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ベルリン・フィル・ラウンジ特別号 作曲家チン・ウンスクのインタビューから ベルリン・フィル・ラウンジへ戻る

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2024年3月12日 (火)


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ベルリン・フィル&HMV&BOOKS online提携ページ『ベルリン・フィル・ラウンジ』
 作曲家チン・ウンスクのインタビューから



  昨年11月、ベルリン・フィル・レコーディングスより「チン・ウンスク・エディション」が発売されました。現代音楽における重要な作曲家の一人であるチン・ウンスクは、先ごろドイツの著名な音楽賞であるエルンスト・フォン・ジーメンス音楽賞の受賞が発表されたばかり。2005年以来、ベルリン・フィルと様々なプロジェクトを行なってきた彼女の作品をまとめたこのエディションは、倉島孝弘による斬新なモアレ・アートが施されたブックレットでも話題を集めました。特典映像として収録されているインタビューは、この作曲家としての創作の原点に肉薄する興味深い内容となっています。この中から、1980年代、チンが奨学金を得てハンブルクに渡り、ジェルジュ・リゲティに師事した時のエピソードをご紹介しましょう。

チン・ウンスク: 当時の西ヨーロッパの前衛作曲家の中で唯一私の心に響いたのがリゲティでした。ドイツでの留学生活は想像もつきませんでしたが、リゲティに会うや否や大打撃を受けました。リゲティに招かれてハンブルクに向かうと、親切そうな「おじいちゃん」が迎えてくれて、お茶をいれて下さったんです。でも、その後に酷い目に遭いました。当時、私が書いた作品を、といってもたった二つか三つの小規模な合奏曲ですが、リゲティにこき下ろされました。「お話にならない」「古臭くて通俗的な作品だ」と。「韓国出身なのになぜダルムシュタット楽派を模倣するんだ」とね。私はそれまで現代音楽とはそういうものだと思っていたので、ぼろぼろになって言われたことが理解できず、どう返していいのか見当もつきませんでした。その日から危機に陥ったのです。

数か月後に私はある賞をもらいました。当時重要だったあるコンクールで、一体どうしたことかなんと一等賞を受賞したのです。それでもリゲティはまたしても酷評するのです。「確かに受賞したかもしれないが2000人中の1999人よりはマシだっただけで無価値だ」と。こんな風に留学生活が始まり、私はまだ若くて経験も浅く、ドイツでのカルチャーショックもあり、ほぼ初めての外国生活でしたし、友人もいないハンブルクで心の拠り所もなく、天気も悪くて……。そういったことが重なって、リゲティに師事したあの3年間は人生最大の危機でしたね。鬱っぽくなりあらゆる精神障害を患いました。でもそういう知識がなかったので、自覚はしていませんでした。そして作曲しなくなりました。1986年に一曲だけ作曲した以外は……。もう何が何だか訳が分からなくて、多くを理解できないまま3年が過ぎました。リゲティは定年を迎え、みんなは残りましたが、私はベルリンへ移りました。ハンブルクから逃げ出したのです。新しい生活を始めるためにベルリンにやってきたのです。最初の10年か15年ほどは、ドイツではほとんどどころか全く上演されず、誰も知り合いがいなくて、アパートに独り暮らしで本当に辛い時期でした。でも私にとって必要な時期だったのです。私の曲が上演されなくても全然気になりませんでした。自分のための時間が必要だったのです。もちろん作曲しましたし、思索したり、多くの音楽を聴いたりしました。

やがて 2000年頃から人生に変化が訪れ始めて、息子が生まれ 引っ越して新しいパートナーを得て、全てが変わりました。人生が徐々に回り出して、段々と周りの人間たちに歩みよっていけたというか。色々な人と知り合うようになり、公の場に出るようになりました。こういった成熟過程を経てリゲティを理解するようになり、あの時経験したことや議論したことを理解できたのです。長いプロセスでしたが、今ではリゲティを人としても作曲家としても理解できるようになりました。彼の自身へのスタンスをもです。彼は全ての作曲家に対してもの凄く批判的でしたが、自身に対しても批判的だったのです。彼が音楽について語る時は楽譜ありきでした。書いた人には興味がないのです。書いた人が傷つくかもしれないとか、そんな事は眼中になかったのです。そしてそれは正しい。私も同じ考えです。本質的な部分にしか興味がなく、成功とか名声とか、周辺的なことはどうでもいいのです。私も成功や名声を拒否する訳ではないですが、それは核心的な部分ではありません。


