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つよしくん さんのレビュー一覧 

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     2009/09/12

    プレヴィンとウィーン・フィルの相性は抜群だと思う。R・シュトラウスの管弦楽曲などの名演でも明らかであるが、それは、プレヴィンがウィーン・フィルをがんじがらめに統率するのではなく、むしろウィーン・フィルが望む演奏方法、解釈をできる限り尊重して、伸び伸びと演奏させていることによるものと考える。本盤も、そうしたプレヴィンの長所が出た名演であり、ウィーン・フィルが実に伸び伸びと楽しげに演奏していることがわかる。もちろん、ウィーン・フィルに伸び伸びと演奏させているからと言って、プレヴィンが野放図にしているわけではなく、要所ではしっかりと手綱を締めていることがよくわかる。展覧会の絵にしても、シェラザードにしても、全体のスケールは雄大であるが、造型をいささかも弛緩させることなく、各場面の描き分けを巧みに行って、重厚な中にも情感溢れる演奏を繰り広げている点を見過ごしてはならない。それにしても、本盤に聴くウィーン・フィルの音色の美しさは格別。ライナー・キュッヒルの絶美のソロと相まって、本盤の価値を更に高めることに貢献している。SHM−CD化により、音響に一段と拡がりが出た点も見過ごすことができない。

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     2009/09/11

    両曲とも正に完全無欠の名演。野球の試合に例えれば、ダブルヘッダーで両試合とも完全試合を達成したようなものだ。これほど、重厚さと優美さ、そしてドヴォルザークならではのボヘミア風の抒情を兼ね備えた名演は、なかなかお目にかかれるものではなく、これら両曲を何度も録音したカラヤンとしても、本盤は最高の出来ばえと言えるだろう。ほぼ同時期に録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲では、統率力に若干の衰えも見られたが、本盤においては、カラヤンの卓越した統率力にいささかの綻びも見られない。ウィーン・フィルも、持てる力を最大限に発揮した熱演を繰り広げている。特に、素晴らしいと思ったのは、第9の第2楽章。有名な家路の旋律をカラヤンはやや早めのテンポで演奏するが、中間部は大幅にテンポを落とす。この箇所の静寂な美しさは決して他の演奏からは聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。SHM−CD化によって、解像度が大幅に向上し、カラヤン最晩年の至芸を一段と明晰に堪能できることになったことも大いに喜びたい。

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     2009/09/10

    楽曲の珍しい組み合わせによるコンサートの記録である。ショスタコーヴィチは、ショルティが最晩年になって漸く取組を開始した作曲家であるが、こうしたショルティのあくなき前向きな姿勢には頭を下げざるを得ない。第9は、第8に次いで録音されたものであるが、全体を20分少々という快速のテンポで演奏。この当時、ショルティは既に80歳に達していたはずであるが、とてもそうとは思えない、若き日の鋭角的なショルティを彷彿とさせる力感溢れるアプローチだ。第2楽章など史上最速の演奏ではあるまいか。第1楽章のホルンなどにも、ウィーン・フィルらしからぬ荒々しさも感じるが、ショスタコーヴィチが第9に込めた諧謔的な一面を的確に描出しているという点では、一定の評価をすべき好演であると考える。ベートーヴェンは、ショルティの4回目にして最後の録音となったものだが、ここには枯れた味わいなど薬にもしたくない。最晩年を迎えた指揮者とは思えないほどの早めのテンポでエネルギッシュな演奏を繰り広げている。ただ、さすがにベートーヴェンだけに、ウィーン・フィルのしなやかにして優美な演奏が、全体としての印象を幾分柔和なものとすることに貢献しており、決して無機的な演奏に陥っていない。ショルティの第5は、私としてはシカゴ響との70年代または80年代のスタジオ録音を採りたいが、本盤については、ウィーン・フィルとの組み合わせという意味で、それなりの存在価値はあると思われる。

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     2009/09/08

    冒頭の英雄は、快速のテンポで突き進む。それは、正に向かうところ敵なしといった感じ。英雄の敵に入っても、テンポにはいささかの緩みも見られない。英雄の妻では一転してテンポを落とすが、ここのキュッヒルのソロの実に美しいこと。英雄の戦場は、いかにもショルティらしく圧倒的な音量でオーケストラを豪快にならすが、そのすさまじさには戦懐を覚えるほど。英雄の業績は、そっけなさを感じるほどの快速のインテンポ。英雄の引退と完成は、再びテンポを落として、演奏全体を雄大に締めくくっている。ショルティは、一部批評家から、無機的なインテンポの指揮者と酷評されているが、本盤のような演奏に接すると、決してそうではなく、むしろ緩急自在のテンポを駆使した起伏の激しい演奏をしていることがよくわかる。本演奏を名演と言えるかどうかは、ウィーン・フィルとの相性などを考慮するといささか躊躇するが、ショルティの個性が溢れたユニークさと言う点では、一聴の価値は十分にある演奏であると考える。むしろ、併録のワーグナーは、解釈に奥行きが出てきたと評された80年代後半の録音であり、ショルティ円熟の名演と言ってもいいと思われる。SHM−CD化の音質向上効果は、従来CDの音質もかなりのものであったことから、若干のレベルにとどまっていると言える。

