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村井 翔 さんのレビュー一覧 

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     2011/05/06

    NHK-BSで一度放送されたことがあり、その後もDVDはPAL版しか入手できなかったが、ようやくNTSC版が出ることになった。2幕の終わりに『ルル』組曲の「変奏曲」と「アダージョ」をコーダのように付けて締めくくる形がとられており、切り裂きジャック登場の部分にはちゃんと演技がつくし、場面の間にはテレビ用に別撮りされた映像が入る。2幕版を支持する立場にはそれなりに理解を示したいが、やはりドラマとして不完全なのは明らか。最近では『フィガロ』『コジ』と非常にいい演出が続いて見直したベヒトルフだが、まだこの頃はかなりひとりよがりな舞台。人形を多用し、最終場では切り裂きジャックがルルの局部を持ち去る様子が描かれる(彼は実際に女性の局部を切り取る趣味があったらしい)。エイキンのルルはキャラクター的には適役だがストラータス、シェーファーのような突出した存在感は望めない。ムフのシェーン博士も完全に「被害者」としての役作りで「小物」の印象。指揮は端正で上品。『ルル』でそれはないだろうと言われるかもしれないが、これはこれで悪くない。

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     2011/05/04

    もともとマーラーのオーケストレーション自体が、交響曲とは比べ物にならぬほど薄く書かれているのだから、室内アンサンブル伴奏と騒ぐほどのこともないではないかと聴く前は思っていた。しかし、十数名のアンサンブルによる伴奏は確かに新鮮。世界の名だたる指揮者たちと管弦楽伴奏版の全曲を録音する機会がいくらもありながら、ハンプソンがこれまで全曲を録音しなかった理由が分かった。アルバムはちょっと極端なほど、前半に軽めの曲、後半に重めの曲を集めているが、前半では文句なしに伴奏の見通しの良さが効果を挙げている。歌そのものも技術的には非の打ち所なく、完璧に自分の声をコントロールしているが、そのうまさが啓蒙的な分かりやすさと楽天的な陰影の乏しさに落ち込みがちであるところが、この歌手に対する好みの分かれ目。『死んだ鼓手(レヴェルゲ)』『少年鼓手』のようにストレートに劇的な曲は決して悪くない。しかし『塔の中の囚人の歌』『浮き世の暮らし』『天上の生活』のようにきついアイロニーのある曲、『歩哨の夜の歌』『美しいトランペットの鳴り渡るところ』『原光』のように「彼岸」的な側面のある曲、この2系列に関してはやはり物足りない。

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     2011/05/03

    シューベルト晩年の室内楽曲のなかでも二つのピアノ・トリオ、弦楽四重奏曲『死と乙女』、弦楽五重奏曲あたりは名曲との評価に異を唱える人はいないが、最後の弦楽四重奏曲であるこのト長調はまだ問題作かもしれない。某『名曲解説全集』ではシューベルトが自分の柄に合わないことをしようとした失敗作と断じられたこともあった。しかし、私は『死と乙女』に優るとも劣らぬ傑作だと思う。この演奏はかなり遅めのテンポで強弱、緩急などの表情づけが非常に濃い。第1楽章などは「アレグロ」よりも「モルト・モデラート」を重んじているし、終楽章も「アレグロ・アッサイ」という感じにはほど遠い。しかも主旋律よりはポリフォニックな線のからみを重視して、攻撃的にガリガリと弾いてゆく。叙情的な歌の作曲家という従来のシューベルト・イメージを意図して壊そうとしている演奏で、ネガティヴに見れば「音楽の自然な流れを損なっている」とも言えるが、私は高く評価したい。ベルクも濃密かつ微視的な演奏で、師匠格のラ・サールやアルバン・ベルク四重奏団との世代の差を感じる。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/05/03

    オケの編成自体が大きく、特殊な楽器を含む6番は映像としても見どころが多い。市販ディスクとしてはたぶんこれが三種類目だろう(他にエッシェンバッハ/パリ管のものがヴィデオ・オンデマンドで見られる)。DVDの解説書には指揮者のヘンヒェン自身が演奏会に際して書いた解説が再録されているが、これが実に良く書けているし、2009年の収録にも関わらず、中間楽章をスケルツォ、アンダンテの順にした理由についても説得力ある論拠が挙げられている。つまり、学者肌の指揮者なのかなと思うし、演奏自体も第3楽章まではおおむね手堅く進行するが、終楽章に至って一転。緩急の起伏の大きい、非常にドラマティックな熱演となる。モネ劇場のオケも、さすがに金管群はBPO、CSO並みとは言えないが、大健闘だ。カメラ割りもかなり細かく、終楽章のハンマー(2回だけ)やアンダンテの(オケの中で鳴らされる)カウベル、こまめに行われる管楽器のベルアップなど、見どころは漏れなく捉えられている。終楽章に1回だけある「複数のシンバル」は奏者一人で済まされてしまったようだが、木管群を(客席から見て)左端、ピッコロの横から映すカメラ、チューバの右横から金管群を映すカメラなどはなかなかの迫力だ。

