ベルク(1885-1935)

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プロフィール

“アルバン・マリア・ヨハネス・ベルク[1885-1935]は、新ウィーン楽派の一員として、シェーンベルク、ヴェーベルンと共に活躍したオーストリアの作曲家。師のシェーンベルクのもと、ヴェーベルンが未来を志向したと言われるのに対し、ベルクは過去と密接に繋がって、無調や十二音の作品でさえ後期ロマン派的で濃密な気配を感じさせたのがポイント。 裕福な商人の家庭に生まれたベルクは、最初、文学や演劇に関心を持っ...

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商品ユーザーレビュー

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  • 予想通り、映像と手書きアニメーションを多用した舞台...

    投稿日:2020/01/18

    予想通り、映像と手書きアニメーションを多用した舞台。第1幕第1場でヴォツェックが大尉の髭剃りをしているのではなく、映写機をいじっているのは全体のプロローグとしての意味があるのだろう。第2場でのアンドレスとヴォツェックも大尉のためのステッキを刈るわけではなく、瓦礫を積み上げたようなセットの中をただ歩いているだけだ。メトでの『ルル』では雄弁な映像に比べて歌手たちの演技がイマイチだと不満を述べたが、こちらは上述のようにアンチリアル路線が徹底しているので、これはこれで良いと思える。第2幕第4場や第3幕第3場のように人々が踊る場面では、彼らが人形のような動きをするのが面白いが、リーフレットに掲載されたインタビューでは、25年前にビュヒナーの原作戯曲の方を人形劇団のために演出したのが、自分の演出家としての初仕事だったとケントリッジは述べている。第3幕第2場でもヴォツェックがマリーをナイフで刺すような動作はなく、最終場は人形つかいの操るパペットとして表現されるマリーの子供が一人、舞台上にいるのみで、他の子供たちは暗闇の中から声が聞こえるだけ。この人形がガスマスクをつけているのは第一次大戦へのアリュージョン(例のインタビューで演出家自身がそう述べている)。 歌手陣では歌、演技ともに目覚ましい新鋭グリゴリアンが大収穫。ゲルネの題名役はもちろん大変達者だが、チューリッヒのゲルハーエルが(演出も含めて)被差別者の悲哀を感じさせる役作りだったのに対し、こちらはむしろこの人物の「怒り」と「狂気」を前面に出した演唱。他にもダスザック、ジーゲル、ラーセンと芸達者を揃えている。ウィーン・フィル相手にびびった訳でもあるまいが、ユロフスキーの指揮は彼らしい尖鋭さがあまり聴かれず、手堅いまとめにとどまっているのは残念。

    村井 翔 さん |60代

    3
  • 典型的な現代化演出で、第1幕第1場の音楽が始まるまで...

    投稿日:2019/01/25

    典型的な現代化演出で、第1幕第1場の音楽が始まるまでの黙劇の場面がかなり長い(第2幕第4場の伏線になっているけど)、第1幕と第2幕の間にマリーの子供役が第3幕第1場でマリーが途中まで語る悲惨なメールヒェンの全文を朗読する(したがって子供役は幼児ではなく、十歳ぐらいの眼鏡の少年)など、同じワルリコフスキ演出の『ルル』ほどではないが、情報量豊富な上演。舞台はだだっ広いダンスホールのような所で、小道具の出し入れはあるものの基本的に場面転換なし、第2幕第1場と第3幕第1場は閉まった幕の前で演じられる。マリーが鼓手長の誘惑に屈する第1幕第5場では、本来ここにいないはずのヴォツェックが前の場の終わりの姿勢のまま舞台上にいるなど、なかなか面白い工夫もあるが、問題は演出の様々な仕掛けがドラマの集中力を高める方向に働かず、かえって散漫にしてしまっていること。 マルトマンの題名役は歌・演技ともに巧み。極貧の兵士というよりは気弱なインテリに見えるが、映像があって、それがすべて演出家の意図であることが分かるので、かつてのF=ディースカウのような違和感は逆に少ない。ウェストブレークのマリーもなかなかのハマリ役。こちらは最初から豊満な毒婦風だが、これも演出意図通りだろう。脇役陣ではウィラード・ホワイトの医者がさすがの貫祿。一方の大尉(ベークマン)はもっと性格的であって欲しい。マルク・アルブレヒトの指揮は手堅いが、欲を言えばもう少し表現主義的なシャープさが望まれる。 

    村井 翔 さん |60代

    2
  • チャルニャコフ演出は半年後に同じペーターゼン主演で...

    投稿日:2017/10/08

    チャルニャコフ演出は半年後に同じペーターゼン主演でメトで収録されたケントリッジ演出とは対照的な舞台。プロジェクション・マッピングを全く用いず(第2幕の間奏曲もパントマイムのみ)、具象物のほとんどない舞台上で人物達の絡みを的確に見せる。普段は見られない自殺した画家の遺体を見せるほか、舞台上でのルルの失神、シェーン博士の婚約者、第2幕ではシェーンがアルヴァを殴りつけるなど、舞台裏の出来事をはっきり見せるのはなかなかの工夫。最後のルル刺殺シーンも舞台前面で演じられるが、ちょっと違った味付けになっている(見てのお楽しみ)。主役ペーターゼンはメト版よりも遥かに生彩ある演唱。ただし、彼女もこの役はこれで歌い納めとあって、アップになると老けて見えるのは残念だが。シンドラムのゲシュヴィッツがやや魅力薄なのを除けば、スコウフスの素晴らしいシェーン博士以下、テノール三人(クリンク/トロスト/アプリンガー=シュペルハッケ)も申し分ない。 さて、これが初映像ディスクとなる話題のキリル・ペトレンコ。私の聴いた限りでは、緩急の幅を広くとり、ここがクライマックスと見定めれば(たとえば『タンホイザー』第2幕終わりのコンチェルタート)、多少粗いところがあっても一気呵成に行く天性のオペラ指揮者。現役指揮者中ではやはりティーレマンに似ていると思うが、当然ながらティーレマンより世代が若い。3月のベルリン・フィル定期ではモーツァルト『ハフナー』交響曲で、ピリオド・スタイルを自家薬籠中のものとしていることを実証してみせたし、レパートリーも広い(『ルル』から『兵士たち』まで振る)。交響曲レパートリーではマーラー、ショスタコーヴィチを問題なく振れるあたりが、ベルリン・フィルのシェフ選びで、ティーレマン派を取り込みつつ、反ティーレマン派をも黙らせた要因だろう。

    村井 翔 さん |60代

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