商品の詳細情報

 チン・ウンスク・トピック


◆ 教会にピアノが設置

チン・ウンスクの父親は長老派教会(プロテスタント)の牧師で、チン・ウンスクが2歳の時に教会にアップライト・ピアノを設置。幼いチン・ウンスクは、ピアノで遊ぶようになり、7歳か8歳の頃には父の教会でおこなわれる結婚式で、結婚行進曲などを演奏するようになっています。
◆ 映画「ガス灯」の音楽に感動

梨花女子大学付属校の小学生だったチン・ウンスクは、友人の家のテレビで見た映画「ガス灯」の中のピアノの音楽に感動するものの、当時は曲名はわからずじまい。その後、家の手伝いをして得たお小遣いを貯めて楽譜を購入し、その中に「ガス灯」で聞いたピアノ曲、ベートーヴェンの悲愴ソナタを見つけたのは2年後のことでした。

◆ レコードでオーケストラ鑑賞

中学校に進むと、音楽鑑賞室にブラームスやチャイコフスキー、ベートーヴェン、モーツァルト、ストラヴィンスキーなどたくさんのレコードがあったことから、鑑賞の時間が楽しみになり、放課後にブラームスの1番を何度も聞いたりしたほか、あまりに熱心だったために音楽教師から作曲家になることを勧められています。
◆ 中学校の隣でオーケストラ演奏会

当時のソウル市でクラシックのオーケストラ演奏会が開催できるホールは世宗文化会館(約3,000席、旧称:ソウル市民会館)くらいでしたが、1972年12月に火事で全焼したため、1978年に新しい世宗文化会館(3,022席)が開場するまでの5年半ほどは、チン・ウンスクの通う中学校に隣接した梨花女子大学の大講堂(約2,800席)が主に使われていました。これにより、ソウル市立交響楽団(ソウル・フィル)のほか、外来オケのコンセルトヘボウ管弦楽団やスイス・ロマンド管弦楽団なども身近になったことで、チン・ウンスクにとってオーケストラは特別な存在となっていきます。
◆ 図書館の楽譜を写譜して勉強

中学時代のチン・ウンスクは、韓国での楽譜の流通事情が良くなかったこともあり、梨花女子大学の図書室でチャイコフスキーの交響曲の楽譜などを借りて写譜して勉強していました。やがて、お金が貯まると、念願だったブージー&ホークスの「春の祭典」を買い求めて舞い上がってもいます。
◆ ソウル大学でカン・ソクヒに師事

1981年、独学だったチン・ウンスクは、3度目の挑戦で難関のソウル大学作曲科に入学。韓国現代音楽界の草分けとも言われ、電子音楽にも強く、ベルリンでユン・イサン[1917-1995]とボリス・ブラッハー[1903-1975]に長く師事していたカン・ソクヒ[1934-2020]に1982年から師事。1984年に卒業制作として作曲した「Gestalten(ゲシュタルテン)」がユネスコ国際作曲家会議室内楽部門とカナダのISCMワールド・ミュージック・デイズから高く評価されて注目されるようになります。
◆ コンクールで優勝し奨学金も確保

1985年、アムステルダムの ガウデアムス財団が主催する国際作曲コンクールに「スペクトラ」を出品して優勝。ハンブルクのリゲティ[1923-2006]に自作を送ったところ受け入れるという返事があり、ドイツ学術交流会(DAAD)から奨学金を支給されてドイツ留学が始まります。
◆ リゲティに師事

ハンブルク音楽演劇大学でのリゲティの指導は非常に厳しいもので、ダルムシュタットや十二音、セリーも否定され、欧米スタイルにこだわらない視野の拡大と自己のスタイルの確立を求める内容でした。グループ指導の際には課題制作の楽譜をゴミ箱に捨てるなど過酷な面もあり、チン・ウンスクは精神的に追い込まれて作曲ができず、3年間で書いたのは1986年の「トロイアの女たち」だけでした。しかしこのときのつらい経験が大いに有益だったことも確かなようです。
◆ ベルリン工科大学で電子音楽を追及

