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トップ > My ページ > 千葉のアリアドネ さんのレビュー一覧
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5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/05/29
何故デヴューアルバムがこのラインナップ?フィッシャ-自身がライナーノーツで明確に語っている。ハチャトゥリアンは11才で初めて聞いたときから夢の曲だったと。指揮者からも、プロモーターからも演奏に反対され・・・自分は20世紀のヴァイオリン曲で最もエキサイティングなものの一つと思う・・・クライツベルクとの出会いで録音にこぎつけ・・・オイストラッフへの想いと話は続く。まずは最近演奏頻度が落ちていたという名曲を魅力的な演奏で世に出したフィッシャーに感謝したい。共感の強いよく練られた演奏というのが第一印象。オイストラッフ-ハチャトゥリアン(私の聞いたのは54EMI)に比べるとスケール感、濃厚さといったものは後退するが、彼女独自の肌理の細かい叙情に満ちており、この人の派手さのなく、しかしどこかしみじみとした音色が実にマッチしている。バックもロシア人指揮者、ロシアのオケながら爆音爆演とは遠く、独奏のコンセプトにマッチしている。作曲時に近いホットな当事者による演奏と21世紀の若手ドイツ人の中欧寄りにも聞こえる演奏と、遅れてきた国民楽派ともいえるハチャトゥリアンの演奏を今日どう聴くか是非聴き比べをお勧めしたい。グラズノフ、プロコフィエフについても楽しく聴き、考えるところ大であった。クライツベルグの急逝には驚いた。02年11月富山でチェコフィルとの新世界を聴き、期待の持てる人と思っていたのだが実に残念。フィッシャーもさぞ心痛のことだろう。ご冥福をお祈りしたい。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
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4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/05/22
実演を聞いてみたい!と心から思いました。シベリウス。じっくりとしたテンポで引き進めていきますが、これは大変なことですよね。ゆっくりしたテンポで充実を感じさせこそすれ、だれた感じにならないのは。細部にわたって丁寧に、豊かなニュアンスで弾かれていること(魅惑的な表情を付けるとかいうのではなく、「音楽的」としか言いようが無いように思うのですが)、そして何より曲の構造をしっかり見通しているからではないでしょうか。しっかりとした、幅のある音で、強奏部でもゆとりがあって妙にきつい音にならない、これも魅力です。うまく言えないのですが、ヴァイオリンという楽器の「魅力的な鳴らせ方」を知っている感じがします(これは私の場合、最近の演奏家から余り感じたことがないのですが)。「クール」でしょうか。私はこの人の音楽を真正面から組みたてていく熱、強さを強く感じましたけれど。少々聞きなれた演奏と違うという感を持たれると思いますが、恣意的とか自分流にねじ伏せたという風には全く思いませんでした。サロネンの指揮は妙に音がこもっている様に思ったのですが(録音のせい?)いかかでしょうか。シェーンベルクも面白く聞きましたが馴染みのない曲なのでノーコメントとします。スケールの大きく、音楽の深い「真の大家」へと成長してくれることを切に望み、応援したいと思います。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/05/22
前から関心のある演奏で、さて買うかと思ったら「無い」。まさかカラヤンの中でも名盤とされているCD(しかも正規録音はこれ一種)が廃盤?と驚いていたところ嬉しい再発のニュース。早速購入した。やはり面白かった。フィデリオといえば、これも名高いベームとの比較で、カラヤンの特色を一口で言えば、妙な言い方だがよりオペラティックだということになるのではないか。言うまでもなくベームも生粋の劇場人であり、その特性はオペラにこそより表されたと思うけれども、ベームの場合は「普通のオペラでないフィデリオ」の「普通でない」という部分により比重がかかっている感がある。流れが「滑らか」なのは(滑らかにしている)のはもちろんカラヤンで、この曲のオペラとして「出来の悪い」あるいは「不都合な部分」を上手くまとめて「聴き易く」また「美しく」している。ベームがそうした不器用な形の中からベートーヴェンが表したかった理念をひたむきに追及していくとは対照的に。しかしカラヤンもそうしたスタイルの中でベートーヴェンの求めたものを表し得ているのではないだろうか。歌手はデルネッシュにはやや不満。ヴィッカースはややくせがあるが力演。フルトヴェングラーやバーンスタイン(この曲では好みではないのだが)にも言及したかったが、紙数が尽きた。フィデリオを考える上では必聴の盤としてお勧めしたい。それにしても日本に縁の深いまたは人気のある大指揮者達がこぞって名演を残しているフィデリオ、日本での人気がもう一つなのはどうしたことか. .
