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つよしくん さんのレビュー一覧 

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  • 3人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/26

    村上春樹氏の小説によってさらに脚光を浴びることになったヤナーチェク。巷間、チェコの作曲家としては、第1にスメタナ、第2にドヴォルザーク、第3にヤナーチェク、そして第4にマルチヌーとされているところだ。しかしながら、楽曲の質の高さ、他の作曲家への影響力の大きさなどを総合的に勘案すれば、ヤナーチェクはチェコの第3の作曲家などではなく、むしろスメタナやドヴォルザークを凌駕する存在と言えるのではないだろうか。モラヴィアの民謡を自己の作品の中に高度に昇華させて採り入れていったという巧みな作曲技法は、現代のベートーヴェンとも称されるバルトークにも比肩し得るものであると言えるし、「利口な女狐の物語」や「死者の家から」などと言った偉大なオペラの傑作は、20世紀最大のオペラ作曲家とも評されるベンジャミン・ブリテンにも匹敵すると言えるところだ。そして、ヤナーチェクの最高傑作をどれにするのかは議論を呼ぶところであると考えられるところであるが、少なくとも、本盤におさめられたグラゴル・ミサは、5本の指に入る傑作であると言うのは論を待たないところである。同曲には、オペラにおいて数々の名作を作曲してきたヤナーチェクだけに、独唱や合唱を巧みに盛り込んだ作曲技法の巧さは圧倒的であると言えるし、モラヴィア民謡を巧みに昇華させつつ、華麗な管弦楽法を駆使した楽想の美しさ、見事さは、紛れもなくヤナーチェクによる最高傑作の一つと評してもいささかも過言ではあるまい。マッケラスは、こうした偉大な作曲家、ヤナーチェクに私淑し、管弦楽曲やオペラなど、数多くの録音を行っている、自他ともに認めるヤナーチェクの権威であり、ウィーン・フィルやチェコ・フィルとの数多くの演奏はいずれも極めて優れたものだ。本盤におさめられたチェコ・フィルや、優れた独唱者、そしてプラハ・フィルハーモニー合唱団を駆使した同曲の演奏は、ヤナーチェクの権威であるマッケラスならではの同曲最高の名演と評価したいと考える。スケールの雄大さ、そして独唱者や合唱団のドライブの巧みさ、情感の豊かさのいずれをとっても非の付けどころのない高水準の演奏であり、私としては、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と評価するのにいささかも躊躇するものではない。これだけの名演だけに、高音質化が望まれてきたが、今般、かかる両名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、マッケラス&チェコ・フィルをはじめとしたチェコの独唱者や合唱団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

    3人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/26

    これは知る人ぞ知る名演の代表格であると言える。マゼールは、現在では高齢であることもあり、かつてのように聴き手を驚かすような演奏を行うことはすっかりと影を潜めつつあるが、1960年代から1970年代の前半にかけては、当時としては切れ味鋭い先鋭的な解釈を示すことが多かったと言える。楽曲によっては、いささかやり過ぎの感も否めず、そうした演奏に関してはあざとささえ感じさせるきらいもあったが、ツボにはまった時には、とてつもない超名演を成し遂げることもあった。1970年代も後半になると、そうしたマゼールの鬼才とも言うべき性格が薄れ、やや面白みのない演奏に終始するようになってしまうのであるが、それでもベルリン・フィルの芸術監督を目指して意欲的な演奏を行っていた1980年代後半には、とてもマゼールとは思えないような円熟の名演を繰り広げる(例えば、ブルックナーの交響曲第7番)など、これまでの事績を考えると、マゼールこそは、やはり現代を代表する大指揮者の一人と言えるのであろう。本盤におさめられたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。マゼールがいまだ鬼才としての才能を発揮していた1974年に、ロシアのヴァイオリニストであるコーガンと組んでスタジオ録音を行ったものであるが、当時のマゼールにはおよそ想定し難いような選曲であるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。聴き手を驚かすような超個性的な演奏の数々を成し遂げていたこの当時のマゼールとは思えないような、徹底して自我をおさえたロマンティックの極みとも言えるような円熟の指揮ぶりであり、マゼールという指揮者がいかに潜在能力の高い指揮者であるのかが伺えるところだ。おそらく、この演奏を指揮者を伏して聴いた場合、マゼールであると答えられる聴き手は殆どいないのではないだろうか。両曲ともに美しいメロディ満載の協奏曲であるが、それらの名旋律の数々を、コーガンとともに徹底して歌い抜いているが、それでいて格調の高さを失うことなく、どこをとっても高踏的な美を失うことがない。正に、両曲演奏の理想像の具現化とも言えるところだ。コーガンのヴァイオリン演奏も、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、マゼールの円熟の指揮ぶりと相まって、珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、両曲の理想的な名演として高く評価したいと考える。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、コーガン、そしてマゼール&ベルリン放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    8人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/26

