Top 100 Japanese pops Artists - No.65

2003年9月27日 (土)

20万人ライヴ、アジアを股にかけた北京でのライヴなどいつでも話題を振りまくGlay。1998年にリリースされた第一弾ベスト・アルバムReview Best Of Glayが、当時オリコン・チャートの過去最高得点を記録したり、Glay Jumboと名づけられたJALの特別塗装便が就航したりと、彼らの周りには常にあっと驚くニュースが絶えない。現在、間違いなくトップ・ランナーとして日本のポップス/ロック界を駆け抜けているGlay、ここでは彼らの歴史を振り返ってみたいと思う。

彼らは全員北海道函館の出身。1988年、当時函館の高校に通っていた(ジョン・レノンになりたかった)Takuroと(サッカー大好きな)Teruが中心となってGlayを結成。元々は別のバンドをやっていたのだけれど、コピー・バンドに飽きたTakuroが、小中学校が同じだったTeruに声をかけたのがきっかけ。文化祭などで好評を博しつつ、地元のライヴハウスなどにも出演するようになる。この頃から曲はオリジナル中心。プロ志向なのが見て取れる。

90年になると、高校卒業を期にTakuro、Teru、(PUNK少年:蟻というバンドに在籍)Hisashiの3人で活動の拠点を東京に移す。都内や近郊のライヴハウスに出演。ライヴも軌道に乗り始め、そのうち、自主制作のカセット・テープを3本発表、瞬く間に完売してしまう。まさに幻!函館時代の後輩バンド(ピエロ)のメンバーだったJiroが加入。
94年、目黒鹿鳴館で記念すべき初のワンマン・ライヴをSOLD OUTに。その後すぐにロスに渡り、X JapanのYoshikiプロデュースでデビュー・シングルRainのレコーディング。同年5月シングル「Rain」をYoshiki設立のプラチナムレコードから、アルバム灰とダイヤモンドをインディーのエクスタシーレコードからリリース。2ndシングル真夏の扉は土屋昌巳のプロデュースで、テレビアニメ「ヤマトタケル」のオープニング・テーマとして抜擢される。

同じく1994年、8月にはメジャー第一弾となるアルバムSpeed Popのレコーディングをスタートさせる。ここから、Glayとは切っても切れない仲になるプロデューサー佐久間正英との付き合いが始まった。佐久間氏と言えばGlayのメンバーもフェイヴァリットに挙げている日本の80年代を代表するバンド、Boφwyのプロデュースも手掛けていた敏腕プロデューサー。以後彼のプロデュースが続き、Glayのメンバーも絶大な信頼を置いている。9月には初の全国ツアー「灰とダイヤモンドTOUR」をスタート。3枚4枚とシングルを切り、遂にアルバム「Speed Pop」を1995年の3月にリリース、オリコン・チャート8位を記録した。このアルバムを引っ提げて全10公演の「Speed Pop Gig ‘95」に出る。動員は8000人。この間にずっと2人で…という名バラードのシングルを切ったりもする。7月には早くも2ndアルバムのレコーディングを開始。ここからサポート・プレイヤーとしてガッチリGlayを支えてくれるToshi Nagai (Ds), D.I.E(Key)が全面的に参加。この2人なしではGlayは語れません。そして8月、強力タイアップ「カメリア・ダイヤモンド」の曲はYes,Summerdays。これがGlay全国的に大爆発のきっかけと言って過言ではないでしょう。6枚目のシングルでした。年が明けて1996年、またも大きなタイアップで「Victoria」。曲はグロリアス。オリコン・チャート初登場4位。2月に満を持してメジャー第2弾アルバムBeat Outを世に送り込み、堂々初登場1位の座に君臨しました。ツアー「Beat Out!’96」も全9公演、動員5万人という快挙。夏にはドラマ「ひと夏のプロポーズ」の主題歌になったBelovedが大ヒット。しっとりと、素朴なサウンドのGlayも多くの人に受け入れられました。単行本が出たり写真集が出たり、ラジオのパーソナリティーを務めたり、話題に事欠かない彼ら。

1996年11月、9カ月という短いインターバルで3rdアルバムBelovedをリリース。勿論オリコン・チャート初登場1位、更に初めてのミリオン達成でした。その後の「Glay Tour ’96-‘97”Beloved You”」では33公演で10万人動員。

1997年に入ってからは出すシングル、出すシングル、必ず初登場1位状態。そして10月、ベスト・アルバム「Review〜Best Of Glay」をリリースするやいなや、発売一週間で300万枚を突破し、オリコン・チャート史上最高得点での初登場1位を記録。

この98年はGlay結成10周年の記念の年でもありました。記念日7/2の直後、7/29に4枚目のオリジナル・アルバムとなるPure Soulをリリース。オリジナル・アルバムの中でも、初動で自己最高をマーク。翌年1999年、初のドーム・ツアー「Glay Dome Tour “Pure Soul” 1999」を敢行、15公演でなんと75万人を動員。そして7月、有名な”Glay Jumbo”が就航したのです。東京-札幌間を結ぶJALの機体に大きくGlayのメンバーが描かれました。メンバーが函館出身ということで、7月の後半は東京-函館間で就航。その7月の最終日には、あの「Makuhari Messe 10th Anniversary Glay Expo’99 Survival」でなんと20万人動員。これはまさに日本の歴史に残る事件でした。
10月、5thアルバムHeavy Gaugeをリリース。一回りも二回りも成長したアルバムでした。 2000年、7月に幕張の映像Glay Expo ’99 Survival Live In Makuhariが、ビデオDVD同時発売、9月に灰とダイヤモンドが再発売され、新しいファンには素敵なプレゼントになりました。2000年には2枚目となるベスト・アルバムDrive〜Glay Complete Bestをリリース。これは、ファンの人気投票により選ばれた曲を元にして編まれました。初期の作品が廃盤になってしまっている為に、新しくファンになった人にも優しいし、昔からのファンという人も納得、の24曲ではないでしょうか。

そして2001年、シングルGlobal Communication「Stay Tuned」ひとひらの自由をリリースした彼らが11/28アルバムOne Loveをリリース。メリハリがあるアルバムに仕上がっています。

そしてお馴染みの「あいのり」テーマソングとして大ヒットしたWay Of Differenceを2002年2月にリリース!まさに「あいのり」といった歌詞と抜群のメロディ−はさすがGlayと思わせる内容でした。さらにシングル2週連続リリースまたここであいましょう逢いたい気持ちをリリース。これは2枚が似通ったイメージジャケになっている彼ららしいプロダクト。そして、それらを含むアルバムUnity Roots & Family,Awayを9/19にリリース。この作品はミディアムテンポの曲を中心とした、今までの作品とは違うコンセプトを打ち出した作品に仕上がった。
その9月には、日中国交の親善大使のような役割で、中国を訪問。大規模な無料ライブを行なうほどの人気を中国でも示しました。
2002年10月に北京ライヴを敢行し、12月にはその映像作品 Glay One Love In北京live & Documentが発売と、かわらず話題しきりのGLAY。2003年の第1弾は、2/5のRare Collective Vol.1Vol.2という各2枚組の超豪華アルバム2枚同時リリース。レア音源満載の内容。そのまま過去作品であるアルバムSpeed Pop、ファンから名盤と誉れ高いBeloved、初期のGlayを詰込んだBeat Outを再リリース。規模が大きくなっても彼らが貫く音楽性はますますファンを魅了しています。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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