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織工 さんのレビュー一覧 

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     2024/06/19

    バーンスタイン壮年期の熱きマーラー解釈

    バーンスタイン/ニューヨーク・フィルは1970年に来日、マーラー交響曲第9番を東京文化会館で演奏した。高校生だった個人的な思い出だが、会場で打ちのめされたような<衝撃>を受けて以来、このマーラー像に魅せられている。

    本全集は、バーンスタイン (1918-90年)が42才から57才頃までの最もエネルギッシュな活躍の時代に録音されたが、その後の再録もあるので一般には「旧盤」と呼ばれる。第8番と『大地の歌』以外は手兵ニューヨーク・フィルとの演奏で、一貫してバーンスタインの、「没入型」ともいえる独自のマーラー解釈が表現され、迸るような熱い強奏と深く沈降するような弱奏が全般に早いテンポで交錯する。ワルター、クレンペラーの世代とは一線を画し、新マーラー解釈の扉を開いたといった当時の評価が思い出される。

    録音は古くなったが、演奏の最高の質、破格の値段(CD12枚組)からみて、シノーポリのような「分析型」との対比聞き比べの妙味でも、マーラー全集選択の最右翼である。

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     2024/06/18

    トスカニーニ、晩年の代表盤

    イタリア人は、持ってうまれた天分か、才能のきらめきを直観的に理解するような能力がある。また豊かで直情的な表現力にも優れている。こうした特質は作曲家オットリーノ・レスピーギにも、演奏家アルトゥーロ・トスカニーニにも宿っている。そして本集のローマ三部作は、この二人の感性と芸術性が共鳴した名作である。

    レスピーギの良さに目覚めさせてもらったのはトスカニーニの旧盤(1945年ライヴ演奏)を通してだが、本盤は彼の最晩年の録音で、永らくの「十八番」を最後の花道にしているような完結感すらある。

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     2024/06/17

    シューマン:交響曲第3番について
    1949年11月12日、NBC響を振ってのライヴ音源。音の悪さも影響しているかも知れないが、第1楽章、音が渦潮のようにうねりにうねる。かつ管楽器の咆哮ぶりが尋常でない。思い切り音のパッションを会場(リスナー)にぶつけているような幕開けである。第2楽章は牧歌的な語り口で明るい、短い第3楽章は楽譜の指示どおり減速するが、その分弦楽器の優しく語りかけるような表現が濃厚になる。第4楽章は一転、重々しくパセティックに音が変化する。こうした場面転換の妙はオペラで培ったトスカニーニならではの至芸かも知れない。終楽章は、ふたたび明るさを取り戻し、管楽器が高らかなファンファーレを奏でエネルギッシュに締めくくられる。力強い名演である。

    なお、あわせてトスカニーニが高く評価したグィド・カンテッリの第4番 シューマン:交響曲第4番 を聴くと、師トスカニーニからの影響がいかに大きいかを知ることができる。

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     2024/06/17

    フルトヴェングラーのバイロイト盤と双璧をなす最高峰の演奏。演奏時間はフルトヴェングラー盤(約74分)より10分も短く、とにかく速くそして切れ味が鋭い。これよりも速い第9番は大所ではミュンシュ(約61分)くらいではないか。

    音にさまざまな「想念」が付着し思索的で粘着度の強いフルトヴェングラー盤に対して、こちらは明燦でかつ「からり」と乾いた感じの音楽であり、純粋な音響美を彫刻していく印象である。しかし、その集中度、燃焼度は凄まじくリスナーは音の強靱無比な「構築力」に次第に圧倒されていく。そこからは「第9とはこういう曲だったのか」という新鮮な発見がある。どの音楽も最高に聴かせるトスカニーニ流とは、スコアから独自の音を紡ぎ出す専門的な技倆と言ってもいいかも知れない。なればこそ、高度な音楽技能者として、その後の指揮者に与えた影響は絶大だったのだろう。

    第4楽章を聴いていて、ベートーヴェンが管弦楽法の究極を追求するために、「楽器としての人声」を独唱と合唱をもって置いたのではないかという仮説をトスカニーニ盤ほど実感させてくれるものはないだろう。第3楽章までの完成されたポリフォニーでリスナーは十分に管弦楽曲の粋を聴き取り、それが第4楽章ではじめて肉声と融合しさらに一段の高みに到達する瞬間に遭遇する。しかもそれは宗教曲の纏のもとではなく世俗的な詩を語ることによって表現される。そうしたアプローチは、ドイツ精神主義とは対極のものかもしれない。しかし、そこには作曲家のひとつの明確な意図が伏在していると感ぜずにはおかない強い説得力がある。トスカニーニ盤は、その意味でも普遍性を意識させるし今日的な輝きをけっして喪っていないと思う。

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     2024/06/16

    ◆ブラームス 第3番

    屈指の名演である。第1楽章冒頭、いきなり堰をきったようにあふれ出す美しくも豊かな奔流に、これは只ならぬ・・・と驚かされ、第2楽章の清冽な響きのあと、第3楽章は減速、凛とした叙情性がウィーン・フィルの最上の品位あるハーモニーで奏でられ、そして、終楽章はアポロン的とでも言うべきか、カラヤンらしく均整がとれ、きりりと引き締まって結ばれる。柔なセンチメンタリズムではなく、上昇気流にのるような高きロマンティズムを感じさせる。

