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トップ > My ページ > 風信子 さんのレビュー一覧
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検索結果:999件中871件から885件まで表示
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1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/25
ドヴォ6で最高評価に値する演奏 大変によく書けているスコアであるが故に演奏に小細工が入らない 正攻法で演奏に臨めば自ずと楽曲になる 寧ろだからだろうか 時として平凡で退屈感すら感じてしまう演奏に出会う ”第7”など作曲者が新機軸を創出して自信を述べているようだが オーケストラ譜を見れば”第6”と違って よく言えば風通しがいい 悪く言えばスカスカで オーケストラが高らかに鳴り響く書法は”第6”にある ネゼ=セガンの十八番とあって 朗々と歌い鳴らしきったLPOサウンドが眩しいほどだ ”第6”の美点が直截身内に流れ込んでくる快感を久しぶりに味わった 全パート間の歌い交わしから親密の情が漏れ伝わってくる 主従のない有機的なアンサンブルが全曲の隅々まで徹底している 全てが聞こえているのにパートの役割が均衡保たれて生成されてくる妙は稀有なるものだ 第三楽章フリアントは本当に踊れる フィナーレの高揚と熱狂はもう言うまでもない ご一聴を
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/24
面白い 石は投げられた そして拡がる幻想の波紋 ”大地の歌”とは何か そもそも第9交響曲となるはずのものだったのか おそらくマーラー自身も答えられない 当時のマーラーの心模様を写した水鏡だったのだろう スコアにはTen.とAlto or Bar.とある声部指定を無視して一人のテノール歌手が歌いきってしまうこの演奏をどう受け止めればいいのか 戸惑いと新奇なものを覗く野次馬根性とが綯い交ぜになって心がどよめいた カウフマンの声は野太いので曲が始まってまず違和感が掠める わたしの好みもある 声は高い方が好きでリリカルな声質を好む 「冬の旅」はテノールしか聴かないほど 特に低い女声は敬遠したい 自ずと「大地の歌」はBar.起用に傾く しかしカウフマンはハイBar.に聞こえる Bar.としては好みだ そもそも「大地の歌」の声部音域はgーa”の2オクターブを越えるが 対応できる歌手は大勢いる 問題は音色で 歌う内容に適するかだ 李白の詩をつないで途中と最後に銭起 猛浩然 王維を加えテキストを作っている 内容は6(7)編それぞれだが並べることで叙事的抒情詩篇へと変貌している 中に青春時代の回想が挟まるものの人生を経て憂愁に陥り酒に溺れついに友を介して世の中へ告別を述べるものだ やはり一人間の叙情と見るのが自然だろう とすれば一人がそれも男が歌うが良い わたし好みのリリックTen.では辛かろう すなわちカウフマンの挑戦に賛同する以外ない または六曲それぞれ違う歌手(男女の別なく)を当てるのも楽曲の魅力を広げることにならないか とまあ幻想の輪は広がるばかりだ ぜひご一聴を
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/23
最高のショパン・アンソロジーを聴いた ワーズワースの「序曲」を読了した後に湧き出た情趣を思い出していた まだ歩みだしたばかりなのに一生の意味と価値を自覚している青年の心境と言おうか 天才は自己の生が辿る道程を予感して歩き出す ショパンもその一人だった ケフェレックは17曲をほぼ作曲年を追って演奏していく 7歳から38歳までを音楽で辿っていく それはショパンの人生そのものであり運命の軌跡である 全曲は二つの部に分けてクライマックスを演出している 前半は9曲目「幻想即興曲」で締める ショパン30歳までだが 大方は24歳までの作品でポロネーズ へ短調 Op.71-3とノクターン 嬰ハ短調 遺作が柱だ 後半は30代のショパン作品が占める