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  • 7人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/05/02

    レーンホフ演出は稀に「当たり」の時があるが、今回は「並」。ほとんどゲッツ・フリードリヒでしょ、という感じのコピー演出で、クリソテミスのキャラクター設定が普通と違うのが唯一の新味だが、たまたま歌手の個性からそうなっただけで、どうやら演出家の意図ではないようだ。最終場も遺体逆さ吊りというコケオドシにこだわったのはいいが、エレクトラが踊り狂ったあげく死んでしまうという本筋がすっかりお留守に。テオリンは新国立の『トリスタン』でも体重増加に伴って歌、演技ともに切れがなくなり心配したが、ここでも奇妙に存在感が薄い。従来の絶叫型猛女と一線を画そうという狙いだとしても、これでは中途半端。ウェストブロークのクリソテミスは胸にイチモツありの悪女で、そういう役作りとして見れば、歌も演技も決して下手ではない。マイアー(まだ歌うのね)は相変わらずの貫祿。文句なしに素晴らしかったのは指揮とオケ。緻密さと濃密な表出力で、ティーレマン/ミュンヘン・フィルをも凌いでいる。

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     2011/04/29

    一時期面白がったこともあったが、最近の私にとってはどーでもいい曲になっていたアルプス交響曲。しかし、BPO定期でのショスタコ8番の圧倒的名演で度肝を抜かれて以来、目が離せない指揮者になったネルソンスは、シュトラウスの凝りまくりオーケストレーションをこれでもかと言わんばかりに、エグく、かつアグレッシヴに掘り起こして聴かせる。カラヤン以下、もっとスマートで、きれいに整えられた演奏なら他にいくらでも聴けるが、それとは全く別のタイプの、若いころのマゼールみたいな演奏で、久しぶりに曲の凄さを見直した。指揮台上でかなり暴れるタイプなので、驚異的な解像度を誇るこのライヴ録音には唸り声や足音などが結構、盛大に入っているが、それもまたご愛嬌。「7つのヴェールの踊り」も昨今では滅多に聴かれないような熱い爆演。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/04/29

    相当に名のあるピアニストでも第18番ト長調(幻想ソナタ)の第1楽章第1主題はべったり遅く弾いてしまいがちだが、メジューエワは細かいクレッシェンド、ディミヌエンドと絶妙なテンポ・ルバートで、かつて聴いたことがないほど美しくこの主題を弾く。しかも思いのほか左手(バス)が強く、それが効いている。ロシア系女流ピアニストのシューベルトでは、レオンスカヤのものを愛聴してきたが、メジューエワに比べるとスケールの大きさはあるが、細やかさに欠け、鈍いと言わざるをえない。この演奏を聴くとシューベルトは歌の作曲家であると同時にリズムの作曲家でもあることを思い知らされる。第2楽章の劇的な起伏も、かつてないほど深いし、第19番ハ短調の終楽章では疾走感と同時に諦念や「はかなさ」すら感じられる。間違いなく録音されるであろう次の2曲、イ長調と変ロ長調のソナタも楽しみだ。

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     2011/04/13

    エクストンへの一連のマーラー録音のなかでは最も良い出来だと思うが、それはチェコ・フィルと都響どっちが上かという話以前に、後述のようなインバルのアプローチと5番との相性が圧倒的に良いからだと思う。フランクフルト放送響との全集は従来、口当たりの良い形に「馴らされる」のが普通だった、微細な強弱や緩急などのニュアンス、弦のグリッサンド、ホルンのトリルといった特殊奏法を総譜の指示通り、細かく再現することを目指した、素晴らしい録音だった(オケの技術的進歩がそれを可能にしたという背景もある)。しかし、クリアだが量感に乏しい録音のせいもあって、CDが知的でクールな印象だったのに対し、同じコンビの来日公演では非常な爆演を聴かせ、CDとナマはずいぶん違うと思ったものだ。エクストン録音はほぼライヴということもあって、かなり爆演寄りの演奏。そのため少々、粗いところもあるが、5番では昔ながらのインバルらしい細部へのこだわりと、速めのテンポをとったライヴらしい勢いとが、うまく両立している。アダージェットも美しく旋律を歌うことよりも(そうしたやり方の典型はカラヤン)、細かい緩急と強弱の指示にこだわった再現をしていて、こんなに神経質な演奏では楽しめないという人もいるだろう。マーツァルが煩瑣な指示をある程度、無視することによって明快な、聴きやすい音楽を実現していたのに対し、インバルの方が多層的で複雑な味わいがある。あとは好みの問題だが、私はインバルの方が好き。

