Top 100 Japanese pops Artists - No.18

2003年11月13日 (木)

坂本九の最大のヒット曲上を向いて歩こう

その曲はスキヤキとして世界中で愛され、日本人としては 初のビルボードのトップ・チャートを飾り、世界でもっとも有名な日本の楽曲となった。 現在ではウルフルズRe:Japanによるリヴァイバル・ヒットとして改めて認知された作品。原曲は坂本九であること、そして彼は国民的スターであったということを知らない世代も多くなり、今ではもう「昔話」になりつつある。だが、彼が日本のポップスシーンに残していった偉大な功績は今後も語り継がれることだろう。

1961年の高度成長期にこの歌は誕生し、テレビの発展と共に成長し、当時のわれわれを元気づけてくれた。もちろん上を向いて歩こうだけでなく、見上げてごらん夜の星を明日があるさなど多くの名曲を生み出していもいる。

日本が誇る名曲の誕生には、作曲者である中村八大、作詞は永六輔という60年代のミュージックシーンにおいての先頭打者たちによる緻密なオリジナルポップソングと、坂本九のひたむきで明るく、朗らかな歌声が我々の心を打ったのだ。
海外でも その人気は現在もなお衰えず、これまでのセールスは全世界で1000万枚以上と驚異的な数に達している。 記録云々より、なによりもまずこの楽曲の素晴らしさが伝わってくる歌唱 が人々の心に伝わったからだろう。 まさに20世紀における世界中に愛されている名曲だ。

坂本九は、エルビスプレスリーに憧れ、唄をはじめる。 ジャズ喫茶で歌っていたところを見出され、昭和33年、アメリカンポップス楽団ダニー飯田とパラダイスキングのメンバーに参加、デビューする。悲しき60才ステキなタイミングなどヒットを放った。その後、ソロ歌手に転向。中村八大永六輔青島幸男ら当時の気鋭作家陣のバックアップのもと、先述の上を向いて歩こうを始め、不滅の名曲夢で遭いましょう、お馴染みの明日があるさなどなどの作品を次々と生み出し、日本人の心を掴んでいった。人なつこい笑顔と庶民的なキャラクターで、お茶の間を明るくし、日本中から愛されていた彼。

しかし――85年、日航機墜落事故に遭遇、永眠。

現在では家族が彼の意思を継ぎ、 ボランティアや関連のイベントを行っている。長女の大島花子さんが声をのせて録音した親子デュエットによる見上げてごらん夜の星を が発売されるなど、話題を呼んでいる。

最近ではトリビュート盤坂本九tribute Album が編まれるなど、いまだ多くの人に愛されている。 オリジナルが誰か知らないという若い世代にも、聴き継がれていってほしい作品。

■坂本九プロフィール

1941年 12月10日 坂本九(本名:大島九(ヒサシ))九人兄弟の末っ子として誕生。
1958年 若者達の熱い心を爆発させた「日劇ウエスタン・カーニバル」で初舞台。
1960年 東芝レコードより「悲しき60才/恋のホームタウン」でレコード・デビュー。
1961年 NHK「夢で逢いましょう」で世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」を歌う。
「紅白歌合戦」初出場、男性軍司会役を兼ね出演、連続12回出場。
1963年 「上を向いて歩こう」米国キャピトル・レコードより発売となり、ビルボード誌、キャッシュ・ボックス誌共に第1位を獲得しミリオン・ヒットとなる。

1965年 不幸な子供たちのための「あゆみの箱」の活動開始。
1967年 日本万国博覧会政府出展懇談会委員に吉永小百合さんと選ばれ1970年度万博に若者代表として参加。
1970年 第1回世界歌謡祭の総司会を努める。(〜1984年まで)
12月8日 坂本九、柏木由紀子と結婚
1976年  「STVふれあい広場・サンデー九」開始。亡くなる1985年まで続ける。
1981年 NTV「スター誕生!」第3代目司会者として493回目より出演。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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