    本盤には、プロコフィエフのポピュラリティを獲得した管弦楽曲の名曲がおさめられているが、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相まって、正に珠玉の名CDと高く評価したいと考える。フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンスやゲルギエフなどの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがないと言えるが、1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。本盤におさめられた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音は、現在ではほぼ撤退したキャニオンのクラシック音楽録音の旗手の一つとして、その存在感には非常に大きいものがあったとも言えるところだ。演奏自体は、意外にもオーソドックスなもの。旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われるが、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、正にロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせていると言えるだろう。いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、キャニオン・クラシックスという録音でも定評のあるレーベルであるだけに、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般、ついに待望のSACD化がなされることになった。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/26

    本盤には、R・コルサコフの超有名曲である交響組曲「シェエラザード」を軸として、グラズノフのバレエ音楽「ライモンダ」の抜粋がおさめられているが、同様に発売されたプロコフィエフの管弦楽曲集と同様に、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相まって、正に珠玉の名CDと高く評価したいと考える。フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンスやゲルギエフなどの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがないと言えるが、1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。本盤におさめられた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音は、現在ではほぼ撤退したキャニオンのクラシック音楽録音の旗手の一つとして、その存在感には非常に大きいものがあったとも言えるところだ。演奏自体は、意外にもオーソドックスなもの。旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われるが、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、正にロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせていると言えるだろう。特に、R・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」における木野雅之によるヴァイオリン・ソロは、とろけるような美しさを有しており、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、キャニオン・クラシックスという録音でも定評のあるレーベルであるだけに、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般、ついに待望のSACD化がなされることになった。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

    4人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/25

    インバルは、今や押しも押されぬ世界最高のマーラー指揮者であると言える偉大な存在であるが、現在におけるそうした地位を築くにあたっての土台となったのは、何と言っても1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)であると言える。当該全集は、CD時代が到来し、マーラーブームとなっていた当時にあって、最も規範的な全集として識者の間でも極めて高いものであったところだ。当該全集において、インバルは交響曲第10番を収録していたが、それは全曲ではなく、アダージョのみの録音であった。インバルは、当該全集におけるスコアを精緻に、そして丁寧に描き出していくという普遍的とも言えるアプローチからしても、第10番については、マーラーが実際に作曲したアダージョにしか関心を示さないのではないかとも考えられたところであるが、当該全集の完成後4年ほどしてから、ついに、第10番の全曲版をスタジオ録音することになった(本盤)。第10番については、既にご案内のとおり様々な版が存在しているが、本演奏では、最も一般的なクック版(ただし第2稿であるが)が採用されている。その意味では、インバル自身にも、版については特段の拘りがないと言えるのかもしれない。インバルは、近年では東京都交響楽団やチェコ・フィルなどとともに、マーラーの交響曲の再録音を行っているところであるが、今後、第10番の再録音を行う際には、どのような版を使用するのか大変興味深いところだ。本演奏のアプローチは、全集と同様に、スコアを忠実に音化していくという、近年のマーラーの交響曲演奏にも繋がっていくものであり、バーンスタインやテンシュテットなどが個性的な名演の数々を成し遂げている時代にあっては、希少な存在であったとも言える。昨今のインバルのマーラーの交響曲演奏に際してのアプローチは、この当時と比較すると、思い切ったテンポの振幅を施すなど、全体の造型を蔑ろにしない範囲において、より劇的な解釈を施すようになってきているだけに、本演奏における精緻にして正統的とも言えるアプローチは、極めて貴重なものとも言えるだろう。もちろん、楽譜に忠実と言っても、無味乾燥な演奏には決して陥っていないのがインバルの素晴らしいところであり、どこをとっても、秘められたパッションの燃焼度には尋常ならざるものがある。正に、血が通った演奏であると言えるところであり、これは、インバルのマーラーの交響曲に対する深い理解と愛着の賜物に他ならないと言える。いずれにしても、本演奏は、いまや稀代のマーラー指揮者として君臨するインバルの芸術の出発点とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、インバルによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。なお、前述のように本演奏はクック版第2稿によっているが、今後、インバルがチェコ・フィルまたは東京都響と同曲を録音する際には、クック版第3稿またはその他の稿による演奏を期待したいと考える。

