トップ > 音楽CD・DVD > ニュース > クラシック > 管弦楽曲 > オーマンディ&フィラデルフィアの芸術 第3弾リリース!

オーマンディ&フィラデルフィアの芸術 第3弾リリース!

2003年9月25日 (木)

初回限定盤!
ユージン・オーマンディ&フィラデルフィアの芸術V[20タイトル]


世界中のオーマンディ・ファンからの熱いリクエストに応え、ついに第3弾が実現!日本初発売、世界初CD化音源を多数含むRCA録音復刻シリーズのクライマックス!

→コメント付きページ(第3回)
→コメント付きページ(全タイトル)

●オーマンディ&フィラデルフィアのRCA録音を総ざらい
カラヤン&ベルリン・フィルと並び、20世紀におけるオーケストラ芸術の最高峰と称えられるユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団。分厚くしなやかな弦を土台に、管楽器・金管楽器に名だたる名手を配することで生み出された「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」は、ほぼ半世紀にわたって世界中の音楽ファンを魅了してきた。この名コンビが1968年から1980年までの12年間にRCAに残した膨大な録音から選りすぐってCD化してきた「ユージン・オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」(1999年と2001年発売の15+20=35タイトル)は、日本だけでなく世界のオーマンディ・ファンの間にセンセーションを巻き起こし、ヨーロッパ主義偏重を超えて、オーマンディとフィラデルフィアが到達した高い境地を純粋に再評価するきっかけとなった。

●第3回、そして最後のシリーズとなる今回は、過去2回に劣らず多彩で幅広いレパートリーを選び、日本初発売となる2曲(チャイコフスキーの交響曲第2番と第3番)、世界初CD化音源を多数含むファン垂涎のラインナップ。前回のシリーズ発売以降、CD化の要望が高かった録音を多数収録。

●正確なレコーディング・データ、ディスコグラフィカル・インフォメーションなどを含む、資料的に充実したライナーノーツにより、オーマンディの業績を見つめなおす。

●オリジナルLPのジャケット・デザイン使用。

●JVC K2 24ビット・96KHZリマスタリングおよびK2レーザー・カッティングによる音質向上で、よりマスターテープに近いクオリティを実現。


ラインナップ
[1]モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」&シューベルト:交響曲第8番「未完成」
[2]マーラー:交響曲第2番「復活」 [2CD]
[3]メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」
[4]ワーグナー:「ニーベルングの指環」管弦楽曲集
[5]R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき&ドン・キホーテ
[6]チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」、第2番「小ロシア」、第3番「ポーランド」 [2CD]
[7]チャイコフスキー:交響曲第4番&プロコフィエフ:古典交響曲
[8]チャイコフスキー:マンフレッド交響曲
[9]チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」(抜粋)
[10]チャイコフスキー:バレエ「眠りの森の美女」(抜粋)
[11]グリエール:交響曲第3番「イリア・ムローメツ」&ラフマニノフ:3つのロシアの歌
[12]プロコフィエフ:交響曲第5番&ピーターと狼[語り:デイヴィッド・ボウイ]
[13]プロコフィエフ:カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」&ラフマニノフ:合唱交響曲「鐘」
[14]ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番[ヴラディミール・アシュケナージ(ピアノ)]&ピアノ協奏曲「黄河」
[15]ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バービイ・ヤール」
[16]ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」&ブリテン:「ピーター・グライムズ」~4つの海の間奏曲
[17]ショスタコーヴィチ:交響曲第15番&バルトーク:4つの管弦楽曲
[18]アイヴズ:交響曲第2番&交響曲第3番「キャンプの集い」 
[19]アイヴズ:交響曲「アメリカの休日」&ニュー・イングランドの3つの場所
[20]ペンデレツキ:ウトレンニャ〜キリストの埋葬&パーシケッティ:交響曲第9番


ユージン・オーマンディ(1899-1985) Eugene Ormandy
1899年、ハンガリーのブダペスト生まれ。5歳でブダペスト音楽院に入学。ヴァイオリンを学び、2年後には公開の演奏会に出演するなど、神童ぶりを発揮。さらに9歳より名匠フーバイのもとで研鑚を重ねた。1921年、アメリカに渡り、ニューヨークのキャピタル劇場のコンサートマスターに就任。24年には急病で倒れた指揮者の代役としてデビュー。1927年、アメリカの市民権を獲得。1931年にはトスカニーニの代役としてフィラデルフィア管弦楽団に登場、成功を収め、同年より1936年までミネアポリス交響楽団の常任指揮者をつとめた。1936年、ストコフスキーのもとでフィラデルフィア管弦楽団の共同指揮者に就任、その2年後にはストコフスキーの退任にともなって音楽監督に昇格、1980年にリッカルド・ムーティにその地位を譲るまでこオーケストラの第2の黄金期を築き上げた。レパートリーは幅広く、同時代・現代音楽への取り組みも積極的だった。レコーディングもミネアポリス時代から多く、RCAにはそのミネアポリス〜フィラデルフィアのSP時代と、1968年にCBSから移籍してから1980年にかけての最円熟期の名盤が残されている。1967年5月、1972年5月、1978年6月、1981年5月の4回来日。1985年3月12日、フィラデルフィアで死去。享年85歳。