リゲティが定年退官となると、チン・ウンスクはベルリンに転居。ベルリン工科大学のスタジオで電子音楽の制作をおこなうようになり、1989年に「Gradus ad Infinitum」を発表。
◆ 出世作「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」に到達

チン・ウンスクは電子音楽への取り組みを通じて作曲活動に復帰。以後はリゲティも称えていた技術力に加え、リゲティ修業を通じて得た視野の広さを作品に投影できるようになり、1991年には「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」を発表。未完の状態ながら注目されることとなります。
◆ フランスとイギリスからの注目

「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」は、ドイツのミヒャエル・エンデによる「はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)」と、イギリスのルイス・キャロル「鏡の国のアリス」による7つの場面で構成された不思議な響きが満載の魅惑的な作品。オランダでおこなわれた未完版初演の翌年には、有名なパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランが作曲委嘱を開始。その翌年にはイギリスのジョージ・ベンジャミンが完成版を初演して成功し、世界中で演奏されるようになっています。
◆ ブージー&ホークス社と独占契約

ベンジャミンによる初演がきっかけで、世界最大級の楽譜出版社、ブージー&ホークス社(イギリス)から申し出があり独占契約を締結。チン・ウンスクの子供の頃の宝物だった「春の祭典」の楽譜の出版社との契約で感無量でした。
◆ ケント・ナガノとのコラボレーション

1999年、日系アメリカ人指揮者のケント・ナガノとのコラボレーションが始まり、やがてオペラ「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)」での大成功へと繋がって行きます。
◆ 結婚

1999年、ピアニストのマリス・ゴトーニ(フィンランドのピアニスト、ラルフ・ゴトーニの息子。1979年ベルリン生まれ)と結婚。ほどなく息子のリュン・セレスティンが誕生。
◆ ベルリン・フィルとのコラボレーション

2005年、クリスティアン・テツラフ独奏、サイモン・ラトル指揮によるヴァイオリン協奏曲第1番の成功を機にコラボレーションが開始。


 チン・ウンスク年表

1961  1962  1963  1964  1965  1966  1967  1968  1969  1970  1971  1972  1973  1974  1975  1976  1977  1978  1979  1980  1981  1982  1983  1984  1985  1986  1987  1988  1989  1990  1991  1992  1993  1994  1995  1996  1997  1998  1999  2000  2001  2002  2003  2004  2005  2006  2007  2008  2009  2010  2011  2012  2013  2014  2015  2016  2017  2018  2019  2020  2021  2022  2023  2024

 1961年/昭和36年 (0歳)

◆ 7月14日、チン・ウンスク(陳銀淑)、ソウルで誕生。父は長老派教会の牧師。姉と弟は後に音楽評論家に、末弟はコンピューター・プログラマーになります。

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 1962年/昭和37年 (0〜1歳)

◆ ソウル在住。

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 1963年/昭和38年 (1〜2歳)

◆ ソウル在住。

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 1964年/昭和39年 (2〜3歳)

◆ ソウル在住。
◆ 父が教会で使用するためにピアノを購入。

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 1965年/昭和40年 (3〜4歳)

◆ ソウル在住。

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 1966年/昭和41年 (4〜5歳)

◆ ソウル在住。
◆ ピアノ演奏と楽譜について父による指導が開始。

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 1967年/昭和42年 (5〜6歳)

◆ ソウル在住。
◆ ピアノ演奏と楽譜について父により指導。

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 1968年/昭和43年 (6〜7歳)

◆ ソウルの梨花女子大学付属小学校在学。
◆ ピアノ演奏と楽譜についての父により指導。
◆ ピアノ演奏が上達し、教会で結婚式が行われるときなどに演奏するようになります。オルガンも演奏。

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 1969年/昭和44年 (7〜8歳)

◆ 梨花女子大学付属小学校在学。
◆ テレビで見た映画「ガス灯」で使用されていたベートーヴェンの「悲愴」に感動。

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 1970年/昭和45年 (8〜9歳)

