op.72
● ピアノ協奏曲第4番 卜長調 Op.58
● ヴァイオリン協奏曲 二長調 Op.61
● 弦楽四重奏曲第7番 へ長調 Op.59-1「ラズモフスキー第1番」
● 弦楽四重奏曲第8番 ホ短調 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」
● 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
● ピアノ三重奏曲 変ホ長調 Op.63(弦楽五重奏 Op.5の編曲)
● 歌劇「レオノーレ」第2稿 Op.72
● 歌曲「恋人が別れたいと思ったとき」WoO.132
1807年(36〜37歳)
◆ ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵邸で交響曲第1〜4番とピアノ協奏曲第4番などを演奏。
◆ ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」をブルンスヴィク伯爵に献呈。
◆ ベートーヴェン、アン・デア・ウィーン劇場の座付き作曲家になる希望を出すものの劇場側は取り合わず。
● 序曲「コリオラン」 Op.62
● 「レオノーレ」序曲第1番 Op.138
● ピアノ協奏曲ニ長調 Op.61(ヴァイオリン協奏曲 Op.61の編曲)
● 創作主題による32の変奏曲 WoO.80
● ミサ曲ハ長調 Op.86
1808年(37〜38歳)
◆ 3月、ベートーヴェン、ハイドンの76歳誕生日記念演奏会に出席。
◆ 秋、ベートーヴェン、クルーガー通り1074番地に転居。
◆ 秋、ベートーヴェンに対し、ヴェストファーレン国王からカッセル宮廷楽長への就任要請。報酬は年額金貨600ドゥカーテン。
◆ 12月22日、ベートーヴェン、交響曲第5番、第6番」、合唱幻想曲を初演。練習不足と極度の寒さにより失敗。
● 交響曲第5番 ハ短調 Op.67「運命」
● 交響曲第6番 ヘ長調 Op.68「田園」
● ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 Op.70-1「幽霊」
● ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2
● チェロ・ソナタ第3番 イ長調 Op.69
● 歌曲「憧れ、ゲーテによる」WoO.134
● 歌曲「想い」WoO.136
1809年(38〜39歳)
◆ 1月、ベートーヴェン、前年秋にヴェストファーレン国王から要請されたカッセル宮廷楽長への就任を受諾する意思を表明。背景には、ベートーヴェンに反対する勢力が、ベートーヴェンの演奏会に出演したサリエリなどにも脅しをかけてきたという事情がありました。
◆ 2月、ベートーヴェン、3人の貴族と年金契約。キンスキー侯爵[1781-1812]が1,800グルデン、ルドルフ大公[1788-1831]が1,500グルデン、ロプコヴィッツ侯爵[1772-1816]が700グルデンで総額4,000グルデン。支払い条件は、ベートーヴェンがオーストリアに在住することで、この年金契約によりカッセル宮廷行きが阻止された格好です。
オーストリア皇帝フランツ2世の弟であるルドルフ大公からは生涯に渡って年金が支払われるものの、キンスキー侯爵は3年後に落馬で死去、ロプコヴィッツ侯爵は同じく3年後に破産したため、その2人については年金支払いが停止。ベートーヴェンはこれを不服として、1815年にロプコヴィッツ侯爵の管財人と、キンスキー侯爵の相続人を相手取って提訴し、勝訴しています(遡及支払いが適用)。
◆ 春、ベートーヴェン、クレッパーシュタルに転居。
◆ 4月、ウィーン近郊「エックミュールの戦い」でフランス・バイエルン・ヴュルッテンベルクの軍勢がオーストリア軍に勝利。
◆ 5月、ウィーン近郊「アスペルン・エスリンクの戦い」で、オーストリア軍が、ナポレオン率いるフランス軍に勝利。
◆ 7月、ウィーン近郊「ヴァグラムの戦い」で、ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア軍に勝利。
◆ 10月、シェーンブルンの和約。オーストリアはフランスに対し8,500万フランの賠償支払いと、約100,000km²の国土を割譲(約3,500,000人居住)。
◆ ウィーン、フランス軍占領下でインフレが進行。ベートーヴェン自身によれば以前の3倍の生活費水準に上昇。
◆ ベートーヴェン、ピアノ・ソナ第24番をテレーゼ・マルファッティに献呈。
● ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73「皇帝」
● 合唱幻想曲 ハ短調 Op.80
● 弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 Op.74「ハープ」
● ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調 Op.78
● ピアノ・ソナタ第25番 ト長調 Op.79「ソナチネ]
● 「トルコ行進曲」の主題による6つの変奏曲ニ長調 Op.76
● 幻想曲 Op.77
● 4つのアリエッタと1つの二重唱曲 Op.82
● 6つの歌 Op.75
● 歌曲「逝かよりの歌」WoO.137
● 歌曲「異郷の若者」WoO.138
● 歌曲「恋する男」WoO.139
● モーツァルトのピアノ協奏曲第20番への2つのカデンツァ WoO.58
1810年(39〜40歳)
◆ 4月、ベートーヴェン、「パスクァラーティ館」に再び転居。年間賃料500グルデン。
◆ 4月、ベートーヴェン、テレーゼ・マルファッティのために「エリーゼのために」作曲。求婚は失敗。
◆ ベートーヴェン、テレーゼ・ブルンスヴィクとの婚約を解消。
◆ ベートーヴェン、ゲーテと親交のあったベッティーナ・ブレンターノらと交流。
◆ ウィーンのインフレ進行が継続。ベートーヴェンの手紙によれば以前の4倍の水準に上昇。
● 劇音楽「エグモント」Op.84
● 弦楽四重奏曲第11番 へ短調 Op.95「セリオーソ」
● ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 Op.81a「告別」
● 「エリーゼのために」WoO.59
● 軍楽のためのエコセーズ WoO.23
● 軍楽のためのポロネーズ WoO.21
● ゲーテによる3つの歌 Op.83
● アイルランド民謡編曲
● スコットランド民謡編曲
● ウェールズ民謡編曲
1811年(40〜41歳)
◆ 2月、オーストリア政府、デフォルト宣言。銀行券は流通無効とし、補償紙幣と5対1で交換。実質的には通貨5分の1切り下げ政策。◆ 夏、ベートーヴェン、湯治のためボヘミアのテプリッツに旅行。詩人のクリストフ・アウグスト・ティートゲ[1752-1841]や、歌手のアマーリエ・ゼーバルト[1787-1846]と交流。
◆ 9月、オーストリア皇帝フランツ2世の勅令により通貨改定がおこなわれ、80%切り下げを約60切り下げまで緩和。
◆ 10月、ベートーヴェン、合唱幻想曲 Op.80が、出版社のブライトコップ&ヘルテルによって勝手にバイエルン国王に献呈されたことで激怒。当時、バイエルンはフランス側で、オーストリアの敵であり、また出版社の所在地ザクセン王国は、少し前にプロイセンとの同盟を破棄してフランス側に寝返っていたところでもありました。
● 「アテネの廃墟」のための音楽 Op.113
● 「アテネの廃墟」のための行進曲と合唱 Op.114
● 「シュテファン王」のための音楽 Op.117
● ピアノ三重奏曲第7番 変口長調 Op.97 「大公」
1812年(41〜42歳)
◆ 2月、ピアノ協奏曲第5番、チェルニー独奏によりウィーン初演。
◆ 7〜10月、ベートーヴェン、再びテプリッツに湯治旅行。ゲーテと交流。アマーリエ・ゼーバルトと再会。プラハ、カールスバートもまわる長期滞在。
◆ 10〜11月、ベートーヴェン、リンツに滞在。裁判所や警察の手も借りて弟ヨハンと家政婦テレーズの交際をやめさせようとするものの、弟ヨハンは結局テレーズと結婚。
◆ ベートーヴェン、「不滅の恋人への手紙」を書きます。
● 交響曲第7番イ長調 Op.92
● ピアノ三重奏曲 アレグレット WoO.39
● ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調 Op.96
● 4つのトロンボーンのための3エクアーレ WoO.30
● アイルランド民謡編曲
1813年(42〜43歳)
◆ 8月、オーストリア、フランスに宣戦布告。
◆ 10月、バイエルン王国、ライン同盟を離脱し、オーストリアと同盟。
◆ 10月、「ライプツィヒの戦い」。約19万5千人のフランス軍(含むワルシャワ公国、ナポリ王国、ライン同盟)は、約36万5千人の連合軍(オーストリア、プロイセン、ロシア、スウェーデン)に破れ、ライン同盟のザクセン王国軍の一部が離反するなどフランス劣勢となり、ナポレオンは逃走。
◆ ベートーヴェン、右耳の聴力を完全に喪失。
◆ ベートーヴェン、ロプコヴィッツ侯爵やキンスキー侯爵らを、年金不払いで提訴。
◆ 5月、ベートーヴェン、バーデン・バイ・ウィーンに滞在開始。
● 交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
● 「ウェリントンの勝利(戦争交響曲)」Op.91
● 歌曲「ナイチンゲールの歌」WoO.141
● チェンバロ伴奏歌曲「吟遊詩人の亡霊」WoO.142
1814年(43〜44歳)