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/05/22
待望の復活。特にベートーヴェンは90年代には国内盤でも見かけたものの、ここのところ入手不可能で私も初めて聞いた。まず「未完成」について。この曲が「感傷的な美しい曲」ではなく、「恐ろしい曲」だと思い知らされたのはベーム、VPOの来日公演(75.3.19)だった。絶壁の上に立つがごとき深い孤独と恐怖、その中の一条の明かりと祈り。VPOの求心的なアンサンブルの生み出した音楽の凄味は今もDVDでしっかり味わうことができる。そのベーム晩年の深みに対し、当盤は壮年期のベームの知情意のバランスの良さが前面に出た良さがある。傾向としてはBPO盤(66年)に近いが、往時のVPOの威力は絶大で、音楽の情感をましている。ワルター盤とならんでベストセラーだったというのもむべなるかな。シューベルトの5番は4種のセッション録音のうち2番目のもの。名盤として名高い構成感の美しいBPO盤(66)、最晩年の滋味あふれるVPO盤(79)もそれぞれ忘れがたいが、シューベルトの青春の交響曲(早熟とは言えまだ19才)にもっとも似つかわしいのはこの演奏ではないだろうか。幾分「古典派的」なこの曲のポジショニングに、壮年期のきりっとしたベームの持ち味と、芳醇なVPOとのブレンドがピンポイントで合致した名演。ベートーヴェンもこの時期のベームらしい構成感の明確な演奏だが、この曲ではもう少し流動感が欲しいところ。ところで「21世紀には忘れられる」などという輩もいる中、ベームのCD等の「現役件数」は当HMVで400件を越えており(参考までにカラヤンは1000件超、バーンスタインは600件、400件台はアバド、アーノンクール、小澤は300件台、ムーティー、ラトルは200件台-多い人が偉いという訳ではありませんが)、新規音源すら登場するのは嬉しい限りだが、ベームの芸術を語るうえで欠かすことのできない50年代の名録音が数年前に比べて入手しづらくなっているのは大問題。特に「ブラームス2番」、「ミサ・ソレムニス」、「影の無い女」は特に重要(オークションにも稀にしか出ず高値取引されていることはご存じの方も多いだろう)であり、没後30年を迎える今、早急に再発売をお願いしたい。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
8人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/05/22
「このハイドンは愉しい」。(ハイドンはつまらないなどと考えておられる方がいらっしゃったら是非お勧めしたい)。例えば「驚愕」。第二楽章、中間部分、木管の味のある表情の後、第一主題が全奏で帰ってくるところのにぎにぎしい喜ばしさ(ヨッフムのことだから法をこえることはないが)、 第三楽章メヌエットの舞踏感覚の愉悦感、第四楽章の颯爽とした躍動感、ティンパニはドロドロっとしっかり鳴り響き・・・ 「時計」第二楽章、これはいい朝だな、よいテンポ(クレンペラーではちょっと起きづらい-いい演奏だけれど)、爽やかな明るさ。第四楽章は快活に金管はにぎにぎしく。真面目、誠実というイメージがあるヨッフムだが、ハイドンとはよほど相性が良いのだろう。積極的な音楽の運びと、朴訥な中の巧まざるユーモア感覚が何とも魅力的だ。LPO(特に木管楽器)の健闘も讃えたい。確かに技量の面ではBPO並みとはいかないが、敬愛する指揮者の意向を完全にくみ取り、魅力的なハイドンを描き出した〔ヨッフムは75年にLPOの桂冠指揮者に推挙され、両者の関係は、ブラームス(76)ベートーヴェン(76-79)の名演へ続く〕。両者の間からたちのぼるどこかしみじみとした情感。「このハイドンは温かい」
8人の方が、このレビューに「共感」しています。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/04/02
演奏の素晴らしさについて付け加えることは何もありません。ベームとともに20世紀中葉の代表的演奏として(両者の違いと共通性も面白いテーマですが)、博物館的観点からではではなく、人々に感動を与えるものとして長く聴き継がれることでしょう。モダン楽器のモーツァルトは「古い」などという「風潮」に惑わされずに是非お聞きいただきたい。筆をとったのはSONYのワルターへの「冷遇」に対する憤りから。このCDも「ライセンス生産」?最近のMASTERS BOX SETなど実に好企画と思いますが、ワルターが一向に取り上げられないのは何故?是非主要録音を新リマスターでセット販売して欲しい(ワルターに限らず、DGの往年の名盤の殿堂「COLLECTORS EDITION」の様に常時販売で)。廃盤で手に入らない訳では無いけれど、現状は揃えにくい。私同様待っている熟年ファンも多かろうし、若いファン獲得にもなると思うのですが(SONYさん既に企画中でしたらごめんなさい)。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/03/21
