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検索結果:164件中1件から15件まで表示
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2人の方が、このレビューに「共感」しています。 2023/05/04
「ワルキューレ第1幕」と「ジークフリートラインへの旅」について、キングレコードが発売した国内初期盤及び、2016年本家から発売されたシングルレイヤーSACDと比較した。まずは国内初期盤だが、これは国内LP用のセイフティーマスターからストレートにデジタル化したものと思われ、加工が少なく素朴なサウンドは悪くはないが、当時のデジタル機材の性能限界やテープの劣化によると思われるトランジェントの甘さや、高域の特性の低下が気になる。一方のSACDは、ヒスノイズをきれいに除去するとともに、丸くなった高域や緩んだ中低音域をイコライジングで引き締め、たっぷりと収録されていた演奏ノイズまで丁寧に取り去ることで、いかにも現代人好みなサウンドに生まれ変わっており、長年このアルバムを愛するファンとしては、オリジナルテープの持つ情報を最大限尊重しつつ、経年劣化を補うため最低限のマスタリングを施した第三の復刻を待ち望んでいたところであった。そしてこの期待に対して、今回の平林復刻盤(2023年)は見事に応えてくれた。バックグランドのサーというヒスノイズはもちろんのこと、各所で聞えるゾフィエンザールの床や椅子のきしみ音、さらには楽員が楽器を構えたり、楽譜をめくる際に発する音がそのまま残っているのは、過度なノイズリダクションを行っていない証拠だし、新鮮で一種の軽さを伴う解放感あふれるサウンドは、オープンリールデッキの再生音そのものだ。唯一不満を探し出すとすれば、「なぜSACDを併発しなかったのか」であるが、本CDの素晴らしいサウンドを前にすれば些細なことでしかないだろう。最後に平林さんに質問!「プロ用の機材」って何をどう変えたのですか?
2人の方が、このレビューに「共感」しています。
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3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2023/05/04
「ワルキューレ第1幕」と「ジークフリートラインへの旅」について、キングレコードが発売した国内初期盤及び、2016年本家から発売されたシングルレイヤーSACDと比較した。まずは国内初期盤だが、これは国内LP用のセイフティーマスターからストレートにデジタル化したものと思われ、加工が少なく素朴なサウンドは悪くはないが、当時のデジタル機材の性能限界やテープの劣化によると思われるトランジェントの甘さや、高域の特性の低下が気になる。一方のSACDは、ヒスノイズをきれいに除去するとともに、丸くなった高域や緩んだ中低音域をイコライジングで引き締め、たっぷりと収録されていた演奏ノイズまで丁寧に取り去ることで、いかにも現代人好みなサウンドに生まれ変わっており、長年このアルバムを愛するファンとしては、オリジナルテープの持つ情報を最大限尊重しつつ、経年劣化を補うため最低限のマスタリングを施した第三の復刻を待ち望んでいたところであった。そしてこの期待に対して、今回の平林復刻盤(2023年)は見事に応えてくれた。バックグランドのサーというヒスノイズはもちろんのこと、各所で聞えるゾフィエンザールの床や椅子のきしみ音、さらには楽員が楽器を構えたり、楽譜をめくる際に発する音がそのまま残っているのは、過度なノイズリダクションを行っていない証拠だし、新鮮で一種の軽さを伴う解放感あふれるサウンドは、オープンリールデッキの再生音そのものだ。唯一不満を探し出すとすれば、「なぜSACDを併発しなかったのか」であるが、本CDの素晴らしいサウンドを前にすれば些細なことでしかないだろう。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2020/06/10
