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Review List of 村井 翔 

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  • 1 people agree with this review
     2012/09/13

    既に昨年、発売されていたディスクだが、この不世出の名歌手の追悼のために真夏に正座して見た。1979年1月と言えば、フィッシャー=ディースカウの7種の正規録音の中でも1)声のコンディションの良さ、2)解釈の深化、3)ピアニストの優秀さ、以上の3条件を兼ね備え断然、トップに位置すると考えられるバレンボイムとのDG録音が行われたのと同じ月だ。ピアニストが変わったことによって、どのくらい違いが出たかがとても興味深い。結論から言えば、二つの演奏はテンポの配分、細部の表情づけなど、双子のようにそっくりだ。しかし、違いは全くないかと言われれば、やはりある。バレンボイム盤は特に前半は比較的クリアに、淡々と進行し、後半になってから解剖学的とも言える細密描写で勝負をかけてくるのに対し、この録画は前半の方がむしろ熱く、後半では諦念が支配的だ。全24曲が通して録画されたわけでないのは明らかだが(前半最後の「孤独」では汗をしたたらせている歌手は、「郵便馬車」になるとすっかりリフレッシュしている)、それでも正装してカメラの前で歌うという状況が、実際にはお客はいなくても演奏会的なライヴ感を高めているのだろう。かなり直接音の多い音の録り方(映像では歌手の1メートルほど前にマイクが置かれているのが見える)も多少の粗さは辞さない、熱い印象を助長している。だから印象の違いは、ピアニストの違いよりも収録状況の差に由来するように思われるが、ブレンデルのクリスタルな美音ももちろん十分に魅力的だ。
    ボーナスの56分に及ぶリハーサル映像は字幕なし(聞き取れない言葉が多いため、字幕は断念せざるをえなかったとの断りがリーフレットにある)。アルトハウス社のドイツ人スタッフが聞き取れぬ言葉がわれわれに聞き取れるはずもないが、全体の雰囲気は良く伝わる。80年代にはしばしば共演を重ねる二人だが、この時点では明らかに歌手の方に主導権があることが分かる。後のクヴァストホフ/バレンボイムの同種のリハーサル映像と比べてみると面白い。ともあれ、この絶頂期のフィッシャー=ディースカウの『冬の旅』が見られるようになったことには、ただただ感謝あるのみ。

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  • 4 people agree with this review
     2012/09/07

    マスネ没後100年にふさわしい、この魅力的なオペラの初映像ディスク。同時発売の『ドン・キショット』でも冴えた仕事をしているローラン・ペリーの演出が実にすばらしい。比較的簡素な装置(特典映像で演出家自身が語っている通り、故意に「二次元的」に、つまり絵本の中の場面のように作られている)を使い回しているが、随所にきらりと光るアイデアがある。たとえば、第1幕の終わりでサンドリヨンの身支度を手伝う妖精たちが全員、「灰かぶり」姿なこと。一方、第3幕では「王子」姿で、彼女ら(?)が二人の恋を応援していることが伝わってくる。最初から登場している椅子の背もたれに書かれたアルファベットの意味が終幕に至って分かるのも楽しいし、第2幕のバレエも単なるディヴェルティスマンではなく、物語の進行上、意味のある場面になっている。
    フレデリカ・フォン・シュターデ主演の録音では、王子役はテノールに変えられていたが、この上演では元通りのズボン役。つまり、主役二人ともメゾ・ソプラノで、お互いの役柄を取り替えることも不可能ではない歌手が演じるというのが、このオペラの最大の魅力。見た目とフランス語に関しては、さらに望む余地があるとしても、ディドナート、クートともに声楽的には申し分なく、ちょっと倒錯的な二重唱が楽しめる。ハイ・ソプラノの妖精役を加えた第3幕終わりの三重唱は、まさしく『ばらの騎士』の先駆だ。

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  • 1 people agree with this review
     2012/09/05

