Top 100 Japanese pops Artists - No.20

2003年11月11日 (火)

22歳で壮大なスケールの時代を作曲、恨み・嫉妬といった暗い歌を歌ったかと思えば、大声で笑い飛ばす……一体どれが本当の人物なのか。我々の興味をかわしながら私生活をほとんど明かさない現代の魔女。はたして中島みゆきとは、何者なのか……。

本名:中島美雪(なかじま・みゆき)
出身:北海道札幌市
誕生:1952年2月23日
中島みゆきの魅力はメロディの美しさとストレートに伝わる歌詞だろう。表現力の豊かな言葉たちとメロディの一体化をなせる技は天性の才能の他にはありえない。しかしその魅力はなんといってもドラマチックな歌唱にあるのではなかろうか。

産婦人科医の父を持つ彼女は道内有数の進学校・帯広柏葉高校へ入学。高校3年の文化祭で初めてステージに立つ。高校卒業後、札幌の藤女子大学文学部に入学。
大学在籍中、北海道大学のフォークソング研究会に入りながら音楽活動を始める。1972年、「第2回・全国フォーク音楽祭全国大会」に参加し、優秀賞に選ばれる。この時、プロデビューの誘いもあったが課題詩であった谷川俊太郎の「私が歌う理由」にショックを受けデビューを辞退した。(彼女の尊敬する人は谷川俊太郎だ)

1975年にヤマハ主催の「第9回ポピュラーソングコンテスト」で入賞。同年9月、アザミ嬢のララバイでデビュー。翌年時代が大ヒットし、一躍その名が知られるようになる。彼女の楽曲は強烈な個性に溢れていたが、メロディアスでしっかりとした歌詞世界により、覚えやすかったため大衆に受け入れられた。
その後わかれうた悪女空と君のあいだになどが大ヒットし、松任谷由実とともにニューミュージックの女王と呼ばれるようになる。
ソングライターとしても数多くのアーティストに楽曲を提供し、研ナオコ加藤登紀子桜田淳子柏原芳恵工藤静香、最近では柴咲コウなど、数多くのヒット曲を生み出している。それらの楽曲をまとめたのが中島みゆきsong Library Best Selectionだ。

1979年、ニッポン放送の深夜ラジオ番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティを担当。そのアーティストとしての世界観とはあまりにかけはなれたテンションの高いトークが話題になる。ギャップのある多面性が魅力となり数々の伝説を生み出した。

1989年から彼女のありあまる感性を、唄と演劇という2つの側面から追求した『夜会』をスタート。今でも毎年末に行われるステージを披露。現在でも続けられるその『夜会』。1989年第1回「夜会展」から、2002年の「夜会Vol.12 ウィンター・ガーデン」まで、名曲・名場面を収録し、夜会の軌跡を辿る"ベスト・オブ・夜会”ともいうべきDVD 夜会の軌跡1989-2002も発売。

今の音楽シーンでは孤高ともいえる彼女は神聖なオーラを放ち、マスメディアへの露出を極度に嫌うので、その素顔は謎に満ちている。“恨み〜ます〜”のフレーズでちょっと怖い歌を歌うアーティスト…という印象を持たれている方も少なくはないと思うが、中島みゆきのつくる歌の中の女性の姿は、本当に様々である。 特に恋愛の物語である主人公は多種多様な女性ばかりだ。恨む女性、母性に溢れた女性、元気な女性…。また、曲によってもそれぞれ別の人が歌っているかのような歌声にもなる。
しかし、2002年のNHK紅白歌合戦で黒部ダムでの出演で真の意味で国民的アーティストになった彼女だが、そんなこともやはりお構いなしのようで、マイペースに活動を続けている。
02年末には、ロングセラー曲地上の星を携え、紅白歌合戦にデビュー28年目の初出場。また、 同曲はオリコン連続チャートイン記録で、日本新記録を達成。これを受け、70年代・80年代・90年代・2000年代と4世代に渡ってのオリコンチャート1位獲得という偉業を達成した。

2003年11月19日にはヒット中の新曲銀の龍の背に乗ってを収録した通算31作目のアルバム恋文を発売。柴咲コウに提供した「思い出だけではつらすぎる」のセルフカバーなど全10曲は、女から男へのラブメッセージに満ちた作品群。
2004年9月でデビュー30年を迎える中島みゆき地上の星は現在もオリコンチャート168週連続チャートインと日本記録を更新中で、来年はさまざまな意味でメモリアルイヤーになりそうだ。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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