    5人の方が、このレビューに「共感」しています。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/08/25

    これは素晴らしい名演だ。昨年は、リスト・イヤーを代表する、ピアノ・ソナタロ短調を軸とした圧倒的なリスト・アルバムを世に出して、健在ぶりをアピールしたエマールであるが、本盤におさめられた演奏は、エマールが最も得意とするレパートリーとも言えるドビュッシーの前奏曲集。そもそも演奏が悪かろうはずがないと言える。既に、エマールはドビュッシーのピアノ曲を2002年に映像及び練習曲を録音しており、2005年の来日時には、全曲ではなかったものの前奏曲集からいくつかの楽曲を抜粋して、名演の数々を披露してくれたことは現在でも記憶に新しいところだ。いずれにしても、本盤におさめられたドビュッシーの前奏曲集は、エマールにとって、いわゆる録音としては、ドビュッシーのピアノ曲集をおさめた2枚目のアルバムということになる。得意の楽曲だけに、正に満を持して世に問うたアルバムということができるだろう。それにしても、何と言う見事な演奏であろうか。各旋律の尋常ならざる心の込め方には出色のものがあり、加えて、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う独特のセンスに満たされており、これぞフランス音楽の粋とも言うべき抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。個性的という意味では申し分がないが、その解釈の様相としては古色蒼然と言ったものからは程遠く、常に現代的なセンスに満たされているが、決して恣意的なアプローチに陥るということはなく、あざとさをいささかも感じさせないのが見事である。そうした抜群のセンスを維持した中での、思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使した各楽曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、おそらくは現代のあらゆるピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の演奏の中でも最高峰の一つに掲げるべき至高の高みに達していると言える。また、卓越した技巧と堅固な造型美は、エマールのフランス人離れした優れた美質とも言えるところであるが、前述のようなフランス風の洒落たセンスを聴かせるのにとどまらず、楽曲全体の造型美を重視した骨太の音楽づくりにおいてもいささかも不足はないところであり、これぞドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。加えて、本盤には前奏曲集の第1巻と第2巻の全曲がおさめられているのも聴き手にとっては大変喜ばしいと言えるところであり、前述のような演奏の素晴らしさも相まって、私としては、現代のピアニストによるドビュッシーの前奏曲集の録音の中では、最も優れた至高の超名演と評価したいと考える。音質も2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える(前奏曲集第1巻の音がやや篭り気味なのがいささか気にならないでもない。)。ただ、これだけの超名演だけに、最近話題のシングルレイヤーによるSHM−CD&SACD盤で発売して欲しかったと思っている聴き手は私だけではあるまい。