    ただし、ベートーヴェンの第7番は後のベルリン・フィル盤の周到な完成度に軍配。

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     2024/06/14

    <第9番について>
    この演奏がリリースされた時の衝撃は大きかった。同曲、ベルリン・フィルを振っての録音時間は、フルトヴェングラーが55:17、ベームが51:10に対して、カラヤンは46:43と超特急である(ちなみに、後年のラトルは57:42でフルトヴェングラーよりも遅く、カラヤンと真逆の路線をとった)。

    はじめ聴くと特に第4楽章が速く感じるのだが、フルトヴェングラー11:45、ベーム11:27に対して、カラヤンは11:33で実は決して際立っていない(ちなみに、この楽章、遅い典型のクナッパーツブッシュ/ウィーン・フィルは13:57)。

    煩瑣に演奏時間を記したが、カラヤン盤の衝撃とは、全体の「超速」感と終楽章のファナティックさにある。録音の工夫も当然あろうが、第8番(1964年10月収録)での重い響きを一転開放して、第9番(1968年9月)では色調もぐっと明るくし管楽器とベルリン・フィルの分厚い低弦を強烈に前面に立てている印象。その明るさと迫力が、あくまでも荘重に演奏するスタイルを疑わなかった当時の常識を覆した。カラヤン面目躍如の記録である。

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     2024/06/14

    カラヤンは若き日からチャイコフスキーを得意(特に「悲愴」)としており、ベルリン・フィルとの交響曲全集はいまも燦然と輝く。「大曲」勝負の交響曲にくらべて、カラヤンは本集では、堂々たるシンフォニックな構えとともに、ときに洒脱で切なく、ときに軽妙でウイッティな表情も自在に表現してみせる。そして、ウィーン・フィルの音は瑞々しく柔らかく、その一方、強音部では躍動的で美しい。その抜群の融合がエクセレンスな名演を生んだ。

    3大バレエ組曲(白鳥の湖、くるみ割り人形、眠りの森の美女)、カラヤンはフィルハーモニア管(1952年)、ウィーン・フィル(本盤、1961、1965年)、ベルリン・フィル(1966、1971年)ほかの録音を残している。基本的にどれも見事に一貫した解釈だが、快速&ダイナミズム感の強いフィルハーモニー盤、完璧な音響空間に身をおきたければベルリン・フィル盤といった感じか。小生は従来からこのウィーン・フィル盤の得がたき馥郁さを好む(全曲、組曲ともアンセルメも秀逸)。

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     2024/06/12

    カラヤンが録音したことで人口に膾炙するようになった曲がある。交響組曲『シェエラザード』もその一つと思う。それ以前にも、大御所モントゥー/ロンドン響(1957年)や鬼才マルケヴィチ/ロンドン響(1962年)があったのだが、このカラヤン盤は、発売当初、そのジャケットの格好良さ、録音の鮮烈さ、スタイリッシュな音楽的魅力から大変な反響を呼んだ。

    その後、本曲はヴァイオリンの咽び泣くような独奏(コンマスの技量の見せ所)と木管楽器、金管楽器の華麗な響きから、オーケストラの妙技を味わう名曲として人気を博し、小澤征爾/ボストン響(1977年)、コンドラシン/コンセルトヘボウ管(1979年)、プレヴィン/ウィーン・フィル(1981年)などの組み合わせでリリースが続くことになる。

    その先駆けとでもいうべき本盤を久しぶりに聴く。カラヤン/ベルリン・フィルの全盛期の最良の成果(1967年1月26-31日、ベルリン、イエス・キリスト教会にて収録)。カラヤンの抜群の切れ味、ベルリン・フィルのアンサンブルの見事さに加えて、ミシェル・シュヴァルベの音には特有の艶と色気がある。大胆なリズム感、変幻自在な音の饗宴、内燃する気迫、迷いのない思い切りのよい快速な運行。この洗練と凝縮の音楽にはいまもいささかの古さも感じない。

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     2024/06/12

    ブラームス第3番について。

    屈指の名演である。第1楽章冒頭、いきなり堰をきったようにあふれ出す美しくも豊かな奔流に、これは只ならぬ・・・と驚かされ、第2楽章の清冽な響きのあと、第3楽章は減速、凛とした叙情性がウィーン・フィルの最上の品位あるハーモニーで奏でられ、そして、終楽章はアポロン的とでも言うべきか、カラヤンらしく均整がとれ、きりりと引き締まって結ばれる。柔なセンチメンタリズムではなく、上昇気流にのるような高きロマンティズムを感じさせる。

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     2024/06/09

    1930 年代から幅広い演目で多くのレコードを精力的に録音してきたカラヤンだが、ブルックナーの取り上げについては実は慎重な印象があった。

    本全集がでて、1,2,3,5,6番の正規録音(ライヴ盤を除く)はこの全集所収分のみであり、再録の多いカラヤンにあって、これは記憶にとどめておいていいだろう。いずれも非常にレヴェルの高い演奏で、カラヤンは3,5番は別の機会を考慮していたかも知れないが、全集としては概ね「これで良し」と評価をしていたのではないかと考える。

