Top 100 Japanese pops Artists - No.61

2003年10月1日 (水)

さてさて、ご好評頂いております「Top 100 Japanese Pops Artists」も今日で61位。いきなりバイオグラフィーをつらつらと書き連ねるのも味気ないような気もするので、アーティストの発表の前に、そのアーティストに関する連想ゲームでも。
キーワードは「広島」。さあ、このキーワードから何を連想する?…「お好み焼き」に「赤ヘル」、「もみじまんじゅう」に「菅原文太」(因みに彼の出身は広島ではない)…いやいや、なんつってもココは音楽と映画のEコーマス・サイト、hmv.co.jp。その辺を加味してもらえば答はひとつ、そう!本稿の主人公、Top 100 Japanese Pops Artists61位は広島が生んだ偉大なるロック・バンド、ユニコーン!!

ユニコーンはバンド・ブームの渦中にアイドル・ロック的なイメージで颯爽と登場し、そのブームのど真ん中にどっしりとあぐらをかきながらも次第に独自の音楽性を開花させ、バンド・ブーム終焉後もスイスイと涼しい顔でシーンを泳ぎきり、クオリティの高い作品を連発した類い稀なバンド。初期のアイドル・ロックから物凄い速さで自由奔放なサウンドを奏でるグループへと進化したその様はビートルズすら思い起こさせる…というのは過言かもしれないが、解散から10年近く経過した今も音楽的に高い評価を得ていることは言うまでもない。
それでは彼らの歴史をざっくばらんに振り返ってみることにしよう。

ユニコーンは1986年に広島で結成された5人組バンド。その当時のメンバーは奥田民生:ヴォーカル・ギター、西川(川西)幸一:ドラム、EBI(堀内一史):ベース、手島いさむ:ギター、向井美音里:キーボードの5人。リーダーである西川を中心に結成されたユニコーンは結成後ほどなくしてCBSソニーのオーディションに合格し、バンド結成から1年足らずでプロ・デビューのチケットを手にした。そして87年に記念すべき1stアルバムBoomをリリース。この頃のバンドのキャッチ・コピーは「ポップでもない、ハード・ロックでもない。俺たちはハード・ポップだ」。…時代を物語るいささか悲しいキャッチ・コピーではあるが、ここで聴ける音楽は一言で言って「ビート・パンク」。その才能はまだ開花しきってはいない。因みにこの頃のメンバーの服装も音同様にモロにビート・パンクであった。髪を逆立て黒のスリム・ジーンズにトイ・ドールズのロングTシャツ…今の裏原宿しかしらない若い音楽リスナーは信じられないかもしれないが、当時の原宿にはこんな格好をしたキッズが溢れかえっていたのだ。

88年、2度目の全国ツアー終了後に向井美音里が健康上の理由からバンドを脱退。後任には音楽プロデューサー笹路正徳に師事していた阿部Bこと阿部義晴が加入し、2ndアルバムPanic Attackをリリース。しかし阿部の名前はスペシャル・サンクス扱いで、正式加入には至っていない。しかし前作のビート・パンク一辺倒のサウンドから確実に変化の兆しが見られた。

そして89年、阿部が正式加入し、音的にも激変ぶりが窺える3rdアルバム服部をリリース。メンバーそれぞれが好き放題やりたい放題に暴れまくった結果、完全にバンドの個性を確立した作品となった。前作までの作風を踏襲したビート・パンク調のスタイルで、単身赴任の侘しさを歌った大迷惑というシングル・ヒット、メンバーそれぞれのキャラが明確に立ってきたせいもあり、ユニコーンはアイドル的人気も維持しながら評論家も唸らすという独自のポジションを獲得。当時のビート・パンク全盛の中で彼らの立ち位置はいい意味で曖昧で微妙なところに位置していた。

翌90年彼らのやりたい放題はさらに進行。
ラヴ・ホテルでの情事を歌った“命果てるまで”、阿部によるヴォーカル/作詞/作曲のおふざけスラッシュ・メタル・ナンバーCSA、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらが出演していたバラエティ番組「夢で遭えたら」のオープニングに使用された働く男、手島のペンによる名曲自転車泥棒など服部以上に好き放題やり散らかした名盤ケダモノの嵐、TMネットワーク風のダンス・ナンバーPTA〜光のネットワーク〜など遊び心溢れるナンバーが収録された踊る亀ヤプシ、肩の力を抜いたというよりも、いい意味でのやる気の無さが感じられるハヴァナイスデーの3枚を3ヶ月連続でリリースする暴挙に打って出る。

91年には小島功氏の人気漫画「ヒゲとボイン」からタイトルをそのまま頂戴したヒゲとボインをリリース。シングル向きの楽曲が少ないことや全曲野外録音という実験性の高さから「難解」とされることも少なくない作品だが、車も電話もないけれどヒゲとボインなどはELOへのオマージュだったりと、熱心なユニコーン・ファンや生粋のポップ・マニアから人気の高い作品ではある。

93年2月にはアルバム制作途中でリーダーの西川が脱退という事件が発生。突然屋台骨を失った4人はそれでもスプリングマンを完成させ同年5月にリリース。今思えばそれぞれのソロ用の楽曲を集めたような印象もあり、「解散」の2文字がちらつく内容ではあるが、アルバムの完成度はピカイチ。名曲すばらしい日々を収録した作品でもある。
そして93年9月21日ユニコーン解散。ラジオ、オールナイトニッポンの特番内での発表であった。

バンド解散後のメンバーの足取りはここに記すまでもないので割愛させて頂くが、ユニコーンはやはり相当にヘンなバンドであった。2003年現在のJポップ・シーンで当時のユニコーンのポジションに該当するバンドを探そうとも思ったが、それに相応しいバンドは見当たらない…。強いて挙げるとすれば、氣志團くらいのものだろうか。阿部氣志團のプロデューサーを務めているということもあるが、どことなく感じられるHit & Run(ユニコーンが所属した音楽事務所。氣志團はSMAだから当然といえば当然か)的な佇まい、引用の多さや音楽を楽しむ姿勢、オルタナティヴな存在感などにもユニコーンとの共通項を見出せる。

かのバンド・ブームから既に10年以上の時が流れた2003年の現在、Jポップ・シーンの売り上げのほとんどはユニコーンを知らない世代の音楽リスナーが支えているのだろう。しかしながら「頑張れよ〜」「一人じゃない〜」「泣かないで〜」エトセトラエトセトラ…。かつての「祭り」を思い起こさせる紋切り型で青臭い言葉たちが虚しく響くたびに、溜息をついているのは自分だけではないはずだ。「10年前と同じ事が繰り返されているだけだぜ!」と叫ぶ事が我々レコ屋としての使命でもある…なんつうのは少しばかりヒロイックかな。ふう、久し振りにユニコーンが聴きたくなってきたので拙文はこの辺にて。

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