クライスレリアーナは昔から好きで、これまでにも数多くのディスクを聴いてきたが、アファナシエフ盤が出た時には、本当に腰を抜かさんばかりの衝撃を受けた。アファナシエフ全盛期の超絶技巧は悪魔的ともいえる凄みを有しており、ピアノが壊れんばかりの強靭なタッチ、ノンペダルの多用、スコアの速度表示や強弱表示には極めて忠実でありながら、それを表示以上に強調する過剰なまでのコントラスト表現は、若きシューマンの狂おしいほどのクララへの愛と、数年後に発症する精神病の予兆とを容赦なく曝け出す。さらに恐ろしく生々しい録音(DENONのゲルハルト・ベッツの最高傑作録音だ)がこれを助長する。この演奏のインパクトがあまりに大きかったため、無謀にも自分でも弾いてみようとスコアを買い練習に励みだしたが、自身で(たどたどしく)弾くようになって分かったことは、アファナシエフのような弾き方は、本当にごまかしがきかず、ピアニストの力量(指の回り、解釈、表現力、音楽性)があからさまになるということであり、他の多くの演奏にはいかにごまかしが多いかということだった。巷ではソフロニツキーの評判が高く、確かにデモーニッシュな表現力においては圧倒される部分も多いが、本盤と比較するとテクニックの弱さと録音の悪さは致命的だ。
1人の方が、このレビューに「共感」しています。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。 2020/06/10
4,5番と6番は2004年にSACDが発売されており、2017年には3番を除いてペンタトーンのリマスタリングによるSACDも発売された。DGによる過去のアナログ音源のリマスターは、過度の残響が付加されたAMSIは別にして、OIBPの時代においても、自社エンジニアがエミールベルリナースタジオへ移った後においても、LP盤で聞かれたソリッドなサウンドを目指した音作りが特徴であり、その方針は今でも変わっていない。2004年のSACDと今回のシングルレイヤーを比較しても、音質差は極めて少なく、敢えて言うならば、高弦の刺激感が新盤の方が若干少ない程度だ。一方ペンタトーンリマスターでは、高域のイコライジングとアンビエンスマイクのミキシングバランスが異なっているためであろうか、高弦やトランペットの硬調感がさらに緩和され、当時のDG録音に決定的に不足していた音場感も豊かだ。残りの3番がペンタトーンでSACD化される気配が無い状況下で、本アルバムを少しでも良い音で楽しみたいコアなクーベリックファンにとっては、悩ましい選択を強いられることになりそうだ。
7人の方が、このレビューに「共感」しています。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。 2020/06/08
ショルティッシモCD発売時にハイビットリマスタリングが施されたものの、その後の上位フォーマットでの発売はハイレゾ配信しかなかった。拙宅の再生環境ではディスク再生の方がハンドリングの面で便利なので、SACDが先に発売されていたら絶対に購入したであろうが、既にハイレゾを持っているので今回は購入を見送ることにした。このようなユニバーサルの気儘な発売計画にはいつも疑問を感じるが、録音は御大ケネス・ウィルキンソン円熟期の傑作で、アシュケナージもショルティも脂が乗り切った時期の演奏だ。ピアノの超美音とオケのパワーが、ウィルキンソンのマイクの下で幸福な出会いをもたらしている、永遠のベストバイアイテムだ。
6人の方が、このレビューに「共感」しています。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2020/05/22
複数の会場でのライブを寄せ集めてアルバムを作る際、一昔前のDGであれば、サウンドを出来るだけ均一に揃えるべく、後付けエコーも辞さない過剰ともいえる編集が行われたものだが、今や、曲間の暗騒音こそ違和感なくつなげてはいるものの、収録場所毎のサウンドの違いには手が加えられていない。スペイン及びドイツでの収録では、ホール最前席で聞くような距離感で、ピアノのサウンドはクリアで客席ノイズもたっぷりと収録されているが、ワインヤード型の新しいホールで収録されたスペインライブでは、やや高域が細身でメタリックな傾向が強いのに対して、シューボックス型の歴史的ホールで収録されたドイツライブは低域の量感が増し、高域もマイルドであり、両者の違いは結構大きい。