ジョルジュ・サンドとの生活から生まれた音楽でもある ワルツで始まってマズルカへ 最後もワルツ-マズルカで締めくくる 子守唄 舟歌を挟むも柱はスケルツォ第4番 ホ長調 Op.54とバラード第4番 へ短調 Op.67-4だ これはケフェレックのショパンが描いた夢とその挫折への追想であり評価である ケフェレックのピアノは凛として語りかける 何が歌いたかったのか明白だ 慈しみの奥に慟哭が隠れている 見事な一枚だ わたしのようなピアニスト嫌いが推薦しなければいけないほど放ったらかしにされている(思い過ごしならいいが) ひとりでも多くの人に聴かれますように
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/22
協奏曲嫌いが愛するブラームスのピアノ独奏付き交響曲 コンサートでも愉しみにして聴きに行く 第2と第3の交響曲の間に完成された変ロ長調は魅力に溢れている 四つの楽章とも開始から印象深い 第一楽章のホルン 第三楽章のヴィオラとチェロ 第二楽章とフィナーレのピアノ 第二は劇的 第四は天上的 一度聞いたら忘れない 構成展開も交響曲の風格を備え 第2と第3両交響曲の内容特性に通じる風情を持った楽天的で悠揚迫らぬ世界が広がっている これが好きなのだ この稀代の名曲をこれほど融通無碍に演奏した例を知らない 力が入っていないのに泰然と闊歩している様が曲想に適っている 音楽がどこまでも開けている世界に自在に流れ出しているようだ とめどない流れなのに流れ去った余韻が次々に煌めき止まらない もう旅立った人たちの演奏記録だが今も記憶を刺激してやまないのは何故だろう 38年前同じ年に録音されたブラームス最後の小品集 シュミットは奇しくもブラームスの音楽と人生の意味を明かしている それは生から死へ流れる時間に ふと立ち止まりふっと息吐く瞬間 と 夢中になって詩情に没入する瞬間 すなわち間奏曲と狂詩曲こそ人生の中の”音楽”なのだと‥ この忘れられない名曲名演がいつまでも人々の手に届きますように
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/22
颯爽と陽光の下を歩むブルックナー 明晰にしてスコアの美彩を見事に紡ぎ出した快演 ”第7””第8”もそうだったが プレートル&シュトゥットガルトRSOのブルックナーは音彩が明るい これがブルックナー演奏には好環境となる テンポは早めと見られるがあくまでテンポ変化はスコアの指示通りに運ぶ 急いたり追い立てられるような様相は全く見られない ブルックナーの意図を完全に汲み出している 楽曲後半が殊の外見事だ スケルツォのキレの良さは随一だろう ただサクサク弾むばかりではない 練習記号E・FやTRIOでテンポを落とすことが音楽の表情変化となり胸を打つ FINALEではその表情表現がより綿密になり聞きどころを外さない味わいに富んだ音楽となった ライヴで終演後拍手が入るが客席の何か戸惑ったような反応が面白い 重厚豪快なブルックナーを期待していたのかもしれない 馬鹿げたことだ ブルックナーは生きる感謝と希望を歌う音楽なのだ 春たけなわのよく晴れた日に聴くことをお奨めする
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/20
デフォルメされたロマンチシズム 常日頃わたしはシューマンをヘルヴェッヘ ダウスゴー ガーディナーの演奏で愉しんでいる ”第4”だけならブリュッヘンで これを聴き終えた直後そのブリュッヘン&18c.O.を聴いた これがシューマン流のロマン主義だ 所謂ピリオド演奏からシューマンの真影に出会えたと自認している 40年近く前のケーゲルの演奏を揶揄しても意味がない 歪められたロマン主義音楽演奏はケーゲルに限らないことは云うに及ばないだろう 20世紀大方の指揮者演奏家は演歌歌手宜しく 小節をまわして妙な味付けをしてスコアを時代の流行りの曲(くせ)で彩って悦にいる有様だった オリジナルに理解が及ばないのだからシューマンを下手くそ呼ばわりしてさらに下手な手を加えて歪めていた ケーゲル演奏を如何の斯うの言って変人危険人物扱いするなら フルトヴェングラー カラヤンから始めてもらいたい 最も罪が重いのは実は聴き手なのだ 刷り込みと思い込みで鑑賞眼を鎧う癖は早く捨てた方がいい 目も耳も舌も騙される 慣れると何でもかんでも美しい(美味しい)と思い込んでしまう ケーゲルたちが歪んでいることは明明白白ではないか 今更殊更にケーゲルを奇人扱いは御免だ ケーゲルに多くを学んだことも告白し感謝し終わる
