Top 100 Japanese pops Artists - No.8

2003年11月23日 (日)

フォーク界最大のスターの一人として20世紀・21世紀のジャパニーズ・ポップス・シーンに君臨する井上陽水。稀にみる歌唱力と、ロマンティックな歌詞を創り出す作詞センス、そしてあの何とも言えない、どことなく謎めいたトークが魅力(日産セフィーロのCMでの「みなさん、お元気ですか」もブームになった)。最近では、奥田民生とコンビを組み、パフィーアジアの純真を提供し大ヒットへと導いている。

15歳のころThe Beatlesをラジオで知り洋楽を聴き始め、音楽に目覚めるが実家の歯医者を継ぐため勉学に励む。結果、大学受験に失敗し断念。浪人中に『アンドレ・カンドレ』という名前で音楽活動に励むようになり、当時人気のあった深夜ラジオ番組『スマッシュ・イレブン』のディレクターを担当していた、野見山実に曲を売り込み、その曲はリスナーからのリクエスト投票1位となり火がついた。のちに1969年CBSソニーと契約を果たし”カンドレ・マンドレ”でデビューを果たす。

1972年に井上陽水(ヨウスイ)と改名。この頃の陽水は、音楽活動だけでは生計を立てられず、何種ものアルバイトをしていたという。時にはクラブで歌を歌っていたとか。

改名後、ポリドールへ移籍し、人生が二度あれば(シングル)で再びデビュー、同年5月にファースト・アルバム断絶(モップスのメンバーらが参加)、12月にセカンド・アルバム陽水IIセンチメンタルをリリースする。このセカンドは80万枚弱のセールスを記録し、除々に頭角を表してゆき、翌年1973年にシングル夢の中へをリリース。この曲でヒット・チャートに井上陽水の名前が初めて現れるという快挙を成し遂げる。 1975年に吉田拓郎らとフォーライフ・レコードを設立。その後もコンスタントにアルバムをリリースし、1984年にはセルフ・カヴァー集9.5カラットを発表しチャート1位を獲得している。

...と活動を追ってゆくと膨大なため、ディスコグラフィーは割愛するが、井上陽水の名前を日本中に轟かせることになったのは1983年頃から。陽水が作詞・作曲を担当した、中森明菜による飾りじゃないのよ涙はや、安全地帯に詞を提供した恋の予感ワインレッドの心など、歌手に提供した楽曲のヒットにより注目を集めるようになる。以後も多数のアルバムをリリース。吉田拓郎奥田民生筒美京平ら、コラボレイト作品でもその個性的な楽曲センスを発揮し、周りを霞ませ、またタモリこと森田一義との仲の良さも有名。2000年7月にリリースされたベスト盤Golden Badでは、陽水が特にこだわりがある楽曲が聴ける。

陽水の歌声は、真白い綺麗な歯を丸出しにして張り上げるヴォーカル・スタイルから発するダイナミック&ネットリとしたヴォーカルが特徴的。哀愁の漂う優しいメロディーと詩的な歌詞、そして美しいヴォーカルの絶妙なマッチングが何よりの魅力。SONYハンディカムCMで起用された名曲’少年時代’のあの優しさと哀愁に満ちた歌声に感動した人も多いはず(実際リリースから大分経った楽曲にも関わらず、このCMで好セールスとなっていった)。以後も、トーク番組などに出演した折には、半笑い顔で毒づいたトークを見せ、ファンを喜ばせれくれる。また音楽活動も勿論健在で、2001年1月にはマキシ・シングル”コーヒー・ルンバを筆頭に昭和歌謡曲を収録した、アルバムUnited Coverが大ヒット。2002年に入り、4月にはFinal Love Songを、そしてアルバムカシスを7月にリリース!更に、11月にはジャズアレンジによるセルフカヴァー集Blue Selectionをリリース。53歳の現在も現役のヴォーカリストとして、その歌声を維持し続けている。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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