もう一か所のイタリアライブは、石造りの教会で行われているが、長い残響で直接音がマスキングされることを避けるため、ピアノに近接したマイク主体でミキシングされており、ピアノの真ん前で聞くような距離感で、音色は中音域がカマボコ型に膨らみ、客席ノイズも遠く、前二者と比較すると全く異質のサウンドだ。 本来であれば、マイクが拾ったサウンドを極力そのままの状態で製品化することは、録音品質上は非常に好ましく、ソコロフの変幻自在なタッチとダイナミクスの変化を、リスニングルームで居ながら体験できるのは極めて貴重でありがたい半面、今回のような「寄せ集めアルバム」では、曲毎に音が異なるというデメリットもある。ベートーベンのソナタ、バガテル、ブラームスの小品集でそれぞれ音が変わるのはまだ許せるが、後半のアンコールでコロコロ変わるのは素直に喜べないことも事実だ。 曲集又は曲毎の終わりに拍手を入れているので、制作サイドとしては、一晩の演奏会の再現を意図したと思われるが、それならせめて昔のようにサウンドの統一性も考慮してほしいところだ。(昔のCBSのホロヴィッツのアルバムがこういう造りだったので、ソコロフの神格化もホロヴィッツの域に達したということかもしれないが)。 ちなみに、今回はソコロフとしては初のハイレゾ音源も同時配信されている。ハイレゾ再生は、ミクロディテールの再現性においてCDを遥かに凌駕しており、早いパッセージでの爪音や、ペダルを踏むときの超低域ノイズがより明瞭に聴き取れる上、聴衆の咳やホールの暗騒音までもが非常に生々しく感じられる。CDには付録のDVD画像データ無しで5,000円という値段には疑問符がつくが、ここはヨーロッパまで生を聴きに行くことを考えれば安い出費だと考えるべきで、CD&DVDを既に購入されたソコロフファンにとってはマストバイだ。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2017/09/20
場所も年代も異なる寄せ集めライブとは言え、過剰なマルチマイクと過剰なポストプロダクションにより、セッション録音と区別のつかない均一な仕上がりにすることはわけも無いDGのことであるし、通常CDに加えSHM-CDにアナログLPと鳴り物入りでの登場だったので、大きな期待を抱きながらCDをトレイに乗せたが、スピーカーから流れてきたサウンドは客席ノイズにまみれ、ピアノの音像、音質、Dレンジ、Fレンジは曲毎に異なり、中には膝上隠し録りレベルの品質のものまである体たらくだ。RCAレーベルではトニー・フォークナーらによる優秀録音を次々と生み出していたキーシンだけに、アルバムの音質には相当こだわっていたのではと思い込んでいたが、その後のEMI、今回のDGと録音品質は下がる一方で極めて残念だ。演奏はソナタは全滅で、32の変奏曲だけは壮絶な名演だ。
4人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/10/01
ネルソンス&BSOのショスタコーヴィチシリーズがきっかけで最近のショーン・マーフィーの仕事を調べていたら偶然本ディスクがマーフィー録音であることを知り早速購入した。ご存知の方も多いと思うがショーン・マ−フィーの録音の特徴は、デッカのジョン・ダンカーリー録音に代表される、シネマスコープを思わす広大なサウンドステージ、楽音とホールレゾナンスとの巧みなブレンド、さらには羽毛を拡大鏡で覗いたかのような繊細で柔らかなディテール再現に加えて、同じくデッカのケネス・ウィルキンソン録音に代表される、個々の楽器のソリッドな実在感と底無しのパワー、そしてサウンドステージの隅々までクリアに見渡せるトランスペレンシーを併せ持つもので、「現代最高の録音」とはマーフィーのために用意された言葉といえる。一方、シカゴのオーケストラホールといえば、1904年の建設当初から音響的に評判が悪いホールであり、歴史的に何度も部分改修が行われてきたが、97年10月には造り変えに近い大規模改修工事が行われ、ルーフ高さとステージの幅、奥行きが大幅に拡大された。しかしながらその結果もけっして満足できる域には達しておらず、ドライでソリッド過ぎる音響こそ多少は改善されたものの、欧米の名ホールのような豊穣なレゾナンスは得られなかった。