◆ 2月、ベートーヴェン、「バルテンシュタイン館」に転居。
◆ ベートーヴェン、交響曲第7番と第8番を初演。
◆ 4月、ナポレオン、エルバ島に追放。
◆ 5月、ベートーヴェン、「フィデリオ」初演。成功。
◆ 9月、「ウィーン会議」開始。
● ピアノ・ソナタ第27番ホ短調 Op.90
● ポロネーズ ハ長調 Op.89
● 歌劇「フィデリオ」Op.72
● 歌劇「フィデリオ」序曲 Op.72
● パスティッチョ・ジングシュピール「よい知らせ」の終結合唱「ゲルマニア」WoO.94
● カンタータ「栄光の時」Op.136
● 四重唱と弦楽器のための「悲歌」Op.118
● 「別れの歌」WoO.102
● 合唱曲「田園のカンタータ」WoO.103
● 合唱曲「汝ら、幸せな国々の賢き建国者たちよ」WoO.95
● 歌曲「メルケンシュタイン」WoO.144
● 歌曲「兵士の別れ」タイン」WoO.143
● カノン「友楕は真の幸せの源」WoO.164
● 音楽による戯れ「ひとりで、ひとりで」WoO.205b
● 音楽による戯れ「私はzuの殿、あなたはvonの殿」WoO.199
1815年(44〜45歳)
◆ 2月頃、ベートーヴェン、「ランベルティ館」に転居。別宅として「ローマ皇帝館」も賃貸契約。
◆ 3月、ナポレオン、エルバ島を脱出。
◆ 5月、「フィデリオ」上演。成功
◆ 6月、「ウィーン会議」終了。
◆ 11月、弟カール、結核で死去。
◆ ベートーヴェン、貴族相手の年金訴訟に勝訴。
● 序曲「命名祝日」Op.115
● 劇音楽「エレオノーレ・プロハスカ」WoO.96
● チェロ・ソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1
● チェロ・ソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2
● カンタータ「静かな海と楽しい航海」Op.112
● 「凱旋門」のフィナーレ「成就せり」 WoO.97
● 歌曲「秘密」WoO.145
● 歌曲「希望に寄せて」Op.94
● 二重唱「メルケンシュタイン」Op.100
● カノン「新年おめでとう」WoO.165
● カノン「苦しみは短く」WoO.166
1816年(45〜46歳)
◆ 6月、オーストリア銀行設立。
◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
◆ ベートーヴェン、甥カールの母ヨハンナから提訴。
● カカドゥ変奏曲 ト長調 Op.121
● ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op.101
● 歌曲集「はるかな恋人に」Op.98
● 歌曲「約束を守る男」Op.99
● 歌曲「山からの呼び声」WoO.147
● 音による戯れ「私はあなたにキスをする」WoO.169
● 25のスコットランド民謡 Op.108
1817年(46〜47歳)
◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
◆ 5月、ベートーヴェン、ラントシュトラーセ268番地に転居。
◆ ベートーヴェン、甥カールをチェルニーに師事させます。
● 弦楽五重奏のためのフーガ ニ長調 Op.137
● 歌曲「いずれにしても」WoO.148
● 「修道僧の歌」WoO.104
● 音楽による戯れ「おお、副官」WoO.205c
● 音楽による戯れ「どこ? どこ?」WoO.205d
1818年(47〜48歳)
◆ ベートーヴェン、この頃、呼吸器感染の症状が頻出。
◆ 5月、ベートーヴェン、メートリンクに滞在。
◆ ベートーヴェン、73鍵のピアノをブロードウッド社から贈呈され、作曲中のピアノ・ソナタ第29番の音域が拡大。
◆ ベートーヴェン、ゲルトナー小路6番地に転居。
◆ ベートーヴェン、聴力悪化により、相手の用件を会話帳に書いてもらい、それに口頭で答えるというコミュニケーション方法が本格化。
◆ 7月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からのふたつの交響曲の作曲依頼に対し、返答を保留。
◆ 甥カールが母親の家に逃げ、ベートーヴェンは母親から再び告訴。
● ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
● 6つの民謡主題と変奏曲 Op.105
● 10の民謡主題と変奏曲 Op.107
1819年(48〜49歳)
◆ 10月、ベートーヴェン、「金色の梨館」に転居。
◆ 11月15日、弟カール死去。
◆ 弟カールの息子であるカール(甥)の後見問題が発生。弟カールが遺言で、妻と息子を引き離さないよう言及していたことで、ベートーヴェンと甥カールの母親とのあいだで法廷闘争が長期化。