◆ 梨花女子大学付属小学校在学。

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 1971年/昭和46年 (9〜10歳)

◆ 梨花女子大学付属小学校在学。

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 1972年/昭和47年 (10〜11歳)

◆ 梨花女子大学付属小学校在学。

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 1973年/昭和48年 (11〜12歳)

◆ 梨花女子大学付属小学校在学。

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 1974年/昭和49年 (12〜13歳)

◆ 梨花女子大学付属梨花金蘭中学校在学。
◆ 作曲開始。

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 1975年/昭和50年 (13〜14歳)

◆ 梨花女子大学付属梨花金蘭中学校在学。

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 1976年/昭和51年 (14〜15歳)

◆ 梨花女子大学付属梨花金蘭中学校在学。

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 1977年/昭和52年 (15〜16歳)

◆ ソウル女子高校在学。

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 1978年/昭和53年 (16〜17歳)

◆ ソウル女子高校在学。

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 1979年/昭和54年 (17〜18歳)

◆ ソウル女子高校卒業。
◆ ソウル大学入学試験不合格。

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 1980年/昭和55年 (18〜19歳)

◆ ソウル大学入学試験不合格。

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 1981年/昭和56年 (19〜20歳)

◆ ソウル大学入学。

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 1982年/昭和57年 (20〜21歳)

◆ ソウル大学在学。カン・ソクヒ(姜碩煕)に師事。

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 1983年/昭和58年 (21〜22歳)

◆ ソウル大学在学。カン・ソクヒに師事。

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 1984年/昭和59年 (22〜23歳)

◆ ソウル大学在学。カン・ソクヒに師事。
◆ ソウル大学卒業制作として「Gestalten(ゲシュタルテン)」を作曲。
◆ ユネスコ国際作曲家会議室内楽部門とカナダのISCMワールド・ミュージック・デイズから「Gestalten(ゲシュタルテン)」が高評価。

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 1985年/昭和60年 (23〜24歳)

◆ ソウル大学卒業。
◆ ガウデアムス財団の主催する国際作曲コンクール第1位(アムステルダム)。「スペクトラ」。
◆ リゲティに自作の楽譜を送り、受け入れが決定。
◆ ドイツ学術交流会(DAAD)から奨学金を支給されてドイツに留学。
◆ ハンブルクに転居。
◆ ハンブルク音楽演劇大学で、上級クラスのリゲティに師事。

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 1986年/昭和61年 (24〜25歳)

◆ ハンブルク音楽演劇大学在学。リゲティに師事。
◆ 「Die Troerinnen(トロイアの女たち)」作曲。初のオーケストラ作品。

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 1987年/昭和62年 (25〜26歳)

◆ ハンブルク音楽演劇大学在学。リゲティに師事。

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 1988年/昭和63年 (26〜27歳)

◆ ハンブルク音楽演劇大学在学。リゲティに師事。
◆ ベルリンに転居。
◆ ベルリン工科大学で研究。

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 1989年/昭和64年/平成元年 (27〜28歳)

◆ 「Gradus ad Infinitum」作曲。テープのための11分ほどの作品。
◆ 9月6日、「Gradus ad Infinitum」、アムステルダムのアイスブレーカーで初演。

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 1990年/平成2年 (28〜29歳)

◆ 9月23日、「Die Troerinnen(トロイアの女たち)」、ルカ・プファフ指揮ベルゲン・フィル、ベルゲン歌劇場合唱団らにより初演。
◆ 「Die Troerinnen(トロイアの女たち)」改訂。

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 1991年/平成3年 (29〜30歳)

◆ 「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」作曲(未完)。ソプラノとアンサンブルのための17分ほどの作品。ミヒャエル・エンデ「はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)」とルイス・キャロル「鏡の国のアリス」による7つの場面で構成。
◆ 9月2日、「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」(未完)、モニーク・クルース、ダーフィト・ポルセリーン指揮ニーウ・アンサンブルによりアムステルダムで初演。

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 1992年/平成4年 (30〜31歳)

◆ パリの現代音楽団体「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」のリーディング・パネルに選ばれ、同アンサンブルからの委嘱が開始。

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 1993年/平成5年 (31〜32歳)