    賛否両論になるのは当然かと思うが、改めて見直してみて老匠ノイエンフェルスの(スキャンダルメーカーとしての)名声に恥じぬ見事な舞台に感服した。発売からだいぶ時間が経ったので、ネタばらしを含めて解説してしまっても構うまい。オペラの背景をなすハインリヒ王の募兵活動については、近年の演出ではまず肯定的に描かれることはない。「祖国防衛」をうたってはいても結局、他国を侵略することになったのは歴史の教える通りだからだ。その他、ヒトラーがとりわけ好んだオペラだったというような「ファシズム的」側面を、演出は密閉された実験室内での心理劇に還元することによって極力、切り捨ててしまった。付和雷同的な民衆が実験動物、ネズミにたとえられるのは分かりやすい比喩。だから第1幕でローエングリンがエルザに「禁問の誓い」をさせる場面では、合唱団や他の面々は退場し、この二人だけになる。そこにオルトルートだけが忍び入ってくるのは秀逸。なぜなら、彼女はエルザのアルター・エゴ(もう一人の自分)だから。第2幕、教会に向かうエルザの前にホワイトスワン対ブラックスワンという様相で現われたオルトルートは最後にエルザにキスをするが、これはここでエルザ+オルトルートが合体して「一人」になることを的確に表現している。最終場では黒服のエルザに対し、オルトルートは王冠をかぶった白服で現われ、二人の関係は逆転してしまう。最後のぞっとするようなゴットフリートはノイエンフェルスの得意技ではあるが、もちろん彼の帰還で幕切れの悲劇的印象が相殺されないようにするための仕掛けだ。
    ネルソンスの指揮はスケール大きく、抑えるところと表現主義的な強調の切り換えも老練で、実に素晴らしい。フォークトの特殊な声は、超人ゆえ人間界では拒まれざるをえない悲劇のヒーローに最適だし、ダッシュも歌+演技力の総合点では高水準のエルザだ。ツェッペンフェルトは神経症患者のような、おびえた王という演出の特異なキャラクター付けにうまく対応している。人の良さそうなラシライネンも単なるオルトルートの操り人形という、この演出コンセプトなら悪くない。この優れた上演の唯一の弱点はオルトルート。ヴァルトラウト・マイアー以下、強烈なオルトルートを何人も見てしまったので、これでは満足できない。

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  • 5 people agree with this review
     2012/09/04

    『オランゴ』は実に面白そうな話。現在残っているプロローグに続く第1幕以降の台本があれば、同じく人間になった(ならされた)猿の物語であるカフカの短編小説『アカデミーへの報告書』のように展開したと思われるが、政治的なものを含めた「諸般の状況の変化」により台本自体がそれ以上、書かれなかったという。音楽的には、上演不能になったバレエ『ボルト』からの使い回しも多いが、この時期のショスタコーヴィチらしい才気煥発な音楽は30分ほどのプロローグだけでも十分楽しめる。第4交響曲もまた注目の演奏。そんなにスケールの大きさを誇示するタイプではないし、きっちり振りながらも表現主義的な強調ポイントを逃さないインバル/都響(まもなく発売)とも違う。サロネン/フィルハーモニア(第1回録音)の『春の祭典』をはじめて聴いた時には、この難曲をどうしてこんなに明快に、分かりやすく振れるのかと驚いたが、あの感じに似ている。この異形の交響曲をもはや異形とは感じさせない演奏で、部分的な修正はあるとしても、第1楽章の例のフガート部分を含めて、ほぼ1発ライヴでのこの精度には舌を巻くしかない。終楽章の軽音楽風に展開する部分(ここでは、かつて聴いたことがないようなアゴーギグも見せる)での無気味な対旋律の生かし方などは、さすがサロネンらしい楽譜の読みだ。

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  • 2 people agree with this review
     2012/08/24