ちなみに大規模改修工事前のホール音響の特徴は、デッカのジョン・ダーカーリーが95年に収録したショルティのバビ・ヤールに顕著に表れている。この録音もオーケストラホールのキャラクターをありのままに原寸大でリスナーの前に届けてくれる優秀録音であるが(豪エロクァンスで今でも容易にCDの入手が可能だ)、ここで聞かれるホールの残響はまるで日比谷公会堂のようにデッドで、ステージ上のオーケストラの奥行きは浅く、個々の楽器のサウンドは溶け合うことなしにダイレクトにリスナーの耳に飛び込んでくる。 さてマーフィーによる本ディスクであるが、けっして豊かでないオーケストラホールのレゾナンスは最大限取り込まれており、楽音とのバランスや溶け合いもナチュラルだ。また、大きく拡大された半円形のステージのパースペクティブ再現も申し分無く、個々の楽器は継ぎ目無く定位し、相互の位置関係も間違いようがない。実演奏のDレンジは明らかに圧縮されてはいるが、ppは痩せず、ffのパワーはいささか削がれることはなく、往年のデッカの名エンジニア達が録音中にリアルタイムで操作した卓越したフェーダーテクニックを思い起こさせる。唯一の不満は、打楽器の立ち上がりスピードや、ホルンやトロンボーンのパワー感だが、これはホールの音響特性に起因するものだと考えられる。とはいえ本ディスクが改修後のオーケストラホールで収録された全てのディスクの頂点に位置する優秀録音であることに異論を挟む人は居ないと思われる。ムーティのロミジュリにはフィラデルフィア時代のEMI録音もあるが、指揮者の円熟、オーケストラの技量、そしてマーフィー録音というスリーカードが揃ったこの新盤の魅力に魅せられない人など居るのだろうか?
9人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/09/15
本ディスクは近年のクラシック優秀録音の中でも特筆大書すべき超ハイファイサウンドであり、対象をクラシック録音史全域に広げても頂点の一角を形成することは間違いない。それもそのはず、サウンドエンジニアとしてクレジットされているのはショーン・マーフィーだ(ボストンの公共ラジオネットワークWBURのHPに本録音での彼の姿が掲載されている。検索サイトでWBUR、shawn murphyと打ち込めば容易に辿りつける)。まず全てのリスナーは、第9番冒頭の弦楽合奏の最初の一音だけで、スピーカーの前に忽然と現れる原寸大のサウンドステージと、楽器やホールレゾナンスのリアルさに腰を抜かすことになる。そして最初の瞬間こそ、まるで異次元にワープしたかのような非現実的な感覚に戸惑うものの、やがてこの録音がマーフィーが信奉するDecca往年の名エンジニア、ケネス・ウィルキンソンのベストフォームすら凌駕するパワー、遠近感、トランスペアレンシー、ディテール解像度を有していることに気付き始めるに違いない。ブックレットには録音時のステージの一部の写真が掲載されているが、当然ながらライブの制約により、マーフィーお気に入りのノイマンのヴィンテージマイクは用いられていないし、デッカツリーに則ったマイクセッティングもなされていない。何よりオーケストラの配置変更は絶望的だ。しかしながらここで聴かれるサウンドはライブの制約を一切感じさせないばかりか、マーフィーがアビーロードスタジオでセッション収録した一連のスターウォーズサントラすら易々と超えた仕上がりとなっている。ここで、例によって月並みな語彙を集めて録音の素晴らしさを述べたとしても、この録音の凄さは絶対に読者に伝えきれないと思うので差し控えるが(失笑)、敢えてマーフィーの神業を二つだけ紹介させて頂く。一つ目は、ライブ以上の臨場感だ。本録音は最後に盛大な拍手が入る正真正銘のライブ収録だが、最近のライブ録音の常として客席ノイズはきれいに除去されるが、その際暗騒音成分のみならず、ホールトーンや楽音のディテール情報までもが失われ、のっぺりとした生気のないサウンドに化けるのが常だが、マーフィーはシンフォニ−ホールの豊かなホールレゾナンスを十二分に取り込むと共に、フルート奏者の生々しい息継ぎを初めとする演奏ノイズを余すところ無く収録することで、生以上に臨場感溢れるコンサートプレゼンスの再現に成功している。