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     2009/09/07

    カラヤンが遺したチャイコフスキーの第4の最後の録音である。カラヤンの第4としては、71年盤がライブならではの迫力があり最高の名演であると考えるが、本盤も、カラヤンの最晩年ならではの澄み切った美しさがあり、71年盤とは異なった魅力に満ち溢れている。それは、オーケストラにベルリン・フィルではなく、ウィーン・フィルを起用したことが大きいと思われる。本盤の録音は84年であるが、この当時、カラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂状態。傷心のカラヤンを、ウィーン・フィルがあたたかく迎い入れ、両者の良好な相思相愛の共同作業によって、この名演が成し遂げられたと言っても過言ではないだろう。カラヤンの代名詞である卓越した統率力には、やや陰りが見えるものの、隋所に見られる絶妙のレガートや、チャイコフスキーの巧みで分厚いオーケストレーションを豪華絢爛にならすテクニックについては、いささかの衰えも見られない。SHM−CD化による音質改善も好調である。

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     2009/09/06

    もう30年ほど前になるが、その時はマゼールの指揮だったが、クリーヴランド管弦楽団の演奏をコンサートホールで聴いたことがある。演奏自体はあまり記憶に残っていないが、アンサンブルの正確さに衝撃を受けたことを思い出す。クリーヴランド管弦楽団には、マゼールの時代になっても、セルの楽器とも称された偉大な遺産が遺されていたのである。本盤は、両曲ともに、セルの楽器がいかに凄いものであったのかを痛感させられる強烈な名演だ。いずれも、いかにもセルらしい凝縮型の演奏であるが、整然とした一糸乱れぬアンサンブルの見事さ、ヤナーチェクのシンフォ二エッタの冒頭のファンファーレなどに顕著であるが、オーケストラの各楽器があたかも一つの楽器のように聴こえる一体感には、思わず絶句してしまうほどだ。Blue-spec-CD化によって、音質が大幅に向上したことにより、もちろん生演奏のレベルには達しえないが、かつて体験したあの衝撃的なアンサンブルを思い出すことができたのは、本盤の演奏がいかに素晴らしいかの証左であると考える。オーケストラが民主化した今日では、もはやあのような超絶的なオーケストラ演奏を二度と聴くことはできないのだろう。

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     2009/09/06

    本盤が録音された81年と言えば、マゼールがクリーヴランド管弦楽団の首席指揮者の最後の時期で、これからウィーン国立歌劇場総監督に就任という、最も上げ潮の時期である。マゼールのように、演奏スタイルがコロコロ変わる指揮者は、ワルターなど少数であるが、この時期のマゼールは、新しい解釈をしようという意欲が旺盛。したがって、演奏によってはそれが空回りし、いささかやり過ぎの印象を与えるものもあるが、この惑星については、そうした表現意欲と楽曲の曲想が見事にマッチした名演になっている。火星や天王星の終結部のように大見えを切る解釈や、木星の中間部の猛烈なアッチェレランドのように、いかにもこの時期のマゼールならではの意欲的な解釈も散見されるが、造型についてはいささかの弛緩もすることなく、統御が困難と言われるフランスのオーケストラを卓越した統率力でコントロールし、全体として個性的な名演を成し遂げた点を高く評価したい。併録の3つのオレンジへの恋は、ロミオとジュリエット全曲でも名演を成し遂げ、プロコフィエフを得意としたマゼールならではの名演だ。もともと、幾分くすんだ録音であったせいか、Blue-spec-CDによる音質向上効果は、まずまずだと思う。

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     2009/09/06

    リストのファウスト交響曲は、名曲とされるわりには録音の数も限定的であり、ポピュラリティーを獲得しているとは言えない。そのような曲をベルリン・フィルとの最初の録音に選んだラトルの並々ならぬ自信のほどが伺える(数年前にベルリン・フィルの自主レーベルにより、87年のマーラーの第6のライブ盤が発売されたことから、厳密に言うと最初の録音ではない。)。第1楽章と第2楽章は非常に丁寧な演奏というイメージだ。全く対照的な性格を有する両楽章であるが、ラトルの丁寧なアプローチが、両楽章の描き分けを見事に成し遂げるということに繋がっている。第3楽章になると、ここでラトルはエンジン全開。ベルリン・フィルを豪快にならすなど、これまでの鬱憤を全て晴らすかのような圧倒的な迫力で曲想を描いていく。終結部の合唱も実にうまく、ザイフェルトの独唱とあいまって、感動的にこの大曲を締めくくる。演奏後の拍手喝采も当然のことと思われる。ラトルは、その後、ベルリン・フィルの首席に就任し、一時は低迷した時期もあったが、昨年のマーラーの第9あたりから、漸く持ち前の才能が開花し、ラトル&ベルリン・フィルの黄金時代の幕開けが始まろうとしている。本盤の録音当時、ラトルはまだ39歳であるが、現在の栄光を予見させてくれるような名演である。