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/19
Ruhigを実現したブルックナー 「静かに・落ち着いて」と言う指示がスコアの随所に見られる”第7”だが これを「遅く演奏しろ」と取り間違えられてしまったブルックナーの悲劇がある 思い出深いシュミット-イッセルシュテットが演奏したとあって耳傾けた 果たして第一楽章は練習記号Eではテンポを変えず Hでテンポを落とし Lでやや戻し Mのmolto animatoで冒頭のテンポに戻った 第二楽章Adagioも遅い 「非常にゆっくりを保って」と指示あれば仕方のないことと聴き進める だが練習記号D Moderatoになってもほとんど変化がない Xのチューバ五重奏をテンポの底に構想し組み立てられたのだろう 止まりそうである ここもTempo I.「非常にゆっくり」と指定されていると言われれば然もありなん でも真実イッセルシュテットもかと思った 重っ苦しいブルックナーには辟易としている ところが演奏時間はと見れば全曲で60分以内に収まっている これは”第7”の適正テンポの範囲内である どうして 何故だ スコアから目を挙げて聴いてみる 確かにわたしのテンポ感とは相違するのだが そこには見事なブルックナー像が建っていた 穏やかなブルックナーの表情が見える これこそRuhigなのだ 決して立ち止まってはいなかった 微笑み歩き続けるブルックナーがいた 世迷言の末だがご一聴を奨める
7人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/18
気っ風のいい演奏がブラームスの若々しいロマンチシズムを十全に伝えて爽快だ 昨年のエクサンプロバンス・イースター・フェスティバルでのライヴとあれば 一期一会のアンサンブルであり 自ずと即興性が高まっていたのだろう 予定調和に惰っするはずもなく アンサンブル力をいや増す緊張感を保つ以上に呼びかけ応える歌い合わせの光の矢が飛び交う 愉悦さえ感じて演奏している姿が見えるようだ 四重奏が書けなかったか出し渋ったかは知らない 中低音への嗜好顕著なブラームスであれば VaとVcを増員した六重奏にこそ己が歌うべきfieldを見出して雀躍したことだろう 渋いと評される作風など欠けらも見当たらない 得意の変奏曲もちゃんと入っている 二つのセレナード 一つのピアノ協奏曲とピアノ五重奏曲 そしてこの二つの六重奏曲だけでもブラームスの名は歴史に留まっただろう 交響曲が存在しなくてもである それほど彼の天分が煌めいている名曲の新盤が出たのを吹聴しないのは罪だ
7人の方が、このレビューに「共感」しています。
16人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/17
何と言う壮大さ 劇場が楽堂が鳴り響いている ピリオド・スタイルによる演奏がもたらす発見はタイムマシン効果による驚きだ ラヴェルが創作し20世紀初期の道具が現出して見せた音楽世界の色や艶そして匂いまでが放つ光彩に晒されついに飲み込まれた 中学生の時この舞踏交響曲を初めて聞き圧倒された記憶が蘇る クリュイタンス&パリ音楽院O.の演奏だった あの日から僕の世界は新たなものになった そして音楽が生きる糧となった 今も涙が溢れてくる‥ 以後”ラヴェル”はわたしが音楽を摂取するとき美意識の水底となった 音の好みもパリのオーケストラの色が感性の襞に染みついた レ・シエクルが奏でるピリオド楽器の音色に懐かしい心の故里の音を聞くようだ 温かい心情と記憶が湧き出てくる 記載によれば ホルンがラウー製3本とアントワーヌ・クルトワ製1本とある ラウーはD.ブレインが愛用したことで知られるイギリスの工房だが クルトワはフリューゲルホーンのメーカーとして名を成す ここでも使われているトロンボーンもあるがコルが使われるとは想像を超えた そうだフランス・オーケストラの響きの中核はこのサクソルン族金管楽器の響きを内包したホルンの音色とレガート奏法にある ロトが目指したものは復古ではない 百年前には確かに存在した”美”を以てラヴェルの真影に迫ろうと言うものだ ここに「ダフニスとクロエ」は生き生きと蘇った これから古典となる価値を示して余りある これまでも何ものに対しても上げなかった声音で最大の推薦を述べたい