◆ ベートーヴェン、聴力悪化。
● 「さあ、友よ、結婚の神を歌え」WoO.105
● カノン「新年おめでとう」WoO.176
● カノン「悪魔に食われてしまえ」WoO.173
● 音楽による戯れ「成就」WoO.205e
● 「信じ、希望せよ」WoO.174
1820年(49〜50歳)
◆ ベートーヴェン、甥カールの後見問題で勝訴。
◆ 12月、10年以上に渡って秘書を務めたフランツ・オリヴァーが職を辞し、サンクト・ペテルブルクに転居。
● ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
● 歌曲「僕のことを想っていて」WoO.130
● 歌曲「星空の下のタベの歌」WoO.150
● カノン「ホフマンよ、宮廷人でありなさるな」WoO.180
● カノン「糞たれは描かれず」WoO.224
● 音楽による戯れ「殿下! お元気で、ご多幸を」WoO.179
1821年(50〜51歳)
◆ 1〜2月、ベートーヴェン、療養生活。リウマチ(関節炎?)により健康状態が悪化。
◆ 3月、ルドルフ大司教、叙階式。
◆ ベートーヴェン、この頃、ラントシュトラーセ244番地に居住。
◆ 7月、黄疸発生。
◆ 夏から初秋、転地療養。
◆ 10月、ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス作曲に加え、ピアノ・ソナタ第31番と第32番の作曲を開始。
● ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
● ピアノ曲 口短調 Wo061
● カノン「おお、トビアス!」WoO.182
1822年(51〜52歳)
◆ 秋、ベートーヴェン、ヴィントミューレ60番地に転居。
◆ ベートーヴェン、ミサ・ソレムニス完成。
◆ ベートーヴェン、アントン・シンドラーを秘書として雇用。
◆ 12月、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に対し、4年前に依頼された交響曲の作曲を承諾した旨、連絡。
● 序曲「献堂式」Op.124
● ヴァイオリンニ重奏曲 WoO.34
● ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
● 11の新バガテル Op.119
● 奉献歌 Op.121b
● 同志の歌 Op.122
● アリエッタ「くちづけ」Op.128
● 3つのカノン「きょうはバーデンのことを忘れるな」「ごきげんよう」「徳は空事にあらず」WoO.181
1823年(52〜53歳)
◆ ベートーヴェン、ディアベッリ変奏曲とミサ・ソレムニス作曲中、視力悪化について言及。虹彩炎の疑い。
◆ 夏、ベートーヴェン、交響曲第9番の作曲に専念。
◆ 10月、ベートーヴェン、「美しき女奴隷館」に転居。
● ディアベッリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120
● ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123
● ピアノ伴奏カンタータ「我らの尊き伯爵」WoO.106
● カノン「ファルスタッフ君、登場しろ」WoO.184
● カノン「太っちょさん、不義の子は勝利した」WoO.226
● カノン「人間は気高く、惜け深く、善良であれ」WoO.185
● カノン「このような恩寵に感謝申しあげます」WoO.225
● 記念帳記入「善なるものに美を」WoO.202
● 記念帳記入「高貴なる人間は親切で善良であれ」WoO.151
1824年(53〜54歳)
◆ ベートーヴェン、聴力を完全に喪失。
◆ 4月7日、ミサ・ソレムニス、サンクト・ペテルブルクで初演。
◆ 5月7日、交響曲第9番、ケルントナートーア劇場で初演。
◆ 5月、ベートーヴェン、ヨハネス小路969番地に転居。
◆ 7月、ベートーヴェン、黄疸症状。
◆ 年末、ベートーヴェン、鼻出血。
● 交響曲第9番 ニ短調 Op.125「合唱」
● 弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調 Op.127
● 6つのバガテル Op.126
● ピアノのためのワルツ 変ホ長調 WoO.84
● カノン「親愛なる伯爵様、貴方はお人好し」WoO.183
● カノン「汝のみ敬愛す」WoO.186
● カノン「ふざけないでこっちを向け」WoO.187
● 音楽による戯れ「トビアス! パーテルノステル小路の住人」WoO.205g
1825年(54〜55歳)
◆ ウィーンの人口約29万人。
◆ ベートーヴェン、クルーガー通り10091番地に転居。
◆ 5月31日、アン・デア・ウィーン劇場閉鎖。所有者パルフィ伯爵の破産により。音楽家への未払い報酬も。
