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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/18

    スメタナの交響詩「わが祖国」はチェコ音楽の一丁目一番地とも言える国民的作品。それだけに、チェコ・フィルにとっても名刺代わりの作品であり、累代の常任指揮者や錚々たる客演指揮者などがこぞって同曲を録音してきた。かつてのターリヒをはじめ、アンチェル、クーベリック、ノイマンなどの大指揮者の名演は燦然と輝いているし、小林研一郎などによる個性的な名演も記憶に新しいところだ。こうした個性的な名演の中で、いぶし銀とも言うべき渋い存在感を有している名演こそが、本盤におさめられたスメターチェクとのスタジオ録音であると言える。カラヤンと同年に誕生した指揮者ではあるが、実力の割には必ずしも華々しい経歴を有しているとは言えず、チェコ・フィルとの演奏もあまり遺しているとは言い難い。今や、知る人ぞ知る存在に甘んじているとさえ言えるが、本演奏は、そうした地味な存在であったスメターチェクの実力を窺い知ることが可能な稀代の名演奏であると言っても過言ではあるまい。本演奏も、スメターチェクの華麗とは言い難い経歴を表しているかのように、華麗さとは無縁の一聴すると地味な装いの演奏であると言える。テンポもどちらかと言うとやや早めであると言えるところであり、重々しさとは無縁とも言えるところだ。しかしながら、各フレーズに盛り込まれたニュアンスの豊かさ、内容の濃さ、そして彫の深さには尋常ならざるものがあり、表面上の美しさだけを描出した演奏にはいささかも陥っていない。そして、スメターチェクも、同曲の込められた愛国的な情熱に共感し、内燃する情熱を傾けようとはしているが、それを直截的に表現するのではなく、演奏全体の厳しい造型の中に封じ込めるようにつとめているとも言えるところであり、そうした一連の葛藤が、本演奏が、一聴すると地味な装いの中にも、細部に至るまで血の通った内容の豊かな演奏になり得ているとも言えるのかもしれない。加えて、本演奏で優れているのは、演奏全体に漂っている格調の高さ、堂々たる風格であると言える。同曲は、チェコの民族色溢れる名旋律の宝庫であるが、スメターチェクは、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な美しさを保ちつつ、正に大人の風格を持ってニュアンス豊かに描き出していく。これぞ、まさしく巨匠の至芸と言うべきであり、累代の常任指揮者による同曲の名演と比較しても、いささかも遜色のない名演に仕上がっていると評しても過言ではあるまい。本演奏については、これだけの名演であるにもかかわらず、これまで高音質化の波から取り残されてきた。そのような中で、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、スメターチェク&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/18