◆ 「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」完成。
◆ 9月8日、「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」、ペネロピー・ウォルムスリー・クラーク、ジョージ・ベンジャミン指揮プレミア・アンサンブルによりロンドンで初演。人気を博し、以後20か国以上の団体により演奏されることになります。
◆ 東京都制施行50周年記念国際作曲コンクール第2位(1位なし)。「Santica Ekatela」。
◆ 「Akrostichon-Wortspiel(折句―言葉遊び)」改訂。

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 1994年/平成6年 (32〜33歳)

◆ 「Fantaisie mecanique」作曲。5人の器楽奏者のための13分ほどの作品。
◆ 12月2日、「Fantaisie mecanique」、アンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーにより初演。
◆ 「Allegro ma non troppo」作曲。エレクトロニクスのための13分ほどの作品。
◆ 「Allegro ma non troppo」ベルリンのインヴェンション音楽祭で初演。

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 1995年/平成7年 (33〜34歳)

◆ 英Boosey & Hawkes社と独占契約。
◆ ピアノ・エチュード第2番(Sequenzen)、作曲。3分ほどの作品。
◆ 6月15日、ピアノ・エチュード第2番(Sequenzen)、シャオ=リー・ディンによりベルリンで初演。
◆ ピアノ・エチュード第3番(Scherzo ad libitum)、作曲。2分ほどの作品。
◆ ピアノ・エチュード第4番(Scalen)、作曲。2分ほどの作品。

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 1996年/平成8年 (34〜35歳)

◆ 2月11日、ピアノ・エチュード第3番(Scherzo ad libitum)、ピアノ・エチュード第4番(Scalen)、シャオ=リー・ディンによりカンザスで初演。
◆ 「ParaMetaString」作曲。弦楽四重奏とテープのための20分ほどの作品。
◆ 5月31日、「ParaMetaString」、クロノス・カルテットによりソウルで初演。
◆ ピアノ協奏曲、作曲開始。

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 1997年/平成9年 (35〜36歳)

◆ オルレアン国際ピアノコンクール内公募現代音楽ピアノ作品第1位。「Piano Studies Nos.2〜4」。
◆ ピアノ協奏曲、完成。25分ほどの作品。
◆ 6月6日、ピアノ協奏曲、ロルフ・ハインド、マーク・ウィッグルスワース指揮BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団により初演。
◆ 「Fantaisie mecanique」改訂。
◆ 6月8日、「Fantaisie mecanique」改訂版、デイヴィッド・ロバートスン指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランにより初演。

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 1998年/平成10年 (36〜37歳)

◆ 「Allegro ma non troppo」改訂。ソロ・パーカッションとテープのためのヴァージョン。
◆ 9月25日、「Allegro ma non troppo」改訂版、ベルリンで初演。
◆ 「Xi(シー)」作曲。アンサンブルとエレクトロニクスのための23分ほどの作品。

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 1999年/平成11年 (37〜38歳)

◆ ケント・ナガノとのコラボレーション開始。
◆ 2月24日、「Xi」、デイヴィッド・ロバートスン指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランにより初演。
◆ ブールジュ電子音楽国際コンクール第1位。「Xi」。
◆ 「Ma fin est mon commencement Mon commencement est ma fin」作曲。声とアンサンブルのための6分ほどの作品。
◆ 「Miroirs des temps」作曲。のための36分ほどの作品。
◆ マリス・ゴトーニと結婚。
◆ 11月7日、「Miroirs des temps」、ヒリヤード・アンサンブル、ケント・ナガノ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団により初演。

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 2000年/平成12年 (38〜39歳)

◆ ピアノ・エチュード第6番(Grains)、作曲。3分ほどの作品。ピエール・ブーレーズの75歳の誕生日のためにロンドンのサウスバンクセンターが委嘱。
◆ 3月26日、ピアノ・エチュード第6番(Grains)、ロルフ・ハインドによりロンドンで初演。
◆ 「Kala」作曲。合唱とオーケストラのための32分ほどの作品。

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 2001年/平成13年 (39〜40歳)

