Top 100 Japanese pops Artists - No.66

2003年9月26日 (金)

アコースティック・ギターの弾き語りからブルースに目覚め、鼻にかかった親しみ易い独特のボーカル・スタイルが人々の耳から離れない、孤高の存在である山崎まさよし。ブルースを極める道ではなく、変幻自在なバンド・サウンドや、さらには役者としての才能も発揮するなど多彩な面を発揮。何と言っても、関西弁のノリのよさと隣の兄さん風の親しみ易いキャラクターが、彼の一番の魅力である。

山崎まさよしは1971年、滋賀県に生まれる。その後、21才まで山口県で過ごす。ブルース・リーと洋楽マネに明け暮れる、マイペースかつ自立心の強いある意味独特の思春期だったようである。そんな中、中学時代にドラムを始め、高校時代に数々のバイトをしながら、 ライトニン・ホプキンスチャック・ベリーを聴き、ギターに目覚め、バイト仲間とブルースのユニットを組んでいた。そして本格的に音楽で食べて行くことを決意し、オーディションに合格し1993年に上京。この時、実はタレントのスカウトだった、という逸話は彼自身がデビュー後に語っている有名な話である。

上京後、アルバイトをしながらオリジナル曲を作り続け、地道なライヴ活動を続けて、ようやく1995年シングル月明かりに照らされてでメジャーデビューを果たす。この曲は当時CMソングに起用され、耳に残る独特な歌声が話題を呼んだ。 続く1996年2月、2ndシングル中華料理を、4月にデビューアルバムアレルギーの特効薬をリリース。ライヴは超満員の大好評だった。続いて9月には3rdシングルセロリを発売。後にSmapに提供して、大ヒットとなったのも記憶に新しい。その後、映画月とキャベツに主演が決定、主題歌も手掛けるなど、彼の多彩な一面が垣間見える活動であった。映画撮影中、音楽活動を一時休止するも、 11月にはセルフプロデュース・アルバムステレオを発売、通常のリリース作品とは別の意味をもつものとして連続リリースしている。

1997年1月、映画月とキャベツの上映開始に伴い、主題歌One More Time,One More Chanceの切ない男心を歌うラヴソングが大ヒットとなり、学生から社会人の女性を中心に一気にブレイク。居なくなった君を想う今にも涙がこぼれ落ちそうな表情豊かな歌声と、優しく触れるようなギターが切なく胸を打つ、彼の代表曲である。そして、この曲で日本の音楽シーンにおいて唯一無二の存在感を誇示することとなった。続く5thシングルアドレナリンでは、一転してアッパーなリズム&ブルースを披露し、こちらもヒットした。そしてこれらのヒット曲を収録したアルバムHomeをリリース。1998年には3rdアルバムミノを発売。シングル水のない水槽僕はここにいるに代表される、日常的なひとこまを繊細な切り口で表現した今作は、歌詞もサウンド面でも最高傑作といえるだろう。

彼の魅力は、前述したように、ひとつの道に拘らない、その時の気持ちと音楽的自信と遊び心のバランス感覚の良さにある。彼自身の性格から、基本的には弾き語りで演奏もすべて自身が手掛ける一方で、バンドでワイワイとセッションを楽しむ二面性をもっている。それはリリース作品からもわかるように、彼の音楽に対する構えが、彼自身の地に着いた生活感や欲求に基づいているからである。彼の肉体的な声とリズム感は、誰が聴いても胸を打つ魅力をもっている。そんな彼の音楽的期待を跳ね除けるかのように、ドラマ「奇跡の人」に主演、役者としての余技も人気に拍車を駆ける一因になった。ちなみに、同年初ビデオ動く山崎をリリースするや否や、全国女子が殺到、彼のビジュアル的人気もかなり高いことが証明された事件だった。その後行なわれた「ドミノめぐり」ツアーは大盛況、この模様はビデオDomino Roundに収録されている。彼はそんな周りの期待と憧れを知ってか知らずか、そんなシーンの中を面白がって遊んでいるかのようにマイペースな活動を続け、1999年、4thアルバムSheepをリリース、また、音楽仲間であり、プライベートでの交流の深さも有名なスガシカオ杏子とのユニット福耳を結成し、マキシシングルを発売している。

2000年には、11枚目のシングル明日の風をリリースし、繊細な歌詞とメロディーが、彼の独特の音楽性を確立した楽曲になっている。そして9月には、1997年から続いている弾き語りライヴであり、彼の音楽的集大成ともいえるベスト盤One Knight Standsがリリースされた。そして2001年、5/23シングルPlastic Soul、アルバムTransitionをリリース。単身ニューヨークに渡りエンジニア探しから自ら指揮をとったという力の入れようからも分かる通り、新たなステージに立ったという感じの今までには無かったような曲も目立つ。

2003年にはひとつのスタジオに半年間こもり、彼が独りで溢れる感情を閉じ込め、アコースティックギターと、歌との関係性を突き詰めて生まれた作品アトリエを完成。その後、クリップ集第2弾、山崎 動く動くをリリース。

天性の運動神経によるリズム感をもつ彼は、曲中の歌詞のように常に繊細な心をもっているというわけではないらしく、音楽を通して気持ちが開放され、自分自身が理解できるという。やはり天性のアーティストである。

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ブロンズ・ゴールド・プラチナステージの場合です。

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