ベームの公演記録をみて、前から気になっていた演奏だった。CD化されれば是非聞いてみたい・・・。周知のとおりベームには綺羅星のような歌手陣を擁するバイエルン放響とのセッション録音(71年DG)がある。これは晩年モーツァルトに傾斜したシュトラウスの音楽の巧緻と、ベームの古典的なシュトラウスへのアプローチが合致した、格調高い名盤中の名盤だが、この曲想だけにVPOで聞いてみたいとの思いは断ち難いものがあった。想像通り音は悪かった(エアチェック音源だろうか)。しかし聞き進めるうちにシュワルツコップフを初めとした歌手陣の熱唱と(凄いメンバーだ)と何よりオケの演奏に圧倒されてしまった。ベームも甘さ一辺倒にならないよう手綱はしっかり締めているのだが、この艶、そして立ちのぼる「香り」。やはりピットのベームは二味違う。緩急の巧みさと熱のある、しかし自然な盛り上がり。有名な「月光の音楽」のむせるような香りと熱と哀愁!(最初アンサンブルが粗いが)。現場に居合わせることができればどんなに幸福な時が過ごせただろう。条件が整ったCDとはお世辞にも言い難く(それでもGolden Melodramには感謝)、正規音源登場を願いたいが、演奏の価値に鑑み、シュトラウスファン、ベームファン、出演歌手のファンに限定して星四つ。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/03/21
20番屈指の名盤といわれながら入手できない時期が続き、やっと出会えた感がある。最後のヴィルトゥオーゾとも呼ばれたボレット最晩年(73才、19世紀末ロマン派スタイルの巨匠ともいわれたが生年は1914年)の録音。ボレットは2年後に他界している。ヴィルトゥオーゾといっても有名なリスト作品集などに聴く晩年の演奏は、バリバリ弾くまくるスタイルからは遠く、大きなスケール感の中で作品の抒情を味わい深く聞かせるタイプのもので、ここでもそうした演奏姿勢〔来日時のラフマニノフの3番(N響)もそうした感じだった。アンコールのショパン!〕。誌的でドイツのロマンを感じさせるケンプ、シューベルトの内面に肉薄する内田光子等優れた演奏も多い20番だが、慈父の様なまなざしで作品を、そして31才のシューベルトの孤独を遠くから大きく包み込むかの様なこの演奏の価値は揺るがない。ピアノの音の純粋な美しさ(特に高音)が効果をあげている(ボレットというとベヒシュタインというイメージがあるが、ここではボールドウィンを使用とのこと)。もっとボレットのシューベルトが聞きたかったとつくづく思う。入手し安い価格でもあり、特にシューベルトの後期ピアノソナタを聞いたことがない方に是非お勧めしたい。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/03/21
第二のオルフェウス-ケンプはこの全集に寄せた小文「The Piano Sonatas-Schubert’s hidden treasures」(原文独語)の中でシューベルトをこう称している。 60年代にはまだまだ「隠れた宝」であったこれらの作品群を世に出すことに、当盤の貢献はまことに大であったとされるが、それもケンプの卓越した解釈が多くの人に作品の真価を知らしめたからだろう。「これらの作品はシューベルトの極度に傷つきやすい魂の独白であり、ピアニッシモで内面の秘密を啓示する」とケンプは述べている。この言葉は詩的でインスピレーションに満ち、かつ作曲者に温かく寄り添うがごとき当演奏のベースなのだと思われる。弱奏部における叙情の深さはとりわけ印象的。13、15、19、20番が特に印象に残ったが、初期の曲や、有名でない曲にも多くの聴きどころがあることも大きな発見だった。初期といっても1番(D157)は魔王(1815作曲)の年、4番(D537)は交響曲5番(1816)の翌年の作。ソナタとしての完成度はいまだしでも「うたごころ」に満ちているのは当然かもしれない。ケンプの後にも、強い構成力と深い叙情の中からシューベルトの真実を探るリヒテル、作曲者の孤独な内面を徹底して掘り下げようとする内田光子などすぐれたシューベルティアンが存在するが、聴者の心に真っ直ぐに訴えかけるこの素晴らしい演奏はこれからも多くの人の心の糧になるに違いない。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/03/15