◆ ユネスコ国際作曲家会議推薦。「Fantaisie mechanique」。
◆ ベルリン・ドイツ交響楽団のレジデント・コンポーザーに任命。
◆ ヴァイオリン協奏曲第1番作曲。
◆ 「Miroirs des temps (alternative version)」改訂。声とオーケストラのための19分ほどの作品。
◆ 6月30日、「Miroirs des temps」改訂版、ヒリヤード・アンサンブル、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団により初演。

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 2002年/平成14年 (40〜41歳)

◆ 1月20日、ヴァイオリン協奏曲第1番、ヴィヴィアーネ・ハーグナー、ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団により初演。人気を博し、以後、16か国の団体により演奏。
◆ 二重協奏曲、作曲。ピアノ、打楽器とアンサンブルのための20分ほどの作品。
◆ 2月2日、二重協奏曲、ディミトリー・ヴァシラキス、サミュエル・ファーヴル、ステファン・アズベリー指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランにより初演。

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 2003年/平成15年 (41〜42歳)

◆ 「Chin」作曲開始。
◆ ピアノ・エチュード第2番(Sequenzen)、改訂。
◆ ピアノ・エチュード第3番(Scherzo ad libitum)、改訂。
◆ ピアノ・エチュード第5番(Toccata)、作曲。3分ほどの作品。
◆ 12月16日、ピアノ・エチュード第2番(Sequenzen)改訂版、第3番(Scherzo ad libitum)改訂版、第4番(Scalen)改訂版、第5番(Toccata)、大井浩明により東京で初演。

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 2004年/平成16年 (42〜43歳)

◆ グロマイヤー賞受賞(米、ルイヴィル)。「ヴァイオリン協奏曲第1番」。
◆ 「Chin」完成。ソプラノとオーケストラのための16分ほどの曲。
◆ 6月6日、「Chin」、マーガレット・トンプソン、ケント・ナガノ指揮ロサンジェルス・オペラ管弦楽団により初演。
◆ オペラ「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)」作曲開始。
◆ 「Cantatrix Sopranica」作曲開始。

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 2005年/平成17年 (43〜44歳)

◆ アーノルト・シェーンベルク賞受賞(ウィーン)。
◆ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのコラボレーション開始。
◆ 4月28日、ヴァイオリン協奏曲第1番、クリスティアン・テツラフ、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ録音。(CD1)
◆ 「Cantatrix Sopranica」完成。声とアンサンブルのための26分ほどの作品。
◆ 5月18日、「Cantatrix Sopranica」、アヌ・コムシ、ピア・コムシ、アンドルー・ウォッツ、ジョージ・ベンジャミン指揮ロンドン・シンフォニエッタにより初演。

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 2006年/平成18年 (44〜45歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督に任命。
◆ チェロ協奏曲、作曲開始。
◆ 6月12日、恩師リゲティ、ウィーンで死去。83歳。

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 2007年/平成19年 (45〜46歳)

◆ オペラ「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)」完成。(約120分)。
◆ 6月30日、オペラ「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)」、ケント・ナガノ指揮バイエルン州立歌劇場により初演。
◆ 「Double Bind?」作曲。ヴァイオリンとエレクトロニクスのための17分ほどの作品。
◆ 2月12日、「Double Bind?」、カン・ヘスンによりパリで初演。
◆ ハイデルベルク女性作曲家賞受賞。
◆ Kyung-Ahm Prize。

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 2008年/平成20年 (46〜47歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ 「Rocana」作曲。オーケストラのための21分ほどの作品。
◆ 3月3日、「Rocana」、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団により初演。
◆ チェロ協奏曲、完成。30分ほどの作品。

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 2009年/平成21年 (47〜48歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ サントリー音楽財団サマーフェスティバルのテーマ作曲家に選出。
◆ 「?u」作曲。中国笙とオーケストラのための21分ほどの作品。
◆ 「Gougalon」作曲。アンサンブルのための24分ほどの作品。シーメンスとアンサンブル・モデルンの委嘱。
◆ 8月13日、チェロ協奏曲、アルバン・ゲルハルト、イラン・ヴォルコフ指揮BBCスコティッシュ交響楽団により初演。
◆ 8月28日、「?u」、ウー・ウェイ、秋山和慶指揮東京交響楽団により初演。
◆ 10月9日、「Gougalon」、ヨハネス・カリツケ指揮アンサンブル・モデルンにより部分初演。

