Top 100 Japanese pops Artists - No.59

2003年10月3日 (金)

■浜田省吾プロフィール

1952.12.29生まれ  広島県竹原市出身  O型

高校時代にバンドを組み、現在に至るまでのパートナーとなる町支寛二と出会う。
'72 上京し、大学在学中に町支寛二・高橋信彦らと愛奴を結成、 ドラムスを担当。
'74 5月、吉田拓郎の全国ツアーにバックバンドとして参加。
'75 5月1日、愛奴デビュー。 9月、愛奴を脱退。
'76 4月21日、アルバム生まれたところを遠く離れて、シングル路地裏の少年でソロデビュー。

愛奴脱退後、ソロとしてデビューし、精力的にライブを行ないアルバムを発表するも最初の頃は残念ながら人気はいまひとつだった。 当時はフォーク色の強いグループのが全盛期であったため、極めて内省的で苦悩に満ちた内容を描いた 路地裏の少年はあまりウケがよくなかった。
79年頃に風を感じてを演奏。その曲が日清カップヌードルのCM で使われ、ヒットする。
'80年にはロック色の強いアルバムHome Boundを発表、 翌年には武道館コンサートに向けてアルバム愛の世代の前にを発表。 このアルバムには後にドラマの主題歌として大ヒットする悲しみは雪のように も収録されている。

'82年 アルバムPromised Landリリース。1月に武道館コンサートを行ないライブアルバムOn The Roadをリリース。 以降の浜田省吾のツアータイトルにこの"On The Road"とタイトルされた全国ホールコンサートツアーを年間何十本もこなしてゆく。
83年 初の野外イベント"A Place In The Sun"を福岡・海の中道公園で行なう。 バラード集Sand Castle
'84年 初のセルフプロデュースとなるDown By The Mainstreetリリース。

デビュー以後25年にわたり、日本のロック界の第一線で独自のスタイルを持ちながら活動を続けていく。 彼のライヴチケットは常に 全会場ソールドアウトという圧倒的動員力を誇っており、作品のリリースもコンスタントに制作を進め、意欲的に継続している。 リアルタイムで思春期に浜田省吾にふれたかつての10代の少年少女から、 20代、30代を中心に若いリスナーの支持も増え続け、 衰えることなく唯一無二の存在であり続けるロックアーティストを突き進むアーティストだ。

そのどこか哀愁漂うノスタルジックで個性的な歌声で、“恋愛”をテーマにした楽曲を多く歌っていた。 彼のもつノスタルジックな雰囲気、永遠の少年性にとりこになったことだろう。 当時から変わらないジーンズにサングラスのユニフォームを決して崩さない強固なポリシーも楽曲の魅力とともに 存在している。 浜田省吾に描かれる男と女の物語は最高にせつなく、カッコイイ。 キャンパスを舞台にした恋愛ストーリーも多く、学生の共感を呼んだ。 何しろ彼の曲の世界で表現される “恋愛”は登場人物がカッコよくて、多感な青春時代に浜田省吾と出会った方はこのような恋愛に憧れ、悩み、思い切り その世界に浸ったことだろう。 君の微笑散歩道片思い、などにはそんな恋物語がたくさんある。 そこで一生懸命に生きる若者の姿は、自分とオーバーラップして聴きこんでいくうちにその深みにはまる。

浜田省吾が一気に幅広い世代に認知されるようになったのは、テレビドラマ「愛という名のもとに」悲しみは雪のようにが主題歌で使われたのがきっかけだろう。
このドラマの中で浜田省吾の曲がここ一番という時に流れはじめ、非常に恥ずかしいセリフをバックにドラ マを最高潮に盛り上げていた。もちろんミリオンセラーの大ヒット。 ちなみにこのドラマの脚本家は野島伸司氏。 世代的にもかぶる。
それ以外にも'86年に発表された名曲だらけの2枚組のアルバムJ Boyでデビュー10年目にして初のチャート1位を獲得。 。また収録されているもうひとつの土曜日浜田省吾を代表する楽曲となり、ファン以外のリスナーの郷愁を誘った。 この後コンサートツアーを続け、発表したアルバムも次々とチャート1位を獲得、人気ミュージシャンの地位を確立していく。
'89年にはライブビデオOn The Road"Films"と、シングルアヴェ・マリアがリリースされ、収益はエイズの治療・研究のために寄付された。

90年代以降の彼の作品には詩にも社会の現状を批判したり、メッセージ性 の濃いものが多くなる。誰がために鐘は鳴るその永遠の一秒にはタイトル同様、考えさせられる歌詞の内容になっている。 94年には泉谷しげるの呼びかけにより多くのミュージシャンが出演した普賢岳噴火救済コンサートへの出演や、 '95年のシングル我が心のマリアの収益は阪神淡路大震災の復興のために寄付し、社会問題にも向き合う活動を行っている。

93年9月のツアーで、長年のパートナーである町支寛二が脳腫瘍のためそれ以降の予定をキャンセルし、 町支寛二の復帰後ツアーは再開され、3年がかりのツアーとなった。
'96年には2本目のビデオRoad Out"Movie"とそのサウンドトラックRoad Out"Tracks"リリース。 さらに11月には省吾自身が「もっとも満足のいくアルバム」と言い切る青空の扉をリリース。
'97年には70年代の楽曲をリメイクしたアルバム初夏の頃をリリース。
そして'98年春から5年をかけたツアーとなる"On The Road"2001"がスタート。 このツアーでは近年行なわれなかったホールクラスのコンサートや野外コンサートなどをこなす。 '98年にはライヴのメイン曲とも言うべきモノクロームの虹を発表、さらに ヒップホップに挑戦したLOVE HAS NO PRIDEをリリース。
2001年にはデビュー25周年を記念し初のベストアルバム 、History Of Shogo Hamada Since 1975 を発売。

2002年、ライブ映像をまとめたOn The Road 2001 The Monochrome Rainbow / Let Summer Rock '99をリリース。 Save Our Shipでは 自分の方向性を見失うことなく、彼自身を前面に出し、50歳を目前に控え、意欲的なアルバムとを制作。

そしてSand Castleから20年... 待望の浜田省吾セルフカバー・バラードコレクション第4弾初秋Early Autumnが発売。 合わせて過去3作のセルフ・カバーアルバムをSACDハイブリット仕様&リマスタリングで再発。 ”浜省のバラード”を強く認識させることとなった20代のSand Castle、シリーズの中でも最高傑作の呼び声も高い 30代の主人公の重く切ない”大人”の愛の物語Wasted Tears、 そして”まるでナイフの刃の上を歩くような初々しく、端々しい”上質な青春映画”若い日々を歌った10代のEdge Of The Knife
起承転結を描くこの3枚のアルバムに続くのは、最後の”結”になるやもしれない、 重くもやさしく穏かな大人のバラード・アルバム。先行インスパイア・シングルの君に捧げるLove Songから、 タイトルチューンである初秋など全13曲を収録。新しい”スローラヴ・ライフ”とも言うべき”浜省バラード” の新たな真髄をハイクオリティーなSACDハイブリッド・サウンドで堪能できる。

これらの浜田省吾の楽曲にはいわゆるキャッチーなメロディーラインというのはあまりなく、 聴きこむほど、じわっと染み込んでくる魅力が秘められている。 だからこそ様々な魅力があいまって長年に及び、全国にカルト的ファンを擁するアーティストとして存在しているのかもしれない。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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