    バーンスタインはホルストの組曲「惑星」を一度だけスタジオ録音している。バーンスタインは、晩年に自らのレパートリーの再録音をDGに数多く行ったことから、もう少し長生きしていれば同曲の再録音をウィーン・フィルなどと行った可能性もあるが、晩年の芸風に鑑みれば、再録音が実現することが果たして良かったかどうかは疑問であるとも言える。というのも、バーンスタインの晩年の演奏は、表情づけは濃厚の極みになるとともに、テンポは異常に遅くなったからだ。マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲については、かかる晩年の芸風が曲想に見事に符号し、圧倒的な超名演の数々を成し遂げるのに繋がったと言えるが、その他の大半の楽曲、とりわけ独墺系以外の作曲家の作品については、例えばチャイコフスキーの交響曲第6番、ドヴォルザークの交響曲第9番、シベリウスの交響曲第2番など、箸にも棒にもかからない凡演を繰り返したところである。ところが、バーンスタインがニューヨーク・フィルの芸術監督をつとめていた1970年までは、こうした晩年の大仰な演奏とは別人のような演奏を行っていた。良く言えば、躍動感溢れる爽快な演奏、悪く言えばヤンキー気質丸出しの底の浅い演奏。もっとも、バーンスタインらしさという意味では、この当時の演奏を評価する聴き手も多数存在しているところであり、演奏内容の浅薄さはさておき、私としても当時のバーンスタインの思い切りのいい躍動感溢れる爽快な演奏を高く評価しているところだ。本盤におさめられた組曲「惑星」は、ニューヨーク・フィルの音楽監督を退任した1年後の演奏ではあるが、かかる躍動感溢れる爽快な芸風は健在。「火星」の終結部など、いささか力づくの強引な荒々しささえ感じさせる箇所がないわけではないが、楽曲が組曲「惑星」だけに違和感など微塵も感じさせることがないと言える。また、こうした標題音楽だけに、当時のバーンスタインの演奏の欠点でもあった、演奏の底の浅さなども致命的な欠陥にはならず、英国音楽ならではの詩情にはいささか不足するきらいはあるものの、強靱な迫力と躍動感に満ちた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。ニューヨーク・フィルもバーンスタインの統率の下、その技量を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。音質は、従来盤が1971年のスタジオ録音だけに今一つの平板なものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤が圧倒的な高音質であった。そもそも、マルチチャンネルとシングルレイヤーの組み合わせは他にも殆ど例がないだけに、SACDの潜在能力を最大限に発揮した究極のSACD盤として、極めて希少なものであるとも言える。カプリングにブリテンの4つの海の間奏曲を収録していたのも、演奏の素晴らしさも相まって大変貴重なものであった。現在では、当該SACD盤は廃盤であるとともに入手難であるが、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても購入されることを是非ともおすすめしておきたいと考える。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 2人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/18

    バーンスタインはホルストの組曲「惑星」を一度だけスタジオ録音している。バーンスタインは、晩年に自らのレパートリーの再録音をDGに数多く行ったことから、もう少し長生きしていれば同曲の再録音をウィーン・フィルなどと行った可能性もあるが、晩年の芸風に鑑みれば、再録音が実現することが果たして良かったかどうかは疑問であるとも言える。というのも、バーンスタインの晩年の演奏は、表情づけは濃厚の極みになるとともに、テンポは異常に遅くなったからだ。マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲については、かかる晩年の芸風が曲想に見事に符号し、圧倒的な超名演の数々を成し遂げるのに繋がったと言えるが、その他の大半の楽曲、とりわけ独墺系以外の作曲家の作品については、例えばチャイコフスキーの交響曲第6番、ドヴォルザークの交響曲第9番、シベリウスの交響曲第2番など、箸にも棒にもかからない凡演を繰り返したところである。ところが、バーンスタインがニューヨーク・フィルの芸術監督をつとめていた1970年までは、こうした晩年の大仰な演奏とは別人のような演奏を行っていた。良く言えば、躍動感溢れる爽快な演奏、悪く言えばヤンキー気質丸出しの底の浅い演奏。もっとも、バーンスタインらしさという意味では、この当時の演奏を評価する聴き手も多数存在しているところであり、演奏内容の浅薄さはさておき、私としても当時のバーンスタインの思い切りのいい躍動感溢れる爽快な演奏を高く評価しているところだ。本盤におさめられた組曲「惑星」は、ニューヨーク・フィルの音楽監督を退任した1年後の演奏ではあるが、かかる躍動感溢れる爽快な芸風は健在。「火星」の終結部など、いささか力づくの強引な荒々しささえ感じさせる箇所がないわけではないが、楽曲が組曲「惑星」だけに違和感など微塵も感じさせることがないと言える。また、こうした標題音楽だけに、当時のバーンスタインの演奏の欠点でもあった、演奏の底の浅さなども致命的な欠陥にはならず、英国音楽ならではの詩情にはいささか不足するきらいはあるものの、強靱な迫力と躍動感に満ちた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。併録のブリテンの4つの海の間奏曲は、組曲「惑星」以上にバーンスタインの多彩な才能を感じさせる超名演であり、演奏の持つ強靭な生命力や気迫という意味においては、最晩年のボストン交響楽団との名演(1990年)よりも優れた名演と評価し得るものと考えられるところだ。ニューヨーク・フィルもバーンスタインの統率の下、その技量を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。音質は、従来盤が1971年のスタジオ録音だけに今一つの平板なものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤が圧倒的な高音質であった。そもそも、マルチチャンネルとシングルレイヤーの組み合わせは他にも殆ど例がないだけに、SACDの潜在能力を最大限に発揮した究極のSACD盤として、極めて希少なものであるとも言える。現在では、当該SACD盤は廃盤であるとともに入手難であるが、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても購入されることを是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2012/08/18