ユージン・オーマンディ・クロノロジー

1899:11.18. イェーネ・ブラウとして、ブダペストに生まれる。父ベンジャミンは歯科医でアマチュアのヴァイオリニスト。母ロザリー。幼少時から父にヴァイオリンの手ほどきを受ける。:
1905:5歳のとき、ブダペスト王立音楽院に入学、コダーイに作曲を学ぶ。
1908:9歳のとき、名匠イェーネ・フバイにヴァイオリンを師事。
1914:学士の称号を得る。
1916: ヴァイオリン演奏で国家ディプロマを取得。
1917: ヴァイオリン教授の資格を得て、王立音楽院を卒業。
1917-21:ヴァイオリニストとして、リサイタル、オーケストラとの共演を開始。ブダペスト国立音楽学校教授に就く。ブリュットナー管弦楽団との共演で、メンデルスゾーン、ブラームス、ヴュータンの協奏曲を弾いてドイツ・デビュー(一時期同オーケストラのコンサートマスターもつとめる)。
1919-21: フバイの引退に伴い、王立音楽院のヴァイオリン科の主任教授に就任。
1921:オーストリア・ツアーで成功を収めた後、アメリカへ渡る。ツアーは行われず。ニューヨーク・キャピトル劇場のオーケストラのメンバーとなる。すぐにコンサートマスターに就任。
1922:最初の妻、ステファニー・ゴールドナー(NYフィルのハープ奏者)と結婚。
1924:9月 急病の指揮者の代役としてキャピトル劇場のオーケストラを指揮、チャイコスフキーの交響曲第4番の一部を演奏。これがオーマンディの「指揮デビュー」。
1926:キャピトル劇場の準指揮者に任命される。アンナ・ダンカンのダンス・リサイタルのために、NYフィルのメンバーを指揮して、初めてカーネギーホールに登場。
1927:アメリカ国籍を取得。アーサー・ジャドソンと契約。キャピトル劇場を離れ、CBSラジオの放送コンサートでの指揮を開始。
1929:ルイゾーン・スタジアムでニューヨーク・フィルを指揮。
1930:ロビンフッド・デルでフィラデルフィア管弦楽団を初めて指揮。
1931:10.30. トスカニーニの代役として、フィラデルフィア管の定期演奏会にデビュー(ブラームスの交響曲第4番、R,シュトラウスの「ティル」「ばらの騎士」)。
1931-36: アンリ・フェルブリュッヘンの後任として、ミネアポリス管弦楽団の指揮者に就任。
1934:ミネアポリスでのRCAへの初録音。
1936−37ストコフスキーとともに、フィラデルフィア管の共同指揮者となる。10.9シーズン最初の演奏会(バッハ=カイエ編の主よ、人の望みの喜びよ、シューベルトの交響曲第9番ほか)。フィラデルフィア近郊のグラドウィンに居を構える。12.13.フィラデルフィア管とRCAへの初録音(チャイコフスキー:悲愴交響曲)[RCA第1期]。
1938-39:フィラデルフィア管の音楽監督に就任。10.7 シーズン最初の演奏会(シューマン:交響曲第2番、シベリウス:トゥオネラの白鳥、レスピーギ:ローマの松)。
1939:作曲者を迎えてのラフマニノフ・チクルス開催。12.29.タンスマンのヴィオラ協奏曲アメリカ初演。
1940:シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲世界初演(クラスナー、vn)。
1941:1.3.ラフマニノフの交響的舞曲世界初演。1.17.F.シュミットの交響曲第2番アメリカ初演。2.7.バーバーのヴァイオリン協奏曲世界初演(スポールディング、vn)。。
1942:1.16.ブリテンの「ディヴァージョンズ」世界初演。
1944:フィラデルフィア管初のオーストラリア・ツアー。コロンビア・レコードに移籍。11.19.コロンビアへの初録音。
1945:11.16.ミヨー「ヴァイオリンとオーケストラのための組曲」世界初演。11.30.マルティヌーの交響曲第4番世界初演。
1946:2.8.バルトークのピアノ協奏曲第3番世界初演(シャーンドル、pf)。
1947:最初の妻ステファニーと離婚。12.5.バーバーの「メデア」組曲世界初演。12.13.ブリテン「青少年のための管弦楽入門」アメリカ初演。
1948:3.19.ラフマノノフの交響曲第1番アメリカ初演。3.21.初のTV放送に出演(CBSでのラフマニノフの交響曲第1番)。夏、ハリウッド・ボウルの音楽監督をつとめる。マーラーの「一千人の交響曲」、プッチーニの「蝶々夫人」などを指揮。12.31.アンタイルの交響曲第5番世界初演。
1949   :フィラデルフィア管初のイギリス・ツアー。
1950:2番目の妻、マーガレット・ヒッチ(「グレーテル」)と結婚。12.11.ヒンデミットのクラリネット協奏曲世界初演。
