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つよしくん さんのレビュー一覧 

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     2012/07/16

    ゲルバーのベートーヴェンは素晴らしい。既に、数年前に「悲愴」、「月光」、「熱情」の3大人気ピアノ・ソナタがBlu-spec-CD化されており、それも音質の素晴らしさも相まって見事な演奏であったが、本盤の3曲も、それらの演奏に勝るとも劣らない素晴らしい名演奏だ。ゲルバーによるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏の特色は、何と言ってもその美しさにあると言える。もっとも、単なる表面上の美しさにとどまっているわけではない。その美しさは、後述のように深い内容に裏打ちされていることを忘れてはならない。加えて、演奏全体の造型は堅固であり、ドイツ風の重厚さが演奏全体に満ち満ちており、独墺系のこれまでの様々な偉大なピアニストの系譜に連なる、正にいい意味での伝統的な演奏様式に根差したものであると言えるだろう。そして、どこをとっても、眼光紙背に徹しているとも言うべき厳格なスコア・リーディングに基づいた音符の読みの深さが光っており、前述のようにいわゆる薄味な個所は皆無。いかなる音型にも、独特の豊かなニュアンス、奥深い情感が込められていると言えるところだ。技術的にも何らの問題がないところであり、随所に研ぎ澄まされた技巧を垣間見せるが、いささかも技術偏重には陥っておらず、常に内容の豊かさ、彫の深さを失っていないのが見事であり、知情兼備の演奏であると言っても過言ではあるまい。総括すれば、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏というのが、ゲルバーによるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏であると言えるところであり、ドイツ正統派の伝統的な演奏様式に、現代的なセンスをも兼ね合わせた、正に現代におけるベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏の理想像の具現化と評価し得ると考えられるところだ。いずれにしても、本盤の各楽曲の演奏は、ゲルバーならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質については、従来CD盤でも1990年前後のスタジオ録音ということもあって、比較的満足できる音質であると言えるが、これだけの名演だけに、長らくの間、高音質化が望まれてきた。そのような中で、今般、かかる名演が待望のBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。ゲルバーによるピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてBlu-spec-CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ゲルバーによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、既にBlu-spec-CD化されている「悲愴」、「月光」、「熱情」も含めて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/07/14

    実に素晴らしい名演だ。本盤におさめられているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から12の練習曲を軸として、「見つけ出された練習曲」、「エレジー」、「アルバムの頁」などの小品がおさめられているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫の深さと言った点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤におさめられた諸曲の演奏は、正にドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかるベロフによる素晴らしい名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。ベロフによる研ぎ澄まされたピアノタッチが鮮明に再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。いずれにしても、ベロフによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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     2012/07/14

    インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲第3番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲第3番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。アルトのドリス・ゾッフェル、そして、リンブルク大聖堂少年合唱隊やフランクフルト聖歌隊女声合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/07/08

    フランスのエスプリに満ち溢れた詩情ここに極まれりとも言うべき美しい名演だ。本盤におさめられたフランス人の作曲家によるヴァイオリン・ソナタの数々は、いずれも必ずしも有名な作品とは言い難い。むしろ、はじめて鑑賞する聴き手も多いと言えるのではないだろうか。しかしながら、いずれも美しい旋律に満ち溢れた大変な魅力作であると言える。言わば、知る人ぞ知る名作揃いであると言えるが、カントロフは、こうした各ヴァイオリン・ソナタの美しい旋律の数々を情感豊かに歌い抜いている。それでいて、センチメンタルな陳腐さに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが素晴らしい。そして、各フレーズの端々には、冒頭に記述したように、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な情感が満ち満ちており、その何とも言えないセンス満点の美しさには抗し難い魅力があると言える。もちろん、カントロフの演奏は、そうした美しい情感を全面に出すのみの演奏ではない。持ち前の卓越したテクニックも随所において存分に発揮していると言えるところであり、はたまたテンポの振幅を駆使するとともに、アッチェレランドなども施すなど、個性的な解釈にも事欠かないところである。そして、こうした個性的な解釈こそが、本盤の各楽曲の演奏を冗長なものとするのを避けるのに大きく貢献しているとも言えるところであり、いい意味において、剛柔のバランスのとれた優れた演奏ということもできるところだ。前述のように、本盤の各楽曲については、同曲異演盤が稀少な点もあり、こうした点を踏まえると、本盤におさめられた各楽曲の演奏こそは、これら各楽曲の代表的な名演と評価してもいいのではないかと考えられるところである。ジャック・ルヴィエによるピアノ演奏も、カントロフによるヴァイオリン演奏を引き立てるという意味において、正に理想的な名演奏を展開していると評価したい。そして、今般、かかるカントロフによる素晴らしい名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本盤の各演奏の価値、引いては知られざる名作の真価を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。カントロフによる艶やかなヴァイオリンの弓使いやジャック・ルヴィエのピアノタッチが鮮明に再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。いずれにしても、カントロフ、そしてジャック・ルヴィエによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいと思っている聴き手は私だけではあるまい。