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  • 8人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/04/06

    ロシア的な泥臭さをきれいに洗い流した清新なラフマニノフで、これじゃラフマニノフじゃないと言う人もいるかもしれない。でも、これまでラフマニノフだと思って聴いてきたものは全部間違いだったのかもしれない。そこまで考えさせる驚異的なディスク。協奏曲のつけ合わせ(フィルアップ)として録音されることが多い『狂詩曲』が前に演奏されていて、ライヴでの曲順通りかもしれないが、聴きものはむしろこちらの方。かなり小さめの編成のマーラー室内管の見通しの良い、同時にポリフォニックな彫りの深い伴奏に乗って、ユジャ・ワンが水を得た魚のように、変幻自在に駆け回る。ブラームスの『パガニーニ変奏曲』を得意にしていることからも分かる通り、変奏曲という形自体が彼女の動物的な(私は「猫的」と言いたい)敏捷さとしなやかな感性を生かすに最もふさわしい形式だが、それにしてもここでの彼女の演奏の冴えには言葉を失う。作品自体が決して古風ではなく、ちゃんと時代にふさわしいモダンな音楽に見えてくるから凄い。「おまけ」の協奏曲第2番ももちろん、悪かろうはずがない。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/26

    1月のN響への客演で、男子フィギュア選手のような写真以上のイケメンであることが確認されたワシリー・ペトレンコの最新盤。初演者ムラヴィンスキー以下、カラヤン(私は評価しないが)、ラトル、最近ではP.ヤルヴィと名盤山盛りの10番に挑んできた。やはり遅い楽章、特に第1楽章の丁寧さが印象的。クライマックスも、かつての旧ソ連型演奏では、金管をやたら煽るだけだが、ペトレンコは弦の刻み音型を克明に聴かせてくれる。第2楽章はオケ全員、まなじりを決したように突進するが、このぐらいは現代の機能的なオケなら普通にできる。むしろこの凄まじい暴虐の後、半ば放心したような第3楽章のアイロニーを的確に描けるところが、この指揮者とオケの美点。終楽章も勝利の大団円と見せかけて、実は作曲者はパロディを仕掛けていることを、ちゃんと分からせてくれる。

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  • 4人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/26

    近年のアバドの充実ぶりと特に若い人たちと演奏した時の彼の積極性が端的に味わえる素晴らしいディスク。まず冒頭のスキタイ組曲はちょっと前にドゥダメル指揮で出た『春の祭典』同様、目のくらむような色彩とリズムの饗宴。もともとプロコフィエフを得意とするアバドの指揮もことのほか冴える。『ルル』組曲も決して場違いではなく、濃密な情念はやや薄味になったとしても、これまでのアバドの録音にはなかった、なまなましい感触が新鮮だ。若いプロハスカの知的な歌唱も曲にふさわしい(ベルクではかなり表情を作っているようで、アンコールのモーツァルトの方が素の彼女かもしれないが)。最後に『悲愴』が選ばれたのは2010年夏のルツェルンでマーラーの9番が演奏されるのを踏まえた選曲だろう。両曲の楽章配置には明らかな類縁性があるからだ(終楽章で明かりを落とす演出も同じ)。低回趣味とは無縁のスタイリッシュな解釈だが、これもSBYOならではの名演。このオケのいつもの流儀ではあるが、近年では珍しい完全な倍管編成(ホルンは8本)がとられていて、第1楽章では第2主題の細やかな歌い口と展開部の爆発的な盛り上がりとのコントラストが強烈そのもの。中間部でのアバドらしい音量の抑え方が印象的な第2楽章に続いて、第3楽章もまた火を噴くような演奏。しかし、ロシアのオケのような野放図な豪胆さとは違って、切れ味が鋭い。最後に見せるバスの強調は、アバドとっておきの裏技だが、ものの見事に決まっている。

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  • 14人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/26