◆ ベートーヴェン、吐血。
◆ ベートーヴェン、春から初秋までバーデン・バイ・ウィーンで静養。
◆ 10月、ベートーヴェン、シュヴァルツシュパニアー通りの「シュヴァルツシュパニアー館」に転居。ここが終の棲家となります。シュヴァルツシュパニアー(黒いスペイン人)の名の由来は、17世紀から18世紀にかけて通りに存在していたスペインのベネディクト会修道院の僧衣が黒かったからで、同じスペイン修道院でも白い僧衣を着用していた三位一体派と区別するための呼称として定着した言葉でした。
◆ ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会に招待されるものの、金銭条件がで不満で拒否。
◆ 11月29日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会の名誉会員に推挙。
● 弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 Op.130
● 弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132
● 2つのチェロのためのカノンWoO.35
● ピアノ曲ト短調WoO.61a
● ピアノ・ワルツWoO.85
● ピアノ・エコセーズWoO.86
● カノン「神は堅き砦」WoO.188
● カノン「医者先生は死神に門を閉ざす」WoO.189
● カノン「善なるものに美を」WoO.203
● カノン「私はお伺いしました、医者先生」WoO.190
● カノン「寒いよ、暖かくないよ」WoO.191
● カノン「芸術は長く、人生は短し」WoO.192
● カノン「人生は門ではなく」WoO.194
● カノン「人生を楽しめ」WoO.195
● 音楽による戯れ「トビアス、トビアス」WoO.205h
● 音楽による戯れ「ああ、トビアス」WoO.228a
1826年(55〜56歳)
◆ 1月、ベートーヴェン、激しい腹痛、視力も低下。
◆ 7月30日、甥カール、ピストルによる自殺未遂。
◆ 9月28日、ベートーヴェン、甥カールと共に、薬剤師として成功し大農場も所有していた弟ヨハンの邸宅に滞在。弟ヨハンの招きによるものでしたが、ベートーヴェンは家賃・食費を支払っています。
◆ 11月、ベートーヴェン、弟ヨハン邸からの帰路は幌の無い馬車で、肺炎を発症。肝障害も悪化。呼吸促拍状態。
◆ 12月1日、ベートーヴェン、「シュヴァルツシュパニアー館」に帰館。
◆ 12月12日、ベートーヴェン、黄疸症状も現れて健康状態が悪化。腹水も出現。
◆ 12月20日、ベートーヴェン、腹水穿刺手術。10リットル近くの腹水を廃液。
● 弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131
● 弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135
● 弦楽四重奏のための大フーガ 変ロ長調 Op.133
● 弦楽四童奏曲第13番の新たな第6楽章
● 大フーガ変ロ長調 Op.134(Op.133の4手ピアノ編曲)
● 弦楽五重奏曲ハ長調(未完) WoO.62
● カノン「そうあらねばならぬ」WoO.196
● カノン「ここに作品がある」WoO.197
● カノン「ロバのなかのロバ」WoO.227
● 音楽による戯れ「やあトビアス」WoO.205i
1827年(56歳)
◆ 1月2日、甥カール、イグラウの駐屯地に向けて出発。
◆ 1月3日、ベートーヴェン、甥カールを唯一の相続人とする遺言状を作成。
◆ 1月8日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。2度目。
◆ 2月2日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。3度目。
◆ 2月27日、ベートーヴェン、腹水を抜く手術。4度目。
◆ 3月7日、ベートーヴェン、ウィーン楽友協会名誉会員証を受領。
◆ 3月18日、ベートーヴェン、ロンドンのフィルハーモニック協会からの見舞金100ポンド(約1,000グルデン)送付への令状を口述筆記。最後の手紙。同日、シューベルトが見舞いのため訪問。
◆ 3月23日、ベートーヴェン、意識混濁。
◆ 3月24日、ベートーヴェン、病者の塗油の秘跡を受けます。
◆ 3月26日17時45分、ベートーヴェン死去。56歳。死因は肝硬変と記載。遺産は現金1,215グルデン、アルンシュタイン&エスケレス銀行の株券7,441グルデン、遺品競売1,140グルデンなど約1万グルデン。