    2008年に60歳という若さでこの世を去ったヒコックスであるが、シャンドスレーベルに録音した数多くのイギリス音楽は、知る人ぞ知る名作を広く認知させるのに大きく貢献したという意味でも、ヒコックスの最良の遺産であると言えるだろう。そうした遺産の中でも、頂点に立つ名演ということになれば、様々な意見があろうかとは思うが、イギリス音楽史上最高の作曲家の一人であるエルガーの生誕150年を記念してスタジオ録音された、本盤におさめられた交響曲第1番ということになるのではないだろうか。ヒコックスは、本盤に続いて、交響曲第2番及び第3番のスタジオ録音も行い、エルガーの交響曲全集を完成させることになるが、楽曲がエルガーのみならずイギリス音楽史上最高の交響曲、そしてエルガー生誕150年の記念の年の演奏であることなども相まって、本演奏は全集中でも最高の名演に仕上がっていると言えるところだ。ヒコックスによる本演奏は、中庸というよりも、やや早めの引き締まったテンポによって曲想を進めているが、各所における表情づけの巧さは、数多くのイギリス音楽を演奏するとともに、同曲を隅々に至るまで知り尽くしていることもあって、正に名人芸の域に達していると言っても過言ではあるまい。そして、重厚にして強靭な迫力からイギリスの詩情に満ち溢れた繊細さに至るまで、過不足なく描出していると言えるが、いかなるトゥッティに差し掛かっても格調の高さをいささかも失うことがないのが素晴らしい。演奏全体のスケールも雄大であり、その威容に満ちた堂々たる演奏は、同曲があらためてイギリス音楽史上最高の偉大な交響曲であることを認知させるのに大きく貢献していると言っても過言ではあるまい。同曲については、特に、累代のイギリス人指揮者が数々の名演を成し遂げてきているところであるが、ヒコックスによる本演奏は、後述の音質面も含めて総合的に考慮すれば、同曲の様々な名演の中でもトップクラスの名演として高く評価したいと考える。併録のオルガン・ソナタの管弦楽版は、録音自体が珍しいだけに希少価値があると言えるが、演奏内容も極めて優れたものであり、ヒコックスならではの素晴らしい名演と評価したい。BBCナショナル・オーケストラ・オヴ・ウェールズも、ヒコックスの熟達した統率の下、見事な名演奏を繰り広げているところであり、大きな拍手を送りたい。そして、本盤で何よりも素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質と言うことである。音質の鮮明さといい、そして臨場感といい、正に申し分のない高音質と言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを認識したところだ。いずれにしても、ヒコックスの最大の遺産とも言うべき至高の超名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/16