    曲の聴かせどころを心得た、非常にうまい演奏。だから皆さん高評価なのも当然でしょう。第2楽章主部のヴィブラートを抑えた細やかな演奏(やや速めのテンポ)など、メンバーがピリオド・スタイルにも通じていることが生きていると思う。一方、中間部は思いっきり熱っぽく盛り上げる。第3楽章の主部とトリオの鮮明なコントラスト、終楽章のボケとツッコミ(つまりノンシャラントな部分と熱い部分)の配合も実に巧み。ただ、バルトークやラヴェルではあまり見られなかったライヴのような熱気(スタジオ録音だけど)が今回は感じられたのはちょっと意外だった。シューベルトということで、3人いるドイツ人の地が出たのかな。結局のところ、見事な模範演奏、誰もが誉める最大公約数的な出来ばえだけど、この名作の新しい側面を見せてくれたかといえば、今回はそうとまでは言えない。同世代のクワルテットによるディスクでは、シャープな切れ味ではフォーグラーSQ、異常なほどのデリカシーではベルチャSQの方が上。

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  • 1 people agree with this review
     2012/08/10

    舞台はバロック・オペラ風の額縁舞台で、終始暗めのその空間にウィリアム・ケントリッジのモノクロ手書きアニメーションが投影される。目から発する光、コンパスなどフリーメーソン的アイコンが多用される一方、夜の女王の登場場面では星のきらめく宇宙空間が表象される。人物達は19世紀の服装で、19世紀の暗箱カメラ(冒頭シーンで三人の侍女たちが扱う)の中での「光=啓蒙主義=ザラストロ」と「闇=無意識=夜の女王」の抗争を歴史的なパノラマとして見せようという趣向。演出家は啓蒙主義に諸手を挙げて賛成というわけでもなく、ザラストロの「殿堂のアリア」では、このアリアの歌詞を茶化すように野生動物(タミーノが笛を吹く場面で出てきたサイ)をハンターが撃ち殺す映像を流す。そう言えば、初登場時のタミーノの服装もアフリカ探検者のそれだ。つまり、メディア論からポスト・コロニアリズムまで知的なガジェット満載の実に興味つきない演出。しかし、結局のところ見て面白いかと言えば、ちょっと堅苦しい。パパゲーノをめぐる諸エピソードに精彩がないことからも分かる通り、奔放なメルヒェン、民衆劇としての側面はかなり抑えられてしまっている。コヴェントガーデンのマクヴィカー演出もそうだったが、こういう頭でっかちなアプローチの限界か。ピリオド・スタイルを踏まえた指揮は快調。突出したスーパースターはいないが、歌手陣も皆、及第点以上だ。

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  • 4 people agree with this review
     2012/08/09

    今年はドビュッシーと並んでフレデリック・ディーリアスの生誕150年でもある。というわけで、待望の『人生のミサ』(個人的には『生のミサ』か『生命のミサ』という訳の方がいいと思うけど)の新録音。EMIのグローヴズ盤は懐が深い、鷹揚な持ち味があり、一方、CHANDOSのヒコックス盤はより精緻だけど、ちょっと低体温なところがもの足らなかった。当盤の指揮者、デイヴィッド・ヒルも経験豊かな合唱指揮者ではあるが、これは決して安全運転の演奏ではない。おそらく、これまでで最も劇的な起伏の大きい演奏と言っていいだろう。もちろん全体としてはディーリアスらしい叙情的な場面の多い曲だけど、第1部冒頭、第2部最初の合唱の出の部分、そして終曲などは非常に激しい音楽で、そういう所ではこの録音は、これ以上速くすると合唱がコントロールを失ってしまうほどのテンポをとっている。バリトン独唱のアラン・オピーはバス・バリトン寄りの深めの声の持ち主で、グローヴズ盤のベンジャミン・ラクソンのようなハイ・バリトンとは違ったキャラクターだが、これはこれで悪くない。録音の優秀さを考えると、しばらくはこの曲の代表盤になるのではないか。

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  • 3 people agree with this review
     2012/07/31