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  • 6人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/08

    最近では、ベートーヴェンの交響曲の演奏にも、ピリオド楽器を用いた演奏や古楽器奏法の波が押し寄せてきているが、本全集が録音された1970年代は、まだまだ大編成のオーケストラを用いた重厚な演奏が主流であったと言える。例えば独墺系の指揮者で言えば、カラヤンやベームと言った大巨匠が交響曲全集を相次いでスタジオ録音するとともに、クーベリックやバーンスタインによる全集なども生み出されるなど、正にベートーヴェンの交響曲全集録音の黄金時代であったと言っても過言ではあるまい。そのような中で、決して華やかさとは無縁のケンペによるベートーヴェンの交響曲全集が、1975年のレコード・アカデミー賞を受賞するなど一世を風靡するほどの評判を得たのはなぜなのだろうか。確かに、本全集の各交響曲の演奏は、確かに、巷間言われているように、厳しい造型の下、決して奇をてらわない剛毅で重厚なドイツ正統派の名演と評することが可能であるが、決してそれだけでないのではないだろうか。一聴すると、オーソドックスに思われる演奏ではあるが、随所にケンペならではの個性が刻印されていると言えるだろう。例えば、第2番では、冒頭の和音の力強さ。第2楽章のこの世のものとは思えないような美しさ。第3楽章は、他のどの演奏にも増して快速のテンポをとるなど、決して一筋縄ではいかない特徴がある。第4番第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始、そして第3楽章など、他のどの演奏よりも快速のテンポだが、それでいて、全体の造型にいささかの揺らぎも見られないのはさすがと言うべきであろう。第5番の第1楽章のテンポは実にゆったりとしている。しかし、決してもたれるということはなく、第1楽章に必要不可欠な緊迫感を決して損なうことなく、要所での音の強調やゲネラルパウゼの効果的な活用など、これこそ名匠ケンペの円熟の至芸というべきであろう。終楽章のテンポはかなり早いが、決して荒っぽさはなく、終結部のアッチェレランド寸前の高揚感は、スタジオ録音とは思えないほどのド迫力と言えるところだ。第6番の第1楽章は、かなりのスローテンポ。同じようなスローテンポで第2楽章もいくかと思いきや、第2楽章は流れるようなやや早めのテンポで駆け抜ける。第3楽章に至ると、これまたすざまじい快速テンポをとるなど、必ずしも一筋縄ではいかない個性的な演奏を展開している。第7番は、冒頭から実に柔和なタッチでゆったりとしたテンポをとる。主部に入っても、テンポはほとんど変わらず、剛というよりは柔のイメージで第1楽章を締めくくっている。第2楽章は、典型的な職人芸であり、決して安っぽい抒情に流されない剛毅さが支配している。第3楽章は雄大なスケールとダイナミックな音響に圧倒される。終楽章は、踏みしめるようなゆったりしたテンポと終結部の圧倒的な迫力が見事だ。第8番は、中庸のテンポで、ベートーヴェンがスコアに記した優美にして軽快な音楽の魅力を、力強さをいささかも損なうことなく表現しているのが素晴らしい。そして、第9番は、ケンぺ&ミュンヘン・フィルによる偉大な本全集の掉尾を飾るのに相応しい圧倒的な超名演。ここでのケンペの指揮は堂々たるドイツ正統派。気を衒うことは決してしない堂々たるやや遅めのインテンポで、愚直なまでに丁寧に曲想を描いているが、悠揚迫らぬ歩みによるいささかも微動だにしない風格は、巨匠ケンペだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団も、ケンペによる確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前にリマスタリングは施された(分売)ことによってかなりの改善がみられたところであり、私も当該リマスタリング盤を愛聴してきた。ところが、昨年末にESOTERICが、ついに本演奏のSACD化を行ったところだ。音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ケンペによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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  • 10人の方が、このレビューに「共感」しています。
     2012/07/07