    10人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/08/25

    かつてのCD全盛時代においては、膨大な数の新譜CDの発売が毎月のようになされているが、近年においては殆ど数えるほど。かつての名演の高音質化や大指揮者のライヴ録音の発掘などが大半(それも素晴らしいことではあるが)で、ネット配信が隆盛期を極める中で、CDにとっては極めて厳しい時代が続いていると言えるだろう。そのような中で、膨大な投資を必要とするオペラの新譜が激減しているのは必然的とも言えるところであり、ましてや国内盤の新譜にオペラCDが登場すること自体が、もはや奇跡に近い状況にあるとさえ言えるだろう。その意味では、本盤におさめられた歌劇「カルメン」全曲の登場はにわかには信じ難い出来事。ましてや、現代最高の黄金コンビとも言えるラトル&ベルリン・フィルによる演奏という豪華な布陣にはただただ驚くばかりだ。前述のような厳しい時代だけに、この黄金コンビとしてもオペラの録音は何と10年ぶり2度目。かつてのカラヤンやアバドが、自らの膨大なオペラレパートリーをベルリン・フィルとともに録音していたことを考えると、正に隔世の感があるとも言えるだろう。それだけに、この黄金コンビにとっても満を持してのオペラ録音ということになるのであろうが、演奏も素晴らしい。何よりも、ラトルが芸術監督に就任してから10年を経て、いよいよベルリン・フィルを完全掌握している好調ぶりが如実にあらわれていると言える。カラヤン時代のような重厚さはないが、少なくともアバド時代と比較するとオーケストラの力感は十分に圧倒的であり、何よりも卓越した技量に裏打ちされた、各場面毎のいい意味での柔軟性に富んだ機能性の凄さは、かのカラヤン時代さえ凌いでいるとさえ言えるのではないだろうか。ラトルの現代的な感覚の鋭さ、そしてベルリン・フィルの伝統に卓越した技量と伝統に裏打ちされた柔軟性と機能性が見事にマッチングして、正に清新な歌劇「カルメン」像の確立に成功しているとも言える。ベルリン・フィルやウィーン・フィルとともに同曲の超名演を遺したカラヤン、そしてロンドン交響楽団とともに強靭な生命力と豊かな歌謡性を併せ持った稀有の名演を成し遂げたアバドによる演奏とは一味もふた味も異なる演奏と言えるが、あざとさをいささかも感じさせない現代的なセンスに溢れた本演奏は、正にラトル&ベルリン・フィルという稀代の名コンビぶりとともに、21世紀における新しい歌劇「カルメン」像を確立したという意味において、偉大な両先輩による名演にも比肩しうるだけの素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。歌手陣も、いわゆるラトルの旗本とも言えるコジェナーやカウフマンなどが圧倒的な名唱を披露しており、ベルリン国立歌劇場合唱団の秀逸さも相まって、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。そして、音質はSACDによる圧倒的な超高音質だ。歌手陣の細やかな息遣い、そして独唱、合唱、オーケストラ演奏のそれぞれが明瞭に分離して聴こえるのはさすがはSACDと言うべきであり、音質の鮮明さ、音場の拡がり、音圧の凄さのどれ一つをとっても超一級品の仕上がりになっていると言える。いずれにしても、現代最高の黄金コンビであるラトル&ベルリン・フィル等による歌劇「カルメン」の圧倒的な名演を、最高の高音質SACDで味わうことができる喜びを大いに噛みしめたい。

