Top 100 Japanese pops Artists - No.82

2003年9月10日 (水)

からっぽの世界。
ジャックスは、日本におけるアンダーグラウンド・シーンの先駆者といえる存在である。 そして、ジャックスは日本のロック史上もっとも重要で、先進的なバンドのひとつだった。

1965年、当時高校3年生の早川義夫が同級生の高橋末広、松原絵理とフォークトリオ・ナイチンゲールを結成。66年夏、松原絵理が抜けるが、大学に進学していた早川と高橋はグループ名をジャックスとして、音楽活動を続行。レパートリーも洋楽コピーから、オリジナル中心へと移行し、67年になると谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラム)が加わり4人編成となるが、まもなく高橋が去り、変わりに水橋春夫(ギター)が加入した。

その年の夏には、『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』に入賞。特異なフォークロックとメンバーの強烈な個性が注目され、翌68年3月にインディーズのタクトから初シングルからっぽの世界でを発表する。

ジャックスは歌謡曲と、洋楽の物まねロックと、歌謡曲化したロック(GS)と、メッセージ・フォークしかなかった60年代末の日本の音楽シーンに突然投げ込まれた爆弾のようなものだった。遠藤賢司南正人はっぴいえんどフォーク・クルセイダーズ三上寛といったアーティストが押し進めていた動きは、言葉通りの意味でオルタナティヴ・ロックの嚆矢だったとも言えるが、なかでもジャックスの特異な音楽世界は、安易なフォロワーの登場を許さないほど、いまだに唯一無二の存在感でもって屹立している。

68年9月、東芝からファーストアルバムジャックスの世界を発表。
早川の、暗い淵の底から響いてくるような声で歌われる、聴き手の心をヒリヒリと刺激する歌詞と、サイケデリック感すら漂わせるユニークな音楽性は、GSともカレッジ・フォークとも異なる、まさにオリジナルなサウンドであった。しかしながら、あらゆる意味で革命的だった本作だったか、GS全盛期だったリアルタイムではまったく評価されることがなかった。それでも、一部の熱狂的ファンというのは、数多くいたが、一般的な人気を得るまでには至らなかった。

同年11月、アルバム発売直後に水橋が脱退し、その穴を埋める形で翌年、つのだひろが参加。前後して関西フォークシーンの中心、高石友也が主宰する高石音楽事務所に所属を移し、事務所のイヴェント『あんぐら音楽祭』に主演するなど、アンダーグラウンド・シーンと結びついた活動を推し進めていくが、レコ−ドの売上も芳しくなく、グループの結束力も次第に弱まっていく。

69年にはセカンドアルバムジャックスの奇蹟を録音するが、8月の『全日本フォークジャンボリー』主演を最後に解散。確かに、名盤ファーストに比べると散漫な印象を受けるアルバムだが、攻撃的な堕天使ロックや、世界の無常を歌にできた希有な例といえる花が咲いてが収録されていることは意義深い。
解散後、早川は69年にソロ・アルバムかっこいいことはなんてかっこ悪いんだろうを発表するが、音楽界から離れ書店を経営。その後94年に復帰、マイペースに活動中。木田高介は80年に死去。
ジャックスの活動期間はわずか数年、発表されたオリジナル・アルバムはたったの2枚に過ぎない。だがジャックスの及ぼした影響の大きさはまさに絶大だった。

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ジャックスの世界

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