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     2009/09/05

    カラヤンは悲愴を7度もスタジオ録音したほか、昨年発売された死の前年の来日時のライブ録音、N響とのライブ録音など、数多くの録音が残されている。この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの71年及び76年の録音と、本盤におさめられたウィーン・フィルとの84年の録音ということになるだろう。71年盤はライブのようなドラマティックな名演、76年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、84年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。SHM−CD化による音質向上効果もいつもながら素晴らしい。

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     2009/09/05

    壮年期のホロヴィッツの桁はずれのテクニックと芸術を味わうことができる超名演だ。XRCD化により、モノラル録音ながらおそろしく鮮明な音質になっており、ホロヴィッツならではの超絶的な至芸を存分に味わうことができる。有名なスケルツォ第2番は、冒頭はいささかタッチが弱く、調子が出ないように思われるが、それはホロヴィッツの計算された解釈。中間部の圧倒的なド迫力の力強い打鍵がそれを物語る。それにしても、この桁はずれのテクニックを何と表現すればいいのだろうか。夜想曲は、いずれも自然体の演奏であるが、普通に演奏するだけで、ロ長調、ヘ長調、嬰ハ短調、変ホ長調の表情や性格の異なる各楽曲の描き分けを巧みに成し遂げられるのだから、ホロヴィッツのテクニックは圧倒的と言えるだろう。特に、ポピュラーな変ホ長調など、凡庸なピアニストが弾くと安っぽく聴こえるが、ホロヴィッツの手にかかると次元が異なる大傑作に生まれ変わる。舟歌は史上最高の名演ではないだろうか。緩急自在のテンポ設定と巧みな表情づけ、それらのベースにある抜群のテクニック。もはや評価する言葉が追い付かない。スケルツォの第3番も全体の曲の見通しといい、テクニックといい、テンポ設定の巧みさといい、筆舌には尽くし難い超名演だ。

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     2009/09/05

    パーヴォ・ヤルヴィによるベートーヴェンの交響曲全集の最後を飾る名演だと思う。これまでの8曲の中には、古楽器奏法とかベーレンライター版の楽譜に固執するあまり、いささかやり過ぎの曲もあったが、この第9は、バランスのとれた名演に仕上がっている。第1楽章の冒頭のヴァイオリンはいかにも弱いが、主部に入ると次第にいつものパーヴォ節が全開。ラストのティンパの雷鳴のような轟きは圧倒的な迫力であり、テンポは快速ながら決して荒っぽさは感じられない。第2楽章は、本名演の白眉であり、パーヴォの解釈と曲想が見事に符合。テンポといい強弱といい理想的な超名演。第3楽章もテンポは相変わらず早いが、そのような中で、抒情的な優美な旋律を心をこめて歌い抜く。終楽章は第3楽章の終結部から間髪入れず開始されるが、これはパーヴォならではの独創的な素晴らしい解釈。テンポはこれまでの楽章に比べると、幾分落ち着き、中庸と言ってもいいテンポ設定であるが、決して冗長には陥っていない。独唱もいずれも巧く、合唱陣も規模は小さいと思われるが、十分な迫力を有しており、これらが渾然一体となった演奏は、我々の深い感動を誘う。SACDマルチチャンネルによる高音質録音はいつもながらずばらしく、パーヴォの独創的な解釈を鮮明に味わうことが可能である。