    11人の方が、このレビューに「共感」しています。

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     2012/08/19

    現在では押しも押されぬ巨匠ヴァイオリニストとして世界的な活躍をしているクレーメルによる若き日の名演だ。クレーメルは、現在でもそうした評価がなされているが、超絶的な技巧をベースにしつつ、現代的なセンスに持ち溢れた鋭さを感じさせる演奏を行うことで世に馳せている。本盤におさめられたシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてシュニトケの合奏協奏曲ともに、そうしたクレーメルの個性が溢れた演奏に仕上がっていると言える。クレーメルのヴァイオリン演奏の引き立て役は、これまた現在ではロシアを代表する大指揮者に成長したロジェストヴェンスキーであるが、ロジェストヴェンスキーはロシア音楽を得意とはしていたが、シベリウスについても得意としていた。現在では入手難となっているが、かつての手兵であるモスクワ放送交響楽団とともにシベリウスの交響曲全集をスタジオ録音している。当該演奏は、オーケストラがいかにもロシア色濃厚な演奏を行っていることもあって、必ずしもシベリウスに相応しい演奏とは言い難いものがあったが、それでも総体としては考え抜かれた立派な演奏であり、交響曲第3番や第7番の録音を遺したムラヴィンスキーや、近年のマリス・ヤンソンスなどと並んで、ロシア系の指揮者としては希少なシベリウス指揮者と言えるところだ。本盤の演奏は、オーケストラがシベリウスの名演を様々な指揮者と行うなど、定評のあるロンドン交響楽団であり、ロジェストヴェンスキーとしても、オーケストラのロシア的な色合いに邪魔されることなく、正に水を得た魚の如き演奏を行っていると言える。その演奏は、若干ロマンティシズムに傾斜しつつあるきらいもあるところであるが、クレーメルの一切の甘さを排した鋭角的で霧味鋭いアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするのに大きく貢献しており、こうした指揮者とヴァイオリニストがお互いに足りないものを補い合った結果が、本演奏を名演たらしめるのに繋がったとも言えるところだ。シュニトケの合奏協奏曲は、ロシアの現代作曲家による作品だけに、ロジェストヴェンスキー、クレーメルともに、お互いの才気が迸るような見事な名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。第2ヴァイオリンを担当したタチアナ・グリンデンコによるヴァイオリン演奏も見事であると言える。いずれにしても、本盤の演奏は、ロジェストヴェンスキーとクレーメル、そしてグリンデンコというロシア系の音楽家がお互いの才能をぶつけ合うとともに、足りないものを補うなど相乗効果を発揮させた素晴らしい名演と評価したい。音質については、従来CD盤でも1977年のスタジオ録音ではあるものの、比較的満足できる音質であったと言えるが、これだけの名演だけに、長らくの間、高音質化が望まれてきた。そのような中で、今般、かかる名演が待望のBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。とりわけ、クレーメルのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてBlu-spec-CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、クレーメル、そしてロジェストヴェンスキー&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/19

    フランスの長老大指揮者として活躍していたフルネは、オランダ放送フィルとともに様々な楽曲の録音を遺したが、その中でもレパートリーの中心となったのは、当然のことながらフランス音楽であったことは言うまでもない。本盤におさめられたオネゲルの管弦楽曲や交響曲第3番は、フルネの得意としていた楽曲であると言えるが、この中で文句のつけようのない名演は管弦楽曲であると思われる。老巨匠ならではの老獪とも言うべき指揮ぶりが、各楽曲の魅力を引き立てることに貢献し、いい意味での聴かせどころのツボを心得た巧い演奏を展開していると言える。本盤におさめられた各楽曲は、現代音楽でありつつ、比較的わかりやすい曲想を有していると言えるが、フルネは、それらの曲想を精緻かつ丁寧に描き出していくとともに、どこをとってもフランス人指揮者ならではの気品と格調の高さを損なうことがない点を高く評価したいと考える。他方、交響曲第3番については、オネゲルの5曲ある交響曲の中でも代表作とも言うべき傑作であるだけに、古今東西の様々な大指揮者によって録音がなされてきている。かの巨匠ムラヴィンスキーやカラヤンなども同曲をレパートリーとして、優れた名演を遺しており、そうした海千山千の大指揮者による名演の中で、存在価値のある名演を成し遂げることは必ずしも容易であるとは言い難い。本演奏においても、フルネは健闘はしていると思う。ムラヴィンスキーの演奏のような、楽曲の心眼に鋭く切り込んだいくような彫の深さ、カラヤンの演奏のような、ダイナミックレンジを幅広くとり、同曲の有する劇的な要素を際立たせた強靭さなどとは無縁の演奏であり、前述したような管弦楽曲の演奏におけるアプローチと同様に、曲想を精緻かつ丁寧に描き出すことに腐心しているとさえ言えるところだ。したがって、聴き手によっては、いささか物足りなさを感じることも十分に考えられるが、オネゲルが同曲に込めた美しさを際立たせるという意味においては成功していると言えるところであり、その意味においては、同曲の持つ美しさに焦点を当てた佳演と評してもいいのではないだろうか。フルネであれば、もう少し深みのある演奏を行うことが可能ではないかとも考えられるが、これだけ美しい演奏を展開してくれたフルネに対して文句は言えまい。いずれにしても、本盤におさめられた演奏は、フルネ&オランダ放送フィルの名コンビぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、フルネ&オランダ放送フィルによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/08/19

