Top 100 Japanese pops Artists - No.91

2003年9月1日 (月)

ジャパニーズ・ダブの始祖にして、正式メンバーとしてエンジニアが名を連ねる日本最高のダブ・バンド、Mute Beat(ミュート・ビート)。彼らの音楽はレゲエのリズムをベースにしながらも、ロック、ジャズ、ファンクと幅広い音楽が詰まっている。

メンバーは、現在も活躍中の静かな暴力性を感じさせる孤高のトランペッター・こだま和文。UAのプロデュースや自身のユニットRam Jam Worldとして知られる朝本浩文(key)。「世界の "GOTA"」としてその名を轟かせる屋敷豪太。銃口のように突き立てたトロンボーンでこだまに呼応する増井明人。太くタイトなベースを弾き出す松永孝義。そしてこのバンドの要である Dub Master X こと宮崎泉(ミキシング・エンジニア)。その後、幾度かメンバーの入れ替わりがあったが、今思えば豪華この上ない顔ぶれである。

今は無き「ピテカントロプス」はじめ、「レッドシューズ」、「インクスティック」等で地道なライブ活動を展開。1986年6月、NYの『ROIRレーベル』よりカセット「MUTE BEAT」が発売。BEAT誌で絶賛される。同年10月「コフィア」が、コマーシャルフォト誌、 作曲大賞をとるなど、着実に評価を高めていく。また、" マイティー・ダイヤモンズ " 、" グラッドストン・アンダーソン " 、" オーガスタス・パブロ " などの大物ミュージシャンと共演する機会にも恵まれ、彼らの音楽的レベルは確実にインターナショナルな方向へと近づいている。

1987年1月には、バンド結成5年目にして初のLPフラワーを発表。同年7月21日に渋谷公会堂コンサートも大成功をおさめた。1988年1月には、" ボブ・マーリー " をプロデュースした天才 " リー・ペリー " が彼らの曲をリミックス。 4月、NYレゲエ・シーンの拠点ワッキーズ・レーベルよりStill Echoが発売。5月、PITにてジャマイカ最強のリズムセクション " ルーツ・ラディックス " と共演するなど、まさに世界へ向けての布石と思える活動が目立つ。

7月、ジャパニーズ・ダブを確立下ともいえる名盤2ndLovers Rockが発売される。語り尽くされていることだがアメリカ・スリーマイルアイランドの原発の写真にLOVER'S ROCKというタイトルを重ねたジャケットの秀逸さ。眼差しの優しさの奥から発せられる真摯なアジテート。

また同年、CLUB QUATTROで" スカの創始者 " とも言えるサックス・プレイヤー、 " ローランド・アルフォンソ " とジョイント。その感動的なライブは年間ベスト・ライブと呼ぶにふさわしい内容を見せた。そして10月の渋谷公会堂コンサートからギターリスト内藤幸也が正式に加入。ミュート・サウンドの新たな展開が始まる。
12月、朝本浩文(KEY) が脱退。
超強力ファンク・バンド、Jagatara で活躍する北村賢治( KEY ) が正式参加する。残念ながらアルバムMARCHを最後に 89 年解散。

2002年に結成20周年を祝ったベスト盤Mute Beat 20周年記念ベスト盤 をリリース。まさに決定打ともいえる内容、レア音源、もしくは未発表音源も収録した内容です。

メンバー個々の発する音の素(CDでのスタイル)をエンジニア・宮崎がライヴで解体/再構築していくスタイルは当時の日本において至極画期的であり、その後、フィッシュマンズ、オーディオ・アクティヴといったグループにも多大な影響を与えた。Little TempoDry & HeavyEgo WrappinBirdpushim...など、リスペクトを表明するアーティストも多い。

彼らが表現してきたダブは、ジャマイカではなく英国でもない、 温暖湿潤気候の日本……しかも冷たいコンクリートの都会でしか 生まれえないものだったと言えるのではないだろうか。

※表示のポイント倍率は、
ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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