    ブルックナーの交響曲の演奏スタイルは、1990年代以降に成し遂げられたヴァントや朝比奈による神がかり的な超名演の数々によって確立されたとも言えるところであるが、それ以前において、ブルックナーの交響曲の名演を成し遂げていた代表的な指揮者と言えば、シューリヒトやマタチッチと言えるのではないだろうか。マタチッチによるブルックナーの交響曲演奏は、様々なレーベルによって発売されているが、現時点では、第3番、第4番、第5番、第7番、第8番、第9番の6曲が遺されているところだ。NHK交響楽団とのライヴ録音の数々は、最晩年(1984年)の第8番を含め、極めて優れたものであると言えるが、スタジオ録音ということであれば、チェコ・フィルとの第7番が名高い存在であると言える。マタチッチは、チェコ・フィルとともに、第7番のほか、第5番、そして本盤におさめられた第9番をライヴ録音しているが、最良の名演は、何と言っても、第7番、とりわけその第1楽章及び第2楽章であると言えるところだ。第9番については、マタチッチは、本盤におさめられたチェコ・フィルとの演奏のほか、ウィーン交響楽団(1983年)とともに行ったライヴ録音も遺されており、演奏の質においては甲乙付け難い存在であるが、オーケストラの力量からすれば、本盤のチェコ・フィルとの演奏に軍配をあげるべきであろう。本盤の演奏は、マタチッチの巨大な体躯を思わせるような豪快そのもの。ブラスセクションなども無機的になる寸前に至るまで最強奏させるなど、その迫力満点の強靭な演奏ぶりには度肝を抜かれるほどである。テンポの振幅については随所に施しているものの、比較的常識的な範囲におさめていると言える。その意味では、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、いわゆるインテンポを基調とした演奏スタイルに限りなく近い性格を有しているとも言えるが、前述のブラスセクションの最強奏などが極めて印象的であり、ドラマティックな要素を多分に有した演奏であるとも言えるところだ。したがって、聴き手によっては抵抗感を覚える者もいるとは思われるが、それでも、演奏全体に漲っている熱き情感と根源的な力強さは圧倒的であり、チェコ・フィルの優秀な力量とも相まって、本演奏の当時としてはブルックナーの交響曲の一面を描出した見事な演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。さすがに、シューリヒト&ウィーン・フィルによる超名演(1961年)ほどの高みに達しているとは言い難いが、私としては、マタチッチの偉大な才能、そしてブルックナーへの適性があらわれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。本演奏については、同じくチェコ・フィルとの録音である第5番や第7番が、Blu-spec-CD化、さらにはXRCD化、そしてSACD化と段階的に高音質化がなされたのに対して、何らの高音質化もなされず、不当に放置されてきたところだ。そのような中で、今般、Blu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、マタチッチによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/16

    内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から30年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であると言えるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。そうした現代最高の女流ピアニストの一人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、正に満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第19番&第23番)が登場しており、本盤は新チクルスの第3弾(第9番&第21番)ということになる。第1弾、第2弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに負けるとも劣らない凄い超名演だ。かつて第1弾のレビューにおいても記したが、かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったと言えるであろうか。モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあるとさえ言えるところであり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くおすすめできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏とも言えるところであり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える。ただ、これだけの超名演だけに、第1弾及び第2弾とともに、最近話題のシングルレイヤーによるSHM−CD&SACD盤で発売して欲しかったと思っている聴き手は私だけではあるまい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/16

    このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定であり、ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができるが、本盤におさめられた1970年代はじめに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、私としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫の深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開していると言える。加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使していると言えるが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくも無く、演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。正に筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるが、いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。このような超名演が、今般、ついにSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。本演奏は、前述のように人類の至宝とも言うべき歴史的な超名演だけに、既に数年前にSHM−CD化がなされ、高音質化に向けた努力がなされてきたが、当該SHM−CD盤においては、随所において音質に若干のひずみが聴かれるなど、必ずしも良好な音質とは言い難いものがあった。ところが、今般のSACD化によって、オリジナル・マスター使用ということも多分にあるとは思うが、そうした音質のひずみが解消され、圧倒的な超高音質に生まれ変わったと言える。音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1970年代はじめ頃の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。いずれにしても、リヒテルによる歴史的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/08/14

    インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲「大地の歌」の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲「大地の歌」の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。メゾ・ソプラノのヤルト・ヴァン・ネス、そして、テノールのペーター・シュライアーも最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/08/05