    アシュケナージは、我が国ではNHK交響楽団の音楽監督をつとめるなど御馴染みの存在であるが、識者の評価については必ずしも芳しいとは言い難いものがある。これには、とある高名な音楽評論家がことある毎にアシュケナージを貶していることによるところが大きいと言えるが、果たしてアシュケナージはそこまで貶められなければならない指揮者(ピアニスト)と言えるのであろうか。とある高名な音楽評論家の批評には、殆ど悪意さえ感じさせられるが、少なくとも、ラフマニノフは他の指揮者(ピアニスト)の追随を許さない名演を成し遂げてきているし、そして本盤におさめられたプロコフィエフなどのロシア音楽については、そのすべてが名演とは言えないまでも、常に水準以上の演奏を聴かせてくれると言えるのではないだろうか。アシュケナージは、現在の手兵であるシドニー交響楽団とともに、既にプロコフィエフの交響曲第1番&第5番、そしてピアノ協奏曲全集などを録音しており、それらはいずれもなかなかに優れた演奏と言えるところである。とりわけ、ピアノ協奏曲全集については、素晴らしい名演と私としては高く評価しているところだ。本盤におさめられたプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は、久々に登場したアシュケナージ&シドニー交響楽団による演奏であるが、素晴らしい名演だ。このコンビが漸くいい状態になってきたことの証左とも言うべき演奏とも言えるだろう。同曲については、かつては全曲盤があまり多くなく、マゼール&クリーヴランド管弦楽団の名演などが掲げられる程度であったが、近年では、全曲盤が数多く録音されるようになるなど、人気が高まってきていると言える。アシュケナージも、そうした人気上昇の潮流にのって録音したものと想定されるが、そうした近年の名演の中にあっても、いささかも存在価値を失わないだけのレベルの高さを有していると考えられる。何か聴き手を驚かすような奇抜な解釈を施したりすることはなく、いささかも奇を衒わないオーソドックスとも言うべきアプローチで一環しているが、テンポの振幅などを効果的に駆使して各曲を巧みに描き分け、正にいい意味で聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを発揮していると言えるだろう。シドニー交響楽団も、アシュケナージの薫陶の下、見事なアンサンブルをベースとした好演を行っており、アシュケナージの指揮と一体となって持ち得る実力を最大限に出し尽くした最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。いずれにしても、本盤の演奏は、アシュケナージ&シドニー交響楽団の素晴らしいコンビぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質がこれまた実に素晴らしい。エクストンも今やシドニー・オペラハウスの絶好の録音ポイントを獲得するに至ったと言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤はSACDによる素晴らしく良好にして鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2012/07/07