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 2010年/平成22年 (48〜49歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ プリンス・ピエール財団賞受賞。「Gougal?n」。
◆ 「Fanfare chimerique」作曲開始。

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 2011年/平成23年 (49〜50歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 「cosmigimmicks」作曲開始。
◆ 「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からの情景」完成。ソプラノとメゾソプラノ、オーケストラのための40分ほどの作品。
◆ 4月2日、「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からの情景」、クレア・ブース、スーザン・ビックリー、オラリ・エルツ指揮ポルト・カーザ・デ・ムジカ交響楽団により初演。
◆ 「Fanfare chimerique」完成。木管アンサンブル、金管アンサンブル、エレクトロニクスのための14分ほどの作品。
◆ 4月15日、「Fanfare chimerique」、パトリック・ダヴァン指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランにより初演。
◆ 「Gougalon」改訂。アンサンブルのための24分ほどの作品。

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 2012年/平成24年 (50〜51歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 湖巌(ホアム)賞受賞(ソウル)。
◆ 1月10日、「Gougalon」、スサンナ・マルッキ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランにより全曲初演。
◆ 「cosmigimmicks」完成。アンサンブルのための24分ほどの作品。
◆ 4月26日、「cosmigimmicks」、セルソ・アントゥネス指揮ニーウ・アンサンブルにより初演。
◆ 「Graffiti」作曲開始。

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 2013年/平成25年 (51〜52歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 「Graffiti」完成。室内オーケストラのための23分ほどの作品。
◆ 2月26日、「Graffiti」、グスタボ・ドゥダメル指揮ロサンジェルス・フィルハーモニー協会管弦楽団により初演。
◆ チェロ協奏曲、改訂。
◆ 6月10日、チェロ協奏曲改訂版、アルバン・ゲルハルト、ケント・ナガノ指揮バイエルン州立管弦楽団により初演。

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 2014年/平成26年 (52〜53歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ クラリネット協奏曲、作曲。25分ほどの作品。
◆ 5月8日、クラリネット協奏曲、カリ・クリック、ケント・ナガノ指揮イェーテボリ交響楽団により初演。
◆ 5月10日、チェロ協奏曲、アルバン・ゲルハルト、チョン・ミョンフン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ収録。(CD1、Blu-ray)
◆ 「セイレンの沈黙」作曲。ソプラノとオーケストラのための16分ほどの作品。
◆ 8月23日、「セイレンの沈黙」、バーバラ・ハニガン、サイモン・ラトル指揮ルツェルン・フェスティヴァル・アカデミー管弦楽団により初演。
◆ 10月3日、「Chin」(2003-2004作曲)を新たにソプラノとピアノのために編曲したヴァージョンが、イェリー・スーとホルガー・グロショップにより初演。
◆ 「Mannequin」作曲開始。

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 2015年/平成27年 (53〜54歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 6月25日、「セイレンの沈黙」、バーバラ・ハニガン、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ収録。(CD2、Blu-ray)
◆ 「Le Chant des Enfants des Etoiles」作曲開始。
◆ 「Mannequin」完成。オーケストラのための27分ほどの作品。

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 2016年/平成28年 (54〜55歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 「Le Chant des Enfants des Etoiles」完成。少年合唱、混声合唱、オルガンとオーケストラのための40分ほどの作品。
◆ 8月19日、「Le Chant des Enfants des Etoiles」、韓国国立少年合唱団、韓国国立合唱団、チョン・ミョンフン指揮ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)により初演。

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 2017年/平成29年 (55〜56歳)

◆ ソウル市立交響楽団(ソウル・フィルハーモニー管弦楽団)のレジデント・コンポーザー兼現代音楽シリーズ芸術監督在任。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ ウィフリ・シベリウス賞受賞(ヘルシンキ)。
◆ 「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からのパズルとゲーム」作曲。ソプラノとオーケストラのための23分ほどの作品。
◆ 5月7日、「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からのパズルとゲーム」、シボーン・スタッグ、ティート・チェッケリーニ指揮SWR交響楽団により初演。
◆ 「コロス・コルドン」作曲。オーケストラのための11分ほどの作品。
◆ 11月3日、「コロス・コルドン」、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により初演。
◆ 11月25日、「コロス・コルドン」、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ収録。(CD2、Blu-ray)