    NHK交響楽団の名誉指揮者として、かつてたびたび来日して名演奏の数々を聴かせてくれたスウィトナーであるが、スウィトナーの遺した名演の数々の大半は、何と言っても手兵であるシュターツカペレ・ベルリンとの演奏であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。ベートーヴェンの交響曲全集やブルックナーの交響曲集など、それぞれの楽曲の演奏史上でも上位に掲げられる名演奏を残しているスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンの黄金コンビであるが、本盤におさめられたシューマンの交響曲第2番&第4番についても、このコンビならではの素晴らしい名演であると評価したい。第1番&第3番が、既に数年前にBlu-spec-CD化がなされたものの、本盤の両曲については従来CD盤のまま放置され、どうなることかと思っていたところであるが、今般、漸く待望のBlu-spec-CD化がなされたことは、演奏の素晴らしさから言っても誠に慶賀に堪えないところだ。昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。そのような中で、スウィトナーが指揮をしていた当時のシュターツカペレ・ベルリンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特の音色、正に独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。スウィトナー自身は、必ずしも楽曲を演奏するに際して個性的な解釈を施す指揮者ではなかっただけに、その演奏の魅力は、シュターツカペレ・ベルリンの重厚なジャーマン・サウンドとそれを体現する力量によるところも大きかったのではないかとも考えられるところである。シューマンの交響曲は、後輩にあたるブラームスの交響曲と比較すると、特にオーケストレーションの華麗さには大きく譲るところがあり、どちらかと言えば、幾分くすんだような渋味のあるサウンドに支配されているとも言える。したがって、このような楽曲には、シュターツカペレ・ベルリンの当時の音色は最適のものであると言えるところであり、筆舌には尽くし難いような味わい深さを有していると言っても過言ではあるまい。この黄金コンビにかかると、シューマンの質実剛健ともいうべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくるとさえ言える。もちろん、第2番には、シノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番には、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)と言った歴史的な超弩級の名演が存在しており、それらの超名演と比較して云々することは容易ではあるが、そのような超名演との比較を度外視すれば、十分に魅力的な優れた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/05

    ザンデルリングによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとした正に巨匠風の風格ある演奏であり、昨年、惜しくも逝去されたザンデルリングの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。ザンデルリングは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。それこそが、本盤におさめられた交響曲第3番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリングの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、正に独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリングの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示していると言える。前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一環していると評しても過言ではあるまい。むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそは正に、ザンデルリング、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したいと考える。併録のハイドンの主題による変奏曲も、この黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。第1番&第4番が、既に数年前にBlu-spec-CD化がなされた(第1番についてはシングルレイヤーによるSACD化)ものの、本盤の第3番については従来CD盤のまま放置され、どうなることかと思っていたところであるが、今般、漸く第2番とあわせて待望のBlu-spec-CD化がなされたことは、演奏の素晴らしさから言っても誠に慶賀に堪えないところだ。そして、今般のBlu-spec-CD化については、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、ザンデルリング&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/05

    本盤におさめられたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、そして、ピアノ・ソナタの第12、22、23番は、東西冷戦の真っただ中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。したがって、リヒテルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。ピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。ピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。それだけに、本盤におさめられた各演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。ピアノ協奏曲にしても、ピアノ・ソナタにしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫の深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開していると言える。人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使していると言えるが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。また、ピアノ・ソナタ第22番は、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれるなど地味な存在であると言えるが、リヒテルによる本演奏によって、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功したとも言えるところであり、その意味では稀有の超名演と評しても過言ではあるまい。ピアノ協奏曲第1番のバックをつとめているのはミュンシュ&ボストン交響楽団であるが、さすがはストラスブール出身で、ブラームスなどの交響曲において名演を聴かせてくれたミュンシュだけに、本演奏においてもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。いずれにしても、本盤におさめられた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質については、本盤におさめられた楽曲のうち、ピアノ協奏曲第1番とピアノ・ソナタ第22番が、数年前にXRCD&SHM−CD化され、それは圧倒的に素晴らしい音質であったと言える。しかしながら、今般、それらにピアノ・ソナタ第12番、第23番を加えてSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。とりわけ、3曲のピアノ・ソナタの音質改善効果には目覚ましいものがあり、音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1960年の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。いずれにしても、リヒテルによる圧倒的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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     2012/08/05