    演奏についてはマタチッチならではのとてつもないスケールを有した超名演であるが、それ以前の問題として、今般のSACD盤の発売に対して言及をしておかざるを得ない。今般のSACD化については、本盤の演奏の歴史的な価値、そして演奏内容の素晴らしさからしても大いに歓迎すべきであるが、それにしても、何故に最初からSACD化を行わないのであろうか。Blu-spec-CD化、XRCD化を段階的に行い、それらを十分に売ったタイミングでSACD盤を発売するというのは、あまりにもメーカー側の金儲け至上主義が過ぎると言えるのではないか。マタチッチの熱心なファン、コアなクラシック音楽ファンであるほど、優れた演奏はできるだけ良好な音質で聴きたいと考えている。それだけに、そうしたクラシック音楽ファンの大方の者は、おそらくは、メーカー側の姿勢に疑問を感じつつも、Blu-spec-CD盤、XRCD盤、そして今般のSACD盤を購入したのではないか。ただでさえ、パイが少ないとされるクラシック音楽業界であるが、こうした熱心なクラシック音楽ファンを大事にしないと、その将来はますます暗いと言わざるを得ない。メーカー側の熱心なクラシック音楽ファンを大事にしない詐欺とも言うべきいかがわしい姿勢、金儲け至上主義に対して、この場を借りて猛省を促しておきたい。なお、演奏は定評のあるものであり素晴らしい。既に、私は、それぞれのBlu-spec-CD盤においてレビューを投稿済みである。「ブラームスの交響曲第1番は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。最近でこそ、デュトワやアシュケナージなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、本盤の録音当時は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していたと言える。さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの交響曲第1番は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。テンポは全体で約42分という、ブラームスの交響曲第1番としては早めのテンポであるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、その圧倒的な生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本演奏では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最晩年の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきであると考える。いずれにしても、本盤のブラームスの交響曲第1番は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても、特筆すべき至高の名演と高く評価したい。」また、交響曲第7番については、「今から25年以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、本盤におさめられたマタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。それは、マタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。当時のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられており、死ぬ直前の老匠とは凄い演奏をするなどと揶揄されていた。そうした批評の是非はさておき、死を1年後に控えていた最晩年のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきであると考える。本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による至高の超名演がおさめられている。」と記したが、本SACD盤の発売によっても、かかる評価にいささかの変更点もない。そして、今般のSACD化によって、Blu-spec-CD盤やXRCD盤を凌駕する素晴らしい音質に蘇った。冒頭に記したように、メーカー側の金儲け至上主義に屈するのはいささか納得がいかないが、マタチッチ&NHK交響楽団による歴史的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/06/24

    スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していると言える。もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、正に音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番及び大フーガは、前述の名盤の誉れ高い全集におさめられた弦楽四重奏曲第13番及び大フーガの演奏(1982年)の約20年前の演奏(1965年)だ。全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、レコード・アカデミー賞受賞盤でもあり、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはないと言える。しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。第13番及び大フーガは、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1965年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。しかしながら、先般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤がなされ、圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。したがって、SACD再生機を有している聴き手は、多少高額であっても当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤をおすすめしたいが、SACD再生機を有していない聴き手や、低価格で鑑賞したい聴き手には、本Blu-spec-CD盤をおすすめしたい。第12番、第14〜第16番についても今般Blu-spec-CD化がなされたが、従来CD盤との音質の違いは明らかであり、できるだけ低廉な価格で、よりよい音質で演奏を味わいたいという聴き手にはBlu-spec-CD盤の購入をおすすめしておきたいと考える。

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     2012/06/23

    モーツァルトは、交響曲やオペラ、協奏曲、器楽曲など、様々なジャンルにおいて傑作の数々を遺している。そうした広範なジャンルの中で、弱点とも言うべきところがある。それは、諸説はあると思うは、私としてはヴァイオリン協奏曲ではないかと考えているところだ。真作とされているのは第1番〜第5番の5曲であるが、そのいずれもが10代の時の若書きであるからだ。もちろん、第3番や第5番など、モーツァルトならではの典雅で美しい旋律に満ち溢れた名作であるとは言えるが、同じ協奏曲でも、ピアノ協奏曲やクラリネット協奏曲をはじめとする管楽器のための協奏曲などと比較すると、作品としての価値は若干劣ると言わざるを得ないのではないだろうか。本盤におさめられたヴァイオリン協奏曲の第6番及び第7番は、モーツァルトの作品と呼称されてはいるものの、現在では偽作とされている作品だ。しかしながら、若書きである第1番〜第5番よりも熟達した作品であると言えるところであり、作品そのものの魅力という点においても、真作である第1番〜第5番を大きく凌駕する名作であると言えるだろう。もちろん、偽作とされているだけに、古今東西の様々なヴァイオリニストによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集に第6番&第7番が盛り込まれることは殆ど皆無であり、そもそも第6番&第7番の録音自体が極めて少ないと言わざるを得ない状況にある。そのような中での、名ヴァイオリニストであるカントロフによる本演奏は希少価値があるのみならず、おそらくは両曲の最高の名演と言えるのではないだろうか。むしろ、カントロフによる本名演によって、これら両曲が第1番〜第5番を凌駕する名作であるということが認知されたと言っても過言ではないところであり、その意味では、本演奏こそは両曲の理想の名演と言っても過言ではあるまい。モーツァルトの真作とは言い難いものの、作品の持つ典雅にして高貴な名旋律の数々を格調高く描き出しており、あたかもモーツァルトの未発見の名作を聴くような気分にさせてくれるのも、本演奏の大きな魅力であると言える。いずれにしても、本演奏は、両曲の魅力を十二分に味あわせてくれるカントロフならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義があると言える。特に、カントロフのヴァイオリン演奏が艶やかに再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。いずれにしても、カントロフ、そしてレオポルド・ハーガー&オランダ室内管弦楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/06/23

    インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集であると言える。それどころから、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤におさめられた交響曲第2番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注していると言える。マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、私としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤におさめられた交響曲第2番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。ソプラノのヘレン・ドナートやアルトのドリス・ゾッフェル、そしてハンブルク北ドイツ放送合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、今般のBlu-spec-CD化によって更に素晴らしい高音質に生まれ変わった。いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演をBlu-spec-CDによる高音質、しかも廉価で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2012/06/23

    これは、サヴァリッシュによる最高のスタジオ録音と言えるのではないだろうか。シューマンの交響曲全集の他の指揮者による様々な名演などと比較しても、上位にランキングされる素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。大抵の全集の場合、4曲の交響曲の演奏の中には、どうしても出来不出来が出てきてしまうものであるが、本全集の場合は、各交響曲の演奏の出来にムラがなく、すべて高水準の名演に仕上がっているのが見事であると言える。もちろん、各交響曲の演奏それぞれについて見ると、それぞれにより優れた名演が存在しているのは否めない事実であると言えるが、最大公約数的に見れば、本全集ほどに高水準の名演で構成されているものは、他にも殆ど類例を見ないと言っても過言ではあるまい。このような名全集に仕上がった理由はいろいろとあると思われるが、第一に掲げるべきは、サヴァリッシュとシューマンの楽曲の抜群の相性の良さということになるのではないだろうか。シューマンの交響曲は、必ずしも華麗なオーケストレーションを全面に打ち出したものではない。むしろ、質実剛健とも言うべき、ある種の渋さを持った作品とも言えるところであるが、こうした楽曲の性格が、サヴァリッシュのこれまた派手さを一切排した渋みのある芸風と見事に符号するということではないだろうか。サヴァリッシュは、交響曲全集の他にも、ミサ曲などにおいても名演を成し遂げていることに鑑みれば、こうしたシューマンの楽曲の相性の良さは本物のような気がしてならないところだ。次いで、オーケストラがドレスデン国立管弦楽団であるということだろう。東西ドイツが統一された後、東独にあった各オーケストラの音色もよりインターナショナルなものに変貌しつつあるが、本盤の演奏当時の1972年頃は、東独のオーケストラには、独特の個性的で重心の低い独特の音色を有していたと言える。こうした、当時のドレスデン国立管弦楽団の独特の音色が、シューマンの楽曲に見事に適合していると言えるところであり、ただでさえ素晴らしいサヴァリッシュによる演奏を、更に魅力的なものに仕立て上げるのに大きく貢献していると言えるところだ。いずれにしても、本全集は、併録の序曲「スケルツォとフィナーレ」や「マンフレッド」序曲なども含め、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管弦楽団による最高の名演奏、最高のパフォーマンスがなされていると言えるところであり、前述のように、これまで多くの指揮者によって成し遂げられてきたシューマンの交響曲全集の中でも、上位にランキングされる素晴らしい名全集として高く評価したいと考える。音質は、1972年のスタジオ録音であるが、EMIにしては従来CD盤でも十分に合格点を与えることが可能な良好な音質であったと言える。また、数年前にはリマスタリングが施されるとともに、HGCD化がなされるに及んで、より一層良好な音質に生まれ変わったと言える。したがって、私としては当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたが、今般、ついに待望のSACD化が図られるに及んで大変驚いた。鮮明さ、音場の拡がり、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管弦楽団による素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/17