オペラ放送にはよく目を通す。オペラの今を知り、楽しみたいと思うから。しかし裏切られる事まことに多い。奇怪な演出、非力な歌手、凡庸な指揮・・・。今回は違った。クライバーも良い。オーソドックスな演出でバルツァ・カレラスの熱唱が聴けるレヴァイン-MET盤も良い。だがこの映像は正しく2010年収録という今に生きるカルメンだ。 さて「カルメン」とはどういう女性か。この役は嫌いだと60年代に語ったのは真面目なルートヴィヒだ。70年代に入り「自立する自由な女性」と言ったのはアバド盤のベルガンサである(いかにも「70年代」!演奏も歌唱も性的アピールは抑制されている)。ではガランチャのカルメンはどうか。音だけで聞くならバルツァのほうがより奔放で強烈だが、性と死を強くイメージさせるエアーの演出にのって、迫真のカルメン(今日風に言うなら肉食系?)を描き出している。抜群の演技力!(ダンスの能力、センスも素晴らしい。2幕冒頭に注目。ゲオルギューやボロディナも同じように踊ったのか?)。アラーニャも熱唱(太りましたな)。カルメンと対抗する強いミカエラを目指したフリットリも良いが、もう少し若作りのメークでも。エスカミ-リョは少々迫力不足(マッチョを目指さないという演出の意図もあったようだが)。最後にセガンの指揮。早めのテンポを基調に煽るところは存分に煽りこのオペラのドラマのエネルギーを十分具現化している。シンフォニーでも急速に名を挙げている新鋭だが、オペラにも多くの力を注いで欲しいものだ。この映像が今日のカルメン演奏に関する新たな議論の契機になることを期待して筆を置く。
8人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/02/13
バックハウスやケンプの向こうに、シュナーベルという大家がいることは若い頃から知っていたが、その存在は遥か彼方に感じられた。LP時代、東芝EMIのGR(Great Recording)シリーズは偉大な演奏の宝庫だったが、値段はステレオ盤並み。全集など思いも及ばなかった。それが当時の廉価盤1枚分のお値段で手に入るとは感慨無量。さて演奏だがとにかく面白かった。規範とも、新即物主義の先駆けも言われるが、最初に驚くのはそうした言葉からは連想されざる、時に見られる急激なアッチェランドと、緩急差の大きなテンポ設定ではなかろうか。アッチェランドといっても、フルトヴェングラーの情念と構造への洞察から湧き上がるようなものというより、「楽曲のつくり」への深いまなざしから発生するような感を与えるもので、息の長いフレーズ処理と相まって大変な緊張と流動感を生み出している。バックハウスを構造的、建築的で、大きな山容を思わせる様なベートーヴェンとするなら、シュナーベルは時に激しく、時に抒情的な(緩徐部分の美しさと優しさ!)大海の様でもある。古臭いどころか、全編これ発見に満ちたベートーヴェンの世界への旅を続けられたが、やはり感銘が一番深かったのは後期ソナタだろうか。資料としてではなく、最高のベートーヴェン演奏の一つとして広くお勧めしたい。
15人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/02/05
本当に待望の復活である。一聴するとこの楽団はABQなどとはまるで違う無骨な音で、真っ直ぐ構造的に音楽の核心に迫っていくが、それはドライでも、増して無味乾燥でもない。すぐに聞き手は強い緊張感に支えられた「強靭で熱い響き(ずしりとした低音、輝かしい高音)」から、曲の姿がくっきりと描き出されるのを目の当たりにすると同時に、その時々の作曲者の想いへの深い共感を味わうことになる。こうした様式が中期の曲に威力を発揮するのは当然だが、今回特に後期の演奏の「強く、深く、荘厳な美しさ」に打たれた。ともすれば難解とされる後期の曲の高みへの絶好の道しるべとなりうるだろう(正直後期の曲にこんなに「入れ込んだ」は初めてだ)。気になるのは当盤が限定盤と銘打たれていること。この値段で売り続けてくれとは言わない。だが是非5千円を切る価格でレギュラー盤化して欲しい。20世紀のベートーヴェン演奏の一つの最高峰を、これから音楽ファンになる若い皆さんも聴き続けられる様に、と心から願うから。
15人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/01/30