    プティボン演ずるルルは、ストラータス、シェーファーが比較的ニュートラルに、男によってレッテルを貼られない「素のままの女性」として演じたのに対し、人形のような童女から明確な悪女まで、表現のヴァラエティが多彩で豊富なのが特色。ルル像としては確かに一方の典型と言っていいだろう。同じ2010年夏のザルツブルクでのライヴも映像ディスクになったが、フェルゼンライトシューレという会場の使い勝手の悪さにかなり災いされているザルツブルク版よりも、全体としてはこちらの方が上か。ジュネーヴでの『ホフマン物語』ではプティボンに全裸に見えるボディスーツを着せたオリヴィエ・ピィだが、この上演では最初からボディスーツ(今回はアンダーヘア付き)着用のプティボン。第1幕第1場の画家とのからみでは早くも(見た目)全裸状態、しかも縄で縛られるという過激な展開に、この先どうなることかと思ったが、性的描写に関してはその後は一応穏健。しかし、舞台は前側と後ろ側に分割され、後ろ側(ゆっくりと移動する)では補助的な演技が展開。キッチュな着ぐるみの多用、原色をぶちまけたような装置と派手なネオンサイン、意味深な文字(独語、仏語、英語)を配するなど、きわめて猥雑で情報量の多い舞台だ。特にアンチリアルに徹した幕切れはなかなか秀逸ではなかろうか。
    主役以外の歌手陣では、こんなに見た目がぴったりのゲシュヴィッツも珍しいユリア・ユオン(ドイツ系スイス人のメゾ・ソプラノ)と相変わらず達者なグルントヘーバーのシゴルヒが見もの。シェーンとアルヴァは丁寧に歌われてはいるが、欲を言えば、少し崩れた感じが欲しかった。ミヒャエル・ボーダーの指揮は作品を完全に手の内に入れたもの、リセウのオケも底力を見せ、ザルツブルク版のウィーン・フィルと比べてもさして遜色ない。

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  • 7 people agree with this review
     2012/07/23

    演出は特定の主張を押し出さないタイプのもの。ダンサーを駆使してかなり意欲的な見せ方をした、同じカシアス演出の『ラインの黄金』と比べてもずっとおとなしい。演技はまあ普通についているし、少なくとも音楽の邪魔はしないという点は評価して良いだろう。CGも多用されるが、いわゆるバレンシア・リングのように、のべつまくなしに説明的な映像が流れるわけではなく、使い方は節約されている。第2幕後半の森の風景はとても美しいと思うが、その代わりジークムントの死の場面は非常にどぎついクプファー演出に比べると物足りない。
    これに対し、音楽面は現在望みうる最高水準と言っても過言ではあるまい。気力充実(この人の場合、指揮姿でそれが露骨に見えてしまう)のバレンボイムの指揮がまず素晴らしい。第1幕最後のアッチェレランドは彼としても会心の出来だろうが、一方、第3幕の幕切れでは遅いテンポでデリカシー重視の指揮、と表現の幅がきわめて広く、多彩だ。機能的な精度ではシュターツカペレ・ベルリンの方が上かもしれないが、スカラ座のオケも決して悪くない。幕切れ近くのヴァイオリンの豊麗さなどは彼らならでは。歌手陣も今やバイロイトでは望めない超豪華版。特にマイヤー、シュテンメという二大歌手の競演は圧巻だ。マイヤーがジークリンデを歌うのはこれが初めてというが、文句なしの出来ばえ。その圧倒的な存在感ゆえにジークムントのかなり歳の離れた「姉」に見えてしまうのも仕方あるまい。シュテンメの方は感情の振幅をあまり歌や演技にストレートに反映させないタイプだが、声そのものは申し分ない。コワリョフのヴォータンも『ラインの黄金』で歌ったルネ・パーペ(悪役寄りの性格的なキャラクターは駄目という定評を実証してしまった)よりはずっと良い。今のところは型通り演じているだけで、彼ならではの個性はないが、それは贅沢な不満だろう。オニールのジークムントもまだ悲劇的な陰影は足らないが、期待通りの見事なヘルデン・テノールだ。