◆ 3月27日、遺言によりヨハネス・ヴァーグナー医師と、アンドレアス・ヴァヴルフ医師が遺体解剖。解剖記録原本はウィーン大学病理解剖学研究所に保管。近年の研究で、ベートーヴェンが鉛中毒だったことも判明。ベートーヴェンがワインを飲む際に常用していた容器に鉛が使用されていたのが最大の原因とも考えられており、これによりさまざまな健康問題が引き起こされた可能性が高いということです。
◆ 3月28日、デスマスク作成。なぜか解剖の翌日に作成された為、通常のデスマスクと異なり、死亡時肖像としての客観的証拠にはなり得ず、また同じタイミングで描かれたという死の床のスケッチも、同様の理由で、死亡時の姿を伝えるものとは言えない状態にあるようです。
◆ 3月29日、アルザーシュトラーセの三位一体教会で葬儀。約2万人が参列し、約500メートルの距離を1時間半かけて移動、ヴェーリング墓地に埋葬。
◆ 1888年、ウィーン中央墓地に改葬。

Track list
Ludwig van Beethoven 1770-1827
Complete Symphonies
CD1
Symphony No.1 in C Major Op.21
1. I. Adagio molto – Allegro con brio 9'05
2. II. Andante cantabile con moto 6'51
3. III. Menuetto – Trio (Allegro molto e vivace) 3'34
4. IV. Adagio – Allegro molto e vivace 5'52
Symphony No.3 in E fl at Major Op.55 “Eroica"
5. I. Allegro con brio 16'22
6. II. Marcia funebre (Adagio assai) 14'03
7. III. Scherzo (Allegro vivace) 5'54
8. IV. Allegro molto 11'09
Royal Flemish Philharmonic
Philippe Herreweghe conductor
Recording: June 2007, Concertgebouw, Brugge, Belgium
CD2
Symphony No.2 in D Major Op.36
1. I. Adagio molto – Allegro con brio 11'49
2. II. Larghetto 9'50
3. III. Scherzo (Allegro) 3'42
4. IV. Allegro molto 6'27
Symphony No.6 in F Major Op.68 “Pastoral"
5. I. Allegro, ma non troppo (Erwachen heiterer Empfi ndungen bei der Ankun_ auf dem Lande) 10'39
6. II. Andante molto mosso (Szene am Bach) 12'29
7. III. Allegro (Lustiges Zusammensein der Landleute) 4'58
8. IV. Allegro (Gewitter, Sturm) 3'45
9. V. Allegretto (Hirtengesang: frohe und dankbare Gefühle nach dem Sturm) 9'12
Royal Flemish Philharmonic
Philippe Herreweghe conductor
Recording: February 2009, deSingel, Antwerp, Belgium
CD3
Symphony No.4 in B flat Major Op.60
1. I. Adagio - Allegro vivace 11'26
2. II. Adagio 9'22
3. III. Allegro vivace 5'44
4. IV. Allegro ma non troppo 6'45
Symphony No.7 in A Major Op.92
5. I. Poco sostenuto - Vivace 14'11
6. II. Allegretto 8'48
7. III. Presto 9'38
8. IV. Allegro con brio 9'32
Royal Flemish Philharmonic
Philippe Herreweghe conductor
Recording: November 2004, De Roma, Antwerp, Belgium
CD4
Symphony No.5 in C minor Op.67
1. I. Allegro con brio 6'49
2. II. Andante con moto 8'29
3. III. Allegro 4'35