    指揮者は100歳になっても、健康さえ許せば、指揮台に立ち続けられる職業だが、誰かさんの振り間違えで『春の祭典』が崩壊寸前になったなどという噂話がたちまち地球の裏側にまで伝わってしまう情報化社会の昨今では「美しく老いる」のが難しい職業でもありそうだ。この演奏を視聴して改めて痛感するのは、アバドほど「美しく老いる」ことに成功した芸術家はめったにいないということ。緩急にせよ強弱(特に強)にせよ、あらかじめ設定した枠から出ようとしないアポロ的でスタイリッシュな演奏。ライヴでのアバドは稀にその枠を破ることもあるが、ここには「踏み外し」はない。マーラーの9番をこんなにエレガントに振るなんて、アバド以外には不可能な芸当だ。若干、力押し気味であったBPO盤に比べるとスケールこそやや小さいが、きめ細やかな緻密さは無類。思わぬ声部の強調など、新しい解釈すら見られる。ただし、最後の音が消えてから2分以上に及ぶ聴衆の沈黙は感動的だが、照明を落とすという演出はやらずもがなだし、ppにこだわるあまり音楽が痩せてしまうという昔からの悪癖も相変わらず。というわけで、演奏のタイプとしては好きな物ではないが、これだけの成果に5つ星を捧げないわけにもゆくまい。

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  • 5人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/26

    バレンボイムは本当に出来不出来の激しい指揮者だ。2007年10月、同じコンビのサントリーホールでの9番は、ベルリン国立歌劇場来日公演(バレンボイムが3演目すべてを指揮した)の合間の演奏だったせいもあって、全く覇気のない事務的な出来ばえに終始し、ひどく失望したのを覚えている。ところが2009年4月5日、ベルリン・フィルハーモニーでのこの収録は別人のように素晴らしい。上述の表記を信じるならば2007年春、ブーレーズとバレンボイムがマーラー交響曲連続演奏会をおこなった時の演奏ではないようだ。第1楽章第1主題におけるヴィオラ以下のピツィカート、ホルンの対旋律の強調から早くも明らかな通り、主旋律よりもポリフォニー重視。各楽章とも基本テンポは速めで、シェーンベルクやベルクの視点から9番を振り返ったような、非常に表出力の強い表現主義的演奏。バレンボイムのマーラー演奏のなかでも、飛び抜けて旗幟鮮明なアプローチで、CDの時にも大いに誉めたが、改めて感服させられた。9番に関してはバーンスタインがケタ違いの別格的演奏だが、彼以外にもう一人、指揮者を挙げるとしたら、私はバレンボイムを採る。ただ一つ、楽章間の間(ま)を切り取ってしまった編集の仕方は感心できない。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/15

    このコンビによるマーラー録音の第1弾であった、1986年録音のラトル/バーミンガム市響による録音を私はこの曲のベストディスクとして、ことあるごとに人に勧めてきたが、この演奏はそれをも凌ぐ。しかし、これはいわゆる爆演ではない。ラトルはきわめて冷徹にスコアを読んで、若いマーラーがこの曲に盛り込んだ、山盛りの「効果」を生かそうとしているだけだが、それが本当に実現されると、たとえば第1楽章再現部前の凄まじいリタルダンドなど、楽譜に書いてあることとはいえ、鳥肌が立つほどの盛り上がりになる。コーダが事実上の葬送行進曲となって、大きくテンポを落とすのも全く必然。この時のBPOは18型(コントラバス10台!)の超大編成だったが、無敵のスーパーオケがシャカリキになると、どういう凄いことが起こるかを如実に見せてくれる。さらにコジェナーの独唱がまた、素朴にして深い。合唱の出は、欲を言えばもう少し音量を抑えてほしかったが、無伴奏での歌い始めは至難で、pppにこだわるとピッチが下がってしまうのは了解できる。画竜点睛を欠いた感があるのはケイト・ロイヤル。私はEMIが売り出しに熱心な、このソプラノの良さがまだ分からないが、この空前絶後の名演にとっては、僅かな傷でしかない。

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  • 1人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2011/02/14

    この曲は昨秋の上岡敏之とヴッパータール交響楽団の驚異的名演(CDももちろん良かったが、ナマはケタ違い)の記憶がぬぐえないので、もはや生半可な演奏では満足できないが、このCDは悪くない。ゲルギエフの作る音楽には常にある種の俊敏さ、フットワークの軽さがあるので、いつものショウマンシップも手伝って(幸いCDでは指揮姿は見えないが)、ずっしりした手応えを期待する聴き手は肩すかしを喰らったように感ずるのかもしれない。でも、それはとりもなおさず彼の音楽の新しさなのだと思う。この曲も比較的速めのテンポで、そんなに緩急の起伏を大きくとるわけではないが、劇的なコントラストはしっかりつけられていて、例によって少々粗いところはあるが、指揮者のやりたいことは良く分かる。たとえば、第2楽章の第2主題では木管の対位旋律をしっかり聴かせようと神経をつかっていることが分かるし、例のアダージェットではマーラーの書き込んだ細かいテンポの変化に忠実に従おうとしている。曲との相性のせいか、このところやや不出来な録音が続いたツィクルスだが、最初の3曲(6、1、7番)並みの水準に復帰したと思う。

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