    本盤は、全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる名CDと言える。本盤には、この黄金コンビによるヨハン・シュトラウス2世やヨゼフ・シュトラウスによるウィンナ・ワルツの演奏(1962年のスタジオ録音。歌劇「こうもり」序曲のみ1958年のスタジオ録音)がおさめられているが、一般的ないわゆるウィンナ・ワルツ的な演奏とは随分と様相の異なった演奏に仕上がっていると言えるだろう。セル&クリーヴランド管弦楽団による全盛時代の演奏はそれは凄まじいものであり、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇っていた。米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、自らのオーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が数多く活躍しているが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。もっとも、そのようなセルも、オーケストラの機能性を高めることに傾斜した結果、とりわけ1960年代半ば頃までの多くの演奏に顕著であるが、演奏にある種の冷たさというか、技巧臭のようなものが感じられなくもないところだ。本盤におさめられた演奏も、そうしたセルの欠点が顕著であった時期の演奏であるが、楽曲がウィンナ・ワルツという小品であるだけに、技巧臭などは殆ど感じられないところである。もっとも、前述のように、いわゆるウィンナ・ワルツ的な演奏とは様相が異なっていることから、ウィーン風の抒情に溢れた情感豊かな演奏を期待する聴き手には、いささか不満が残る演奏と言えなくもない。しかしながら、演奏全体の引き締まった造型美や響きの精緻さにおいては、他の演奏には類例を見ない完全無欠の演奏に仕上がっており、聴き終えた後の充足感には並々ならないものがあると言えるところだ。いずれにしても、本盤におさめられた各楽曲の演奏は、全盛期のセル&クリーヴランド管弦楽団によるオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。音質は、今から約50年前のスタジオ録音だけに、本従来盤はいささか不満の残るものであると言える。数年前に発売されていたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的に鮮明な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものであったと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、仮に中古CD店で購入できるのであれば、多少高額でも是非とも購入をおすすめしておきたいと考える。

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     2012/08/19

    セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになったと言える。もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところであり、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークの後期交響曲集(第7〜第9番)やドヴォルザーク及びスメタナの管弦楽曲(弦楽四重奏曲第1番のセルによるオーケストラバージョンを含む。)の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。もっとも、ドヴォルザークの交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いと言えるが、それでも本盤におさめられた演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。音質は1949〜1963年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、このうちドヴォルザークの交響曲第7〜9番と序曲「謝肉祭」、スメタナの歌劇「売られた花嫁」の序曲については、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤によって、圧倒的に鮮明な音質に生まれ変わったと言える。それらについてはBlu-spec-CD盤も発売されており、それも従来盤をはるかに凌駕する高音質であると言えるが、SACD盤には到底敵し得ないと言える。もっとも、当該SACD盤のうち、ドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番をおさめた一枚は現在では入手難であるが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠な名演を現在望み得る最高の高音質で味わうためにもSACD盤の意義は極めて大きいものであると言えるところであり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても、当該SACD盤の入手をおすすめしておきたい。いずれにしても、セルによるドヴォルザークやスメタナの楽曲の演奏はいずれ劣らぬ名演揃いであり、今後はすべての楽曲について、最低でもBlu-spec-CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2012/08/19

    セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになったと言える。もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところであり、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークの交響曲第8番や第9番の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。もっとも、交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いと言えるが、それでも本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。音質は1958〜1959年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な鮮明な音質に生まれ変わったと言える。Blu-spec-CD盤も発売されており、それも従来盤をはるかに凌駕する高音質であると言えるが、SACD盤には到底敵し得ないと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠な名演を現在望み得る最高の高音質で味わうためにもSACD盤の意義は極めて大きいものであると言えるところであり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても、当該SACD盤の入手をおすすめしておきたい。

