Top 100 Japanese pops Artists - No.35

2003年10月27日 (月)

70年、財津和夫(vo&g)を中心に博多で結成されたチューリップ
吉田彰(b)、安部俊幸(g)、姫野達也(key&vo)、上田雅利(ds)から編成され、72年にシングル「魔法の黄色い靴」でメジャー・デビューした彼らの足跡をざっとどうぞ。

チューリップは、前身のバンドであるフォーシンガーズとして、1969年に東京厚生年金ホールで行われた「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場したことから始まる。このとき1位になったのは赤い鳥、2位はオフコースだったが、フォー・シンガーズは入賞できず。当時のメンバーは財津和夫、吉田彰、田中孝二、末広信幸だった。

その後、財津和夫はフォーシンガーズを解散、ジョニー・クイーンの宗田慎二を引き入れ初代チューリップを結成。この時のメンバーは財津和夫、吉田彰、末広信幸、宗田慎二の4人。その後、姫野達也、安部俊幸、上田雅利等を加え、5人となったチューリップとして活動を始める。
そして72年にデビュー・シングル「魔法の黄色い靴/ハーモニー」と、アルバム「魔法の黄色い靴」を同時発売。

当初からチューリップが生み出す卓越したメロディは、当時の多くのビートルズ・チルドレン(ビートルズ・フォロワーのバンド)の中でも群を抜いていた。そして、73年に発表された、「心の旅」が当時のフォークロック・シーンでは異例の大ヒットとなり、一躍スターダムにのしあがる。

その後もエヴァーグリーンな名曲「銀の指輪」や「虹とスニーカーの頃」「サボテンの花」を立て続けに誕生させ、「名ポップス職人」として確固たる地位を築いた。彼らの作り出すメロディーは、何時の時代でもまったく色褪せない普遍性を持っている。また彼らの音楽には、とりわけポール・マッカートニーのような秀逸なハーモニーやメロディを随所に感じることができ、それは、後のアビーロード・スタジオでのレコーディングやカヴァー集『すべて君たちのせいさ』の発表につながっていった。そんなチューリップは、ポップとロック、そしてフォークの垣根を崩し、洋楽志向の自らのサウンドを、日本語で昇華させた先駆者といえるだろう。

しかし、メンバー脱退のたびに存続が危ぶまれていた彼らは、89年「ウェル」を最後に解散。

その後、財津和夫はソロ活動へと進むが、近年になって期間限定でチューリップを幾度か再結成し、往年のファンを中心に話題を振り撒いている。多くを語れる事のないチューリップだが、日本の音楽シーンに残した功績は非常に大きい。そして、今でもそのサウンドがテレビから流れ出すと、自然に振り向いて、口づさんでしまうだろう。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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