    いささかも奇を衒うことがないドイツ正統派の堂々たる名演だ。今では解散してしまったアマデウス弦楽四重奏団であるが、約40年間にわたってメンバーが一度も入れ替わることなく、伝統の音、音楽を守り続けてきたのは、弦楽四重奏団としても極めて稀な存在であったとも言えるだろう。それだけに、ヴィオラ奏者であったシドロフの死去によって解散となったのは当然の帰結と言えるのかもしれない。また、そうしたアマデウス弦楽四重奏団の主要なレパートリーは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの独墺系の作曲家の楽曲であったのは当然のことであり、前述のように、正にドイツ正統派とも言うべき名演の数々を成し遂げていたところだ。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、弦楽四重奏団にとっては名刺代わりの楽曲であり、その後に活躍したアルバン・ベルク弦楽四重奏団やタカーチュ弦楽四重奏団など、個性的かつ現代的な解釈による名演が続々と登場してきている。そうした演奏と比較すると、強烈な個性にはいささか乏しい演奏と言わざるを得ないところだ。しかしながら、楽想を精緻かつ丁寧に描き出し、誠実に音楽を紡ぎだしていくと言うアプローチは、ベートーヴェンが作曲した両曲の魅力をダイレクトに表現するのに大きく貢献しているとも言えるところである。あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちにさせてくれる演奏とも言えるところであり、このような、古き良き伝統に根差したとも言える正統派の演奏を奏でてくれる弦楽四重奏団がなくなってしまったことを残念に、そしてある種の郷愁を覚える聴き手もおられるのではないだろうか。若干、時代は下るが、チェコのスメタナ弦楽四重奏団のアプローチにも通底するものがあると言えるが、そうしたスメタナ弦楽四重奏団の演奏に、ドイツ風の風格を付加させた演奏と言えるのかもしれない。今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化に際しては、アマデウス弦楽四重奏団にとって唯一の全集から、後期の傑作である第14番と中期の傑作である第7番が抜粋してカプリングされたが、残る諸曲についても同様に高音質化を期待する聴き手は私だけではあるまい。それにしても、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって素晴らしい高音質になったのは大変喜ばしいところだ。1950年代末〜1960年代初めの頃のスタジオ録音であり、さすがに最新録音のようにはいかないが、音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、各奏者の弦楽合奏が艶やかに、なおかつ明瞭に分離して再現されるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、アマデウス弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/04

    インバルは、現代最高のマーラー指揮者としての称号をほしいままにしているが、マーラーに私淑していたとされるショスタコーヴィチについても、ウィーン交響楽団とともにスタジオ録音による交響曲全集を完成させるなど、自らのレパートリーの軸としているとも言える。とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最もポピュラリティを獲得しているとされる第5番については、3度にわたって録音を行っている。最初の録音は本盤におさめられたフランクフルト放送交響楽団とのスタジオ録音(1988年)、次いで、前述の全集の一環としてスタジオ録音されたウィーン交響楽団との演奏(1990年)、そして、先般発売されて大きな話題となった東京都交響楽団とのライヴ録音(2011年)が存在している。このうち、直近の2011年のライヴ録音については、既にレビューを投稿済であるが、近年のインバルの円熟ぶりが伺える圧倒的な名演であり、3種ある同曲の録音の中でも頭一つ抜けた存在であると言えるところだ。したがって、2011年のライヴ録音を比較の対象とすると、他の演奏が不利になるのは否めない事実であるが、当該ライヴ録音を度外視すれば、本盤におさめられた演奏は、十分に名演の名に値するのではないかと考えている。少なくとも、オーケストラの優秀さなどを総合的に勘案すれば、2年後のウィーン交響楽団との演奏をはるかに凌駕していると言えるところであり、当時のインバルの演奏の特色を窺い知ることが可能な名演と評価してもいいのではないかと考えるところだ。当時、同時並行的にスタジオ録音を行っていたマーラーの交響曲全集にも共通すると言えるが、当時のインバルの楽曲の演奏に際してのアプローチは、一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演、例えば、前述の2011年のライヴ録音においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。ショスタコーヴィチがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが本演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。もう少し踏み外しがあってもいいような気もしないではないが、それは2011年のライヴ録音の方に委ねればいいのであり、演奏の安定性、普遍性という意味においては、実に優れた名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、インバル&フランクフルト放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/04