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     2012/08/19

    セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになったと言える。もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところであり、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークの交響曲第8番や第9番の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。もっとも、交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いと言えるが、それでも本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。音質は1958〜1959年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な鮮明な音質に生まれ変わったと言える。Blu-spec-CD盤も発売されており、それも従来盤をはるかに凌駕する高音質であると言えるが、SACD盤には到底敵し得ないと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠な名演を現在望み得る最高の高音質で味わうためにもSACD盤の意義は極めて大きいものであると言えるところであり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても、当該SACD盤の入手をおすすめしておきたい。

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     2012/08/19

    セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになったと言える。もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところであり、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークの交響曲第7番や序曲「謝肉祭」、そしてスメタナの歌劇「売られた花嫁」からの抜粋である序曲、フリリアント、ポルカの各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。音質は1958〜1963年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な鮮明な音質に生まれ変わったと言える。Blu-spec-CD盤も発売されており、それも従来盤をはるかに凌駕する高音質であると言えるが、SACD盤には到底敵し得ないと言える。いずれにしても、当該SACD盤は現在でも入手可能であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠な名演を現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/08/18

    ドヴォルザークが作曲した協奏曲は、作曲年代順にピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲の3曲が知られている。ピアノ協奏曲については、若書きであるせいもあって、リヒテル&クライバーによる名演で知られてはいるものの、いささか魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。チェロ協奏曲が、あらゆる作曲家によるチェロ協奏曲の中でも玉座の地位を獲得している不朽の名作であることは衆目の一致するところであるが、ヴァイオリン協奏曲も、ドヴォルザークならではのチェコ風の民族色溢れる美しい旋律に満ち溢れた名作であり、録音もチェロ協奏曲ほどではないものの、比較的多いところだ。本盤には、そうしたチェロ協奏曲とヴァイオリン協奏曲をカプリングするという極めて珍しいCDであると言えるが、両演奏ともに、演奏者がチェコ出身者で固められているということもあり、正にチェコの民族色を感じさせる魅力的な名演奏であると言えるのではないだろうか。とりわけ、チェロ協奏曲については、かつてのカザルスをはじめとして、ロストロポーヴィチ、マイスキーなど、世界的なチェリストがスケール雄大な名演の数々を成し遂げてきているが、本盤におさめられたフッフロの演奏は、そうした海千山千のチェリストの演奏と比較すると、雄大なスケール感とか超絶的な技量という点においては、はっきり言って太刀打ちはできないと言わざるを得ないところだ。しかしながら、演奏の端々から漂ってくる野趣溢れるとも言うべきチェコ風の情感豊かさと言った点においては、そうした世界的チェリストによる演奏よりも味わい深いと言えるところであり、演奏内容の総体としては、決して劣っているものではないと言える。少々表現は悪いが、豊かな自然に囲まれたチェコの片田舎を思わせるようなひなびた情緒があるとも言えるところであるが、こうした独特の味わい深さこそが本演奏の最大の魅力であると言っても過言ではあるまい。人工的な美の世界に毒されている都会人である多くの聴き手に一服の清涼剤を与えるかの如き演奏とも言えるところであり、私としては、現代においてこそ希少価値のある極めて優れた名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。ヴァイオリン協奏曲については、フッフロのチェロ演奏と同様のことがスークのヴァイオリン演奏にも言えるところであり、楽曲の性格からしても、チェロ協奏曲以上にその性格に合致した素晴らしい名演と高く評価したいと考える。ノイマン&チェコ・フィルによる演奏も、フッフロのチェロ演奏やスークのヴァイオリン演奏を見事にサポートするとともに、両曲のチェコ風の民族色を全面に打ち出した見事な名演奏を繰り広げている点を評価したい。そして、今般、かかる両名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。いずれにしても、フッフロ、スーク、そしてノイマン&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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