16人の方が、このレビューに「共感」しています。
2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/10
完結編はsempre rubatoの精神に貫かれていた 11年の歳月をかけてブルックナー・シンフォニー全曲を録音したボルトン&MOSは室内交響楽団の殻をかなぐり捨てた 古楽器奏法を取り入れながらデュナーミクを繊細に表現し分け楽曲構造を解析するかのごとく表出していた彼らが最後に残していたのがこの第2番ハ短調だった 予想は覆された 大胆不敵にもこれまで彼らが成し遂げた演奏法は否定された ppとmfが同等に歌われ響き渡った しかも第2番だけ初稿スコアが使われている ボルトンがこの第2番をブルックナー交響曲史の中にどう位置付けているか明瞭だ これこそが”ブルックナー”である象徴 ここに”ブルックナー”は始まったのであり完成したのだと言っている 全く同感である フィナーレで竟に 以後の交響曲でブルックナーの代名詞となるアラ・ブレーヴェが登場する ブルックナー・ファンは小躍りしてその音楽の波に飛び乗るのだ(このアラ・ブレーヴェを解さない者が似非ブルックナー像を営営と築き上げてきた) ボルトン&MOSの仕事の終わりはブルックナーの新たな出発になった これからブルックナーを演奏するとき彼らの成した仕事を無視して未来へは進めない すでにはじめに録音した第5番は生産中止となった いかに多くのブルックナー・ファンを公言する人たちからこの仕事が無視されたかを示す証拠だ わたしとてはじめは触らぬようにしていた 愚かなことだ だが一度耳にしても無視できるか できるのならば”あなた”はブルックナーを愛する人ではない 真に音楽を糧として生き ブルックナーを友にと願う人は耳傾けられることを切に願う
晴朗にして清新な気に包まれた演奏 凛としていながら優しい肌触りの絹に触れている感覚にとらわれる ボルトン&MOS一連のブルックナー演奏の特質がこれほど生きた例もあるまい PPを基底にデュナーミクは厳密に組み上げられている 決して煩くなることがない上にすべてのパートが隠れることもない ストレートで雄弁な演奏でありながら威圧を感じない どこまでも歌い聞くアンサンブルを貫いている これがブルックナーが書いた音楽だ 音楽で神と対話し人間と語り合い生きる姿勢を初めて音化できたのがボルトン&MOS 作曲者の人格へ最も接近できた演奏だ その生きる態度は表面上の滑稽さを越えて真っ当で愚直実に人間的だった 第1番にしてブルックナーは完成していると思わせる 初期の習作から一歩を踏み出した駆け出しの音楽ではない 晩年の傑作群へのアイディアが随所に埋まっている 第4 第7あたりを聴いてブルックナーを終えてはいけない 是非この初期作品にこそ発見の喜びは隠れている その宝を見つけるのに最適な演奏がこれだ 衷心より推薦する
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/10
楽しみにしていた”第九” それはピリオド・アレルギーの人をも納得させずに置かない快演だった まずテンポだろう 演奏時間はオリジナルのテンポで演奏すると61〜62分だが ハーゼルベック&OWAは約4分長い これによって急くようなつまづき気味の印象はなくなった さらに音楽の表情が克明になったから味わいも増した ピリオド楽器の性能(奏者の技量も含め)によって楽器間に生じる音像の凸凹も鮮明になった だが全曲を通して「よく歌っている」と感じられるだろう 愉しく聴き進めるうちにいつの間にか終わっている 聴き終わって続く余韻から ”第九”という音楽の大きさや新しさの意味が変化していることに気づく ハーゼルベックの狙いはここにあった ベートーヴェンが”第九”を書き発表した”時”の容形(すがたかたち)を再現したかった すなわちどう鳴り響いたのかを だから”RE SOUND”と掲げた Finaleで声楽がオーケストラの前面に配されている どんなバランスになるのかと訝しんだが 少人数の合唱であれば見事なバランスを実現している このシリーズは途中「エグモント」を挟んだりしながら交響曲五曲を終えた 残る4,5,6&8への興味は募るばかりだ 衷心よりご一聴を奨める