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  • 1 people agree with this review
     2012/07/21

    指揮は決して悪くないと思うが、細部の明晰さが望めないバービカンでのライヴのために、ずいぶん損をしている。ビシュコフ/ケルン放送響が非常に鮮烈な音のする録音だったので、これと比べると可哀相なくらい。歌手陣もデノケ、パーマー、ストーレイ、ゲルネといった脇役は問題ない。特に前記ビシュコフ盤や同じビシュコフ指揮のスカラ座での録画にも出ているフェリシティ・パーマーは秀逸。クリテムネストラは性格的な歌唱を得意とするメゾ・ソプラノにとっては見せ場たっぷりの「おいしい」役だが、パーマーの歌で聴くと、虚勢を張っているだけで本当は臆病な、怯えたおばさんであることが良く分かる。画竜点睛を欠いた感があるのは主役のシャルボネ。歴代の名歌手と比較されてしまうのは録音の宿命だが、ニルソンの怜悧な切れ味もポラスキの貫祿もない。全体としてはいい線まで行ったのに、録音と主役だけが残念なディスクだった。さらに言えば、どうしてもCD2枚にならざるをえない作品だが、このディスクの切り方、つなぎ方はやはりまずくないか。

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  • 5 people agree with this review
     2012/07/17

    順調に録音を重ねるペトレンコのショスタコーヴィチ・シリーズだが、今回は書法としては全交響曲中でも最も前衛的な第2番と、いかにも晩年のショスタコらしい屈折した第15番という注目の組み合わせ。オケの各パート、隅々にまで血が通った第2番ももちろん文句なしに良かったが、第15番には完全にノックアウトされた。第1、第3楽章の尖鋭な音づくりもさることながら、思い切って遅いテンポをとった第2、第4楽章における音楽の何という深い呼吸。これがまだ30台の指揮者の指揮とは、到底信じられない。もはやほとんどオケをマッスとして使わない、室内楽的な書法の作品だが、音色に対するセンスの鋭敏さが、また素晴らしい。第15番に関しては、現在入手不能のBPO盤を含めたザンデルリンクの三種類の録音が他を寄せつけぬ絶対的な王座を形成してきたが、いつもながらの録音の優秀さを加味すれば唯一、その牙城を崩しうるディスクと言ってもいいかもしれない。その録音について言えば、この曲ではきわめて重要な金属打楽器の音色が、とても鮮麗にとらえられていることを特筆しておこう。

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     2012/07/15

    アルバン・ベルクSQの演奏はきわめて攻撃的でシャープだが、ギュンター・ピヒラーのいかにもウィーン的な甘い音色が絶妙な緩衝材になっていた。アルテミスの場合、そうしたウィーン風味がない分(意図的に排除しているのだろう)、演奏の印象は一段とハードだ。『死と乙女』など甘さがないわけではないが、べとべとする砂糖の甘さではなく、人工甘味料使用のゼロカロリー飲料のよう。しかし、これは必ずしも否定的な比喩ではなく、一気呵成の終楽章など実にスリリングだ。最も良いのはやはり第15番で、この曲に関してはアルテミス、ベルチャ、クスなど後続世代が完全にアルバン・ベルクに勝っている。一見、「天国的に長い」能天気な曲にも見えるが、実はこの曲は大変な傑作ではないかと以前から思っていた。アルテミスの演奏もまさにそのイメージ通りで、長大な第1楽章がきわめてポリフォニックな音楽に聞こえるし、第2楽章の中間部や終楽章などにも凄まじい緊張がみなぎっている。もはや決して第1ヴァイオリン主導ではない、4楽器対等の現代的なクワルテットならではの演奏。

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  • 5 people agree with this review
     2012/06/18

