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slave さんのレビュー一覧 

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2015/10/30

    マルケヴィチのファンであれば、買っておくべき凄い演奏だと思います。客演で、これだけ徹底した演奏になるのも凄いことです。特に、ベートーヴェンは、まるで自作であるかのように徹底して厳しく演奏しています。マルケヴィチの演奏でも5指に入るでしょう。

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     2015/09/22

     この版はヌレエフ版です。バレエ・ファンであれば、「あなたはヌレエフを見たことがあるか?」と質問された経験があるでしょう。「ない」と答えれば、相手から「あなたはバレエについて何も知らないのですね」という返事を受け取ることになります。たとえ、どれほど、バレエを観ていたとしても。
     「白鳥の湖」の現代における上演は、「ヌレエフ以前と以後」に分かれます。この版では、主人公は王子であり、全ては王子の幻想として一貫して扱われます。この解釈により、ヌレエフは、散漫で支離滅裂な物語に、ドラマ性と一貫した論理性を構築することに成功しています。
     この解釈は、プティパ=イワノフ版の王子の扱いが、どうしてあのようであったのかという歴史的な経緯を踏まえて生まれたものであり、こうした考証の点でもヌレエフの博識ぶりがうかがえます。
    このドラマ性と原典に従った人物像の解釈に加え、ヌレエフの演技者としてのたぐいまれな資質を見ることができるのも、このDVDの大きい魅力です。マーゴ・フォンテーンの自伝には、次のようなことが書かれています。「ヌレエフは、舞台上で腕を伸ばすだけで白鳥を描き出すことができるのよ!と友人に言われたが、私は信じることができなかった。しかし、その友人の言葉は事実だった」。
    この版以上に悲劇的な「白鳥の湖」を私は見たことがありません。結末は原典通り、悲劇的な幕切れになっています。この最後の短い幕切れこそ、「あなたは、ヌレエフを見たことがあるか」という質問に対する答えになるでしょう。このDVDはヌレエフを見るためだけにあると言って良いでしょう。

    付言すれば、マーゴはヌレエフと出会うまで、第3幕のフェッテができなかったので、この演目を長らくレパートリーから外していました。ヌレエフは、マーゴをみて、「右手が後ろに行きすぎる」という1言のアドバイスを与えただけで、マーゴにあのフェッテができるようにしてしまったと自伝に書かれています。このDVDはヌレエフの技術的な正確さについても、見る眼があれば、分かると思います。ヌレエフはダンサーとしては晩学なので、技術的には不正確であるように思われていますが、見る眼があれば、ヌレエフが極めて正確なダンサーであり、多くのダンサーはそうでないことが分かるでしょう。「アントルシャとはこうでなくてはならない」「ブーレというものはこうでなくては」「シャッセのつもりなら、こうなってなくてはいけない」というヌレエフの声が聴こえるようです。この点が、ヌレエフ治下のオペラ座に暮らしたダンサーが、「ヌレエフは違った」ということの意味です。

    早く、デジタル処理をして、綺麗な画像をブルーレイで出して頂きたいと思います。

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     2015/09/01

    アルヴィド・ヤンソンスは1984年11月21日に客演先のマンチェスターでハレ管弦楽団の演奏会の直後に心臓発作のため倒れ、死去しています。この演奏は、その約1ヶ月前の演奏の記録です。演奏会は夜8時からで、前プロはショスタコーヴィチの交響曲第5番、後プロはブラームスの交響曲第4番です。再建されたシャウシュピール・ハウスのこけら落とし公演で、元々予定されていた指揮者アレクサンドル・ドミトリエフの代演です。このブラームスは素晴らしい演奏ですが、よく聴くとヤンソンスが疲れているのか、途中で集中力が途切れている箇所があります。おそらく体調が悪かったのに無理をしたのではないでしょうか。
    ヤンソンスのような優れた演奏会の記録が公開されないままになっていることは、本当に惜しいことだと思います。是非、これからも定期的に公開していって頂きたいと思います。