4. IV. Allegro 10'32
Symphony No.8 in F Major Op.93
5. I. Allegro vivace e con brio 8'34
6. II. Allegretto scherzando 3'48
7. III. Tempo di menuetto 4'23
8. IV. Allegro vivace 7'00
Royal Flemish Philharmonic
Philippe Herreweghe conductor
Recording: June 2007, Muziekcentrum Frits Philips, Eindhoven, The Netherlands
CD5
Symphony No.9 in D minor Op.125 “Choral"
1. I. Allegro ma non troppo, un poco maestoso 14'05
2. II. Molto vivace 13'18
3. III. Adagio molto e cantabile 11'54
4. IV. Finale 21'38
Christiane Oelze soprano
Ingeborg Danz mezzo-soprano
Christoph Strehl tenor
David Wilson-Johnson bass
Collegium Vocale Gent & Accademia Chigiana Siena
Royal Flemish Philharmonic
Philippe Herreweghe conductor
Recording: October 2009, deSingel, Antwerp, Belgium
年表付き商品説明ページ一覧
【バロック作曲家(生年順)】
◆ バード [c.1540-1623]
◆ カッツァーティ [1616-1678]
◆ ルイ・クープラン [1626-1661]
◆ クープラン一族
◆ ダンドリュー [1682-1738]
◆ スタンリー [1713-1786]
【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
◆ ミスリヴェチェク [1737-1781] (モーツァルトへの影響大)
◆ モンジュルー [1764-1836] (ピアノ系)
◆ ベートーヴェン [1770-1827]
◆ ジャダン [1776-1800] (ピアノ系)
◆ リース [1784-1838]
◆ ブルックナー [1824-1896]
◆ マルトゥッチ [1856-1909]
◆ ルクー [1870-1894]
◆ レーガー [1873-1916]
◆ ラフマニノフ [1873-1943]
【近現代作曲家(生年順)】
◆ レーバイ [1880-1953] (ギター系)
◆ マルティヌー [1890-1959]
◆ ミゴ [1891-1976] (ギター系も)
◆ ショスタコーヴィチ [1906-1975]
◆ ラングレー [1907-1991] (オルガン系)
◆ アンダーソン [1908-1975]
◆ デュアルテ [1919-2004] (ギター系)
◆ プレスティ [1924-1967] (ギター系)
◆ ヘンツェ [1926-2012]
◆ 坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
◆ アーベントロート (ベートーヴェン、 シューマン、 ブルックナー、 ブラームス、 モーツァルト、 チャイコ、 ハイドン)
◆ エッシェンバッハ
◆ カラヤン
◆ クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィル、 ベルリン・フィル、 ミュンヘン・フィル、 国立歌劇場管、レジェンダリー)
◆ クラウス
◆ クリップス
◆ クレンペラー (VOX&ライヴ、ザルツブルク・ライヴ、VENIASボックス
◆ サヴァリッシュ
◆ シューリヒト
◆ スイトナー (ドヴォルザーク、 レジェンダリー)
◆ フリート
◆ フルトヴェングラー
◆ ヘルビヒ (ショスタコーヴィチ、 マーラー、 ブラームス)
◆ ベーム
◆ メルツェンドルファー
◆ ヤノフスキー
◆ ライトナー
◆ ラインスドルフ
◆ レーグナー (ブルックナー、 マーラー、 ヨーロッパ、 ドイツ)
◆ ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
◆ ガウク
◆ クーセヴィツキー
◆ ゴロワノフ
◆ ペトレンコ
◆ マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
◆ クーチャー(クチャル)
◆ スラトキン(父)
◆ ドラゴン