    スペイン風の情感に満ち満ちた珠玉の超名演だ。スペインの盲目の作曲家ロドリーゴは、勇壮華麗なバレエ音楽などで知られるファリャなどとは異なり、情緒豊かなギターのための有名な協奏曲を作曲したことで知られる。中でも、本盤におさめられたアランフェス協奏曲とある貴紳のための幻想曲は、ロドリーゴ、引いてはスペイン、そしてギターのための協奏曲を代表する2大名曲とも評されているところだ。前世期最高のギタリストの呼び声の高いイエペスは、これら両曲を十八番としていたが、その中でも最も優れた名演は、本盤におさめられた1970年代後半に、ナヴァッロと組んでスタジオ録音を行った演奏であると言えるのではないだろうか。それにしても演奏は実に素晴らしい。イエペスのギタリストとしての技巧は申し分がない。どんな難所に差し掛かっても、難なく弾きこなしており、さすがは前世期最高のギタリストだけのことはあると言える。ただ、イエペスの演奏は単に技巧一辺倒にはいささかも陥っていない。イエペスは、ロドリーゴならではのスペイン風の若干哀愁に満ち溢れた旋律の数々を心を込め抜いて歌い抜いているところである。それでいて、いささかもお涙頂戴の陳腐なロマンティシズムに陥っておらず、常に格調の高さを失っていないのが素晴らしい。このように、イエペスによる本演奏は、いい意味での剛柔のバランスがとれているとも言えるところであり、その意味ではそれぞれの楽曲の演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。加えて、ガルシア・ナヴァッロ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、イギリス室内管弦楽団も、イエペスのギター演奏をしっかりと引き立てるとともに、スペイン風の情緒溢れる見事な演奏を成し遂げていると評価したい。いずれにしても、アランフェス協奏曲やある貴紳のための幻想曲には、様々なギタリストによって様々な名演が成し遂げられてきているが、本盤の演奏を、それぞれの楽曲の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、1977年及び1979年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ、イエペスによるギター演奏が鮮明に再現されるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、イエペス、そしてガルシア・ナヴァッロ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、イギリス室内管弦楽団による至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/04

    アシュケナージについては、とある高名な音楽評論家による悪意さえ感じさせる罵詈雑言によって不当に貶められているが、ラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアノストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。アシュケナージは、ピアノ協奏曲史上最高の難曲とも称されるピアノ協奏曲第3番を4度にわたってスタジオ録音している。本盤の1963年の演奏は、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年のデビューしたばかりの頃のものであるが、その後は、プレヴィン&ロンドン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1971年)、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団とともに行ったスタジオ録音(1975年)、そしてハイティンク&コンセルトヘボウ・アムステルダムとのスタジオ録音(1984年)と続いているところだ。いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせると言える。オーケストラは、チャイコフスキーのバレエ音楽の名演で名高いフィストゥラーリの指揮によるロンドン交響楽団であるが、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。併録のラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、ラフマニノフを得意としたアシュケナージとしては意外にも唯一の録音であるが、ピアノ協奏曲第3番と同様に、演奏の根源的な迫力や畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力などにおいて見事な演奏に仕上がっており、グリモーなどによる名演も他には存在しているが、本演奏を同曲の最高の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。本盤の演奏は、いずれもアナログ期の録音ではあるが、さすがは英デッカとも言うべき極めて鮮明で極上の高音質を誇っていると言える。そして、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、これ以上は求め得ないような圧倒的な高音質に進化したところだ。音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのいずれをとっても圧倒的であり、とりわけアシュケナージのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であるとさえ言える。いずれにしても、アシュケナージ、そしてフィストゥラーリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDという現在求め得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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