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     2014/10/27

    ソコロフは、録音が嫌いな演奏家らしい。発売されているCDの多くはライヴ録音で、条件は良くないが、演奏は良い。ゴールドベルクは、熊本マリとソコロフの2人が良い。全社はチェンバロ的でグールドを思わせ、後者はピアノ的でリヒテルを思わせる。ソコロフの録音は、きちんとした録音であれば、もう少し落ち着いて聴けるだろうと思うところがやや勿体ない感じがする。良いところは、とにかく独立した声がお互いに歌うところ。メロディーと伴奏ではなく、メロディーとメロディーが歌い会う演奏になっている点が良い。やや不満なところは会場でくしゃみや席が聞こえるところ。この曲は落ち着いて聴きたい。また、音量上の設計は、おそらく大きいホールでの演奏なのだろう、そういう弾き方になっている。そしてライヴなのでマイクの設置に制限があるのだろう、ホールの空間感や楽器の音色など多くの点では、もどかしさを感じることがある。でも演奏は素晴らしいので、この曲に興味がある方は、必ず一度はお聴きになって損はないと思います。

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     2014/03/21

    このCDは、演奏会場の音を十分に良く捉えています。小さい会場なのでしょう、ペダルの使用を抑制して演奏されています。2000人も入るような大きい演奏会場で、ペダルを多用した演奏を期待しているとがっかりするかもしれませんが、室内楽などのための200ー300人程度のホールで演奏するとこういう感じになります。本来、リスト以外の多くの作曲家は、このような小さい規模の演奏会場のために曲を作っていたのですから、自然な音響であると言ってもよいと思います。テープのヒスは多いのですが、これを気にしない聴き方ができるのであれば、当盤は、音質も演奏内容も、大変に良いものです。大会場での緊張感溢れるミケランジェリの演奏を期待する方からは期待外れと言われるかと思いますが、彼本来の「イタリアの片田舎での大旦那様が地元の人に音楽を聴かせる」というような素朴な味わいが、このCDからは感じられます。聴衆や主催者との信頼関係が演奏内容に良い影響を与えているような気配が感じ取れる貴重な記録です。このCDのマスターの作成は、過度なノイズ除去を行なわなかったという点で大変に良心的且つ音楽的であると思います。この音源は、想像をたくましくすると、恐らく主催者が吊りマイクで収録したか、演奏家に頼み込んで記念として収録したものではないかと思います。聴き方にもよりますが、通常の放送録音のような加工がされていないだけに、素直に味わえる録音になっていると思います。マスターで過度な加工を行なわなかったことは好判断と思います。

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     2012/10/30

    セッションでの全テイクをボックスにして発売するというやり方が良いのではないかと思います。断片や部分テイクも含めて、リスナーが、グールドの2るの録音セッションを見学するという趣向です。これの売れ行きがよければ、発売対象となる音源が飛躍的に増えるので、ソニーとしては良いことではないでしょうか。
    このボックスは、1枚を除き全部持っているので、ちょっと考えてしまいます。

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     2010/10/03

    ミトロプロスの指揮が、雄渾で劇的。2010年に同じレーベルから、ミトロプロスの指揮する同曲がKirsten,Fernandi他による1960年4月16日のライヴ(ARCHPEL WLCD 0297)が出ていることを山崎浩太郎氏のはんぶるオンラインでしり、入手しました。

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     2010/09/04

    私が所有しているのはEMI REFERENCEシリーズのCDです。ディーリアスについてのフェンビー著の伝記の一節に、ディーリアスが来訪してきたエルガーとの面談の様子が記されています。ディーリアスは、フランスのグレにわざわざ来訪してくれたエルガーに、もう少し滞在して行くように言いますが、エルガーはそれを謝して断ります。「メニューヒンという少年と自作の協奏曲を録音することになっているので」と。そのウキウキとした様子が、そのまま録音されています。作曲者自身の指揮であり、超絶的な天才性を新星のように輝かせる、メニューヒンの不滅の録音です。エルガーの曲が理解できないという方には最高の録音であると思います。

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     2010/09/04

    オジェーの正確で清潔な歌声。音程感も良く、とにかくオジェーの良さがたっぷりと味わえる一枚。オジェーが好きな方にも、ソプラノが嫌いな方にもお勧めできる。
    もっとオジェーのCDは沢山出されても良いと思うのだが。。

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     2010/05/02

    ブリテンのモーツァルトへの愛情がひたひたと伝わる演奏。ブリテンの生涯を考え合わせると感慨深い。録音は強奏の部分で若干びり付くのが勿体無い。それでも、この録音が残されたことと公開されたことの意義は大きい。ブリテンのそのほかの演奏も録音で聴いてみたい。