◆ バーンスタイン
◆ フェネル
【指揮者(オランダ)】
◆ オッテルロー
◆ クイケン
◆ ベイヌム
◆ メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
◆ パレー
◆ モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
◆ セル
◆ ドラティ
【指揮者(スペイン)】
◆ アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
◆ アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
◆ クレツキ
【指揮者(チェコ)】
◆ ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
◆ チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
◆ トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
◆ バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
◆ ミトロプーロス
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】
【ピアノ(ロシア・ソ連)】
◆ ヴェデルニコフ
◆ グリンベルク
◆ ソフロニツキー
◆ タマルキナ
◆ ニコラーエワ
◆ ネイガウス父子
◆ フェインベルク
◆ フリエール
◆ モイセイヴィチ
◆ ユージナ
【ピアノ(フランス)】
◆ ウーセ
◆ カサドシュ
◆ ティッサン=ヴァランタン
◆ ハスキル
◆ ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
◆ キルシュネライト
◆ シュナーベル
◆ デムス
◆ ナイ
◆ レーゼル (ブラームス、 ベートーヴェン)
【ピアノ(南米)】
◆ タリアフェロ
◆ ノヴァエス
【チェンバロ】
◆ ヴァレンティ
◆ カークパトリック
◆ ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】
【ヴァイオリン】
◆ オイストラフ
◆ コーガン
◆ スポールディング
◆ バルヒェット
◆ フランチェスカッティ
◆ ヘムシング
◆ リッチ
◆ レビン
【チェロ】
◆ カサド
◆ シュタルケル
◆ デュ・プレ
◆ ヤニグロ
◆ ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】
【クラリネット】
◆ マンツ
【ファゴット】
◆ デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
◆ モワネ
【歌手】
◆ ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】
【三重奏団】
◆ パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
◆ フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
◆ グリラー弦楽四重奏団
◆ シェッファー四重奏団
◆ シュナイダー四重奏団
◆ ズスケ四重奏団
◆ パスカル弦楽四重奏団
◆ ハリウッド弦楽四重奏団
◆ バルヒェット四重奏団
◆ ブダペスト弦楽四重奏団
◆ フランスの伝説の弦楽四重奏団
◆ レナー弦楽四重奏団
Other Editions
-
CD
[USED:Cond.AB] "COMP.PIANO CONCERTOS,ETC:ROSEL(P)FLOR/BERLIN SO +PIANO SONATA,8,14,17,18,23,24,29,"
¥4,180 GER Edition Import 01 Aug 2024
-
CD
[USED:Cond.B] "COMP.PIANO CONCERTOS,ETC:ROSEL(P)FLOR/BERLIN SO +PIANO SONATA,8,14,17,18,23,24,29,"
¥3,850 GER Edition Import 01 Aug 2024
Customer Reviews
Beethoven (1770-1827) Items Information
-
Furtwangler / Bayreuth 1951 German Edition. In 1951 Wilhelm Furtwangler twice demonstr... HMV&BOOKS online|Friday, January 1, 2008 21:20
Recommend Items