二つ目は、ライブ以上のパワー感だ。近年フェーザー操作やリミッター/コンプレッサーを用いずに生のDレンジをそのままディスクに収める「原音Dレンジ」を売りにした録音が多く、こうした録音では「トゥッティでボリュームを合わせるとppは痩せ細るか或いは全く聞こえない」といった事態に陥りがちである。しかしマーフィー録音では(いかなる操作が行われたかは知る術がないが)、再生途中でボリュームを動かす必要性は全く生じなかった。ラトルのベルリンフィルライブがトーンマイスターによる不自然な音量操作でリスナーの耳を傷めるのとは何たる違い!デジタル録音を取り巻く技術がいくら進歩しても、音の良し悪しを決めるのはサウンドエンジニアその人の技術とセンスであることを改めて実感した次第である。ネルソンスとBSOの演奏は極めて洗練されたスマートなもので、秋風のような爽やかさが特徴だ。人によっては「今更若手現代路線のショスタコなんて」とか「もう何種類もの名盤を所有しているから」と言って本ディスクを敬遠する向きも多いと思われるが、こんな理由でマーフィーによる超ハイファイサウンドの魅力に出会う機会を逸することはあまりにもったいない話だ。いずれにせよ、メジャーレーベルのクラシック録音にもその仕事範囲を拡大したショーン・マーフィーの今後の動向は、全てのオーディオファイルにとって定期的に監視しなければならない楽しみのひとつとなった。ちなみに本ディスクは前出の第10番と併せ、96-24のハイレゾ音源の入手が可能だ。もし本CDのサウンドに腰を抜かされた方で、まだハイレゾ再生環境を構築されていない方がおられたら、ただちに構築されることをお勧めする。現代オーディオが有するとてつもないポテンシャルに打ちのめされること請け合いだ。
9人の方が、このレビューに「共感」しています。
10人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/08/31
ジュリーニ&シカゴによるEMI録音といえば、ビショップ&パーカーによるブルックナー9番という極めつけの優秀録音があるのに、なぜ71年の巨人をSACD化するのか理解に苦しむ(DGやSONYへの再録音が無いからだとは思うが・・・)。SACDのサウンドは従来CDよりも鮮烈でDレンジも大きいが、その反面元の録音の悪さが露呈しており、強奏時の混濁や高域の硬直は致命的だ。本録音の1年前に同じくメディナテンプルでデッカがショルティ&シカゴのマーラー5番を録音しており(エンジニアはゴードン・パリー)、ユニバーサルからシングルレイヤーSACDが発売されているが、サウンドクオリティには月とスッポンほどの差がある。また76年にはDGが同じくメディナテンプルでマーラー9番他を収録しているが、これらCDと比較しても本SACDの音は大きく劣っている。パッケージも相変わらずお粗末だ。スーパージュエルボックスやデジパックでないのにはさすがに慣れたとはいえ、解説にマスターテープの出処やマスタリングに関する情報が一切掲載されていないのは、業務放棄も同然ではないか?。往年のアナログ名録音のSACD化には多いに賛同するが、高値で売り出す以上は「元が高品質録音であること」にもっとこだわるべきだし、マスターテープやマスタリングに関する詳細情報を積極的に情報提供すべきである。本来なら星2つとすべきであろうが、今後のワーナーの販売戦略が先細りしないよう大甘で星3つとした。繰り返すが「元の録音品質が悪いアルバム」はSACD化のメリットは無く、CDフォーマットで十分にポテンシャルを出し切れる。ワーナーにはビショップ&パーカーやS・エルザムらによる、EMI黄金期のアナログ優秀録音を中心にSACD化を図って頂くよう切に希望する。
10人の方が、このレビューに「共感」しています。
21人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/07/30