    2010年10月、ベルリン・フィル・デビューの際にネルソンスが振ったショスタコの8番はこれ一発だけで彼の名を忘れがたく刻みつけるほどの圧倒的名演だった(デジタル・コンサートホールのアーカイヴにある)。その約1年後のこの演奏は、それに比べればやや落ち着いた印象。煽られると燃え上がりやすいベルリン・フィルと渋めのコンセルトヘボウというオケの差も、感触の違いに影響しているだろうが、曲をしっかり手の内に入れたという安定感では、こちらの方が優っている。ネルソンスの美質はどこかと言えば、まず若さに似合わぬスケールの大きさ。若い指揮者らしく、速いテンポで畳みかけることもできる人だが(このディスクでは前座の2曲がまさにそう)、8番の第1楽章のような長大で、息の長い音楽を遅めのテンポで、じっくりと腰を割って聴かせることもできる。しかも、オケの各パートの隅々まで指揮者の意志が通い、スコアが余すところなく掘り起こされているのを実感することができる。第1楽章のクライマックスに続くイングリッシュ・ホルンの嘆き節など、実に老練だし、速くなりがちな第3楽章も「ノン・トロッポ」を守ったままで、この音楽の狂気を見事に描いて見せる。オーケストラ・コンサートとオペラの両方で、今や向かうところ敵なしの指揮者だ。

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  • 2 people agree with this review
     2012/06/11

    ネーメ・ヤルヴィ指揮/ベルリン・フィルの放送録音を、この曲の最善の演奏として愛聴してきたが、ついに息子のパーヴォが決定盤を作ってくれた。
    作者22歳の時の事実上の処女作、しかも作曲者はオーケストラで演奏されるのを一度も聴いていないわけだから、オーケストレーションに色々不備があるのは当然。にもかかわらず、作品の独創性もまた明らか。第2楽章末尾の強烈な不協和音は本当に19世紀末の音楽かと思うし、明るいスケルツォの曲調が一瞬にして陰るあたりも何とも魅力的だ。パーヴォの演奏にはオーケストレーションの単調さを可能な限りカバーしようという配慮がうかがえるし、CDではこれまでのベストだったセーゲルスタム指揮のBIS盤よりはテンポを速めにとって、音楽をだれさせないようにしている。

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  • 7 people agree with this review
     2012/06/11

    オペラの読み替え演出は可能な限り、その意図を汲んで肯定的に評価しようと考えている人間だが、結論から言えば、このクリストフ・ロイの読み替えだけは全く評価できない。ホフマンスタールの台本には、他ならぬシュトラウス自身が言い出したことだが、冷たく、頭でっかちで、概念の化身のような人物たちに血が通っていないという批判が昔からある。この批判についての当否はひとまずおくとしても、問題は1955年のゾフィエンザールに舞台を移すことによって、演出家の望んだような「血肉の通ったリアルな人間」を出現させることができたかどうかだ。シュヴァネヴィルムスが皇后役を演じるだけでなく、「皇后役を演じようとしている新人歌手レオニー・リザネック」の役も演じるという劇中劇化、メタオペラ化はかえって聴衆と舞台との距離を遠ざけることにならないか。演出家がストーリーの持つイデオロギー(子供を産まないことが倫理的に罪だというようなイデオロギーには、私も賛成しかねる)に問題ありとして、批判的な距離をとろうとしているのなら分かるが、ご本人の公式見解を聞く限りでは、そうではないようだ。第2幕第4場で皇后役の歌手以外、舞台上の録音スタッフが全員子供になるという仕掛けも空回り気味だし、最後をめでたしめでたしの大団円にしたくないという演出家の気持ちは分かるが(この舞台では乳母役がまだ舞台上にいるので、それが可能になる)、そのために払った犠牲が大きすぎる。ゾフィエンザール内部の再現にはそれなりに金がかかっているようで、経費節減のためという批判はあたらないかもしれないが、最後まで腑に落ちない舞台だった。歌手陣とティーレマン指揮のウィーン・フィルは上々の出来だったから、絵のないCDで出せば良かったのに。

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