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     2010/03/28

    録音には若干の傷があるが、全ての「春の祭典」の中で、筆頭に挙げて良い演奏だと思う。この曲が本来持っていた衝撃を見事に再現している。ディアギレフに見出され、自らもストラヴィンスキーの後継者たるべき作曲家としてキャリアをスタートさせたマルケヴィチでなくては成し遂げられない記念碑的な演奏だと思う。荒々しいが、粗雑ではない。激越であるが、曲に注がれる眼差しは冷徹である。流石、カエターニの父だと、今更ながらに心を掴まれた。録音はピークで潰れるが、それ以外は、楽器のバランスも音色も悪くない。オーケストラもよく弾いている。必ずしも録音に恵まれたとは言えない鬼才の忘れえぬ記録。

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     2010/03/23

    この盤は、既出のEMI盤とは音源が異なっているということらしいです。伝聞によれば、既出のEMI盤はリハーサルの録音を編集したもので、こちら(イタリアURANIA盤)は、本番のライヴ録音であるということです。

    情報のみの記述ですので、評価はありません(一応、中立的になるように「3」と致しました)

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     2010/03/21

    斎藤の晩年の演奏。彼のモーツァルトの素晴らしいこと。特に39番は、色々と聴いてきたが、これほど納得のできる演奏には出会えなかった。きびきびとしたリズムに、自在なフレーズ。どうしてこの師から教えを受けて、小澤があのようなモーツァルトを演奏してしまうのかが、理解できなくなった。


    モダンなオケで、客観的な解釈を基礎にした上で、上品なロマンが漂う名演奏である。

    世界のどこに出しても恥ずかしくない演奏で、演奏直後に観客が歓声を上げているのも頷ける。

    また、この演奏会では、協奏曲にかつての弟子がソリストとして参加している。よい意味での共通言語に基づく違和感のないアンサンブルで、これも曲趣に最適な雰囲気である。

    斎藤の活躍は、こうした優れた、また人間的にも優れた弟子があってこそであることがよく分かる。ファゴットの浅野は一文を寄せているが、元々フルートを演奏していたところを、斎藤の一声でファゴットに転向させられたのだそうだ。桐朋オケにファゴットが欲しかったのだろう。そうした事情を知りながらも、斎藤の暖かい人柄を描く、浅野のような弟子があっての斎藤であったことが分かるだけでも貴重なCD。

    創設期の新日フィルも優秀。

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     2010/03/21

    斎藤の最後の公開演奏会の記録の後半。

    展覧会では、几帳面な音楽を聴かせる。巨大な迫力でもない、透明なテクスチャでもない、華麗な音色でもない、こうした意味では、決してこの曲に向いているとは思い得ない指揮者である。帰朝した佐藤のお披露目のために集客ができる通俗名曲でロシア物をやろうという趣旨だろう。

    金管がうまくいっていないので曲の前半は落ち着かない感じがする。どうも、指揮者が激怒しているのじゃないだろうか、という妙な感じが拭えない。しかし、後半になると、音楽は流れ出し、即物的ながらも、ある意味では、曲の等身大の姿が丁寧に描かれてゆく。

    アンコールは、斎藤の十八番であったハンガリー舞曲の録音に並ぶ佳演。
    どう聴いても、演奏家というよりは教育者であるが、演奏の中に人間としての思いやドラマがある。こういう演奏は、今はなくなった。

    斎藤を記念する団体に想い起こして貰いたい演奏である。

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     2010/03/21

    斎藤秀雄の最後の公開演奏会の記録。弟子でもあった佐藤がブックレットに書く斎藤との交流が、仄かな恋愛感情を伺わせ、ソ連から帰ったかつての愛弟子と、日フィルの争議によって分派して、誕生間もない新日フィルのために、渾身の演奏を繰り広げる。

    演奏の内容は、よくも悪くも、かつての教養主義的な演奏でありながら、慣習版に依っているなど、「西洋音楽をやるんだっ」「音楽はゲイジツだっ」という時代の色の濃い演奏。

    演奏の内容は、序曲は緊張気味で、人工的な歌いまわしであり、ロッシーニのオペラを知らない演奏家集団の演奏であることが伺われる。こういうところは、トスカニーニがオペラ指揮者であることを閑却して、即物主義を即物的に受容していた時代を彷彿とさせる。

    協奏曲は、斎藤らしくない、オケとソリストが危なっかしいところがあり、弟子に自由にやらせようとする斎藤の甲斐甲斐しい指揮ぶりが伺われる。


    現在の興行になってしまったサイトウ・キネンとは全く異なる斎藤芸術の貴重な記録である。オーケストラも問題がない。一般的に薦める演奏ではないかもしれないが、ある種の懐かしい時代の残響が留められている。私はとても好きだ。

    2人の方が、このレビューに「共感」しています。

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