    晩年、ウィーン・フィルとの7,8番が出る。特に7番は、ブルックナーの作曲時のエピソード(ワーグナーへの葬送)に加え、死の3ヶ月前の最後の録音であったことから、カラヤン自身への「白鳥の歌」と大きな話題を呼んだ。オーストリア人カラヤンにとって、故国の大作曲家たるブルックナーは特別な存在であったのかも知れない。なお、7,8番に関しては、この新録音よりも本全集所収盤の迫力を小生は評価している。

    全番に一貫するカラヤンらしい明晰な解釈、流麗な音の奔流、なによりもその抜群の安定感からみて、ヨッフムとともにいまだ全集推薦盤の最右翼である。

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     2024/06/09

    ペール・ギュントについて、カラヤンは第1組曲のほか第2組曲から2曲を選び計6曲ユニットでこの曲を再構成した(これはウィーン・フィル盤のみの特色)。全曲は約85分かかるがこれを25分弱におさめ、非常な凝縮感をだしている。
     
    さらにこの6曲は、メリハリよく、清涼な部分はあくまでも爽快に(第1曲「朝」)、甘美な部分は美々しくも蕩けるように(第2曲「オーセの死」、第6曲「ソルヴェイグの歌」)、劇的な部分は快速かつ激烈に(第4曲「山の魔王の宮殿にて」、第5曲「イングリッドの嘆き」)演奏される。ウィーン・フィルの音色は硬軟ともにしなやかで強奏でも節度を失わない。
    ベルリン・フィル盤(2種)も基本はかわらぬ名演ながら、このウィーンの薫る絶品の音色をもって本盤を小生は好む。

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     2024/06/09

    カラヤンが取り上げたことでブームをつくった曲は数多い。R.コルサコフ:シェエラザードやオネゲル:交響曲第2番、第3番「典礼風」などもそうだが、ウィーン・フィルとの蜜月時代に録音されたアダン:バレエ「ジゼル」やこの惑星などもその代表例。

    ストラヴィンスキー的な激しいリズムの刻み方(火星)、壮麗なメロディアスの魅力(木星)にくわえて「ボリス・ゴドゥノフ」の戴冠式の場を連想させるような眩い管弦楽の饗宴も随所にあり、変化に富んだ曲づくりをここまで見事に、メリハリよく表現しきったカラヤンの実力には恐れ入る。このドラマティックで色彩感ある描写はウィーン・フィルの特質を最大限引き出したという意味でも大きな成果だろう。

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     2024/06/09

    カラヤンの音源のなかでは、その後、音の良いベルリン・フィル盤があり、さして重要視されない「過渡期作品」と見なされがちだが、この時代のカラヤンらしさが目いっぱいでているという点において実に興味深いもの。

    特に、『セミラーミデ』序曲については、SPのトスカニーニ盤をカラヤンは徹底して聴きこんでおり、録音のベンチマークとするよう、自らドイツ・グラモフォンのシーメンスにも相談したというエピソードもあるが、本盤でのダイナミズムと思い切りの良さはなんとも圧巻。

    収録はわずか4日間、一気呵成になされているが、快速、大胆可変的な強弱のつけ方、そして一貫した明解な解釈とも澱みも迷いもない。なお、『セビリアの理髪師』全曲などの演目は1930年代からカラヤンは得意としており、序曲はそのエッセンスという自信あればこその1枚だろう。

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     2024/06/09

    第二次大戦の終戦後まもなく、いまだアメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連の分割支配化のドイツ、オーストリーにあって、ドイツ・レクイエムには演奏者、聴衆ともに言い知れぬ特別の思い入れがあったであろう。シュヴァルツコップはクレンペラー盤でも歌っているが、こちらの方が若き迫真力に富む。ホッターの深い声もじわりと胸に染み渡る。いささかドライブ気味の感もあるが、ウィーン・フィルの全力での臨場もあり鮮烈な印象。カラヤンの非常な集中力に圧倒される歴史的な記録である。

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     2024/06/06

    ブラームスの交響曲ではカラヤン、現存する最初の録音記録といわれる。

    第1楽章冒頭の重くパセティックな出だしから、基本的にカラヤンの解釈は後年のあまたの録音と変わっていないことに驚く。テンポは遅くじっくりと音を積み重ねていく。一方、フレーズは短く艶やかに処理していく。第2楽章のアンダンテ・ソステヌートは、明暗交錯する複雑な心理の綾を表情豊かに描いてみせる。やや濃厚な味わいという気もするが、この時代のコンセルトヘボウの音色ゆえかも知れない。第3楽章に入ると速度を上げ陰から陽への移行提示がこめられる。終楽章の劇的な展開も後年の録音と共通し、すっきりと機敏な進行は思い切りがいい。全般に、なお荒削りながらもブラームス解釈を概成していた早熟なカラヤン像がそこにあり、後年はこれに磨きがかかっていったという印象をもつ。

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