60年も前の録音であり物理特性上のアラを指摘することは容易だが、それをさし引いても楽音の倍音やミクロディテールの情報量やゾフィエンザールの臨場感の再現性はCD(国内キング盤やクラシックサウンズシリーズ)より向上している。ステレオ録音最初期の神々の黄昏からの2曲は、ワルキューレと比較するとかなり音が丸くなっているがこれはマスターの劣化によるものと思われる。肝心のマスタリングだが、録音年代を考慮すればヒスノイズはもっと盛大に聞こえるはずだし、当時の録音機材ノイズや会場の暗騒音等、中低域のノイズもマスターテープにはもっと入っているはずである。ソフトがいかに進化したとはいえ、ノイズ処理を通して「奏者の気配」や「臨場感」をもたらすミクロディテール情報の欠落は不可避であり、このあたりに関するマスタリング方針には首を傾げざるを得ない。ブックレットにもマスターテープ情報やマスタリングに関する情報は一切書かれていないこともリスナーの不信感を助長させる。この場を借りて何度も繰り返していることだが、かかる歴史的録音の高品質リマスターを購入する人は、「オリジナルマスターテープの音をそのまま聞きたい」「オリジナルLPに刻まれていたサウンドをそのまま聞きたい」という目的に大枚を叩いて同じアルバムを何種類も購入するわけで、マスタリングエンジニア個人の嗜好など一切視野にはない。そこで提案だが、シングルレイヤーで収録時間はたっぷり余っているのだから、「マスターテープのまま」「+耳障りなノイズのみ処理」「+オリジナルLPのサウンドに忠実なイコライジング」の3種類を収録してはどうだろうか。大衆向けに処理したものは廉価のCDで出せば済む話だと思うが…
21人の方が、このレビューに「共感」しています。
9人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/01/30
今や最長老巨匠指揮者の筆頭格の地位を占める存在となったプレヴィンであるが、 ロンドン響時代は異分野からクラシック界に入ったばかりの駆け出し指揮者として見なされ、 EMIに入れた夥しい量の録音も軽視されるぐらいならまだましで、むしろ無視されるものが多い。 しかし筆者はこのロンドン時代のプレヴィンこそ、 若き日にジャズピアニストとして培ったリズム感と、ハリウッド映画の作曲を通して身に付けた音楽のわかり易さと手際良さ、 そして指揮法の師であるモントゥー譲りのオーケストラを自在に操るテクニックとが一気に開花した絶頂期にあったと考えており、 リズムの切れ、音色とダイナミクスの多彩さ、テンポや表情付けのメリハリ、オケのまとめ方どれをとっても、 その後の録音を大きく凌駕していると考えている。 もちろんその理由のひとつとしてロンドン響との録音の多くが、プロデューサー:クリストファー・ビショップと バランスエンジニア:クリストファー・パーカーによる超優秀録音であったともまた見逃せない。 ひょっとすると、EMIの録音が、後のフィリップスやテラークやDG録音とは比べ物にならないほど素晴らしいので、 演奏もこれに引きづられて素晴らしく聴こえるだけなのかもしれないが、 レコードやCDのような再生芸術においては、鳴っている音が全てであり、これを持って判断するのが正しいと考える。 このカルミナ・ブラーナもトゥーランガリラ交響曲同様、SACD化が待たれていた優秀録音である。 ワーナーミュージックの常としてリマスタリングに関する情報は一切書かれてないが、 手持ちの97年デジタルリマスターのCDと比較したところ、 サウンドステージの広がりと開放感、空間の再現性、ディテール情報量において、 大きく差をつけており、この演奏の真の素晴らしさはSACDで聴かないと分からないかもしれない。 本SACDの聴き所はそれこそ随所に現れるが、 13曲目の最後でテューバの一吹きの生々しさに思わず息を呑み、 14曲目の男性コーラスの薄気味悪さすら感じさせるささやきと木管楽器の点滅が次第に大きく膨れ上がていく凄みに鳥肌が立ち、 15曲面で左スピーカのはるか外側後方から姿を現す児童合唱のリアルな距離感にはただ呆然とすることしか許されない。 プレヴィンのカルミナといえば後のVPOとの再録音ばかりが取り上げられるが、 若き日の才気溢れる指揮、ロンドン響のややダーク調の音色と重心の低い響き、 キングスウェイホールの魅力的なアコースティク、 ビショップ&パーカーによるアナログ末期の優秀録音、 アビーロードスタジオでの最新リマスタリングによるSACD・・・ この抗し難い魅力を振り切って、 敢えてDG版を取り上げる合理的な理由などどこにあるのだろうか?