Documentsレーベルのセット物は内容の優れたものが多いが本盤もその例に漏れない。51年のハフナーを除けば全て戦前の録音(音は諸氏ご指摘の通り聞きやすい)。ベームがドイツ期待の若手指揮者としてドレスデンのオペラの監督に収まり、R.シュトラウスの重用も受け最も充実した活動を行った時期から、ヴィーンとの関係を深め第一回目の歌劇場監督に就任する頃までの主要録音がかなり収められている(Profilから復刻されているものを合わせれば捕捉率は相当高くなる)。ギーゼキングやシゲティらとともに「新即物主義」の旗手など称された当時のベームであるが、音楽を真摯、謙虚に構造的にとらえる視座というものは当時も晩年も共通と考える。もちろんここには40代のベームの瑞々しい息吹が満ちており、その清新、溌剌とした音楽の運びは何とも魅力的だ(例えばシューベルトの5番をお聞きいただきたい)。こうした傾向はドレスデンの録音に顕著であり、VPOとの録音では後年の演奏に通じる面がかなりあるところが面白い。ステレオ時代は多くはなかった協奏曲の録音も興味深い(バックハウスとの1回目のブラームス2番、フィッシャーとの皇帝のフルトヴェングラー盤との比較等々)。ベームという大指揮者の原点、若き日の魅力的な演奏と言うにとどまらず、それぞれの曲の演奏史を考察する上での好個の資料とも言え、価格の安さもあり、広く皆様にお勧めしたい。
最初に音質の驚異的改善から報告しなくてはならない。この時代のライブ録音としては最上級の出来栄えではなかろうか。丁寧な作業から鮮明に浮かび上がったのは、まず歴史的公演の恐るべきテンションの高さ。指揮者、歌手、オケ、合唱の気迫が音からひしひしと伝わってくる。また適度に拾われている舞台上の音が、興奮に満ちた舞台進行を髣髴とさせ、臨場感を今の聞き手に与えてくれる。次にあげるべきは「ウィーンのベートーヴェン」の美しさ。ベームが低音をえぐりつつ、弦に高音を輝しく強奏させ、立体的、かつ美しくも強靭な響きで音楽を構築していく様子は、今回のCD化で初めて明らかになった。解釈の基本はベルリンやドレスデンでの録音と同じ路線にあるが、しなやかさ、美しさを増した当盤の魅力は大きいものがある。第一幕では緊張のあまりやや固さにつながる部分もあるのだが、第二幕からは乗りに乗った感があり、自然ながら自由自在なアゴーギクで興奮を呼んでいく。レオノーレ第3番(一体何人の人がブラボーを叫んでいるのだろう)から終幕については圧巻という他は無い。歌手陣については、デルモータ(モーツァルト歌いの彼はベームの抜擢に驚愕したそうだ)は声に迫力はないが美演。メードルは高音の早いパッセージはやや苦しそう。シェフラーは品格ある歌い手だがややワルの要素には乏しいなど望む点が無くはないが、記念碑的公演の記録に留まらず、一級品のフィデリオの演奏として、永く語り伝えられる価値を持った名盤の登場と言える(いったい何故正規盤がこれまで出されなかったのか不思議でならない)。早いものでベームも没後30年。これまでOrfeoのおかげで随分ライブのベームを聞かせていただき、感謝に絶えない。今後もまず65年のローエングリン、エレクトラ(いづれもヴィーン国立オペラ)の正規CD化を強くお願いしたい。
12人の方が、このレビューに「共感」しています。 2011/01/23
聴いて深い後悔の念に襲われた。何故ヤナーチェックのオペラをこれまで聞かなかったのか。特に「女狐」、「死者」には比類ない感動を受けた。人間への深いまなざし、自然と人間との関わりを、全く斬新な語法で「語る」ヤナーチェクの神髄は、間違いなくオペラにある。「シンフォニエッタ」が気にいった人は勿論、ダメだった人に是非聞いて欲しい(オペラの方が聞きやすいと私は思う)。演奏も素晴らしい。古典でピリオド奏法を取り入れているマッケラスは、ここでもスリムな音づくり(例えば「タラス」でのクーベリックとの比較)。マッケラスの鋭さがヤナーチェエクの革新性に通ずる一方、VPOの情感が音楽をしっかりと「中欧」に繋いでいる。両者がかけあわさったところに生まれる音楽の美しさ、新鮮さは比類が無い。対訳なしでは困るという方に好情報。「日本ヤナーチェク友の会」が各曲1,500円で主要オペラの対訳を頒布している他、アマチュアの方々が取り組まれている「オペラ対訳プロジェクト」でも「女狐」「マクロプロス」の対訳を入手することができる。それぞれホームページをご参照いただきたい。
12人の方が、このレビューに「共感」しています。
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