1952:12.5.メノッティのヴァイオリン協奏曲世界初演。
1955:フィラデルフィア管とのヨーロッパ・ツアー。
1956:10.5.V=ウィリアムスの交響曲第8番アメリカ初演。
1957:9.27.プロコフィエフの交響曲第4番(改訂版)西側初演および録音。
1958:フィラデルフィア管と初のソ連ツアー。
1959:11.6.ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番アメリカ初演(ロストロポーヴィチ、vc)、および世界初録音。12.2.バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番アメリカ初演
1962:2.16.チャイコフスキーの交響曲第7番西側初演。5.25.ウェーベルン「夏風の中で」世界初演。
1963:2.15.ショスタコーヴィチの交響曲第4番アメリカ初演。
1965:2.18.ヒナステラのハープ協奏曲世界初演(ザバレタ、hp)。11.5.マーラーの交響曲第10番(クック版)アメリカ初演および録音。
1966:4.14.ウェーベルン「管弦楽のための3つの小品」世界初演。4.27.團伊玖磨の交響曲第4番アメリカ初演。 
1967:5.3.-5.19. 最初の日本ツアー。
1968:コロンビア・レコードを離れ、RCAへ復帰[RCA第2期]。
1969:1.10.W.シューマンの交響曲第9番世界初演。11.7.バルトークの「管弦楽のための4つの小品」アメリカ初演および録音。
1970:1.16.ショスタコーヴィチの交響曲第13番ソ連外初演および録音。
1971:1.1.ショスタコーヴィチの交響曲第14番アメリカ初演および録音。
1972:5.16.-5.27. 2度目の日本ツアー。
1973:フィラデルフィア管との中国ツアー。
1972:9.28.ショスタコーヴィチの交響曲第15番西側初演および録音。8.25.ピアノ協奏曲「黄河」西側初演。
1976:8.4.メノッティの交響曲第1番世界初演。
1978:2月、EMIへの初録音。5.17.-6.3. 3度目の日本ツアー。
1979:4.16.初のデジタル録音(バルトークの「オケコン」)。
1980:2月、テラークへの初録音。5.3.フィラデルフィア管の音楽監督として最後の演奏会。「ユージン・オーマンディ賞」受賞、音楽監督の地位を勇退、桂冠指揮者の称号を贈られる。12月、RCAへの最後の録音。
1981:4月、デロスへの初録音。5.31−6.2. 4度目の日本ツアー(ムーティとともに)。
1982:5月、最後の録音(ヨーヨー・マとのショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番。ソニー)。9月、ロッテルダム・フィルのヨーロッパ・ツアー。
1984:1.10. フィラデルフィア管と最後の演奏会(カーネギー・ホール。ベートーヴェンの「田園」とバルトークのオケコン)。
1985:3.12. フィラデルフィアで死去。享年85歳。


 オーマンディ夫妻には子供が無かったため、マーガレット夫人が1998年に亡くなってからは、その遺品はペンシルヴァニア大学に寄贈された。同大学の図書館の中には「ユージン・オーマンディ・リスニング・センター」が設置され、オーマンディの所持していたレコード、テープなどの録音物を聴くことができるようになっている。また、オーマンディが実際に使っていたスコアやパート譜は丁寧にカタログ化されており、所定の申し込み手続きをすれば閲覧することが出来る。


→オーマンディ・ロシア・ライヴ! SCORA CLASSICS

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

featured item

Sym.41 / .8: Ormandy / Philadelphia.o +brahms: Tragic Overture

CD

Sym.41 / .8: Ormandy / Philadelphia.o +brahms: Tragic Overture

Mozart / Schubert

価格(税込) : ¥1,650
会員価格(税込) : ¥1,518

発売日:2003年12月17日

  • 販売終了

%%header%%閉じる

%%message%%

オーマンディの芸術

洋楽3点で最大30%オフ このアイコンの商品は、 洋楽3点で最大30%オフ 対象商品です

オーマンディの芸術