1人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/01/30
アナログ録音が最後の輝きを放っていた70年代、EMIのバランスエンジニアの総帥C・パーカーと共に、レーベルを代表する優秀録音を生み出していた名手S・エルザムによる収録である。そして、どちらかというとバーミンガムやボーンマスなどでのオーケストラ録音が多かった彼としては、本拠地アビーロードスタジオで室内楽を収録した珍しくも貴重なディスクだ。 XRCDのリマスタリングエンジニアはJVCの小鐵徹氏。First Impression MusicのXRCD「ルプーのグリーグ&シューマンのコンチェルト」で、 K・ウィルキンソンによる超優秀録音を、キングスウェイホールの下を走る地下鉄のランブルノイズを一切処理することなく、マスターテープ情報をそのまま全て引き出した業績は、その後ユニバーサルによるSACD-SHMが発売された今においても色褪せることがない。このXRCDで聴かれるサウンドも、今風のデジタルサウンドを意識した、繊細でブリリアントな方向に傾きがちな現代のリマスタリング風潮とは一線を画した最小限のイコライジングによる誠実な音作りが大変好ましい。 ここでパールマンは四季がバロック音楽であることなど全く意識せずに、ベートーヴェンやブラームスのコンチェルトを演奏するのと同じように楽器を豊かに鳴らしながら、やや遅めのテンポで伸びやかに歌わせている。従ってエルザムにとっても、これがヴィヴァルディの四季だからといって、サウンドステージをこじんまりとまとめたり、宮殿のサロンもどきの残響を付加したりと、いかにもバロックぽく録音する必要は無かった。ロンドンフィルによる室内オーケストラはパールマンのソロより少し後方に広めに展開するが、編成が大きいせいか、夏の嵐では低弦がゴウゴウと唸りを上げるし、秋の狩ではブラームスを思わすぶ厚い響きが聴かれる。エルザムの録音はこれらを原寸大のフルボディサウンドで我々に届けてくれる。室内オーケストラは左右スピーカの間隔の中に展開するが、その外側には広大なアビーロード第一スタジオのエアーがはっきりと感じとれる。リスナーはソリストのテクニックや解釈、楽器や演奏様式など、細かいことなどは気にせず、アナログ円熟期の黄金のブリティッシュサウンドにただ身を任せれば良い。
3人の方が、このレビューに「共感」しています。 2016/01/26
下の七海耀氏のレビューに全面的に賛同するものであるが、この素晴らしいディスクを出来るだけ多いの人にも聴いて頂きたいという思いで、若干の補足説明を投稿させて頂くこととした。ブルックナーの0番といえば、余程のブルックナー好きでない限りディスクを購入しようとは思わないだろうし、ディスクを購入したとしても、第一楽章の冒頭から主題らしい主題が現れないまま、フレーズが途切れ途切れに先へと進んでいくのについて行けず、一度聴いただけで放り出す人が多いに違いない。しかし最晩年のブルックナーが、この曲を「演奏するに値しない」としながらも、廃棄せずに0番の称号を与えたことは事実であるし、スクロバチェフスキと読響による演奏は、この理由を我々にわかり易く説明してくれる。この曲は、第一楽章では調性が同じ第3交響曲を思わすようなオーケストレーションや和声進行が随所に聴かれ、続く第二楽章では晩年の第9番のスケルツォの第二トリオのモチーフや、第9番のアダージョを彷彿とさせる低弦の和声進行が突如として姿を現す。さらに終楽章では第5や第8のフィナーレを先取りしたかのようなブラスのシンフォニッックな響きを聴くことが出来る。