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 2018年/平成30年 (56〜57歳)

◆ マリー=ジョゼ・クラヴィス賞受賞(ニューヨーク)。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 「Gran Cadenza」作曲。2台のヴァイオリンのための6分ほどの作品。

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 2019年/平成31年/令和元年 (57〜58歳)

◆ ハンブルク・バッハ賞受賞。
◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 「SPIRA」作曲。オーケストラのための協奏曲。
◆ 4月5日、「SPIRA」、作曲。ミルガ・グラジニーテ=ティーラ指揮ロサンジェルス・フィルハーモニックにより初演。
◆ 「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からのパズルとゲーム」編曲。ソプラノとアンサンブルのための20分ほどの作品。
◆ 6月10日、「Alice in Wonderland(不思議の国のアリス)からのパズルとゲーム」アンサンブル版、ニカ・ゴリッチ、パブロ・エラス=カサド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団カラヤン・アカデミー奨学生たちにより初演。
◆ 「Fanfare chimerique」改訂。
◆ 「Frontispiece for orchestra」作曲。オーケストラのための8分ほどの作品。
◆ 9月6日、「Frontispiece for orchestra」、アラン・ギルバート指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団により初演。
◆ 「Nulla est finis - a prelude to 'Spem in alium'」作曲。無伴奏40声合唱のための3分ほどの作品。
◆ 10月5日、「Nulla est finis - a prelude to 'Spem in alium'」、アンドルー・マンゼ指揮スウェーデン放送合唱団により初演。

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 2020年/令和2年 (58〜59歳)

◆ フィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オブ・トゥデイ」芸術監督在任。
◆ 2月8日、「Fanfare chimerique」改訂版、マルティナ・バティッチ指揮ラジオ・フランス・ミュジシャンにより初演。
◆ 「subito con forza」(オーケストラのための)作曲。
◆ 9月24日、「subito con forza」、クラウス・マケラ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団により初演。
◆ 「コロス・コルドン」改訂。

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 2021年/令和3年 (59〜60歳)

◆ レオニー・ソニング音楽賞受賞(コペンハーゲン)。
◆ ヴァイオリン協奏曲第2番「沈黙の破片」作曲。
◆ 10月21日、「Gran Cadenza」、アンネ=ゾフィー・ムター&ムターズ・ヴィルトゥオージにより初演。
◆ 「Mannequin」改訂。
◆ 3月26日、「Mannequin」改訂版、マルコ・ゲッケ、トム・セリグマン指揮バイエルン州立歌劇場管弦楽団により初演。
◆ 6月5日、ピアノ協奏曲、キム・ソヌク、サカリ・オラモ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ収録。(CD1、Blu-ray)

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 2022年/令和4年 (60〜61歳)

◆ 1月6日、ヴァイオリン協奏曲第2番「沈黙の破片」、レオニダス・カヴァコス、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団により初演。
◆ 10月15日、「ロカナ」、ダニエル・ハーディング指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライヴ収録。(CD2、Blu-ray)
◆ 「Alaraph ‘Ritus des Herzschlags’」作曲。オーケストラ作品(約13分)。
◆ 統營(トンヨン)國際音樂祭芸術監督に就任(5年契約)。

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 2023年/令和5年 (61〜62歳)

◆ 統營國際音樂祭芸術監督在任。
◆ ヴァイオリン協奏曲第1番改訂。
◆ 「Operascope」作曲。オーケストラのための9分ほどの作品。
◆ 2月、ラジオ・フランスが開催する現代音楽祭「第33回フェスティヴァル・プレザンス」の特集作曲科に選出。「チン・ウンスクの肖像」。
◆ 8月30日、「Alaraph ‘Ritus des Herzschlags’」バーゼルで初演。
◆ 11月6日、「Operascope」、ケント・ナガノ指揮バイエルン州立管弦楽団により初演。

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 2024年/令和6年 (62〜63歳)

◆ エルンスト・フォン・ジーメンス音楽賞受賞(ミュンヘン)。
◆ 統營國際音樂祭芸術監督在任。

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