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/06
不覚にも聴き逃していた 否 他の演奏で耳にはしているのだが内奥に届いていなかった 何がきっかけだったか覚えていない このディスクも随分と前に注文し届いても棚に収めたまま時を過ごしていた 過日夜更けに再生したが途中から居眠りをしてそのままになっていた ピアノ・クァルテットから聴き返して驚いた 素晴らしい音楽 誠実な演奏 それがここにあった ウォルトンが十代で書いたものを 弦楽Qua.は四十代で ピアノQua.は七十代で書き直したという これほどの名曲が忘れられたように滅多に演奏されないのは惜しい ディスクも数えるほどしかない 寝惚けた眼が一遍に醒めた ウォルトン作品に駄作なし 激動の20世紀を生きても寄って立つ地に迷いなく 生きる風土と受け継いだ血のエネルギーを以て音楽に生きた証を刻印していったウォルトンに深く共感する そこに普遍なる音楽芸術の価値を見出さずにいない 一人でも多くの人にウォルトンの音楽が届くことを願う衷心より推薦する
0人の方が、このレビューに「共感」しています。
0人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/01
シューベルトが教会のために書いた音楽は30曲あまりが知られている 規模の大きいミサ曲は八曲 スターバト・マーテルは二曲だが ケーゲルがミサ曲第2番ト長調 D.167 とへ短調 D.383のスターバト・マーテルを取り上げたのはなぜか 他にシューベルトの教会音楽録音が有るや無しや知らんが 歌手が三人であったことが選曲理由だろう ことさらこの二曲を推奨したが為ではない シューベルトの教会音楽の内 Sop, Ten, Bassの三人がソロを歌う曲はこの二曲だけだからだ 教会音楽は機会音楽であって実用に供されるために書かれた ケーゲルの演奏動機も自ずと知れてこようというもの それでもこの晴朗なる音楽の再現の美しさは何に例えたらいいのだろう 宗教の壁を越えてでも耳傾けずにいられない崇高さに心洗われる 時に折あらばご一聴あれ
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/04/01
時の経つのを忘れて聴き入ってしまった 白昼夢を見ていたような心地に暫し茫然と佇んでいた 全10曲を一気に聴いたことなどなかったからだ 特に30代前期に書かれた六曲が圧巻で聞き惚れた 交響曲1番ー3番”英雄” ピアノ協奏曲3番 ピアノ・ソナタ11番ー21番”ワルトシュタイン”を書いた時期にシンクロナイズする 新鮮な個性と創意を作品に傾注し展開した時期で ベートーヴェンが音楽に新しい時代の扉を開いて見せた19世紀初頭だ VnとPのデュオが管弦楽にも比肩できる表現力を持つことを証明している イブラギモヴァのグァルネリは絹のように細い音の糸を吐く蚕だ それはいかようにも膨らませ太い線となることはできても決して重い叫びや唸りを生じることはない 極めて繊細で透明な光沢を放つ 剛力と熱情で訴えかけるような演奏を嫌う そっけなく吹き過ぎる風のようでありながら決して忘れられない印象を残す だから聴いていて疲れない 飽きない 過ごしていて時を忘れる軽やかさに包まれる 第10番などはその最たるものでいつまでも聴いていたい思いが湧く 40代になってベートーヴェンも肩の力が抜けていたのだろう 作品12の三曲は全曲を通して聴く時 長い散歩の途中に立ち寄った東屋で息をつくようでちょうど良い 曲順もよく考えられた良い全集 もう多くの方の推薦もある 今更わたしが出しゃばる必要もない
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