そしてスクロバチェフスキは、これらの部分をここぞとばかり強調することで、「この曲があったからこそこの後の傑作が生まれたのだ」 というメッセージを我々に伝え、読響の全身全霊を傾けた演奏が、聴き手を理解と確信へと導く。そしてこのことはこの指揮者が90歳を超えて、敢えてこの0番に帰ってきた理由としても、合理的に説明がつく。録音はDENONの伝統に根ざしたディテール解像度が極めて高く、やや淡白だが透明で美しい微粒子サウンドである。ブックレットにはライブの写真が掲載されており、サイズが小さいので断定はしかねるが、天井吊りのサラウンド用ワンポイントメインマイクの他に補助マイクとしてティンパニの両側に置かれた2本が目を引く。そしてエンジニアがこの位置に補助マイクを立てた意図は、ティンパニのパワーと粒立ちや、ブラス(特にバストロンボ−ン)の量感に明確に表れており、まるで往年のDecca(ウィルキンソン)録音を聴いているかのような錯覚すらもたらす。 演奏、録音共に国内盤における久々の秀作だ!
5人の方が、このレビューに「共感」しています。 2015/12/31
録音エンジニアのエンノ・メーメッツといえば、セ−ゲルスタムのシベリウス録音での目覚ましい仕事ぶりでオーディオファイルの注目を浴びた現代の名エンジニアの一人であり、筆者もその後の仕事ぶりに注目していたが、オンディーヌから次々とリリースされるディスクは、馴染みの無い北欧の作曲家の作品ばかりで、なかなか購入に踏み切れなかった経緯がある。 ところがここに来て、リントゥによるメシアンやマーラー作品がリリースされたので、大きな期待を込めて購入したわけだが、今期は首をかしげざるを得ない結果となった。もちろんマイクセッティングのセンスの良さや録音の物理特性の高さは十二分に感じられるのだが、何と言ってもホール自体のサウンドの魅力の無さが大きなマイナスであり、まるでサントリーホールでのライブを聴いているかのような感覚に陥ってしまった。セッション会場はヘルシンキのミュージックセンターとあり、ブックレットの写真によるとワインヤード型の最新のホールのようだ。その音響は、最近良く聴かれる、所謂現代ホール特有の、クセも無いが個性も無い暖色系の無難な音で、音のヌケが悪くサウンドステージの解放感が全く感じられない。例えて言えば「良くできたスタジオ」といった雰囲気である。ネットで調べてみると、有名な日本の音響設計事務所によるものであることが分かり納得した。現代のホールは(録音で聴いても)総じて同じような響きがするが、これはまず遮音性が極めて高いため外部ノイズは完全に遮断するが、その代わりにホール内の音エネルギーもホール外に一切漏れ出すことがない。そこで楽器から発せられた音は、専らホールの内装材の共振によってエネルギー変換させたり、椅子で吸音させながら減衰させることになり、これがサウンドステージの閉そく感につながる。さらに、どの客席でもフラットで均一なサウンドで聴こえることを目指す代償として、最高の音が聴かれるスウィートスポットも無いし、ホール固有のサウンドカラーも薄れてしまう。オケ、指揮者、ホール、エンジニア、レーベルと全て北欧で固め、しかも最高の布陣で臨んだセッションのサウンドから北欧の空気を感じさせないことは、何とも寂しい限りだがこれが現代の主流なのかもしれない。演奏は所々に指揮者の細部への拘りを見せるが、総じて手際よくオーソドックスにまとめており、全体としての印象はややクールであり、このクールさが唯一北欧の雰囲気の片鱗を感じさせてくれた。
5人の方が、このレビューに「共感」しています。
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