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     2009/09/05

    かつて私は、本盤の英雄の生涯を80年代に発売された初期西独プレスのCDで聴いたことがあるが、あまりのつまらなさに途中で聴くのをやめたのを思い出す。というのも、いかにも晩年のベームの欠点が露呈した硬直化したテンポによる鈍重な印象を受けたからであり、それ以降、私のCD棚に眠ったままであった。ベームの英雄の生涯については、本盤の3年前にバイエルン放響とライブ録音したオルフェオ盤があり、ライブならではの熱気もあって、私はそちらの方を愛聴してきた。しかし、今般SHM−CD化され、音質が向上した本盤を聴いて大変驚いた。そこには鈍重さなど微塵もなく、堂々たるインテンポによる巨匠の至芸を大いに感じたからである。全体にテンポは遅めであり、英雄の生涯を得意としたカラヤンの名演のように、ドラマティックとか華麗さとは全く無縁であるが、一聴すると何らの変哲もない曲想の中に、晩年のベームならではのスパイスの効いた至芸を垣間見ることができる。一例をあげると英雄の業績。ここは、R・シュトラウスの過去の楽曲のテーマが回想されるが、ベームはここで大きくテンポを落とし、主旋律を十分に歌わせながら、ティルや死と変容、ドン・ファンなどの名旋律を巧みに浮かび上がらせており、この老獪ささえ感じる巧みな至芸は、他のどの演奏よりも素晴らしいと言えるだろう。ベームが最も信頼した名コンサートマスターのヘッツェルのソロが聴けるのも、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。併録のワーグナーの2曲も、ベームならではのドイツ正統派の重厚な名演だ。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2009/09/04

    クーベリックとウィーン・フィルの相性は決して良くなかったと言われるが、本盤を聴く限りにおいてはそのような不安を感じさせることはなく、見事な名演を成し遂げている。第3は、ブラームスの交響曲の中でもスケールが小さい曲だけに、まとめるのが困難な曲であるが、クーベリックは重厚な中にブラームスならではの渋い抒情美を兼ね備るという、正に硬軟併せ持つ名演奏を行っている。第1楽章は呈示部の繰り返しを行っているが、それが決して嫌ではなく、どの箇所も血の通った熱い演奏。第2楽章や第3楽章の苦味のある人生の諦観を感じさせるような抒情美の描出はさすがだし、第4楽章のスケールも雄大である。第4の第1楽章は11分で駆け抜けるという、演奏史上でも最速の演奏の部類に入るが、決して性急な印象を与えることはなく、歌うべきところは心をこめて歌い抜くなど、名人の一筆書きのようなとてつもない名人芸。第2楽章の優美さも特筆すべきであるし、終楽章の決してごちゃつかない整理されたパッサカリアの表現も素晴らしい。50年代の録音ではあるが、英デッカの名録音とSHM−CD化によって、かなりの高音質になっていることも、本盤の価値を大いに高めている。

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     2009/09/03

    ブラームスとベームの相性は抜群だと思う。ブラームスの渋い芸風が、これまたベームの華やかさと無縁の芸風と見事に符合。ベームには、この曲をこのように料理してやろうと言う恣意的な解釈は皆無であり、こうしたベームの自然体のアプローチが、ブラームスの芸術の真の魅力を存分に満喫させてくれる。特に第4は、そのようなベームとブラームスの相性の良さを感じさせる名演だと思う。中庸のテンポで、決して奇を衒うことなくオーソドックスな演奏をしているが、平板さや冗長さは皆無であり、ブラームスの音楽の素晴らしさ、美しさ、更には、晩年のブラームスならではの人生のわびしさ、諦観などがダイレクトに伝わってくる。ベームは、その自伝に著しているように、造型を大切にする指揮者であるが、凝縮度は壮年期に比して衰えは見られるものの、全体の造型にはいささかの揺るぎもみられない。一方、第3は、まとめるのがなかなか難しい曲だけに、第4ほどの名演ではないと思うが、第2楽章や第3楽章などには枯れた味わいがあり、いかにも最晩年のベームならではの至芸を味わうことができる。SHM−CD化による音質向上効果も目覚ましく、今後は、第1と第2のSHM−CD化を望むのも私だけではないと思われる。

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     2009/09/02

    第1楽章や第2楽章は、ジュリーニとしては普通の出来。もちろん、決して凡演というわけではなく、ゆったりとした堂々たるインテンポの下、歌心溢れる優美な演奏を繰り広げている。晩年のジュリーニらしさが出てくるのは第3楽章。他のどの指揮者よりもゆったりとしたテンポで、あたかも巨象が進軍するかのような重量感溢れる演奏。そして、ジュリーニの真骨頂は終楽章。これまた誰よりもゆったりとしたテンポで、パッサカリアによる表情が目まぐるしく各変奏を巧みに描き分け、巨匠ならではの老獪な至芸を感じさせる。何よりもジュリーニが素晴らしいのは、これほど遅いテンポをとっても、全体の造型にいささかの揺るぎもなく、決して違和感を感じさせないこと。同様のテンポをとったバーンスタインの演奏では、あまりの遅さに辟易させられたが、ジュリーニの場合には全くそのようなことがないのはさすがと言うべきであろう。悲劇的序曲も、ジュリーニならではの、ゆったりとしたテンポの下、重厚さと優美さの双方を兼ね備えた名演。ウィーン・フィルの演奏は、両曲とも美しくかつ重厚でジュリーニの要求に見事に応えており、オーケストラの指揮者への畏敬の念を感じさせる。

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