    本盤には、英国指揮者の大御所でもあるコリン・デイヴィスがロンドン交響楽団の首席指揮者在任中にライヴ録音を行ったエルガーの交響曲全集がおさめられている。3曲の交響曲のうち、最も有名な交響曲第1番については、コリン・デイヴィスは、BBC交響楽団との演奏(1985年)、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1998年ライヴ録音)を行っていることから、本盤の演奏を含めて3度にわたって録音を行っていることになる。とりわけ、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏は、オーケストラの抜群の力量やその独特の音色の魅力、そしてコリン・デイヴィスの当該演奏にかける尋常ならざる意欲も相まって、切れば血が噴き出てくるような大熱演に仕上がっていたところだ。したがって、コリン・デイヴィスによるエルガーの交響曲第1番の名演としては、このシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏を随一に掲げるべきであろうが、だからと言って、本演奏の価値が低いというわけではない。本盤の演奏については、交響曲第2番や第3番においても共通していると言えるが、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポにより、重厚にして壮麗、なおかつスケール雄大な演奏を行っていると言えるのではないだろうか。前述のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏と比較すると、トゥッティに向けて遮二無二畳み掛けていくような強靭な迫力や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力においては、一歩譲ると言わざるを得ないが、それでも、本演奏もライヴ録音ならではの気迫や強靭さも十分に備わっており、演奏の持つ根源的な迫力においてもいささかの不足はない。そして、コリン・デイヴィスの指揮で素晴らしいのは、強靭なトゥッティや荒々しさを感じさせる箇所に差し掛かっても、格調の高さを失っていないという点であり、これは英国人指揮者の面目躍如たるものがあると言える。エルガーの交響曲に特有のイギリスの詩情に満ち溢れた旋律の数々の歌い方についても、コリン・デイヴィスは、哀嘆調の感傷的なロマンティシズムに陥ることがなく、常に気品のある高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。コリン・デイヴィスの確かな統率の下、重厚な強靭さからイギリスの詩情に満ち溢れた繊細な美しさに至るまでを完璧に音化し、望み得る最高の名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。音質は、2001年のライヴ録音、そして従来CD盤での発売であるが、十分に満足できる音質であると言える。もっとも、コリン・デイヴィス&ロンドン交響楽団の演奏では、エニグマ変奏曲やゲロンティアスの夢についてはマルチチャンネル付きのSACD盤で発売されていることに鑑みれば、本全集についても、今後可能であれば、マルチチャンネル付きのSACD化を図っていただくことを切にお願いしておきたいと考える。

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     2012/06/17

    カラヤンは、ミュンシュの急逝によって窮地に陥ったパリ管弦楽団の音楽監督にほんのわずかの期間ではあったが就任した。したがって、このように短期間ということもあって、パリ管弦楽団との録音は、本盤におさめられたラヴェルの管弦楽曲や、フランクの交響曲ニ短調、ワイセンベルクと組んだチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、そしてDVD作品としてベルリオーズの幻想交響曲といったわずかのものしか遺されていない。それでも、カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団と最後のスタジオ録音を行った1960年以降においては、ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、シュターツカペレ・ドレスデンとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」を除けば、ベルリン・フィルかウィーン・フィルとの演奏・録音に限られているだけに、むしろパリ管弦楽団との録音は必ずしも少ないとは言い難いのかもしれない(今後、ライヴ録音の発掘が行われれば、そうした事情に変化が見られるのかもしれない。)。そして、その演奏も素晴らしい名演と高く評価したい。この当時のカラヤンは気力・体力ともに最も充実していた全盛期であり、手兵ベルリン・フィルとともに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの数々を構築していた。ベルリン・フィルによる鉄壁の演奏に流麗なレガートが施された磨き抜かれた音色は、カラヤンサウンドとも称される極上の絶対美を誇っていたとも言える。本演奏では、オーケストラがパリ管弦楽団だけに、さすがにこのようないわゆるカラヤンサウンドを聴くことは困難ではあるが、演奏の重厚さや劇的な緊張感、そして、各フレーズ間を繋ぐ流麗なレガートは、まさしくカラヤンによる演奏以外の何物でもないと言える。このようなカラヤンならではの重厚にして華麗な演奏に、フランス風の洒落た味わいを付加することに成功したのが、パリ管弦楽団による名演奏であると考えられる。いずれにしても、本演奏は、カラヤン&パリ管弦楽団だけに可能な、ドイツ風とフランス風が見事に融合した稀有の名演と高く評価したい。とりわけ、スペイン狂詩曲については1986年にベルリン・フィルと再録音を行っているものの、道化師の朝の歌や組曲「クープランの墓」については、本盤の演奏はカラヤンによる唯一の演奏と言うべき存在であり、その意味でも希少価値があると言えるところだ。音質については、本盤が長らく単独盤として手に入らない状況にあり、生誕100年を記念して発売されたセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&パリ管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/17

    カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代の演奏の凄さを満喫することが可能な名CDであると言える。ドビュッシーの交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲に、ラヴェルのボレロという組み合わせは、正にカラヤンが深い愛着を有した楽曲であるとともに、十八番としていた楽曲であるとも言えるところだ。カラヤンは、こうしたお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したことで知られているが、交響詩「海」については、フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1953年)のほか、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の4種類の録音、牧神の午後への前奏曲については、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の3種類の録音(フルートソロはいずれもツェラーであるが、何故にカラヤンがツェラーに拘ったのかは興味深いところだ。)、ラヴェルのボレロについては、ベルリン・フィルとともに1966年、1977年(本盤)、1986年の3種類の録音を遺している。そして。これら複数の録音がそれぞれの楽曲にある中で、3曲ともにカラヤンの個性が全開のベストの名演は、紛れもなく本盤におさめられた1977年の演奏であると言えるところだ。というのも、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏はそれぞれの全盛期を迎えるとともに、この黄金コンビが蜜月状態にあったと言えるからだ。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いたところであり、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていたところだ。本盤の3曲の演奏においても、こうしたカラヤン・サウンドに満たされていると言えるところであり、いわゆる音のドラマという観点からすれば、本盤におさめられた3曲の演奏は、それぞれの楽曲の演奏史上でも最高の超名演と評価したいと考える。とりわけ、牧神の午後への前奏曲については、その官能的な内容から、一部の識者からは、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」と称されている傑作であると言える。そして、カラヤンの演奏ほどに、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」を感じさせてくれる演奏は他に存在しないのではないかと考えられる。いずれにしても、本演奏は、生涯にわたって、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を愛し続けた(録音運には恵まれなかった。)カラヤンならではの、ドイツ風の重厚な音色の中にも、同曲が有する官能性を極限に至るまで描き抜いた至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。ツェラーによるジャーマンフルートの音色も抗し難い美しさに満ち溢れていると言える。音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であり、しかも長らくリマスタリングなどもなされないという嘆かわしい状況にあったところだ。ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる全盛期の圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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     2012/06/10

    カラヤンは、今を時めくピアニストとともにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音する傾向があるようだ。リヒテル、ワイセンベルク、ベルマン、そして最晩年のキーシンの4度に渡って同曲を録音しているが、そのいずれもが、これから世に羽ばたこうとしていた偉大なピアニストばかりであるという点においては共通している。ただ、この中で、最も低い評価しか与えられていない演奏こそは、本盤におさめられているワイセンベルクとの演奏であると言える。もっとも、こうした評価は、私としてはこれまでの音質が今一つの通常CD盤によるものではないかと考えているところだ。というのも、今般のSACD盤によって、桁外れの音質改善が図られたからと言えるからである。これまでの従来CD盤における本演奏の酷評の要因は、ワイセンベルクの個性が、カラヤン&パリ管弦楽団による豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができないとされてきたことにあると言えるが、今般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。もちろん、カラヤン&パリ管弦楽団の演奏は凄いものであり、今般のSACD化によって更にその凄みを増したとさえ言える。もっとも、ベルリン・フィルとの間で流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンにしてみれば、パリ管弦楽団との本演奏では若干の戸惑い(特に、パリ管弦楽団において)なども見られないわけではないが、そこはカラヤンの圧倒的な統率力によって、さすがにベルリン・フィルとの演奏のレベルに達しているとは言えないものの、十分に優れた名演奏を行っていると言えるところだ。そして、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&パリ管弦楽団の中の一つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&パリ管弦楽団による豪壮華麗な演奏の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。しかしながら、今般のSACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&パリ管弦楽団の忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。いずれにしても、私としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン、カラヤンに必死に喰らいついていこうとするパリ管弦楽団、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したいと考える。音質は、1970年のスタジオ録音であり、前述のように従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&パリ管弦楽団の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、カラヤン&パリ管弦楽団、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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